はてなキーワード: 生き甲斐とは
みんなは「公式アニメタグ独占荒らし(通称滋賀のタグ荒らし)」「ぬぬぬ」って知ってるかな?
- 公式アニメタグ独占荒らし問題とは、ニコニコ動画で公式配信されているアニメ動画のタグ一覧が、ある1人のユーザーによって常時独占されている問題である。
- 公式配信アニメのタグを自身によるタグで編集上限数まで独占し、その他のタグを認めず執拗に差し替えを行う人物。独占に使用するタグは作品にそぐわない物や多くの視聴者が検索しないような単語、キャラへの中傷的なものが多い。
- 他の利用者が検索用タグ、ネタタグなどを付けてもすみやかに差し替えてしまい、場合によっては「タグ削除荒らし常駐動画」を始めとする作品内容と関係のないタグを付けていくなどさまざまな迷惑行為を働いている。
- 便宜上「独占荒らし」と呼んでいるが実際には自分以外のタグを付けさせない事とタグの検索妨害を目的としている(自分のタグを付けることは主目的ではない)。そのため「魔法」「魔術」や「日常系」「日常アニメ」など意味の類似したタグを複数貼り付けて独占したり他人のタグを延々と削除だけしている場合もある。
- その活動は2014年秋から観測されすでに2年以上荒らし続けている。
- 出現する動画では基本的に放送終了まで無料配信期間いっぱい独占を行う。またコメント削除依頼板のタグ通報スレでも活動しており、タグ独占荒らしへの通報に対し、高頻度で自己を正当化し相手を中傷する暴言によって反論を行っている。
- しばしば運営に噛みつく事もあり、運営・全ユーザーふくめてもその中で自分が一番正しいと思っている。自分の行動が世の中のためになると勘違いしているテロリストと似たような思考により荒らしている。
- ぬぬぬ(数字)とは現在ニコニコ動画において、動画を多数無断転載しているユーザー。
- ニコニコ動画において(良くも悪くも)転載は珍しくないが、ぬぬぬはその中でも非常に質が悪い。主に話題になりそうな、話題になっているゲームやアニメ関連の動画をかたっぱしから転載している。
- ぬぬぬのアカウント情報によれば(原宿)時代から活動しているらしく、確認できる限り投稿された動画は2200を超えている。
- 再生数が多くなりそうな動画は、自らが投稿した全く関係ない他の版権の動画(これも転載)にジャンプで飛ばすことを繰り返して再生数を工作する。もちろんジャンプする事、ジャンプ先などは説明文に記載されていない。
- 動画説明文に元動画のURLや転載であることはほとんど記載せず、さらに公式がニコニコにアップロードしてある動画すら転載し、あまつさえそれを自らの別アカウントで宣伝している。
- 近頃は自分が公式だと誤認させるようなタイトルやキャプションレイアウトなどで、以前よりも悪質になっている。
- これらを指摘し、批判するようなユーザーを投稿者NGにして他ユーザーからそのユーザーのコメントが彼の動画で見えなくなるようにしているのが転載厨の記事にて示唆されている。さらにタグを自分で埋めてロックしており、コメントだけではなくタグによる批判的意見を、すべて受け付けようとしていない。
- 現状、アニメやゲームの動画の転載は9割以上ぬぬぬが占めている。
いやだねぇ…。
ところで、彼らを見ていると誰かを思い出さないか?そう、我らが低能先生と行動がそっくりなんです。
彼らのアカウントをどれだけ消そうが意味がない。簡単に再取得できるのでBANされようが規制されようがすぐに復活する。ある意味無敵の人。むしろ不死身の人か。
ちなみに(く)アップデート炎上の際にユーザーから運営にこいつらをなんとかしろという要望もあっただが、見事にスルーされ現在も活動中なことを考えるとすぐに対処すべきではない、放置して問題ないという事らしい。
結果的に彼らの生き甲斐を奪わずニコニコに閉じ込め、数年に渡り放置することで社会から隔離するのが正解だった事が証明されてしまったわけだが。
もしも(く)アップデートの際に本格的に対処していたら?ニコニコ本社に乗り込んでいたかもね。Youtube本社襲撃があっただけに洒落にならない。
何がショックだったって、容姿でもなく、彼氏バレでもなく、もちろん、サブカル女子ってことでもなく、バリバリの陽キャだったってことですよね!
例えるなら、文化祭の準備とかで、あまり話したことのないクラスのギャルが気さくに話しかけてくれて、勝手に舞い上がっちゃって、で、こっちから話しかけたら、困ったように笑われて、そんなつもりじゃなかったんだけど…なんかごめんねー…アハハ…みたいな!な!
分かるよな?こういうの!
ただ、悲しい反面、クラスで浮いてた痛い系のサブカル女じゃなくてちょっと安心したって気持ちもある。
だって、中の人がVチューバーたけが生き甲斐の寂しい女の子だったら、悲しすぎじゃないですか?
それはそれで萌えるけども!
