はてなキーワード: 義足とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/wotopi.jp/archives/28686
普通の人たちと同様に扱うなら、そこをアイデンティティとすんの?っていう話だよな
課題はあるとしても目指す理想としては普通の人たちの中で普通と同じように暮らしてもらおうねーって時に(障害者雇用促進とか普通の連中の生活圏でも普通に暮らせるように)
私達は欠損してます!とか言い出したら、は?って思うのは当然だよな
欠損があるけど出来ることをやろうと欠損を売りにするのはまったく違うだろ
自ら見世物小屋と化してどーすんの 普通の喫茶店ですぅたまたま欠損してますぅふーんへーでいいだろ
そこで欠損だって!ってバカにしてくるヤツラを一緒にブチ殺そうぜって話だろ
しかも欠損してるという部分を愛してもいいという文脈は他の欠損者にそういう視線を向ける人を増やすんだが
JKはダメだけどこいつらはいいみたいな整合性のないバカってなんなの
欠損は特に外側から見えやすくて視線にシビアになりがちな状態だから欲望の伴う視線への精神ダメージはデカいだろ
そういうのに無自覚で、川端康成みてーな変態増やすのに寄与してると気付かないこの記事の書き手はすげーキモイ
あといつも思うけど乙武やらこいつらやら私は対等だと思ってる!って言うのは勝手だけど
障害者はって主語にした段階で害を被る他の障害者もいるんだが気付いてるのかな
追記
タイトル | モンスター娘のいる日常 | セントールの悩み | ヒトミ先生の保健室 | 亜人ちゃんは語りたい | ふだつきのキョーコちゃん |
---|---|---|---|---|---|
作者 | オカヤド | 村山慶 | 鮭夫 | ペトス | 山本崇一朗 |
人間は? | いる | いない | いる | いる | いる |
モンスターは | 別種族 | 別種族 | 思春期に発症 | 突然変異 | 不明 |
モンスターが対象の法律は | 他種族間交流法 | 形態差別禁止法((思想強制所あり)) | - | 亜人生活保証制度((バンパイアに血液を支給)) | - |
モンスターの存在は? | オープン | オープン((人間がいない)) | オープン | オープン | 秘密 |
登場モンスター | ラミア | 人馬 | 単眼 | バンパイア | キョンシー |
ハーピー | 翼人 | 不死身 | デュラハン | ||
ケンタウロス | 竜人 | 透明人間 | サキュバス | ||
スライム | 角人 | 雪女 | |||
人魚 | 長耳人 | ||||
ソンビ | 南極蛇人 | ||||
単眼 | |||||
オーガ | |||||
ドッペルゲンガー | |||||
アラクネ | |||||
デュラハン |
いくつか漫画を読んでいて、モンスターものっぽい漫画が溜まってきたので、それぞれの要素を比較してみた。
取り上げている漫画は、モンスター娘のいる日常、セントールの悩み、ヒトミ先生の保健室、亜人ちゃんは語りたい、ふだつきのキョーコちゃんの5作品。
あるいは、人間の中の一部にモンスター的な人間が生まれるという設定。
全て、人馬(セントール、ケンタウロス)、竜人などのモンスター的な外観を持っている。
モンスター娘のいる日常は、基本的にお色気系モンスター娘萌え漫画だから読者を投影する対象として主人公の人間が必要なのだろうなという気はするが、セントールの悩みに、何故人間が出てこないのか。
モンスター娘のいる日常と、セントールの悩みでは完全に別種族。
その他3作品は思春期に発症したり、突然変異で人間の中から生まれたりするので基本的に人間なのだと思う。その割にデュラハンとかいて、首が外れるのは突然変異でどうにかなるレベルじゃ無かろうという気もする。
モンスター娘の日常では、他種族間交流法ができて、人間とモンスターが交流するようになったところから話は始まる。
具体的な条文は出てこないが、人間からモンスターへの攻撃が禁じられていたり、モンスターが人間の家にホームステイする制度などがある。
ただ、「他」種族という名称は、人間中心主義的で差別的だという批判がありそう。多種族交流法くらいに法改正しておいたほうが良さそうだが。
セントールの悩みでは、形態差別禁止法があって、思想強制所もある。
ただ、思想強制所の存在は言外に匂わせる程度で、基本的にこの漫画はほのぼの思春期日常もの漫画なわけだが、微妙にディストピアっぽい世界感である。
亜人ちゃんは語りたいでは、亜人生活保証制度でバンパイアに血液が支給されている。
現金が支給される訳ではないので、生活保護制度よりも、義手や義足に保険が適応されるようなイメージだろう。
デュラハンは首が取れるという、外観上の大きな差異があるが、この外観の差異に対して亜人生活保証制度は適応されていない。
外観を「普通」にするための、義手・義足的な義首が開発されていてもおかしくはないのではないかと思うのだが、この世界ではデュラハンは全世界で3人しかいないようなので義首はあまり普及はしていないのだろう。
個人的に気になるのは、人間とモンスターが共存する社会におて、年金などの社会保障制度がどうなっているのかなのであるが、そのような制度に言及する作品はない。
例えば、人間よりも極端に長寿命や、人間よりも極端に多産な種族と共同の社会保障制度を構成することができるのか?という疑問があるが、それを描く作品は見たことがない。
おそらく北欧型の税金を投入して全国民を対象にした制度を構築するのは政治的に難しいので、ドイツ・フランス型の職能集団別の制度になるであろうけれど、それを漫画にして面白くなるとも思えないので別に既存の作品で社会保障制度に言及が無いことに不満が有る訳でもない。
ここでは取り上げていないけれども、まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」とか、ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えりみたいな専門知識+異世界ものの作品が流行ってるっぽいので、社会保障制度に詳しい人の書いた異世界ものの小説や漫画があれば読んでみたい。
ほとんどの作品でオープン。人間とモンスターの後流や軋轢を描く作品が多いのでオープンでないと作品が成立しないためと思われる。
ここで取り上げた中では、ふだつきのキョーコちゃんのみ妹がキョンシーであることが秘密にされている。その点でふだつきのキョーコちゃんはモンスターものというよりは、コメディ要素の方が強い。
登場するモンスターの種類は圧倒的にモンスター娘のいる日常が多い。
表に挙げたのは実は、主要なキャラクターのみでゲスト的に1回だけ登場したモンスターも入れればもっと増える。
亜人ちゃんは語りたいも種類は少ないが、バンパイア、デュラハン、雪女、サキュバスと既存のモンスターが登場する。
一方で、ヒトミ先生の保健室では、モンスター状態に名前がついてない。
舌が超なが~くなる、体が極端に大きく、小さくなる、体がバラバラになっても死なない、などではあっても、それには名前がついてない。
記号のついてない生の状態とでも言えばよいのか。そういう描かれ方をしている。
ふだつきのキョーコちゃん|ではキョンシーということになっているけれども、それほどキョンシーキョンシーしたキョンシーではない。札じゃなくてリボンでいいことになってるし、ぴょんぴょん飛び跳ねたりもしない。怪力で血を飲むと言った程度。正直、キョンシーじゃなくてもコメディとして成立すると思うので、モンスターものと呼ぶのはやや無理があるのだが、「チノアジガー。」のセリフがカワ(・∀・)イイ!!のでつい入れてしまった。
現在公開中の映画「ビリギャル」は、もともとstorys.jpというサイトに投稿された話だそうです。話題作で評判も高いということで、映画好きの僕も早速見に行きました。率直な感想は、全く感動することもなく、途中何度もつまらなすぎてしんどかったです。
改めて、storys.jpというサイトに投稿された元の話を読んでみました。まずタイトルを見て、合格体験記の1つと分かりました。ただ、いくつか「?」もありました。
とりあえず、読んでみました。
「いきなり志望校を決めるんだ。でも、目標を最初に設定するのは重要かな」
「1年半で67万人以上をごぼう抜き?う~ん、僕だったら、まず志望校の過去問見てみるけど。それから、単に合格に求められる一定水準の学力を身に付けるためにこつこつ受験勉強するんじゃないかな。そんな数字のこと考えるかな?慶應って67万人も受験してたっけ?」
冒頭から立て続けに疑問がわいてくる。大学受験の話なのに色々と長い。要は大変だったってだけでしょ。とりあえず、最後まで読むことにしよう。
すぐに、ひっかかった。
“普通の人間は、変な先入観というか、中途半端な小賢しさというか、まぁ一言で言えば頭悪いんですけど・・・”
彼女が素直だったということを説明する冒頭。「普通の人間って頭悪いんだ。へえー」
→「塾に来たのは高2の夏じゃなかったっけ。高3の10月、受験直前に来たの?」
→「何で、妹が小6で書いた地図が出てくるの?彼女の話じゃないじゃん」
“「一度死んだらいいよ」と、真顔で答えておきました。”
→「校長先生から人間のクズだと言われたても、キラキラと輝くダイヤモンドの原石にしか見えなかたのに、そういうこと言う?」
“彼女には、「学校の勉強はみんなのための授業。だから、君は君の勉強をしなさい」と指示しました。”“学校の授業って、「学校側の都合でプログラムが作られている」訳なので、それに合わせるのもおかしな話です。”
→「僕がおかしいんだろうか。塾の先生の発言が根本的に間違っているとしか思えなかった」
とりあえず読み終わった。なんかすごくあっさりしてるな、と思いました。要は、勉強頑張って大学受かりました、ということ。何も特別なことじゃないし、だから、特に感動とかありませんでした。今まで遊んでたから高い目標を設定した分だけ苦労したっていう自己責任の話でしょ。普通にこつこつ真面目に頑張っている受験生の方が僕には感動的に思えるけど、どうなんだろう。
サイトで他の人の話も読みました。“殿堂入り”って銘打っているのがまず面白かったです。前提知識なく読んでみました。
①5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事
→う~ん、大変な妊娠だったんだな。ただ、周りでも聞く話だな。伝えたいことの初めの2つは、ハイリスク妊娠に関わることだけど、言われなくても分かることかな。3つ目は他人に伝えることじゃないでしょ。4つ目は、ニュースに対するただの個人的感想になってるんじゃ。
あと、ところどころ赤文字だったり会話形式にしているけど、深刻な話が何だか軽く見える気がしました。
②急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ
→急に旦那さんが死ぬことになり、実際お亡くなりになって大変だと思う。普通なら気が動転してしまいそうだけど、ここまで冷静に事細かく覚えていて書き記せるのはすごいなと思ってしまった。
