はてなキーワード: 現実逃避とは
何かの信者として緩い一体感を楽しむことでの現実逃避は、終わりを告げた。
寝ている間に悪い夢を見たことが決定打になった。
研究室のようなところで、学生が3人試験を解いている時に、俺ともう1人女性がそれに付いていなければならないシチュエーションだった。
スマホもいじれなくて、夢だからなぜいじれなかったのかはわからないが、紙媒体でも読んで時間を潰すしかないのだが、俺はそういう時に時間を潰せる紙媒体を鞄に入れておくことを、いつしかしなくなっていた。
以前は、本を一冊以上、絶対に鞄に忍ばせていたのが、重いしどうせ読むこともないからといつの間にか持ち運ばなくなっていた。
だから、その白基調の部屋で優秀な若者が目の前にいるのを前にして、やることがなかった。
女性が、見かねて何か読むものを探してくれるのだが、ペラペラのお酒の広告くらいしかなかった。
そんな夢だった。
知性を求められる場所から逃げ続けて、そんな場所など存在しないことにして、ネットの掲示板に入り浸ったり、風俗嬢と現実逃避の共犯者になったり。
毎日のようにされるゲーム実況が、それこそ毎日のようにされるこどか、クリーンなインターネットの時代に取り残された信者たちの依代だったのが、ヒーローは倒れた。ヒーローも倒れることがあるのだと、信者は初めて知った。
永遠なんてない。
現実から逃げ続けても、いつか逃げた結果を突きつけられる時が来る。
みんな何かに逃避したり依存しているだけで、それでいいのかもしれないよ。
でも俺は、30歳が見えて来た俺は、なんかまだ自分に納得できないんだよな。
こんなもんかって、しっくり来たり、しないよ。こんなもんじゃねぇって心のどこかでずっと思い続けてる。
このままだと自分の人生をやり切った感がないまま老いてくだばっていく気がする。
パッとしない女と付き合って結婚してパッとしない子供ができるなんて、そんな人生嫌だと10代の頃に思って、なんだこの有様は。
意識が高くなりたいけじゃない。
ただ、もう少し真っ直ぐな人間になりたい。いや、真っ直ぐなんて贅沢な理想も掲げないから、せめて歪でも倒れないでいたい。
読める本がまだあるだろうか。
彼女とは友達で、といっても一目惚れだったので好きになってから友達になった。たまたま共通の友人がいて、たまたま趣味もあったので仲良くしていた。
中学を卒業したあともSNS等でちょこちょこ繋がりがあって、大学進学を機に上京したこともあり、大学時代は何度か2人で遊びにもいった。誘うのはいつもわたしからだったが。
理由は、彼女と付き合うことが正解だと、幸せだと、思えなかったからだ。
彼女のセクシャリティはほぼ間違いなくヘテロ(異性愛者)だけど、そこはあんまり関係なかった。正直な話、優しい人なのでゴリゴリに押せば付き合ってキスのひとつくらいはできたと思う。
でもそうしなかったのは、彼女が人生の平穏として、異性と結婚して家庭を作ることを求めていたからだ。
セクシャリティとか性欲の話ではなく、精神的な安心として、異性と結婚している状態を求めていた。世間から浮かない、外れない、平穏に祝福されて世間に馴染む生き方を。
ハッキリとそう聞いたわけではない。
中学生ながら将来の話をしたときには、「結婚はどっちでもいいけど、子供は欲しいかな」と言うようなことを言っていた。
でもなんとなく分かる。彼女の心の平穏が、異性と一般的な結婚をしている状態にあることを。
それに、他ならぬわたしが思ってしまったのだ。あ〜この人、お母さんしてるの似合うだろうなぁと。それがいちばん、この人にとって自然な姿なんだろうなぁと。
それでも人として、友人として好きだったし……いやいや。そんな綺麗事ではなく、恋愛として好きだったので、役に立ちたかったし、感謝されたかった。せめて、「わたしの友人にこの人がいて良かった」ぐらい思って欲しいと、思っていた。だから友人を続けようとしていた。友人でいることが目的じゃなくて、せめて彼女の人生の欠かせないピースになりたくて、友人でいた。
中学の頃のわたしが想像したとおり、彼女はわたしの友人の中でもかなり早めに結婚した。
結婚するという話はSNSで聞いて、その時におめでとうと、コメントしたと思う。それなりにダメージは受けたが、まあでも「おめでとう」くらいは言えた。予想はしていたので、予定通りの返しができた。
結婚式はあげなかったらしく、出席していない。というか結婚してから一度も会っていない。
いまだに彼女はわたしのなかで一つの特別だが、じゃあ今のわたしが今の彼女を恋愛感情として好きか、と聞かれると、それは違う。
大人になってから、彼女に会うたびに思う。もうそういう「好き」ではないと。
残っているのは彼女を好きだった気持ちより、諦めたときの傷と痛み。
自分ではどうあがいても手に入らないものがあると、あげられないものがあると自覚した痛み。それが残っている。
自分でもびっくりしたのだが、これがなかなかダメージをくらった。しばらく現実逃避するくらいには痛かった。ショック、だった。想像したくないとすら思った。SNSの投稿にコメントも、いいねも出来なかった。
