はてなキーワード: 兼業農家とは
米作の農業の倒産・休廃業解散件数が過去最多だなんだ言ってるけど、別に不思議な話は全然ない。
うちの実家付近は米作農家が多いんだが、それも過去の話。多かっただ。
二十数件あった中で続けてるのは2件とか。
やめたのは兼業農家の方々で、もともと持っている田んぼも少ないわけなんだが、
やめる時はその2件のどっちかにお願いすることになる。
数年前までは4件だったのが、2件やめて残り2件になった。
そのうち1件も、もうそんな長いこと続けられないという話である(ご年齢だったり跡継ぎだったり)
やめたらもう一軒の方に田んぼを任せることになるのだが、
受け入れ側は先んじて準備を始めるみたいな感じ。
そんなのは全国どこでもそうなっている。
だから大きい農家といっても、今続けているのは基本大きいのよ。どこも。
今続けている米農家さんは、昔から考えたら信じられない規模よ。
5倍10倍当たり前。
とっくに兼業じゃできない規模。
新潟へ新幹線で行ったことある人は見たことあるかもしれないが、
あの広大な田んぼは、実は引くぐらい少人数で支えられているのだ。
そして、東京一極集中で、どいつもこいつも東京に行きたがるので(アメリカならわかるけどなぁ)、
地方だと『本当は○○出来る人が欲しいけど、いないから渋々妥協で』ってのが起こる
そういう環境下だと、自分より強い人がいないって結構起きるのよね
あと地方だと、兼業農家はしていなくても、親族や地域のあれやこれやに比重を置いている人の割合もそこそこ高い
なので、ぜんぜんバチバチしておらず、胃の痛くなるような根回し・交渉をしないでも、なんかサクサク話が通るみたいなのがベンチャーじゃなくてもあったりする
首都圏や大阪・愛知(のメーカー傘下)・福岡あたりでは想像もつかないだろうけど、地方では頭が悪いと下記の勘違いが余裕で可能なんですよね
そうだった、自分は頭が悪かったのだ。アホなので自分が頭が悪いことを忘れてた。自分が最底辺だと思って仕組みを考えよう
メンバー『できません』『わかりません』
は?
もちろん、それもある
バリバリ働いて単価落としたくないのである。プレッシャーが上から掛かれば省エネモード解除します
ただ、プレッシャーが上から掛かれば省エネモード解除します以外の人もいる
他に人材がいないから仕方なく渋々妥協でワイをそのポジションに据えたように、
他に仕事がいないから仕方なく渋々妥協でこの仕事を選んだ極端に向いない人もいるのである
向いてはいないが、選んだ仕事は真面目にやろうという気持ちがあるのは見て取れる。向いてないけど
正直に言えば『いいえ』。でもそれぞれに生活はあり、生活にはお賃金がいる
必要そうな仕事でもなぜかいる、極端に向いない人、あるいは極端にお疲れモードな人。フォローだけで終わるわ
人事権ないのにあの案件であの利益と有給消化率だった人、マジで化け物やったな
【悲報】イントラ上の手続きもロクにできない。VPN落ちた時のやり取りにすら四苦八苦する
本当、英語面接って大事ですね。どのポジションでも絶対英語面接した方がいいですよ(白目)
そうだよな、海外拠点も踏まえた設計にしないとダメだよな。会議も打ち合わせもあるよな
言われました
自己紹介ですね(白目)
自分の幼少期を思い返してみると、父母双方の祖父母宅からの援助が豊富だった。
父方は元商家、母方は現役の兼業農家で、いずれも相応の資産を有していた。
経済的な(=お金)援助はもちろん、米や野菜をたくさんいただくというかたちでの援助も少なくなかった。
祖父母の持つ土地や空家の1つを譲り受ける…というかたちで住居がまかなわれ、住宅ローンの負担もなかったようだ。
祖父母宅にどれだけの余裕があったのか、なかったのかまではわからないが、父の稼ぎ(当時は女性は専業主婦が普通の時代)に加えて、それら援助があれば、裕福というかはさておき、平均以上の暮らしはできたし、子供心にも「うちは貧乏…」などと感じることもなかった。
私のこれは恵まれているほうなのかな。
私は田舎の生まれ育ちだからか、周りの同級生たちもこのパターンがほとんどで、まさに「総中流」だった記憶がある。
ただ、逆に言えばこれらの援助なくしてはまず成り立ち得なかったことであり、そのような親族間の関係性も希薄な現代においては、子育てなんてよほどの金を稼いでいない限りはいよいよ本当に無理ゲーなのかなーとも思う。
例えば IT リテラシーの場合は、IT リテラシーの低い親が子に与える情報のコントロールをすることができない。よって全面的に禁止するか野放しのどちらかになる。
同時に、倫理リテラシーと教育リテラシーも無いと何を制限して何を放念していいかの分別がつかない。また情操リテラシーが低い親は「全てコントロールすれば解決」というブス親ムーブに行き着く。
国語能力が低い親(片方だけ低いなんてことはだいたいなくて、親同士の知能レベルは大体一緒になっているもの。これも仮説だが。)は、その人達の会話が論理的な情報交換で成り立っているのではなくて、感情表現の応酬で成り立っている可能性がたかい。
あくまで可能性といっているのは、理解度を外から解釈しづらいから。論理的な表現が双方でなされている場合は第三者から観察可能だが、そこから外れていくと観察不可能になっていく。客観的に判定できない非言語のコミュニケーションによっていくのだから当然である。
そのコミュニケーションを正とみなして、その両親の子は育つ。最も身近な手本が両親なのだから当然である。
手本をもとに、手本より良い結果を出すことは難しい。学校での国語の成績はどうだろうか。母親が感情表現のみでコミュニケーションしていないだろうか。論理的なコミュニケーションを見せているだろうか。
論理的に通じる国語表現がなされた口述で、コミュニケーションがなされているのであれば、子もそれに沿った表現がなされるものである。
ある親子がいた。母親、娘(5)、息子 (4) という構成で娘は言葉が達者だった。息子もしゃべれはするがいくらか問題があるように思えた。
というのも、息子は「ん〜!!」とか唸り声と怒りの表情でコミュニケーションをしていたからだ。
そして母親は察しがよくやってほしいことを汲み取り、行動してフィードバックを与えていた。
当然のように息子は誰に対しても「ん〜!!」という唸り声で他人に迫り、動いてくれない相手が大半なのだからより一層鬱陶しい行動である「泣く」に進化させる。だいたいの大人は息子を疎ましい印象を持つ。
親のコミュニケーション能力が子のコミュニケーション能力を最低限に止めた良い事例だと思う。
ある家族がいた。父親は田舎出身で言語能力が低く表現が稚拙なうえ、暴言が多い。母親は東京出身だが事なかれ主義でわかってないことでも「はいはいわかったわかった」と話を終わらせがち。
この二人は端から見ていると会話が成立していない。が日々の営みにコミュニケーションを必要としない。共働きで経済的には独立しているし、兼業農家なので食料の備蓄や買い出しも雑で構わない。ミスコミュニケーションが起こっても問題が顕在化しにくく、修正もなされないためずっとその調子なのである。
この家庭で育った3人は当然のようにコミュニケーション能力が低かったが、進学先や受験勉強で常人並のコミュニケーション能力を獲得するに至った。
どちらの視点の方が楽しいだろうか。どちらの視点のほうがよりチャレンジするだろうか。
怒られてばかりいる子は当然チャレンジしなくなる。怒られて終わったイベントは二度とそのイベントを行いたくなくなる。学習とはそういうもので、どういう「結末」だったかで記憶は締められる。
良い結末ばかりで構成された世界はやさしく映るだろう。嫌な結末ばかりの世界は絶望にあふれるだろう。
ある親子が居た。母親が娘に対してよく叱っているシーンに出くわす。黙って涙をながし立ちつくす。感情的な母親は怒りがおさまるまで立たせておき、そして無視する。
母親は謝ってくるのを待っているのである。娘が「察する」まで何もフィードバックしない。
原因は、料理のお手伝いをすべく生卵をボールでわろうとしが、手を滑らせて生卵をラグの上に落とし、黄身でシミを作ってしまったことだった。4歳の子供なのだから手を滑らせることくらいするだろう。子育て環境でシミを作らないほうが無茶だ。子育て帰還中は可能な限り洗濯して良い製品で揃えておくものだ。
そうでないなら、ただのエゴだ。ノーヘルで自転車に乗せるようなもの。10cm ヒールを履いて子を抱えるようなもの。エゴを満たすだけのリターンを天秤にかけてリスクを取りに行ってるのだから覚悟して然るべきである。
話を戻す。娘にとっては生卵を割って叱られて終わったイベントだ。この調子で様々なイベントが怒られて終わっていく。かんたんなことさえビクビクしてやりたがらない、何でも避ける子の出来上がりだ。
生卵を落とし泣いてる娘に声をかけ、何が起こったかを聞いている。生卵を落として怒られたと言っている。これではまずいともう一度卵を割らせる。失敗して卵の殻の大半をボールに入れてしまう。
殻が入ってしまったことでグズりだすが、殻を除けば良いことを教える。
さらにもう一個の卵を割らせる。今度は小さな殻だけが入った程度だ。上手くいったねと伝える。
よくできたね、成功だねと伝える。
これについては成功エンドに寄せて終わらせることができたが、彼女にとってのイベントは大半失敗エンドだろう。この積み重ねで世界はどう見えるのか。
もっと色々あったけどなんか長文書いてスッキリしたかったんです。読んでくれてありがとう。
言うて俺の親は低スペックでかなりしんどい思いしてきたし、心肺機能系の一部に問題あるし大腸がんと緑内障の家系だけど、まぁ五体満足だしいいかなって思っている。子供の当時はクズ親だって思ってたし当時は恨んでたし、今でもそう思うところあるけど、おとなになって触れたもっとやばい家や親に比べたらまだマシだったなって。
家事分担は夫6あたい4ぐらい。
料理に関しては新婚の頃から平日の飯は夫、週末の飯はあたい、と分担してる。
で、グチなんだけど
夫が同じものばかり作る。
・カレー
・ポトフ
・肉じゃが
だいたいコレ。副菜は冷凍のブロッコリーorほうれん草を解凍しただけのもの(あたいは調味料をかけるが夫はそのまま食う。)
米は玄米。
でも5年間平日の飯がずっとコレなんだ。
月 ポトフ
火 カレー
水 カレー
木 肉じゃが
金 肉じゃが
だいたいこう。ポトフ→カレー、のリメイクが鉄板で、週の初めにポトフが出たらカレーは確定。カレーは2日から4日続く。
カレーなんか多くても週一回、月一でも十分だ。なのに毎週2日はカレー。しかも具材は固定で鶏肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。
卵を乗せたり、買ってきたトンカツを乗せたり、ソースをかけたり、ファミチキ乗せたりとあたいなりの工夫はしながら食べてきた。
でも飽きた。
飽きたんだよ。
夫婦で料理教室に行ったり、週末は一緒に料理したりしてみてるけど改善は見られない。
冷蔵庫にいろんな野菜があるのが嫌なんだと(夫曰く、管理が面倒、調理法が一つ一つ異なるのが面倒、買い物が嫌いetcらしい)
カレーは好きだし、同じメニューが続いても(夫は)苦じゃないから変えるつもりはないそうだ。
料理の味は可もなく不可もない普通レベルだけど、卓上調味料を一切使わないし(冷奴もそのまま食べる)、毎日食パンをそのまま食べてるし、軽い味覚障害でもあるんじゃないかと疑う。
夫の両親は共に激務で子供の頃は放置気味だったらしいから、そのせいで食に関心がないのかもしれない。
家事分担は妻6俺4ぐらい。
料理に関しては新婚の頃から平日の飯は妻、週末の飯は俺、と分担してる。
で、グチなんだけど
妻が同じものばかり作る。
・カレー
・ポトフ
・肉じゃが
だいたいコレ。副菜は冷凍のブロッコリーorほうれん草を解凍しただけのもの(俺は調味料をかけるが妻はそのまま食う。)
米は玄米。
でも5年間平日の飯がずっとコレなんだ。
月 ポトフ
火 カレー
水 カレー
木 肉じゃが
金 肉じゃが
だいたいこう。ポトフ→カレー、のリメイクが鉄板で、週の初めにポトフが出たらカレーは確定。カレーは2日から4日続く。
カレーなんか多くても週一回、月一でも十分だ。なのに毎週2日はカレー。しかも具材は固定で鶏肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。
卵を乗せたり、買ってきたトンカツを乗せたり、ソースをかけたり、ファミチキ乗せたりと俺なりの工夫はしながら食べてきた。
でも飽きた。
飽きたんだよ。
夫婦で料理教室に行ったり、週末は一緒に料理したりしてみてるけど改善は見られない。
冷蔵庫にいろんな野菜があるのが嫌なんだと(妻曰く、管理が面倒、調理法が一つ一つ異なるのが面倒、買い物が嫌いetcらしい)
カレーは好きだし、同じメニューが続いても(妻は)苦じゃないから変えるつもりはないそうだ。
料理の味は可もなく不可もない普通レベルだけど、卓上調味料を一切使わないし(冷奴もそのまま食べる)、毎日食パンをそのまま食べてるし、軽い味覚障害でもあるんじゃないかと疑う。
妻の両親は共に激務で子供の頃は放置気味だったらしいから、そのせいで食に関心がないのかもしれない。
生まれた家は、田舎の平凡な兼業農家。贅沢させてもらったことはないが食うに困らず貧しくはなかった。
父母は健康で温厚。人間的に真っ当。祖父は放蕩者だったが祖母がよくできた人で、家庭内でパワーバランスが取れており、人の良し悪しが理解できる環境だった。これは幸運だった。
人間関係にも恵まれた。いじめられたこともない。これも幸運だった。
いや、苛烈ないじりが1年ぐらい常態化した時期が小学生のころにあったからあれはいじめ認定できるかもしれない。そこで屈しなかったのは幸運だった。
進学もさして勉強せずとも上位の学校が選択出来た。これも幸運だった。
大学は好きなことを専攻できる学校を選べた。実家から通え、国公立で金もかからない。幸運だった。
容姿は平均よりやや高めの身長にやせ型。顔は平凡。幸運だった。
中高大と彼女もいて楽しく過ごせた。みないい人でいろいろと人との関係を学ばせてもらった。幸運だった。
運動も走れば平均より速く、球技はそつなくこなせた。幸運だった。
あの頃は努力できるような人間ではなく、レベルに全くついていけなかった。そういう環境に身を置く経験ができたことが幸運だったと言える。
中退し、応募するだけで入れる大手の人材派遣会社に入った。仕事がすぐ見つかったことはとても幸運だった。
これを機に上京した。田舎しか知らなかったが、世界が広がった。何も知らない人間であることを知った。幸運だった。
仕事は自分の能力以上のものが求められたが、学ぶことで何とかカバーでき、評価された。何とかなる範疇で幸運だった。
このころの私生活はとても良いとは言えないものだった。基本的に無趣味なので、ネットで暇つぶす以外にやることがなかった。
主にネットでの配信系に入り浸っていた。ずっとずっと入り浸っていた。
そこで知り合った人と、なんだかんだあって結婚した。とても幸運だった。本当に幸運だった。
結婚できるとは思っていなかった。
そこから何社か転職しながら経験を積み、収入を増やした。転職は成功した。これも幸運だった。
たまたまニッチな業界に派遣され、そこでの知識から業界の会社を渡り歩き、業界大手に入ることができた。
改正案見た限りでの話
・300万以下の売上の事業が本業であれば関係なし、あくまでも副業の場合の話
・事業所得でも雑所得でも売り上げから経費を引いて所得とするところは変わらないので、その計算はしないといけない
→青色申告控除(10万円or55万円or65万円)という実質経費みたいなものが使えなくなるので、経費が減る
→少額減価償却の特例(本来何年間かに渡って経費とすべき資産をいっぺんに経費にする制度)も使えないので、経費が減る
→専従者給与(事業を手伝ってもらってる家族への給与)が経費にできないので、経費が減る
→「私用のものを経費扱いする」のは、これだけでは防げない(そもそも脱税)、経費を突っ込みすぎて赤字にして税金返してもらう、は防げる
・事業の赤字と給与や不動産の黒字は相殺ができるので、事業を赤字にして給与や不動産にかかる税金を返してもらうケースがあった
→雑所得になると給与や不動産と相殺できないので、赤字になってもゼロとみなされ税金を返してもらえない
→給与もらってる人が不動産で赤字になった場合は今まで通り相殺可能、売上300万超えてて事業扱いの人ももちろん今まで通り相殺可能
→インボイス制度で課税事業者になる人は売上300万切ってても消費税払ってね
・兼業農家、ブコメでは農業関係ないよって書いてる人いるけど農業も事業所得なので読んでる限りでは対象と思う
→農業、機械が高すぎて経費が嵩むし野菜とか全然高く売れないので働きながらやってる人たちはほとんど赤字で申告出してるので、これがそのまま通ると税金返ってこなくなる
本州のどこか
兼業農家の息子
anond:20210921082503とそのブコメに共感しないので
田植え、草取り、稲刈り等、作業に出た日は日当(8000~12000円)が出る
できた米は現金で生産組合から購入(8月に何俵買うか注文する)
1人でやりたい変わり者(ケチが多い)、
地区ごとに散布スケジュールは決まっており、洗濯や窓を開けないよう注意を促すため、全戸に配られる
共同所有だと融通が利かなくなる
この辺が理解不能
今のラジコンが壊れたら次はドローンになるかもしれないが、ぶっちゃけどっちでもいい
軽トラに自動運転つけてボタン一つで家まで帰られたら困る、歩いて帰りたくない
そんな事より、苗の積み込みをどうにかしてくれ
研究レベルでしょ、各地の複数の田んぼでやってないの?バカなの?
水門の管理なんてニュースバリューないけど、昔からあるし導入も進んでる
数年前まで電卓叩いて紙に書いてたが、事務作業のシステム化の営業が田舎でもボチボチ来る
農家の省力化はめちゃくちゃ進んでるんだよ
ふた昔前ならコンバインからトラックに米を移すのも30kgの袋を人間が運んでたが、そんな風景は消え、
どこ行ってもコンバインからトラックに直接入れるのが当たり前になった
運転免許を持ってるので、三輪車に乗ったり一輪車を押す年寄りもほとんど見かけなくなった
機械化と自動化を分けたがるのは外野の人間で、省力化と価格こそが命
鳥獣害対策と河川の管理はマンパワーが必要で、地区住民の協力が欠かせない
住民の手から離れた農業に協力する義理もないし、営利事業者だと最低限しか行政も頼れなくなる
旦那本業:500万、妻パート:100万、田んぼ:200万でそれなりに豊かな暮らしができる
製造業は何千、何万、稲作は40回のネタ元は経産省の役人の人類はまだ2000回しか作ってない発言だと思う
20年前の俺の話だから、父親の時代だと50年前くらいの話だぞ
流石にここで躓くのは読解力乏しすぎるし、そういう人の言う「家事は女の仕事」とか信用できないでしょ
自分の父親は仕事人と言うか研究職で、家に帰ってくることも普通の会社員と違って多くなかった
その代わり土日や夏休みは結構長期でとれて、今で言うリモートワークが主体だったと思う
専業主婦の母親は他のママ達に影響されたのか、幼稚園の頃から自分に
「父親はいつも家でだらだらしてる、部屋が散らかってる」と吹き込んでいた
母親の価値観では外で飲んで遊んでついでに稼いでる、みたいな見方だったんだろう
当時は研究職は「会社に属して無い社会的信用の少ない人」みたいに見られていて、マンションも借りれないところが多かったと聞いた
自分も幼稚園児であっても馬鹿ではなかったので、散らかってる部屋の書類が仕事関係だという事も知っていたし
当時から母親に不信感は溜まっていた。父は農村出身だったので皿洗いや家事は結構手伝う方だった(兼業農家で育った人が多いので、野菜を洗ったり食器を洗ったりは一緒にする文化が多い)
自分は父親が大変な事は知っていたので、父がお金を稼ぎ、母はそれで子育てをしている、という認識だった
なので結構父親に負担が溜まってるなぁ、と子供心に思っていた。育ててもらった事は感謝してるが、素直に母親というものを尊敬できない。
今の時代、皿洗いや家事は夫婦でやるもの、と言われている。ただ仕事や金銭を稼ぐことを夫婦でやるもの、と言う人は少ない。
今の子供を持ってる大人たちは「夫は家事を手伝う物」と長年刷り込まれているから特に疑問を持たずに手伝うけれど
子供たちの目線は純粋だ。毎晩遅くまで働き、家事も手伝う父親を見て子供はどう思うだろうか。
ちょっと調べた。
例えばオクラの場合、10a(1000㎡)で平均収穫量は3tぐらいだそうだ。(この数字は過大評価かもしれない)
2~7カ月ぐらいで収穫する。オクラは収穫期が長く、路地栽培でも3~4カ月獲れ続けるらしい。
市場の卸値でキロ単価で1000円ちょい(1.2kとか1.5kとか)、3tだと、3百万円超。まあ農協通すし、肥料やらなんやら経費もかかるからその額が利益ってわけではないが。
専業農家はもっと広い畑もってるだろうし、数か月はオクラ以外の何かもできる。
そう考えたら、結構生活は成り立つんじゃなかろうか、と。農家は持ち家だし、家族みんなが働き手だろうから。
オクラ生産量一位の指宿市のオクラ栽培面積は300ha(30000a)で約1000戸が栽培しているらしい(その全てがオクラメインかどうかは知らない)
ちょっと古いデータだけど、平成30年の総生産量が3,673.1tと、さっきの10aあたり3tと合ってないけど、ガチでやってないとこもあるとか、最近ちょっとオクラの収穫量増えてたりする影響かもしれない。あと、農協通してない分は含まれてないとかもあるかもしれない。
あくまで30aは平均なので、その何倍もやってるところもあるだろうし、オクラ以外にも色々育ててるところもあるだろう。色々よくわからない。