それはともかく、今回のことで、自分にとっては、美大の陽キャは、2.5次元のアイドルよりも縁遠い存在だなーと改めて認識しました。
最後に、書いてて気づいたんだけど、美大ってのも、自分の琴線に強く触れた原因だと思う。
美大受験諦めて、普通の大学受けて、クリエイティブとは程遠い仕事してると、なにか創作してるってだけで、凄く眩しく感じるし、正直嫉妬さえする。
でも、一方自分の夢は叶いそうもないって半ば分かってるから、応援したい気持ちもある。
アンビバレンツだわー
もう20年近くここで働いてるけど転職したいとか、結婚したいとか
別のとこで正社員になりたいし、バツイチだけど若い女と結婚したいと
長く働いてるのにマネージャーとかでもない、昇進の話も蹴ってた
よその家庭をとやかく言うのはあれだけど、その歳で自分のママの話をしてるのはなんだか聞いてるこっちが恥ずかしかった
婚活するならお見合いパーティーとかで40代とかありますよとか
若い女と付き合いたいなら見た目こんな風にしたらマシとか
真剣に悩んでるみたいだったから自分のわかる範囲でアドバイスしたけど
「介護職はおれには合わないだろう」とか
「婚活パーティー(ネットで予約とか)わからないからしない」とか
高卒で20年以上フリーターで雇ってくれるとこあるのかよとか、現実見えてなさすぎるとか、なんで今まで手を打たなかったのかとか、喉まででかかったけど
ひとのこうしたらいいああしたらいいって話聞かないのに、相談ばっかりしてくるから最近はLINE無視してた
この間、いよいよバイトやめたらしく、決意表明みたいなものを打ったメモ帳のスクショ送ってきた
可哀想になってもう返事してない、連絡先も消そうと思う
なんでこうなるまで気づけなかったんだろう
将来への不安、死ぬ事への恐怖、結婚できるかどうかとか、そういったものだけを普通の人は「つらいきもち」として認識しているらしいことにここ数年やっと理解が至った。自分の場合はそれとはまた別の正体不明の「つらいきもち」も存在していて、これも含めて一般的な「つらいきもち」だと認識していた。みんなもそうなのかなぁと思っていたけど、違ったっぽい。これじゃ普通の人とは微妙に話が噛み合わない上に誤解されるわけだなぁと。
自分も自分で、なんでそんな斜め下の解釈するんだと腹が立つ事がよくあったけど、その「斜め下」の解釈がむしろ一般的であって、自分が運悪く例外的な経験をしてきた事で認識が違ってしまっていたらしい。
そしてこれまでは、自分のこの「つらい」の正体を正確に把握できた事がなかった。何故かと言うと、気持ちの原因を思い出すことが精神的に非常に苦痛だったため。
原因というのは家庭環境、養育環境のことで、学生時代にもこれについての問題意識はあった。
ふとした切っ掛けでスーザン・フォワードの「毒になる親」と出会って実際に読もうとしたけど、冒頭の数ページ読むだけで精神的に不安定になってしまい、結局その時はそのまま先には進めなかった。大学卒業後も同じことを4年くらい繰り返していた。
でも一人暮らしを始めて2年経ち、転職をしてという直後から半年間立て続けに起きた出来事に対処する一環としての取り組みの結果、最近では「つらい」の比較的ちゃんとした輪郭と、具体的な内容と原因が把握できつつある。「毒になる親」も最後まで目を通すことが出来たし、関連する他の書籍にも手を出せている。
自分の「つらいきもち」の正体は自分の歴史的経緯から来るものだという事が確信できた。ただ、その歴史的経緯を自分に対して現在も無意識に適用しているのは自分自身だという事も段々分かってきた。
一言で表すなら「毒親の影響」ということになるけど、もう少しちゃんと表現するなら次みたいになる。(まだちょっと分析甘い)
今認識できている範囲の話だけど、これらが自分の「つらい」のキモのように思っている。
「毒親」ってワードを使うとすぐケチ付けてくる人間がいるから面倒だし、言葉が暴力的にストレートだから別の表現が必要だと思わなくもないけど、それでもこの単語は凄く的確な表現だと思う。
幼い頃から刷り込みで自己否定などの「毒」を植え付けて、親と同じ空間におらず暴言を吐かれていない瞬間でも、自主的に自己否定を繰り返すよう教育することで、大人になったり独り立ちした頃には苦しみのたうち回り…みたいな。のたうち回るような元気が残ってる人がどれだけいるのかって話だけど。
虐待によるトラウマを除くと、毒親による影響で特に大きなものは親を自分に内在化してしまうことだと思う。これにより何が起こるかというと、自己否定をデフォルトとしてしまうことが挙げられる。
この自己否定はポジション的には超自我とかにあたるもので、本来なら自己否定なんかじゃなくて規範としてどちらかと言うとポジティブな物として機能しなくちゃいけないんだけど、親が精神的に未成熟だったり自分の人生の課題に対して答えを出せていないとかで不安定な場合は、「毒」を規範として植え付けられる結果になってしまうのかなと。
それがどのようにして植え付けられるのか、憶測込みだけど文字に起こしてみると案外悲しい感じになった。
思考するだけだとそんなでもなかったけど、文字に表してみるとやっぱりこう、悲しいというか、しょうもないというか、酷くがっかりする。
休日に少しでも長く寝てたり、病欠したり、平日に休暇を取ったりすると
とか頻繁に怒鳴られてたけど、あれは完全に自己紹介だったなと思う。当時はそう思う余裕は無かったなとも改めて気が付いた。
うちの場合は問題の中心は父親だったんだけど一方の母親は何をしていたかというと、俺をかばうどころか、フォローするどころか、傍観をするどころか、「あの人がおかしな事をするのはお前のせいだ」と罵ってくるタイプの人間だったので、自分の両親は味方ではないという認識だった。問題のある人間は問題のある人間とくっつくんだな、という気持ち。