おかしいことに、母親をやっている姿は想像していたのに、妊娠と出産は想像していなかったのだ。
結婚までは、わたしでもその気になればできたからかもしれない。だから想像ができた。
でも子供は。妊娠は、出産は。どうあがいても無理だ。だから、痛くて怖かった。
これを書いている今も、内臓がキリキリと痛む。
子供の頃、どうしても欲しかったのに、絶対に買ってもらえないと分かっていたから、買ってと言えなかったオモチャなのだ。わたしにとっての彼女は。
どこが好きで、なんでそんなに欲しかったのかなんてもう覚えていない。でも、子供ながらに冷静に「諦める」という選択をしたこと。そのときの妙に冷たいこころの痛みだけが強烈に残っている。
この先の彼女は、絶対に、なんど時間を巻き戻してやりなおしても、わたしとではできないことをしようとしている。それが恐ろしい。わたしの知らない彼女になってしまう。
いまが妊娠何ヶ月かはしらない。予定日もしらない。
近々彼女は引っ越すかもしれないらしく、もしかしたら出産するときにはもうこの辺りには住んでいないのかもしれないと。
それが分かった時に、少しだけほっとした。このご時世もあいまって、たぶん、「子供が生まれたからお見舞いに来て」と気軽には言われないだろうと。
旦那は(会ったことないが)彼女が選んで結婚するだけのひとだ、しっかりした人なんだろう。彼女に好きになられるだけでスゲエな、と思うし、相手がだれであろうと数年付き合って結婚するという偉業をなしたのだ。素直に尊敬する。
でも子供は、なにもしていない。
ただたまたまそこに、命として生まれたのが彼女の腹の中だったというだけだ。
たったそれだけの偶然で、その命はこれから数十年の間、彼女の愛情を一心に受けて育つのだ。
憎らしいとしかいいようがない。
生まれてきたその姿をみて、自然に笑える気がしない。かわいいと思える気がしない。
うっかり「抱っこしてみてよ」と言われて抱いた時に、そこが3階で窓が開いてたら、わたしはソレを外に放り投げてしまうかもしれない、と思う。
そのくらい、いまわたしの心は痛い。
わかっている、旦那ではなく子供に嫉妬している時点で、恋愛感情としても歪んでいることを。ぜったいに手が届かない、もはや空想上のものを羨んでいる。手を伸ばそうともしなかったくせに。
こんなことを思っている時点で、友人としても破綻しているのだ。
考えてみれば、共通の友人は彼女の旦那に会ったことがあるらしいのに、わたしは一度も会ったことがない。会う?と聞かれたことすらない。
そもそもわたしは彼女の友人にすらなれていなかったんだろう。友人になることが目的でないことを、うっすら彼女も気づいてたのかもしれない。
それでも、いやだからこそ。こんなにわたしのこころが痛いからこそ、中学生のころのわたしがした選択を、わたしだけは褒めたいと思っている。
あの頃のわたし。わたしが想像したとおり、彼女は結婚して、お母さんになる。とても幸せそうだ。1人で暮らしていた時より人生は充実していて、とても満足しているように見える。
わたしがあのとき、ダメ元で告白していたからといって、今の彼女と違う彼女になっていたとは正直思えない。振られていた、あるいは奇跡的に付き合えたとしても確実にどこかで別れているだろうし、彼女は異性と結婚しただろう。でも、もしもわたしが告白していたら、彼女の心には「同性の友人に告白されたから振って、相手とは微妙な関係になった」という小さなトゲが刺さっていたと思う。そのトゲを刺せば良かったとは、いまのわたしはまったく思っていない。
だから、これで良かったのだ。
これで良かったんだよ、14歳のわたし。わたしが、学校で彼女に会うのが痛くて、だから朝が来るのが怖くて夜寝たくなくて、でもご飯を食べると眠くなるからと夕食を抜いて泣きながら決めたことは、正解だった。
他の誰が知らなくても、今のわたしが知っている。
タイムマシンがあればよかったなぁ。
だいぶ前になるが、21卒としての就活を終えた。
意外に就活の顛末を主観で書いた記事が無いなと感じていたので、今の就活こんなんやったで、というのを記録がてら共有したい。
もちろん、量産型(地方)文系大学生とはいえサンプル数1であり、むしろ大いに偏った人間な気もするので、そんなんじゃねーよという突っ込みや質問もたくさんほしい。
この時期自分は『就活はリクルート・マイナビ等の企業群が作り上げた虚構であり、滅ぼすべき邪悪』という思想を持っており、大枠は就活終了まで変わらず過ごすことになる。(就活を理由に4年生の初恋の相手に振られたことが切っ掛けかもしれないが、元から割とこういう思想をしていた)
それでも部活の先輩から「インターンは一応行っといたほうがええで」とのお言葉をいただき、一応就活らしい行動を始めることにする。
インターンは、企業名で検索して出てきた新卒採用ページからそのまま応募するか、リクナビ・マイナビ系のサイトに飛ばされてそこから応募する、という形がほとんど。
