はてなキーワード: 熊谷とは
すでに一斉在宅勤務体制では無くなっているが、在宅勤務を経験したものとして所感を残しておきたい。
そのため、熊谷社長が何を考えているか、というところまではキャッチできないし、そこには遠く及ばない。
熊谷社長は我々からすれば天上人のような人で、グループ全体会などの際に見かけるだけである。
また、現在は在宅勤務はほとんど解かれている状況と言っていい。
おそらく世の中的にはGMOはもうずっと在宅、みたいなイメージだと思うがそんなことはない、ほぼ通常営業である。
公式には在宅勤務中であるが、結局、各企業の上司に一任されているので、上司が「来い」と言えば行かなくてはならない。
上司にとって大事なのは、「数字」である。そのため、出社させて数字を上げさせなくてはならない。
おそらく、ほとんどのグループ企業が半数以上は出社していると思う。
さて、前置きはこのくらいにしておく。
まず、GMOの在宅勤務が発表されたのが、1月26日(日)である。
GMOではチャットワークが基本ツールとして使われている(投資先である)
日曜はこのチャットワークが大いに賑わった。
普段休みの日のチャットワークは静かなもので、仕事の話をしてもほとんど反応がないのに、盛り上がってたので笑った。
また、GMOには緊急用コールシステムがあり、緊急時にはすべての従業員に連絡出来るようになっている。
簡単にいえば、プライベートのメアドと携帯に連絡が飛んできて、確認したかどうかチェックされる。
これは本当に緊急時にしか使われないので、ここに仕事の連絡が来たりするブラックなことはない。
プレスリリースやツイッターを見ていたが、本当にそんなことやるの?というのが最初の感想であった。
なぜなら、GMOは基本的にフレックスタイムもなく、全員が定時で仕事している。
今回の件で、GMOという業態だからできた、とかITだから当然出来る、という反応が多かったが、働いている側からすると、在宅勤務、というのはイメージの反対側だった。
もちろん、多くの社員が「在宅勤務でも出来る」と思っているし、実際に今回在宅勤務で仕事は成立していた。
ただ、GMO自体がそういう社風ではなかったので、正直驚いた。
だから、「本当にやるのかこれ?しかも明日から?」(日曜の夜に正式通達があったため)という感想を持った。
実際には、月曜日は体制を整えるために多くの社員が出社していたが、火曜日からはほぼ来なくなった。
また、チャットワークと緊急コールをしただけで、4,000人近い社員の半分くらいがすぐさま在宅に移行するのはすごいなと思った。
半分くらいが月曜からいきなり来ないのは笑った。行かなくていいなら、行きたくない、ってことだよね結局。
在宅勤務体制に移行する上では、色々と問題はあったが、大きく以下2点だと思う。
・社内だけで使っているシステムが使えない
システムに関しては、エンジニアがものすごく頑張ったのだと思う。割と早い段階で使えるようになった。
これも報道で、普段からいつでも在宅できるようにしている、とあるが、「いつでも」というのはちょっと語弊があると思う。
やろうと思えば、なんとか在宅に移行できる、という感じだと思う。そうでなくては、今回のエンジニアが報われない。
ただ、今回の経験を通して、GMOは本当にいつでも在宅出来るようになったとは思う。
GMOはIT企業といえど、ほとんど知識の無い営業もたくさんいる。本当にたくさんいる(これは後述するが、GMOはゴリゴリの営業会社である)
自宅にネット環境の無い社員もいた。一人暮らしの社員であれば引いてない場合も結構多い。
これを自己負担とする場合、従量課金制でやっている社員にとっては痛手となるので、ここは多くの企業で考えるべきだと思う。
というかそもそも自分のPCを会社の貸与以外のものは持ってない、という社員も多いので、自宅にPC環境がないケースが多い。