ただ、死という深刻な話を扱う中で、会話形式の本人と旦那に使ってる写真と会話内容が少しふざけてるのかと思えてしまったのが残念でした。あと、言葉づかいが少し幼稚に見えました。
この話も、ところどころ太字にしていたり色文字にしていたり、読みやすく工夫しているんだろうけど、なぜか言葉使いと併せて軽く見えてしまいました。
だけど、本人曰く、暗く嫌な話で、今思い出しても涙が出てくるのに、清々しいくらいさばさばと書いているのは感心しました。(笑)の多用とか。僕だったら、悲しくてこんな風にライトなタッチで書けません。
③あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。
→タイトルにあるカタカナ3文字で、僕が決して触れることのない世界だと分からせてくれて良かったです。
ただ、根本的に僕は受け付けない話でした。
人生を教わる相手が間違っているし、教わっている内容は人生じゃない。
“充実感のある仕事”。そんなこと、言われなくても分かってる。それに、言ってる人間が間違っている。説得力が微塵もない。よく真に受けれたなと感心しました。
この人、何の仕事してるんだろ。詳しく書いてくれたらいいのに。
④電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話
→今週の読んでよかったランキングというのがあり、その1位も読んでみました。
どうして電車に轢かれたのか、何で書いていないのかが良く分かりませんでした。事故などで障害になり、それを克服することは素晴らしいことだと思います。けれど、もしもこの人がお酒に酔って転落した、などというのであれば、悪いけど、自業自得でしょ。ちょっと違うんじゃないかな。なぜか24時間テレビを思い出しました。
○総じての感想
確かに1つ1つのストーリ自体は一見して“感動的”に映りました。けれど、なぜだろう、書き手と読み手、そして双方を含めたサイト全体が、結果としてその感動を軽く扱ってしまっている気がしました。タイトルや文中で使われるカラーの文字や太字などが話しを誇張気味に書いているように見せて、途中の会話形式の使用や、まるで決められた設定のように最後に教訓めいたまとめを必ず書いているところ。何よりも、話の中の重要な事実の背景が省略されていたり説明不足だったりするところが読んでいて不思議でした。冷静に読んで色々と考えてしまう僕が変なのかもしれません。もっと軽い気持ちで読むと軽い感動が味わえるのかもしれません。そう思いました。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。
テセウスの船問題というのがあると思う。部品を1つずつ取り替えていって、全部取り替えてしまったらそれの同一性はどうなるかという問題だ。人間の細胞も一定の期間でほとんど入れ替わってしまうらしいので一種のテセウスの船問題を抱えていると言える。
しかし、この時取り替えられて用済みになった部品に関する言及があまりないように思う。つまり、取り外した部品「だけ」を集めれば「古い」が「より正しい」同一性が生まれるのではないかということ。
人間でいうと、Aさんが義足、義眼、次々とパーツを取り替えていく。攻殻のようにね。で、脳までコピーして取り替えてしまう。で、完全に機械の体を手にする。またこの時、取り外した生身のパーツをすべて保存してあったとする。生身のパーツを外科手術的に組み立て、元の人間にしてしまったら、機械の塊であるAさんとそもそものパーツの集合であるAさんのどっちがAさんらしいかというと後者なんじゃね?……ってなる。
自己の同一性で言えば、記憶が連続しているアンドロイドのAさんなんだろうけど、物質的には一旦バラバラにされたAさんの方が本物に近い。
えーと、だから、足のない人はイチローみたいに野球は出来ないと自分で学び、
その部分は周りの目から見ても明らかな部分だから最初は大人が教えてくれるけど。
野球が下手だったり勉強に得意不得意がある場合なんかは誰も教えてくれないこともあるけど、
どこかで自分の道を見つけていくわけで。
発達障害って、それ自体定義が曖昧で現状タダのバカと同じなわけで、
それを助けろ、なんて言われても、は?としか周りは思わない。
足が不自由な人がいたら助けるけど、それは助ける側に余裕があるときで、助ける側が自分を犠牲にしてまではしないしする必要はない。
あくまで健常者側が余裕があるからその分で助けてあげよう、と。
そうすることで自分がそういうことになった場合の保険にもなるし、
余計な負荷がかかってると感じるまでで無い範囲でなら行っても良い、と、皆がしているのでそうなってる。
一方で、ただの我侭で意味不明なやつを助けなきゃいけない、なんてのは無理。
俺はバカだから宿題やっておいて、って言われてやってあげるのか?
俺はバカだからわすれものしても仕方ない、と言われて許すのか?
教育ってなんだ?社会に適用出来ないのを「病気」として許したらすべての教育自体が意味なくなる。
そしてただただカオスになるだけなんだが?
俺の彼女はカタワまでいかないが、右足に障害があって50メートル歩くのに5分かかる。
友達とラウンドワンに行っても、俺と彼女はゲームしかできない。
中学生から付き合い始めて今年で8年目・・・辛い普通にデートしたい。けど今更別れられない。
情もあるし今俺が別れたら彼女は落ち込むと思う。一緒に居る時間が長すぎた。
