はてなキーワード: 系統とは
ウィズコロナ時代は、外出時にはマスクをするのが自然な風景となりつつある。
衛生用品としては汚れの分かりやすい白、水色などの明るい色が好ましいのだが、
おしゃれな人は、他の色や柄のついたマスクをし始めている。
全身コーディネートで上手く揃えているのに、顔だけ白マスクというのは本当にダサい。
基本はトップスと同じ柄のマスクをするか、同系統の色にするのが簡単であるが、
さりげなく際立たせるためにレースやフリルを多用するのもよい。
実際にレース生地のマスクは既に売られているし、街中でもときどき見かける。
ところで、マスクの着用状況を注意深く観察すると、
鼻の穴を覆わなかったり、口も鼻も覆わないであごだけを覆う人がときどき居る。
要はマスクらしきものをそれっぽく着用していれば、本来の機能が無くても構わないと考える人が現れてきたのだ。
この流れが加速すると、近い将来、被覆面積を最小化したマスクが登場するかもしれない。
ほとんど紐だけのTバッグや、乳首だけ隠すほとんど紐なブラがあるように、口と鼻だけを小さく隠すマスクがでてきてもおかしくない。
俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
うん、銀英伝のファンのあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイートの認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。
でもさ、
ことと、
twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシングを煽動してるようにしか見えないんだわ。
ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句だからね。
「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
もちろん、昨今のネットの社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかしな社会学者の存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。
ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?
文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズムに同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性の問題を惹起するよなあ。
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。
ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。
つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイがバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士や研究者によって献血ルームが攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブの農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。
ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものにヒステリックに反応するのは自明の理では?
悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。
だからといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)
実際問題、2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現(特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者の定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動
いや、ネットで表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者の世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベルで新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。
この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterでしか「社会学者」を知らなそうな人多くない?
そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……
アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーやオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。
アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者や数学者や工学者や物理学者や言語学者や文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterのオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。
そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たちの表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージを形成しちゃうよね。
もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。
『ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
Q1.どの薬が使われたの?
https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1129009F3060_1_08/
ジェネリックが色々発売されているが、これは2013年12月発売。
いずれにせよ事件時点から今に至るまで、日本の病院でふつうに処方されている。
Q2.特徴は?
A2.副作用として夢遊症状や内服後の記憶がなくなるなどの報告がある。これはアルコールとの併用で起こりやすくなる。「OD」というのは「口腔内崩壊錠」という意味で、水なしで口に入れるだけで溶けてしまうという特徴があるため、今回のような犯行には用いやすい。
夢遊症状の報告。
https://plaza.rakuten.co.jp/hirokohjiclinic/diary/200603260000/
Q3.証言ってどんなだったけ?
店主
22:00頃 1回目のトイレに入った。このとき混入された可能性が高い。
22:30頃 2回目のトイレに入った
酔ってはいたがしっかりとした様子で歩いて退店した
二人で乗り込んで普通に会話
数分で静かになった
「掃除するの、私が汚しちゃったんだから綺麗にしなきゃ」などと言うままにホテル入口へ引っ張られ、
「うわーん」と泣き声
ポイントは、「第三者には意識がないようには見えない」「数十分で症状がエスカレート」「奇行、幼児化」がみられるというところ。
http://ushirotaro.hatenablog.com/entry/2018/05/31/093631
飲酒と睡眠薬を一緒に内服した人による記録。ここで出てくるフルニトラゼパムは、ゾルピデムとまぁ同じ系統の薬。
ポイントは
2.内服2時間後に就寝するまで、妻と会話などして過ごす
3.翌朝、内服25分後以降の記憶がない
というあたり。Q3と照らし合わせながら読んでほしい。
Q5.薬をどうやって混入させるの?大変じゃない?
https://medical.eisai.jp/products/MAX_DT10/
↑これはマクサルトRPDという水なしで飲めるという特徴がある薬を水に溶かしたときの様子。
Q6.薬を混ぜたら色や味が変化しますよね?
