はてなキーワード: 読書会とは
パートナーを喜ばせるSEXの方法を学びたい。少し前にパートナーができ、SEXをする機会が増えた。しかしそれまでおままごとみたいなSEXしか経験したことがなかったため、良いSEXをするために情報を集めている。SEXを体系的に学べる場を知らないので、パートナーにヒアリングしたり、女性向けAVを見て手探りで学習している。女性はこうすると喜びます、こうすると嫌がります、この場合はこうするのが定石ですが妙手としてこのような方法もあります、みたいなノウハウを学べる場がどこかにないのだろうか。百戦錬磨の増田ならきっと知っていると思うので教えて欲しい。
以下いままでの手探りの取り組み
わ、わかる。わからないこともない。
あと、何かを始めようとしても躊躇してしまうのも、わかる。
新しい趣味を持つ、新しい人と関わると、当然、合わない人もいる、いやな思いをするかもしれない。
まぁそういう人からは無理せず離れるようにして。
でも自分が非常識に振舞う事もありうるのだから、そうならないように、気を配って疲れることもある。
何か人と接する機会が欲しいのであれば、
ボランティア などはどうなんでしょうか。行政の方でも案内を出してたり、それはググって。
ハンドメイドとか、
絵描きとか、
女性同士でも気の合う人と友達になってお茶でもしながら、あれしたいこれしたいって計画たてられたらいいよね。
昔は何が好きでしたか?
部活というか毎日時間をひとつのことに打ち込む(拘束される)ことの是非について話し合った方がいいと思うんだけど。
そこに体力、固定された人間関係、将来に向けての視野の問題とか色々絡むというか。
子ども達は現在好きなことと将来のやりたいことの両方を勘案して部活というかひとつのことに長時間打ち込んでいると思うんだけど、
食っていけるならいいんでしょうけど、みんなが食えるわけではないし、途中怪我とかあったり、グレたり。
運動なら長期休暇中は毎日半日以上もしくは1日拘束されるの当たり前の人もいるんだと思うんだけど、
体力の問題と時間の問題で他のこと(勉強や学校外での人間関係構築など)出来なくなると思うんだけど、
あと、部活に限定して言えば、会社員が定時に上がった後にやる読書会、フットサル、音楽とかと同じであると思うので、
強制加入ってどうなのか、もしくはなぜ家庭や学校外ではなく、あえて学校内なのかとか。その意味意義とか。
ひとつのことに打ち込む(拘束される)というのは授業も仕事も一緒ではあるんだけど。
だいたい8時間だしね。
でも仕事と授業には、ひたすら同じ作業を繰り返すことを続ける作業であるか続けない作業であるかの違いはあるか。
きっと部活で仕事の忍耐力が鍛えられるっていうのはひたすら同じ作業に耐えられるかってところなのかな。
鬱を感じる。
仕事で同じ作業を続けられるか否かは、部活やったとかの問題ではなく、
その職種が合ってるか耐えられる程度のストレスで済むかの方が大きい気がするから。
そのための小学中学高校大学の積み重ねの時間に色々触れる、もしくは打ち込むのが大事だと思うんだよな。
両方行う人で三者三様って感じだな。
ちなみに私は部活で苦しんだ人だが、
部活どころか学校に登校しないで学校外でとある屋内スポーツに打ち込んで、
まぁ色々だなーと。
それにしても、引用は法律で認められた権利だ、と主張すると、研究者は傲慢だーとか言う人出てくるけど、心配するポイント間違ってるよな。
研究者が引用できるってことは、新聞記者も雑誌記者も、新書や文庫の著者も漫画家も引用できるんだよ。
っていうか、アフィブログが引用したとしても、それが法に従った適正な引用なら拒否できないんだよ(あいつらがそんなマジメなことやるかというのは別だけど、もしマジメモードでやられたら合法になる)。
そこで研究者側に自己規制求めたって、研究者側のルールがマスコミや一般書の書き手に通じるわけないじゃんね。
そして、研究論文というのはまあPDFで一般公開されることがあるので破壊力クソデカなのだが、これが「本」となると、研究者の書いたマジメなサブカル研究の本と、小規模書店でも平積みされる新書・文庫の、どっちが破壊力でかいと思ってんのかね。
研究者側に自制・自重すべき点があるのは間違いないし、研究者側のウカツな行動が腐女子に不信感を植え付けてきた歴史なんかを考えると、お前らもうちょっと自浄作用見せろよと思うし、研究者というだけで胡散臭がるのはよくわかるんだが、研究者に自重を求めることが最優先になってる人を見かけると、なんか、こう、それでいいの? って感じになる。
やるべきことは、絶対に引用されない場所への潜行か(まあ数十人単位の読書会で自分の作品を見せ合うとか数十人のマイピクしか持たず細々と活動するような規模になるよな)、引用してるやつを見かけたら全力で袋叩きにするという圧力団体を組織するか(ってこれ、今やってることか。けどまあそれ地獄だよな)、引用されるのは仕方ないという文化を新しく作っていくか、どれかじゃないの?
最後の選択肢は、腐女子だけではどうしようもなくて、社会の他の人たちの意識変革も必要になるけど(女性の性的創作へのまなざしとか同性愛嫌悪とか)、漸進的に変えていくことはできると思うし、そういう意味で今回撤退戦が選ばれてしまったことはあのPDFの不意打ち具合を考えれば仕方ないと思うんだけどやっぱり今後の発展のためにならないよなー、という感じがする。
読んできた本(オールジャンルで何でもいい)を、グループに分かれてプレゼンし話し合う、みたいなのを定期的にやっている読書会。
この読書会には、毎回陰謀論・トンデモ系の本(ユダヤが世界を牛耳っているとか、ヒトラーの正体が実はどうこうとか)をプレゼンしてるおっさんがいて、この会の中ではキャラのたっている人のようだった(他の参加者から聞いた)。
そのときは、「ああ、ネタでこういう本を紹介して、自分のキャラづけをしてる人なんだな」と思った。
で、今回、初めてこの陰謀論のおっさんと同じグループになった。
陰謀論おっさんは、ある朝鮮起源説の本を持ってきて、その本に書いてあるという、やれナントカが実は朝鮮起源だ、ナントカが朝鮮起源だ、ってプレゼンしはじめるわけ。
私は陰謀論(とかデマ)には何の興味もないので、このおっさんの話は面白くなく、退屈だった。
で、陰謀論おっさんは、本に載ってる、前方後円墳と当時の朝鮮の壺の写真のコピーを見せて、「古墳と朝鮮の壺が同じ形をしている、だから天皇の起源は朝鮮にある!」って言うの。
そりゃ前方後円墳も壺も、▽の下に〇つけただけの簡単な形だから、偶然似ることくらいあるだろって吹き出しそうになった。
そのおっさんの話がひと段落して、私が意見を言う順番になったので、
「まぁ、本としては面白いと思いますけどね。ただ、学術的には何の根拠もないこじつけですよね。こういう説への批判本もたくさんありますし。まぁ、本としては面白いですよね」
と、私が感じたままの感想(一応、面白い説ですよね、とは言ったのでフォローのつもりだった)を言った。
「そういう批判的な意見を言うのはどうかと思うんだよね。これは本を紹介する会であって、ディベートとは違うでしょ。僕は、そういう批判的な意見を言われて読書会に来なくなった人を何人かみてるから、そういう批判的な意見を言うのははよくないと思う」
そのときに私は思った。「あ、この人ネタでやってるんじゃなくて、ガチで陰謀論信じてる人なんだ!」
いい歳こいて陰謀論みたいなのを信じている人を私は初めて見たので、ウゲェ…と思った。
私は陰謀論が嫌いだ。疑似科学も嫌いだ。ついでにスピリチュアルも嫌いだ。そしてそれを「信じている人」がそれ以上に嫌いだ。ネタで面白半分に信じてるフリをしているのならまだいいが、ガチで信じている人は、安易にわかりやすく面白い方にとびついているだけの、学術的、哲学的な知性と態度の欠けた人間であると思うからだ。
「陰謀論脳の頭弱い奴は、水素水でも飲んでろ」と内心思ったが、
「読書会はディベートとは違うから、批判意見を言うとカドが立つ」という意見はわからなくはない。
批判されて読書会に来なくなるのも、不本意な事だと私も思う。まぁ、本を批判された程度で来なくなる、というのはそもそも向いてないのだともいえるけど。
しかし、私はこういう「ただのデマ」をニコニコ笑ってじっと聞いていられるほど大人ではない。
たとえば『水素水の効用』なんて本をプレゼンされたら、即座に「水素水なんて飲んでるんですかぁ?H2OにHがつくとか中学化学やってないんですかぁ?」くらいの皮肉を絶対言うだろう。
陰謀論や疑似科学だけでない。百田尚樹や小林よしりんみたいなネトウヨ丸出しの本(嫌いなので読んだことないからしらんけど)をプレゼンする人がいたら、「この程度の本に感化されてるんですかぁ?」と軽蔑した口調で揶揄してしまうに違いない。
そしてそれを口にだしたら、場を険悪なムードにした私が悪者扱いされるだろう。
とにかく私は、こういう類の本を薦めてくる人にげんなりするのだ。
今度もし、またこの陰謀論おっさんと同じグループになったら、また陰謀論のトンデモ本を薦められその話を聞かなければならないと思うと、うんざりする。
そんなことを考えると、楽しみだった読書会の楽しみが半減した感じがする。
読書会で夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。
<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ
漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。
「私の個人主義」は講演をまとめた本です。
タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日、学習院で行われた講演のタイトルです。
漱石は1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。
5つの中から、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。
学習院で行われた講演ということで、若い学生を対象にしていたようです。
漱石が学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。
漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、
彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。
いい加減な事をしたわけです。
呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、
熊本で教師を続ける中、文部省化からイギリスへの留学を勧められます。
彼は断ろうと思いました。
なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。
結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。
「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています。
彼の心境は非常に苦しいものでした。
「腹の中は常に空虚でした」とか
「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」
そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます。
この喜びを
「ようやく自分の鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など
そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます。
「貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。
自己本位が必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。
彼が人に流されて生きてきた。
その腹の煮え切らない不愉快な気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。
ここまでが第一部の内容です。
個人主義や自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。
自分の自我を尊重するのであれば、他人の自我も認めなければならないといいます。
講演を聞いている学習院の学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。
気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。
彼は所属する団体や立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます。
団体を作って、権力やお金のために盲動しない。というものでした。
素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。
理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から、
漱石の中期~後期の作品は個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています。
特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います。
淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を
論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義と漱石の魅力だと思います。
以上
下司の極み乙武さん(クンづけはしません)の「ダミー」として不倫旅行の手助けをした、と、
斬り込み隊長に断言されている社会漫談家(≠社会学者)の古市さんなわけだが、
何年前だったか、『絶望の国の幸福な若者たち』という本をだされて多少、評判になったころ、
古市さんの出席する読書会兼講演会のようなものに参加したことがあった。
講演会の最後に、例によって質問コーナーがあって、2~3、マジメな質問が続いたあと、
「あの~、こういう質問していいのかよく分からないんですけど、古市さんってどういう女性がタイプなんです?」
そこそこマジメな空気の中で、クールに「俺は人と違う意見が言える気鋭の社会学者」をキメていた古市さんに、
ゲスな質問がぶつけられ、会場は笑いに包まれたのだけれども、そのとき古市さんは
「あの~、そうですね、僕より有能でお金かせいでくれる人と結婚できたらいいですね、へへっ」
と、キャラを守った返答をしていた。
質問した男性は、さすがにその程度のごまかしが通用する人ではなかったらしく、続けて
「それって、『結婚の条件』であって、『恋愛のタイプ』ではないと思うんですけど、恋愛という意味で好きなタイプとかあるんですか?」
と、やや踏み込んで質問した。
それに対し古市さんは、ややひるみながらも
「あの、男女の恋愛に求められるような、人と一緒にいることの喜びとか安らぎとか、
そういうものって、友情とかで代替できると思っているんですよね・・・」
