レイプされる危険のリスクに対する補償も売春婦の給料に含まれてるんだから。
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「一般人が銃撃で殺された」と
「兵士が銃撃で殺された」じゃインパクトが違うのと同じ。
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「ミニスカートは売春婦。売春婦はレイプされても仕方ない。だからミニスカはレイプされても仕方ない」
の曽野三段論法に対して、
昼休憩が終わって少し経ってからだから13時30分くらいかな。いきなり白っぽい上着を着た男性が今居る2Fのレンタルのフロアからカウンター右手の階段をかなりの勢いで下りてて。間髪入れず女性客が「捕まえて!」ってその男の方を指差して。
とりあえず追った。スリでもやったのかと思いながら。
外に出て右隣の某カー用品店の方に走っていったんだけど、そいつが長財布落としていったから、これでもスったのかなと思いつつとりあえずそいつ呼び止めたらそいつが財布に気付いてこっちに向かってきた。
中の免許証を確認したところその男の財布だというのは間違いなかったのだけど、とりあえず女性客から話聞かんと解放できんなと思って、その財布を預かりつつ「ちょっとお話があるお客様がいるみたいなんで待ってもらえますか?」って言って(その男が急いでるとか時間ないとか言ってたのはとりあえず無視して)女性客が下りてくるのを待った。
1分もせずうちに女性が外に出てきて、「あんた!さっき触ったじゃろ!」とお怒りの様子。そこで初めて痴漢だということに気付く。痴漢=電車という固定観念は脆くも崩れ去った。
最初の2,3度の問答では男は何もやってないですよぉと否定してたけど女性が目撃した人もおるって言ったらすいませんでしたと平謝りの姿勢に転換。
そっから5~10分くらい外で当事者同士で話させたんだけど、こういうときってどうしていいかわからないものですね。女性がどうすればいいんですかってこっちに聞いてきたけど、「被害届出すかどうかは店は関与できないんでご自身でご判断お願いします」としか言えなかった。
で、その後その犯人が左手薬指に指輪してることに女性が突っ込んで、結局彼女はいるということが発覚したはいいけど、バイト中は半袖が主流の店なので当然寒い思いをしてる俺は早く終わらせたかった。てなわけで男に初犯かどうか聞いたりして今後もうやりませんよね?女性の方ももう納得ですよね?それではこれでお開きという流れにできそうだったけど絶妙のタイミングで目撃者の女性の方(後から知ったけどこの人も被害者)がこっちに来られた。
あと犯行を目撃したらしい初老の女性の方も話に加わってきて、色々話聞きだして犯人が某国立大学の学生であることも発覚。なんてこったい。
一旦まとまりそうだった話が平行線に変化したところで店長やらうちを運営してる会社の部長やらが下りてきてバトンタッチ。
結局部長が女性に被害届出すかどうかを神妙な面持ちで聞いて、女性が出すって言ったらすぐさま110番通報。
そのときの犯人の「勘弁してくださいよぉ…国試が…」と言いながら泣き崩れていった様は印象的だった。
そのあとは警察が何故か10人くらい来て、色々話聞かれたり犯行現場指差させられたり。バイト終わってから警察に赴いて供述調書に付き合ったり(このとき被害者は2人だったことを知る)。
外で当事者同士を話さしてたときは、こいつの人生むちゃくちゃになるのも後味悪いし初犯なら解放してやってもいいんじゃねぇかと甘い考え持ってしまったけど(全ては寒さのせい)、2タッチは救いようが無かった。しかも彼女持ち。警察の人は大学は退学だろうなぁと嘆いてたからもう人生むちゃくちゃになっちゃいましたね。
自分はそういう性癖は持ち合わせてないので特に今回のことで得られた教訓というものはないけど、あまりリスキーなことはしなさんなということは言えますね。
俺は少し前までfirefoxを主に使っていた。
GoogleChromeは0.3秒で起動する。
例えば、1日1万回起動・終了を繰り返したとする。
・GoogleChrome → 3000秒
・Firefox → 30000秒じゃなくて、キャッシュが効き出すから、10000秒くらいには縮まるだろう
その差は7000秒。
2時間くらいだ。
そして「俺の価値」は時給換算で3500円/h。
すなわち、俺はGoogleChromeに乗り換えるだけで、1日7000円の節約ができるのだ!
……乗り換えて1ヶ月。
効果は見られない。
俺は何を間違えた?
「3日間くらいずっとブラウザを起動しっぱなし」というスタイルが悪いのか?
いや俺は前からそうだったはずだ。このスタイルを疑う余地は無さそうだ。
おかしい……
分からない……
「俺一人暮らししてたとき一人で家事全部やってたからわかるけど、家事なんて大した手間じゃねぇじゃん。なのに女ってなんで『大変な思いしてやってあげてる』みたいな態度なわけ?」
なんつーか、男の論理だと思った。
いや違うな、男女問わず、「大切な人のために」家事を「実際に」したことがない(し続けたことがない)人の意見だなと思った。
嫁は旦那より帰りは早いもののフルタイムの共働きだったから、特に。
平日の夕飯の支度について考えてみよう。
自分ひとりなら、今日は仕事疲れたなぁと思った日は、米だけ炊いておかずは惣菜で済ませたり、作っても野菜いためただけの簡素なおかず1品で済ませたり、買い出しめんどくさいから3日位同じメニューで済ませたり、まぁ最悪たまごごはんに野菜ジュースで済ませたり、どうにでも手は抜ける。本当に面倒なら、外食でも弁当でもインスタント食品も使える。
でも食べさせる相手がいると全然違う。
大切な人の体を作るものだから、毎日違うメニューで、バランスがとれていて、材料費が節約できて、さらに相手の好みを満たす味の献立を、自分で作れる範囲で、毎日毎日考える。
さらに、すべての品が同じ時間に食卓に上がるように、コンロの口の数、フライパンの数なんかを計算して、脳みそフル回転させて並行して作る。
「2人分の食事の支度」というのは、単純に量が2倍になるという話じゃないんだ。
平日の仕事の後で毎日やるのは、料理大好きってタイプでない限り相当しんどい。
ちなみに相手の方はそんなに高いサービスレベルを自分に求めてないことは、女性側もわかっていたりする。
ダンナは出来合いの唐揚げとレトルトのカレーでも実はかまわないことは知っている。
んー、、相手のことが大切であれば大切であるほど、相手が求めてない「余計なお世話」をしてしまう、この心理は、子供ができれば男の人にもわかるのかしら。
娘がカップ麺好きだからって、毎日夕飯にカップ麺与えないでしょう。
そっちのほうが自分もラクだとしても。
まぁなんだ、なにかしてもらったら、ありがとう、って思える間柄でいたいよね。お互いに。
ありがとうと思うから尽くす、尽くされたことに対してありがとうと思う、この循環ができるといいよねー。
文法をパロールに対するラングとかランガジェって意味で捉えると、言語学的には文法の一種ってことになるかな。
国語学的には勿論文法じゃないですよね。まぁ、言語学も国語学も扱う範囲が広いしね。
そもそも「文法とは何か」ってのも国語学的な議論で、あ~・・・。のこの三点ドットも言語学的には「文法」だったりするんですよね。
そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?
いや、だとしたらそれは構造―構築主義者たちの学問で、「国語学」ではなく構造主義以降の範疇に入りますよ。
それは普通に「言語学」にも通じる、ネオ~系の学問。まぁ、その考え方は構造主義以後にプラグマティズム的な発想をした
研究者達のものでしょう。エスペラント語と発想は同じ。ごく普通の言語研究でしょ。
でも、「国語学」と敢えて名乗るならそれは当然そういうものではなく。
敢えて、『正しい国語』を追い求める学派なんですよ。だから、国語学(≠日本語学)で扱う文法には「正誤」がある。
あれは自国言語におけるキャノンを問題にする学問だから。何度も言うけど、神学なんですよ一種の。
これは文学研究にも言えて、「国文学研究」って言うのは未だに「作品に込められた意味」を探る意味論的批評をやるんですよ。
もちろん、彼ら自身もそれが時代遅れの学問であることはわかっている。しかし、「国家」というイデオロギーが有効に機能している
以上、それは必要とされている。だから存在するジャンルが、国語学であり国文学研究なんですよ。
「文学研究」や「言語学研究」と名乗れば済むところをさらに細分化しているのはそういう理由からです。
別に、研究者自身の思想が「保守」であるとは限りませんが、存在は完璧に「保守」ですよ。
うん、だから。
そこで取り扱う「文法的な正しさ」というのは、矛盾なく日本語を構築できる体系を目指そうというものであって、「正しい文法と間違った文法」を振り分けるものではないでしょ?