ただ、ふつうに処方されている薬なので複数入手することも容易で、何度でも実験を行える。頚椎症を患っているとのことですから、病院で痛み止めをもらうついでに「時差ぼけ対策で睡眠薬がほしい」といえば簡単に処方されるだろう。
Q7.あんなに明るい店内でどうやって混入させたの?
1.事前に薬剤を水に溶かす。量は1錠ぶんでよいだろう。
2.「お弁当に入っている魚型の小型しょうゆ容器なもの」に詰めて、ポケットに忍ばせておく。
3.ターゲットがトイレに入っている間、店員さんの目を盗めばピュっと1秒ほどで混入可能。
Q8.薬物を混入させるなら個室のほうがやりやすいはず。
それはその通りだね。金曜の夜だから2人で個室を予約することはできなかったのかも。
Q9.そんなにうまくいくとは限らない。
それもその通り。混入に失敗したところで性交ができないだけの話。
Q10.店主によれば1回目のトイレ前から裸足で歩いていたとのことだったけど?
「1回目のトイレに入る前から奇行が見られていたと話すよう依頼した」のでは。
そうすることで、「トイレに入ってる間に薬をいれられた」というストーリーを打ち消すことが出来ます。
注目すべきは、本人尋問で「自分は裸足で歩く姿を見ていないが、店主によるとそうだったらしい」と言ったことです。これ、飲酒量についてもそうでしたよね。
つまり、「依頼」したことは「自分は見てないがそうだったらしい」という言い方をしているのでは。
Q11.髪の毛で睡眠薬を検出できる技術がある。本当に薬を使われのならなぜそれを受けたはずだ。
https://www.sankei.com/west/news/181229/wst1812290031-n1.html
アベノマスクについては、菅首相が福島原発にヘリで水をかけるよう指示したのに対比できると思ってる。
結果的にほとんど効果がなかったかもしれないが、未曾有の事態に常にベストの対応が取れるとも限らず
時間も情報も不十分な中であれこれ打った手のひとつであり、それだけを見て評価するのはどうかと。
森友の文書改竄とかご飯論法とかは、それ以前に与党を攻撃する手法がどんどん揚げ足取りみたいになってきていた
という背景があると思ってる。漢字の読み間違えとか食事の値段とかどうでもいい瑕疵をあげつらう
目糞攻撃へのカウンターとしてまともに答えないという鼻糞反撃。
モリカケ桜も政治家や官僚やってれば少々グレーな案件を収拾させなければいけないこともあるだろう。自民に限らず。
そこを掘り下げすぎても誰もしあわせにならない。
公文書改竄・隠蔽は、それが重要な外交の切り札だったり、重大な犯罪の証拠だったらそれなりに問題だけど
安倍政権はそんなことはやっておらず、地方で揉めた少々グレーな案件に関する間接的な関係性を国会で揚げ足攻撃されるのを防ぐためってどんだけ小粒なんだよ。
それで失脚できるかもと無駄な期待をもってた陣営にとってだけ重要というだけ。
そんで、安倍→菅→佐川→財務省担当→近畿財務局上司→近畿財務局担当、という指示系統で改竄があり死者も出たとき
もし仮に「改竄しろ」と言ったとしても首相がそう発言したという明確な証拠もなしに追求するのは無理筋でしょ。
自分がやったと言えば失脚して、やったと言わなければ地位はそのままって状態でやったと言う政治家はいない。
それも動物など他の生き物や、人形のようにある程度人型を模したものですらなく、本当に人間に近くもなんともないもの。
どう考えても異常性癖・性的倒錯とされるものの一種だ。人前で大っぴらに言えるものではない。
それでもこの性癖は、バレてしまったところでせいぜい変な奴がいる程度で終わってしまう。
(反例として初音ミクと結婚した人がいるが、氏はぬいぐるみやフィギュアを妻と称した写真があるので、どちらかというと人形系統なのだろうと思う。
初音ミクってモノっていうよりキャラクターだし。人形写真を見るにシンセサイザーと結婚した感じでもない。)
さらに不思議なのは、アプローチさえ上手であればこの性質は評価軸に乗ることすらあるということだ。
例えば車を性的に好きな人でも、「愛車はもはや妻みたいなもんだ、だから細かい所でも何でも知っておきたい」だの言えば、なんか車愛が深い人みたいになる。