兄弟は妹がいるけど、妹は味方というよりは共通の敵を持つ他勢力みたいな認識だったな…。
去年会って話をした時には、当時俺に対して「哀れだな…」と思っていたらしい。それは俺を庇って同様の被害を被るよりずっと利口だと思うし、去年妹と会話をして結果的に問題の改善が進んだし、妹が逞しく成長してくれていてむしろとても助かったと思ってる。「こっちに来るんじゃねえぞ、そのままいけ…!」みたいな。ありがとう。
少し前まで、どんな些細なことであっても何か考える度に最終的に「死にたい…」という結論に結びついていた。
去年あたりから「自分の親は毒親だった」と認識でき始めて、更にここ1,2ヶ月は「毒親」と濁すんじゃなくて、自分が経験させられた事を「親からの虐待だった」と自分に対して説明することができるようになってきた。
昔と比べてかなり進歩したと思う。昔ならそんな認識は恐ろしくて出来なかった。自分はそんな酷い目には遭っていないと思いたかったんだと思う。
そして少しずつだけど、自分のことを大事にするという概念が掴めてきているような気がする。
自分のことを大事にするといえば、最近また新たに気付いた事があって、これは個人的にはかなり収穫だと思ってる。近いうちに効いてくるはず。
初めの方で書いた「その歴史的経緯を自分に対して現在も無意識に適用しているのは自分自身」の事なんだけど、これについての現時点での理解をちょっと整理したいと思う。
大きく2つあって、1つ目は、この記事中で何度か出てきている「自己否定」「毒」という存在の在り方と、これがそもそもどこから来ているかについて。
自己否定が起こるのは自己評価が低いためだと思う。じゃあ、自己評価が低いのはなぜ?という話になってくる。
自分の欲求をちゃんと満たしていないためだというのはあるかもしれないけど、自分の場合はそれよりも重大で根本的な問題として、延々とされ続けた親の否定的な刷り込みの存在が強いと思う。
親から虐待や人格否定を受けることで幼い子供の自己認識は「自分は無力な人間、ダメな人間」となり、それがそのまま人生脚本となり、無意識にそのように振る舞ってしまいそのような人間になる。
それを精神的に未熟な親が自己有効感を得るエサとして利用(虐待、人格否定)し、それにより子供は更に自己無力感に陥り…という、子供にとって悪夢のような悪循環が発生する。このサイクルが「否定的な刷り込み」の実態であり、毒親が子供に植え付ける「自己否定」や「毒」の正体なのだと思う。
この強い自己否定感、自己無力感は、親が自身の無力感や精神的な不安定さをカバーするために押し付けられた親自身の問題であり、こう認識してしまうともう親に対して「ぶっ転がすぞ」という気持ちでいっぱいになる。
以前は親に対してこんな認識を持つどころか「もう人生だめだ…死にたい…」となっていたのでこの気持ちも進歩だと思う。
つまり、自分に対する自分の認識は、無意識に親の自分へのニーズを反映したものであり、自分が自分を正しく認識した上で自分に下している判断ではない。
内面化した親のニーズで自分を見ていたのだ!(強調したい部分)
「毒親を内面化してしまっている」という表現は書籍やブログで何度か見かけていて、ただ実際どういう状況になっているのか全然理解できていなかったけど、この考えに至ってようやく合点がいった。であれば、ひたすらに自己否定をしてしまうのも納得がいく。親の抱える問題を解消できない限り自己否定は続くんだと思う。
親からしたら本来親自身が頑張らない限り親が死ぬまで未達だし、親が死んだ後であっても、内面化した親(のニーズ)から見て未達なので、子供は無限に自己否定し続けることになる。
自己否定の原因を正しく特定して認知を変えないと死ぬまで自分を否定し続ける。
こんなの「毒」じゃなかったら何だっていうんだ。現代の呪いじゃん。洗脳とも呼べるのかもしれない。まぁ「刷り込み」って「洗脳」の呼び方変えたようなもんだし同じようなもんか。
2つ目は、やり場のない感情とその矛先について。
ここひと月ちょっとは、過去に親との間にあった出来事と当時の自分の感情を、出来る限り思い出して言葉として書き出すという事をやっていた。
これによって狙っていた事は、自分の意思だけでは思い出し切れないトラウマ記憶に近い時系列の記憶に迫り、文字に起こして認識することで「過去の出来事、終わった事象」として自身に印象付けようとしたのと、あわよくばトラウマを芋づるで掘り当てて、当時の自分の解釈を現在の自分の解釈で認識を上書きすることでトラウマを軽減、解消する事だった。
精神的な負荷が高いから嫌だったんだけど、EMDR以外では1人で出来るもので現実的っぽそうなのがこれしか無かったので、今の自分であれば精神的に安定している時なら回復にそれほど苦労しないと判断して挑むようにしている。
結果的にはまだ解消に至ってはいないけど、認識できていなかった事を認識することが出来た。
自分で自分の感情を無視していた事に気が付いた。これ文字にすると厨二臭くていやだな。
無視していた感情というのは、具体的にはある期間の横暴を働く親とそれに対抗できない自分に対する強い憤りなんだけど、当時の自分はストレス発散の手段を親に奪われた挙句に愛玩動物の延長みたいな扱いを受けていたので、感情を解消したり発散する機会が無い状況だった。