冗談交じりで別れようって言ったら、今まで何があっても泣かなかった彼女が一言で泣いた。
俺の冗談で言った、たった一言で泣いた彼女を見て別れられるはずない。
最近気付いた彼女の事好きだけど今まで頑張れたの、彼女支えてるって思ってる自分自身も好きだったカッコイイと思ってた。
俺は本当に酷い奴だと思うし最低だと思うけど、限界が来たと思う。
今年で別れようと思ってる。
俺の彼女はカタワまでいかないが、右足に障害があって50メートル歩くのに5分かかる。
友達とラウンドワンに行っても、俺と彼女はゲームしかできない。
中学生から付き合い始めて今年で8年目・・・辛い普通にデートしたい。けど今更別れられない。
情もあるし今俺が別れたら彼女は落ち込むと思う。一緒に居る時間が長すぎた。
冗談交じりで別れようって言ったら、今まで何があっても泣かなかった彼女が一言で泣いた。
俺の冗談で言った、たった一言で泣いた彼女を見て別れられるはずない。
最近気付いた彼女の事好きだけど今まで頑張れたの、彼女支えてるって思ってる自分自身も好きだったカッコイイと思ってた。
俺は本当に酷い奴だと思うし最低だと思うけど、限界が来たと思う。
今年で別れようと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20130912120735
なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子の少年と金髪の女の子と眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版のジェフって後天的な事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。
思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙に確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズにおいて久美沙織が造形した「小説版のロイド」の設定がそのまんまだった。
(ゲーム版のロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版のロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズのあとがきによると、あまりにもゲームのジェフの設定が1の小説版のロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故のトラウマ)を追加してしまったのだという)
1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的なものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。
Amazonで売られている久美沙織のMOTHERのノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子(アナとポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。
彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名である。ゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエの小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。
あれに比べたら小説版MOTHERの脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺(MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分からず彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女の作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。
前述のような久美沙織のノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3のサブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。
ネタバレをすると、小説版の2のポーキーはゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。
ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せに暮らしている。
1では原作通りの「ジョージとマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間に寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズも一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。
だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。
ゲームそのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作に予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3の小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙の文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。
多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラはそのままでも彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。
そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語を彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。
増田はMOTHER2の小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである)
少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校ではいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。
せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望や共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの、空間そのものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。
平素の地の文では「今週のハッピーハッピー村信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。
だから未だに彼女の書くMOTHER3の物語をずっと諦められずにいる。
久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアックな年寄りは、いかにネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。
それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。
180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:43:27.78 ID:92lrJ2eE
1、どうして義手足をつけないんですか? 周囲に気遣えるのならつけるべきです。義手足をつけら
れるのにつけないのは、障害を売りにしていると言われても仕方がないのでは?
2、障害が個性と言うのなら、医者も、介助者も、補助機具も、税金の補助も要らないんじゃないんですか?
3、どうして他の障害者と交流しないんですか? 他の障害者を差別してるんですか?
4、Z武ネタはよく言及するのに「自称スポーツライター」ネタはどうしてスルーし続けるんですか?
6、自分で言う障害ネタが笑えないんですが? 笑えないギャグを言うのは空気が読めない証拠なんじゃないんですか?
7、健常者が言ったら猛烈に叩かれる障害揶揄発言をして叩かれないのは逆差別だという意見がありますがどう思いますか?
8、周囲の人間に介助されていて、障害者として気を使われたくないというのは、矛盾してませんか?
自立してから「気を使わないでほしい」と言うべきです。
9、障害は病気です。病気を必要もなく強調したり、見せ付けたりするのは、コンプレックスを克服しているのではなく、
10、障害をネタに笑えるのが真のバリアフリーだというのなら、ぜひオナニーの方法を教えてください。
181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:44:08.19 ID:92lrJ2eE
11、どうして健常者にたいして教育者面してるんですか? 先天的障害者のあなたが五体満足の人間の
気持ちがわかるんですか? せめて障害者の学校で指導すべきです。あなたは先天的障害者の気持ち
12、障害を笑いにできる社会なんかきません。重度の病気を笑いのネタにすべきではないからです。
あなたはそれを知っていて、周囲の人を困らせる悪意ある障害ネタを言っているのではないのですか?
13、あなたは障害ネタを健常者にたいしてではなく、後天的な重度障害者とその家族にたいして、
面と向かって言う勇気があるんですか?
14、障害者は生活無能者です。だからこそ、健常者以上に社会にたいする謙虚さと感謝の心を持つ
べきではないのですか? あなたの言動には謙虚さと感謝の心が明らかに欠けています。もしかして、
障害者は介助、保護されて「当たり前」だと思っているんじゃないんですか?
15、障害をネタにできる社会が真のバリアフリーではありません。ネタにしているということは、特別視
しているということだからです。健常者が手足あることをネタにしますか? 当たり前すぎてネタになら
ないのです。障害をネタにすらしない社会、特別視しない社会、それが真のバリアフリーです。特別視
16、「若くして世に出てしまった(僕)」なんていう言葉は、他人に言ってもらうことであって、自分で言う
ことじゃありません。よくそんな認識で、道徳の教師なんかやっていましたね。
17、あなたの心無い障害揶揄発言を子供が真似して他の障害者に言ったらどうするんですか?
