はてなキーワード: 関西とは
海外からの観光客向けICカード乗車券「関西ワンパス」の利用状況が4/18に発表され、滞在時間(中央値)では奈良県の4.7時間が関西一短かった。
これを聞いて思い出すのが、2014年~2015年に奈良市長の発言としてあっちこっちで取り上げられた「海外のガイドブックは奈良は3時間で十分と酷評」報道。
仲川市長は「奈良は外国のガイドブックには『3時間で十分』と書かれ、通過する観光地になっている。『シカと大仏しかない』とされる現状を脱却したい」と意気込むが、効果的な打開策はまだ見えない。
(読売、All About News Dig、週刊東洋経済、日経、WebComputerReport、TOブックス、まぐまぐニュース、KAWADE夢文庫、中国人観光客の奈良インバウンドに向けた調査研究も同様)
いったい本当なのか。産経新聞への公開質問状に対する回答によると、市長は奈良県の古い調査書を見ただけで、ロンリープラネットなどに書いてあるらしいとしかわからないという。
奈良市長の発言の根拠は、平成18年の「奈良県外国人観光客実態調査結果報告書」に書かれた内容に基づいていると確認しています。報告書では、『ロンリー・プラネット』等には、奈良観光旅行の紹介を滞在3時間程度あれば可能と紹介されており、これを払拭するために観光ルートを紹介した情報発信の取り組みが必要と指摘されています。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=232107930333531&id=126514210892904
しかし、実際にはロンリープラネットにそのような記述はなく、市長が根拠としている県も新聞で見ただけ。
報告書が名前を挙げた有力な案内書の当時の版を「奈良の声」が確認したところ、「2日かけるのが望ましい」となっていた。県によると、当該の記述は新聞記事からの引用で、案内書そのものは確かめなかったという。(中略)県観光プロモーション課によると、引用元の新聞記事は残っておらず、当時の担当者はどの新聞にどのように書いてあったか具体的なことは覚えていないと話しているという。
そこで、奈良県立図書情報館協力のもと、産経新聞大阪府下版、日経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞奈良面、奈良新聞、奈良日日新聞を調査したところ、該当する記事は見つからず。仕方がないので、地道にガイドブックを一つひとつ確認していった結果、唯一Frommer's Japanには3時間の記述があったけど、時間が十分でなければ3時間であって、3時間で十分ではなかった。
If you don't have much time, the most important sites to see are Todaiji Temple, Kasuga Shrine, and Kofukuji Temple's Treasure House, which you can view in about 3 hours.
http://www.frommers.com/destinations/nara/attractions/overview
あくまでも小説のネタとして読んでほしい。真実が含まれていたら、殺されるかもしれない。
1.まずあの土地は伊丹空港の騒音問題で運輸省が買い取った土地だった。
2.騒音問題、高さ制限、さらに元々湿地だったという前歴から、マンションなど立てられず、高い価格の付く土地でなかった。
3.あの地域を地盤とするT議員の支持者にあの周りの土地を持っていた人がいたと思われる(憶測)。
4.T議員は、財務副大臣のときに画策し、一部を豊中市に公園用地として高値で売ったのです。しかし多額の補助金をつけ、実際には2000万円という格安で豊中市は買っています。
5.これにより周りの評価額があがり、T議員の支持者には大儲けしたひとがいるのでしょう(憶測)。
6.籠池氏は高いままの評価額で買わされそうになったのですが、おそらく誰かにそのことを教えてもらったのでしょう。
7.政治家を使ってなんとかしようとしましたが、結局自分で役所に乗り込んで、ゴミの撤去費用という形で値引きを約束させたのでしょう。
8.隣の豊中市の公園用地の辻本議員の関与がネット上で問いただされたとほぼ同時に、民主党からはデマだとかの圧力がかかり、マスコミがトーンダウンしました。
9.このT議員の疑惑が出てからの民進党の終始狼狽振りは、項番3や5を十分に疑わせるものです。
10.この事件と前後して田中造園の秋山社長が自殺したと言われています。本業は造園なのでしょうから、当然公園にも関わっているでしょう。その人物が自殺というのはタイミングが良すぎますね。むしろ殺されたという疑いがでます。(彼が籠池氏にカラクリを教えたんじゃないかと思います)
