はてなキーワード: 副担任とは
https://anond.hatelabo.jp/20170713183630
この記事を読んだ。
この記事を読むと常勤講師は恵まれているように見えるし、「時間講師と比べたら」実際相当恵まれているんだと思う。
自分の場合は大学を出た1年目、2年目が非常勤だった。増田よりコマ数はあったが、一人暮らしを余儀なくされたので生活はとても苦しかった。
生徒からもそれなりに親しまれていたと思うし、陸上部の顧問として土日の練習や試合引率にも行ったなあ。
ようやく巡ってきたチャンス、成果を出そうと必死だった。
半年の任期が終わろうとする9月末、正規の教員から診断書が届いて病休が延長、それに伴い自分の任期も延びた。2ヶ月。
人として不謹慎だと分かってはいるが、このときは「頼む!病気よ、せめて今年度のうちは治らないでくれ」と思わずにはいられなかった。
結局その願いは叶い、年度いっぱい勤めることができた。
クラスの副担任をしていたので、堂々と卒業式にも参列し、教え子の卒業を見送ることもできた。
しかし、3月29日になっても、30日になっても、31日になっても翌年度の内示が来なかった。
「退職」後の各種書類をどこに送ればよいか、と事務担当者に聞かれたので、(内示が来ないと住む場所も分からないんだよ…)と苦々しく思いながらも「とりあえず実家に送ってください」と頼んでいたので、ハローワークの書類や源泉徴収票が届いた。
親は何も言わず普段どおりに接してくれて、それがまた堪えたなあ。
気持ちを切り替えてアルバイトでも探そうか、と思っていたら、5月半ばから産休が1人出るのでそこに入れないか、という内示の電話がかかってきた。
「あぁ、自分たちは代わりの駒でしかないんだな」と思ったが、また学校現場で働くことができて、収入が保証されると思うと受け入れるしかなかった。
新任、転任の先生たちに混ざって着任式の挨拶をさせられたときには「勘弁してくれよ…」とは思ったが、今年度いっぱいは勤めることができるだろうという安堵感を噛み締めている。
3月30日で「退職」したことになっているから勤続期間が途切れているが、6月には期末手当が出た。
生徒の進路を考えて講演会の講師を探したり、保護者との面談を行って感謝されたりと、やりがいは本当に大きい仕事だ。
ところで保護者の中には、「任期付きの講師」と聞くと、「正規の先生じゃないの!?技量や資質がないのではないか」という目を向けてくる人が一定数いる。
違うんだ、正規の教員も非正規の教員も、みんな所定の大学の課程を出て免許を持っている。
違いは、「県の職員として採用されているか、そうでないか」ということだけだ。
「非正規だから授業の質が悪い」と言われては生徒たちに申し訳が立たないから、授業をはじめ、生徒と関わることには本当に力を注いでいるつもりだ。
「先生になれる!」という思いと日々の仕事でいっぱいで駆け抜けた1、2年目。
念願の常勤になれて奮闘した3年目、理不尽な思いをしながらも境遇を受け入れて働いた4年目。
新卒で「フレッシュな先生だねー」と言われた自分も、いつの間にか27歳になった。
仕事が順風満帆な者、結婚して子供がいる者、海外の支社で才能を発揮している者。
しかし、人事担当者の采配一つで、または教員の体調ひとつで、来年度
どんなに頑張ったところで、正規の教員のように長期で大切に育成する対象として見られていないんだろうなと思うことが多い。
この気持ちのぶつかりを、高揚と落胆を、誇りと情けなさを、どう整理して生きていけばいいのだろうと思う。
……といっても正規任用ではなく、1~2年で異動になることの多い講師という立場である。今の小学校には1年在籍し、異動することになった。今年は3年生の副担任として充実した時間を過ごすことができた。この仕事は好きだが、私が今回疑問に感じたのは「離任式の在り方」である。
