はてなキーワード: アップダウンとは
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
感想に関する話題が上がってくる度に、わたしは数か月前の出来事を思い出す。
Aさんという絵師がいた。
その人は、自分の絵や漫画や作品やグッズについての感想を、かなり熱心に求めていた。
と言っても、嫌味な感じではなく、匿名ツールで感想を募集するツイートを「感想が欲しい」という素直な気持ちを添えてツイートしたり、感想リプには引用でタグをつけたり、寄せられた感想ツイートを繰り返しRTしたり。
ツイートでも時折「感想が欲しい」「リアクションが欲しい」「感想もらえたら元気が出る」「自分の作品について、解釈について語り合いたい」と言っていた。
多少メンタルが弱く、アップダウンがある人ではあったが、人間誰しもそういうもんだろう。それをTL上で表面化させるかどうかだけの違いだ。
私はAさんを片道フォローし、流れてくる絵をRT・イイネしていた。
Aさんがとある大きなイベントへ参加することが決まり、それに向けての作業を頑張っているのを見ていた。
私もいまでこそ読専ではあるが、イベントへの参加経験があり、それに向けての準備が苦しかったり楽しかったりすることも、身をもって経験していた。
そして春になり、コロナウイルスの影響でイベントが軒並み中止になった。
Aさんが参加予定だったイベントも、中止になった。
2020年になった頃からじわじわと騒がれていたコロナウイルスの影響。
2月頃まではギリギリイベントも開催されていたが、3月以降からはバタバタとイベントの日程延期や中止のアナウンスがTLに溢れていた。
参加が決定し、作業も佳境を迎えたころから参加予定イベントの開催が危ぶまれているなかで、Aさんもツイッターで「早く決定してほしい」「何の為にいままでがんばってきたのだ」と荒れていた。
中止が決定し、時間が経ち、荒れたAさんのメンタルが落ち着いてきた頃に、以前と同じように「感想が欲しい」系のツイートをするようになっていた。
作り手の経験があるからこそ、Aさんの気持ちは痛い程伝わっていた。
そして、少しでも元気を出してほしい気持ちを込めて、過去絵や作品についての感想を匿名ツール文字数いっぱい送った。
Aさんは「応援して」「感想が欲しい」「反応が欲しい」と呼びかけ、タグをつけて引用RTし、過去に寄せられた感想を繰り返しRTしていた。
自分に向けられた感想という愛情を大事にしているのだと思っていた。
だが違った。彼女が欲しかったのは「自分が欲しいと思うタイミングで、欲しいと思う相手から、欲しい内容の感想が、欲しい」のだ。
感想を送る際には、匿名性である以上言葉遣いや礼儀、内容などにも特に気を付けていた。
私の解釈を挟んだわけでもないので、解釈違いや地雷を踏んだという事も、おそらくないだろう。
自分の作品への感想を、タグまで作って、広く熱心に求めていたAさんに、私が送った感想は「返事はあざす!の一言だけでいい感想」だと、選別されてしまったのだ。
人間社会と同じで、こういうのは個々人の自由であり、権利であり、ご縁だと思っている。
どれだけこちらが熱心に好きでも、相手がこちらに興味すらないことだって往々にしてある。
こちらが長文の感想を送ったからと言って、同じ熱量で返さなければいけないという決まりはない。
だけど。それでも。
自分の作品に向けられる愛情を求めたAさんは、いざ愛情を向けられたら、それを取捨選択するのか。
それはとっても失礼なんじゃないのか。
ちやほやしてほしいだけならば大々的に感想を求めないでいてほしい。
大々的に感想を求めてるなら、まず送られてきた感想に込められた気持ちを大切にしてほしい。
Aさんに感想を送る自由・送らないという自由な選択で、私は送ることを選んだ。
Aさんはわたしの感想を受け取る自由・受け取らないという自由な選択で、受け取らないことを選んだ。
だからわたしは、Aさんを応援し続ける自由・応援を辞めるという自由な選択で、応援を辞めることを選んだ。
だってそうでしょう。心を注いで受け取ってもらえない相手に心を注ぎ続けることは、できない。
そして今私は、Aさんに「あなたがわたしの感想を取捨選択したように、わたしはあなたの作品も取捨選択する」と、どうやって伝えようかとずっと考えている。
車で10分もかからない距離だったと思う アップダウンがかなり激しくてふた山くらい越えなきゃだからチャリだとキツそうだけど、キツいといっても無理ではない距離だった
いこうと思ってたんだよなあ 大学の夏休みに帰省してさ、朝9時くらいに家を出て、自販機で水買って、汗を拭いつつセミの鳴き声をBGMにチャリを漕ぐわけですよ 体力ないからときどき止まって、登り坂はチャリを降りて呻きながら登り、下り坂は風を感じながら駆け下りる 海が見えて、まあいつも車に乗って見てるところだしものすごい感動があるわけでもないんだけど、やっぱり自分の脚で来たという感動はそれなりにある 潮の香りのなか海沿いをチャリで走って物産館に行き、ちょっと商品を物色したあと併設のレストランで早めの昼食にフライ定食を食べる 食べ終わったら海に行って、日焼けを気にしつつ海面を眺める 帰り道はただただ苦痛 エアコンの風につつまれることを想像しながら無心にチャリを押す そういう小旅行を妄想してたわけだ
チャリが チャリが捨てられてなかったらなあ いや、チャリが健在でも暑いつって行かなかった可能性はあるけども でも行ってた可能性も結構あるんだよなあ 帰省したらチャリが無かったときのあの感情……
青春ってひとりでもやれるんだよな バカらしいことを全力でやればいいわけで、友達とか彼女の存在は不可欠ではない
夏休みにひとり、5キロの山道をチャリ漕いで海まで行く たいしたことなさを含めていかにも愛おしい青春の思い出になりそうだ
もうキツそうだなあ
体力がすっかり落ちてしまった 山道をチャリ漕いでたらしにそう つかチャリ買わんといかん 実家にもなかなか帰れない チャリなんて買ってどうする?
いっそ折り畳みのマウンテンバイクみたいなのを買えばいいのかな でも、青春海紀行は通学に使うようなママチャリでやるからこそのものなんじゃないかな
ああ…
いい海に行きたい 程よく田舎で、程よく行きにくい海 いや、いっそ電車でもいいや 普段いく方向ではないけどいこうと思えばいける距離に素敵な海が欲しい 今は海が遠すぎる
伊丹のイオン・イタミオンに行くぞ!と昨日の午後思い立ったがまあ遠いしどうせ行かねえんだろうなと心のどこかは覚めていたのも事実。
しかし今日の午前中(俺はニートみたいなものなので平日の午前中から外出が可能)、最寄りのスーパーに買い物に出ようとしたとき、心が叫ぶのを確かに聞いたのだ!「伊丹のイオンに行くぞ!」
道中にあるパン屋(馬鹿みたいに安い・味はそこそこ)で惣菜パンを3つ(240円!)買い、チャリを漕いで俺は出かけた。
伊丹イオンに行くまでの道順はシンプルだ。しばらく行って、川1に突き当たったら左折。川沿いに行くと川2にまた突き当たるので、同じく左折。河川敷の道をしばらく行ったらイタミオンが見えて来る、とこんな寸法だ。ずっと川沿いで気持ちが良さそう、というのが出不精な俺の心を奮い立たせたのだった。
川1は細い。源流のあたりはちょっとした景勝地になってるらしいが、イタミオンロードにあたる流域はマジでしょぼい。尿みたいなもんだ。川というより用水路に近く、ゴミ。
…と思ってたんだけど存外開放感があった。細いからこそのインディーズ感というか、柵なんかも少なくてファンとの間に垣根がない感じがした。やるじゃん川1、と思いながらちょっと行ったところにはエアフロント・オアシスなんて洒落た名前のちょっとした公園があって、伊丹空港がよく見えた。コロナのせいか減便している(ホンマか?)ようで飛行機はいつもより少なく見えたけど、滑走路を見渡せる位置には5〜6人が座ってボケっとしていた。俺もちょっとその輪に加わったが(というと会話があったみたいだが、誰もひとことも口はきいていない)、はやるイタミオンへの気持ち・喉の渇き・腹の減り・チャリの駐輪場所への不安などから早々にそこを辞した。
いや、流量自体はマジでヘナチョコなのだが、その割に河川敷が超広い。開放感がすごい。川1の開放感が5なら川2の開放感は70くらいある。
まあひらけてるからなんなんだっつったら何というわけでもないが、普段コンクリート・ジャングルに抑圧されているのでなんだか無性に嬉しかったのだった。
川沿いの道はチャリに適している。アップダウンがないから、漕げば漕いだだけ進む感じがする。開放的な川沿いをスピーディーに進むのは気持ちが良くて、気がついたらイタミオンは目の前だった。…というと語弊があり、最後の方は橋を渡ったり横断歩道があったりでちょっとめんどくさかった。
隣の市、なんなら県境を跨いでるから隣の県だ。すげえ遠い場所・俺ではたどり着けない・永遠の憧れ…と思ってたんだが、チャリを漕いで1時間もかからなかった。
駐輪場のシステムが掴みきれずに不安になりつつも、薄暗い裏口みたいなところから入店した。
つかイオンとしてはちょっと小さめだった気もする。俺はど田舎の生まれなので郊外にあるクソデケーイオンに慣れていて、市街地にあるイタミオンは正直ちょっとショボくすら見えた。あるいは俺の図体がデカくなって相対的に小さく見えるようになったのか?でも中2から背伸びてないしな…
初訪問のスーパーマーケットは最後の楽しみにして、まずはモールをぶらついた。つっても俺は外食嫌い・ファッション興味なし・貧困なのでマジで何も買うものがなかったので本当に端まで行って戻ってくるだけだった。今回の目玉のひとつだったイオン特有のデカイ吹き抜けと一階にあるベンチは堪能できたのでまあヨシとする。
スーパーはデカかった。デカかったし、魅力的な商品も多かった。カオマンガイの素に加えてナシゴレンの素もあり、入浴剤コーナーがあり、惣菜コーナーがデカく、パスタも充実していたし、よくわかんねえ蒟蒻商品みたいなのが大量に並べられていた。飲料コーナーなんかもマジで気が遠くなるくらいデカかったので、俺は疲れも相まって初めてスーパーの完全探索を諦めた。また行こう…
数キロの帰途があるのも忘れていろいろ買った。ギリギリリュックに収まるくらいの商品を買って、一回正面玄関から出て伊丹の街を見た後に帰った。
帰り道、川2沿いでイタミオン惣菜コーナー謹製の鮎の塩焼きを食った。川沿いでアユを食ったら川つながりで美味さが高まるかな、と思ったが、まあ別に変わらなかった。塩気が強めだったけどしっかりうまかった。身が風に煽られてちょっと落ちて悲しかった。
帰りはちょっと違う道を通ってみたりして、そうするとまた発見があってよかった。ショボい道が川1とクロスして水没している場所があって、俺は仕様として水没している道というものを初めて見たのでたいそうテンションがあがり、サンダルを脱いで川に浸かってみたりしたほどだ。水はぬるいかとおもったが案外冷たかった。
ビショビショ・砂まみれになった足が意外なスピードで乾くのを楽しみながら停めていたチャリにまたがろうとしていたら、水没道をチャリで突っ切っていくオッチャンが見えて風情があった。
イタミオン、よかった。
また行きたいな。今度は秋口あたりに行きたい。
というか、なんなら海は近かった 実家から車で十分のところに浜があった 今調べてみたらビーチとして県内4位・地方内18位だから「いい浜」といっていいだろう 確かにサーファーがいつもいたし、整備もそれなりに行き届いていた 開放的な雰囲気があった
しかも結構な頻度で行っていた その浜に隣接して物産館があって、そこに併設されている海鮮レストランがまたいい店だったからだ 両親がそこをいたく気に入っていて、外食といえばそこに行くことが多かった
海には縁があったのだ 泳いだことは少ないとはいえ、近くにはまあまあ行っていた
それはそれとして憧れがある 海は何か遠いもので、特別なことがないと行けないようなところだというイメージがある
海に行って何がしたいというのはない ただ堤防なり浜に座って波を見たりしていたい それだと多分日差しが強いから休憩所みたいな屋根のあるところに移動してそこから見るんでもいい 海水浴をすると溺れたりクラゲに刺されたりろくなことがないという刷り込みがあって、決して入りたくはない
海に行きたい 一人で朝早くに行って、昼飯をその辺で食べて帰りたい 釣りなんかをしてもいいかもしれない
大学生の頃、帰省したら自転車で海まで行ってやるぞと思っていた 高校の頃には思いつきもしなかったけど大学で自然から遠ざかって海の良さがわかるようになった 海までの道はそう長くないとはいえアップダウンが激しくて大変そうだが、そこは若さと熱意でカバーしていってやるぞと思っていた
帰省したら自転車が捨てられていた 「もうアンタあれ使わないでしょ?邪魔だったから…」と言われ、まあ確かにな…と思った 海にはいかないまま卒業してしまった
一人で海に行けばいいんだろうな それこそ朝早くにビーチに行ってずっと海面を見ればいいんだ 行くなら秋がいいな 暑くなくて人も少なそう
で、実際のところ俺は飽きっぽいしそんなに自然を愛でる心もないしスマホ中毒の現代病だからすぐ嫌になるんだ
昼までなんて到底無理だっつってさっさと帰るかもしれないし、そこは耐え切って昼までは居座るかもしれない なんにせよ嫌にはなるに違いない
「まあ海、というか俺の感受性なんてこんなもんだよなあ」と思いながら帰ることになる
このへん
https://anond.hatelabo.jp/20200427140625
>働ける期間が短いので、公的年金その他の保障を充実させて、40過ぎたくらいから年金が受給できるようにする等の措置。
>個人事業として収入のアップダウンを避けるために、一定レベルの所得補償。あるいは公共工事のように、公金で仕事を発注する。あるいは、個人事業としではなく、給与を支払い年金が受給できる年齢までの雇用を保証する。
>利用者に不安がないように、性病検査については国が厳格にチェックする。
https://anond.hatelabo.jp/20200427145352
>風俗嬢に社会的な尊敬と待遇の良さを与えてやるべきだと思っている
こういうこと言っている増田だが、
>今はただ不利益を押し付けられているだけだから、少しは帳尻が合うようにしましょうよ、と。
https://anond.hatelabo.jp/20200427150135
風俗嬢には結婚・出産に不向きなので結婚・出産させるべきではないとも思っているらしい。
そしてそれ自体が「不利益を押し付けられている(増田から)」である自覚はないらしい。
「風俗嬢のメンタルを傷つけないために」とも言っちゃってるがhttps://anond.hatelabo.jp/20200427133117
もっと女になってほしい、そして風俗嬢という職業人としての幸せを追求してほしい、が、結婚は障害のある子が生まれるリスクがあるからダメ、
ずっと家にいたから体力が落ちているだろうなと思ったら予想以上にひどい
行き先の業務スーパーまでは15分くらいだが、ママチャリで立ち漕ぎをしないと辛いぐらいのアップダウンが3箇所はある
軟弱な引きこもりにとってはふらっと気軽に行けるような場所ではないがこんなに負担になるとは
漕いでる間はなんともなかったが、駐輪する間に頭が痛くなってきて、買い物をしている間にはどんどん視界が白っぽくなって、後頭部が冷えるような感覚で気分が悪くなっていった
貧血になるなんて中学生の時以来だったが、買い物中にぶっ倒れでもしたらこのご時世大変なことになりそうだと思ったので、平静を装って店内を物色する
ところが便意まで催してきたので早々に済ませることにした。会計と袋詰をしている間に息苦しくなってみるみる他の症状も悪化していったので、まさかコロナじゃないだろうかと不安になりつつ退店
ただコロナなら1週間以上潜伏期間があって、しばらく外出はしていない。マスクしているときの特有の匂いも感じるからコロナではないと判断した
帰りの坂道では体調が悪いまま自転車を押して、途中にある公園のトイレに向かって休むことにしたが、和式だったので腰掛けて休むことはできなかった
今日はまだ1食しか食べていなかったので低血糖かもしれないと思い、買っていたウィダーもどきを飲みつつしばらくしゃがんで休む
ゼリーは国内のOEMか何かだと思い裏を見たら中国産だった。まあ業務スーパーだしな
10分ほどで頭痛がマシになってきたのでトイレを出ることにしたが、公園で遊んでいた子どもと母親と思しき女性が来て、いま出たらめちゃくちゃ不審者っぽいなと思い居なくなるまで休む
そういえばamazonで買っているポップコーンの種が切れているのを思い出して、道の途中に酒のやまやで海外の業務用サイズの種でも売ってないかなと思い寄ってみたら、amazonで5~600円する1kg入の種が400円で売っていたので驚いた
ついでにシーズニングも売ってないかと探してみても無かったが、100円で売ってるエスビーの料理用シーズニングをかけると美味いとネットで見たのを思い出し、アヒージョとタンドリーチキンと柚子胡椒を買ってみた。
今度試してみよう
黙って去って行かれたからまだ良かった。
数ヶ月前に、私の書いた二次創作小説が大好きだとDMしてきたAさんと、Twitterで相互フォローした。そしたら、三ヶ月もしないうちに雲行きが怪しくなった。
最初はこっちをDMとかでベタ褒めしてきて、私の小説の挿し絵に(←私は別に頼んでいない)と絵を描いて送って来てくれたくらい。極度の他人褒めと自分下げが酷い時点でうっすら普通ではない感じがした。
次に、Aさんは地味に失礼なDMを送って来るようになった。「誰々さんと増田さんの新作のことを話していて」と、彼女と第三者(私は知らない人)のLINEでの会話のスクショを送って来た。楽しそうだが、見ようによっては私と私の作品を貶しているような、微妙な会話だったが、悪気はないのだろうと思い、普通に「気に入っていただけて嬉しいです」と返信した。
ところで、私は二次創作はするけど同人誌を作ったことはなく、これからも作らない方針だ。その理由は自分なりにいくつかあるのだけど、公表はしないし、する必要はないと思っている。
ある日Aさんが私に、同人誌を作らないのか、とリプをくれたので、作らない主義だからです、と答えた。そしたら来たリプは、
「金ならあります!」
う、うーん……。私の書くものにお金を払う気があるのは有難いが、だからといって自分の信念を曲げる気はないので、「同人誌を作る予定はありません」と返信。
年末辺りから、私は二次創作よりも一次創作に力を入れ始めて、二次創作ジャンルのTwitter巡回をすっかり疎かにしていた。たまにTwitterを見ると、Aさんはやたらとアップダウンの激しいツイートをするようになっていた。経験的に、今触ったらヤバいやつだな、と思ったので、こちらからは話しかけないようにした。
自分のオリジナルの助平な小説をTLにツイートした。そしたらAさんからリプだったかDMだったかが来た。
「読みました。それより××(二次創作の推し)の助平な小説をまた描いてくださいw▲▲(私の小説の主人公)ほど変態でなくていいですがwww」
悪気はないんだろうなぁ、この人。TL見ると誰にリプするときも、いつもこんなノリだし。私は、「読んでいただきありがとうございます。また××も書きますね」と返事をした。
その頃、質問箱に変な質問が来た。質問内容はたわいのないものなのに、口調がやたら乱暴な命令口調だった。たぶん、バラエティー番組みたいなノリでふざけたつもりなのだろうと思ったが、かといってヘラヘラと相手をして、しつこく絡んで来るようになられても困ると思った。それで、「そういう人を馬鹿にしたような質問には答えません」と答えた。そしたらすぐに、
「人間不信になりました。」
と、質問箱に返事らしきものが来たので、あの妙な質問はフォロワーの誰かだったのだと気付く。
年末にジャンルのTLを巡回したら、なんだか病んでるツイートをしている人達が多く、あちこちで訳のわからん小競合いが起きていた。だが、ジャンルや人の顔ぶれが違えど、年末って大体いつもこんな感じなので、私も限られた仲のいい人とリプをし合うくらいにした。一次創作が捗って、二次創作はあまりしなくなっていた。いい加減ネタが出尽くしたからなのだが、そんなことは勿論ツイートしない。
年明けから平穏なTwitterライフを送るようになった。私の一次創作は捗り、二次創作はめっきりやらなくなった。最後に書いた二次創作は、Aさんと共通のジャンルではなくて、もう十年以上ハマり続けているジャンルのものだ。あぁ、私のホームグラウンド。過疎っているけ皆優しいし仲良し。今日もわいわい温泉に浸かっているみたいな、ほんわかした会話が続く。久しぶりに書いた二次創作を、久々の供給じゃーーー!と皆喜んでくれた。
気付けばAさんとその共通ジャンルの人達とはめっきり会話していなかった。いまだに会話をする仲の人達は、二次創作垢というよりも日常垢の人達。ジャンルまるで関係ない、日常会話をほのぼの続けている。
ある日、私が何気なく呟いた一言が、Aさんの専門分野のことだったらしい。Aさんが久々にDMしてきた。DMの内容は簡単に言えば専門家の知見なのだけど、言葉が一々キツい煽り文なのだった。しめは、
私の元ツイートは人を貶めようとかデマを拡散しようとかいう類いのものではなかった。例えば、「着物を自分で着てみたけど帯の結び方がうまく出来なかった」みたいな、ただの日記文を私が書いたら、プロの着付け師の人が帯の結び方をレクチャーしてきたようなものだった。だが、プロの着付け師の人は「そんなことも出来ないとか馬鹿なの?w何で自分で着付けなんかしようと思ったの?w素人の癖に呟いてんじゃねーよwwwwww」という煽りを丁寧語で書いたDMを送って来た。そんな状況だった。
私は返事をする前に、しばらく考え込んだ。いくら素人だからといってそこまで言われる筋合はないよなぁ。だけど、専門家の知識を詳細に教授してくれたのも確かだ。Aさんがしばしば相手に対してちょっと失礼なリプを送りがちなのはいつものこと。相手が私でなくてもそうなので、自覚が全然ないのかもしれない。
なので、「専門知識を教えていただきありがとうございました。とても為になりました。仰有る通りに挑戦してみたら上手く出来ました!」という内容のDMを普通に送った。そしたら、Aさんからは「怒ってない?www怒ってない?www」みたいな返事が来たので「おこってないよ!」みたいな返事をした。
久しぶりにAさんのTLを見た。アップダウンが激しかった。どうせ自分なんかクソクソのクソ!と嘆いているかと思ったら、自分はあれが出来ます!これも得意です!と言っていることもある。専門分野の知識を漫画で描いて、「素人は全くわかっていないですねー」などと言っているときもある。自尊心が低く、承認欲求が高い、そういう人なのだ。
私はその後も平常運転で一次創作を続け、日常的な呟きをしていた。けれども、遂にAさんからフォローを外された。支部の方もだ。支部では、私はずっと前からAさんをフォローしていたのだが、Aさんが私をフォローしたのはつい二三日前だ。フォローされたと思ったらフォローを外された。私の小説の挿し絵だといって描いてくれた絵は全て削除されていた。
寂しくないかといえばそんなことはないけど、二次創作を長年していると稀によくある話なので、しょうがない。触らぬ神に祟りなしと思い、私は平常運転を続ける。
当方今年三十路。GLAYファンの姉と米米CLUBファンの母の影響で小さい頃から流行りのJ-POPをよく聞いてた。初めて買ってもらったCDは小沢健二「痛快ウキウキ通り」。
高校からバンド始めて、大学生時代は完全に拗らせてしまって、ポストロック〜エレクトロニカからニッチな沼にはまってノイズもミニマルテクノも現代音楽も、聞いたことのない音を探すのが大好きだった。
で、ここ近年の日本のインディシーンのシティポップリバイバルの波にはガッツリ便乗して楽しませてもらったし、洋楽のトレンド追うのも楽しんでたけど、ど真ん中の邦楽シーンは面白くないなぁ(正しくはいくらいい曲でも素直に受け入れたくないっていう拗らせの名残)って思ってた。
あいみょんも最初名前だけ見たときは「はぁ?」って感じだったし、『マリーゴールド』が話題になったときに友人と車中で聞いてみたんだけど「イントロのギターリフの歪ませ具合がまんまマイラバの『Hello,Again』と一緒じゃんwwえ、そこ参照するのww」とか話し合ってたわけ。紅白すごいねー(同じ関西人として)ぐらいだったわけ。
それがさ。
少し前にメンタルやっちゃって今も療養中なんだけど、鬱やらかすと感情の起伏がやべぇんだよね。調子いい時もふとした拍子にアップダウンのスイッチが入っちゃって。
特に(ほんとはダメだけど)アルコール入るとエモさの幅が今まで有り得んかったくらいグワングワンになるわけ。
そんな状態である夜たまたまYouTubeで『マリーゴールド』改めて聞いて、もう信じられないくらい泣いちゃったんだよ。もうBメロ終わりからサビ直前の展開でブワーーーって涙出てきて。
ヤベェ。脳の中で「虚構の青春回想モード」入った。こんな恋愛してねぇのに。マジ涙止まらんってなって。
多分音楽演奏する側に立った人なら分かると思うんだけど、一旦そっちの視点獲得しちゃうと、音楽を基本的にまず演者視点で見ちゃうと思う。
ポップスなら歌詞の展開とコード進行の関係とか、各パート毎の音の質感とか。
そうやって分解してみると、『マリーゴールド』ってマジでクリシェの塊なわけ。
先述の通りギターリフはマイラバだし、ギターロックの系譜を汲んだ90年代邦楽のバンド編成だし、コードも一聴してメジャーコードとマイナーコードだけで構成された一切気を衒わないド直球だし、歌詞は瑞々しい恋愛を歌ったこれまたド真ん中ストレート。
要素の集合として楽曲を見れば「クサすぎる」わけ。邦楽業界が一番潤ってた頃のど真ん中ポップス。ミスチルやスピッツみたいな。何番煎じなんだよって。
いわば拗らせ音楽オタクとしては「絶対こんなんで心揺り動かされてたまるかよ〜!!!!」って反射的に思っちゃうのね(でも拗らせてるからoasisは何度も聞いてその度拳を突き上げたりするんだけど)
なのにさぁ。
もう、ヤバイわけ。あああああーー音楽ヤベェよなんなんこんなベタな曲なのに新しい曲として生まれ変わった途端こんな心動かされるかよ。最高かよってただひたすら思いながらやっぱサビ来るたび号泣。
あえて理由を付けるなら、流行りが一周して90年代の邦楽が参照元として確立されたんだろうなぁってのは思う。周りに聞いてみても「懐かしい感じがする、これってどの世代が聞いても多分イケる音楽だよね」って反応が大多数。
でもぶっちゃけそんなんどうでもいいなー。ただただ新しい曲聞いて感動するってのがポピュラー音楽の一番素晴らしい部分だわなぁ。
またあいみょんの声が絶妙なんだよな。あれはほんとギフト、個人の資質だわ。
あと完全に余談だけど、Official髭男dismが流行ってるのもめっちゃ嬉しい。
個人的にはシングル曲のBメロがすげー黒いのね。オールドスタイルのR&Bや、それに影響された洋楽の美味しい部分を使ってる。で、サビがひたすらキャッチーだから繰り返し聞いちゃうのよね。今年どっちも紅白出ないかなぁ…。
徹夜組が影響を受けたやら始発組が影響を受けたやらデマっぽいのが出回ってるので自分の体験を記しておく
自分が見た範囲だけなので事実誤認や覚え間違いはあると思います
自分は9時15分頃にりんかい線国際展示場駅に着いて、あらかじめリストバンドを購入していたので誘導どおりに進んだら東駐車場に行くことになってしまった
Twitterの検索結果を見たら8時台のどこかぐらいから11時ぐらいまで前後に来た人あたりが東駐車場に行くことになってしまったようだった
以前東館が使えた頃に何度も東駐車場に並んだことはあったが、今回はそもそも移動経路が大幅に異なっていた。
非常に細くて2、3人程度しか幅が取れずに階段によるアップダウンがあるルートを途中で通る羽目になった(防災公園の外側の大回り?)。一般の人とのすれちがいも発生してスムーズには通りづらい感じであった
もちろん横断歩道の待ちなどもあって、この移動だけで30分から1時間弱ぐらいはかかってしまった気がする
東駐車場では前から2つ目から3つ目ぐらいに作られた列についた
スタッフが「こんなフライパンを使う予定ではありませんでした。熱中症に気をつけてください」と話していたが、このあとあんなひどい状態になるとは思っていなかった
まったく人がいない状態の直射日光で十分に加熱された状態のところに来てしまったからか、「地面が熱いので直接座らないでください」という状態になっていた
周りに飲み物を入手できる場所はなく、(仮設トイレはあったらしいが)トイレについての案内も何もなかった
スタッフは数人ぐらいしか見かけなかった(周りで見たのは2,3人) 後述する体調不良者の続出もあって、まったく手が足りてなさそうだった
途中で「もうすぐ移動します」という話がスタッフからされたがその後一時間以上ぐらいは自分がいた列は一歩も進まなかったし前や周りの様子も何もわからなかった。
スタッフからの情報はほとんど何もなかったし、聞いた人がいても「わかりません!」という感じだった
並ぶのを諦めて列を抜ける人も結構いた
一番ひどいときには10分に一つぐらい何かが起こっていた気がしていてよくわからなかった
救急車両(消防車や救急車)が自分が見た範囲で3台、知り合いに聞いた話では8台ぐらい来ていたらしい
自分には何もできなかったので何も言う資格もない気がしますが、あの状況で対応していた方々は本当にありがたいと思う
本当にひどくなる前に自分は東駐車場から出てしまったのですが、下記のツイートが熱中症の救護にあたっていた人のもののようなので雰囲気を知るにはいいと思います
https://twitter.com/kawagoeairlines/status/1160459637927239684
自分がいた列の移動が始まったのが12時前ぐらいだった気がする
救護活動などでの混乱の中、列の移動が始まった。移動が始まったとともに隣の列の一部が急に溶けてこちらに混ざってきたような気もするがよくわからないぐらい混乱していた
横断歩道や細い道や階段を通るルートでここからの移動が更に数十分かかった。
コスプレをしてるところの間を抜けて正面の入り口に通されたが中から出てくる人の列と完全に交差していてなかなか進めなかった。中に入ろうとする東駐車場組と外に出る人たちが交互に移動していた
駅からやってくる人は特に交差をしているわけでもないのでスイスイとフリー入場していた
熱中症で命に関わる自体になる方がでないでよかった。救護活動されていた方々には頭が上がらない
入場規制が解除されていて、あとから来た方々がかなり前から入場できていたという話を見てわりとショックではありましたが、イレギュラーな対応だったとのことなのでしょうがないと思うしかないです
釣りではないのだが、そう思われても仕方がない。でも吐き出す先がないのでここに書かせてください。
来年で50歳になる。
30年近くキャリアをつづける間に何社か転職をかさねた。自分で事業を立ち上げたりした。ここしばらくは数社続けては雇われ社長を続けている。
アップダウンはあるもののそこそこ結果も出し名前も知られるようになってきた。面接の時に「お会いしたかったんです」などと言われると、自分のことでは
ないような気持ちになる。いわゆる錯覚資産みたいなものがついてきたのだろう。ホントは大したものではないが、虚像が歩いているようだ。
年収も大きく増え、今年は1億を超えた。税引後の月収は500万ちかくあり、ボーナスは手取りで2000万くらいもらっている。
お金をいっぱいもらえるのは嬉しい。自分が評価されていることは素直に喜べる。知名度が上がるのも恥ずかしい気持ちもあるが悪くはない。
ここ数年特に多くもらえるようになってきて資産も増えた。蓄えが増えたことを妻は喜んでいる。
私はあまり物欲はない。服は大体Zaraかユニクロだ。最近はGUになりつつある。時々高価なスーツや靴を買ったりするがこれは仕事用だから仕方ない。
車は持っていない。家は60平米の賃貸マンションに住んでいる。場所がいいので20万円くらいするが通勤の時間を買っていると思って払っている。
最近買った1番高いものはドラム式の洗濯機だ。奥さんは喜んでくれた。その次に高かったのは冷蔵庫。これも奥さんは喜んでくれた。
妻とは再婚だ。14歳年の差がある。毎年結婚記念日には新しい家電を買っている。ダイソンの掃除機だったり、バーミキュラっていう炊飯器だったりする。
奥さんは非常に慎ましい。彼女も服は同じようにZaraだったりユニクロだったりする。結婚前は本人の給料のほぼ全てをファッションに使っていたようだが、結婚してからはそのような買い物はしなくなった。最近はメルカリにはまっていて、結婚前に持っていたブランド品を売っているらしい。売ったお金でユニクロを買っているので何か不思議な感じがするのだが、本人はつきものが落ちたかのように服を整理している。食べ物にだけはあまり糸目をつけていない。体に良いオイルだったり、オーガニックの食材を買っている。作ってくれるご飯も美味しい。僕の稼ぎだけで暮らしていけるのではあるが、本人も週に何日か働いている。
彼女は専門職なので仕事に困ることはない。そして稼いだお金で時々プレゼントを買ってくれたり、僕の両親や実の両親に贈り物をしている。
夫婦仲は悪くないと思う。
このように書くとなんら問題のない幸せな生活のように思うだろうが、僕の心は穏やかではない。
どのくらい面白くないかというと、いまこうやってサンマルクカフェで仕事をサボってこれを書いているくらいだ。
自分で仕事を始めてもいいがもう体力的につらい。っていうか今の仕事でもそろそろ体力不足を感じるようになってきた。
ハズキルーペのCMがマジに身直に感じる。ホント文字が小さくて読めない。体力もそうだが、気力の減退も著しい。
サラリーマンとしてはおそらく成功した部類に入るのだろうが、全く達成感はない。
なにか力が入らない。今の仕事はやりがいはあるし注目もされているのだが、その分仕事の量は多いし、ストレスが半端無い。
土日も含めて7時から11時までは普通に働いている。やれる仕事があるだけありがたいのかもしれないが、正直疲れたという気持ちもある。
毎日出社前に会社に行かずに辞めてしまいたいなぁと思っている。
100年生きる世界になってちょうど半分生きた。もしかしたら僕の人生はいまピークなのかもしれない。
今のうちに稼げるだけ稼いで引退するのもいいのだろうが、はて、あとどのくらい働いたらいいのだろうか。
いったい何のために働いているのだろう。引退してボランティアでもして暮らしたらいいのだろうか?
きっと僕は軽い鬱を発症しているのだろう。
同じような経験をした人がいたら教えて欲しい。
都内のWEB系サービス企業でソフトウェアエンジニアをやっている。
先日、給与査定があったのだが、それにどう考えても納得いかないことがあったのでここで書く。
その時提示された給与に関しては、希望額には届かなかったものの前職よりもUPするので、まあいいか、がんばろ、ということで入社。
社員それぞれにグレードが与えられていて、MBOの達成度合いに応じてグレードのアップダウン、給与のアップダウンが発生する。
ざっくりいうと、MBOの評価がSだとグレードアップされ、Aだと給与アップの評価される。
チームメンバーでありつつ、場面に応じてチームリーディングを期待されるくらいの役割。
エンジニアスキルについても、設計から実装まで全て独力でやっていけることを期待されている。
Bランク。グレード相当の働き。
給料は上がらない。入社当時と同じカネで一年間働くことになる。
給与査定に関してそういうシステムであるということは理解している。
だが、上記の働きをして1円も給与がアップしないのは全く納得がいかねぇ。
給与査定の面談では今年度はモバイルアプリのテックリードだけではなく、開発チーム全体のリーダーに据えたいと考えているので頑張ってくれことだったのだが、じゃあ給料上げろよ。
ってか期待されている役割と実際のグレードの期待役割に乖離があんだろ。
一年間、すごく良く頑張ってくれて、採用してよかったとの言葉もあったが、そんな言葉はいらんので給料上げろ。
今年に入って、某有名アプリを開発をしている会社から転職してきた俺よりも10個下くらいの若手がいる(非エンジニア)。
前社での働きがどうだったかとかは俺は知らない。
で、だ。ひょんなことからその人の給与を知ってしまったのだが、俺と同額。
この時点でちょっと納得いっていなかったのだが、まあ、よしとしよう。一年間、バリューを発揮してきたのだから、おれも給料上がるだろ、と思っていた。
