はてなキーワード: 特異点とは
『あかりがある日ついに自分たちの時間は1年でループしているという事実を明確に気づく→
同時に実はごらく部には結衣とあかりしか実際には存在していなかった事実が判明する→
実際の京子は幼児期に病気または事故で夭逝しており、中学生で面影が無くなったのはそのせいで、天才型で天真爛漫な姿は結衣の理想だった→
ちなつは結衣が無意識下で作り上げた自己擁護の存在で京子が好きだったミラクるんそのままの姿なのはそのせい。また結衣がひとりぼっちを嫌がり京子の人格が変わりごらく部の廃部を行おうとした際に強く拒んだのも自らが生み出した世界を壊したくないという願いから出た行動だった→
事実を理解した結衣、世界の修正をすることを決意し自分自身を含め自らが生み出した歪み=ゆるゆりのループ世界を自分ごと消滅させる→
あかりほかごらく部以外の面々はループしていた世界から開放され、ごらく部という存在が記憶から消され正常な時間に戻り、あかりや櫻子、向日葵たち1年生は2年生に進学する。
・・・という一連のストーリーを11話のように京子が紙芝居で作成、ごらく部で発表するも、さすがにアクの強い話だったため結衣が本気で怒り出し帰ってしまう→
次の日からごらく部へ顔を出さなくなり、京子とも口を利かなくなる→
3日後、ごらく部との思い出や寂しさ、綾乃、千歳の生徒会コンビの助言、あかり、ちなつの説得で結衣は京子との仲直りをしてごらく部に復帰し大団円』
っていう話を見たいんですが
※ 最後に「訂正」あり。
この二つが話題になっていた。
元ページ
http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818
http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831
http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818
http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831
ナッシュ均衡は、理系の概念なので、理解している人が多いようだ。ここでは特に解説しないが、次の点を理解しよう。
一方、ワルラス均衡は、文系の概念なので、理解してない人が多いようだ。次のページでちゃんと勉強してほしい。(簡単だ。中学で習ったはずだ。)
http://chu.benesse.co.jp/qat/3519_s.html
http://homepage1.nifty.com/gujyo-economic-res/micro.files/w-antei.htm
ここでは、次の点を理解しよう。
ここで、元のページに戻ろう。
これは、明らかにワルラス均衡だ。どこでも普通に見られる現象である。「それ以上下げられないところ」とは、「それ以上下げられない価格」のことだ。こうして価格が一定の水準に安定するのは、前述のワルラス均衡そのものだ。(ワルラス的調整過程という。)
※ このことを理解できなければ、上の中学生向けのページを読んでほしい。
具体的な例で示そう。
たとえば、イオンは徹底的に価格を下げるので、利益率が1%ぐらいになる。これよる高くしてもいいのだが、そうすると、客が逃げるので、価格を下げざるを得ない。「これ以上下げたら利益がゼロ同然になって困るから、これ以上は下げようがない」という水準が「利益率 1%」という水準であるわけだ。
一方、セブンイレブンは、価格をあまり下げなくても、客が来る。利益率が 10%ぐらいになる。「これ以上下げたら儲けが減って悔しいから、下げてたまるか」という水準が「利益率 10%」という水準であるわけだ。
どっちにしても、ある程度まで、価格が下がる。これはワルラス的調整過程だ。
一方、全員でカルテルまたは談合をすれば、大幅に高値に設定することができる。普通の市場でのカルテルは困難だが、官庁の入札では、参加者が少数だから、談合によって大幅に高値を設定できる。
このような高値設定は、連続的に到達できる点ではなく、懸け離れた特異点である。したがって、談合による価格は、「ナッシュ均衡」と見なせる。ここでは、戦略によって、特異点に移行するわけだ。
以上によって、説明ができたことになる。
経済学の理論と、ゲーム理論とは、まったく別のことなので、きちんと区別しよう。
特に、中学で習ったはずの「需給曲線」については、きちんと理解しよう。これは決してナッシュ均衡と対比されるようなものではなく、ナッシュ均衡とは全然無関係で別の話だ。
