はてなキーワード: シェフとは
歯医者っていってもそれぞれに得意分野が違うんです。
まずは自分が何で悩んでるかを具体的にしたほうがいいと思います。
虫歯で痛いのか、歯周病で腫れてるのか、予防がしたいのか、義歯を作りたいのか。
標榜できるのは矯正歯科、小児歯科、口腔外科だけど、それ以外の一般の治療でも、歯内治療、義歯、歯周病など、歯科は歯科なりに分野が分かれてるんです。
だから、「歯医者なんだから、虫歯と入れ歯は誰でもできるだろ」って思ってるかも知れないですけど、矯正や小児、口腔外科専門の先生なんて、入れ歯は開業してからやるようになったなんて人は結構多いんです。
当然、それぞれの歯科医院のホームページでは、「何でも対応します」的なことが書かれますが、最近は得意分野を明確にしているところもあります。
もし、院長のプロフィールがわかるなら、大学病院くらいまでなら専門分野をたどることができます。○○大学○○講座とか、○○大学病院○○科ってあれば、それを調べれば治療分野が書いてあります。
自分の得意分野の治療は、治療方法の引き出しも多いから、説明もたくさんできるし、治療経験も豊富。
悩みが明確なら、まずはそういうところからあたってみるのもひとつの方法だと思います。
あと、かかるなら、平日昼間の予約をしてから。電話で症状を聞かれたらある程度は答えること。(他の歯科医院でこういう治療をしているが、途中になっているでもいい。)
平日の5時頃からや、土日は、どの歯科医院も時間が無い。ランチタイムにシェフを呼んで、ディナータイムに注文する料理の説明をさせるようなものです。少なくとも最初だけは平日昼間にかかるべし。
そしたら予約の時間少し前にちゃんといって、常識的な待ち時間でみてもらえるかはちゃんと見極めた方がいいと思います。
院長またはそれなりの歯科医師が話しを聞いてくれること、検査後に治療内容の説明があること。(今の症状に対する治療の説明、その後の別の部位の治療が必要かどうか)
そこで話を聞いて、納得できたら通ってみたらいいと思います。歯科治療が一回で終わることはほぼないので、話が合わない、話がわからない歯医者に通うことはないです。
(でも、予約を取って、あとから通院をやめるときは、断りの電話だけは早めに入れてあげてください。「仕事(学校)の予定が入ったから、次の予約はこちらからします。」でよいので。
あなたがあけてくれた時間に、痛みで寝られなかった患者が救われるかもしれません。)
何軒も回って、どこも納得できなかったら、自分の症状が思っているより悪い(または良い)のかもしれませんので、あしからず。
毎回待たされるところはやっぱりダメですね。歯医者が、治療計画をちゃんと立ててれば、急患や、症状の変化が大きい患者が立て続けに来ない限り、そんなに予想外の時間はかからないはずです。(そういう日もたまにあるけど)
いつも待たせるところは、慢性的なキャパオーバーだと思います。
あと、休日や夜にやってる医院や、一等地のビルの一階や、商業施設のテナントなどの医院は経費が多くかかってるので、何かにコストが転嫁されてると思った方がいいです。
保険点数は全国昼も夜も一緒。でも、人件費は土日、夜間のほうがかかるし、家賃は良い場所ほど高い。銀座のコーヒーは田舎の喫茶店より高くできるけど、歯科治療(保険診療)は一定。
だから、患者一人あたりの時間を短くする、待たせる前提で予約を詰めて入れる、自費中心の診療を行うなど、何かをしなければ成り立たないです。人手、良い場所の取り合いは単純な経済。
(自費診療は悪いわけではない。むしろ、材料の性質ではどうしても自費が優れている。)
お金の話のついでに。
いろいろな試算があるけど、歯を1本失うことの経済的な損失は数十万円以上らしいです。仮に1本30万円の価値(安めのインプラント)があるとして、28本で840万円。
昨日夜ほっと一息、
縄のれんをくぐって
パスタでもキメて帰ろうかなと思ったの。
私がいつもこだわってる慣れない人だととうてい食べたいメニューにたどり着けないでお馴染みの見掛けだけがグラフィカルに輝いてる食券機、
冷やしパスタを頼もうと思ったの!
そしたら時すでにパスタ!
いや違う違う、違うそうじゃない!
時すでに遅し、
あーあ、冷やしパスタ大盛り2玉キメようと思ってただけになぁ。
なんかもう冷やしパスタの口になってるだけに
それはそれで美味しいんだけど
ちょっとショックを隠しきれないわ。
一応、
食券機は売り切れと見せかけて大将に言ったら冷やしパスタあるよのパターンも諦めきれなかったから、
私思わず聞いちゃったの!
大盛り2玉でね!!!
うーん。
たまにはそういう時もあるわよね、
でも温麺もあるなら、
きっとでもパスタ職人の大将がそれを許さなかったんでしょうね。
いつも用意周到なんだわ、
だからきっとここにはシェフの気まぐれパスタランチなんてメニューがないのよね。
そう思った昨日の夜、
今日は、いや
そうお星様に願うわ!
キラーン!
あ!流れ星!
もう流れ星って言ってしまってる矢先に流れ星ちゅうえいの一発ギャグを思い出して笑っちゃったわ!
なんて。
うふふ。
こないだ食べてリピしたかったゆで玉子レタスサンドが置いてあってすかさずゲットよ!
最高!
難消化性デキストリン入りと
それが入ってない分とで作り分けておいて置く冷蔵庫のスペースがないわ!
週末は大掃除、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
前回の近況報告から、ネットの情報を参考に「色と辛味を抜いた自作カレー粉」を調合し、それをガラムマサラとして使ってみたりした。
しかし、とうとう
「このレシピで本当に美味しくなるのか?」
という疑問を持つに至ってしまった。
そもそもこのレシピは、ガラムマサラやカレーパウダーの他にも、様々な調味料等を隠し味として使っている。
しかし…レシピの目玉であるガラムマサラの分量(4人分の鍋に小さじ2)以外、全て適量という、今思えば超上級者向け内容なのだ!
で、それを読んでるお前はどこの店でシェフやってるの?って話になるわけだ。
つまり、駆け出しの魔術師見習いが上級魔導師向けの本を読んで自爆している可能性を、ここに来てようやく考慮に入れ始めたと。
1年も延々作っていておせーよって感じ。
そこで、このレシピの具体的情報を探し回り、先日ようやく別ルートから、ごく普通のレシピ並に細かく分量が書かれた版を入手した。
レシピを読んでみて驚いた。
隠し味のうち、牛乳が大さじ1、その他の調味料が小さじ1と微妙な効かせ方に収まっているのに、デミグラスソースが大さじ2って、それもう隠し味じゃねーし。
確かにコクと旨味の強化には最高のソースだ。何しろプロがガチで作ったら一週間延々炊き込むんだから、味の濃さは半端ではない。
したがって入れれば入れるほど美味しくはなるのだが、反面この味が突出すると「ハヤシライス風カレーライス」みたくなってしまう。
そこで、カレーパウダーとガラムマサラ(各小さじ2)を乾煎りして加えることでカレーの香りも増強して「ハヤシ臭」を打ち消し、自然な形で旨味を取り込むと、そういうことだったのだ。
しかもカレーパウダーだけだと完全に欧州風カレーになってしまうので、ガラムマサラでインド系エスニック風味をブレンドし、ハイブリッド的オンリーワンを目指したと。
よく考え抜かれた、恐るべきレシピだ。
さて、そのようにして作られたカレーの味だが…普通のカレーでありながら、びっくりするほど大人のカレーだった。
単調でない旨味、程よいコク、爽やかな後味、余韻を引く辛み、それらが上品にまとまっているのは、まさに大人の風格。
なおカレールーは例の「リンゴとハチミツ」を押し出した、日本一売れていると言われ、ともすると子供向けとも揶揄される、まあ「よくあるカレー」の素である。
それを踏まえると、「子供向け」「よくある」感がどこにも残っていない、もはや換骨奪胎と言っていい仕上がりぶりには驚嘆するしかない。
この仕上がりに、ニンニクを炒めて香りを移した油や、バターでじっくり炒めた飴色タマネギ、インスタントコーヒー等が一役買っていることは容易に想像がつく。
即ち、ルーと野菜肉以外の材料がその力を総結集した結果だろう。
このレシピはそんな偉業を実現していたのだ。
ちなみにガラムマサラは、一番最初に使い、その辛さにひっくり返ったメーカーのものについて、唐辛子を抜き、黒胡椒の量を大幅に減らしたものを「辛みスパイス」ならぬ「香りスパイス」として売っていたのを使ってみた。
最初のは確かに辛かったが、香りそのものは結構好きだったから。
結果、とても上品な風味を活用できたので、今後はこれ指名で行く予定。
カレーパウダーはフェンネルとフェヌグリークが配合された「よくわかってる」メーカーの製品を採用。これまた大人っぽい仕上がりに大活躍である。
最後に、ビーフカレーのレシピということなので、肝心の牛肉の部位について。
カレーだと、中落ちロースもしくは中落ちカルビ、俗にゲタと呼ばれる、肋骨の間の肉が最高に美味しい事に気付いた。
骨が近いので、肉の味が超濃厚なのである。
とはいえオーストラリア産なので大して脂身のない代物を使っているが、些細なことだったり。
これをカベルネ・ソーヴィニヨンを使った赤ワインに一晩漬け込み、更に鍋で炒める前にコニャックを振りかけることで、口に入れるとほのかにブドウの風味を伴った旨味が踊り出して、なんとも愉快なひとときになる。
まあ中々売ってないので、その時はオーストラリア産のサーロインステーキをぶつ切りにして使うかも。
みんなあのトルコの塩ふりシェフの真似してるから笑っちゃうわ。
とか言って私も真似してトルコの塩ふりシェフの真似しちゃうわ。
誰も見てないときだけどね!
うふ。
今までさ猛者をもうじゃって読んでて
知らなかったわ。
でももさのもうじゃ感は異常よね。
読めなくて文字の意味でなんとなくそういう感じかなって理解して黙読読み進めるじゃない。
読めてないのに読み進めてるって
読めなくても読めるってそんなの日本語だけよねきっと。
うふふ。
炊き込みご飯してきたんだけど、
だからたまに食べるのが美味しいんだと思う。
2日目の方が香りが強く出てきて
なんかどこにもないからやってみたら当たるかもよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
色んなことが変わった。
取引先の態度が変わった。
知らない人が増えた。社員なのか来客なのか顔を見ただけではわからなくなった。
大きくなったところで良い待遇で鳴り物入りでやって来た人たちがいた。
刺激にはなる。
しかし今でも同士とは到底思えない。
安い給料で無名の会社でがむしゃらに居場所を作りながら、守って来た。
傾きかけた時もうダメかもしれないと思いながら必死に攻めながら耐えた。
どれも過去の話だと分かっている。
あの時必死になれた自分たちがいたから今があるという自負とプライド。
後からやってきた人たちはその頃の財を食いつぶしていく。
成果だけを刈り取り、用済みになれば無関心だ。
美味しそうな実を見つければ、自分の手元に置き、食べ終わったら見向きもしない。
見た目が不揃いなものにも興味はない。
綺麗に切り取られたその一瞬にだけしか価値がないと言わんばかりに。
手元に置いて成果が出なければ、平気で使えないと言う。
どんなに美味しくてもシェフがダメなら美味しく食べられないということを知らないんだろう。
自分の恥を晒していることにも気付かず、使えない、ただそれだけで片付ける。
仕事は好きだ。
近くで働く同僚も部下も上司も大切だ。
小生意気な部下もいるにはいるが、彼ら彼女らが数年後、数十年後、幸せに生きていくために一緒にどうしていくべきか真剣に向き合っているつもりだ。
疑心暗鬼になり、情報を隠したり、成果を独り占めしようとしたり、今までに感じなかった空気が流れてきている。
ここに掲載している国際信州学院大学の評判・偏差値・制服・部活などの情報は国際信州学院大学の公式サイト、口コミサイト等の情報をもとにまとめています。
「評判や偏差値のいい大学に入りたい。」「あの部活ができる大学に入りたい。」「あの大学の可愛い子と付き合いたい。」など。
大学選びで困っている人の助けになり、自分にあった大学をしっかり選んでいただけるのではないかと思っております!
今回は長野県にある大学の一つ、国際信州学院大学について紹介します!
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└フランス法学科
書道部 フラダンス部 民謡研究部 水槽学部 信州りんご研究会 りんご栽培同好会 相撲部 乗馬サークル 餃子研究会 写真部 釣り部 ボルドーワイン愛飲会 和式便器根絶サークル 伝統菓子研究会 カバディ同好会 テコンドー同好会 ソフトテニス同好会 キンボール同好会 フランスパン愛好会 LoveLive!研究会 スマホアプリ愛好会 コンピューター同好会
鉄道研究会 硬式野球部 混声合唱団 テロメアコサックヨシムラディアボロスコポオ同好会 ジャニヲタサークル インカレサークルCARP サッカーサークル 国信ねこ部 国際信州学院大学山吹千紘研究会 超自然研究会 DONKS国信大学自治連合 剣道愛好会 東方サークル
国際信州学院大学は学校の規模の割にサークルが多いと思います。
ただの理学部ですが、普通に日本語と英語とフランス語が話せます。
当学にも寮があり、日本人と留学生が共同生活をおくっています。
学食は、料理長が上高地帝国ホテルのシェフをした方とのことで、安くて美味しくて、ボリユーム満点です。私も朝7時半の朝食から始まり、21時までやっている夕食まで、1日3食を食べています。
大学生協では、図書やCD,DVDなどが定価の2割引きで買えますが、図書館に行けば、だいたいそろっていますから、趣味の本など以外は買ったことありません。
フランス語を学んで世界へ羽ばたきたい!という夢を叶えてくれる環境がとても備わっています。
その他にも色々な学部があるので公式サイトを参照にして見てみてください。
いかがでしたでしょうか。
今回は国際信州学院大学の評判や偏差値などについてご紹介しました。
たくさんある大学から自分にあった大学を探すのは非常に難しいですよね。いろいろな大学の評判や偏差値などを調べ、比較して、本当に自分が行きたいと思う大学を見つけましょう!