などと、なんだがごまかしたような答えをして、質問した男性も、
以上この場で突っ込むのぶしつけと感じたのか、ここでやり取りを終えてしまった。
まあ、精神的な部分はある程度友情で代替が効くのかもしれないが、当時の古市さんは20代だったわけで、
そういう「精神的な充足」を求めるのとは別の肉体的な欲望もあったはずだろうが
(仮にそれが全くなかったとしたら、それはそれで興味深い事例だと思うが)
さすがにそれはつまびらかにはしないのだなあと思って、
まあ、古市さんが、どういう性癖の持ち主だろうが、知ったこっちゃないし、
二次元しか愛せない人だろうが、オナニストだろうがゲイだろうが、どうでもいいのでそのことは忘れていたのだけれど。
テレビで「唾液の交換が不潔だからキスが嫌いだ」とか言い出したりしてネットに話題を振りまいていたと思ったら、
乙武さんの不倫を介護のようなものかもしれないとか擁護しだしたりして、
そして、もし、本当に乙武さんの肉体的欲望を満たすための旅行でダミー役を引き受けていたとするならば、
それはなんだかもう、本当に味わい深いなあという思いとともに、このエピソードを思い出した次第。
ま、こんなこと考えている自分も、ずいぶん下司ですがね。
## 概要
ビリギャルじゃないけど、慶應卒の、頭のなかお花畑なゆるふわOLの私がカフェでハイスペ男子をあさり、とうとう先日結婚までこぎつけるに至るまでに駆使したメソッドの紹介。一部フェイク含。酔っている勢いで書いているので誤字脱字していたらごめんなさい。
## はじめに
慶應卒と言っても、ピンきりであることは言うまでもないと思うけれど、私はその中間ぐらい。上を見れば本当に裕福な家庭で育ったお嬢様だとか、社長令嬢、はたまた、〜国の大使館の娘等、慶應にはそういう人たちがたくさんいる。私は特段裕福というわけではないが、ある程度余裕がある家庭で育ち、成り行きで慶應に進学した。私は、そこそこ勉強が出来る程度で、特に目立った特技もなく、本当に、「普通」な女性だと、自身ではそう思っている。見た目も普通。とは言え、女性なので、それなりに見た目には気を配っているけれど・・。ネイルや髪の毛、お肌の手入れ、「どこにいても他人に見られていることを必ず覚えておきなさい」という母の昔からの教えが刷り込まれている。父もマナーには厳しかった。内面的にも外面的にも。私は、ジャンル的には、いわゆる、男性が言う”清楚系”なのだと思う。黒髪ロング。もちろん処女ではないし、おおっぴらに言うものでもないが、自慰もするし、Sexも好きだ。そういう行為に目覚めたのは女子校時代だと思う。女性、大体そういうものなので、世の中の男性は幻想を抱きすぎだと、常日頃からひしひしと周りの男性の話を聞いていて、思う。
## きっかけ
そんな私が、大学を卒業してマーケ関係の仕事に就いた。狭い社会、噂も、裏話も、あっという間に広まり、飛び交う、とても居心地の悪い会社だ。同期や先輩は、良い大学を卒業した頭のキレるエリートなのは、間違いないのだが、どうしても、何かかけている人が多い印象。女性比率が圧倒的に少ない会社。男性が多い会社でありがちな、セクハラまがいのことも少々あるが、軽いセクハラ程度でメンタルをやられるほど私はヤワではなかったので、テキトウにあしらいつつ、ひたすら業務に集中していた。そういう生活を3年続けて、そろそろ大学の友達や高校の友達からの結婚の話がFacebookで伝わったり、結婚式に招待されることが多くなってきた。私は学生時、2年間お付き合いしていた、大学で知りあった男性がいたが、卒業と同時に彼が海外の大学院に行くことになり、お別れすることになって、それ以降、誰とも付き合わず社会人を続けていた。もちろん、その間に男性からアプローチされることはあったが、その時は仕事を優先したかったことと、それらの男性達があまり魅力に感じられなかった。もちろんお食事に誘われたら、特段「生理的に無理」等なければ、行きはしたが、もちろん私にはその気がないので、美味しくご飯を頂いて、男性のお話をきき、口説きをスルーする、そういうことはあった。とは言え、少しづつ危機感を抱き始めていたことは間違いない。しかしながら、社内でそういう相手は到底見つかりそうもない。私は、学生時代の友達をつてに、合コンを開催してもらうも、魅力的だと感じる男性には当たらない。そもそも合コン開催回数が少なかった。巷で「週5で合コン」「アフターファイブ」「20時から合コン」「仕事を早上がりして・・」「一人で仕事後バーに行ってみよう」等、女性向けの婚活情報誌やメディア、特定のツイッターアカウントが、そのようなことを煽ったりしているが、ある程度キャリアがある女性にはそれが不可能に近いなことは言うまでもないと思う。毎日終電後タクシー、平日に合コンする時間も、余裕もない、休日も仕事に追われることが多い。家では本当に寝ているだけ、たまった疲れをひたすら回復するために、外出する気力も出てこない。給料は多い、けれど、それは「命を削って得たお金」と揶揄できる。
## 受け身ではだめだ
「受け身では駄目だ」と、合コンに参加して、あまり自身の好みや理想にヒットする男性が現れず過ごした日々の中で、私は悟った。遅いね。とは言え、仕事後バーに行ったり、知り合いと交流する余裕が当時私にはなかったので、どうすれば私の好みの理想の男性と出会えるか、自身の生活習慣や生活拠点から考え直すことを始めた。まず、私は仕事上、夜に時間を作ることがほぼ不可能だった。そのため、私は朝をメインの活動時間にしようと考えた。当時、ちょうど、「朝活」「朝カフェ」等が巷で流行り始めた時期だった。では、安直に、そのクラスタでまず探してみようと私は考えた。ものごと、流行り始め、アーリー・アダプター、アンテナを張っている人はある程度、様々な意味合いで”平均以上”であることが多い、と何かの記事で読み、それを真に受けた。それでは、朝、そういう場で、理想の男性と出会える確率を上げるには、どうすればいいか、と考えた時に、まず自身の住んでいる場所がそれに適していないことに気がつく。私はすぐさま、都心、具体的に言えば恵比寿に引っ越しをした。地理的にある程度お金に余裕がある人が多い、民度が高そう、住みたい街のランキング上位、そういう理由で恵比寿を選んだ。のちに、それが大成功だったと気がつく。
## 行動開始
恵比寿に引っ越した私は、まず近場で開催されている不特定多数が参加する朝活の集まりや、朝から開いているカフェの情報を集めて、積極的に平日の朝にそれらに赴いた。当時は、それらが流行り始めたばかりだったので、来る人は、ある程度ステイタスがある人が多かったように思える。恵比寿にある外資の男性も多数いらっしゃった。朝カフェも、仕事前に新聞を読んだり、読書をしている、出社前の、”エリートそうな”会社員の方が多かった。私はそういう場で積極的に男性に話しかけてみた。朝活では、特段何もしなくても、そもそも交流目的のものや、読書会等だったので、自然と男性とお話することができた。一方で、朝カフェは少し難易度が高かった。何度か朝から営業をしているカフェを偵察し、店内の様子や、常連、その時間帯にいる店員、様々な要因を調査し、どこが適しているか、どういう交流の始まり方が適当か、を検討する必要があったからだ。恵比寿、代官山周辺は朝からオープンしているカフェが多い。そのため、人も散らばる。しかしながら、いわゆる「雑誌に掲載されるようなオシャレカフェ」には、そういったたぐいの男性は来ない。彼らはチェーンのカフェに多い。特定の場所で申し訳ないけれど、ガーデンプレイスのスターバックスとか、駅周辺のチェーン店のカフェに彼らは朝来ている。そのため、私はそちらを主な活動拠点として選定した。次に、どのようにしてカフェ内でそのような男性と交流するか、という一番の課題と向き合うことになる。カフェでいきなり話かけるほど、不自然なものはない、国内では。私はとりあえず日経新聞を持込み、ラップトップを開く。最近ではメジャーになったMacBookではなく、windowsマシンだけれど。以下、私が試みた話しかけるきっかけづくり一覧だ。
2. すみません、携帯がなくなってしまったのですが、一度私の電話を鳴らしていただけないでしょうか。
3. 忘れ物をわざとする
5. 読書している本について聞く
6. 出張できた風に装い、周辺のことを聞く
一番自然だったのは、1の「無線LANへのつなぎ方わかりますか?」だ。困った顔で、ゆるふわ風に聞くとより効果的だった。話始めた後は、あなたの会話力次第。そこには言及しないけれど、私はそこからうまく連絡先を聞き出し、そうやって出会った人と、お付き合いを開始し、つい先月、結婚をした。正直、女性に話しかけられて不快と思うような男性はほとんどいない(*あなたが普通以上の身なりの場合)。なんだかんだ、男性は紳士の方が多いので、親切にしてくださる。少なくとも、朝恵比寿のカフェに来ているようなサラリーマンは。
朝活の方は、コミュニティ的な要素が多く、そこでの恋愛への発展は、コミュニティ的に面倒になりそうだったので、私は自然と朝カフェでの活動にシフトしていた。結果的にはそれが正解だったらしい。 最近では、いわゆるマルチ勧誘がそういう場でされていることが多発しているらしいので、今やるのであれば、私はカフェを押す。
これは個人の好みによるので、正直書く必要がない気もするが、足切りの基準程度は参考になるかもしれないので書いておく。以下のポイントを抑えている人だと良い。
1. 短髪
2. スーツ
3. 社員証をかけている
5. PC開いている
6. 黒髪
7. 読書している
茶髪でMacbookを開いている人もいるが、彼らはワナビーである可能性が高い。 学生もいるのでしっかりみわけないといけない。社員証をつけていれば、ある程度保証があるが、逆に社員証を見せびらかすタイプの可能性もあるので注意。私は黒髪短髪のキレイ目の男性を足きり基準にして行動をつづけていった結果、私のタイプで、且つ趣味もあう、男性と出会えた。短髪、黒髪、私服だけどキレイ目、PCを開いてコード?を書いている、そういう人だった。もちろん「無線LANってどうつなぐのですか?」で会話をスタートした。IT系の会社に勤めている人で、物腰もものすごく柔らか、女性慣れしていなさそうな方で、とても好印象だった。
0. 駅近ドトール
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=946
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=1269
こっちはいったことないのだけれど、この戦法を伝えた友人が良い男性をここで多数見かけるとの情報を教えてくれたので記載。
## まとめ
夜繰り出す時間がない、バー等一人で行く勇気がない、出会いがない、仕事が忙しい、そんな女性に、朝型の出会いの戦略をお伝えしました。朝カフェ戦略、伝えた友人は、わりと楽しんで、しかも良い男性と出会えているようなので、ぜひ皆様もお試しください。最後あたり、のろけになってごめんなさい。IT系の彼なので、この記事みつかったらどうしよう。いいや。みつかっても。ちょっと話したし。あと、恵比寿の情報ばかりでごめんなさい。恵比寿が良い街なので。。
新しいWebサービスを立ち上げました。
「気のあう仲間を見つけて、語りあい、まとめてコンテンツにするサイト」
「『穏やかに話しをしましょう』と了解した人だけで議論を進める掲示板」
といった感じのサイトです。
ブログのように「しっかりした記事を書いて情報発信をしたい」とか
twitterのように「ちょっと感じたことを吐き出したい」とか
ではありません。
1.完璧と言えるような考えではないけど、それなりには考えたので、ちょっと言ってみたい。
2.他の人からの感想、他の人の考えも聞きたい。(リアクションを大いに期待している)
3.でも、「ちょっと言ってみる」ということを躊躇させるような、攻撃的なリアクションは避けたい。
4.他の人との議論を通して、最終的には、質の高いコンテンツにしたい。
「そこそこの意見を表明すると、他の人のリアクションがあって、最後にはいいコンテンツに育つ」
これを実現します。
詳しい解説はこちらから
http://talkinsalon.com/users/guide
大雑把には、
3.コンテンツにまとめる
という流れです。
などです。
個人的にいいなと思うのは、
「自分より詳しい人がメンバーなってくれて、議論を通して、自分が向上できるようなサロン」です。
例としては、
1.サッカーに興味はあるけど、サッカーの戦術とか詳しくない人が、サッカーのサロンを開設
3.互いにリスペクトを保ちつつ、率直に議論(上から目線、慇懃無礼などはない)
5.メンバーは自分の見識を遺憾なく披露できると同時に、初心者の考え方、感じ方を知ることができる
さらに将来的には、サロンに広告を載せて、広告収入などがあった場合には、サロン主だけではなく、メンバーにも収入が分配されるようにします。
サロンを運営せずに、いろいろなサロンでメンバーとして語ることで収入を得られるようになります。
議論をするためのサービスというジャンルはこれまでいろいろありました。
今、圧倒的に有力な議論サイトはないと思います。だから「もしかしたらSalonも行けるかも」と淡い期待をしています。
ただ「Twitterで気の合う人とフォローしあうことで、Salonと同じようなことが既にできてるんじゃないか?」という疑念もあります。
これはなんとも言えないのですが、
Twitterで、あまりうまく行かなかった人、イヤな思いをした人、別のサービスに切り替えたいと感じている人、がいるんじゃないかなと思っています。
殺伐としたネットの議論を愛する人達から見れば、「『穏やかに話しをしましょう』と了解した人だけで議論を進める」というSalonのコンセプトは「甘い」と感じられるかもしれません。
でも、そういう合意した者同士での議論からこそ、よいコンテンツが生まれ、参加者にとっても有意義な時間を過ごせるものになるのではと思っています。
「つい熱くなって議論したけど、あとから振り返って『不毛な時間だった』」とならないサービスを目指しています。
サービスを開始するにあたり、"さくら"というか、知り合いを動員して、盛り上がりを演出する必要があるのですが、頼める人がいません。
そもそも記事を1つ2つ書いてもらえばいいという訳でもなく、継続的に議論をしてもらいたいので、頼み込んで参加してもらうのはちょっと違うなと思ってます。
とりあえず、自分のサンプルサロンを作り、更新を続け、あとは自然とユーザが集まるのを期待しています。
少しでも興味を感じましたら、ぜひ使ってみてください。
議論とか好きそうで、なおかつそれなりに質の高い議論をしてくれる人達ははてな周辺にいそうなので、増田で告知することにしました。
そのほかの告知はおいおい考えようと思っています。
理想は、ある程度利用者が集まって盛り上がった状態で、いろいろなメディアに告知するのがいいかなと思っています。
下手に告知して、ユーザが来ても、全く盛り上がっていなかったら直帰されてしまうでしょうし(昔、kawangoさんがそのようなことを指摘していました)
増田では「文系がはじめてサービスを作りました」というのりでアピールするのが定番のようですが、もう飽きられている気がするので止めました。
バグ/セキュリティホール/ご意見などがありましたら、トラバ、はてブなどで教えて下さい。
よろしくおねがいします。
必ず誰かと出かけて、月曜になってくると思い出を連れて帰るように、身体に痕を残して職場に来る。
出かける相手も様々。
会社の同期、大学の友人、中学のクラスメート、先日参加した読書会の……etc。
'まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではない でしょうか。'
淡い猜疑心は、いつかの飲み会で写真を交換して、溶けていった。
最近は世捨て人のように週末を山で過ごして一般人の話題ストックが全く足りなかったけれども、八丈島ならいったことあるよともらした自分の言葉を上手く繋げるように、会話は徐々に盛り上がって終わった。
後から、というか今思い出したが、その席で話した人の中で沈黙が痛くなかった唯一の人だった。嫉妬なのか、羨望なのか、よくわからないものが胸に詰まって今すごく痛い。
明日の金曜、定時ダッシュをしていいかと、確認が来た。この時間までお互い残ってる理由分かってる?と言えない。聞きたくない話を聞いて、了承して、お終い。
ここは残業代はきっちり出る会社だ。そして私に予定はない。進捗は今欠員が出ると不味いかもくらいには少し遅れ気味、でもカバーできる範囲。トレード出来ない何かに苛立つ。
この制度の主目的は、「社会的にエース級の戦力だけど、激務に潰されて心を壊してしまったひと」や、「一騎当千だが、結婚出産などで会社との折り合いにストレスを感じている人」の居場所を作れたらいいなという自分含めたラッセル怠惰への讃歌読書会メンバーで構成された経営陣によるものだ。
うちみたいなベンチャーは、そういうところを工夫しないと人材の囲い込み戦略で負けてしまうし。みたいなささやかな裏目的もある。こんな工夫だけで意外とやばい人材が集まる。
という話を、こっそり知り合いにすることがある。すると決まってこう言われる。
「週三日休みって生産性はどうなるのさ?」とか「平日休みと抜けられない打ち合わせが被ったらどうするの?」とかそういうものだ。
だいたいは、そこが問題なんですよねと軽く切り返した後に早くもストーブを出した話とか、ヒトカラで黙々と精密採点DXをやる楽しい休日の話にスライドするのだが、実は回答はある。
・週休三日と生産性の両立問題
通常二十営業日/月でこなす仕事を十六営業日でクリア出来ない人材はそもそも採用していないので、問題はない。ほとんどのメンバーは十営業日未満でクリアしている。
まず、自分しか仕事内容が分からない状態が発生した時点で、チームワークの著しい欠如と見做して評価が下がる方針がある。どんな職務内容でも、仕事のメールであれば自分以外の誰ひとりにも見られたくないメールなど有り得ない。
うちの会社に限らず、自分が急死しても仕事が止まらない体制を志向していない人材は論外だ。そこから派生して、関連性の薄いプロジェクトのCCメールを鬱陶しいと言ってしまう人材も方針上NGだ。彼らはチームワークの本質を理解していない。細やかな相互マネジメントで管理コストの削減は全メンバーの必須業務だ。
そういった方針に従えば、「休日取引先から個人携帯に連絡が来る」「打ち合わせに自分が行くしかない」状態がそもそも発生しないことになる。問題ではない。
という話なのだが、これをどういう風に話しても現在週休二日未満で労働している方には分かりにくい話なので、黄帝四経読書会メンバーで構成された経営層としては、老子と黄帝四経という切り口から黄老思想という概念の紹介をするぐらいに留める。
なお、上記の方針の根拠は、スーパーメジャーである老荘思想とはまったく違う、黄老思想という絶滅危惧種の思想を無理やり現代化して実用化に挑戦してみたものだ。
教育基本法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(社会教育)
第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。
社会教育法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO207.html)
第一条 この法律は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
第二条 この法律で「社会教育」とは、学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動
(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう。
第三条 国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設の設置及び運営、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない。
2 国及び地方公共団体は、前項の任務を行うに当たつては、国民の学習に対する多様な需要を踏まえ、これに適切に対応するために必要な学習の機会の提供及びその奨励を行うことにより、生涯学習の振興に寄与することとなるよう努めるものとする。
3 国及び地方公共団体は、第一項の任務を行うに当たつては、社会教育が学校教育及び家庭教育との密接な関連性を有することにかんがみ、学校教育との連携の確保に努め、及び家庭教育の向上に資することとなるよう必要な配慮をするとともに、学校、家庭及び地域住民その他の関係者相互間の連携及び協力の促進に資することとなるよう努めるものとする。
図書館法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO118.html)
第一条 この法律は、社会教育法 (昭和二十四年法律第二百七号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。
2 前項の図書館のうち、地方公共団体の設置する図書館を公立図書館といい、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する図書館を私立図書館という。
第三条 図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一 郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。
二 図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三 図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。
四 他の図書館、国立国会図書館、地方公共団体の議会に附置する図書室及び学校に附属する図書館又は図書室と緊密に連絡し、協力し、図書館資料の相互貸借を行うこと。
五 分館、閲覧所、配本所等を設置し、及び自動車文庫、貸出文庫の巡回を行うこと。
六 読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を主催し、及びこれらの開催を奨励すること。
七 時事に関する情報及び参考資料を紹介し、及び提供すること。
八 社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して行う教育活動その他の活動の機会を提供し、及びその提供を奨励すること。
九 学校、博物館、公民館、研究所等と緊密に連絡し、協力すること。
(入館料等)
学校図書館法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S28/S28HO185.html)
第一条 この法律は、学校図書館が、学校教育において欠くことのできない基礎的な設備であることにかんがみ、その健全な発達を図り、もつて学校教育を充実することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「学校図書館」とは、小学校(特別支援学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程及び特別支援学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程及び特別支援学校の高等部を含む。)(以下「学校」という。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。
(設置義務)
(学校図書館の運営)
第四条 学校は、おおむね左の各号に掲げるような方法によつて、学校図書館を児童又は生徒及び教員の利用に供するものとする。
一 図書館資料を収集し、児童又は生徒及び教員の利用に供すること。
二 図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三 読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を行うこと。
四 図書館資料の利用その他学校図書館の利用に関し、児童又は生徒に対し指導を行うこと。
公立図書館は「国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする」(図書館法1条)のに対し,学校図書館は「学校教育を充実することを目的とする」(学校図書館法1条)。
そこじゃねーよw
俺が紹介した読書会のURLの方を見てみ。
「SF読め」じゃなくて「SFの利用方法(SFのアヤシげな持ち上げ方)」がどう見てもオタキングのパクリ。
俺はニコ生は見てないけど、最近こういうのを言い出してるんだろうね。オタキング。
オタキングはなんかそういう
「胡散臭いけどちょっと説得力あるプチブーム構造」みたいなの作るのすごい上手い。
rootportは最近のオタキングのネタをそのまま齧り取ってきたけど
素朴な総ツッコミに遭った、と。
いにおと空気人形で泣いて
自分に近すぎる話で釣るのってどうかと思うんだよ
って。君はなにを読んでるのさ
すごくすごく狭い所で話をしている自覚があって
それでも私は私と言えるほど自意識も抑えきれず
よりごのみしてるくせに友達欲しいとかって嘆いて
手垢の付いたやり方でも、ワイワイしたかったな
けどどうせ冷めて、青ざめて、青い顔して去るんだろうな
ただ、誰かと話をする権利が欲しくて『複製芸術時代』とか精読してるんです
「自覚のないやつは痛々しい」とか言って
自分を縛って苦しそうな目を向けて
わかってほしいとか言ってるだけ
死にたい、って軽薄に言えたら楽なのかね
軽はずみに発するには年を食いすぎたよ
まだ一つも成長してないのに
デリダとフーコーとバルトとプルーストとヴァレリーを読み切ったら
いつか誰かが僕を愛してくれるのでしょうか
やり方が間違ってるのに
だったら嫌な顔してないでサークルはいればいいのにね
ってことで明日、読書会に参加してくる
がんばろう
必要とされたい
愛されたいんだ