自分の意思を表現すると「立場を思い知らされる」ので、あまりの怒りと無力感から自分の机に伏してバレないように動物みたいな唸り声を上げたりしていた。趣味も生き甲斐も取り上げられ仲間とも断絶されて、ストレスから肌も顔も荒れ放題、耳は切れて黄色ブドウ球菌に侵されてリンパが垂れ、首筋もあかぎれのように切れてしまい、腕の皮も荒れて剥け落ちてという有様で、生きているのがひたすら苦しかった。
病院には行っていたけど、治癒のスピードよりもストレスによる身体の破壊が早くて当然なかなか治らなかった。鼓動が早くなっていて体温も通常時より高く感じていたので、自律神経失調症にもなっていたなと思う。これまでで一番白髪が多かったのもこの頃。友達からは「お前、なんか覚醒するんじゃねえの」みたいな軽口を言われてちょっと救われた。高2〜3の頃だったと思う。
これを書いていると、今すぐ家を飛び出し実家に乗り込んで、徹底的に仕返しをしてやりたいという衝動を自分の中に確認できる。この期間は同じく家庭環境が複雑な友達が支えてくれていたお陰で、問題を起こさず自分も生き延びる事ができた。その友達との連絡は今はもう取れなくなっている。まだ生きていてくれると嬉しい。
この記憶を思い出した事で付随する感情も引きずられて出てきて、この時に気が付いたのがここ数年ほとんど自分の怒りらしい怒りを認識していなかったという事で、なんというか新鮮な気持ちになった。感情が揺れ動くのがなんだか嬉しくて、ちょっとワクワクした。
「怒りを感じていなかった」というのが実は大問題だったと思う。
この怒りの矛先は本来親に向けて抵抗するために利用すべきだったものなんだけど、利用できていなくて、そして最近ありありと思い出せたという事は当時のフラストレーションが解消されず残っているという事になると思う。解消できていないのならそれを感じなくなってしまっていたという認識はおかしくて、じゃあ認識できなくなっていたそれはどこに向かっていたかというと、これはまだ検証中ではあるんだけどどうやら自分自身に向かってしまっていたっぽい。怒りの矛先が自分に向かうことで、自己否定を一層強化してしまっていたんじゃないかと思う。
「しんどいのは親に向かうはずの感情の向き先が自分になってしまっていたため」と考えてみるようにした所、体が以前よりも軽くなり、洗い物が出来ない、風呂に入るのがつらいなどの恐らく精神的な問題が急に改善されだしたのは大変嬉しいんだけど、ネガティブな側面として最近色々な事にすぐイライラするようになってしまって困った……。これは多分……親に向けるべきものが溢れてコントロール出来ていない的なものかな……と思ってる。
でもこれは創作活動に転用できるエネルギーだと期待しているので、自己否定の改善と併せて、またしょっぱいながら活動を再開していけるんじゃないかと自分には期待をしてる。
つまり何が言いたいかというと、動けない、簡単な事ができない、しんどいという状態は何かしらのネガティブな強い感情が無意識に自分に向かうことで強いストレスを生じ、そこから起こる精神的な問題なんじゃないかと思う。と書いたところで気が付いたけど、よく見かけるような文になったし、そんなに発見ではなかったかもしれない。でもこれまでの情報との紐付けができたので、これはこれで知見かもしれない。
最近の取り組みは方向性は間違っていないと思う。例え間違っていても、死ぬまでに目的を達成するためにも引き続き認知の歪みを直す取り組みを続けたい。
「やりたい事をやらないのが苦しい」のは当然だけど、「やりたい事をやるのも同じように苦しい」というのは異常だし、このままじゃ今度こそ気が触れるかもしれないので、出来るだけ早く絶対にこの状況を脱したいです。おしまい。
一人暮らしを始めて転職して、そしてまた引っ越した際には保証会社を使ったので住所を自分からは伝えていない。確認は可能らしいけど。
ゴミ親父は前々から借金していた事が去年発覚して、その際に出向いて縁を切ってきた。俺のこの先10年間と俺の収入を返済に充てたかったらしい。ぶり転がすぞ。
母親は発覚直後もほとぼりが冷めてからも、問題には触れようとしない他力本願ぶり。あんたは昔から自分にとって都合の悪い事はどんな些細なことからでも逃げるよな。いや、借金は父親の独断だからその点だけは間違っちゃいないけど自分が住んでる土地?家?が担保にされてるのにそれは無いでしょう。
みたいな状態なので、実家はもうどうにでもな~れという気持ち。妹ちゃんも脱出がんば。応援してる。
早く人間になりた〜い
先生たちは私の給料のショボさとか勤務時間がいつまでとか知らないから平気でサビ残とか責任ある仕事とか学校図書館関係ない仕事を振ってくる
私の給料と勤務時間をなんとなく知ってる人でも「学校で働いてる以上やらなきゃ駄目なのよ」って言われてあれこれやることもある
私は意識低いから特に何もない時はサボりにサボってやらなきゃいけないこと先延ばしにしてだらーっと過ごしてるけど
意識高い仕事が生き甲斐なベテラン司書は毎日夜遅くまでせっせと本の修繕したり本のポップ作ったり新しく買う本選んだり買った本のデータをパソコンに登録したり図書館だより作ったり家に持ち帰って続きの作業したりしてるみたい(私もごくまれに持ち帰り仕事はする)
今の学校はかなりゆるいのでだいぶサボれてるけど次の学校に行ったらこうはいかないんだろうなと思う
他の市や県ではどうなのか知らない、フルタイムでもっと給料もらえてて時間になったらキッチリ帰宅するのが普通だったりするのかもしれないから全国的にこれが常識!って言いたいわけじゃないけど
でも働き者の司書が丸善のあの人みたいにバリバリ創意工夫して給料以上の働きしてるのが私の観測範囲では当たり前でそれができない私はクソだなって思ってる
体力気力がなさすぎるので思うだけで努力はしないけど