異動になることが多いため、これまで様々な学校で離任式で壇上に上がる立場になった。離任式にある「代表の子どもが作文を読み、別の子が異動される先生方に花束を渡す」という一連の流れ。このときの「花束を渡す子ども」は、今までどの学校でも「その先生に1年を通してお世話になった子」が渡すことがほとんどである。そのため、離任式が近づくと「花束を渡してくれる子は誰だろう、一緒にかけ算の筆算の勉強をみっちりやったあの女の子かな…、それともあの男の子かな…誰だろうな…3年生のどの子かな。」と、異動をする前は花束をくれる子が誰かを予想することが恒例になっていた。
しかし当日、私に花束をくれたのは「まったく関わりのない新6年の子」だった。異動されるすべての先生に「新6年」が花束を渡していた。私の横にいた特別支援学級の先生は、学級に新6年がいるにも関わらず、まったく別のしっかりした優等生が花束を渡していた。違う、何か、違う。これは、子どもの可能性を潰している。
今回勤務した学校は「花束を渡すのは、しっかりした態度で渡すことのできる子ども」という選定基準だった。離任式というものは「先生と子どもたちとの別れの式」である。形式はあるが、「しっかりした子が花束を渡す」ことがすべてではない。ただ花を渡すだけではあるのかもしれないが、残る先生たちはどうか、異動される先生には「その先生とかかわりのある子ども」に花束を渡すようにするべきだと感じた。
見送りの際は、3年生の子どもたちがすごくさみしがってくれた。わたしもとてもさみしい。だけど、みんなと過ごせてとっても楽しい1年だった。次の学校でも、この仕事に誇りをもって頑張りたい。
教員免許が国家資格なのは、子供を預かり教育することがどれだけ重要なのかというのことを表している。
それなのに国や各自治体は何食わぬ顔で教育現場未経験の新卒を担任にする。
昨日まで学生だった22、3歳の彼らは突然30数人の子供を預かることになる。思春期反抗期に入った子供は実の親ですら分からなくなる時がある。それなのに国はそんな子供達をまだ何も知らない若者に放り投げる。若者は若者なりに考えてやるものの、ベテランと同じ仕事をできるわけがない。普通の会社ならここで「すぐにベテランみたいになれるわけがないんだから失敗しながら頑張れ」と自分を慰めることができるかもしれない。しかし教育現場ではそうはいかない。学校というのは子供にとって大きな影響を与える場所である。大人になっても学校での良い経験、嫌な経験を覚えているように感受性が豊かな子供の頃は、学校ひいては教員の存在は大きいのだ。つまり大人にとってはただの失敗でも子供にとっては数十年経っても忘れないトラウマになることだってありえるのだ。
そんな大事な仕事する新卒のために、多くの自治体では事前研修などをしない。
4月1日になると現場に放り出され、6月7月になってからやっとクラス経営や指導方法といった研修が行われる。おせーよ。
周りの教員も忙しい年度始めにきた新人など相手にしている暇がない。嫌がらせではなくそこまで心の余裕が持てない。孤立する新人、思春期の子供、忙しさで苛立つ同僚、おなざりになるプライベート。そりゃ死ぬわ。
国や地方自治体の人が見てるならどうか分かってほしい。研修は事前にやらなければ意味がないということ。土日の部活をすると週7勤務になること。新卒は副担任から始めるように義務づけること。
パヤオが怒っているのを見て、小学生の時に先生に怒られたことを思い出したよ!!
怒った先生と、それで変な空気になって、しどろもどろになっている生徒だ!
だから両方にムカつくんだ!
「おう、お前ら、パヤオ先生が気持ち悪がってるけど、本当はもっといいもん作りたかったんやろ?」
「いや、俺ら、人工知能で絵を描きたいっす。。。」
ちがうだろ!
「人工知能でアニメ書いてジブリ潰すっす!ピクサー食いに行きます!」
だろ!!!
なら、俺ならどうすんだ!?
もし俺がパヤオなら、
「うふふ、そういう発想もあるんですね(帰れや!朝っぱらから気持ち悪いもん見せやがって!帰れや!!)」
もし俺が川上たちなら
「さーせんした!ほんま、さーせんした!もっといいもん作って出直してきます!(さっさと引退しろや!クソジジイ!)」
まぁ、パヤオが見たくてつけたテレビで、パヤオが怒って変な空気になってたら「極めて不愉快」なのは視聴者じゃボケ!!NHKのボケが!!!
すごく長文ですごく愚痴
なにかの主張に使われることは望みません。今、数年たって要領が悪かったなぁっておもう事はいっぱいあります。
保育士と幼稚園教諭免許が取れる短期大学を卒業して幼稚園に就職した。
初任で年少組(3歳児~)20名弱おはな組(仮)さんの担任になった。
私の初任給は手取り丁度15万円+交通費(3か月定期代を1/3ずつもらう)
。
8:00には出勤 (バスでのお迎え当番が1ヶ月に2.3回7:50までには出勤)
園庭の準備をする(遊具にカバーをかけていたり水を拭いたり、園庭の水溜りを掃除したり)
もちろん素直に上手に着替えができない子だっている。着替えもせずに遊びまわったりしている。
そういった子の手伝いもしながら、園庭で遊ぶ子どもたちも見ないといけない、徒歩でやってくる子を門前で引き受けないといけない、お休みした子どもの制作もさせないといけない
一人ひとりかばんを開けて提出物や保護者からのお手紙を確認して、体に傷がないか、しんどくなさそうか チェックする。
私は毎日先輩の先生たちに「なぜ園庭に出てなかったの?門前にいなかったの?制作させてないの?先生のクラスの○○ちゃんが着替えられなくて戸惑ってた!」とお叱りを受けていた。
正直「もうどこで何をしていれば正解なのか」解らなかった。
登園~朝の挨拶~一日の遊び(制作や行事の練習)~お昼ごはん~自由時間~降園
教職をとったことのある方ならわかるだろうけれど
これらはその日そのときの思いつきで行われているわけじゃない。
私を含めクラス担任たちは毎日毎日 一日の流れを分刻みでスケジューリングしてそれを日案という形で毎朝指導教諭に提出していた。
まず年少組の先生たちと話し合った内容にそって 何時何分~何分までに説明して、実行して、できない子がいたらどうして、こうして、こういう声を掛けて、
A4の紙いっぱいにo.3mボールペンでみっちりと1日につき2~3枚書いていた。
はさみで丸を切る。 紙の端からはさみを入れて紙を動かしながら切ることを示して見せる。
難しい子どもを把握して早めに声をかける。終わった子どもにははさみを置き静かに待つように予め伝えることで事故を防ぐ、遊ぶことが予想される子どもからははさみを預かる。
こんな感じ。これを行動の逐一に書いていく。そして決して「できない子ども」とは書かないのだ。
初任の私はまずそれを指導教諭に渡す、すると次の日に足りない部分を指導される。
帰宅してそれを青いボールペンで修正、朝主任に提出して夕方指導を受ける。
帰宅して赤いボールペンで修正して当日の朝一番に再度主任に提出するのだ。
これを毎日繰り返した。つまり3日分の日報を修正含めて毎日書いていた。
どれだけ書いても終わらない、いたちごっこがつらかった。
制作物も行事や季節にそっていたり、発達に会わせているのだけれど
なぜ作るのか、なぜこの形なのか、どういう意味があるのか 子どもにもわかるように、そして行事に期待や思いを寄せられるように話さなくてはならなかった。
たとえば七夕 なぜ笹なの?なぜ短冊に願いをかくの?飾り物の意味は?
考えたことのある人はどれだけいるだろう。でもそういったことを逐一お話することが求められた。
また毎月1枚 その月に子どもたちに達成させたいことや、覚えてほしいことについてを記入して提出(※月案 これも学年主任、主任のWチェック)
毎週1枚 生活面で達成してほしいこと、衛生面についての意識付けをするための活動について提出(※生活案 同じくチェック)
他にも行事(遠足、運動会、発表会、参観、お祭りetc)のたびに特別指導案を書いた。これは5枚近くになるときもあった。天候などで行事が中止になった時のための普段の日案も書かなければならない為行事は大嫌いだった。
そこから何往復かするバスに乗せて子どもたちが完全に帰るのは16:00ころになった。
もちろん朝からそこまで休憩は一切無い。
14時~16時はバス当番でない先生で園内の掃除をして回る。各部屋に掃除機を掛けて、おもちゃを清拭して、廊下の泥を掃いて、トイレを洗って・・・
16時からは気になる家庭へ連絡をいれる。
熱っぽかった、けんかした、誰かに叩かれた、手を上げた、登園時には無かった傷(それが何かに押し当たっただけのスレでも)があった、登園時に泣いていた等などの理由で電話をかける。
そして次の日の制作物の準備に取りかかる。画用紙など画材を用意するのは園でしかできないから。
(子どもの描いた絵を完成品に仕上げたりするのは自宅で行うのが暗黙の了解だった)
1人600円の延長保育(おやつ付)は14:00~18:00 平均して15人ほどの子どもを1人で見るのだ。
1ヶ月に2回ほど回ってくる 延長保育に関しても同じように日報を提出した
子どもの事、ご家庭のこと全クラスの事を共有できるように一人ひとり発言していく。短くて30分、長いと1時間かかることもあった。
職員会議後には日案の指導が始まる。指導教諭から指導を受け、主任から指導をうけるといつも20:00ころになっていた。
私は自宅が少し離れていた為帰宅はいつも10時ころだった。そこから夕飯を片手に指導案を修正して、書いて、制作物の仕上げをして、気がつくといつも午前3時4時だった。
気を失うように寝て、6時半に飛び起きて出勤していた。
いつもお風呂から上がった後は勤務着(ジャージ)を着ていた。飛び起きてそのまま出勤できるからだ。
化粧もしなかった、朝ご飯も食べなかった。園で食べるお昼ご飯は詰め込むように5分もかけずに食べた。
だんだん寝てしまうことが多くなり、指導案の提出がずれて、しかられることも多くなった。ズレればずれる程自分が大変になるのに、どうしてもできなかった。書くことがなにも思いつかなかった。
家だと寝てしまうと思って夜にファミレスに行って指導案を書いた。6時前に帰宅してそのまま出勤した。
夕方の掃除の時間にトイレにこもって三角座りで仮眠をした。バスの中でも何度も寝てしまった(子どもが乗っているのに)
それでも一日も休まなかった。休みたかったけれど、園には余剰な人員なんていない、休んだら誰が私のクラスをみるの??
10月に園長先生から「来年度もがんばれるか。続けられるか?」尋ねられた。
「がんばります。来年こそはご迷惑をかけないようにしっかりします」そう答えた。
1月冬休み明け出勤の1日目「すみません。今年度で退職させてください」
引き留められなかった、当然だ。そのときには私は園の厄介者になっていたからだ。
情けなかった。自分の容量の悪さが不甲斐なかった、だんだん私の指導が御座なりになる指導教諭が怖かった、申し訳なかった。
そして冬休み前に行われた保護者との個人面談で「先生、本当に子ども好きなんですか?」
1人の保護者からそういわれたことで、私のなかでこの仕事への未練がなくなってしまった。
4月に学生時代に貯めたお金で買った礼服はちょっと胸周りがきつい服で入園式の写真に残っている。
卒園式で撮った職員写真では、礼服はガバガバのユルユルだった。
1年で10キロ以上は痩せた。3学期には保護者にも心配されるくらい急激に痩せていた。(元が太りすぎというのもあるかな)
20年前。当時はなんとも思わなかったけど、今考えるとあいつの行動は問題が多すぎる。
たくさんあるので、列挙してみる。
タバコを吸ってたやつを往復ビンタ。そいつが認めないもんで「吸ってませんってなんだ!」ってまたビンタ。
3時間くらい、そんなやり取りが続いていた。
授業中に話を聞いていないとか宿題をやってこないやつがいたら殴る。
一度、でっかい棍棒で頭を殴られている奴がいた。死んだらどうする気だ。
タバコを吸う。どこでも吸う。部活の顧問だったが、練習中や話し合いしてるときもひたすら吸ってた。
生徒が吸ったらどつきまわすのに、生徒の前で平気で吸うってどうなんだ。
部活に来ない。週一くらいでしか来なかった。夏休みに部活行ったら、先生がサボって練習が中止になったこともあった。
キャプテンが電話して「お前ら暑いし大変だろ。夏休みの部活は全部休みにするな」って言われて
うれしかったけど、こいつ自分がサボりたいだけだろって思った。
セクハラ。セクハラもする。女子に「かっわいい~💛」とか言ったり、
夏場暑くてスカートをめくってる子がいたら、「おい、やめろ。見てしまうじゃねーか(*´∀`*)」とか言い出す。
今、こんな先生いたらクビになるんだろうな…
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20141023160653
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653
増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメも Twitter での言及も。
せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。
数々のコメントの内容の前に。
そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分が担任の経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。
自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署で仕事をしており、次年度の分掌として学級担任を希望しているという次第。
また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である分不安も大きいが自身の教員としての力量形成・キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学を卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。
で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。
学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。
これも高校の範囲でしか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である。
例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である小中学校は、公立校には基本的に地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校は学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。
柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域の中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較的生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供の幼児教育・初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHD,LD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供の教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間で教育格差が生まれるのは必然である。
そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。
そんな中で、高校教員の自分が言うのもなんだが小中学校の教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任がほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成も高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引きの通報が入ったりする。
まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校で自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。
思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます。
コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。
まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。
以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別な教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。
単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員は必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。
特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。
甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。
自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力、関係形成能力、客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団は必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10人前後の部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用な集団に属するのが良いと思う。
http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html
記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。
通信制高校も全日制高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。
まず通信制や全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。
あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導やカウンセリング、自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。
目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である。
教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校で高校生活を送り卒業することを希望したと判断し教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。
突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強の学習だけが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全に学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることなく教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。
そうだと思ってやっています。教科指導、生活指導、進路指導、全て教員の仕事です。
結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。
まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員の経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通の学校だけでなく、工農商の実業高校、定時制や単位制高校、進学校など様々な環境の学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初の経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。
ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外、田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員はわがままを言う。都心部、通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。
またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間と仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。
※個人の感想です
教育困難校は本当に、高校生とはいえその時その時の刹那的な感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。
高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験で因数分解や三角比の問題を解くことが就職につながる。
そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分で判断し学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。
感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。