少し調べると、都心の学生は意識高く給料が出るようなインターンに参加し半年くらい切磋琢磨しているらしい。だが、田舎の大学生にはそんなこと土台無理なので早々に諦め、部活の合宿の都合も考慮して1day~1週間程度のインターンから見繕うことにした。地方の大学に居るだけで入れなくなる差別主義企業なんてこっちから願い下げじゃボケ、とか思ってたような気がする。
この程度の短いインターンだと優遇もクソもないらしいので、とりあえず交通費・宿泊費が出て、何となく入れたら面白そうだな~という企業に適当に応募。たまたま受かった2、3社に参加することに。
インフラの裏側を探検したり、アナウンサー体験をしたり、所有する不動産のスイートルームを見学したり、どれも会社のお金で見学ツアーみたいなことをさせてもらえてたのしかった(小学生)。同時にGD(グループディスカッション)みたいなことも延々やらされたが、どれも学生からマトモな案出ると思ってなさそうな内容ばかりで、ハナから"積極的に参加してる感"だけ適当に醸し出してたらまあまあ良い評価をもらえた。就活は茶番、という八つ当たりが確信に変わりつつあった。
研究で忙しくなり、現実逃避のためポケモン・あつ森に没頭し就活せず。普通の就活生は冬インターンに参加したり、外資・コンサル・マスコミ(民放)の本選考を受けている時期(らしい)。インターンに行った1社の本選考があり、一応受けるも余裕で落ちた。一か月人と喋っていない状態で面接を受けるのはやめたほうがいい。
3月の就活解禁から一か月以上遅れ、そろそろヤバいかもと重い腰を上げる。先に就活を終え就職した高校時代の友人(現役入学、自分は浪人)にアドバイスを貰い、とにかく数を出してみることに。業界を絞らず、適当に行けたらいいなという企業を片っ端からスプレッドシートに並べ、締め切りが近い順に心を無にしてESを投げまくった。ESの内容は一応部活と研究で頑張ったこと(いわゆるガクチカ)に加え、日経とES投稿サイトを検索して出てきたウケがよさそうなワードを散りばめることで、意識高い感じの文章を生成した(よかったのかはわからない)。書類はなんだかんだ半分くらい通り、その後面接一つ進むごとに半分落ち、また面接、という作業を延々とループさせていた。
印象的だった点は2つ。コロナへの対応と、Webテストの無意味っぷり。
コロナについては、各企業の採用担当者さんたちもかなり手探りだったようで、面接中も何を基準に選べばいいのか戸惑っているような雰囲気さえあった。自分はいわゆる大企業ばかり受けていたため(?)ほぼ全てリモートでの面接となったが、明らかに会社側の通信状況が悪く途切れ途切れのまま面接が終わったり(みん就を覗いたら阿鼻叫喚だった)、逆に3次面接が対面だったのに最終面接が急にリモートに変更になったりと、真剣に就活に向き合っていた人はかなり翻弄されてつらかったんじゃないかなと感じた。
2つ目はコロナと全然関係ないが、Webテスト(SPI-Web,玉手箱,TG-Web,CAB,GABみたいなやつ)がガチでしょうもなかった。これらのテスト、端的に言うと答えが出回っていて、その答えを見ながらポチポチするだけでだいたい切り抜けられるゴミみたいな仕組みになっている。先輩秘伝のexcelシートを貰う、とかならまだ良いほうで、なんか『自称リクルート社員を名乗る人物が売る有料回答集付きnote』みたいな魑魅魍魎が平気で跋扈しており、かつその怪しい有料excelシートで普通に答えられてしまう(らしい)。一応意味があるのは試験会場があるSPIのテストセンターくらい、といった有様。自分は答えは使わなかったが、そういう現状があってもなおこれらのテストが選考に使われ、また不正できないようにテスト制作会社側(リクルートキャリア・日本SHL・ヒューマネージ…etc)が改良するわけでも無い理由は、単にやってる感を出すためのプロダクトでしかないから、もしくは単に人事が無能だから、の二択しかないのではと思っている。
そんなこんなで、最初のほうは惨憺たる有様だった面接も回数を重ねるごとに徐々にマシになっていき、6月ごろに第一志望群に入れていた数社から内定をもらった。どれも一度も対面で面接せず、本社を直接見たことすらない企業で、コロナ渦っぽい就職活動だったな~と一瞬思ったがそんなことはどうでもよく、さっさとやめたかった就活を終えることにした。
インターンのところでも書いたが、就活関連サイトの記事(ワンキャリ・就活会議・外資就活とか)では、そもそも地方にいたら到底無理な行動が平気で求められおり、学生を煽って稼ぐゴミアフィサイトはよ死ね潰れろと思っていた、が、実際就活してみるとまともな企業であればその差はある程度認識してくれていて、むしろ地方ならしゃーない的なお目こぼしを得られることのほうが多かった気がする。逆にその下駄を履かせてもらえないのにアクセスの良さも活かせなかった今年の都心の就活生は大変な思いをしたのかもしれない。
よくわからないブラックっぽい企業から無差別爆撃のようなオファーが届くだけだった。優秀な学生にはいい企業からのオファーがあるのかもしれないが、そういう学生は更に高いレベルの企業を求めて普通に選考に応募してるだろうし、気休めの内定が得られる以外の意味はなさそう。そもそもいい企業ならオファーなんてしなくてもいい学生来るやろ。