のだが、先に述べた通り、給料は据え置き。
これおかしいと思うんだよな。一年間会社に貢献してきた俺と、まだ貢献がゼロでその時点で何のバリューも発揮していない人間で結果的に同等の評価って。
前職の企業のネームバリューがでかいから、そういうものなのかもしれないし、そういうものとして理解することはできる。
だか、やっぱり納得がいかない。
ボジョレーみたいに毎年増大していると思いきや
意外にアップダウンが激しいんだな。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2014/01/IMG/20o1o200_02.gif
病気だからテンションの上がり下がりがあることはとてもわかってる。
わかってるんだけど、「今日は気分どうかな」「無理してないかな」「今誘ったら嫌かな」って"気分”にたいしてすごく気を遣うのが苦しい
機嫌で周りをコントロールするのは子供。大人はそんなことしない。ってツイッターか何かで見たけどまさにソレ。
とはいえ病気なんだから、本人だって感情のアップダウンをしたくてしているわけじゃなくて、コントロールしきれないんだよね。
じゃあそれに寄り添うのは、うんうんつらいね。悲しいねってしてあげることでもなさそう。
ただ、その子がアップ状態の時、一緒にバカ騒ぎしてあげるのが一番良さそうだなとは思うんだよね。
じゃあダウン状態の時はどうしたらいいんだろ?とかいろいろ考えちゃう
ままならない
海の生き物と山の仏
本殿を参拝した後、茶室のテラス席で甘味を頂いたり、宮島を散策したりしていたのだが、少し寒くなって来た。
少しだけ屋根のある休憩所で一休みしたあと、案内に沿って宮島水族館を訪れることにした。
ここでに足湯とはなんと気の利いた事だろう。
そう思って近づいたが、すぐに「水族館で水に足を突っ込む施設」がある事の意味を理解した。
ドクターフィッシュだった。
テレビなどでその存在は知っていたものの、自ら進んで魚に角質を食わせたいと思った事はない。
ぬるま湯を気ままに泳ぎ回っている彼らは、足を突っ込むや否や一瞬の逡巡もなく群がって角質をついばみ始める。
痛くはないがくすぐったくてしかたない。
トルコやドイツではこれが肌の健康の為に医療行為として認められているそうだが、ゴツい大男(偏見)が魚に足をくすぐられてどう言う顔をするのだろうか。
ドクターフィッシュの他にも種々の海獣、ペンギン、カワウソ、色とりどりの魚やクラゲなど、意外と言っては失礼なくらい見所の多かった宮島水族館を後にして、周囲を散策すると「宮島ロープウエー」の看板が。
普段なら「一人で登っても」と思うところだが、島の位置関係を体感できそうだったので乗ることにした。
ロープウエー乗り場への道すがら、坂道に建つ旅館の前に設けられた、今度こそ本当の足湯でひとときリラックスして、乗り場に向かう。
出発の紅葉谷駅から展望台のある獅子岩駅まで往復で1,800円。
小型のゴンドラを中腹の榧谷駅で大型に乗り換えて、展望台にたどり着くと、薄いミルク色がかった青空の下、瀬戸内海に浮かぶ島々が眼下に広がった。
こう言った光景は見た事がないので、興味に従って正解だった。
多少物足りない気もするが、眼福だったし戻ろうかな、と獅子岩駅に戻ると、傍に「弥山山頂」への掲示が。
小一時間で往復できるという。
ボルダリングを趣味にしてる割には登山はそれ程得意ではないので、アップダウンの多い山道は意外と応えるし、足を踏み外したらなどと思ってしまってちょっと怖い。
気をつけながら歩いていると、斜面のヘリと登山道を隔てるロープの外にある一枚の看板に目が留まった。
「平成17年9月6日の台風14号の土石流により、歩道が流出しました。立 入 禁 止」
弥山本堂までたどり着いて16:50分。
弥山山頂の展望台はもう間に合わない時間だし、折り返しの山道を焦って走りたくなかったので、すぐ傍にあった聖火堂で今度はやや自分に関する割合の高いお祈りをした後、獅子岩に引き返す事にする。
再びアップダウンの多い細道を歩くこと30分ほど、17:10、最終便には少し余裕を持って乗り場に到着した。
まだ数本あったものの、最終に近い大型ゴンドラは満員で、おそらくこういったすし詰めに慣れてない(いや、慣れているのもどうかという話だが)外国人が駅員に詰めて乗る事を促されていた。
こういう時に外国人と話す機会があったらどういうのがいいのか。
「Easy, japanese anybody love raid in crowded car.」
とでも言おうか。
外国人はジョークを求めている筈だという無意識の思い込みがあるのかもしれない。
降りのちょっと怖いくらいの絶景を見ながらロープウエーに揺られ、紅葉谷駅で降りる。
歩き通しでさすがに少し疲れていたので、すぐ近くのバス停から桟橋付近まで送迎してくれるバスに乗った。
もちろん満員だった。
大鳥居を見て帰るだけなので昼過ぎには帰って暇を持て余すかな、と考えていた宮島だが、行ってみると見所は多く、帰りのフェリーに向かう頃にはすっかり日も暮れている。
フェリー乗り場のある桟橋に向かう途中、夜の水面にライトアップされた大鳥居が朱に輝いていた。