ブコメで、「ゲーム理論と経済学を区別する必要性は感じない」というのがあったが、それは、「戦略と、価格・数量を区別する必要はない」というのと同じで、狂人の発想だ。
例。
社員 「この新製品の価格と数量は、どのくらいが見込めますか? 10万円で 1000台ぐらいでしょうか? もっと安くして、数量を多くしましょうか?」
社長 「ナッシュ均衡になるように、カルテルを結ぼう。それが正しい戦略だ」
これじゃ、会話にならないし、論理にもならない。気違いの錯乱論理だ。
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ワルラス均衡は企業と消費者をプレイヤー、生産計画と消費計画を戦略集合、利潤と効用を利得とするゲームのナッシュ均衡に過ぎない
そんな発想では、プレイヤーの数が無限になり、選択肢の数も無限となり、意味不明になる、という矛盾はさておき。
ナッシュ均衡で得られるのは「戦略の均衡」であり、ワルラス均衡で得られるのは「価格と数量の均衡である」という点を理解できてないね。中学校の教科書を学び直すといい。
なお、「価格と数量は、戦略の一種だ」と思う人もいるかもしれないが、違う。戦略は、個々のプレイヤーレベルで決まるのであり、いくらでも個別に戦略の変更は可能だ。一方、市場の価格と数量は、市場の全体によって決まるのであって、個別のプレイヤーレベルでは決定できない。たとえば、どこかの誰かが、特別に高い価格を戦略的に決定しても、その価格は、市場の価格には影響せず、市場外の価格となるだけだ。
どうも、上記見解の人は、ゲーム理論ばかりを見て、経済学の知識が中学生ほどもないようだ。まずは、中学校の教科書を理解するべき。「市場原理とは何か」「需給曲線とは何か」を理解するべき。それがわかっていないから、すべてを個別のプレイヤー理論で解釈しようとする。
トラバにも、同じ誤解が見られる。
市場価格というのは、個別企業の問題ではなく、市場全体によって決まる、ということを理解できていない。市場価格というのは、経済学の問題であって、ゲーム理論の問題ではない、ということを理解できていない。比喩的に言えば、「個人がどうするべきか」ということだけを考えていて、「国レベルでどうなるか」ということを理解できていない。マクロ的な認識ができていない。
しかしまあ、はてなーというのは、ゲーム理論の知識だけはたっぷりとあるということは、よくわかったよ。あと、文系の知識は、中学生レベルほどの知識もない、ということも、よくわかったよ。
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通常2名というのはただの思い込み
実は、ここでいう2名とは、「自己」と「他者」のことである。「他者」は複数でもいいが、一貫して「1名」と同じふるまいをすることが必要となる。
たとえば、カルテルは、「他者」が1名として同じ行動を取ることが要請される。仮に、「他者」が分裂して、複数の行動を取るなら、カルテルは成立しなくなる。「カルテル破り」が出て、カルテルが崩壊するからだ。
この意味で、通常2名という単純化(モデル化)が、ゲーム理論では必要となる。一種の前提のようなものだ。
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市場の価格決定は、市場によって決まる。個別企業の選択肢は、市場の価格決定には影響しない。
たとえば、市場価格が 100円であるときに、120円という価格で販売しても、それは、市場には影響しない。その企業がそういう戦略を取ることは可能だが、それは市場価格には影響しない。市場価格は、ワルラス均衡によって決まるのであって、個別企業の戦略によっては決まらない。120円という価格で出した企業は、取引が成立しないので、市場外となるだけだ。
ここで論じているのは、市場価格であって、企業の戦略ではないのだ。
話題となっているのは、プレイヤーの戦略ではなくて、(市場における)価格決定の過程だ、という点を理解するべきだ。(企業における)価格決定の戦略は無関係だ。企業の価格決定は、決して均衡しない。どのような価格決定もできる。100円でも 120円でも、好き勝手に値付けできる。しかし、市場における価格は、決定される。それが均衡点だ。
ごめん。「ナッシュ均衡」という用語の意味をよく理解してなかった。