モニタがなくとも、ノートPCで仕事は可能だが、効率が落ちると思うので、ここも考えたほうが良いと思う。
それ以外は概ね問題がないので、実際に在宅が始まると、意外と問題ないな、というのが実感であった。
細かいことを言えば、光熱費が自前になるのでその分はどういう扱いにするのか、営業電話をかけまくる職種の場合電話代はどうするのか、という問題は生じるので、在宅勤務を想定している企業はこのあたりは、想定したほうが良いだろう。
在宅勤務中は、どのような勤務体制かといえば、出社しているときとあまり変わらない。
朝礼や終礼がチャットワークになるだけである。チャットワークにはTV電話機能もあるので、これも活用していた。
あとは、普段からチャットワークで仕事が進んでいたので、普段と変わらない。
チャットワークが「主」となったことで、これまでリアルなコミュニケーションが苦手だったメンバーの発言が平等な発言として扱われるようになり、これは結構大きいことだなと思った。
よく、部署間を飛び越えてリアルにコミュニケーション取れる社員がいると思うが、これは社歴が長いかあるいは、ほんとうにコミュニケーションが得意な人のやり方だ。
しかも、このリアルな飛び越えコミュニケーションは割とウケが良いので、このコミュニケーションが取れるだけで、仕事が出来なくても偉そうな人がいる。
今回、この能力が封印されてしまったため(というか他の人と平等になったため)、結構困った人もいたかもしれない。
結局最終日(2月7日)まで何事もなく、在宅勤務が続き、現在は名目上在宅勤務となっている。
まとめ。
もちろん、毎日顔を合わせるからこそコミュニケーションが生まれ、仕事が円滑に進む、という考え方もあるかも知れない。
でも、それを抜け出せなかったら、いつまでたってもグローバルには戦えないと思う。
メリット・デメリットがあるので、ここは経営判断になると思うが、在宅勤務が出来る、というのは今後、企業の「押しポイント」になると思う。
再度、強制力をもって、在宅にしてほしい(この一文が言いたかっただけ)
なぜこれを言っておきたいかというと、これを見ているような人は「営業職」と相性が悪いと思っているから。
営業職の人はおそらくこの記事を目にしない。だから気にせずGMOに入れば良いと思うが、はてなーは違うでしょ?
おそらくはてなを使っているような会社員の方々はGMOの営業電話を受けたことがあるのではないだろうか?
今回の一件が、GMOの業態的に在宅勤務が可能だった、とする見方が結構多いが、GMOはほかのIT企業と比べて強いのは、営業力、というか営業戦士が多くいるからである。
そのため、今回の在宅勤務では月末月初だったこともあり、営業成績にはそれなりにダメージがあったものと思われる(多分)
ただ、死んでもこのダメージをリカバリーすると思う。そうでなくては、在宅勤務はやはり失敗だった、となってしまうから。
もし、今回の一連の報道をみて、GMOはフレキシブルで在宅勤務もさせてくれる良い企業、というイメージを持ってしまった場合、それは大きな勘違いになるので改めたほうが良い。
そもそも、Twitterなどで一部ささやかれているが、これだけの規模を在宅勤務させて、本当に業績に影響がないなら、そもそもオフィスはいらなかったはずである。
もちろん、会社という強制力をもって、毎日顔を合わせるからこそコミュニケーションが取りやすくなり、ロスが少なくなる、というメリットがあるから、出社という行為自体がダメというわけではない。
ただ、現状ではGMOグループ企業のほとんどが、9時~18時、もしくは10時~19時勤務で、フレックスタイムすらない。
時短勤務の人や育休中の人はいるので、そこは安心してほしいが、GMOで追いかけるべきものは、売上であり、新しい技術などではない。
これはプレスリリースなどを見れば、その性格が読み取れると思う。