そうなると学校の経営は破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業・就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供の自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校は存在する。
繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。
皆様の生活があり自分の仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります。仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます。
まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。
そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。
よく、国民皆教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラムで教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。
今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。
私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。
呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。
それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。
そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。
私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。
学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。
(この高いハードルを「親は学校/先生に子供を人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)
家族のために計画的な休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。
たとえば医師は患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。
気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい、大丈夫です」と言わなければならない。
実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。
でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。
「たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」
「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」
このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。
担任教師の家族が危篤の場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの。
でも、自分の子供の入学式に出るために計画的に学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。
「誠意がない」と感じるのではないか。
「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。
最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。
でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。
なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。
これまではウソも方便で良かったのだ。医者は患者に優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。
だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。
そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。
ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。
今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。
今はもちろんそれはできない。
後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。
「知らぬが仏」という言葉もある。
さて、では自分自身はどうなのか。
通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分も担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。
自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。
担任教師が休むことそのものが、子供の教育にとって良いことだ、という意見もあった。
行動を通じて労働者の権利、ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。
とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。
友人とも対話した。
友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法を現場で無視してよいのか」
自分「担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」
友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」
自分「計画的な休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事の性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」
友人「妊娠はどうか?」
自分「妊娠は計画的なものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」
友人「教師のなり手が減るぞ」
自分「有能でも信念がないのはだめだ」
このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。
そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。
昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分の出身校に誇りを持っている。
同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。
(このサイトを見つけてメンバー一同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県と福岡県の高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682)
受験できる範囲内の県立高校としては一応トップの学校に入学して3日目から、まぁ右翼かヤクザのような指導を受けるわけです。
高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。
「○せ」みたいな内容の。
親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。
課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。
一方で体育祭ともなれば、放課後に強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。
それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから、学校の先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。
その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。
公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。
こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。
社会はわりといい加減で柔軟にできてるんですよ
>何を言っているのかよくわかりません。
高校の入学式に出る事は、親が子供を愛する上で別に必須ではありません。
一方教師が入学式に出るのは業務として必須です。ましてや担任。
副担任がいるからいいと気軽に言いますが、その副担任が急病とかもっと緊急を要する事態で休みたくなったらどうするんですか?有休を取る権利は誰にでもありますが、それでも日は選ぶべきでは?
入学式の主役は生徒です。その生徒を盛り立てる舞台装置としての教師の存在は式に必要です。親は観客ですから、欠けても支障は有りません。入学式における親の比重と教師の比重は違います。
親が出るのは自己満足であって子供のためでも何でもありません。
自分の子供も大切に出来ない人間に教師が務まるかと言いますが、子供の入学式に出る事と子供を大切にする事はイコールではありません。そこを混同してはいけないと思います。
入学式に親が来なくても子供は気にしないけれど、初日から担任がいなかったら気にするのが現実だと思いますけどね。少なくとも自分が高校生ならそう思います。
担任が子供の入学式に出るため入学式を休んでも、副担任がいるからいいだろって気軽に言うけれど
その副担任が当日インフルエンザになるとかくも膜下出血で倒れるとか、それこそその人にも子供がいてその子が事故で重傷になるとかしたらどうすんの?それでも先に有休をとった担任が優先なの?
そりゃあ休む権利はあるけれど、入学式のようなイベントにはどうしてもという事情がない人は出た方がいいだろう。
そして高校生の子供の入学式というのはどう考えても、「どうしてもという事情」には思えない。子供が事故や病気に遭っても休めないのかと反論する奴もいるが、そういうのとは全く別物だと思う(どちらかというと家族旅行とか夫婦の結婚記念日でデートとかに近い)
いつ誰がどんな理由で休むとも限らないんだから、出ても支障のない教師は我慢して出るべきだと思う。
設置が終わり、テストをすることになり、パソコン担当の先生を呼び出してもらい、一斉に電源を入れることになった。
先生のパソコンから遠隔操作で生徒のパソコンのデスクトップを見たり、一斉に同じサイトを表示できるようになっているのだ。
Windowsなんて、ちょっと細工すれば、人のデスクトップが丸々見えるのであり、遠隔操作するための技術も織り込み済みだ。
知っている人にとってはどうでもいいことだし、勘のいい生徒は、先生がどのような状態で、教えているのかもわかるのだろう。
ちょっとふてくされた顔をしたジャージを着た30台の先生がやってきた。
この先生は、パソコン担当で、学校にある生徒用のパソコンと職員用のパソコンのメンテをしながら、副担任をしているようだった。
「ちょっとふてくされた顔をしたジャージを着た30台の先生」が何に対して「しぶしぶ「わかりました」というような表情を見せた」のかがわかりにくいので追記をお願いできますか?