それにしても丸善のあれ、あんなに話題になるくらい異常なんだな……
そうは言っても給料上げてもらえるわけじゃないし
金曜日は運動会だから朝7時過ぎくらいに来てね、帰るの夕方になるからね、100m走のゴールテープ持つ係やってあとの時間はずっとビデオ回してね、お茶出しの手伝いもよろしく、えっ金曜日の勤務時間は9時~14時……?でもこの係って決まってるからやってね、って言われたらハイって言うしかないんだよなあ
この国には6800人も差別主義者がいるのか。嘆かわしいことだ。
以下、団体の主張。
1.女性専用車両への男性(介助者など特別な場合を除く)の乗り込みを禁止し、明文化したルールとして定め啓発に勤めること。
2. 1のルールに違反した者に対しては、駅員や乗務員が降車を求めるよう定めること。また、加害者が降車措置に従わない場合、各地警察機関と連携し、強制力を持った対応を行うこと。
3.人種、民族、性などあらゆる差別を禁止し、明文化したルールとして定め、その撲滅を社会的に宣言すること。
4. 1~3を実行するにあたり、駅員や乗務員に研修を行うこと。また適切な処置を取らなかった場合、職務規定違反とすること。
1の時点で男性差別しときながら、3で「人種、民族、性などあらゆる差別を禁止し」とか背反してるじゃん。
この駄文読んで署名した6800人は、よほどの差別主義者かおつむが弱いかどっちだろうか
メトロの職員も女性専用車に乗る男性は、ダメという法律を作ってもらわないと、強くはダメといえないね。ダメ男の善意に期待するしかないかな。
決して自分より強いと見なした者には手を出さない(出せない)。必ず「女性」「(在日)中国・韓国・朝鮮人」「貧困者」「障がい者」「子ども」「老人」など “ 勝てる ” と判断した弱者のみを「快楽」の集団で餌食とする。そこが “ ゾンビ ” より下等である証拠。
緊急停止ボタンを押して発車させない。ルールを無視して乗り込んだ男が悪い。女性専用車両が性差別だなんて屁理屈だ。専用車両に乗り込んでくること自体が痴漢行為だ。
残念なことに、女性専用車両は愚かで弱い男性どもから女性達を守るために、この国には必要な仕組みと考えざるを得ない。その女性専用車両をないがしろにする行為には強く反対します。
長年声優界隈でオタクやってて、好きな声優さんが出てるアニメ見たり、作品関係のイベント、ご本人のライブに行ったり、ラジオも出てる番組はできる限り追ってた。底辺だけどそれなりにファンをしていた。それが自分の生き甲斐だとも思っていた。
でもある日、突然の結婚報告。
凄く嬉しかった。声優として食ってくのは本当に血の滲む努力が必要だし、家庭を持って養えるだけの人になれたのだと感動した。これは紛れもない本音だ。
でも、心の中で「あぁ、この人もやる事やってんだな」って冷静に見てる自分も居た。
いい歳して性にあぐらをかいて自分に投資もせず、人並みに恋愛もせず、応援してるだけの自分は、今まで何やってたんだろうって急に虚しくなってしまった。応援してる声優さんのせいではない事は分かっている。ただ興味のベクトルを趣味に全振りし過ぎて、今まで居た自分の世界の狭さを感じてしまってどうしようもなく空虚感に襲われてしまった。
遅いかもしれないけど、ちょっと趣味と距離を置いてイベントとかライブとか関係なしに何処かへ遠出したり、近場でも会社の帰り道でもいいから一人でもフラッと寄れるお店を探して、ちょっとずつでもいいから趣味以外の所でコミュニティを広げようかと思った。上手く行くのかも分からないし、たくさん失敗するかもしれないし、3日くらいで諦めてまた懲りずに応援してるかもしれない。いつまで続くか分からないけど、とりあえず頑張ろうって思った。
もう応援出来ない気がする。
私が応援してるグループは奇跡的に誰の脱退もなく、今でも存続している。
メンバーたちの様子を見る限り、今後もずっとそのまま続いていくと思う。
他のグループはよく知らないんだけど、脱退報道が出てて、嘘か本当かもわからない状態が続いてる。
もし自分が応援してるグループから脱退者が出たら、雰囲気めちゃくちゃ変わってしまうと思う。
昔の映像を笑って見れなくなると思う。
この頃笑ってるけど、内心は・・・などと勘ぐってしまいそうだ。
本人にとっては過去なんだと思うけど、私にとっては青春の思い出なのに。
脱退なんてされたら、無理になってしまいそう。
たとえ他のメンバーが大好きでも。
先輩5人が解散した時点で、永遠に続くものなんてないのかも、って思わざるを得なかった。
今は応援してるグループを信じてるし楽しい気持ちで日々を過ごしてるけど。
本当に怖い。
理性というのは、自分にとってももっとも都合のよい納得感のある理屈を考え出す道具でしかないので、
普通は、仕事したり友達とご飯食べたり、何か楽しいことをするととてつもない喜びを脳が感じて、
あぁ、俺はこのための生きているんだ、これこそが俺の生き甲斐だと実感するんだよ。
ボランティアみたいな目に見える社会貢献活動に対して感じる人もいれば、
地下アイドルを追っかけてる時に感じる人も居れば、深夜にこっそりアニメを観る時に感じる人も居る。
時として、犯罪行為にそれを感じる人も居るけれど、脳の活動としては正常なのね。
たぶん、あなたの脳は、脳に喜びを感じさせる報酬系が機能しなくなっていて、
それがいわゆる鬱の状態なんだけども、
その状態で、理性が必死になって考えても、人生には意味が無いという答えしか出ない。
入学してすぐ出会って3年間も付き合った同学部の彼女と先週別れた。
曰く、彼女が春休みに2週間実家に帰って地元の友達と遊んだら、その人たちがあまりにも自由に・正直に生きてることに感銘を受けたからだそうだ。