教育者として配慮が足りなさすぎるんじゃないんですか?
18、勉強して早稲田に受かったらしいですが、どうやって答案用紙に筆記したんですか? 数学の
182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:45:01.56 ID:92lrJ2eE
20、障害を持っているのにそれに負けずに、健常者以上の一流ピアニストや人気漫画家になった人を
知っています。あなたはいつも健常者に上から目線で説教していますが、そのような健常者に負けない
ような実績が何かあるんですか? 仕事が作家なら、一般公募している小説賞にでも投稿なされたら
どうですか? スポーツが好きなのなら、義手足をつけてパラリンピックでも目指したらどうですか?
21、あなたが障害揶揄発言をするから悪ノリする若者が出てくるんじゃないんですか? 自分から
誘っておいて、「越えちゃいけないライン、考えろ」はないんじゃないんですか? 二階に上げて、
階段を外すような行為です。あなたがまず越えてはいけないラインを考えるべきです。
22、あなたは失明するとか、顔に重度の火傷を負うなどの急な後天的障害をわずらっても、障害は
23、最近よく帽子をしていますが、四肢欠損は気にしてないのに、ハゲは気になるんですか?
24、フォロワーのTLを汚さない気遣いはするのに、晒しRTの影響については考慮しないんですか?
25、本当に幸せな人間はいちいち自分を幸せだと強調しないものです。そうアピールしなくては
精神のバランスを保てないほど、何か大きなコンプレックスを抱えているんですね。
26、世の中には何十年も教師をやっているベテラン教育者が大勢いるのに、それを差し置いて、3年
そこらの教師経験で、お金をもらって講演で教育論を語るなんて、人間として恥ずかしくありませんか?
27、チョークも持てない、逆上がりもできない、ピアノもひけない、倒れた生徒を医務室に運ぶことも
できないあなたが教員を勤めたために、他の優秀な教師志望者の雇用機会が損なわれました。それに
ついてどう思いますか?
183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:48:20.08 ID:92lrJ2eE
28、被災地をボランティアでまわったとき、障害者施設には一切近づかなかったと言うのは本当なんで
すか? マスコミはあなたと他の障害者の交流シーンを取材したかったのでは?
29、障害者代表として見られたくないなら障害論を語るべきではないのでは? 「障害をネタに出来る
社会を作る!」じゃなくて「僕の事はネタにしていいですよ」ていどにすべきです。
30、あなたは根本的に身体的特徴いじりネタを勘違いしています。あれは言われたほうが嫌がるから、
ネタとして成立するんです。あなたの場合は、仁美「だって、あんたカタワだもんね」 乙武「カタワって
言うな!」 仁美「あら、ごめんなさい。あなた全部ないからムワ(無輪)だわね」 乙武「もっとひどいわ!」
と言う感じに、突っ込まなくてはいけない立場なんです。自分で喜々と障害揶揄ネタを言っても寒いだけ
です。
31、「人生で絶対に失敗しない方法が、ひとつだけある。それは、何の目標も持たず、何のチャレンジも
しないこと。でもさ、そんな人生、ちっとも魅力的に思えないよ。」と語っていましたが、あなたがいったい
なににチャレンジしたんですか? そしてなにに成功して、失敗したんですか? そもそも何か競争に
真剣に参加したことがあるんですか? 障害者の特権を利用してあらゆる厳正な競争を免除され続けた
あなたが、他人に対してチャレンジの重要性を説く資格があるのですか? 何でもかんでも他人にやって
もらっただけで、あなた自身何も挑戦してないのでは? そんな人生、ちっとも魅力的に思えませんよ。
32、障害者として同情されたくないと言いますが、始球式でビニールボールを投げたり、しょうもない
ダジャレを言っただけで賞賛するようなあなたの信者が一番あなたに同情しているのでは? 今いる
信者は、あなたが健常者だったら見向きもしなかったと思いますよ。
33、障害をネタにできるのが真のバリアフリーと言うのなら、癌やエイズで死にかけている人も笑って
いいのですか?