おいらは、地方のシステム屋。主に保守っぽいサービスをしている。
公官庁とか学校にまとめてパソコンを納めたり、修理に行ったりする。
スーツを作業着がわりにして、パソコンを運んだり、配線を接続したり、起動テストをしたり、ネットワークの接続を確認したりするのが主なお仕事だ。
職員用の玄関のインターホンから、教務主任の先生を呼び出してもらった。
最近の学校は、常時施錠されていて外部の人は、オートロックの鍵を開けてもらわないと入れないようになっている。
当然、防犯カメラも付いている。
暴漢が押し入って、生徒の命にかかわる事件が起きたのだから仕方がない。
昔は出入りの業者も「毎度!毎度!」って、気軽に営業に行けたのが信じられないくらいものものしい。
最近の学校はどこも空き教室がパソコンルームになっている。昔の視聴覚室のすごい版だ。
「インターネットを使うときは先生といっしょに使うこと!」とパソコン委員会の生徒が作ったポスターが何枚も貼られていた。
設置が終わり、テストをすることになり、パソコン担当の先生を呼び出してもらい、一斉に電源を入れることになった。
先生のパソコンから遠隔操作で生徒のパソコンのデスクトップを見たり、一斉に同じサイトを表示できるようになっているのだ。
Windowsなんて、ちょっと細工すれば、人のデスクトップが丸々見えるのであり、遠隔操作するための技術も織り込み済みだ。
知っている人にとってはどうでもいいことだし、勘のいい生徒は、先生がどのような状態で、教えているのかもわかるのだろう。
ちょっとふてくされた顔をしたジャージを着た30台の先生がやってきた。
この先生は、パソコン担当で、学校にある生徒用のパソコンと職員用のパソコンのメンテをしながら、副担任をしているようだった。
詳しくはわからないが、任期付きの臨時雇いのようだった。来年にはいなくなっているのだろう。
パソコン担当の先生は、しぶしぶ「わかりました」というような表情を見せた。
抵抗するパソコン担当の先生は、「わかりました。で悪いんですか。」というと、間髪いれずに教務主任が顔を近づけながら続けた。
「はいっ!よろこんでっと言え!はいっ!よろこんでだ。生徒の教育に悪いだろっ!」
こんなところまで、居酒屋の企業文化が浸透してきているのかと思うとそら恐ろしかった。
教職員の採用については、俗に「定数法」と呼ばれる法律があり、それに基づく各都道府県の条例に基づいて、正採用の教職員の数は明確に決まってる。具体的には、現行の定数法は1クラスを40人としているので、仮にとある都道府県に40000人の生徒がいたら、クラスの数は1000。そうなると、各クラスには担任副担任2名を置くので、正採用できる教職員の数は2000人ということになる。基準の適用の仕方は色々あるし、小学校の定数は最近若干変わってきているし、他にも自治体独自で作る枠もあるし、一方実際のクラス数はもっと多い(全ての学級の「上限」が40人なのだから、それより数の少ないクラスもある=実際のクラス数は40で割ったより多くなる)が、とにかく、大体そんな感じに「正採用の人数」は決まっている。
で、統廃合のときどうするかだけど、当然「いつ」統廃合するかは決まっているから、計画が決まるあたりから採用調整を行う。子どもの数は出生数から分かるわけだから、将来的にどのくらい学校が必要か不要かはある程度分かっているわけで、それを見越して採用調整を行う。特に、この20年間くらいは、子どもの数の急激な減少期だったりしたから、学校の統廃合も激しく進み、相当の採用調整を行う必要があった。
かといって、雇っている教員のクビをぽんぽん切れるわけではないので、教員の数を減らすには、原則「早期退職」とか「定年による自然減」に拠るしかない。統廃合前にそれをある程度進めないといけないので、たとえばある学校を一つ統廃合する前の年には、その一校分くらいの教員数を減らし終わってる必要がある。だから、大体その前年まで採用数を減らして教員の数を減るに任せる必要がある。だから、前年くらいにはその都道府県の中に(足りない分を補う)期限付き講師があふれるという減少が起こるというわけ。まあ、学校を廃校にすると言っても、いきなり全学年が消えるというつぶし方をしなくてもよい。新1年生が入ってこない状況にすれば、教員数は1学年ずつ減らしていくという手もあるから、講師による調整数も、せいぜい1学年分ずつということにもできる。それでも、この10年くらいは、複数の学校を一気に統廃合する関係上、さすがに調整きかない分もあるためか、定年後の再雇用枠とか、教育委員会内への出向とか、研修センターで研修とか、まあいろいろ無理矢理な調整をする必要があることもあった。
上の増田が書いてる「2クラスに教師が3人」というのは、色々勘違いがあって、そもそも「1クラスに2人」が標準だから、2クラス3人ならむしろ教師が足りないことになる。多分(主たる)担任のことを言ってるのだと思うが、3人の教師が付くのは、学級担任とは別枠の何かとして配当されているという事情によるのであって、「教員が余ってるからぶちこむ」とかそういう事情とは違うと思う(そんな余裕はない)。多分、片方の担任の指導力に不安があるとか体調不安があるとかクラスに発達障害の子どもがいるとか、まあそんな事情だろう。