彼女とは付き合いはじめた頃から同居(というか俺が彼女の家に居候)していた。
同居してると恋人が常に横にいるから相手が何をしてるかすぐわかる。
俺はそれに慣れすぎてしまい、また、「好き」が過ぎて、彼女を段々と束縛していくようになってしまっていったんだ。
例えば、彼女の帰りが遅ければすぐLINEで安否状況を聞く、とか。
「安否状況」なんて言ってるけど、心の奥では浮気してほしくなかっただけだよ。
あと逆に、サークルの仕事が忙しかったら、彼女が部屋にいて話しかけてくれても雑に返す、とか。
そうなるとさ、彼女ってあまり話したがらなくなったり、嘘ついたりするようになるんだよね。
この「自分では歩み寄らないけど相手を束縛する」って今考えればクソ人間のすることで、彼女もそれに気付いて何度か指摘してくれていた。
でも俺は彼女の悲鳴の深刻さに気付かなくて、自分をちょっとだけ変えては、また元に戻ったりしてた。
根が面倒くさがりなのもあるね。
それで、サークルの上位職が代替わりして、俺は3月は暇になった。
その時に、昔から仲良かったオタク友達に彼女できたって話を耳にした。
陰キャのあいつにか??って思って本人に連絡してみたんだよ。
俺が驚いたのは、LINEの頻度の低さと、デートの頻度の高さ。
今まで俺は自分の彼女になんてとんでもないことをしてしまっていたんだ、って、本能を頼りに山の上に登った青年がツァラトゥストラの稲妻に打たれたような衝撃を受けたよ。
俺は彼女がいない日はほぼ毎日LINE送ってたし、デートなんか去年の秋にディズニーに行って以降どこにも行ってない。
普通のカップルはこんな感じなのか、ほんわかしてていいな、って思ったよ。
しかも俺には同居ってアドバンテージがあって、日々一緒にいる時間(朝やごはんや睡眠時間)があるのに、俺はなぜここまで彼女を束縛するのかと。
俺は猛反省して、彼女が帰省から帰ってきたらもう執拗なLINEは送らないことを決意し、また、デートプランを練った。
そして、今まで行った旅行の写真や、一眼レフで上手く撮れた彼女の写真を印刷して写真立てに飾った。彼女を大切にするしるしとしてね。
学校がなく彼女もいない期間の2週間って長くて、日々虚無をして過ごしてたんだ。
そういうところからも、普段いてくれる彼女の大切さがわかったんだよ。
2週間後、彼女が帰ってきた。
そこで、彼女から「あのね、別れてほしいの。これからは友だちになろう」……。
その時は頭が空っぽになったよ。今もだけど。
俺はもちろん反対して、本当に反省してるんだと伝えたが、彼女は「しばらく一人にしてほしい」と。
どうしても論破できなかったので、その日は諦めた。
次の日に彼女の部屋にもう一度お願いをしにいった。
……。土下座して伝えたが、断られた。
「これからは私のために稼いで、私のために生きるの」
「慈悲でまた付き合ったところで、私はもう俺くんのこと好きじゃないし」
表情と声の調子が重かった。
長くなったが、こういうことで別れたんだ。
おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
友だちか。
短い期間ではあったが彼女と俺は友だちだった。
そこからどうやって恋人の関係に持っていけたかというと、奇跡みたいな話なんだが
1. 学部の新歓1で会ってお互いにややツイ廃なことで気が合う
4. 俺が元カノとの関係を相談したら「合わないと思うなら関わらなければいいじゃん!自由に生きるべきだよ!八方美人はもたないよ!」って言ってくれてインスピレーションを受ける
昔は「出会ったのって奇跡みたいだよね」って言ったら泣いて喜んでくれたのに、今回の彼女にこれを伝えても「だからなに?思い出は思い出だよ?」。
それでな、別れた後に学部の自由スペースを通りがかったら、彼女が違う男の人と死ぬほど楽しそうに話してるわけよ。
あの笑顔は、彼女と出会ったばかりの頃と、学園祭を完遂させられた時と、旅行に行った時と、ディズニーに行った時と、そのくらいしか見たことない。
つまり恋してる目なんだよな。
気になって聞いてたらね、その男の人はファッションに凝ってて、しかも高校は地理選択で、彼女と趣味が完全に一致していた。
おまけにトークが死ぬほど上手いのよ。しかも真面目そうな見た目で。
…… 彼女と付き合ってた頃、お互いの好きなところがお互いによくわかってなかった。
彼女とのカップル成立は、高校からの開放感から来る「自由」への渇望と、入学したてのノリと、学園祭という共通の大きな目標があったからこそ成立したと、今では思う。
だって今だったらさ、俺は「合う人と付き合いたい」じゃなくて「直前まで付き合ってた彼女と縒りを戻したい」だし、手段が目的化してる。
自分を変えても縒りを戻したいってことだし、全然自由じゃない。
俺が趣味を合わせるか?これも彼女は自由意志じゃないと、結論ありきだとして、認めてくれないだろう。
しかもな、イケメンで話がうまくて趣味が完全一致 な人が、たとえ彼女持ちだとしてもさ、そんな崇高な人を一度でも見てしまったらさ、
たとえ彼女がまた俺の元に帰ってきてくれたとしても、彼女は「俺くんはこの程度だけど十分か」、俺は「俺はこの程度にしかなれないけど十分か」って、お互いに妥協するしかないじゃんか。
いやでも、これに関しては、恋は盲目だし、付き合えばなんとかなるかもしれないが、でも付き合うのが成功しなさそうだなっていうのは上で述べてる。
新しい出会い…?おれのサークル女子いねえよ。4年から別サークルは入るのも気まずすぎるだろ。
後悔先に立たずとは言うが、意識してないおまえら多いんじゃないか?