もちろんこれは単語や音韻イントネーションにも同じように言えるわけで。
教育学的アプローチがあるというのは、数ある国語理論が教育として有用なものか(というわけでいまだ橋本文法が権威を持っているわけなんだが)という話でしかなく、「「正しい」日本語を教えるための」アプローチではない。
あなたの言うそれはずいぶん前にあった算数教育の、掛け算どっちが先かって議論と同じ。
多人数教育に便利なメソッドが欲しいだけ。そういうものはどんな学問にだって要請されてる。何も保守的だからという話じゃない。
意味作用をもたらしているわけで、らが抜けていようが「チョベリバ」だろうが
言語ってのは基本的に伝わっていればオールオーケーなので、そこにはそもそも正しいとか間違いとかって概念がないです。
言語学には「正」とか「誤」って無いんですよ。伝わってるってことはラングが作用してるね!ってことで。
んで、「日本語学的に」という話になると、「そもそも日本語とは何か」という話になり
国語学者たちが連綿と作り上げて来た「聖典」を参照するしかないわけで、となると「的を得る」は誤用だね。
という話になります。
いや、教育と分離した「国語学」なんて存在し得ないんですって。
例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんですよ。
ところが、国語学っていうのは「文法的な正しさ」、文学・文法・言語における「聖典」を構築する学派なんですよ。
いわゆる、モダンからポストモダンの移行期に「文学」と言われるジャンルが分派して
保守層が国語学へ移行していった。国語学には教育分野からの要請が強くあるからね。正しい日本語がなければ日本語教育は出来ない。
だから、国文学っていうのは教育・アカデミズムなしでは存在し得ないジャンルだし、保守こそが存在意義。
それなしで存在している国文学があったら、それは「国文学」ではないです。単なる文学研究です。
そういう学問だから「国文学」とジャンル分けされてるわけで。増田さんのおっしゃるとおりであれば、ジャンルわけいらないでしょ?
国語学・国文学と言語学・文学の関係は、神学と宗教学、考古学と文化人類学のそれなんですよ。
ほんと、いい加減なこと言うなぁ・・・。
ちなみに、「日本語学」は「言語学として日本語に特化した領域を取り扱う」という意味を指す場合もあります。
「国語学」は国の言葉を正しく構築する(ポストモダンの現代では「理解する」といった語彙は使われません)学問です。
昔、ソシュール辺りの構造主義ショックがあったころ学者さんたちが散々大喧嘩して決めた住み分けですよ。
イデオロギーであることを自覚しながら必要に迫られて存在するのが国語学。イデオロギーから抜け出すことを志向したのが言語学。
これ重要。
じゃぁ、横からだけど、 特定個人を指すのはやめといて
あー、昔過ぎてわからんすけど
弓道用語なので、 日々の鍛錬により、息を吸って吐くが如く平常心で正鵠を得るのが普通で、心を見だすと、正鵠を失ってしまう。つまり、失うほうが非日常という感じじゃないのかなぁ?。
そこから転じて、正鵠を失う=本道から外れて、乱れて、要領を得ない。
という感じでしょ?
正鵠なんて、偶然当たるようなものじゃないんだから・・・ 偶然あたったを、正鵠を得たといかどうか?というのは微妙ではあるので、
的を射た= 的に向かって狙って矢を放っているよね。というのは正解だと思うし
正鵠を得てはいないけど、的には当たってる。そこまで間違っている意味でもないということで、 的を得た というのも 間違いではないんじゃない?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000020-sph-soci
岩手県警は18日、JR盛岡駅に停車中の東北新幹線のデッキで全裸になった公然わいせつの疑いで、自称・山形県長井市の無職・手塚新一容疑者(32)を現行犯逮捕した。手塚容疑者は「乗り間違えた。自分のふがいなさに腹が立ち、裸一貫からやり直すには服を捨てるしかなかった」などと供述している。
岩手県警盛岡西署によると、手塚容疑者は18日午前9時50分ごろ、新青森発東京行きの「はやて18号」のデッキで服を脱ぎ、全裸になった疑いで逮捕された。
停車中の10両編成の車内からジャンパーやジーパン、Tシャツ、パンツなどが次々と飛び出してきた。ホームにいた駅員が現場に近寄ってみると、8号車のデッキの中に、生まれたままの姿になった手塚容疑者がいた。駅員は即通報し、鉄道警察隊が現行犯逮捕。当時、車内やホームには他の乗客がおり「ワー!!」と騒動になったという。
同駅に同9時35分に到着し、秋田・東北新幹線「こまち18号」との連結作業の後、41分に出発する予定だった「はやて18号」だったが、事件の影響で約10分の遅れが出た。
手塚容疑者は、県警の調べに対し「(福島県)郡山から山形に帰省する予定だったが、乗り間違えた。自分のふがいなさを腹立たしく思った」と全裸になった理由を供述。さらに「服は親が買ったものだから、捨てないといつまでも自立できないと思った」とも話している。
盛岡西署は、手塚容疑者は郡山駅で山形新幹線「つばさ」に乗車しようとした際に、誤って東北新幹線「やまびこ」に乗ってしまったものとみている。盛岡駅に到着した時点で乗り間違えに気付き、引き返すために上りの「はやて」に乗車した際に全裸になったようだ。捜査関係者は「いわゆる露出狂のような趣味を持っていたわけではないようだ」と話している。
ちなみに、JR東日本広報部では「ケースバイケースですが、乗り間違いや寝過ごしの場合は基本的に追加料金は頂いておりません」と説明。「乗り間違えた」とする今回の場合も、特に別の料金を徴収する例には該当しない可能性が高いという。