はてなキーワード: とりまとは
ストレートにいうけど、いじめの被害者なんてどうでもよくて、ただただいじめた奴らをボコボコにしてやりたいっていう人が多すぎるのよ。
そいつらは自分たちの正義の拳に酔ってるわけで、そこに水をさされるような「いじめられる側にも問題があるのでは?」なんていう話に興味がないんじゃないの?
めちゃくちゃ気持ちよく悪人を殴ってるのに、被害者側にも原因があるなんて言われたら殴るときの気持ちよさが半減しちゃうよな。
だから被害者に対して「あなたは悪くない。悪いのはいじめた側の人間だけだ」と説き伏せようとする。
被害者が一生被害者でいてくれたほうが、加害者のことをずっと殴り続けられるからな。
つまりそいつらは、いじめてる人間を気持ちよく殴り続けたいだけで実はいじめがなくなったら困る人間ってことだよ。
だから、「いじめられてる側にも原因がある」という論調に対して、殴りかかりそうな勢いで否定するんだろうな。
そこに欠けてる視点は「いじめをなくしたい」と考えているかどうかということ。
いじめをなくしたいって考えてるなら、普通に考えてメカニズムに目を向けるわけよ。
そういうプロセスの中で、いじめられる側にも原因があるかもしれないと考えることは当たり前のことで、それを否定するということはつまり「いじめをなくしたい」ことが目的ではないということは明らかってことでしょ。
そこに目を向けようとしない時点で、そういう人間はいじめをなくしたいとは考えてないと割り切ってもいいと思うよ。
自覚があるかないか別として、考えることができないならば議論はできないのだから。
ここまで言えば気づいてると思うけど、こいつらの心理って「いじめる側」のそれと同じなんだよね。
あいつは悪いことをしたのだから攻撃されて当然。だからこれはいじめじゃない。
自分は自分たちの正義に従っただけ。たまたまそれが大多数からの攻撃になっただけでこれはいじめじゃない。
だから、こいつらにしてみればいじめられた側に原因があったいじめは、いじめじゃなくて「裁き」でしかないんだよね。
そうやって、自分たちの正義を全肯定して、人を殴る気持ち良さに酔ってるというわけだ。
そりゃいじめなんてなくなるわけないよ。
今と言っても、もうずっと前から当たり前になってるけど。
要するに自分が殴られた側にいつづけることで、無限に相手に殴り返せるっていう論法。
今はこれがまじで強い。
なにかちょっとでも気に入らないことがあれば、すぐに被害者側に構えを取って、あとは世間の同情を得ながら一生殴り返すだけ。
「アドバイス罪」もわからなくはないけど、それを理由に殴り返していいという道理はないよ。
(たちが悪いのは本人は一生被害者ムーブで、とりまきが殴り返しに行くパターンなんだけどね。)
そのあたりの解決策として、自分としてはかなり前から言い続けてることが一つある。
できるのは被害を訴えることだけで、裁くのは刑事か民事なのよ。
それなのに、自分たちの裁量で誰かを裁こうとしたら、それはもう暴力でしかないわけよ。
つまるところ、どんな理由があろうとも暴力を正当化ししようとした時点でその人間はダウト。
被害者なんて関係なくて、自分が気持ちよく暴力を振るいたいだけの人間だということ。
だからこそ「資格なき裁きは暴力」だという認識が広がっていかない限り、そういう人たちが自分たちの暴力を自覚することはないのだと思うよ。
だから増田は、その「いじめられる側にも原因がある」という話を暴力を正当化する人間かどうかの踏み絵にしたらいいよ。
無知なだけというパターンも当然あるだろうけど、わかり合おうとしない人間に歩みよる必要はないし、一人一人を説得したところで、いじめを無くすことなんてできないんだから。
ついでにいうと、これは自分が属する組織を判断するものさしとしてもものすごくわかりやすいよ。
どんな理由であれ暴力を正当化する人間には近づくべきではないし、目先の正義に振り回されずメカニズムに目を向ける人間は一目置いておくべき。
される側にどんな理由があろうとも暴力がまかり通る組織に身をおくべきではないということはいうまでもないことで、その刃先がいつ自分にむくとも限らないし、加害者側にいることでしか安全が守られない組織なんていつ自分に罪が被せられるかなんてわかったもんじゃないよ。
まぁ、そういう人間の巣窟みたいになっている今のはてなで書くような話ではないけどね。
お前ら口が裂けてもその行動が問題解決に役立ってるなんて考えてくれるなよ。
暴力が気持ちがいいって自覚があるならまだましだけど、それが単純に正義だと信じてるやつらはまじのクソだっていう自覚くらいもってくれよ。
知ってる?
実はウチの新しい上司がそうなんだぜ?
ウチって人事査定の下準備のために各シーズンごとに社員に面接して「今シーズンの意気込みとかあります?」みたいなのやるんだよ。
んでそこでとりま前上司に前シーズンに出した奴そのまま持っていったら
「まあ増田くんはこんな感じでひとまずは言ってみようか」
「それはそれとして、我が社がワークライフに力を入れているのは知ってるよね?」
「ということで、増田くんもこれからは目標項目にワークライフバランスを入れてほしいんだよ」
「まあひとまずは休暇の消化や残業時間の削減を入れて欲しいかな」
ってさ。
は?
それは、お前が、やるんだよ。
部下の残業時間を減らせるかどうかなんて、根源的には上司がどういう方針でチームを運営していくかだろうが。
業績アップのためにとにかく残業して成果を上げろとか、社内監査対策でとにかくなんでもミッチリ丁寧に事を進めろとか、そういった上司が鶴の一声で決めたルールが部下の残業時間や有給消化を決定するんだよ。
なんで部下に「残業を減らすのを目指してね」と言っとるんじゃ。
頭イカれてんだろ?
俺たちの残業を減らしたいなら、俺たちが残業して維持してた諸々から切り捨てていくものを、お前が選んでいくんだよ。
お前がやるんだよお前が。
ダラダラ残業させたくないんだったら「社内での雑談を禁止する」「喫煙は一切禁止とする」「出張は効率が悪いので俺が許可を出したもの以外は一切認めない」とかやりゃいいんだよ。
まずはお前がそれをやれっての。
なんで何の方針も示さず「とりま前年度通りのノリで」をやっておきながら「でも残業は減らせよ」と抜かしとるんじゃ。
パソコンの性能上げるとか、ペーパーワーク減らすとか、印鑑のルート減らすとか、よく分からん社内行事減らすとか、お前がの判断で効率化出来るけど、お前より下には決定権がない所があるだろうが。
マジでクソ。
テメーがやってるのは「部下がワークライフバランスを維持できてないのは、部下がワークライフバランスを維持するための努力をしていないからです」という言い訳づくりだけだろうが。
は?
マジで死んだほう良いよ。
どんだけ性根が腐っていたらこんな事が言えるんだ?
社長命令だろうがなんだろうが、そのクソ概念をそっくりそのままウォーターフォールさせた時点でテメーはもう極楽にゃいけねえカス野郎なんだよ!
恥ずかしながら、結構最近まで村下孝蔵さんのことはちゃんと知りませんでした。代表曲である「初恋」はテレビの歌番組で聞いたことくらいはあったと思いますが、正直「昔の一発屋」くらいの認識でした。
とあるイラストレーターさんがツイッターで「今日も村下孝蔵さんの声が良い・・・」みたいなことを呟いていたのをきっかけに聞き始め、とりあえずitunesでベスト盤を買いました。
色々聞いてみて、「初恋」や「少女」、「春雨」等々、良曲はたくさんあるんですが、その中でも最高だと思ったのが「踊り子」でした。メロディは正直ちょっと古臭い(失礼)とは思ったのですが、むしろノスタルジックな雰囲気が最高です。もろに昭和後期の恋の歌、って感じですね。
それで、聴くほどに、読むほどに染みるのが歌詞なんですよね。別れ歌なのですが、「別れる」とか「離れる」、「振られる」といったいわゆる失恋ワードが一切出て来ないんです。すべてが比喩で語られるんですよ。直接説明されないからこそ頭の中で情景が浮かんで、きれいなメロディだけでは不可能な浸り方ができるんですね。本当に最高です。
冒頭の歌詞が
「答えを出さずにいつまでも暮らせない
ですよ。
このフレーズで、一緒に暮らしてきた恋人たちが限界を迎えているというシチュエーションを完璧に説明してるんです。はー、詩的だ。
サビでは、1番で「つまさきで立ったまま 君を愛してきた」
2番で「つまさきで立ったまま 僕を愛してきた」
最後の繰り返しで「つまさきで立ったまま 二人愛してきた」
と展開されます。
お互い無理してきたんでしょうね。それを「つまさき立ち」と表現し、さらにそれをバレエダンサーに喩えて「踊り子」というタイトルを付ける。えらいセンスだなあと思いました。
で、歌詞にこの文章を書こうと思ったきっかけになった部分がありまして、先の冒頭の歌詞の続きが
暖かい所なら 何処へでも行く」
なんですよ。
ここだけ妙に直接的というか、行き詰まった恋をなんとかしたいというのを「暖かいところに行きたい」と言っただけだと、比喩として(他の部分と比べて)弱いような気がしました。そこでぼーっと歌詞を眺めていたら、ふと林檎の産地って寒いところばかりだと気付いたわけです。調べると、日本国内の生産量の90%が青森、長野、岩手、山形、秋田で占められていました。つまり、日本に林檎の花が咲く暖かいところなんてあまりないわけです。
それを踏まえて歌詞を読むと、「林檎の花」と「暖かい所」は相反する要素であって、「何処へでも行く」というのは「(もしそんな所があるなら)何処へでも行く」であり、無い物ねだりだったんだと分かります。「もし破局を避けられるのなら何でもするよ。でもそんな道はないんだ」という切ない話なんですよね。ところが、この気付きを誰かの書いた文章で共感したいと思って検索したら、「暖かいところは幸せの象徴で」とか「林檎は日本の南の方でも栽培されているので」みたいな解説ばっかり出てくるわけですよ。いや違うだろと思って筆をとりました。
何が悪かったとか、何がきっかけだったとかではないんですよね。好きな相手に自分を良く見せようとして背伸びをした結果、お互いに相手に見せる自分と本当の自分がずれていってしまった。お互い好きになったのは相手の着飾った姿で、だんだん見えてくる本当の姿にストレスを覚えるようになり、やがて耐えられなくなる。お互い未練があるから取り繕ってきたけど、もう一緒には暮らしていけない。大人同士ならすり合わせてうまくやっていく道もあったのでしょうが、若い二人は良くも悪くもまっすぐで、それができない。