うちみたいに、自宅で食べる用として10数メートルの1畝しかオクラ育ててなくても収穫面倒なので、ガチ農家の人はほんとにすごいと思う。
トマトだったら、卸値がキロ単価で300~400円とか。1個あたり60~80円。スーパーに並ぶと、100円弱になる。
で、話は変わって捕捉だけど、大規模じゃない農家とかは、結構手広く商売してる。
知り合いのとある果実農家は、収穫体験もさせてるし(俗にいう○○狩り)、じぶんとこの果実使って加工食品とか作って通販してる。ジュースとかドライフルーツみたいなのとか。
別の知り合いは、一般家庭への販路作って、定期購入とかで直接野菜売ってたりする。
こだわって作ってて新鮮で美味しいし、その時期の旬のものが勝手に週一とか週二で届いたりするので、金銭的余裕のある家庭では喜ばれてるらしい。
結構高級なレストランとかにも営業かけて契約とってたりもするので漫画みたいだと思った。
それ以外でも他の農家が忙しい時に手伝って日当貰ったり、草刈とか庭師兼業してたり、小中規模農家さんは色々やってるから、そういうところを見たら食べていけてるの? って疑問は出るのは当然と思う。
前にも書いたけど、普段生活してて目につく農家というか畑って、土地持ちでお金に余裕はあるんだけど、惰性でやってるところも多いし。(生産緑地にしたら動かせないから)
先代が働けなくなったら、早期退職したり、ふらふらしてる親戚とか動員してなんとかやってる感じ。
ひいじいちゃんの頃は造園と兼業してたから、けっこうガチ目に野菜作ってたんだけど。
そんな感じです。オチはないしオナ○ラの話もしない。
■挨拶がコラァ!だったおじさんの話
私の地元は地方都市の都市部から1時間ほどかかる、まあそこそこの田舎町で、住宅地を少し外れると田んぼや放置された畑が広がっているような土地柄だった。田舎特有の濃い人間関係や噂話は大嫌いだったが、むせ返るほどの草木の緑や、稲穂が金色に輝いて風に揺れる様を見るのが好きだった。
私の実家周辺は1人の地主が土地を抱えており、そこの地主はコンクリートミキサー車の運転手と、稲作農家の兼業農家だった。父の古い知り合いで、安く土地を譲ってもらったと聞いた。丘の上で見晴らしの良い実家を家族は全員気に入っていて、仕事のことや人間関係の面倒ささえなければ、今でも私はその周辺の土地に家を建てたいくらいだ。
土地を買った時私はまだ幼かったので、地主のおじさんのことを、私は「タロのおじさん」と呼んでいた。タロというのは、地主の家で飼われている犬の名前である。このタロのおじさんというのが中々にファンキーな親父で、幼い頃から度肝を抜かれてきた。
まず、小学校からの帰り道、農道をぼんやりしながらひとりで帰っていると、後ろから「コラァ!!」と声がする。「コラァ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれない。「グォラアア!!」とか、そのくらいの勢いがあった。気がついたら後ろに馬鹿でかいコンクリートミキサー車があり(移動音に気づかなかった私も大概だが)、その窓から、タロのおじさんが強面でニヤついている。なおこれが彼の精一杯の笑顔である。いつも目は笑ってない。
「なんしよっとかぁああ!!帰りよっとかあ!!」
乗っていくかぁあ!と続いたので、私は大慌てで首をブンブン振って走って逃げた。
タロのおじさんは近所の至る所に出没した。しかし必ず声かけは大音量の「コラァ!!」だった。至極ビビりで大人しい性格だった私はその度に心臓を震え上がらせた。タロのおじさんは大抵、ミキサー車か軽トラかトラクターに乗っており、腰に鎌を携え、作業着か肌着に麦わら帽子をかぶっていた。考えてみてほしい。ビビリの小学生女子がそんな戦車に乗ったモンスターの様な佇まいの親父に毎度コラコラ言われるさまを。第一、何も悪いことなどしてないのに、何故コラから入るのだろう?普通、こんにちは、とかじゃないのか?と幼心に理不尽を感じ、タロのおじさんに会うとすぐ逃げまくっていた。
タロのおじさんは私の実家にも時々出没した。
気がつくと、大きな梯子と枝切り鋏を抱えてやってきて、庭木の剪定をしているのだ。