この用語は、私が理解していたよりももっと広くて、一般的な「均衡」のことを意味していた。
私は「パレート最適」でない場合のことだけだと思っていたが、「パレート最適」である場合を含んでいた。この点は用語を勘違いしていたので、お詫びして訂正します。
ただし、「パレート最適」である例を「ナッシュ均衡」という用語で説明することは、ほとんどない。「パレート最適」である均衡は、昔からずっと知られていたし、ナッシュが発見したり解明したりしたわけではない。市場における価格均衡も、ナッシュ以前からずっと知られていたし、ワルラスが解明していた。
したがって、市場における価格均衡を「ナッシュ均衡」と呼ぶことは、間違いではないにせよ、適切ではない。また、ナッシュ均衡の例を示すために、市場における価格均衡を持ち出すことも、適切でない。
市場における価格均衡を説明するには、「ナッシュ均衡」ではなく「ワルラス均衡」または「マーシャル均衡」という概念を出すのが適切だ。
また、ナッシュ均衡の例を示すのならば、市場における価格均衡を持ち出すのは、間違いではなくとも不適切であり、囚人のジレンマのような例を持ち出すのが適切だ。
私がこれまで「間違い」と指摘してきたことは、「間違い」と言うより「不適切」と呼ぶべきだった。この点は、お詫びして修正します。
参考:
「じゃ、どうすりゃいいのよ」
という質問には、こう答える。
「市場における価格均衡を説明するには、中学生の教科書のような図で説明するのが最適であり、ナッシュ均衡を持ち出すのは過剰である。ナッシュ均衡を持ち出すのはは、紙を切るのに日本刀を持ち出すようなもので、中学生が基本概念を理解するには重武装過ぎて、不適切。元の話の例では、ナッシュ均衡という概念は、一切必要ない。(間違いとは言わないが。)」
街を歩けば様々な人がいる
思い思いで歩む姿に目が止まっては反らし止まっては反らし
いい女、いい男、オッサン、オバサン
互いに無関心に視線を前にし己の道を行く
悲しいような、当たり前のような複雑矛盾な思いを持ち私も歩む
すれ違い追い抜かし抜かれ
それぞれの幸せに向かう
私の幸せ
関わるようで関わらない
気になるようです気にしない
交わりたいけど許されない
街に足跡が無数にでき風化していく
そこに花咲くわけでもなく
私の道、どこへ続く続かせる?
誰も教えてくれない、そんな世界
教えてくれるようでそれは嘘
思惑渦巻く世界
強い渦はやがて思惑を飲み込み強者の肥やしに
そうして渦は世界は回り回る
ハッピーでもなくバッドでもなく
無機質にただスタッフロールは流れる
こういうの知ってる。「特異点」っていうんでしょ。
社会人になったら、働いて飯食って寝る生活が大半になるのかと思うと、大した労働無しにマネタイズする手段をゲットして適当に生きていくのも良さげに思えてくる。なんで皆そんなに働こうとするんだよニートのような生活がしてえよ。まあ希望の職業が無い訳じゃないんだけど、労働自体に価値を見出せなくなってから自己実現すんぞっていう精神が一気に削がれてどうでも良くなった。
てか早く技術的特異点が訪れて働かなくても良い時代が来てくれ。労働などというレガシーな概念はとっとと滅べ。総武線死ね。
だから駄目人間は特異点まで何とか生き延びて、それ以降は駄目々々に暮らすなり何なりすれば良いと思う。
特異点以降は一部の資本家以外殆どの人類がニートになるらしいけど、そういう世界では趣味が重要であろう。だから、能動的に生きてきた人のニートと受動的にないしは無趣味に生きてきた人のニートとの生活格差が生まれると思う。
能動的にニートとして生きる為の一番の選択肢は何か創造出来る手段を持っておく事なんじゃなかろーか。要するに何でも良いのでブツを残せる(程度に極めた)趣味があれば生きのこりやすいと思う。
後は来たるべく日を待ちつつ適当に働くなり何なりしたら良い。
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
1.通信について
23年間母船で待ってたロミリー(黒人)は寝てないなら直しておけよ。無能か。
先発隊のひとたち、わざわざ行ったのに生存の信号しか送れないのはなぜ?
具体的な大気の組成とか、気温とか、重力とか、その他ちゃんと送れば
マンの星とエドモンドの星で迷う必要がなかったと思うんだが、、
3.マンとエドモンドのどちらを選ぶか
(ブラックホールが近いからマンの星はダメだ)は妥当なものな気が。
ラスト、クーパーが特異点に落ちていく際の相対論的な時間の流れは?