繰り返すが、おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
おれはね、アルバイトするのも、おしゃれするのも、料理するのも、部屋を片付けるのも、すべて彼女のためにやってきた、彼女がいたからこそできたことだと思うんだ。
その生きるモチベーションをだよ、自分の怠慢によって失い、しかもそれを深く反省したのに、もう彼女には反省を活かすことができない。
ところでこういう話があります: https://twitter.com/_KEN_ZEN_/status/977716389011075072
Werthers
なぜかって一言で言ってしまえば、ソシャゲでもグッズでも引きが悪いから、なんだけど。
どうせ大して好きじゃなかったんだろう、と思われるのは癪なので経緯を話そうと思う。
まず、自分がグッズオタクになったきっかけはソシャゲだった(この時点で、年月は浅いことがお分かり頂けるかと思う)。私がその時ハマっていたソシャゲは今の自ジャンルでもあるわけだけど、まだ展開し始めだった。 当時はまだ課金に抵抗があって(何よりガチャの仕様も微妙だった)、 課金はしてなかったけれど、なんとか応援したいという思いもあった。そこで決まったグッズの発売。 ここは買うしかないと思って、買い始めたのが始まりだった。
そのジャンルはどんどん大きくなって、アニメにもなったし色々なところとコラボするようになった。純粋にうれしかった。新しい絵柄が出る度に買っていた。推しのキャラクターはレートが中くらいで(レートという言葉が苦手な人もいるかと思うけれど、度々使います、ごめんなさい)、トレーディング商品でも手に入れやすかったことも一因としてあると思う。
大きすぎないジャンルの規模が居心地がよかったし、何よりそのジャンルは、優しい人ばかりだった。初めて作ったTwitterのアカウント。ガキだったのでおそらく失礼な発言とかもあったと思うけれど、取引をして下さったり一緒にイベントに行って下さったりした方々は、とても親切にしてくれた。
自ジャンルを追っていて、ある時自分は新しいジャンルにハマった。大きなジャンルだった。毎月のように新しいコラボがあって、グッズも出て。自ジャンルのグッズ収集も続ける一方で、こっちのジャンルもグッズを集めるようになった。
こちらは大変だった。自分の推しが高レートだったのもあると思う。自分で引きたいと思っても自引きできない。いや、ちゃんと上限買ってる。でもって通ってる。でも本当に出ないの。自引きカスだから。交換を探す。見つからない。本当はちゃんと公式にお金を払いたいけれど、しょうがないからメルカリやTwitterに張り付いて、推しのグッズを探すようになった。
ここからは完全に個人の意見なので、理解されなくても構わないんだけど、いや正直共感する人がいてくれないかなあと思ってる。自分は友達が本当にいないので話させてほしい。
自分は、困っているオタクがいたら助けてあげたいと思う質だ。現地に行くのが難しいなら出来る範囲で協力したいし、ドリンクファイトも付き合ってあげたい。親しいフォロワーさんに限らず、一度取引をしたくらいのフォロワーさんでも、なんならFF外の人でも。
だって、オタクを助けられるのってオタクじゃない?オタクって普通の人からは理解しがたいところが少なからずあると思うし、ちょっと言い過ぎかもしれないけれど、世間から爪弾きにされてもおかしくないじゃない?だからオタク同士で相互扶助の精神があるのは当たり前だと思っていた。
でも、そんなことなかったんですね。最初にハマったジャンルがあまりにあたたかかったから、それが普通だと思っていたけれどそんなことはなかった。
高レートの推しは定価の何倍もしたり、抱き合わせが何個もあったり。私は、ただ推しの人の元に届けばいいなと思って定価か定価以下でしか譲ったことなかったから、信じられなかった。自分は推しが高レートだろうがなんだろうが、1つ、せいぜい2つあれば十分で、ダブったら譲ってあげたいと思っている。まあ1つも手元に来ないんだけどね自引きできないから!!!!!
譲渡のツイートに秒で送っても、条件のいい方がいらっしゃったのでだとか、フォロワー様にお譲りすることとなりましただとか、とにかく申し訳ございませんのお返事ばかり。初期からそのジャンルにいたにも関わらず、疎外感を常に感じていた。常識がなかったり、悪意すら感じたりした対応だって一度や二度じゃなかった。
自引きはできない、かといって仲良くなって信頼を勝ち取るコミュニケーション能力もない。 大体、コミュ障だからオタクやってる節あるのに、オタクやる上でコミュ力必要ってどういうこと?コミュ力ないやつはどこにいたって駄目、はっきりわかんだね。
自分が思っていた相互扶助の精神(笑)は偽善だったんですかね。分からないけれど、なんだか疲れてしまった。嫌になってしまった。
グッズオタクをやめるにあたって、不安なこともある。公式にお金を払わなくていいのかな、という罪悪感である。
某無料漫画サイトが話題になっているけれど、やっぱりお金を払うって大事じゃないですか。少なくとも目に見える形の応援になると思うんですよ。それに口だけで何にも買わない175に対するマウントも、少なからずある、のだと思います。そんなに意識してないけれど。
今は手っ取り早く課金してしまっているんだけど、それだって収入が少ないので大した額はつぎ込めない。推しが来た時に数万入れられるくらいだ。もっと課金している人がいるんだろうな、と申し訳なくなる。
駄目な恋人から逃れられないみたいな、半ば強迫観念みたいな「お金を払わなきゃ」っていう気持ちは、ジャンルが消えた知人を知っているからだと思う。いわく、倒産したのだと。新しいものはもう何も出ないのだと。
それって恐怖じゃない?少なくとも自分にはとても恐ろしかった。だってもう、自分にとって自ジャンルは心の拠り所で、生き甲斐だから。消えてしまったらと思うと耐えられない。
そしてそれは自分の自ジャンルにとって、他人事ではなかった。ソシャゲの寿命は短い。見てわかるほどまでに、人口が減ってきている。何十日もログインしていないフレンド。下がらないイベント順位。自ジャンルを通じてつながったフォロワーは、他ジャンルのツイートばかり。
ゲームがサービス終了になっても、コンテンツ自体は終わらないかもしれない。でもそんなこと誰にも分からない。ゲームが死んでない限り、応援してあげたかった。そうじゃないときっと後悔する。
そういう風に思っていたからこそ、公式にお金が直接回らない、大手ジャンルのグッズ収集が嫌になってしまったのもあるんじゃないかなあ。
このままでは根本的に変わることは出来ないと思う。たぶん、グッズに使っていたお金は、画面の向こうの石に変わるだけで、自分という人間の本質は変われないんだろう。でもここでソシャゲまでやめてしまったら心の拠り所がなくなってしまう。
結局オタクはいずれ卒業しなきゃいけないのかなあ、だとか思うところは多々あるけれども、とりあえず今日のところはここまでにしようと思う。これでも自分にとっては大きな決断なのだ。えいやっとTwitterのアカウントも消した。
最後に。Twitterでバズってたので、こういうアウトプットの仕方があるんだなあと思って書いてみたんですが、自分がバズりたいわけじゃないので、ツイートとかはしないでほしいです。よろしくお願いします。「キモイやつおったwww」みたいなの呟かれたら心が折れます。振りじゃないですよ。
でももし、万が一にも共感してくれる人がいるのなら、ここでコメント?なりしてくれるとありがたいです。
ありがとうございました。
私も同じようなことで悩んでいます。こどもは一歳7カ月。妊娠中出産産後と悶々として不眠になって半年くらいカウンセリングに通ってたました。最終的に全く違う趣味を見つけてやっと光が見えたところです。
私の場合、産前産後がんばって趣味に噛り付いて、私の生き甲斐はコレしかないんや!ってやってたら全然つまんなかったんです。アレおかしいなって思って無理してやってたら仲間とトラブって一気に冷めちゃいました。
ツワリという事は妊娠初期だと思われますが、妊娠中の身体の変化と出産と産後のことで色々悩むのはしょうがないです。でも妊婦というのは女性一人一人全く違うようにひとくくりに出来ませんから、なんとも言えません。その辺が漠然とした不安もあるのではないでしょうか。
もし今妊婦健診で通院していて、大きい病院で心療内科や精神科などがあれば担当医と相談して受診してカウンセリングとか紹介してもらうと楽になるかもしれません。
あとノートを作って悩んでいる事を図に書き出すといいと思います。書いてスッキリしたとあるので、頭の中を整理すると気分が幾分か晴れるのではないでしょうか。
ツイッターのアカウントを消した。Pixivとか、オタク系、創作系のアカウントも以前に消してある。もう、アニメや漫画を今までのように楽しんでる場合じゃないと切実に感じたからだ。
田舎に生まれた俺は、思えば子どもの頃から本好きで、そのままマンガ好きになり、でも同人誌とかには強い拒否反応を持っていたし、オタクは気持ち悪いと思っていた。
その一方で、漫画・アニメ・ゲームを本当に楽しんでいた。生き甲斐だった。周りの人間がこの面白さを理解できないってことが理解できなかった。
でも、漫画やアニメやゲームがメインの趣味の人間は「オタク」だという、そういう時代だったので、今でいう「陰キャ」として高校時代を過ごした。
大学に入って某都市に住むようになると、周りには堂々とオタク的な趣味を謳歌している人たちがいた。そんな人たちとの交流は本当に楽しかった。
大学を卒業して地元に戻った。自分のオタク的な要素は、職場ではなるべく隠して暮らしていた。いろいろとままならない事があり、東京に出て働くことになった。
東京に出て、インターネットを本格的に使うようになった。ニコニコ動画が全盛期だった。インターネット上では、自分のオタク趣味を存分に発揮できるという事に気づき、
ツイッターで趣味のつぶやきをしたり、ペンタブを買ってイラストを書き始めてみたり。コミケにも何度か参加して、ネット上で交流がある人と会ったりして、とても充実していた。
諸般の事情で再び地元に戻った。もう、自分の同級生には大きな子供がいる。俺がそういう人生を遅れなかったのは、オタク趣味のせいではなく、ただただそういう人生に興味が持てなかったからだ。
しかし、今になって、そういう人生の方が価値があると思ってしまった。素晴らしい創作物は人生を豊かにすると思っていたけれど、創作物に耽溺したまま生きていくことは自分にはできなかった。
幸い、数は少ないけど、オタク趣味とまったく関係無いところで仲良くしてくれる友達がいる。そちらの方向にに進んでいきたい、と心から思う。そのために、努力し続けなければいけない。
面白い創作物にはまったく罪はないのだが、今の自分には、時間を無駄に過ごしているという焦りが強くて、心から楽しむことができない。
オタクの女の子と恋愛したいという願望はあったのだが、俺が付き合った数少ない女性は、皆オタク気のない女性だった。自分のオタク部分を隠して付き合っていたわけだが、特に問題はなかった。
自分の資質の問題で長く続かなかったのだが、もし上手く続いていたら、もっと早くオタク的な部分が自分から消えていったのかなあ、とも思う。