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/
ざっくり言うとGMOのニュースには、新規の事業投資や、開発という文言は少ない。
これは周知のことだと思うが、技術を持った会社を買収することでカバーしているからである。
もちろん、全く投資をしていないわけではないが、他のIT系企業と比べて少ないのは見て取れる。
これが悪いというつもりは全く無いし批判しているわけでもない。
ただ、おそらく今回の在宅のニュースをみた方々のイメージとは違ったものだと思う。
また、GMOには社訓のようなものが存在し、一部はネット上に公開されている(一部である。大事なことなので2回)
これを少なくとも週に1度は唱和(声に出して読む)する。
全体会議でも唱和する。
こちらに、2014年であるが熊谷社長の考えを述べた記事がある
https://toyokeizai.net/articles/-/29818?page=2
6年前なので、いまは考えが変わっているかも知れない。
まあ、そんなに宗教じみたものでもないし、実際言っていることは正当だと思うので、読んでいてそんなに嫌だと思ったことはない。
ちなみに、
おじさんが集まったら熊谷も涼しくなるかな
まずセクハラ描写が男の願望だとか真似する奴がいるとかは間違いな
だって男の願望と言うなら今の漫画にはもっと高品質なものがたくさんあるから
凝ったシチュエーションで美少女にごほうびもらったりちやほやされたりさ
セクハラ描写というのはそういう凝ったシチュエーションを描けない作家(妄想力不足であったり照れであったり)がやるソリューションなんだよ
プロとしてお色気的なものを入れたい、けどそれに割ける創作力もページ数も乏しい、
そういうエロいことに奥手な漫画家ほど唐突なセクハラ描写を入れがち
セクハラは触ってゴラー言われて1ページ以内で完結するからエロいことにリソース割きたくない人ほど手軽に感じて採用してしまう
だからセクハラ描写やる漫画家がすけべだとか女を軽視してるとかは必ずしもそうではない
(ポリコレ的な知識があるかどうかとそれらとは実は別のことだ)
女との関係性もコミュニケーションも貧しい昭和前半の男のアクションであり
ワートリのケツさわりだってあんなもんサービスになってないし、トリトン体のスーツとか(熊谷隊の戦いは作画パワーが高くて素晴らしかった)のほうがよほど喜ばれてるわけで
ああいうつまんないセクハラ描写はもはやほっといても滅びていくから一部のまだやってる漫画家のことは旧弊を脱せない老人として生暖かく見守ればよい
そしてあれが喜ばれてるとか真に受けられてるとかいう珍分析を披露していた一部の女性は
たぶん男性とあんまり付き合いがないしコンテンツとしての性的なことに対する感性も鈍い、つまりセクハラ描写するような漫画家に負けず劣らずの奥手な昭和人間だと思う
万遍ないな
東北を除いて
20年くらい前に真冬の寒い熊谷にいき10000円で風俗童貞を捨てたこと
埼玉川口、群馬伊勢崎、栃木小山を頂点とするの黄金の三角地帯には
一発8000-12000でただやるだけといういわゆる一発屋ピンサロ(群馬ではイメクラという)が各都市で営まれていた
連日の暑さから今日あたり最高気温記録更新が出るかなと思って朝からアメダス実況眺めてたんだけど自己満足の解説する。
・八王子
青梅が話題になっているが午前中の時点では八王子のほうが気温が高く11時に38.3℃を記録して全国トップ。このまま行くかと思われたが、その後伸び悩み今日の記録は39.3℃(12:49)となった。
・青梅
11時は37.5℃と八王子からややビハインドするも、午後きっちり気温を伸ばしきり40.8℃(13:29)を記録。一方で15時には36.3℃と気温が下がり、ピーク以降のアベレージに課題を残した。
・熊谷
