はてなキーワード: 忠臣蔵とは
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
当時、赤穂浪士の討ち入りが敵討ちなのかどうか議論になったとされている
敵討ち入りは兄弟や子など対等な立場の者がやるもので、明確に下となる家臣がやるものではなかった
能にしろ浄瑠璃にしろ敵討ちは忠臣蔵以前からあるけれど、忠臣蔵はその点で画期的だった
敵討ちの要件を満たさない赤穂浪士の討ち入りは盗賊と同じ扱いになるはずだった、けれどそうはならなかった
当時は敵討ちが許されていたけど色々制約はあるから誰もが敵討ちを選択するわけではなかった
敵討ちの制約ってのは敵討ちを果たしたら自分も腹を切るって決まり
そのせいで赤穂浪士の討ち入りは実子が不参加、大石内蔵助も困って先延ばしにしていたけれど最後はエイヤーと討ち入りをすることになってしまった
当時の定義では敵討ちの要件を満たしていないけれど、江戸のみんなは立派な忠臣だと言うし、大名ですら赤穂浪士を屋敷で歓待するものまでいた
そんな世論の空気を読んで、本来なら打首だけど幕府は譲歩して切腹を許した
近年、忠臣蔵の評価が変わっていることについて吉良上野介が実はいいやつだったんじゃないか、とか言ってる人がいるけど具体的に根拠はあるの?
吉良上野介は討ち入り前に左遷みたいな郊外への引っ越しをさせられているのに
メリィキリヒミテーッス
本日は人類が初めて南極点に到達した日だから南極の日、そして日本では忠臣蔵で有名な吉良邸討ち入りの日ですね。
集団心理って怖いですよね、たった四十七人が団結して人一人ぶっ倒しに行くだけでも今では判断が分かれますものね。
ただ刀ぶん回した奴が悪いんだからそれで解散させられたのの腹いせに始末しに行くアイツら意味わからんくない?みたいな最近の言説とか
いんや忠義忠義忠義天晴れ天晴れ天晴れ!!で押し通してきたこれまでとか
冷静に「いやまずいっすよ、恥かかされたとかも意味わかんないっすよ」って指摘してくれる人が居たらまだ彼等も踏み止まれたのか、それとも「上司がやられることあったらマジ、やったりますよマジ」だったのか。
時代によって判断が分けられるぐらい物語として出来がいいのかもしれませんね。
今やったら悪いのは四十七士側ですもん。テロリストです。ゴリゴリの反社。
でも一揆とかも発生することがあった時代の話だし、現代でも暴動は発生するし、だからこそ「これはこれ、それはそれ」を判断できることが大事になるのかもしれませんね。
まぁそういうのを裁判所とかが上手くやってくれるから現代ってすごいねって話かもしれません。
ということで本日は【適切な判断よいか】でいきたいと思います。
本日12月14日は赤穂浪士達が討ち入りを果たした忠臣蔵の日である。
今年8月の終戦の日には戦争放棄と不戦の誓いの思いを強くしたのに、そのわずか4ヶ月後には赤穂浪士達が忠義や武士道を貫いたことが賞賛されている。
私が終戦の日も忠臣蔵もどちらも信用できない最大の理由がここにある。
日本人として本気で不戦の誓いを新たにするのであれば、忠臣蔵を美化するわけにはいかないのではないか。
忠義や武士道に殉じた赤穂浪士を美化するのではなく、一人の老人を私刑にしたテロリスト達として扱わなければ整合性が取れない。
あるいは戦争放棄するのは太平洋戦争だけで、忠臣蔵と明治維新と日清・日露戦争と第一次世界大戦は戦争放棄しない、ということにしているのではないか?
テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせられる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
------
すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、ダブリン、シベリア、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に地道に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
------
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
色々考えたが、結局必要なのはアナウンスなのだろう。暴力には屈しないが問題は解決する。浮かび上がった問題は解決するが、それでも暴力は許さない。そういったことを地道に叫び続けるしかない。
そのようなときに重要なのは政府からのメッセージだ。政府には危機事態に対してメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。
あなたがどのような問題を抱えていたとしても、それを暴力で解決しようと決断しないでほしい。お願いします。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
------
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
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テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
<h3>o- *****</h3>
すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
<h3>o- *****</h3>
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
そのようなときに重要なのはメッセージであるはずだ。政府にはメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
<h3>o- *****</h3>
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
<h3>o- *****</h3>
人殺しの血を引いている顔をしてる反戦教育者っていないんだよな。
特攻賛成派も特攻反対も同じように「米軍が攻めてくるから、天皇が変な命令を出すから『仕方なく』戦争に巻き込まれた」って発想をしている。
自分たちが醸成した「ガンガン鬼畜米英や中国人をぶっ殺しまくっていい暮らししようぜ?」っていう発想が間違っていたと認められる人って本当にも限りなく0に近いブルーひいては永遠のニアリー0。
ロシアぶっ潰したときに最前線とあんま関係ない場所では「いやー戦争っていいよねー。なんか国が元気になってさ―」って雰囲気があった。
これは間違いなく歴史書や当時の新聞にも描かれている事実であり、この辺の感覚から「戦争≒勝つと幸せ」っていう図式が存在してたんだよ日本人の脳内に。
そもそも日本人って昔から戦国武将とか大好きでさ、信長の快進撃や太閤立志伝とかそういうので興奮する性質だったのよね。
もっといえば忠臣蔵みたいな逆ギレ自分のご都合押し付け気に食わないやつぶっ殺し精神にも共感しがち。
兎にも角にも利己的な暴力行為を愛する心根の民族だったわけだよ。
それをあろうことか表面上取り繕って「僕タチ……暴力大嫌いヨ……ヨヨヨ……」みたいな事を戦争教育のときだけ口にするの。
でも実際は大好きなままなんだよね。
戦争教育で体育館にずらーっと並べた生徒が、話に来た爺さんのボソボソ声に「すみませーーーん。マイク大きくしてくださ―ーーい」って叫んだ瞬間にさ、
体躯教師が「コラー!!(# ゚Д゚) お年寄りには経緯を払わんか―い!!!ヽ(`Д´)ノ」と竹刀をバシーンって地面に叩きつけて脅したときは驚いたさ。
「暴力は良くないですよ。話し合いましょう」って内容の講義を受けている最中に、教師が暴力で人を従わせるのを最適解であるかのごとく振る舞うのだから。
表向きは暴力の嫌いな大人しい奴隷のふりをして、いざ権力を持ったらブンブン暴力で人を従わせたがる凶暴な奴隷監督であろうとする。
それは結局の所、GHQに表面上従っていても内心は不満たらたらでいつかアメリカをぶっ殺し直しにいこうって精神が胸の一番奥にはあるってことなんじゃろうねえ。
まあ仕方ないよ。
それは満州で日本人がやったようなことだろうし、韓国が未だに「なんとかもうちょい賠償金貰えねえかな」と未練を持たせるような何かがあったわけだよ。
まずはそこが事実なのさ。
日本人は未だに米軍を恨んでいるってことをまずは認めないといけない。
そしてその憎しみと内面にある暴力性は深い所で今でも結びついていて、いざ何かあったら米英の輩を滅ぼして世界をアジアン、いや日本人の一色で埋められないかと今でも虎視眈々と狙っているんだわ。
その象徴として天皇を掲げられれば自分たちの正当性は立証できると今でも信じている。
でなきゃなんでこんなにこの国の人間は令和の世で帝だ帝だわっしょいわっしょいなんだといのかね。
結局ね、自分たちの民族こそが正当なるこの世界の支配種族であるべきであり、暴力によってそれを証明するべきだって思想は全ての人類の根底にあるんだよ。
いや全ての人類は言いすぎだったかも知れないが少なくとも多くの日本人は心根の根っこでそう思っているのさ。
でもね、今の戦争教育はそれを認めるところからスタートすることが出来ずに上っ面しかなぞらないのさ。
なんでかっていえばね、それによってGHQは満足して引き上げたっていう成功体験があるからだね。
反省しているふりだけしておけばいいんだ反省している演技を教えるために、暴力で子どもたちを調教すればいいんだって、ずーっとずーっと繰り返してんだよね。
能とかが顕著
洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない
歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある
文学もそう
大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった
現代アートなんかもそう
部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールをマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない
これらの現象が生じる理由は、芸術表現の技術の継承や習得の過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるからだ
その結果、技術的歴史的背景への理解が深まり、一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている
そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去の芸術家に対する解釈をさらに新たな作品として世に出すこともある
そのため、目の前のものだけでは理解に必要な材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識を要求するようになっているのだ
で
ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている
親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人もポップアートを理解できている気がしているから、批判も起きやすい
が、本当は能がわからないのと同様、ポップアートも全然わかっていない
歴史的には春画から始まり、戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモやあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念が誕生する
そしてスレーヤーズ的な絵柄から、ハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストやアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている
これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブ風イラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう
イラストレーターの技術の継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける
しかし、それらを「不快な萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう
イラストに関連する現代の文化そのものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ
この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵のドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう
歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる
絵や文字は、わかっていると勘違いしやすいものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう
「一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう