はてなキーワード: 義足とは
私が出会った初めての痴漢。
彼の甘い吐息は生臭くて、電車の中でこんなに苦しそうにハァハァ喘ぐ彼は
そうゆうわけで、電車通学を始めたばかりの私が、中学一年生の時。
私は生れて初めて痴漢に遭いました。
相手は同い年くらいの男子。
痴漢と言っても、最初は制服の上から尻をなでまわされる程度だったので、「もしかしたら気のせいかもしれないし、そうだったら申し訳ない」と思い、別にさほど気にしていないようにしていたのですが、流石に彼の手がパンツの中にまで浸食してきそうになった時、流石の私も心がふるえました。
勇気をだして、「やめてください!」と叫んだところ、彼は「なんだなんだ?」と言いながら、あわてて私のスカートから手を引っこ抜きました。
立ったまま寝る癖のある私の後ろを、いつも陣取っていた彼。
彼は、電車が揺れるたびに、人差し指を突き出し、振動で私の尻にうっかり指が突き刺さってしまったふりをするという、特殊な趣味の少年でした。将来が不安です。
痴漢に遭い始めの当初、私は尻に違和感を感じていたものの、眠かったので特に気にしていませんでした。
しかしながら、毎日され続けていると流石に不愉快になり、彼が下りる北千住駅で、もう、ありえないくらいの眼力で彼を睨みつけました。
目を合わせないように去って行った彼の後姿が忘れられません。
それ以降、彼が私の後ろに立つ事はありませんでした。
次に遭った痴漢は普通のおっさんで、その後普通のおっさんの痴漢には何度ともなく遭いました。
しかしながら私は、そのたびに彼らの手をつねることにより、それらを拒んできました。
今まで数々の痴漢を経験してきた私ですが、流石にイラン人痴漢の登場にはひるみました。
私が厚手のコートを着ていたためか、彼はまさか私の股がそんなに低位置にあったとは気付かなかったようで、彼は私のへそのあたりをずっと指で突いてきました。
いや、もしかしたらへそに対する執着が強いイラン人だったのかもしれません。でも、まぁそんなことはどうでもいいのです。
しかし手をつねるという行動に出るにはイラン人は怖すぎたのです。
私は、下腹部をなでまわすイラン人の手を取って、上に投げ捨てるようにしました。
しかし、私が手を投げ捨てた先は、運悪く私の胸部付近。
イラン人は勘違いしてしまったようで、私の胸部を触ってきました。
ついに怒った私は、思わず「やめろ!」と叫びました。
怒ってしまった瞬間、彼が麻薬の売人だったら拉致されて麻薬漬けにされるのでは、という恐怖が頭をよぎりました。
しかし、イラン人は何も言わずに次の駅で降りて行きました。
それから中学、高校、大学を卒業し、社会人になった私は、めっきり痴漢にあわなくなりました。制服って怖いですね。
しかしながら先日、いつもの通り私が吊革にぶら下がって寝ていると、後ろからものすごい臭気が漂ってきました。
そして同時に感じる尻への違和感。
私が振り向くと、そこには浮浪者の方が、ひいき目に見てもお風呂に数日入れていない紳士が、私の尻をなでまわしていました。
これは一体どうしたことだろうか。やはりいつもの通りつねるべきなのでしょうか。
でも今混んでるし私吊革から手を離して彼をつねろうものなら、つり革が他の人に占拠されてしまう!
そこで私は彼の足を踏みつけようと思い、彼の足もとを見ました。
すると彼の左足は義足でした。
私は、なぜか、そこでなぜか、彼の足を踏むのを思いやめました。
そして、彼が下りるまで、私は寝たふりをし続け、そのまま彼に尻を触らせました。
そんな数ある痴漢の中で、一番気持ちが悪かった痴漢は、冬コミのゆりかもめの中の痴漢で、私は当時高校一年生でした。
ゆりかもめに乗った時、私に密着してきた薄毛の方は、私の股に右手の標準を当て、「くいっくいっ」と、激しく中指を突き上げてきました。
私は確信しました。
「ああ、こいつはエロゲのやりすぎで、こうすれば女の子が『くやしい...でも感じちゃう!ビクンビクン!』ってなるって思ってる!」
彼はおそらく陰核を刺激しているつもりだったのでしょうが、残念ながら位置はかなりずれていました。
ドアが開き、私と一緒にもつれるように国際展示場駅に降り立った時、私は「二度としないでください」と彼につぶやきました。彼は逃げるように去って行きました。
昨今はてなにてかなり活発かつ真剣に痴漢が議論されているので、かなり軽い感じで書いてみました。
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追記:
よって彼はイラン人。
ニートの妹が障害者にジョブチェンジした。歩けないらしい。 の元増田です。
実家から帰ってきました。
結論からいうと、妹はやっぱり歩けない。治る病気じゃない。
難病指定されていて、人工関節入れるか義足になるか。
この辺の手術は体力やら病気の進行具合を見て行うかもしれないので、いつになるかはわからない。
人工関節は、人工関節を入れた周囲の骨が摩耗するらしいので、
15年から20年後には再度入れ直さなきゃいけないらしいし、
義足も走る用・歩く用とあるらしく、手術したよ、はい治ったよ、というわけにはいかない。
ただ、ガンみたいに転移したり広がったりするわけじゃなく、足だけですむようだから、それは一安心。
妹がネットで検索してここ見つけてもどうよ、と思うし。
妹の許可とった上で、改めて別の場所で相談するなり、調べてみるよ。
ちなみにこの「難病」って言葉だけど、行政的に言うところの「難病(特定疾患)」ってのは、
特定疾患について我が国の難病対策では、いわゆる難病のうち、原因不明で、治療方法が確立していないなど治療が極めて困難で、病状も慢性に経過し後遺症を残して社会復帰が極度に困難もしくは不可能であり、医療費も高額で経済的な問題や介護等家庭的にも精神的にも負担の大きい疾病で、その上症例が少ないことから全国的規模での研究が必要な疾患を「特定疾患」と定義しています。
「現代医学では治せない」というドラマティックだが、どーしょーもなく絶望的なセリフを吐くしかない。
妹はすでに車椅子で、狭い家の中を移動していた。
あまりいい物ではないらしく、妹は寒いだの固いだの、あれこれ文句を言っていたw
ネットで調べたら安い奴なら2万しないでも買えるんだけど、やっぱその程度のシロモノでしかないようだ。
スウェーデンの「パンテーラ」って車椅子を教えてくれた増田がいたけど(ありがとう)、
オフィスチェアもそうだけど、ちゃんとした車椅子にしなきゃ、余計に体力消費しそうだ。
難病指定されてる病気に罹ってるのは片足だが、結局もう片方の足も具合が悪く、松葉杖でも歩けないようだ。
特に今は何をするにしても体力が激減してるので、すぐ疲れてしまう。
精神的にはしっかりしていて、別に気落ちしているわけでもなく今までと変わらず生意気だった。
義足の話題が出たときも、「ピカチュウ柄のとかあるらしいし、楽しそうだよ」とかいってはしゃいでた。
井上雄彦の「リアル」(車椅子バスケのマンガな)の話をしたら、読みたいと言っていた。
これはもう全巻買って送りつけてやるしかない。
意外と明るいのにほっとした。
もちろん、歩けなくなるかもというのがわかってから2ヶ月くらい経つわけで、その間にいろいろあったんだろう。
両親も相変わらずで、母親は妹のあれこれ世話を焼きたがってたし、父親にいたってはテレビを見てるだけで、妹の病気についてはあまり触れようとしなかった。
このオヤジは俺がガキのころ、家の中でクギ踏んで怪我したときにも、泣きわめく俺を背にナイターに夢中になっていたという過去があるので、まったく期待していない。
というか、することなすこと空回りな人間なので、何もしてくれない方が助かる。
良くも悪くも変わっていない実家に安心した。
トイレの横の廊下に車椅子とめて、トイレの中には松葉杖があって云々と、妹が過ごしやすいように変わってる。
けど別に妹が障害者になって、父親が飲んだくれになって、母親が過労で倒れて・・・みたいな、不幸の連鎖にはまってなくてよかった。
(なんか不幸ってドミノ倒しで連鎖するイメージがあるんだ。母親が過労で倒れるというのはありえなくはないので、俺も気をつけないといけない)
もちろん、俺が見ていない所でいろいろあるんだろうけど、
妹が原因で親がケンカすることもなく、「妹が車椅子に乗っている」という日常をちゃんとこなしていて、その現実に前向きに対応している。
自分で「他人の不幸との差分はただの卑しい安心感だ」などといっておきながら何だが、原因不明の病気でよかったと思う。
だって「原因不明?ならしょうがない」って諦めやすいじゃん。
これが事故だったら悲惨だ。
加害者側も大変だろうし、こっちも「恨む対象」があるというのは、実はシンドイ。
「恨む」ことには相当なエネルギーが必要だからだ。
実家には車がないのだが(オヤジが免許は持ってる)、今後妹のために車を買う可能性は高い。
くれぐれも事故だけは起こさないで欲しいと思った。
妹にうちでバイトしないかという話をしたら、以前にもその話をふったことがあるからか、
と前向きに考えてくれていた。
闘病日記(というと重いが)みたいなブログもやりたいと言っていた。
ただ今は妹の部屋からリビングのパソコンの前に行くのも一苦労だし、体力の消耗が激しいのでパソコンも長時間できない。
単純に在宅だろうが仕事自体が難しい状況だ。
ハローワークとかを教えてくれた増田もいたが、妹の体力が回復したら、考えてみるよ。
そうそう、妹はニートとばかり思ってたら、いちおう短期のバイトをちょこちょこやっていたらしい。
これは謝らないといけない。
しかし実家にはまだ車がないし、家は3階でエレベーターがないから外出るのも大変だし、
地元の駅もエレベーターがない。作る予定はあるらしいが、ウン年後だ。
まあ俺が焦ってもしょうがない。
今は実家の親に妹を支えてもらうだけだ。
(もちろん俺もなんかしらサポートすべきだけどね)
派遣切りの問題でも感じてるんだけど、セーフティーネットとしての「家族」の存在は重要だ。
なんかあっても実家に戻って体勢を立て直せるって保障があるとないとでは、全然違う。
両親のことはケンカばかりしていて好きではないが、前向きに対応している親たちを少しだけ尊敬した。
現状、直接俺ができることは少ないだろうが、今年はより仕事頑張って、少しでも実家に仕送りして楽にさせてあげないと。
そんな新年の始まりでした。