「庭木が伸びきっとるのが下の道から見えたけぇ切っちゃっとるぞ!!」
母と私はザクザクと切られていく庭木を唖然として眺めていた。帰ってきた父が、若干ハゲになった庭木と庭に散らばった切られた枝葉(ちなみに片付けはしない)を見て驚いている。
それから、父が頼んだわけでも、もちろん母が頼んだわけでもないのに、タロのおじさんは嵐のようにやってきて、勝手に剪定していった。今やったら住居不法侵入罪とかの結構重めの罪になるのでは?と思う。でもタロのおじさんは純粋に親切でやっていたのだと、今なら多少無理矢理だがわかる気がする。
そう、タロのおじさんは基本的にめちゃくちゃアクティブな善人だったのだ。
付近の山に害獣の猪がでれば罠を仕掛けて仕留めるし、子供を見れば怖がられても声をかけて様子を見ているし、隣の土地の雑草や田畑の世話をし、犬も猫も鶏も沢山飼って可愛がっていた。
あの土地のことが好きだったのだろうと思う。多分私も、その一部だったのだ。
今、私は母親として都市と言われる場所で暮らしていて、地域の人との関わりといえば本当に限定的なものでしかないし、そんなおせっかいすぎるほどおせっかいなおじさんやおばさんは居ない。上品で物腰の柔らかい、決して私たち家族に深入りをしない、好ましい距離のとりかたを分かっている人達ばかりだ。田舎者の私はその上品さにたじろぎながら、ここでの人との接し方を学んでいるところだ。
別にタロのおじさんみたいな人になりたいわけじゃないし、私の娘がタロのおじさんみたいな人に会って、「コラァ!」と声をかけられたら、絶対警察に連絡する。絶対にだ。
それでも、タロのおじさんのことが時々懐かしくなる。あの乱暴なおせっかいが懐かしくなる。
タロのおじさんは、マムシに3回噛まれて呆気なく死んでしまった。だから最期に会ったのは、初盆の遺影の前。天国でもミキサー車で乗りつけて、乱暴なおせっかいを焼いているのだろう。
また会う日まで、タロのおじさん。
親族の後期高齢者達が毎年恒例の餅つきを今年もすると言い出したから現在全力で止めてるところ。
「餅をつかんことにはねえ」
わかってる。気持ちは分かるんだが今年は餅つきを自粛して欲しいというか餅つき禁止令を出したい!
今年は餅つきをやめようと話したところ、上記内容ほぼ原文そのままに言われた。
庭先で餅をつき、土間のあるところで10人以上が集まって餅をこねる。
風通しは良い空間が人数的にはかなりの密。
三密どころじゃない。
年寄り女性達はマスク着用といえどおしゃべりに花を咲かせる。合間にはお茶を飲みながらつまみ食い。どうみてもマスク着用の意味を分かっていないと思われる。
おにぎりと味噌汁と漬け物。そしてつきたてのもち。日本酒も毎年出てる。無言で食べる……なんてことは100%ありえない。
食べる時も毎年同様だったら間違いなく三密な上に会食付きだ。
しかも餅つきを楽しみにしているのはほぼ後期高齢者軍団だ。毎年参加している親族の65歳以上を数えただけで少なくとも12人以上いる。脳疾患や血液疾患で入院したことがある親族も複数名いる。頼む!密になって餅をつくのはやめてくれ!
広島市内は現在日本の中でもトップクラスで新型コロナウィルスの感染が拡がっている。
こんな中で餅をつく必要性はあるのだろうか?
帰省自粛が叫ばれている中で、首都圏から幼児を連れて帰省してくる親族もいると聞いた。餅を着く家の直系親族には乳児と幼児もいる。私より少し年上の30代夫婦だが乳幼児を連れて餅つきに来るそうだ。
あの……今の現状わかってます?と本気で思う。
餅に罪はない。
餅を買って食べる。それでいいじゃないか。
後期高齢者の親族たちは「何かあったら(=新型コロナやインフルエンザの症状が出ても)あんたが医療従事者だから何とかなるだろう」とぬかす。年齢が近い親族も同様だ。
何ともならんわ!
今の勤務先の現状知ってる?
現在知ってて言うんか?!
何としてでも後期高齢者たちが集まる親族一同の餅つきを阻止したい。
最悪のケースを想定すると、記者会見では家庭内感染と言われるだろうが親族一同が餅つきクラスターになる可能性が捨てきれないんだ。年末の餅つきを恐怖に感じるのは私が疲れているからだろうか?