それにしても、期限付き講師は、昔は採用に際し有利になることもあったようだが(逆に、前評判が出回って不利になる人もいたと噂に聞くが)、今は特にそういうことも原則ないと思うので、そうなると本当に、採用試験に受からない限り、使い捨てである。色々と問題は多いと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101219200313
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101217-00000630-san-soci
「友人のいない孤独な男だった」。殺人未遂容疑で逮捕された斎藤勇太容疑者(27)と小学校と高校で同級生だった男性(27)は斎藤容疑者のことを振り返る。
茨城県取手市内の県立高校の卒業アルバム。クラスメートたちは手をつないだり、肩を組んだり、同じポーズでレンズに笑顔を向けていた。斎藤容疑者はただ1人笑わず、ほかのクラスメートとも絡んでいなかった。
高校の休憩時間には教室で1人座り、夏目漱石や太宰治の本を読んだ。小学校の卒業文集に私の宝物を「本」、趣味を「本よみ」と記し、将来の夢を「小説家」と書いていた。
高校で副担任によく「声が小さい」としかられるほど、物静かな青年だった。男性は「容疑者の名前を聞き、すぐに、あいつだと思った。おとなしい男なのになぜ」と絶句した。
ジリジリジリジリジリジリジリジリ。
けたたましくあらゆる人類にとって不快であろう時計のアラームを力任せに叩き、束の間の静寂を欲する毎朝の私。
昨夜は遅くに不定期で放送されるお気に入りのコント番組に見入ってしまったせいか、目蓋が例年より23%重い。
どんより、のろのろと布団から少しづつ這い出ながら、
先刻、この世のすべての災厄の元凶への憎しみを込めるかのような勢いで叩いた目覚ましに目を向けると、午前8時10分。
身なり構わず超特急で走るか、定期的に鬼と化す母親を騙くらかして仮病で休むかのボーダーラインだった。
…よし、走るか。
どうにか決心が固まった。そもそも起床直後の脳であの鬼を丸め込む精神的コストの方が高くつく。
そうと決まれば、血走った目で時計をブッ叩いた時の殺気はどこへやら、
我が身を鼓舞するかのように口に出してみる、「いっけなーい!遅刻遅刻ー!」。
今朝は寝癖も普段よりは酷くない。
寝坊した場合の行動パターンを頭の中で組み立てながら、同時進行で身支度を済ませる。
小学生ではあるまいし朝食を抜いても一向に構わないのだが、
とりあえず「お約束」を意識して、おもむろに食パンの角を口に銜えてみる。
唾液で千切れると格好悪いので、8枚切りから6枚切りのパンと交換する。これで準備は万端だ。
普段は何も言わずに家を出るけれど、ここはやはり「お約束」が優先。
不必要にバタバタと足音を立て急いでます感を演出したのち、「いってきまーす!」と玄関を出る。
食パンを落とさぬように下顎でバランスを取りながら、左手首を探す。
どんなに急いでいても長年の習慣のおかげで忘れることのない腕時計をみると、あと5分でチャイム。
今日は覇気のない副担任がHRを担当する曜日なのでそんなに恐れはないけれど。
緊張感が若干緩んだ瞬間ふと思い浮かんだのは、慌てて着替えていた5分前の自分の姿。
ああ、今日しまパン穿いたんだっけ。
そうだ、そうだった。あの布きれがこんな少女マンガじみた行動の引き金だ。
淡い水色と白の縞模様で、やわらかな印象のしまパンだ。
ちょっと子供っぽい柄なのは自覚しているけど、まあそういう需要もなくはないだろう。なんちゃって。
しかし、私がこれだけセルフお膳立てしても、致命的な、きわめて致命的な事実がひとつある。
そして文字通り、私の家と学校まではほんとうに、「直線」距離なのだ。
直線。道幅が広く見通しの良い、きれいに舗装のされたまっすぐの一本道。
だから。どんなに寝坊しても食パンを銜えてもいっけなーい!と言って走っても。
どんなにやわらかな綿のしまパンを穿いたとしても。
私にドラマは訪れない。決して訪れることはない。 残念ながら、そんな星の下に生まれた。
私はお気に入りの、淡い水色と白の布きれをを片足ずつ道端に脱ぎ捨て、今年通算7回目の回れ右をして家へと引き返す。
午前8時25分。水分を含んでどんよりと重く生ぬるい、夏の風が吹いていた。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html
痛いニュースとはてブコメントを見ていて、ふと小学・中学の頃同じクラスにいたアイヌのA君のことを思い出した。
今から大体10年前、北海道の東のほう(帯広より東だけど釧路よりは西)の田舎町で起こったことを書いてみようと思う。
A君とは小3から中3まで7年間同じクラスだった。田舎の学校だからクラスが3つしかなく、何年も同じクラスになるのは珍しいことではない。
小6のとき、担任の先生が授業でアイヌ文化の話をしていた。そのとき、先生がうっかり「A君はアイヌ」と口を滑らせてしまった。