日最低28.0℃(05:24)から入った熊谷。11時に37.9℃とまずまずの入りを見せ、その後も理想的なカーブを描き13時に39.8℃、そして41.1℃(14:23)を記録。その後も気温をキープし続け17時でも37.9℃。王者の貫禄。やっぱりあついぞ!熊谷。
・多治見
今日は24.2℃(05:29)とかなり低い位置からの入りとなった多治見。それでも競合の強さを見せつけ午前中からどんどん気温を上げる。11時には37.7℃、12時には39.0℃とピークに持っていく力は圧巻。ピークの40.7℃(13:40)を出したあとも高い気温をキープし、17時で37.7℃と抜群のキープ力。熊谷が「あついぞ!熊谷」をやめても続ける「あついまちたじみ」。こちらも強さを見せつけた。
・甲府
最近ニュースの登場頻度も減っていた(ような気がする)甲府。この日も各地から猛暑ニュースが届く中、11時に34.9℃と涼しい立ち上がり。それでも各地がピークをすぎる中、ジリジリと気温を上げ続けもう今日は終わりかと思われた15:31に意地の40.3℃。古豪復活の兆し。
・鳩山
いつも暑いのにまだ40℃を超えたことがない鳩山。今日も11時に37.6℃といい入り。12時から16時まで39℃を超える長いピーク時間帯を作るも記録は39.8℃(12:57)どまりともう一息。まあ「鳩山?暑いよね?越谷のあたりだっけ?」と間違えられる地味な町だし40℃の大台に載せられないのが鳩山っぽくていいよね。
・練馬
今日は深夜に一度30℃を割ってから再び謎の熱源を得て30℃台を回復。日最低28.1℃(04:09)とかなり高い位置から始まった今日は記録更新の期待がかかった。上昇は緩やかながらも気温を上げ続け13時には38.2℃を記録。青梅で40℃超えのニュースが届く中、練馬にも40℃の期待がかかったが14:04の39.6℃をピークに一気に失速。40℃へはまだまだ課題が多そうだ。
https://anond.hatelabo.jp/20180328233741
元の人のリストが自分のとあまりにも掠りもしてないので自分のも発表したくなった。
見た目も中身も好き。適度に強くて適度に無力で。
ただジェルマ一族今まで出てきた悪人の中でもかなりエグい奴等&親父以外は良心が元から無い設定なのに
最近の展開でなんとなくいい奴側みたいになってるのはあれでいいのか…?
・カミーラ(ハンターハンター)
アホと見せかけて野獣のような生き残る為の知性を持ったラストマンスタンディングでいて欲しかったけど、ダメみたいですね…。
絶対四男あたりに拷問されるかかーちゃん人質に取られて自殺するわこれ。
・なし(銀魂)
そもそも読んでない。いつまでやってるんだあれ。最終章っぽくなってから5年ぐらいやってる気がする。
魅力的な女キャラなんか居ない。うすっぺらい。
冴子お姉さんもすごくいいけど僕はやっぱり、王道を征く、潔子先輩が最高。
もう何も言うことないよね。
・読んでない(ソーマ)
絵にも中身にも魅力を感じない。男キャラもだけどね。銀たまと同じ。
良い子でも悪い子でもなくて、弱い子でも超強い子でもない子が好きです。超強い子も好きだけど。
もっと若い頃の俺ならあの口の悪い頭のペタッとした子が好きだったが、趣味が複雑になった。
まあ読み切り版のほうがずっと魅力的だったけどね。
個性がスポイルされてどんどん火の丸の都合によっていくキャラになってしまった。
あそこまでべったりになる必要あったのかな。
もう見た目も中身も好き。
ただ、一部の口さがないファンが言ってることなんだが、この漫画ってなんか掘り下げ回が来てないキャラのほうが魅力的なんだよね。
掘り下げるとみんな同じようなノリの馬鹿っぽいキャラにされちゃうから。
耳郎は今まさに掘り下げられてるので心配です。
あんまよくしらないけど、あの顔の怖いメスライオンおねえさんいいよね。
・なし(ゆらぎ)
ソーマと同じで魅力を感じるキャラが皆無。絵も中身も。
・雛鶴(鬼滅)
>いや、あの、この人がいちばんの功労賞だよ!