小さい頃に人に言った酷いことを今になっても覚えていて、大きくなって意味がわかってから反省することがいくつかある。
頭が禿げていて、髪の毛が両サイドにしか無い親戚のおじさんがいた。
多分3歳とか4歳とかそのくらいだったと思うけど、親戚一同で食事をした時わたしは彼のハゲ頭に釘付けになった。初めて見るヘアースタイルに興味津々だった。そしてわたしは彼に
『その頭、真ん中だけフライパンで焼いたの?』
と聞いた。どうやったらその髪型になるのか、当時のわたしが真剣に考えた結果がそれだった。でも自分でも、フライパンで髪の毛を焼くわけがないとは思っていた、他にそのヘアースタイルにする為の技術があるのだと思ったから、聞いた。
その時、場の空気がどうだったかは全く記憶にないが、確実に変な空気になっていたと思う。きっと彼は覚えているはずなので謝りたい。でももう彼とその奥さんは離婚してしまって、もう20年以上顔も合わせていない。
5歳くらいの時も、おばあちゃんに『顔にチョコレートついてるよ?』と言った。後々分かったけどそれはシミだった。傷ついたに違いない。おばあちゃんは笑いながら『シミだよ』と言ったけど、シミが何なのか分からなかった、シミがなぜ出来るのか知った頃に反省した。
保育園のお迎えに来てた友達のお母さんにも、『顔に塗ってるのきな粉?』と聞いた。きな粉だよ、と言われた。でも、きな粉を顔に塗るなんておかしいということは分かっていたので、きな粉なわけがない!と問い詰めてしまった。ファンデーションを何故付けるのか分かった頃にまた反省した。
名前と仕事とか情報を聞き出して、もし相手がフェイスブックのアカウント持っていれば
友達申請か、「今日撮ってもらった写真です!ありがとうございました」とかメッセージ送る方法があります。
そのとき自分のフェイスブックとかインスタのページは、見合いの釣書に相当する役目になるからここもがんばって(笑)
ただ初対面で、そこまで持っていくにはかなり高い営業力必要だし、不自然であざとくなる。
海外とか世界遺産の絶景での出会いならその日に連絡先交換までしておかないと2回目がないけど、
近くのレストランとかだと2回目3回目だと自然に「あ、以前お会いしましたよね!ここよく来るんですか?」と言える。
たとえば、レストランでも普通のレギュラー営業以外に、客員シェフコラボとか酒蔵コラボとかギターコンサートとか
いろんなイベントをやっていることが多い。
そんなイベントに何回も顔を出す常連さんは決まっているから、2回目3回目の出会いがある。
これも高級すぎると、テーブル同士が離れていて接近の機会がない。
たとえは悪いけど、釣りも一緒で、磯や海を味方につけ、船頭さんも味方につけると立派な魚が釣れる。
職場のイベントの2次会とかだともっといろいろハードルが低い。磯や海が互いに良く分かっているので。
がんばれ!
もちろんそういう趣味自体は否定しないから「アナルセックス特集号」とか「アナル専門作家」とかいうことでやっていくなら文句はない。
普段そういうの描かない作家がバリエーション出しましたみたいな顔でアナルセックス描くのはほんとむかつく。
そのぐらいにはジャンルが違うんだよ。
具体的に今何にむかついてるかというと
こんちきはずっとweb雑誌で面白くもない一般漫画描いてたのが終わって、
ようやくエロ漫画雑誌に帰ってきて、それに気付くのが遅れてアマゾンじゃ売り切れてたからたくさんwebショップ探してようやく3月号の在庫残ってるとこ見つけて入手して、それがギャグっぽくお茶を濁したアナルセックス漫画だった時のむかつきがわかるか?
俺はマジでむかついてんだぞ。
のびのび輝けるエロ漫画を休んで一般漫画に身を押し込んだ覚悟がぬるいわけはないよな。
それなのにあんなに誌面から伝わってくるほどのこなし仕事感を放射してたのは何故だったのか?