それから…クラスの男子が陰でA君のことを「アドッグ」(→a dog→あ、犬→アイヌ)と呼ぶようになった。
小学校時代は特にイジメがあったわけでもなく、こういう陰口だけにとどまっていた。
その後、小学校を卒業し中学校に入学した…田舎だからメンツは全く変わらず。
中1の時は担任・副担任・クラスメートともに恵まれ、特に問題もなく毎日が過ぎていった。
そして、クラス替え…小学校時代に「アドッグ」とか言っていた人の多くと同じクラスになってしまった。
中2の秋頃、アイヌとは関係ないことがきっかけでA君を無視することになった。
それは自分含む友人3人で決めたことなのだが、その話は翌日にはクラス全体に広がっていた。
A君の死角から誰が言ったか分からないように「アイヌキモい」と言うとか……
公衆電話からA君の家にイタズラ電話をかけて「アイヌ!」と大声で叫ぶとか……
とにかくやりたい放題やっていた。それでもA君は毎日学校に来ていた。
中3になると事態はさらに悪化した。A君に対するイジメがどんどんエスカレートしていった。
誰かの持ち物がなくなったときにはA君のせいにされた。わけもなく不良に顔面を殴られた。
学活と道徳の授業はA君イジメ問題の話で全て潰れた。臨時の学年集会もあった。
A君は小学校から毎日休まずに学校に通っていたのだが、中3になってからついにその記録が途絶えてしまった。
修学旅行の班決めも難航した。A君をどこに入れるかで5時間くらい話し合った。
結局、行動の班は俺とA君を含めた6人、宿泊も1日だけ同じ班となった。
その修学旅行の夜にA君と仲直りした。なぜここで仲直りできたのか、今でもよく分からない。
やがてイジメは終息に向かっていった。A君を無視する人もわずか数人になっていた。
その後、A君とは仲良くやっている。ただ、俺の母親とA君の母親の仲は今も悪いままだ。
A君は高校→大学と進学し、現在、東京で働いている。彼女ができたという噂も聞くが真偽の程は定かではない。
大学時代にA君に会ったとき、俺より服装に金かけている感じがしたから彼女がいてもおかしくないとは思うけど。
実は同じ学年にもう1人アイヌ民族の人がいた…この人はB君としておこう。B君はA君とは違ってイジメを受けていなかった。
というのも、B君は不良グループに属しており、イジメたら痛い目に遭うことがわかっていたから。
B君とは中1から中3まで同じクラスだった。B君はいつも下ネタばっかり言っていたような気がする。
A君のイジメには不良グループも多少は関わっていたけど、B君は何もしていなかったと思う。
B君は300点中30点取れば受かると言われている地元の高校に落ちてしまい、高校進学を断念。
それから、成人式や同窓会でB君には何度か会ったけど、何とか仕事はしているようだった。
去年のある朝、母親から電話がかかってきた。「B君がNHKに出てるよ」と。
急いでテレビの電源を入れてみると…民族衣装を身にまとったB君がインタビューを受けていた。
B君は町のアイヌ文化保存会のメンバーとして活躍しており、そこにNHKの取材が入ったらしい。
合計80人の学年にアイヌの血を引く人が2人もいたというのは非常にレアなケースだと思う。
アイヌであるがためにイジメられたA君と、アイヌであることを誇りに思うB君……
A君は体格や性格に問題があるような人ではない。アイヌでなければまずイジメなんて受けていなかったと思う。
また、B君が不良グループに属していなければA君と同様にアイヌであるためにイジメられていたかもしれない。
アイヌ差別が存在しないのならば、このイジメもなかったことになるけど、
俺はA君イジメに加担していたことは覚えているし、一生忘れることはないと思う。
どう考えてるか話しあう担任との面談で
担任自身は俺に対してこのままではそんな良い大学には行けないだろうと考えてる事と
副担任は俺はこれから成績も伸びて良い大学に行けると考えていると言う事を聞かされた
担任曰く俺のことを「化けるよー」って副担任は言ってたらしい
その後なんとなく夏が過ぎ冬が来て受験の季節になって
パッとしない大学に入学が決まった。つか決めた
担任の言う通りだった。
担任の言う通りになったからこそ
副担任の言ってたらしいその言葉がその大学に入学決めた後で何度も頭によぎった
3年間その副担任と関係のあるクラスだったけどまともに話した事もなかったのに
自分に期待していてくれていた?って思うとなんとも言えない気分になった
それは大学に入学しても1年間くらいはその言葉が何度もよぎって後ろめたい気持ちしかなかった
副担任のあの言葉でずっとずっと後ろめたく、劣等感を覚えまくってた。
さすがに2年からは忘れてのうのうと遊んだりすることが出来るようになった
しかし今まさに今、就職も決めてない、なんか後ろめたい気持ちとシンクロしてか
さっきシャワー浴びてる時目を閉じるとあの面談の時、担任が喋ってる画が浮かんできた
いよいよやばい。いろいろ後ろめたさMAXで追い詰められてる!
単に自分が行動起こせばいいだけなのに
それでこの気持ちは解消されるだろうってのは分るのに行動に移せない自分が嫌い
なんだこのデフレスパイラル