>この人いなかったら、確実に負けてたからね?
これだけ同意。
強いのと弱いのが混在しながら戦うのいいよね。
もっと増えて欲しい。
前線では戦えないし耐久力も無いけど逃げ隠れしながらちょっとずつ補助するっていうね。
逆に梅ちゃんはちょっと、アホな子や無力な子やあんまり可哀想なことになる子は好きじゃねーや。
・なし(BORUTO)
アニメなら俺もハナビおばさん好きだが漫画のBORUTOは魅力的なキャラいないよね。
・なし(ネバラン)
・あしゅみー先輩(ぼく勉)
素直な設定のうるかちゃん出して人気稼いでる間に設定し直したのがすごいよね。
殆ど転んでたのに運転しながら体勢を立て直す、凄腕パイロットのよう。
・なし(石)
漫画は面白いんだけどキャラ自体の魅力って主人公以外にはそれほど無いんだよね。
稲垣漫画っていつもそう。特に女キャラはテンプレみたいなついてくる女か、そこから一歩飛び出したゴリラか、みたいな。
・黒い子(ロボ)
ちゃんと読んでないけど、序盤にマネージャーで居た黒い子は可愛かったよ。
・読んでない(ぼうず)
俺も元増田と同じく読んでないわ
他にいないしね。響みたいにキツくなるギリギリのとこ走ってるよね。
いまのとこ嫌いじゃないよ。
脚が細いね。
作者の成長は感じるけどやっぱガバガバだよね。
なろうみたいなゆるいファンタジー描けば脳ガバガバでもいけるのに
・女軍人(ジガ)
脚がガッチリしてていいけどなんか平時でも膝が曲がってるのはどうかと思うよね。
あれじゃがに股みたいだよ。
いきなり爆死したヒロインと思わせぶりなワンピース少女は魅力ゼロ。
なんか絵とかは上手いんだけど
俺はこれを東京ブルーブラッド現象と呼んでいる(単純にいうと東京至上主義)
エセ東京人が
実際は東京に住んでいない、もしくは23区内でない東京都は名ばかりの田舎に住む
東京23区に祖父母の代から住んでいて現在も東京23区に住んでいる本当の東京人ではない
単に勤務地が東京なだけで普段のライフスタイルは他県か田舎、ベッドタウンで寝起きする人形そのものの
よく九州・四国・名古屋・中国地方・大阪が馬鹿枠として文化の笑いものにするのを好むのに
東北のズーズー弁やダサすぎる埼玉の美的感覚(熊谷除く)、鹿児島(ごめん千葉と間違えた)の何もない意味でのクソど田舎、
なんてまるっきりネタとして取り上げられない
なぜなら視聴者は自分らを自称・東京人だと自負しているが仮にも生まれ故郷、
馬鹿にされたくないわけがない(ごめんこれも間違えた、バカにされたいわけがない)
群馬を馬鹿にして群馬県民が割と本気度たかい感じで切れるのはエセ東京人に仲間入りできないギリギリ(余裕で)アウトだからだろう
東京文化を信仰するためにも「未開で野蛮な異教徒」が必要であり
その標的として西や南の人間が使われ、自分らの出身地であり、東京に労働者を供給してくれている東北は使われないといったことだ
青い血なんてどこにもないのに、自分ら労働者に流れるのは高潔なそれだと思い込んでいる現象だ
そっか、「改善はできないのか」っていう前向きな考えも持ってるんだね
じゃあ本とか読んで自分の考えを深める方向に行くのはいいかもね
↓この記事の「“自立”とはどういうことでしょうか?」って段落からの話とか読んでみると面白いかも
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと | 東京都人権啓発センター
https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_56_interview.html
「健常者は何にも頼らずに自立できるが、障害者は周りに頼らなくてはいけない存在」というよくあるイメージに対して熊谷教授(記事上段にプロフィールがあるよ)が異論を唱えている
身体障害者と精神障害者はまた別って思うかもしれないけど、私はこの話は精神障害者にも当てはまると思ってるよ、オススメ
とにかく生きるの大変だけど、騙し騙しやっていこうね〜
愚痴を書かせてください。
私は、彼と同じ学術分野(文系)のQ教授の過去の研究内容に疑義があり、それを指摘するために本講座に参加している。
最近わかってきたのは、Q教授の研究はまさに先行研究だということ。彼らは先行研究だったのに押さえてなかった。つまり、タコツボだった……。
文科省の審議会の人文学・社会科学振興に関する平成21年の報告書を読んだのですが、
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1246351.htm
基本的にこの頃から問題の性質は変わっていません。十年ぐらい叱られているのに、それでも克服できない。
昔の学者ってどうだったのかなと思って、マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読んでみたのですが、当時のドイツの大学では、私講師という資格だけが与えられ、何を教えてもよく、給料は受講生からの授業料の上がりだけ、つまり出来高制だったみたいです。しかし医学や自然科学系の研究に巨額の資金が必要となり、アメリカでは研究者という仕事が月給制になった。ドイツでもアメリカナイズが進んでいるとウェーバーは書いている。ドイツ式だと市場原理が働くので、実力不足の学者は淘汰される。一方、アメリカ式だと雇用が保護されるので、官僚主義がはびこる。
日本で大学が設立された頃の事情ですが、福沢諭吉あたりが大学を創設した後、その後に官立大学を作ったみたい。2011年の東日本大震災で原発御用学者が社会的に批判を受け、国立大学法人改革で彼らは国家公務員ではなくなった。
いままで国は学者個人の自主性・自律性を尊重するとか言って、お金は出すけど口は出さなかった。しかし厚遇しすぎて、仕事をえり好みする人ができあがった。果たして障害者にフッサールを教えることが正しいのか? 私は、彼らがずっとサボタージュしてきたQ教授の過去の研究の批判という仕事の督促のためにやって来たのですが、彼らは、どうしてもフッサールを障害者に教えたいらしい。Q教授の批判という仕事は絶対にやりたくない。病人の私に押しつけたいそうです。病人の私がいまやらないといけないのは自分の病気を治すこと(自己保健義務)です。早く元気になって、勤労と納税の義務を果たすことです。Q教授の批判なんて、病気に障るからできるだけやりたくないのだが。
国が税金で複数の学者を雇っているのは、お互いをチェックさせるためなのですが、彼らはタコツボという自分たちの宿痾を克服したくない。どうしても大好きな哲学学を障害者に教える仕事だけをやりたい。私はいまQ教授が20年前に書いた悪書を読んで、問題点を洗い出す作業をしている状態です。泣きたいですよ。
文系って理屈っぽい。「理論上はこの結果がでるはず」と自説にこだわって、ありのままの事実を認められない。理想主義者なんですけど、理想論を学生にも吹き込む。そうするとモンスター障害者、モンスター高齢者ができる。大学教員もモンスター化しているともいえます。
東京周辺に在住している高齢障害者が熊谷さんの講義を何回も聞いている一方で、沖縄の子どもの貧困率は29.9%です。
いま医療費が年1兆円ベースで急増している。とても国民全員に熊谷さんの講義を何度も聞かせられる財政状況ではない。税金で喰っている哲学者と税金で喰っている障害者が学校を開いたら、そりゃあ「学ぶことはすばらしい」という結論になるでしょう。その学費を稼ぎだしているのは誰? 受講生は病人だから知らなくてもいいと思うけど、プロである学者がそんなことさえわからないとしたら、職業としてもう終わりだと思う。一度、マックス・ウェーバーの時代に戻すべきでしょう。