就活をやればこの就活垢を作っている人たちの動機もわかるかも、と思っていたが最後まで分からなかった。twitterなんて就職にとってノイズでしかないと思うんだけどそうでもない空間があるんだろうか(実際外銀とかコンサル目指してた人にはまあまあ意味あったらしい)。
ちなみに「NNT」でtwitterやyoutubeを検索すると路頭に迷った就活生の亡骸を閲覧できる。自分がたまたま見かけたのは、何故か公園で小声で歌いながらリクルートスーツ姿で踊っている就活生の動画。その次の面接後の動画では、観覧車の中で自分を責めながら泣いていた。なんもかんもリクルートが悪いんや……。
自分の低知能を自覚して恥じることすらできないバカなんだから、知能やプライドを必要とされない場所にしか居場所は無い。一般的にバカの相手をするのは疲れるし、関わり合いになればかならず損をするから現実世界では当然除け者にされている。
だが奴らも人並みの感情や情緒というのは存在するので、現実逃避してインターネットに逃げ込んでくる。もちろんSNSも使いたがる。
だが一般人と明らかに違う点が一つ。そう、頭が悪すぎることだ。
バカ同士がエコーチェンバーして発狂して他のコミュニティで暴れ始めたり、同じようなバカとネットを介して触れ合うことによって自分はまともだと錯覚してしまったりする。
インターネット上では基本的に顔も名前も年齢も性別もない。見た目は全て文字の構成によって並列化された匿名の個人達だ。
つまりインターネット上では、バカだから許されるとか、ガキだから、老人だからしょうがない、といったことは全く起こらない。全員が並列化されているということは平等であり、そうあるべきであるからだ。個人が特定されないということは、一定以上の個人の群れに溶け込むべき、つまりネット上においても場に馴染めないバカは必要無いということになる。
では何故、バカは現実世界でも、インターネットでも必要とされないのか。
インターネットはフィクションや別世界のものではない。サーバー上に構築されたもう一つの現実だ。現実世界の延長、拡張現実だからだ。もちろんその拡張された領域もバカのためのものではなく、その機能によって自分や他人に利益をもたらすことのできる人間のためにあるものだ。だからバカに居場所は無い。
残念ながらバカは死ぬしか無い。が、たしかに存在する。たしかに存在するから厄介なのだ。しかもバカであることに負い目を感じることはあったのか、半端に鬱屈しているので、無意味にひねくれた主張を激しく行なってくる。現実同様縮こまっていれば良いものを、ネットで匿名だから何言っても許されると思っているところが、またバカたる所以であり滑稽でもある。現実世界にはもちろん、ネットにもはみ出したバカの居場所は無い。
今すぐ死んで、その存在を消すことのみが、他人への配慮であり、バカができる唯一の良い行いである。
生きることへのモチベーションが欲しい
長い懺悔です
きっとこれから二留する、現在一休済の大学生です。きっと、というのは現在差し迫っている後期の試験に向けて何とかできそうな講義が二科目しかないからです。
病院にもカウンセリングにも頼ってます。それでも面談の時だけ元気になります。
講義に途中から出られなくなって(学期の最初は頑張れる)、追いつくためにやらなきゃいけないことを確認するのが怖くて何もせずだらだらとしたまま結局試験日を迎えてしまい、放棄する。これを二年の夏から四年後期の現在まで繰り返しています。
試験の二週間前から頑張らなきゃと布団の中で唱える日々です。これで娯楽にも手をつけられない状態ならば心の不調だ、仕方がないと思えるのですが一丁前にゲームや映画鑑賞はできます。現実逃避のためかイラストを描くことに没頭します。
どうしようもない人間です。
頑張らなきゃ、と唱えることを繰り返してきた人生でした。
自分の話には言葉が足りないので、昔から人とコミュニケーションを取ることが難しく、苦痛でした。暗黙の了解はわからないのに、みんなが自分に向ける冷ややかな目は感じ取れました。
生きていく上でコミュニケーションは必須なんだから、頑張らなきゃ
怒られることが怖くて宿題を真面目にやっていたので、中学校までは勉強のできる人間でした。
怒られないようにすることだけを意識していたので、放任主義の中でどんどんと自分は堕落していきました。
やらなければいけないことを限界まで溜め込んで泣きながらやっつけの仕事を終わらせる。それの繰り返しでした。
明日の提出物を復習を予習を、頑張らなきゃ
終わらせることすら出来なくなりました。逃げ出すことを覚えてしまったからです。
試験を受けなくても、課題を提出しなくても、生きていけてしまうのです。
一番情けないのは、自分とみんなが持つ「頑張らなきゃ」という気持ちの内容はおんなじで、みんなはそれを乗り越えていることです。みんなは頑張れる人なんです。自分は頑張れない人なんです。
とりあえず生きててくれってよく言われるんですけど、その自分は何のために生きるんですか?
