はてなキーワード: ズーズー弁とは
・ファールを全く拾いにいかずバッターボックスの間近まで来て写真撮りまくるボールボーイ
・素人を無理やり呼んで試合に出しといてルールがわからず二塁を一塁のように駆け抜けたら「お前ルールわかんねえのか」と笑いながらイジる野球経験者様
・後攻チームがリードの状況で裏の攻撃が終了しゲームセットを宣告しようとする球審(野球未経験者なのに無理やり審判やらされてたらしい、かわいそう)
・相手チームの東北出身のズーズー弁の選手を見て、その口調を真似しながら煽る我が軍のヤジ将軍
・20-0くらいのスコアで最終回の3アウト目を取りゲームセットとなるのに「どうせ俺たち負けるんだから試合続けて今日試合に出てないやつ全員打たせろや」と球審にゴネる相手チームの監督
方言にはいくつかの要素が挙げられるが、重要な要素の一つが発音だと思う
「ズーズー弁」などはその代表例だ。鼻にかかった発音でフランス語のように聞こえなくもない。
「ダ、ディ、ドゥ、デ、ド」としかいえないというのを見たが、
上野発の夜行列車内で車掌が「つぎはメト、メトに停まります」と放送したのを聞いたとき、
軽い衝撃を受けたが、行った先ではもっとひどかった
東北の人の会話がまったく聞き取れないし、語彙も未知なものばかりだった
1980年代でこうなのだから、テレビやラジオ以前の活字メディアの時代はなおさらだろう
幕末維新期の志士たちが「ばい」とか「ぜよ」とか語尾につけるだけで、
「方言いっちょ上がり」みたいな感覚なのだろうが、安直な発想だ
実際には、おそらく互いに「は~、こいつ何しゃべってんだ、全然わかんねぇ」とか思っていたのではないかな?
松本清張「砂の器」により、東北弁に似た発音が出雲地方の一部でも見られることが知られるようになったと思うが、
21世紀の、発音が平準化した現代ではむしろその意味するところはわかりにくいだろう。
俺はこれを東京ブルーブラッド現象と呼んでいる(単純にいうと東京至上主義)
エセ東京人が
実際は東京に住んでいない、もしくは23区内でない東京都は名ばかりの田舎に住む
東京23区に祖父母の代から住んでいて現在も東京23区に住んでいる本当の東京人ではない
単に勤務地が東京なだけで普段のライフスタイルは他県か田舎、ベッドタウンで寝起きする人形そのものの
よく九州・四国・名古屋・中国地方・大阪が馬鹿枠として文化の笑いものにするのを好むのに
東北のズーズー弁やダサすぎる埼玉の美的感覚(熊谷除く)、鹿児島(ごめん千葉と間違えた)の何もない意味でのクソど田舎、
なんてまるっきりネタとして取り上げられない
なぜなら視聴者は自分らを自称・東京人だと自負しているが仮にも生まれ故郷、
馬鹿にされたくないわけがない(ごめんこれも間違えた、バカにされたいわけがない)
群馬を馬鹿にして群馬県民が割と本気度たかい感じで切れるのはエセ東京人に仲間入りできないギリギリ(余裕で)アウトだからだろう
東京文化を信仰するためにも「未開で野蛮な異教徒」が必要であり
その標的として西や南の人間が使われ、自分らの出身地であり、東京に労働者を供給してくれている東北は使われないといったことだ
青い血なんてどこにもないのに、自分ら労働者に流れるのは高潔なそれだと思い込んでいる現象だ