顔も見えない、名前も分からない登場人物の、愛情と悲哀だけが伝わってくる。こういうストーリーを「別れる」という言葉を一度も使わずに、どこか美しく表現するって、本当にすごいセンスだと思います。村下孝蔵さんの歌に出会えて、本当に良かったと思いました。
誰かが共感してくれると嬉しいです。
あと、村下孝蔵さんを知っている人には釈迦に説法かもしれませんが、生前に親交のあった沢田聖子さんが「親愛なる人へ」という追悼歌を作られています。
性自認に科学的根拠はない。宗教・文化・経験や感情などを背景とした自己選択、
ただし、経験や感情も背景にしているので、時にメンタルの病気の場合もあるので、
性転換には注意が必要、社会の子どもたちへの性のフォローの仕方を変える必要があるまでは大丈夫っぽい気がするんだけど、
増田が『神が男女を作った』の信仰に生きる人ではない前提で書くけど、
性別ってのは単なる社会ロールで、宗教的・文化的・政治的理由で人間が勝手に決めたものでしかないの
性分化疾患(DSD)ほかそのどちらでもない性別の人たちが存在するように、
だけど宗教の人はこれをどうしても認められないのよ。信条的に困るからね
中世までのキリスト教では、メスでもちんぽを持つハイエナを"神を受け入れたかはっきりしない曖昧な人間の象徴"として扱ってたりするくらいだしね
あと、性自認以前にそもそも現在の科学レベルでは 『自我や自由意志は気のせい』が誠実な答えなのは、疑念をはさむ余地がないのね
自我・心とやらは脳に物理的に存在しないし、すべては単なる反応で、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無
でも、みんな経験から "自我という事象" があることを認識・共有しているし、増田も自我があるように振るまうでしょ
科学的事実・客観的事実・根拠がなくても、自分のことは自分で定義付けていいのよ
それが<自己決定に基づいて自分自身のアイデンティティを形成する権利>ね
性別にはあらゆる根拠がないので個人の自己決定に基づいて選択していただくのは、全然問題ない
・・・でもさぁ、だからといって物理や社会制度を完全に無視して、
『今日から僕は女でーーーす』『男でーーーす』とか言われても社会は困っちゃうのよね
現時点(2023年)では、社会的に認めて欲しければ、ちゃんと必要な手続きをとりましょう、
あるいは、無意味に自分の身体を傷付ける・負担をかける手術をする人たちを無くすために、
男女なる不合理な枠を少しづつ無くしていきましょうってなるよね
(神が男女を作ったという人たちは絶対にジェンダーフリー・レスを許さないだろうけどね。
というか、そもそもトランス自体がジェンダーフリー・レスに反対的な立場を割と取ったりする)
このあたり前の話をガン無視するならば、トランスレイシャル(transracial)だって認めなきゃいけない
白人・黒人のルーツがなくたって明日から白人・黒人になれる世界
あるいはアメリカ人のルーツがなくても明日からアメリカ人になれる世界
つか、性別がスパッとできず曖昧なように、人種の特徴とされる外見も非常に曖昧で、
祖先に白人を持たない夫・妻ともに黒人のカップルにアルビノではない、
3 African couples gave birth to a white child
https://afroculture.net/3-african-couples-gave-birth-to-a-white-child/
以下、非武装中立をぶん殴る、日本共産党: 「1970年の焦点 : 日米安保条約をめぐる30問」 (1968)
社会党の「非武装中立」論は、日本が中立化すれば、外部からの侵略の危険はなくなるという希望的・主観的な判断を前提に、中立日本の安全保障の問題について、真剣な追求を事実上放棄しているのが特徴です。そのことは、安保条約を破棄した独立・民主の日本において、外国からの圧迫や干渉、中立の侵害、さらには侵略の危険などからどうして国の主権と独立、中立を守るかという問題にたいして、説得力のある具体的な解答をもちえないでいることにしめされており、そしてまた、そこに社会党の「非武装中立」論の最大の決定的な弱点があります。現に、一九六八年の参議院選挙にさいして、NTVテレビと『読売新聞」が共同でおこなった立候補者のアンケートでも、「非武装中立で万一日本が侵略を受けたとしたら、あなたは、次にあげる態度のうちどれをとりますか」という質問にたいして、社会党の候補者の回答は、「非力でも抵抗する」十四人、「国連、又は第三国の援助を要請する」十三人、「抵抗しないで連命を甘受する」三人、「その他」十一人、「わからない」四人、「無回答」八人と、まったくばらばらで、社会党が中立日本の安全保障の問題について統一したまとまった見解をもっていないことを、あらためて暴露しました。
ところで、社会党はどのような論拠をもってこの「非武装中立」論を主張しているのでしょうか。
社会党は、同党中央機関紙『社会新報」六八年七月三日付に、「事実を歪め、国民を欺瞞するな、日本共産党の非難に答える」というMなる署名の長論文を発表しましたが、そこでのべられている主張は、さいきんの成田委員長の発言や同党の方針のなかでもくりかえされています。それは、第一に、「日本が断固として非武装政策をとることによって」「いかな国も非武装の日本を攻撃する口実をもてなくなり、日本が侵略される危険がなくなる」と主張しています。これはきわめて無責任な議論です。
だいたい、「侵略がなくなる」というこの断定自体、なんの根拠もないものであり、日本が安保条約を廃棄して中立の道をふみだしたからといって、なお帝国主義が存続する以上、アメリカを先頭とする帝国主義陣営が、そのアジア侵略政策のいっそうの破綻のなかで、日本をもう一度アメリカを盟主とする軍事同盟にひきこもうとして不当な圧迫や干渉をくわだてたり、侵略の挙に出たりする危険は、依然としてのこっています。日本が非武装政策をとれば、どんな国も日本を攻撃する口実がなくなるから、「侵略される危険はなくなる」などというのは、帝国主義の侵略性、凶暴性に目をふさいだ、まったくの主観的、希望的な観測にすぎません。
したがって、帝国主義者の干渉や圧迫、侵略の危険などをどのような手段で防止し、日本の独立と中立を守るかという問題は、日本の平和・中立化の政策を真剣に追求するものにとって、けっしてゆるがせにすることのできないきわめて重大な問題です。まさにこの問題で、「侵略の危険はなくなる」などと勝手にきめこみ、なんら現実的な考慮をはらおうとしない社会党の態度が、独立・中立日本の前途に真剣に責任をおう態度でないこと、さらに、将来にわたって「非武装中立」などを固定的な原則として宣言し、あらかじめ自衛の手をしばってしまうことが、真に日本の主権と中立をあらゆる情勢のなかで守りぬく正しい態度でないことは、まったく明白です。
なお、ここでとくに指摘しなければならないのは、社会党の「非武装中立」論が、日米関係についての同党の根本的な誤りと結びついたものであるということです。いうまでもなく、一国の中立政策を問題にするばあい、その国がどんな外国の支配からも解放され、真の独立を確保していることが、その前提です。このことは、第二次世界大戦後の日本のように、アメリカ帝国主義の占領あるいは半占領下におかれている国では、アメリカ帝国主義の対日支配を打破し、真の独立を達成することをぬきにしては、ほんとうの意味で国の中立化や中立政策を語ることはできない、ということを意味しています。ところが、社会党は、「日本がアメリカに本質的に従属関係にあるものとみることはできない」(「旧本における社会主義への道」、一九六六年一月第二十七回党大会)として、日本の対米従属の関係を本質的に否認する態度を公式にとっているのです。帝国主義の存続と侵略性に目をつむるだけでなく、現実のアメリカ帝国主義の対日侵略を否認する立場からは、もちろん、日本の真の独立の達成という課題が提起されることはなく、けっきょく、この課題を軽視あるいは回避する社会党の立場が、真の日本の平和・中立化をめざす態度と両立しえないことは、あきらかだといわなければなりません。
社会党の「非武装中立」論のもうーつの論拠、問題点は、自衛権をめぐる問題です。
結論的にいえば、日本人民が主権者となった独立・中立日本の安全保障問題において、周囲にアメリカ帝国主義のような侵略勢力があるなかでの「非武装中立」という主張は、けっきょくのところ、いっさいの自衛権の発動の手段をみずから否定して手をしばるものである、ということです。さきにあげた『社会新報』のM署名の論文は、独立・中立日本の自衛権についての日本共産党の主張を攻撃して、つぎのようにいっています。
「日本共産党は、……プルジョア国家間の規範である国際法上の自衛権をもちだしている。これを根拠にして自衛軍隊を主張するなら、一国がプルジョア政府であろうと、民主連合政府であろうと、軍隊をもつことができるのであって、主観的にはどうあれ、自民党が進めようとしている自主防衛論、憲法改悪と核武器をふくむ軍備強化に積極的に手を貸すものといわざるを得ない」
まったく乱暴で、おどろくべき議論ですが、独立・中立日本の自衛権を主張した日本共産党の安全保障政策を批判しようとした『社会新報』は、問題の自衛権そのものを、「プルジョア国家間の規範」だという説でどこかにふっとばしてしまっています。しかし、自衛権とは、国家あるいは民族が、外国の圧迫や侵略から自国の主権と独立を守る正当防衛の権利のことです。これはすべての民族がもっている国際法上も広く認められた固有の権利であり、「プルジョア国家」だけにかぎられるものでは、もちろんありません。にもかかわらず、それが『社会新報』がいうように「プルジョア国家の規範」だとするならば、独立・中立日本には自衛権はないことになり、けっきょく、さきに引用したNTVテレビと『読売新聞』のアンケートへの社会党候補者の回答にあるように、「抵抗しないで運命に甘受」しなければならないというようなことになってしまいます。
なお『社会新報』はここで、自衛権についての日本共産党の主張を「自衛軍隊の創設」の問題と同一視し、最近になっても、「共産党は……外交政策における自衛権の主張は武装自衛の方向をとっている」(「一九七〇年安保廃棄をめざす闘争方針案」、六八年十一月社会党中央執行委員会決定)などといっていますが、これは、日本共産党の主張をきわめて一面的にねじまげたものです。自衛権は日本民族が一貫してもっている固有の権利ですが、これを行使する形態は、内外情勢や憲法上の制約などによってちがいます。日本共産党が、現憲法下では、たとえ真の自衛のためであっても国が軍隊をもつことを明確に否定していることは、ここでくりかえすまでもなく、「日本共産党の安全保障政策」および「日本の中立化と安全保障についての日本共産党の構想」にあきらかです。
自衛権をめぐる問題で最後にいっておかなければならないことは、さいきんの成田発言でもくりかえされている、日本共産党が自衛権を問題にすることは自民党の「自主防衛」論に手を貸すものだという議論が、ぎゃくに自民党の「自主防衛」、調をたすけてやる結果になっているということです。
日本共産党が、自民党政府の「自主防衛」論や自衛隊増強に反対しているのは、一般に国を守ることそのものに反対だからではなく、自民党の「自主防衛」論が、日本の主権と独立を守るどころか、反対に、アメリカの指揮下にアジア侵略の「日米共同作戦」態勢を強化することをめざしたものであり、自衛隊が憲法違反の対米従属と人民弾圧の軍隊であるからです。自民党のこの「自主防衛」論を粉砕するために必要なのは、「自主防衛」の名による日米軍事同盟強化、自衛隊増強の危険な実態を具体的に暴露するとともに、アメリカ帝国主義の対日侵略と主権侵略を許している日米安保条約のもとでは、一具の自主防衛はありえず、日米安保条約を廃棄し、日本の真の独立をかちとり主権を回復してはじめて、ほんとうの意味で、日本の自衛や安全保障を問題にすることができるという根本の道理を、広範な国民のあいだで明確にすることです。この意味では、日本の主権を侵害し、領土を侵略しているアメリカ帝国主義を日本から追いはらうことこそ、日本民族の正当な自衛権の発動なのです。
これにたいして、もしわれわれが成田氏らの主張のように、自民党の「自主防衛」論に反対しようとして、日本民族の自衛権そのもの、外国の侵略から主権と独立を守る権利そのものを否認する立場にたつならば、それは、日米安保条約をなくす民族的な権利をあいまいなものにするだけでなく、かえってわれわれの立場を道理のないものにし、自民党が「自主防衛」論を欺まん的にふりまわして日米軍事同盟強化の方針をおしすすめるのをたすけてやる結果になることは明白です。このことは、六八年の参議院選挙中、テレビやラジオの政党討論会などで、自民党が中立政策に打撃をあたえようとして、自衛の問題を無視している社会党の「非武装中立」論の弱点に攻撃を集中する作戦をとり、社会党がこれに明確な反撃をおこなえないできたことにも、はっきりとあらわれています。このように、社会党の「非武装中立」論は、自民党との対決という点でもかれらに乗じられる決定的な弱点をもっています。
山守さん、弾はまだ残っとりますよ。 ヒッポリュトス。 ヒッポリュトス。わたしたちが別れ際交わした約束の続きです。 ヒッポリュトスは悲しくなりました。わたしたちは別れ際交わした約束だけで結婚したはずです。 約束の続きです。わたしたちは別れ際交わした約束だけで結婚をしたはずです。 「『パンタジェラ』の呪い」の続きです。 わたしたちは別れ際交わした約束だけで結婚したはずです。 約束の続きです。 私たち
前から予約していたんだ。3月31日、この日は大好きなお店で、ひとりで飲もうって。
店に着くと今日はもう予約でいっぱい。4人連れ、3人連れ、2人連れ。ひとりぼっちは自分だけ。かつて初めてこのお店を訪れた時は、そうだわたしだって2人で来ていたのにな。今ではすっかり単独来店が板についてしまった。
氷があんまり働いていない、ぬるめのハイボールを飲む。勝手に出てくる串。おいしい手作りのキムチ。デザートみたいなレバーペースト。
気がつけば横の知らない人らと話をしながら笑ってたりして。でも何の話していたんだっけ、覚えていない。
ほろ酔い気分で電車に乗って、最寄りの一つ手前で降りる。今度もカウンターでまたひとり。知った客、知らない客と言葉を交わして。とりなすことは、先ほどの店とさほど変わらない。
もう終わりだよ、の店主の合図でまた一駅電車に乗る。
金曜日の夜は当然どこも賑わっていて、スナックの扉から陽気な歌声が聞こえてくる。
いつもの店。またここでも同じ。過ぎし日、何もしなかった日々を、名残り惜しむように夜をなん度も繰り返す。
普段飲まないマスターが、この日はどうしてかすでにへべれけ。おかわりを与えながら自分も飲んで、気持ちよく同じ水準まで駆けてゆく。お酒で感じるうっとりは、本当に危険だなとしみじみ思う。
そうこうしてるうち、少ししたら新たに客が来て、その人は顔見知りの青年だった。思いつきでいつだか、2人でご飯を食べに行ったことのある関係だ。
人類愛のいきすぎているわたしは、彼のことが好きだ。2人で食事をしたことを機に、一層その思いを強くもしていた。他人のことだから確実ではないが、おそらくは彼も、わたしのことをそんなふうに思っているであろう。そんな行間がふたりにはある。
店が終わりに近づいて、ひとりまたひとりと帰り支度を始める。横にいた彼が、「少し歩いて帰ろうか」とわたしに声をかけた。酔うと歩きたくなってしまう性分であることを、彼はもちろん知っているのだ。
行こう!と乗り気になって、夜を歩き始める。歩きはじめると、そのうちやってくる歩き終わりが惜しくなってしまう。遠回りをしながら、休憩をしながら、忘れてしまうようなどうでもよい話を延々と続けながら歩いていた。
きっかけがなんだったのかしれないが、気がついたら手を繋いでいた。
「指先がとても冷たいね」と言って、両の手でわたしの手を挟んでくれる。手指消毒ばかりやって、何もケアしないしわしわの手を。
「もうずーっとそうしててください」
そう思ったことは、言うまでもなく。
ただ不思議なんだ。
すべてのあたたかなエピソードが、わたしという軽率の上をすべっていくから。こんなことして、どうしようっていうんだろう。まるで日替わりのようにこんなことして、トキメキの屑をこっそり心に忍ばせて。
思い出だけをたくわえて、順当に歳をとり朽ちていく自分をどうやって扱おう。
三浦さんとか、古市さんみたいなケースを想定して、「実績のない学者wwww」的な論調をよくみるのだけれども、
大学に勤めている人間の一人としては、そういう主語の使い方はほんとうに有害だから、やめたほうがいいと思う。
結論を一言で言えば、研究外の大学の仕事をしている先生は、ふつうに尊敬すべき職業人なので、雑にディスんのをやめろ、ということだ。
(三浦さんとかをディスんな、という話ではない)
もう少し丁寧に言うと、「日本の大学は研究力が落ちてる!」的な話がよくあるけど、実際、研究に割ける時間が少ないのである。
授業なのど教育や、啓蒙活動などの業務をやっている先生というのは、一般の人にも見えやすいとは思うんだけれど、
・大学内の雑務(入試業務や、学生がしでかした案件の面倒、学内のハラスメント案件対応)
・学会関係の雑務(学会ジャーナルの編集業務、大会開催に関わる雑務、査読)
・行政関係の委員会仕事(各官庁で開かれている○○委員会などの)
などなどで、とにかく忙しい。
人柄に問題がなくて、企業などの中でもやっていけそうなタイプで、人のいい先生などは、多様な業務にこき使われることになる。
また、その真逆の現象としては、権力欲が強くて学内政治を頑張ってえらくなるタイプの先生もそれなりにいる。
結果として、「すごくいい人」と、「権力欲の強い人」が学術関係雑務を担っており、
そういう人たちが、大学・学会等の雑務をもろもろ引き受けているおかげで、論文執筆の時間を作れている先生方はたくさんいるわけだ。
言ってみれば、宮崎駿をサポートする鈴木敏夫みたいな先生とかもいるわけだ。
日本の大学の研究パワーが落ちているのは、研究に割ける時間がそういう雑務によって圧縮されて、少なくなっているからなんだけど、
「実績のない学者www」というのを馬鹿にすると、そういう人にまで被弾するし、そういう人を大学から追い出しても、いいことは特にない。
大学の事務局が、雑務を全部やってくれるんならいいが、業務内容の性質から言っても、事務局がすべてを引き受けることはできない。
大学の研究者は、実業界の実績などによって評価されて教授になる実務家教員と、研究の成果が評価される研究者教員という区別があるが、
現状に実情としては、そこに「事務方教員」みたいな役割の人がいるのである。
たぶん、今の大学の先生の8割ぐらいは、そう言われると「ああ、俺、ぶっちゃけそれだわ」みたいな気分になるんじゃないかと思う。
制度上は、実務家教員ないし研究者教員として採用されているが、実態は「事務方」の仕事がほとんどみたいな人はほんとに多いと思う。
なんでもかんでも競争的資金にするとかいう、文科省の馬鹿みたいな政策方針が変われば、もう少しマシになるのかもしれないが、
大学教員の大半は、ほんとうに、日々、事務仕事をやらされていて「一体、俺は何の能力で雇われてるんだっけ……」みたいな人は、多いと思うよ。
この実態がいいとはビタイチ思わないけど、大学教員の雇用実態が、そういう事務能力の高さを評価する組織になっているという事実はあると思う。
日本の大学がこのような状態に陥ってしまっていることは、文科省をはじめとする大学行政の責任がやはり大きいと思うので、この状況はどう考えてもよくないけど、
やりたくもない雑務をひきうけて、研究の時間をとれなくなっている人間を、実態も知らずに主語に含めてしまってディスるのは、単に失礼だし、やめたほうがいい。
バックオフィス系おじさんです。基本的にあなたの文章が「正確である」との前提でグダらせていただきます。
まず第一にバックオフィス系だと会社や役員の機密情報に接することが多いため、どうしても濁った水を飲みこまざるを得ない局面があります。
正しい仕事ってなんなのでしょうか。
あくまで個人的にはですが、「誰に対しても胸を張って社名を名乗れ、事業内容を話せる」のが正しい仕事と思います。
そうであれば、内部で多少のアレコレあるのはもう諦めるというか関知しないしかありません。
また上層部にパワハラの注意喚起など最悪です。あなたは何様なんだという話に直結します。
役員としては、若手部下が、パワハラという脅しで自分に言うことを聞かせようとしてきているとしか認識できない状況です(そこで正しく認識できるような人ならそもそもそんな言動をとりません)。
もし本当にどうにかしたいなら、役員に対しては面従しつつ、現場社員に対して証拠集めの仕方と労基署への正しい相談の仕方をコッソリレクチャーし、またもし何かあってもあなたがレクチャーしたとは絶対に表に出ないようにしたうえで現場社員のタレコミを待つしかありません。
それでもハイリスクですけどね。というかあなたがやろうとしていることは、「上司を刺そうとしている」ことであり、であれば「差し違えるか、もしくは自分が一方的に刺される」覚悟が必要です。
もちろん法律は大事というか今時最低限のコンプラ意識の無い役員はクソですが、会社は株主のものであり経営者が経営するものである以上、法律が正しいなどと言っていても特に意味はありません(不当解雇された場合に、ガチで訴訟する気があるならまた多少は話が変わってきますが)。
次に借金ですが、可能なら親に土下座して建て替えてもらって無金利で親に毎月一定額を返しましょう。
どこで借りたのか知りませんが金利負担はでかいです。それが無くなるだけで格段に楽になります。
それが無理で、かつ転職しない前提なら「切り詰めて頑張れ」以外に答えはありません。
JavaScriptを難読化するプログラマーを批判するコメントとして、以下のようなものが考えられます。
以上のように、JavaScriptを難読化するプログラマーに対して批判的な立場をとります。
レスがあったので対戦成立と考えます。対戦ありがとうございます。よろしくお願いします(ギャラリーに言っておくがこういうときにはお礼と挨拶を言っておけ。礼儀ってやつだ)。
ヨッピーからのレスですが、率直な感想は「質問に対して回答が返ってきてないな」です。
なので、この返答では
の2章にわけて返答します。ヨッピーは本増田にレスする際、可能な限り123それぞれに対して返答いただけると助かります。理由はそうしないと返答がどんどんとっちらかっていくと思ったからです。
もしそのような形式を望まないなら、望まない理由を本増田への返答の「冒頭」に記載ください。
さて、率直に言って、ヨッピーからの返答は自分にとってそれほど重要でない論点が多いので、話が発散しないように枝葉末節は増田の書き方に非があったことを認めて訂正していこうと思います(ギャラリーに言っておくが現状のヨッピーは枝葉末節をレスバするモードに突入してるので、プライドが許すならさっさと訂正して話を絞るべきですね。私は別に自分の文章が完璧だとは思ってないのでさくっと訂正していく方針をとります)。
ありがとうございます。そこを認識しているのは今回の収穫でした。
だけど「それって全然一般的じゃないよ」って言われても「いやだから『仲間内で飲む時は』って注釈入れてるんだけど」としか言いようがないよ。
仮にね、僕が「女性抜いて男性の頭数で割ったらどう?」って提案したんだったら「いやそれ全然一般的じゃねーし」とか「私は嫌だわー」とかあれこれ言うの全然理解できるよ。
だけど「仲間内ではこうすることもあるよー」って言っただけの事に対して「それ、一般的じゃない」とか返答になってなくない?だって一般的かどうか、っていう文脈で出してないもん。あくまで「仲間内では」って最初から書いてるじゃん。
ここは基本的に仰るとおりだと思います。なので、増田が「ヨッピーは『自分たちの感覚が一般的である』と思っている」と考えていたことは間違っていたことを認め、ここに謝罪します。
そして、増田の主張を「ヨッピーは『自分たちの感覚に説得力がある』と思っている?」に訂正し、後の再質問といたします(※B-1)。
これ、もう少し説明しておきたいんだけど、全部僕が言い出しっぺで「男だけで割ろう」って言いだしてるんだと思ってる?そんな事書いてあるか?
「仲間内ではこうすることもある」って書いてるだけやで?
僕が言いだしてる事もあるだろうし、友達Aが言いだしてる事もあるだろうし、友達Bが言いだしてる事もあるわけじゃん。そういう経験が重なって「まあこのメンツならこれでいいか」っていう判断になるわけじゃん。それにお金に対してどういうスタンスなのかくらい長い時間一緒にいたらわかるよ。
なるほど。たしかに私は「ヨッピーはそれなりにライター業で飯を稼いできたから身内の間でそれなりに立場が上の存在であり、ヨッピーが先導して言い出していることなのだろう」という先入観を持っていましたし、それが間違っていたのであれば謝罪します。
1点目。「お金に対してどういうスタンスなのか長い間一緒にいたらわかるよ」と仰ってますが、少なくともあの文章から「長い時間一緒にい」ることを読み解けというのは無理なのではないかと感じますが、「仲間内」を「長い間一緒にいる相手」と補足なしに読み解くことは可能だとお考えですか?可能であるというなら、その根拠を記載いただきたいです。(※B-2)。
2点目。これは前述の質問と重複しますが、ヨッピーはあの文章の流れで自分たちの「仲間内」の例を挙げることが、ご自身の主張の説得力を上げると考えていましたか? いませんでしたか?(A-1)
>「ヨッピーたちは陽キャの集まりなんだから、陽キャのノリが陰キャの集まりであるはてな相手に通じるわけがない」。
「通じるわけない」ってなんでイチ増田でしかない貴方が言い切れるの?言っちゃなんだけど今回こうやって僕が怒ってる事について賛同してくれる人はたくさん出てるよ。
奢り奢られの時だって「わかる」って言ってる人だっていっぱい居たよ。貴方は何を持って「通じるわけない」って断言してるの?