11.民進党に悪いやつがいて、籠池氏に偽証させたんじゃないか?。何しろ人一人死んでいるのです。菅野完というお目付け役が付いていますが、「部落解放同盟内の極左」だったらしい。関西じゃ部落関係はアンタッチャブルで時には死人もでる世界。
参考文献
親の世代に遡るけど、差別から身を守るためにはそうしたコミュニティに属するか、そうしたコミュニティから逃れて隠れるかという選択肢があってうちはその後者だった。
それは言葉を変えると、朝鮮人としての在日として生きていくのではなくて、自国から離れて在日朝鮮人として生きていくということの選択でもあった。
マイノリティとして生きる上で日常的な差別から身を守るには被差別者であることを公表しないことが何より効果的だった。
帰化すればいいのにって言うのは簡単で、例えば関西の人が東京に出てきて関西弁を捨てて東京人になりたいか?というような問題だと思う。
さっきサイバーメガネの人にブクマされて思ったけど、誤解を恐れずに書くと、今、福島を離れて都市部に出てきている人も同じように考えているんじゃないかな。
日々周りを取り囲む差別に怯えて、地元に残る人の一部からも白い目を向けられて、それでも本籍を変えて故郷を捨ててまで生きていきたいか?という感じ。
そんな簡単な問題ではないと思うので、でしゃばった意見だったら申し訳ない。
要するに自分が被差別者だったからこそ得られた経験が沢山あって、何よりもアイデンティティでもあるってこと。
今は隠す隠さないというより、必要があればその都度公表するし、不都合があればあえては口にしない生活。日常的な嘘からは解放された生き方がやっと出来てきた感じです。
最近、『もんくもん』(読売テレビ)や『ちゃちゃ入れマンデー』(関西テレビ)、『VOICE』(MBS)などで「奈良5時くらいから店閉まるもん。全部そう」「年に一回くらいしか外食しないんか?」などと言われる。
これは昔からで、具体的な名前を出すと、関西人の謎ですねん!(河出書房新社)、月曜から夜ふかし(日テレ)、第1次さんま内閣!(フジ)、産経新聞、VOICE(MBS)、Nスタ(TBS)、All About News Dig、奈良あるある(TOブックス)、世にも不思議なランキング(TBS)、ten.(読売テレビ)、ロケットニュース24、日経新聞、おとな会(MBS)、まぐまぐニュース!、今ちゃんの「実は・・・」(朝日放送テレビ)、ならナビ(NHK奈良放送局)、ニュースほっと関西(NHK大阪放送局)、ちゃちゃ入れマンデーなどきりがない。
「だって奈良なんだから」と思われるかもしれないけど、土産物店と飲食店を一緒くたにしないでほしい。
過去に、産経新聞の「主要駅周辺の飲食店の多くが午後8時に閉店する」という記述に反論するために各メディアに文書が配布されたことがあるけれど、それによると
・ 東向商店街にあっては、31店舗のうち20時で閉店するものは喫茶4店舗、うどん2店舗、和食1店舗の7店舗のみで、多くの店の閉店時刻は22時となっていること。
・ 小西さくら通り商店街にあっては、30店舗のうち喫茶系6店舗、お好み焼き2店舗、和食2店舗が20時までの閉店であり、多くは22時から23時、場合によっては午前1時頃まで営業する店もあること。
・ 飲食店の少ない餅飯殿商店街においても、16店舗のうち20時までの閉店は、うどん店とレストランの各1店舗のみであり、多くは22時から24時が閉店となっていることがわかります。
https://www.facebook.com/permalink.php?id=126514210892904&story_fbid=243353179209006
http://anond.hatelabo.jp/20170412001132
自炊7:買い食い3 ぐらいの料理下手だけど、個人的にこれらがなかったら今以上に自炊できてないだろうなと思うものをあげてみる。
味見してもスプーン一杯とか一口とかでは味がロクに分析できなくて、本格的に食べながらようやく、
ちょっと薄い?かも?とか思ったり思わなかったりするレベルの人間なので、自炊勢の中でもかなり低層に位置しているところからお届けします。
鶏ガラ系の味が好きなので色々試したけど、手で簡単に開けられる小分けの袋に入っているので、1回分の量で迷うことがないし入れすぎないから今のところイオンのやつが一番便利。
スプーンや大さじではかって調味料を入れる的な高度な文明は私の家にはありません。
使い道としては中華っぽいもの、スープ、野菜炒めなどにも。ご飯の上にかけてお湯を注いで中華湯漬けにしたりする。もちろん中華粥とかにもなる。
毎年夏になるとこれで、適当にやっても許されるゴーヤチャンプルーをひたすら作っている。
やや少ない量の野菜炒めなんかだと、1包分入れるとちょっと濃い感じがするので、塩とか醤油とか入れなくても味が付く。
とりあえず1包入れてから足りない時だけ塩を振るスタイルにしたら、コショウの入れすぎに気を付けるだけで味付けに失敗することがほぼなくなった。