生きるしかないし、人は簡単に死ねないことはわかります。なら生きよう、となった時にしなければならないことを自分は頑張れません。嫌になってしまいました。
ごめんなさい。
自己啓発本って、バカにされがちだけど個人的には割と好きなんだよなー
どの程度効果があるかは分からないけれど少なくとも読んでいるうちは気分が前向きになって上向いたりするってだけで
買った甲斐はあると思ってる。
まあ実生活では本を読んで実行した所で、仕事も人間関係も上手くいったりはしないんですけれど。それでも読んでいる間は楽しい。
一種の心の栄養。漫画やラノベを読んで現実逃避するのと同じようなものだと思う。
一冊につき数百円から千円かそこらって、高いと言えば高いけれど漫画の単行本買ったりするのとそんなに変わらないし
著者の金蔓にされていると言えばそうなんだろうけれどそれは漫画とかでも同じだしなー
良い気分にさせてくれた代金と思えばそんなに高いとは思わない
今はインディーズゲームは今や元プロやチーム組んだアマがゴロゴロいるんだよ
ハックロムや音楽でコミックに採用されてたアンテのToby Fox
マイククMarcus Perrsonはゲーム開発コミュニティや会社にも雇われてたる
サクナヒメのえーでるわいすゲーム開発のチーフクラスで十年以上活動してる
インディーズゲームで売れるのは元からゲームコミュニティや会社に認められてる人が大半だ
販売してる横でプロがトップアマが大規模チームで作ったゲームがセールで同じ1000円や無料で配ってる。アプリでも同じだ。そして死ぬほど広告してる
素人だったおっさんが一人でシコシコ作ったゲームなんて売れると思って絶望してる方が頭どうかしてるんだよ。初動で10人も買ってありがとうだろ
そもそもこの手の奴らってマイナーなインディーズゲーム買ったことあるのか?知ってたらこの手の反応にならんだろ。超例外な成功パターンだけで夢見たアホだろ
別ジャンルでも同じようなもんだ。例えば知らねえ素人のおっさんがレトロな歌謡曲自作してCDデビューで特に上手くないって興味もつか?もたねえだろ?絶望してるおっさん?ただの馬鹿だろって思うだろ?やってることはそういうことだ
素人が思い付きでインディーズゲーム専業で食っていこうと思ってるんだって辞めて貯金なくて親も頼れないってただの現実逃避の遠回りの自殺志願者としか思えない
1 問題提起
やらないとやれないの違いはなんだろうか。
行動を起こさないことの原因が、自分の判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準で区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。
行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。
自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。
2 これまでの状況
私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。
その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。
そのときのきっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。
休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。
次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事をサボるようになって仕事がたまって辞めた。
今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である。
難しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。
別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。
でも、なんか今すぐはやりたくないのである。
仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さらに時間が経っていく。
そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。
こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。
自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。
でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである。
また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。
そのときの気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である。
この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電の時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである。
人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。
(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)
そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである。
むしろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。
ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分に死ぬ気があるとは思っていなかった。
ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。
今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。
しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。
なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。
3 これまでの対応
また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。
「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである。
これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書、自己啓発本を読んでみた。
そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分はADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。
(ADHDの可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。
自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである。
今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。
ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。
検査受ける際の困り事の説明に、上記「死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。
そこで、現在のカウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。
なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。
本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。
こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。
実際、家族のことを考えると、死ねば家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。
4 直近の出来事
さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。
そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。
でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である。
ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だから!ちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。
(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)
このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。
また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である。
これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。
そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチかからなかった。
そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。
つながらない。
いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。
かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。
この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分が飛び降りてしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。
そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。
やっと繋がった。
「あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう。
でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルのマックに行き、スマホを充電することにした。
どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。
自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。
このときの気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。
やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。
でもどうしよう。
身動きのとれなくなった私は、自分の業界の協会?にメンタルヘルスの相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。
そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときにカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。
そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。
カウンセリングルームに電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。
日曜、カウンセラーに金曜の出来事を説明したら、カウンセラーはこういった。
「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」
手の指が冷たくなっていった。
それから、
「これは、精神分析療法じゃないですよね…」
ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末でルームが休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。
上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。
私が話した。
上司は、
「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか。実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」
「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」
「上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。
今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。
月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日に生産性が落ちた。
木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。
今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。
そのご、不穏な長文メールが返ってくる。
(中略)
今に至る。
4 私のぐちゃぐちゃな心境
責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!