貴方が書いた増田にも「男だけで割るの、わりとあるぞ」ってコメントしてる人がいるよね?
通じてる人が現にたくさん居る件についてはどう解釈してるの?
その辺聞かせて欲しいわ。
ここは正直「ヨッピーに何か提言するならはてなをdisっといた方が感情コントロールの観点でヨッピーに同意してもらえる可能性があるかな」と思って書いただけなので、雑語りであることを認めます。この記述は増田がただ雑語りをしただけなので全面的に悪いです。ヨッピーおよびはてなユーザー全員に対して謝罪します。申し訳ありません。
そもそも、該当の記事は冒頭で「廃人ツイッタラーのみなさーん!」って呼びかけてるんよ。はてブユーザー向けに書いてないんよ。勝手に拾って勝手に拡散してんのはてブ側じゃん。
「インド人に喜んでもらえる本格カレー屋さん作りました!」って宣伝してるのに日本人客がワラワラやってきて、「このカレーは日本では一般的ではない!」とか言われたって「いや、知らんけど……」ってなるでしょ。もちろん店を開いた以上誰が来ても文句は言えないけどさあ。
しかもその日本人の中にも「けっこう美味いな!」とか言ってくれてる人がいるのに、イチ増田でしかない人が「こんなの日本人には通用しない!」とかイキリ立って出てきたら「え、ええ……」ってなるわ。増田は「はてブ6段」とかそういう位を持ってたりするの?
「勝手に拾って勝手に拡散してるのはてブ側じゃん」と仰りますが、これは「Twitterユーザー以外の人間が『勝手に拡散する』ことがおかしい」と読めます。増田の解釈は間違っていますか? もしそうであれば、「自分の想定読者層が拾って拡散する」行為をヨッピーは認めない」と読めるのですが、それは合っていますか? 合っていないならご指摘ください。(※B-3a)
また、それこそ「誰が来ても文句は言えない」と理解しているなら、なぜ今回「文句」を言ってるのでしょうか? 今回返答をしている理由をお聞かせ願えますか?(※B-3b)
あとすみません、これもよくわからないんですが、「増田は「はてブ6段」とかそういう位を持ってたりするの?」の含意をもう少し説明いただけませんか? 増田の読解力が悪いと思うんですが、この一文の含意がマジでわかりませんでした。(※B-3c)
うーん、「毎回キレてる」のサンプルを提示してくれませんかね。僕、自分の中でルールを課してて、「おおっぴらにキレるのは1年に1回まで」ってやつなんだけど。なので2022年はおおっぴらにケンカしてないから今回文句言っても良いかなー、って感じでやってます。
僕が書いた記事に辛辣だったり誤読したりあーだこーだ言って来る人達は年イチどころか記事書くたんびに湧んだけど、それに対して僕が毎回キレてるソース、ください。
「前回からの質問に対して回答いただけなかった部分」と、「返答を受けて再質問させていただく部分」とで列挙しますね。
なお、これらの質問は「ヨッピーの内心を探る」効果が極めて高いと認識しています。そのため、「回答したくない」と思うのであれば、回答しないでいいと思っていますし、その理由は「言いたくありません」以上の説明が不要だと思っています。その程度には、増田はヨッピーの内心の自由を尊重します。
追記で返信しといたよ~~~! https://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2023/02/25/233355 /早く再返答しろ!
たしか26日15時くらいに見たときは「再返答もらえるんですよね?」みたいなこと書いてたと思うので出先から帰宅して返答増田を書いてたんですが、20:49に見たら「早く再返答しろ!」って書き換わってました。
わざわざブコメを後から「早く再返答しろ!」って書き換えるくらいに返答をお待ちなら、次のレスからは「○○日○○時○○分までに再返答しろ!」って書いてもらっていいですか? 増田は匿名でヨッピーにコメントしちゃう程度には暇なんですが、増田も休日には日用品買ったり映画観たり彼女と遊んだりポケモンGOやったりするくらいには暇ではないし、増田なりに誠実に返答しようと思ったときに半日で返答できるほど有能でも頭がいいわけでもないので、ヨッピー的に反応が遅いと感じるのであれば、「いつまでにレスがほしい」というかたちで期限を指定してもらえるとありがたいです。
まあなんかヨッピーのプライベートに一方的に批判するのはアンフェアだなと思ったので増田のプライベートにおける奢り奢られ状況を書いときますね。
※長すぎて追記がはみ出たので別記事に分離https://anond.hatelabo.jp/20230226230840