34、野球に出たら代打として自分は使えるとか言ってましたけど、野球のストライクゾーン理解して
るんですか? 胸から膝ですよ。あなたはちょっと太もも短いだけで、そこの長さは健常者と大して
変わらないのでは? プロなら普通にストライク入れてきますよ。そんなこともわからないなんて、
184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:49:40.91 ID:92lrJ2eE
35、身体を病むとやはり精神も病んでしまうんですね。あなたを見ているとよくわかります。僕は
五体満足に生まれて本当によかった。あなたを見ていると心からそう思います。
36、「天使のオトくん」という虚像に苦しめられてきたと言ってましたが、それであなたがなにを苦しん
だんですか? その虚像で大金稼いでなに言ってるんですか? もし不本意だったと言うのなら、
五体不満足の印税全部返上したらいかがですか? あなたのような人格奇形児に金メッキして
商品化、プロデュースしくれた人々の努力を足蹴にしています。感謝の心が欠如していませんか?
37、本当に四肢欠損を気にしてないのなら、いちいちそれを話題にしないのでは? 話題にするという
ことは、それだけやはり気にしてるんですね。本当に哀れになってきます。
38、あなたの「障害は不便です。だけど不幸ではありません。」と言う言葉は明らかに間違っています。
障害そのものは病気であり、不幸です。不幸だからこそ、税金で補助され、医者と患者は一生懸命
リハビリして、それを克服しようとしているのです。正確には「障害をもっていることは不便で不幸なこと
です。しかし、人間は考え方や努力によって、その不幸を補えるだけの幸福を獲得することができる
はずです」と言うべきです。「障害そのものを不幸ではない」と断言しているあなたの短絡さが、理論の
ねじれる原因になるんです。
39、しかし、あなたは本当に障害「 しか 」売りがないんですね。何か他に芸を身につける努力を
なさったら?
40、教師として健常者の児童の心のケアはするのに、どうして障害者の児童の心のケアはして
くれないんですか? 「障害は不便だが、不幸ではない」と言う哲学があるのなら、それを障害者
の児童に伝えるべきでは? こんなこと健常者にアピールしても意味ないんですよ。
41、健常者が障害を揶揄しないのは、気を使っているからでもなく、壁を作っているわけでもなく、
単純に障害が笑いとして面白くないからです。笑う必要性がないからです。何でいちいち障害を
いじって、笑いにしないといけないんですか? 道に落ちている石をいじったり、笑ったりしますか?
そんなことしてたら、ただの精神異常者では?
185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:05:47.61 ID:92lrJ2eE
42、「子どもの頃から、野球が大好きでした。でも、子どもの頃から、巨人が大嫌いでした。
でも、それは巨人が嫌いだったんじゃなくて、渡邉恒雄氏のやり方が嫌いだったんだ。一野球ファン
として、断固、清武代表の“反乱”を支持します。」と、おっしゃってましたが、渡邉氏がオーナーに
なったのは1996年です。あなたはすでに20歳前後だったのでは? 中身もないし、さすが自称
43、障害者は生活無能者です。障害をネタにするということは、無能者の部分までネタにされる危険性
があるのでは? あなたは「カタワ」と言われて笑っていますが、「カタワだから役立たずだよな」と言わ
れて笑っていられるのですか?
186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:26:05.75 ID:92lrJ2eE
44、義手足をつけずに始球式をして、あなたはなにをしたかったんですか? 東北の人々に勇気を与
えたいと言っていましたが、あなたがビニールボール投げても、普通は勇気付けられることはありま
せんよ。義手足つけて、自然なフォームで球を投げたら、それこそ世界中が賞賛したでしょうに。
45、始球式であなたの姿を見て、トラウマになったと言う人もいます。それをどう思いますか?
病的なものや部位を見て、人間が生理的な嫌悪感や抵抗感を感じるのは本能的で、自然なもの
です。子供たちの前で、病気を見せびらかすあなたの精神性が一番病んでるのでは?