やりたくてもやれないの!!!
私のせいじゃない!
(逆ギレじゃね?
結局やらないことを、維持することを自分で選択してるんでしょ。
本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。
やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。
これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。
もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。
(また投げ出して逃げ出すの?
これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)
独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。
独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族がブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。
飛ばんと分からんのか?
(信じて貰えないことの当て付けか?)
担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?
信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?
(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。
そういうしかないんじゃね?)
多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。
すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。
意志が弱すぎる。
いい大人とは思えない。
(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーとライン、仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)
多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。
そこから、どうしたらいいんだ?
今まで、口から「死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。
真に受けずに、その気持ちを直視しないで、その気持ちからも逃げてた。
でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。
この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。
5 最後に
本当にただの日記になったが、自分の気持ちを整理できた。よかった。
ホス狂の皆様にとっては少額であろうが私にとっては人生最大の買い物だ。
ここまでに至った経緯と共に書いていこうと思う。
多分長くなると思うし、駄文です。しかも走り書きに近いので読みずらくて恥ずかしい。
それでも1人だけでも興味を持ってくれて、読んでくれたら嬉しいです。
(コロナウイルスが蔓延しているのにホストクラブに行くなんてと怒る方もいらっしゃるでしょう。ごもっともです。最初に謝っておきます。ごめんなさい)
ホストクラブに初めて足を踏み入れたのは2年程前に歌舞伎町のSMバーに入り浸っていた頃。
歩いていたらよくキャッチに「お姉さんホスト行きません?初回1000円で飲み放題ですよ」と声を掛けられていた。
その時は別にホストは興味無いし、後々多額のお金がかかるものだと思って敬遠していた。あとディズニーとそのバーにハマっていたから心惹かれなかった。
ある日そのバーで飲んだ帰り、急に寂しい気持ちと共に社会科見学がてらホストクラブにでも行こうかと思い立つ。
よく「1000円でいいんで!それ以上お金は掛からないんで!」と言っていたキャッチの言葉を思い出し、財布とは別に貧相なパスケースに1000円だけいれて適当なキャッチに声を掛けられるのを待ってついて行った。
この時は朝方の6時。2部営業と言われる朝の6時からオープンするホストクラブだった。
キャッチにお店に案内され、いざエレベーターに乗った時は酷く緊張したのを覚えている。
意を決してドアを開けると白と黒を基調とした煌びやかな空間と大きなBGMが掛かっていた。しかもお客さん誰もいないし。
お店のスタッフに案内されるがままに席に着き初回のシステムを説明された。
暫くするとホストが席に着いてくれた。
「お姉さん何飲んでんの?今の時間まで何してたの?」
と聞かれるがまま答える。 緊張のせいで酔いは醒めてはいるがしどろもどろな私。
ここから6人くらいと話したがみんな上記の会話しかしない。マニュアルでもあんのか?って思うくらい。
早く帰りたいでいっぱいだった私は飲み直し(延長)を勧めるホストとスタッフに「本当に1000円しかないんで!」とパスケースを見せ引き下がらせた。
(今思えば本当に営業妨害の何物でもないだろう。お店の名前も覚えていないけれど、あの時のホストクラブさんすみませんでした)
店を出て「あれの何が楽しいんだろう...もう一生行くことは無いな」と心の中で呟いた。
コロナウイルスが流行り、ディズニーは休園してよく行っていたバーも店も閉めてしまった。
毎日毎日風俗で稼ぐ日々。 今までのストレス発散の場が無くなってしまい毎日がつまらなかった。
そんな中YouTubeで誰もが知ってる某有名ホストが経営していたホストクラブの密着動画がおすすめに出てきて、その動画に出た男の子に興味を持った。
まあ、言ってもいつか会いたいな〜くらいにだけど。
たまたま歌舞伎町のネカフェで泊まった夜、意を決してその子が働いてるお店に行ってみることに。
相変わらずあの煌びやかな内装とかっこいい男の子が沢山いる空間は緊張してお酒の味が分からないし、酔えない。
目の前に現れた彼は本当にかっこよかった。
気分が高揚し、軽くパニックになって上手く喋れない私を優しくリードしてくれた。もう少し彼と一緒に居たかった私は彼と飲み直しする事に。
ホストクラブといえばシャンパンを入れなかったら失礼かなって思って10万円くらいのシャンパンも下ろした。
目の前に男の人がわらわらと集まってマイクでコールされる。何言ってるのか分からないけれど、何やらこの人達は感謝の気持ちを申してるみたい。
「お金使って、沢山の男に囲まれて気持ちいい!」なんて全く思わなかった。
居心地の悪さと緊張が混じった中、キョロキョロと目を動かすのが精一杯だった。
これは今も続いててシャンパンコールは嫌いじゃないが、少しだけ居心地が悪い。
閉店時間になった頃、帰ろうとしたら彼が「この後時間ある?待っててくれない?」との提案。
頭の中ではパニック。
え?何で?いわゆるアフターってやつ?10万と少ししか使ってないのに...? なんで私?