お前は照れてるんだよ。
いまだに本気の自分をぶつけることを恥ずかしがってる。
エロ漫画描いてる時より一般漫画描いてる時の方が照れが激しい。
だからことさらにテンプレルーチン感の強い展開やキャラ出しばっかり選んだ。
お前いつまでそんなことやってるんだ?
お前みたいに斜に構えてパンツ脱げないまま歳食った作家でろくなことになってる奴は居ないぞ。
「なんでもっと全力でやってみなかったんだ」っていう後悔を抱えてつまんない漫画描いてるだけのやつになる。
お前みたいに結構画力が有って器用な奴ほどテクに驕って自分を大事にし過ぎて恥ずかしがってそういう末路になるんだ。
ISUTOSHIとか新貝田鉄也郎とかみたいにな。エロ漫画ならかるま龍狼とかがお前に似てるよ。
かつて人より抜きん出た技術がありながら斜に構えるのがかっこいいと勘違いして
一度も全力でやれずにパッとした代表作もなくいつが全盛期だったのかもわからないまま老い果てて取り返しが付かなくなった奴等だ。
あいつは木尾士目やひぐちアサ等がかっこつけるのやめてパンツ脱いで大成したのを見習えないみたいだ。)
お前はまだあそこまでいってない。まだギリギリ間に合うだろ。
今パンツ脱がなかったらもうチャンスはないぞ。
危機感がないのかガッツが落ちてるのかしらないが、今が正念場だと思ってくれよ。
エロ漫画でまで照れのあるお茶濁し漫画描いてる場合じゃねえんだよ。
もっとお前が全力でエロいと思えるエロエロでも、恥ずかしいぐらいのラブラブでも、そういうの描いてみろよ。
もう一回一般やりたいなら一般でもいいけど、「こなしてまーす」みたいな言い訳のオーラ出すのもうやめろよ。
入れ込むのでも冷めるのでもなく、落ち着いて自分を見つめて、自分の中から出てくるものを恥ずかしがらずぶつけてくれよ。
あれが全力だったと認められるか?
お前が全力だったと自分を騙しても俺が認めねえよ。
いい加減「結構描けてるよな」っていう器用さや技術に逃げ込むのやめて、そこから飛び出してくれよ。
まだ全然間に合うぞ。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
スーパーとかでさ
買い物するじゃない。
で今晩は豚汁にしようって思って具材をかごに入れてレジ行くとき
うわこの人今晩豚汁なんだな!って悟られるのが嫌だし
うわこの人今晩豚汁なんだな!って思われるのもちょっと恥ずかしいわよね!
そんな中何か買い物かごの中に入れて
今晩の献立の推測を攪乱させるアイテムって何かないかなと思って止まない今日この頃。
うーん結局入れたら攪乱させられるパワーアイテムって何かしらね?
思ったんだけど
あ、この人なんか色々買ってる人なんだなって攪乱させられるわ。
肉コンプリートしておくのも攪乱させられるわ。
スーパーの中で繰り広げられる、
そんな心理戦ってあるじゃない。
コスモよ!
やっぱり究極はセミセルフレジね!
これは秀逸だわ!
考えた人天才!
小銭だそうとして出しておいて足りなくて
やっぱり財布に戻すという一連の作業時間。
たまに見るけど、
小銭ないんかーい!戻すんかーい!って
心の中で突っ込んでしまうわ。
うふふ。
今日はたまたまそのハムフレンチトースト作ってるシェフがいたので、
これ美味しいわと賞賛をたたえておいたわ。
炭酸で割った
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ヘイヘイヘイ!!!
と言うことで3月春です!
暦の上か下か知らないけどとにかく春です!
春らしいわよ。
風の強い今日、
むむむと唸りながら向かい風自転車こいでるお姉さんが微笑ましかったわ。
で違う人なんだけど
いつも自転車に乗ってメロンパンをかじりながら颯爽と走っていく
ななななと!今日はおにぎりかじりながら自転車乗って走ってたわ!
あまりの速さでよく見えなかったけど、
向かってくるときは青く光っていたのに、
通り過ぎた途端、
振り返ったらもういなくて
メロンパンナちゃんドップラー効果で赤く光って色が変わっていたわ!
と言うことで
春だなぁって思ったわ。
春一番というか元気ですかー!というか
東スポってだいたい正しいのは日付だけよね。
そんな三月ね。
うふふ。
聞いたらセントラルキッチンで作られていて、
胸が高鳴るわ!
そろそろ春3月暖かくなってきたので
冷蔵庫に入れた途端に賞味期限が無限になると思ってる人多いわよね!
苺も色々出そろってきたので
苺も欲しいわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!