どうかこの記事を読んでくださった皆様の知恵を貸してほしい。
高齢者を中心とした餅つきクラスターは全国どこで起きてもおかしくないと私は考えている。
地域にどれくらい高齢者がいるか→町内会の8割が65歳以上の地域でその半分が後期高齢者
後期高齢者だらけの田舎で近くでクラスターも発生したことがある地域
どんな環境か→庭(屋外)で火を炊いてもち米を蒸す、蒸したもち米を土間(屋内)へ移動させる。屋外作業が5人前後、屋内作業が6畳位のスペースに65歳以上だけで10人以上は確実に集まる
食事会場→例年であれば隣の人との距離は密着状態。飛沫は間違えなく飛びまくる。作業しながら休憩中に鍋(味噌汁だったり豚汁だったり)を囲みながらおにぎりと汁物、漬け物等を食べる
餅をつくな!ではなく、親族一同10人以上が集まって餅つきをするのをやめようと提案中
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_hatakeyama/n/n5662ae20a1e9
上記の記事を見ながら思ったのだけど、これは高等教育を受けたものだけが富を得られるという構造がやはり大きい。
日本にもあるがアメリカは人種問題や教育制度の仕組みもあってより深刻になってる感じがする。
日本でもアメリカでも教育は誰でも平等に受けれることになっており、勤勉に努力したものだけが努力の結果の報酬として様々なメリットを受け取るのは資本主義的に正しい気はするし、インセンティブの管理としては妥当に思える。
この前提にたって「自分たちは勤勉であったから価値があるのだ。怠惰だったものはもっと頑張れ」という主張は一見正しい。
このような人は所得の高い職に就き、お金持ちになるし何よりわが子の教育に再投資する。ゆえに正のフィードバックが回り経済格差は固定化される。貧乏人は教育を受ける余裕もなければ教育が大事という教育すら受けてないのだ。魚の釣り方ではなく魚そのものが必要な状態では仕方がない。つまり「自分たちが勤勉」という前提は必ずしも真ではなく「勤勉でいる事が容易な環境に生まれた」という本人には管理できない部分によるところも相当に大きい。もちろん「貧乏でも努力して。。。」みたいな例外はいるが例外は例外である。その例外を受け入れる姿勢は良いことだと思うけど。成り上がるチャンスはあるが、成り上がるより引き継ぐ方がずっと簡単とう話。
これが財閥クラスの真の大金持ちだと100年後の安定を求めて社会全体の教育水準を上げることが地域の安定や経済的な富になると考え投資もするだろう。彼らは社会基盤が安定してればもはや稼げるのだ。ゆえに社会基盤を安定させることが経済的な基盤を保つための原則だ。
しかし年収数百万だの一千万だの数千万と言ってる程度の中流階級な小金持ちはそうではない。競争に勝たなければ経済基盤が安定しない。勤勉が価値の源泉だ。ゆえに自分たちの同僚のような勤勉な黒人の権利を守るために働きかけるが、怠惰な黒人がどうであろうと基本気にしない。勤勉でインセンティブが得られるという構造が自分たちの利益になるのでそこを守るために動いている。
つまり「黒人差別はしないが黒人も白人も貧困層(=怠惰な層)を差別する」。別に博愛主義者じゃないので勘違いしないでよね。
もちろん、そうでない人もいるがそれは単にその人の趣味だ。「人はパンによって生きるのではない」。そういった趣味とか信念とか信仰の結果でそういった行動をする人たちももちろんいるが、経済的なメリットとか即物的なものじゃないので万人の行動原理にはなりづらいだろう。
自分は所謂がり勉でもないし、受験戦争とは無縁で家族からも過度に勉強を強いられたことはないが、塾にも通わせてもらったし大学にも行くことができた。
父は時折「お前は次男だから財産として渡せるのは教育だけだ」という事を言っていた。田舎の兼業農家なので継ぐといっても大層なものは何も無いのだけど、少なくとも人材的投資の価値を信じていた言葉だと思う。
まあ、母は学校の教師だし、父も大学ではないが農業の専門学校を出たようなので当時の地元としては高等教育を受けていた可能性は高く、そのサイクルを肌身として知っていたのではないかろうか。そんな話をしたことはないが。
いずれにしても、この状況から自分の価値感はかなり小金持ちよりだろう。実際、仕事してれば生きてける程度にはお金に困っていない。そういう感じで恩恵を受けている側なので50年、100年の未来に問題が噴出するだろうが積極的に改善するモチベーションが無いのも本当のところだ。人種によらず努力が実る環境は目指すが、努力しなくても何とかなる社会をそこまで目指してはいない。
現在の格差拡大は貴族と平民、大富豪と奴隷、そういった近代的な価値観とは違いあえて言えば平民同士の格差の拡大だ。そういった点が今回のアメリカ大統領選でも見えた気がする
大富豪は別なレイヤーに存在していて、どちらかとうとそちらの方が自分たちのメリットのために平等や底上げを目指していると思う。
構造的に政治の中枢というのはエリート、つまりここでいう金持ちが集まりやすいので抜本的な改善はクーデーターでも起こらない限り難しいのではないかな。。。
すでに富の再分配として日本でもアメリカでも高収入の人間は税金をバカすか取られてるわけだし。たしか日本だと少なくとも年収が年収890万円は無いと払った以上の公共サービスを受けてることになるみたいだし。まあ、実際は消費の担い手としての価値もあるから社会のお荷物というのは言い過ぎだけど。
これを程度レベルじゃなく根本的に変えるにはそれこそ社会主義的なドラスティックな変更でもないと無理な気がするし、個人的にはそうはなってほしくないというのが本音である。