と思いつつも了承する。恥ずかしい話だが特別なんじゃないかと思い上がった気持ちも少しばかりあった。
(今思えばこのホストの行動は「育て」って言われるやつですね。 この先もっとお金を使ってもらう女に育てあげることです)
その後少し待って彼とカラオケに行って、お別れする。
なんだか緊張こそしていたが楽しかった気がするし、かっこいいしと思ってまた行こうと思った。だってアフターまでしてくれたんだもん 。
その後は何度か通ったけれど、ヘルプ(指名しているホストとは別に着いてくれるホスト)に痣をつけられて我慢したが指名している担当ホストに言ったら迷惑が掛かるのでは無いかと思い自分から行くのを辞めた。
本当に今思えば担当からしたら突然居なくなるのが1番迷惑なのにね。
その彼は独特な世界観を持っていて、自信に満ち溢れた立ち振る舞い。端正なお顔立ち。
ドンピシャに心を撃ち抜かれた。
すぐさま指名しに行った。
彼は一度に使う額はそこまで多くはなかったけれどシャンパンと行く回数は多かったかな。
元々ソープは以前からやっているからお金はあったが足りなくて出勤時間も伸ばし、出稼ぎにも行き始めた。7時から24時まで出勤する日もしばしば。
彼の事は盲目的に好きで「彼に切られたら死ぬ」とさえ思っていた。
少し話は逸れるが、以前ネットで通話した人が元ホストの方で彼が言っていた「ホストって夢みたいな物だから。ほんの些細な指パッチンで夢が覚めるよ。覚めた時に後悔しないようにね」と。
本当にこの言葉通り。 その夢の覚める合図が彼のパンチだった。
身バレが怖いので詳しくは書かないがお店で彼に殴られ骨が折れた。
まさに青天の霹靂。
もうホスト通いなんて辞めよう。 身と心を削って何をしていたんだろうな
そう思った。
はずだった。
そう、今も通っている。
ここでようやくタイトルにした「私がホストに行く理由」に触れる。
ここまでつらつらと書いておいて答えは単純明快でも申し訳ないが
「寂しいから」
歌舞伎町で通う子や働く人間はそれぞれの生きづらさを抱えた人が多い気がする(勿論そうじゃない人だって沢山いるよ 個人の意見です)
通ってる人間が言うのも何だが「社会の吹き溜まり」みたいなものだと思ってる。 みんなそれぞれの生きづらさや苦しさがあるからあの町は安心するのだ。
通う人間は寂しさ 苦しさ
どうしようない現状 ストレス
働く人間は普通に朝起きて働く事が難しいから夜で働いたり、一攫千金を夢見て酒を飲み嘔吐しながら血を吐く。
この街に居たら喧嘩 リスカ OD 自殺 嘘 が日常的になって麻痺してくる。
私もその1人。自分の苦しさや寂しさと向き合えないからお酒で溶かす。
その中で好きで応援したい人が居て、たまたまその人と一緒にいるにはお金を多額の仲介するしかなかった。
ただそれだけ。
いつまでも夢を見ていられるとは思わない。
自分の中の十数年分の寂しさと苦しさに向き合わなきゃ行けない。
自分の中でトラウマを植え付けられたあの日から成長もせずに、泣いている過去の自分を泣き止ませなきゃ行けない時が来る。
本当に歌舞伎町から卒業する時はちゃんと自分の寂しさと向き合えた時だと思うんだ。
まだその術が分からないから、こうして誤魔化すことしか出来ないの。
つらつらと長く書いてしまった。
今の80万使った担当については身バレの都合上書けません。とっても考え方が面白くって歌舞伎町の中では優しくて人の痛みが分かる、そんな素敵な人です。 今の所は好きでお金を使って応援するに値すると本気で思っています。今のところ。
人と人の付き合いですから、これが正解かは分からない。今の所は後悔していないけどもしかしたら後悔する日が来るかもしれない。
でも今はね、この金額を使ったことはちっとも後悔はしていません。
誰がなんと言おうと。
あと、風俗をしていると「親に貰った身体を粗末にするな」とか言われます。
親には顔向けが出来ませんが、生まれた瞬間から体も人生も私のモノだと思っています。
だから自分で稼いだ金をホストクラブで原価の10倍の値段のシャンパンを買ったいいじゃない。
いつかホスト通いを辞める時は
卒業式をするねと今の担当ホストと約束をしました。回避依存症の為か、恋愛も1人のホストも3ヶ月以上愛せなかった私ですが、この彼を最後の指名ホストにしたいなと思っています。
彼が愛を込めてタワーのマイクで「もう二度と歌舞伎町歩くんじゃねぇぞ!」と言ってくれるその日を目指して私はホストに通おうかなと思います。
正直もっとボロクソに叩かれると思っていたのでびっくりしました。 読んでくださってありがとうございます。
お金を払っているのになんで殴られるの?