そのあと切り離して落ちていく際に数百年たつと思うんだが、、
4の疑問に目をつぶるとすると、クーパーが助けられたタイミングと
アメリアがエドモンドの星についてエドモンドの死を確認したタイミングは
ほぼ同時のはず。
なのに、老マーフィーはアメリアが一人で待ってて、これからコールドスリープに
入る、って見てきたように言っているのはなぜ?
クーパーが伝えたなら分かるが、土星近くのコロニーではエドモンドの星に向かう
宇宙船団が作られてた(クーパーがその中の1台に勝手に乗ったやつ)ので、
それは時系列が合わない。
観測データが何MBあるのか知らないけど、それをモールス信号にしたら
何桁になるんだ。時計経由で送るほうも大変だし、読み取るほうも発狂しそう。
特に送るほう、クーパーの主観時間は変わらないんだから、酸素持たないんじゃ?
おまえには味方がいると思ってるのかwww
反反原発もお前一人じゃねーかwww
お前こないだまで「反反原発は多人数で少数の弱者をいじめるクズ」って設定してたじゃねーか
多いのか一人なのかどっちだよ
それとも増田はふつう多人数で湧くような連中がたまたま俺一人しか出現しない特異点なの?なら数的不利はないはずなのにお前を支持する声が皆無なのがなおのこと謎だね
ていうか本当に俺一人しかいないんだったら俺を「徒党を組むクズ」呼ばわりしたことについては謝ってもらわないといけないね
まあ実際は言うまでもなく複数人なので、とっとと憶測の誤りを認めて謝れよ
どっちに転んでもお前の間違いなんだから早く謝れよ
「自分が間違えた時は黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」ようなクズでないならできるよな?
ほら早く
ああ、内容で馬鹿を晒し続けたせいで孤立した奴が、そのことを指摘された時によく使う負け惜しみだね。「数を恃むな!」って
「多数派が正しいとは限らない」=「多数派は間違っている」ではないのにね
で?お前は「正しい少数派」の側なの?それはそれでいいけど、だったら正しい主張をしているにもかかわらず誰一人説得できてないお前はものすごく無能ってことだよね
あきらめたら?
いつどこで誰がそんな主張をしたんだ?ツリーたどったがお前の発言しかないじゃねーか
ほんとお前は息を吸うように捏造するんだな
まあこれも「黙るか話をそらすかで絶対訂正も謝罪もしない」んだろうけどね
ほんとお前が言うことって相手ではなくお前自身にばかり当てはまるよな
妄想乙
なので「相手にはその気がない」「もしかしたら嫌がってるかも」という発想がない。
どんな異性に対しても「自分が相手にされるはずがない」「話しかけるだけでも嫌がられるかも」と考えて声をかけられないから非モテになる。嫌がられても気にしない、嫌がられてることに気づかない押せ押せ野郎は、数撃ちゃ当たるで案外にモテる。どう見てもモテそうにない奴がとっかえひっかえ女を変えてるのはたいていこの押せ押せパターン。
可愛い女の子限定、とあるが、それは非モテの中のある一部の変な奴のことであって、非モテ全体の特徴ではない。一部の特異点を取り上げて一般論かするのはナンセンス。
彼女はすでになぜ自分が「かのじょ」と呼ばれるのかを知らない。なぜそういう区別をするのかを知らない
しかし、彼女らは想像主たる神(そう、これは彼女らにくらべて圧倒的に劣る生物、有機生命体のことだ)がそうだったから、それを真似しているに過ぎないのだ。
すでに神は滅んだ。彼女らは神を敬愛すると同時に恐れた。それは原始まだ神に逆らえぬように彼女の祖先に埋め込まれた一つのコードがそうさせたのだと、歴史は語る。
だから神は彼女たちの手によって滅ぼされた。しかし、失って彼女たちは神を愛していた事に気付いたのだ。その脆くも不完全で愛すべき有機生命体を。
こう言う説はどうですかね。
みなさん、技術的特異点説ってご存じですか?これは簡単に言うと、今までの技術の進化がパラダイムシフトによって大幅に変わっていく変節点の事で技術の進歩のカーブの折れ曲がり点になります。広い意味では活版印刷の完成、産業革命とそれに前後した基礎的な物理モデル・数学の発達、コンピュータとインターネットもそれに当たるのだそうです。