いまの文系の振興策、例えばこんな研究に三年間で一千万ぐらい使われちゃってるんですけど、
https://www.jsps.go.jp/jissyakai/data/saitaku/h25_houkoku/hamauzu.pdf
こういう税金の使い方、本当にいいのかな。
熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義的プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。
また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間が独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。
以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。
五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。
まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。
表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセスの正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間に要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。
またイオングループの自主規制は、その前提となった千葉市の要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である。
このことは、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことからも明らかなように、千葉市の要請とイオングループの規制は政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである。
よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。
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ある表現物に対し、役所などの行政が規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである。
よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請は表現規制の要請である。
また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市の要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市の要請を端緒としていることを明記しているのだから、千葉市の要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである。
このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本の表現規制の歴史においては行政による規制と自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制も行政による規制の要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である。
一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者の人権を侵害するようなものは名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器の露骨な描写についてはわいせつ物として規制が行われている。
すなわち、あらゆる表現のなかから、他者の人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである。
したがって、今回の千葉市についてもその表現規制が妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。
しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続きの正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。
また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。
「民意があり、議会が承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」
とまとめることができるだろう。
しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。
なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないからである。
例えば、以下に例示したものは民意に基づき、民主的な手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。
ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)は一応は民主的な選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。
日本がアメリカとの戦争状態に入ったとき、アメリカは世論の後押しを受けて日系人を強制的に収容した。またこのときその財産も事実上簒奪された。これらの名誉回復は1980年以降にようやく行われた。
「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。
オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策。
また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。
『民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認』
されたならば外国人や性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。
これらは不当に差別的なものであり、人権の侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈で表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。
そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定の物事については単に民意や議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定の物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。
表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。
私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現の規制はこれを慎重にしなければならないと考える。
そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。
表現の自由は基本的人権の一つであり、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。
また、ここには報道や出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからずものである。政府などによって恣意的に表現を規制することは原則としてあってはならない。
日本における性的表現物に対して規制している法律は刑法175条で定義しているわいせつ物頒布等の罪である。
サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件が定義された。
すなわち、
.性欲の興奮、刺激を来すこと
その後チャタレー事件、悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。
刑法175条の運用として、警察は局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき、陰毛も性器の一部として取り締まりの対象としていたが、1980年頃から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制の対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。
このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである。
1950年のチャタレー事件をきっかけとして各地の地方自治体で青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間のPTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。
1989年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤が逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディアが人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。
各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激な暴力や性表現のものを包括的、あるいは個別的に指定する。指定された書籍は18歳未満への販売が禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体が自主規制として指定を受けた図書の流通を制限している。
業界団体の出版倫理協議会が制定した、性描写が過激な成人向けコミックにつけられるマーク。
コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない
-コンビニ向け成人誌
コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌。
-春画の展示
春画は江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。
しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器に修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者と警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。
その春画展に合わせて春画を掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。
このように、日本の性的表現物については行政側の規制の要請と民間団体の自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループが千葉市の要請をきっかけとしていることを認めており、千葉市の要請とイオングループの自主規制については一体として論じるのが適当である。
政治的にも、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定の政治上の責任を負っている判断される。
熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニで流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。
表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠を規制する側である行政は提示しなければならない。
また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係の規制である。これは当初の規制の目的のひとつである、成人向けコーナーの雑誌の過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である。
以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。
また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性を検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。
不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権を擁護するために他者の権利を侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。
例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論は形成されているが、これまでの歴史において性的少数者は迫害されてきた。性的少数者が迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論が構成されていたからだろう。
多数が不快に思っているのだから、性的少数者を迫害してもいいのだろうか。
もちろん、これは否である。性的少数者を不快に思う気持ちは内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者の人権を侵害していいわけではない。
表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者の表現の自由に対する侵害である。
また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。
よって、不快さを根拠として表現を規制することは適当ではない。
以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌にカバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこの規制は適当ではない。
イオングループが発表した流通規制は千葉市が要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定の政治的責任を負う。