→ なんで殴られたかは分かりません。
「何か悪い事したかな?」って聞いたら「なんもしてないよ○○はお金使ってくれるいい子だよ好き!」なんて言ってました。
本当に喧嘩はしてなかったので、じゃれてるつもりだったんでしょうね。 それか酔ってたか、私の事が嫌いだったか。 はたまたDVか。
女も男も殴られる、それが歌舞伎町なんです。
高嶋めいみの本に〜
ホス狂の本だったら中村うさぎのエッセイは読んだことあります。
私は強く図太く生きています。
もう熱中できることがなくなって長い年月がたった。
若い頃は、
「やってみたい!みてみたい!ほしい!!」
と突き動かされるような情熱があり、その衝動に従って楽しそうなことを追いかけるだけで充実して過ごせていた。先の不安なんて考えず、ただそのとき夢中になれるものだけを素直に追いかけて辛いこと以上に楽しいことも多かった。
世界はくっきりとして、喜怒哀楽の感情もきちんと元気よく動いてくれた。
今は何をするにも、すりガラスごしに眺めているような空虚な気持ちを抱えて、人生の消化試合のように生きている。喜楽の感情は昔に比べて圧倒的に動き辛い。
いくつかの避けられないトラブル、環境の変化、自分の心身の弱さ、そうして年を重ねて疲れていくうち、物事を素直に楽しめない人間が生まれていた。
頭の片隅には、ネガティブなもう一人の自分Bが住みついて事あるごとにチクチクと囁く。
「遅かれ早かれ、親の介護で苦労したり、知り合いは年と共に亡くなって、そしていつかはお前自身が死んで全部おしまいだぞ!!結末が決まってる以上、すべては無意味なのに何をしてるんだ?」
そんな嫌味が、何かするたび脳内に生まれて素直に楽しめることがなくなっていく。
否定的でネガティブな自分Bは、そのくせ楽しいことを追いかける眩しい人、弛まぬ努力している人を見かけると、憧れ羨む気持ちで騒ぎ出す。
「キラキラとした人々と比べて、今の自分はなんという怠けたクソ人間なんだ!!反省しろ根性なしめ!」
自己嫌悪する考えが脳内でムクムクと膨らんできて辛く悲しく情けない気持ちでパンパンなってしまう。一念発起して頑張る元気はとうに枯渇しており、脳内で自分が自分を叱責して懲らしめるだけの悪循環しか生まれない。
そんな辛い気持ちを、なるべく抱きたくないから休みの日はほとんど寝て過ごしてしまう。生産性ゼロ。寝ている間は、なにも辛いことを考えなくてよいので現実逃避のために必要以上に眠くなるのだろうか。
若い頃は脳内にダパダパと出ていたやる気物質はどこにいったのか。
落ち込みがちな脳みその手入れせず放置したから、荒れた脳みそに愛想をつかして出て行って、代わりに自分Bが住み着いてしまったのか。
では、脳みそを綺麗にリフォームできたら、戻ってきてくれるのか?
いやいや、自己満足でやっていける世の中なら誰も苦労せんわ。たとえ自信を持ってても結果が出てなおかつ他人に、社会に認められなかったら無意味なんですよ。自信満々で結果が出せない人は「口だけ番長」「無能な働き者」と揶揄され社会的に殺されるしかないんです。
> でもあなたの勘違いは、「他人から努力や成果を認めてもらえなければ必ず自信を無くす」と思っていることだ。
これは私の勘違いというより四半世紀弱生きててたどり着いた結論です。このケースは全人類に当てはまらないのは重々承知です。ですが私は認められなかったから自信を無くしたんです。バイトでいつまで経っても成果に基づくランクが最下位のままだったことはどのバイト先でも変わりませんでした。これは勘違いではなく事実です。