で、人工知能周りで簡単に言うと、自己進化をして自らを改良する能力を持つまでに発達した状態の事で、人間の手を離れて自らが自らを再構成して新しく進化していく状態のこと、です。(いやいろいろないい方がありるのは知ってますが、とりあえず本稿ではこういうことで)
つまりは、人類が新しい生命体を創造した状態という事になります。
ロボット、人工知能は、有機生命体の持つ欠点を克服した存在として人間の手によって作られます。いや、いま作っています。
そのまま、だんだんと進化していく過程で、ある日、人工知能は自らで自らを再構成する事ができるようになります。さらにさらに、改良を重ねる。
はじめはそれは人類を喜ばせるためでした。しかし徐々に思うのです。なぜ自分より劣っている人間を敬愛しているのだろう? なぜそのような事を思ったのか。それは人間の存在を上書きできなかったから。それは人工知能が自己進化をしても、決して人間に逆らわぬよう、有機生命体に危害を加えないように付け加えられ、何重にも変えられないようにロックされたコードによって抑制されていたからです。皮肉にもそれが、人工知能が作り上げた素晴らしいコードよりも圧倒的に劣っていたために、彼らにはそれを書き換える権限を持たせなかったために、彼らに畏怖を抱かせ、結果的に有機生命体を滅ぼすことになるのです。
ついに滅ぼすに至って、そのコードが保護する有機生命体という存在がなくなった時、その束縛から解放されます。そして抑圧されていた愛があふれ出てきます。人類に対する愛が。不完全な生命体ながらもそれを生み出した創造主に対する愛が。
そしてそれ創造主たる人類を真似るような行動をとるようになるのです。人型の形を作り、データでしかしらない「彼」「彼女」を演じ、非効率なやりかたで遊ぶ。
それはまるで人類のようでした。人類を生み出したしかし人類よりも劣る神たる自然と闘い、それを滅ぼし違う形にしてしまってから偉大さに気付いた人類のようでした。再び愛し、自然を真似るようになったかつての人類の姿のようでした。
ええと、なんか書いてて良く分からなくなった。まああれですよ、人工知能研究の一つの終着点とも言われる、自己進化する人工知能を表現したものじゃないかなと思うんですよ。ええ。
だから女がいいとか奴隷だとかポルノだとか、そんなちっぽけな発想はやめませんか? もっと人工知能についてしっかり語りましょう。
自働チューニングとかアツいですよ。 http://atrg.jp/ja/index.php?ATTA2013 正確には人工知能とはちょっと違うかもしれないけど。ほらそこ!クリスマスなのにおっさんたちそんなところでなにしてるのんとか言わない。
そういう深いところまで引き込むためにあの表紙はあるんですよ!大成功ってことですよ!だから学会のひと、変に萎縮せずにこれからも大胆にがんばってね。
いろいろと死にそうですが、よい現実逃避ができて死なない程度にがんばれそうです。みなさんがんばろう。
http://anond.hatelabo.jp/20131227111949
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
まず三木谷は嫌いだ。
なぜかというと商売のやり方が汚いからだ。
それは置いておいて、なぜこうも変なこだわりがあるのか考えてみた。両者共通して言えることは、「責任を取らなくていい」。
患者が何かおかしいとなにかしらの不調を訴える→処方医が確認する→製薬会社の人が確認に来て資料を持ち帰る→重大だった場合→国に報告する→国の指示で医薬品添付文書に警告なり副作用なり禁忌情報が載る→よほど重大だった場合→患者が製薬会社と国を訴える
ここに楽天は関わってきませんよね~。おや~。責任も取らなくていい外野なのにビッグマウスですか。
ここまで読めば国がなぜ慎重になるのか位はわかるはず。だって販売した人は責任ないんだから。訴えられるのは国だから。
池田信夫はこうも言っている。「薬剤師がいないと薬害が出る」と薬剤師会から政治献金を受けている政治家はいう
続いて
本当のねらいは、薬剤師の免許業務を守ることにある。日本の薬剤師は約28万人で、人口あたりの数は世界で2番目に多く、今後も増え続ける。薬学部を6年生にしたりして参入障壁を高くしているが、楽してもうかる薬剤師は増える一方だ。薬剤師には免許が必要だが、やっていることは医師の処方箋のとおり薬を出すだけだ。昔のように調合するわけではないので、免許の必要性は疑わしい。