46、1日校長をやったとき、床や階段を這いずり回ったそうですが、子供から見て明らかに異様ですよ。
あなたが先天的障害者だと知らない子供たちは、事故や拷問で手足を切断されたとしか思わないで
しょう。子供からしたら、ホラーや猟奇動画そのものです。ゆっくりとでいいから義足をはめて歩くべき
だったのでは? 教師ならもう少し子供たちに配慮すべきです。
そこには障害者がいた。
彼女の足は義足であって、その歩行はぎこちなく健常者の半分ほどに遅かった。
ぎりぎり歩けている、という印象をもった
でもそういう人は多くみたことがあるしそのことだけが僕の関心をひいたのではなかった
”障害があっても、剣道はできるのだな”
”もしかしたら、筋力維持のためにやっているのかな”
そう思った。
僕はちらっとだけそう思うと夜食用のカップ麺をかってバスに乗り込んだ
バスの後ろの方の座席に座り、買ったばかりの本を読んでいた。
前の方の席の男性がいささか大きめの声で
「席をお譲りしましょうか」と言った
バスは信号待ちのためエンジンをとめており、その声はバス全体に響いた
バスの混雑のなか、義足の彼女は立っているのがやっとであるようにみえた
ただ彼女は断った。
彼は終始うつむいたままだった
彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか
結果として誰もハッピーにはならなかった
むしろ全員が不幸になったと思う
僕としては、席を譲るとき、相手に「席を譲りましょうか」と尋ねるべきではないと思うのだ
それはたしかに親切心の表明ではあるけれど、
同時に「あなたの見た目は席に座るべき見た目だ」というメッセージも暗に与えるだろう
もしかしたら
あと一駅だから頑張ろうとか、まだまだ自分は座る年齢なんかじゃないとか、健康のために立っておこうと当人は思っているかもしれない
だけどそういった気持ちは無視されて見た目が障害者だからとか老人だからとかいったことだけで席を譲りましょうかと言われる
しかもその声は周囲の知らない人にも届き、彼らもまた自分のことを「座るべき人」として認識するだろう
果たしてこれは親切だろうか
「席を譲りましょうか」というのは相手に選択権まで与える一見すばらしく親切な行為であるけれど
本当は座りたくない人にとって、この選択肢はどちらを選んでも最悪ではないか
自分の気持ちに反して座るか
相手の親切心を断って立ち続けるかのどちらかしか道はない
親切ってなんなんだろう
わかるまではとりあえず後ろの席の窓側に僕は座ることにする
"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。
ラオスでチュービングして洞窟探検して、バックパックに水とフランスパンのサンドイッチを入れてiPodでレッチリのカリフォルニケーションかaround the worldを聞きながらバイクで疾走したいです。走り飽きてどこかの川のほとりで休んでいたら、アメリカの爆撃のせいで義足になったお爺ちゃんと、アメリカの悪口をひととおり話し合いたい。そして珍しそうに俺を見る子供達に折り紙を折ってあげた後、一緒に川で遊びたい。宿に戻ってバイクを返し、テラスがあるレストランで真っ赤な夕日を眺めながらビアラオを飲み、ラエリーとガザの壁とメルカバについて小一時間語り合い、酔いつぶれて前後不覚になったぐらいで宿に戻り、食べ忘れてぐしゃぐしゃになったフランスパンのサンドイッチを食べながら、友人に絵はがきを2通出してから、日記をつけて眠る。
確かにそうだな。
それをやれば確実に罰せられる。
客観的に見れば、負けだろう。
でも、それをしたことによって、いじめっ子が障害を負えば、今後の人生を大きく狂わすことができる。
目玉をくりぬけば、ニコニコ動画を見ることもできなくなるだろうし、杖をついてあるかなければならなくなる。
両腕を切り落とせば、フォークやナイフを使って食事をすることはまずできなくなるだろうし、キーボードを使ってここで発言することもできなくなる。
両足を切り落とせば、義足なしで生活することはできなくなる。
ズボンを下ろして、ほかの生徒たちの前で強制射精させるなりすれば、心に大きなダメージを負わせることだってできる。
仮にそれを行ったことで損害賠償請求されたとしても、いじめっ子に過失ありとみなされ、減額されるかもしれないし、
そいつがどんなにひどいことをしてきたかを周りの奴らに認識させることができる。
そこまですれば、どちらが勝ったかなんて言うことはできなくなるんじゃない?