同じパッケージのコンソメもあるのでポトフ好きとか洋食好きはそちらもどうぞ。
関西限定かもしれないが刻んだ九条ネギとかをそこら辺で売ってるのでとりあえず買っておく。
炒め物でも納豆でも味噌汁でも卵スープでもラーメンでも、かければ彩りが増して食事の満足度が上がる。
冷凍しておけるらしいけど、ウチでは何度ためしてもガチガチのブロックになってしまったので諦めてさっさと使うようにしている。
業務スーパーで800円ぐらいで売ってるやつ。給料が出るとまず買っている。
開封するのは半月後ぐらいだったりするけど、後半になって金欠になってくると肉を確保するのが難しくなってくるので、
給料日が近づくにつれて野菜炒めの肉が鳥や豚からハムにシフトしていく感じで登板回数が増える。
これを買い置きしはじめる前は給料日が近づいてくると肉ナシの野菜炒めやカップ麺とかに走ってしまっていたので、かなり助けられている。
・お湯沸かしマシン
ティファールとかのやつ。ボタン一つでお湯を沸かせるのは非常に大事。袋麺だって自炊です。
しんどい日でもボタンを押せばとりあえずあったかいものが食べられることが確定する。
・水切りカゴ
シンクの横に置けるヤツ。
ただでさえお腹が膨れていたり冷めないうちに早く食べたかったりして面倒な後片付けを、洗い物→皿拭き まで一気にやるなんてムリムリムーリムリ。
かといって食洗器を設置するスペースもないのでカゴを置く。
洗ったらこのカゴに並べておけば翌日また使えるようになるので、実質食器棚みたいになってる。
これも面倒な洗い物に向かう気力を奮い立たせるためのアイテム。
その日のうちの汚れなんか市販品なら大体どれでも落ちると思う。
洗い物を後回しにするところから自炊ループの崩壊が始まるパターンは非常に多いので、なんとかその日のうちに洗い物まで済ませるのがとても大切。
・深めのフライパンか浅めの両手鍋的なもの(フタつき)と竹べら
直径26~28㎝ぐらい、高さが10㎝だか12cmだかぐらいあるやつ。もちろんテフロン加工的なやつ。
炒めるのも煮込むのも蒸し焼きにするのも揚げ焼きにするのも、大体全部コイツがやってくれる。
竹べらはテフロンを傷つけずに鍋の中で混ぜたり切ったり崩したり返したりと大活躍する。
百均でも売ってるから菜箸や割りばしだけでやってる人は是非試してほしい。
鍋が深めなので雑に50円になってた野菜炒め用の野菜パックを2袋とか突っ込んでワシャワシャしてもあふれない安心感。
俺は両手鍋っぽい形のやつを使っている。振りにくいがそのまま食卓に鎮座させてもフライパンみたいに持ち手がじゃまにならないのが良い。
・蒸し焼き
肉の火の通り加減をなんか刺して探るとか全然できないしやってみてもサッパリわからないので。
鳥でも豚でも肉の表面をちょっと焼いたあと野菜突っ込んでちょびっと水と鶏ガラスープいれてフタして放置したりたまにゆすったり。
何も考えていなくても割と火はちゃんと通って、あまり硬くなってない肉が食べられる。
鶏むね肉とかかたまりだと安いので、買ってきた肉を適当に切って蒸し焼きにすることが多い。そんでちゃんと美味いんだからニワトリさんは偉いよ。
バスとの競争という考えがないの、いかにも都会の人間(都会ではバスは補助輸送機関だしな)という感じだが、地方ではバスはかなり強い。
概ねは賛成だが、この点はどうなんだろう。
あくまでも地方とはどこを指すのかという基準によるから一概に言えないという前提の上にはなるが。
関西圏の話が出ていたけど、松井山手から京都方面は京阪バスの直Qバスがかなり強いし
神戸も神鉄沿線からの三宮直通バスが神鉄を追い込んでる状況だし。
関西ぐらいでもう既にバスはメインになりうる輸送機関になってると思うよ。
たしかに東京都区部では補助、しかも金持っててタクシー乗る人も多いからさらに影が、みたいな話はよく分かるけど。
でも、東京から都市圏輸送はともかく、都市間輸送になると既に飯田行とかはバスがメインで鉄道は補助にすらなってないわけで。
千葉県方面もその傾向がある。つくばも、鉄オタの妄想レベルの超高規格新路線のつくばエクスプレスがあるからバスが補助になってるだけで
開業前はそもそも鉄道が無いという飯田以前の問題だったわけだし。
たぶん、都会民だからバスの重要性を知らないとかいう話ではなく
単純に自分の乗らない交通モードと言うか、交通様式に興味のない人が多いというだけではないかと思う。
1年と2ヶ月ほど前は、初風俗で中~高級店を月1~2回に通ってしまっていた。
今はストレスからも解放され心が落ち着いたのと、女性の体が放つエロスに耐性ができたので、吉原とか1回の遊びで数万が飛ぶとこには、四半期に1回行くかどうかになった。
マジで、みなさん例えばどこなら都会でどこなら田舎なのか教えてほしいわ。
例えば次の内、どれが「標準」なんだ?
「東京都区部とその隣接地域一部が都会。足立区とかは都会の一方八王子は田舎。」
以下、名古屋を増やしてみたり、福岡を増やしてみたり、いろいろあるとは思うが大まかに
この3つあたりが大きな分かれ目だと思う。
スゲェ住みやすいのに、
駅前には大きなヤマダ電機(高崎が本社)もあるし、郊外にはもちろん巨大なイオンもある。
飯屋は多いし、コンビニも普通にある。車社会だから駅から離れても商業施設は沢山ある。
そもそも、関東から関西に移り住んで田舎の定義が変わったんだけど、
関西に越して「横浜は田舎っすよ〜」って言うとかなり失笑をくらった。
これはどういうことかって言うと、
小学生の頃、夏休みにじいちゃんばあちゃん家に行くと思うんだけど、
その時に夏休みどっか行くの?って聞くと「田舎に帰るー」って大抵答えるけど、
田舎=おじいちゃんおばあちゃんの家で、そもそもそこが横浜だったオレからすると、
たまにガチの田舎に帰省する友達がホント羨ましかったのと同時に、
けど、横浜→東京→関西→高崎に越してきてはっきりと言えるのは、
横浜はちゃんと知れば近代的な文化(ジャズとかレゲエとか)はあるし、
今思えば十分退屈しないと思う。
で、今いる高崎は生活する分には何不自由しないしないんだけど、
(美味い飯屋もメチャ多い!)ホント退屈なのよ。
何と言うか、ただ生かされているというか・・
これまで参加しなくても参加していたんだなと、副流煙的な・・
思う今日このごろ。
住みたいとも思わないよね。
世の中を担っていく必要があるんだなと
戒めと期待を込めて。
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。
予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポが音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。
*
就活ではいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費が支給されるときは新幹線や飛行機(LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないときは夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸の三宮とか東京の蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。
就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京に一極集中したメディアや広告、出版関係の企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいかに交通費で破産せず就活を乗り切るかはひとつの重要なテーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイトが提唱する標準的なエントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西や関東への移動はそれなりに負担で、特に東京の会社で選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。
夜行バスが発着するのはたいてい新宿の西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿のビル街を歩くと時々そのことを思い出す。
支給される交通費で収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東の実家や知人のところに滞在しながら、東京の会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡〜東京間の交通費を申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡の会社に大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社からも内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一次安倍政権のときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業の内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場は氷河期を迎えた(らしい)。もし自分が大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部のとき受かったところには受かっていなかっただろう。
職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立の小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたものは自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機を矛盾なく有効に繋げる作業を会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビやみん就のサイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人に自分を矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分のなかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。
*
先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間を体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。
夜行バスに乗っていたときの自分にとって、海外旅行も宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのときの自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口のネットカフェに泊まったり朝から歌舞伎町の銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路に浮浪者の排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡に下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。
去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパやアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月のラッシュのなかを新幹線で実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分のお金で大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。
国際化が進む日本でも、地方のように、歴史的な遺産の残る原風景も探せばまだまだある。これは韓国や台湾や中国も同様だ。大都会から続く現代都市は、必ずどこかで途切れる。
しかしそういう場所を通ると、必ず別のことにも気づく。それは、本来都市と無縁である地域にもかかわらず、ついこの間まで歴史的に価値のあったような場所が無秩序都市に変貌していることだ。田舎に分譲マンションが建設されていて、本来は学園都市と無縁である地域に大学キャンパスがドカドカ建ち、鉄道や道路は満員状態だ。
東アジアはよく「欧米や東南アジアのように未来志向なだけではなく、歴史もあって田舎もあってバランスが良い」ことを売りにしている。たしかに関西や中部や関東のように、都市の無秩序化対策にとことん取り組みつつ歴史的遺産をきっちり守る場所もある。どうも大都市圏方面ばかりそういう施策はあるのに、田舎のそれを蔑ろにしすぎだと思う。
日本は田舎が都会の何倍以上もあるが、田中角栄政権移行の画一的開発化に伴う開発もあって、もはや「田舎」は残っていない。つまり貴方たちが云う田舎はその地域の片隅にしか残っていない。北関東や東北にも歴史スポットはあるが過去の名残もあっても観光地化に適しているとはいえない。
日本の都市開発はやたら前時代的と言われる。しかし日本において「道路の便利な場所」なら大都市部にもある。例えば札幌と新潟だ。ではそれらを資源として活用しているだろうか?新潟市出身の親父の友人いわく帰省がてら訪問したら悲壮感がただよっててやばかったという話である。文化人はそんな場所で生まれやすい。
オタク文化の担い手の地方出身者の多さは、日本のポップカルチャーというものがいかに社会の暗さを世界に示したように見える。都市や中央の恩恵を受けず、そこで生まれた人間が学と徳を弁え、現地は都市ほど産業が少ないので自営業が多くなり、中には漫画や文学などの作家になってしまう。
こういう系列のクリエイターが首都圏から輩出することは少ない。まして都会の場合、かつて流行していたアングラ漫画とか、社会風刺もののような、どちらかというと現実風刺路線の、文化的な味がやや薄い作品ばかりだ。
私は少年少女漫画・小説の中で東京都市部・神奈川県の地元民が描いた作品がダサくなっていると思っている(あくまでも数字のみで見た考えで、作品ごとの評価は別)。とくに高校生を描いた物は、往年の不良漫画みたいに野暮になっている。同じ関東でも埼玉や北関東のものと比べても悪い意味で飽きやすい。高評価される作品も地方民・地方出身者が書いたものが主流。ギャルやヤンキーのようなダサいものは地方っぽいが、今のサブカル面は違う。
で、なぜ作品のレベルがばらついているというと、やはりそれは地方に行くほど仕事の数が少ないが、時間とお金にゆとりのある人が転入するために、作品作りへのゆとりが生まれやすいからではないか。そういう場所では、ありのままの地元を描くことが難しいが、空想ものの作品を生むにはうってつけの場所だ。
社会風刺と文化的なものが分離されていることが理想であるが、だったらそれがなぜ都会でも出来ないのか。広義の都会人の自分が言うのも説得力ないかもしれないが本当はこういったばらつきはないべきで社会風刺と娯楽ものの区別が明確になければ文化強国は持続しない。
知り合いの関西人は、ラーメンを食べるときに白飯を欲しがるんだ。
流れとしてはそうじゃなく、兵庫の安原作品の前時代であった大阪芸大周辺(「アオイホノオ」の上映会シーンを思い出してほしい)がMADのルーツ。そもそもMADテープ発祥の地だし。
で、たぶん「MAD」だと思ってるそれ(総統シリーズ)はMADの系譜と別で、電通のホットペッパー吹き替えシリーズ(今はハイジか)。ただ、そういうのが出てきた土壌は「関西バカ8ミリ」の系譜。
安原作品は大阪的な「パロディ」「笑い」への逃避に陥らない姿勢があったので、ああいう感想になっちゃうんだろうか。
と思ったんだけど、右翼一家に婿入りした籠池さんと、すでに関西8ミリの空気が存在した中で発表された安原作品は類似性があるのかもしれない。すでに存在した環境への同化、という。
籠池夫人は3月1日のメールで、辻本清美が送り込んだ作業員が全くうめていない・していないにも関わらずマスコミに証言したと主張している
「孫請業者の作業員がその委託社長がしてないといったのにもかかわらずその三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです
「下請け業者の社長は現場もマスコミに写し全くうめてないことをしっていて三日だけきた作業員を辻元清美は送り込みました」
これはおそらく24日に報道された作業員の「地中にゴミ埋め戻した」という証言のことであろう
http://mainichi.jp/articles/20170225/k00/00m/040/176000c
「男性は昨年11月、知り合いの業者に紹介され、建設現場に出入りするようになった。校舎は既に建ちつつあり、敷地南側に約2000立方メートルの土が山積みで、空になったしょうゆやマヨネーズの容器、靴、衣類などが混じっていた。発注元の業者からの指示で、周囲の地面を2~3メートル掘っては土を埋める作業を繰り返したという。」
それを受けて森友側は26日、公式ホームページで埋め戻し報道を否定する
「先日より、民進党の議員や各種報道機関が、下請業者の証言を基に、弊園の小学校校舎建設工事において、グラウンド西側に産廃土の埋め戻しを行なったとの発言や報道をしております。しかしながら、これらの発言や報道は事実と異なるものであり、弊園としましては極めて遺憾でありますことをお伝えいたしますととともに民進党議員や報道機関に対する法的措置を検討しているところです。」
「最後に、弊園において施工会社等に確認したところによりますと、工事の手順、工事用地の確保の観点から、グラウンド東側に仮置きしていた産廃土の一部を移動させる必要が生じたために、グラウンド東側に仮置きしている産廃土の下(地下)を掘削し、同スペースに一部の産廃土を縦積みにする形で仮置きしたとの報告を受けております。詳細は時系列表にまとめているとおりです。」
http://mainichi.jp/articles/20170228/k00/00m/040/079000c
「聞き取りを受けたのは、同府吹田市の施工業者。豊中市によると、昨年2月ごろ始めたくい打ち工事で廃棄物が混じった土が出た▽建築工事を優先するため、3月ごろから廃棄物が混じった土を用地内に仮置きした▽11月ごろ、用地内に掘った穴に置いた--などと説明したという」
以上から、11月に穴を掘って産廃土を埋めたという事自体は事実であり、スパイがデマを流したというより現場作業員が告発しただけのように思える
しかし森友・産廃業者は地中への仮置きであり、後で処分するつもりだったと主張しているため、埋め戻し報道を全否定しているのだろう
テレビでカップ麺やコンビニのおでんの地域区分図が取り上げられると、よく三重が西日本や関西になってるけど、それは北陸。
三重は、テレビ・新聞・スーパー・コンビニ・電力・ガス・JRなどで東海に属する(※名張・伊賀・東紀州を除く)から、同じマックスバリュ中部やピアゴ、バローでも滋賀と三重では売ってるものが違う。
ただ、以前は三重でも和歌山が本社の「オークワ」に行けば、関西版の赤いきつねや西日本版のどん兵衛が並んでいて、某電機メーカーの関係で関西から越してきた人や関西寄りの三重ケンミンなどには、すごく有難い場所だった。
でも、そのオークワも愛知・岐阜への進出で、東海に物流センターを設けて東日本版に。
当然といえば当然だけど、なんかさみしい。