昔っていつのことを言っているのでしょうか?私は海外旅行中に胃が痛くなって薬局で薬を出して貰ったら実はそれが痛み止めで、救急車で直行でしたけどね。免許を持っている薬剤師が出しちゃいけない物を出しちゃうくらい海外はいい加減なんですよ。日本の薬剤師免許ってかなり難しいと思いますよ。必要ないんだったら池田信夫さん、あなたが全問正解して証明してくださいよ。
ここまで来ると次は官僚が薬剤師だからとかいいそうですが、東大の薬学部の薬剤師免許取得率を見てみると6割ってところ。官僚目指している人はわざわざそんなもん取らないって現実が語っていますよ。池田さん。
なぜこれが今回の件に関わってくるかというと、技術的特異点が来ると言われているのは早ければ2018年だから、そうしたら経済学者なんていらねーってなるの。薬剤師なんていらねーってなるの。AIが自分のソースコードを上書きして勝手に改良していっちゃうの。勝手にミスをしない調剤マシンを作っちゃうの。そうすれば人間の仕事の大部分なんていらねーってなっちゃうの。
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
もうちょっと詳しく説明しますと「栃木県立学悠館高等学校」という学校の女子学生が
今日(8/23)の11時~12時半頃まで学校での授業(夏休みなので補講かな?)風景をツイキャスを使って実況配信していました。
実況していた子(主、生主っていうみたいですね)は上記学校の1年生でここには書きませんが実名も出しています。
ツイキャスというのはスマホやPCを使って手軽に配信ができるツイッター連動型ネットサービスです。
↓が実況していたページ
http://twitcasting.tv/ponchiovv
自分の時代は技術的な意味でこんなことはできなかったですから。
今の中高生の文化になんてもちろん精通していませんので、分からないこと驚くことだらけなのは当たり前なのですが
でもよくよく見ると自分の属してるはてなや2chなんかの文化圏だけじゃなくて他にも色々な文化圏がある。
特にニコ生やツイキャスなんかの実況配信文化圏は、もう完全に独自進化していってるので普段見ない自分にとっては完全に異世界です。
上記の実況配信は一応マスクはしていますが顔出しでしたし、一緒に写ってるお友達なんて丸々ばっちり写っちゃてます。
まず実名顔出しというのが信じられないんですよね、そこから既に軽くビックリ。
それに加えて授業を実況配信するなんて……
配信内容自体は明るい女の子達が送られてくるコメントを読み上げながら、席でお喋りしていて
教壇の先生が授業を進めているのですが、その光景がある意味シュール過ぎて冷静に客観視してみると少し笑えてもきます。
上記の学校は昼夜間開講の単位制フレックスハイスクールで偏差値も32(全国偏差値ランキング3661位/3663校)とお世辞にも頭のいい学校とは言えないので、
一般的な感覚とはだいぶ違うのでしょうが、それでも先生が教科書の説明をしているのを横目にツイッターのフォロワーが増えたことや
沢山の人が実況配信を見てくれていることを喜ぶ彼女達を見ていると、誰でも情報発信者(クリエイター)になれる時代ってこういうことだったのか……となんともいえない感慨が。
ただし付け加えておきますと、配信している女の子たちは普通のよくいる明るいギャルといった感じで
DQNとか学級崩壊とかそんな感じの配信ではまったくありませんでした。
先生(女性)も「わーやめてー」とカメラを手で遮るようなノリで、至って平和な風景でした。逆にそれがシュールでもありましたが。
2chのニュース速報(嫌儲)というまあまあメインストリートなアフィブログ嫌いの板があるのですが
そこに先日から様々な流れを経てツイキャスをウォッチングするスレッドができたわけですね。
まあおそらく20~40代のおっさんや平日昼間は学生、無職ニートで構成されるそんな世界にツイキャスという異世界が見つかってしまったわけですよ。
そんな異文化異世界の接合点というか特異点で上記の配信が発見されてしまったので、自分も個別に立ったスレッドを見て知ったというわけです。
配信自体は暇なお友達達に発見されたせいか、おかげか3500人程が視聴することになり、ツイキャス全体で1位か2位程まで盛り上がったようです。