あまり性的に見ていることをつらつら書き連ねたら流石にドン引かれるだろうけど、それは一般的な趣向でも同じことだ。
(例の漫画は「性的な事を大声で言ったらそら引かれる」という意味では失策だったと思う。)
おそらく「普通と違う」と言いながらも、同性愛や、子供・動物・死体・人形みたいな趣向は皆まだうっすら理解できるのだと思う。
人を愛することが分かる人は、人に性欲を抱くことを理解できる。
だが、生物から遠い所まで行ってしまうとよく分からなくなってしまうのだろう。
変な人ではあるけどそれを率先して叩く人は滅多に現れない。うっすらもわからないからだ。
「なんでそうなるんだ?」「どこに性的魅力を感じてるんだ?」という疑問の方が先に来るだろう。
現実の被害者が発生しないという点はあるが、それは人形だって同じのはずだし、そもそも内心の段階では被害者は発生しないはず。
だから実はここは観点に入っていないのではないかと自分は思う。
何が言いたいかと言うと、叩かれがちな指向趣向って言うのは、皆の根底にある趣向の拡張版なのではないかということだ。
実際LGBTは今、「珍しくないことだ」「たくさんいる」という方向性で理解を深めようとしている。
自分はきっと、小児性愛も珍しくないと思う。犯罪と隣り合わせな部分があるから難しいだろうけど、差別と犯罪を切り離して考えられるようになるといい。
こういう皆がうっすら持ってる趣向の範囲のことが一番難儀だから、救われたらいいなと思う。自分たちは別に救われる必要がないから。
もう10年以上、Twitterより昔に流行ったmixiからの付き合いの知人Aがいる。
Aは絵も書き字も書くが、申し訳ないがAの絵はお世辞にも上手いとはいえない。
鉛筆で薄い線を描いたようなラフ画が完成形のようで、トーンや着色もない。
まるで小学生か中学生がノートに走り書きしたようなイラストだが、本人もまた私と同じように一次創作をして楽しんでいた。
私は年間5回くらい、Aは1回くらい即売会に参加をする。すっかり顔馴染みで、Aは私が発行した小説同人誌を毎回買ってくれていた。
私自身、Aのイラストは稚拙で好きでは無かったが人間性は嫌いではなかった。悪い人ではないからだ。
Aはいわゆる「うちよそ」が好きだった。
自分が産み出した創作キャラ(うちの子)と、他サークルが産み出した創作キャラ(よその子)を一つの物語で共演させるものだ。
積極的に交流する創作者なら楽しめるかもしれないが、私は「うちよそ」が嫌いだった。
自分が書く物語や世界観が好きで一次創作を書いているので、余計なものを入れたくなかった。
あるとき、私が刑事が主役のミステリー小説を発行したときにAが本を買ってくれた。
コラボ=うちよそであることは明白だったが私はやんわりとその場を誤魔化した。
その時にAは私の作品に出てくるキャラクターのイラストを描いてくれた。
既に私の作品には絵師さんが存在したが、似ても似つかない稚拙なラフ画だった。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のアイドルとあなたのアイドルでコラボしたいですね」
また言われてしまった。そんなにうちよそがしたいのだろうか。
Aは自作アイドルの紹介文を送ってきてくれたが、Aが書くアイドルはプロデューサーさん系で私が書くアイドルは握手会系、アイドルとはいえ系統が違いすぎる。
私はいつかとその場をはぐらかした。
それから暫くして、今度は私がロボット物のSF小説を発行した。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のロボットとあなたのロボットでコラボしたいですね」
ミステリーでもアイドルでもロボットでも、Aにとってはコラボ出来れば何でも良いのだろうか?
結局これらのコラボ依頼は全て断った。
私の作品が読みたいのではなくコラボのために私の同人誌を買ってくれているのなら、金輪際スペースには来て欲しくないくらいだ。
最近、Aが個人誌の新作(SFロボット物)を出すとのことでゲスト原稿を依頼された。
・今回発表するのは1話ですらない0話で、キャラクターや世界観を紹介するだけの本
上記の内容でAの作品の二次創作小説を書いて欲しいと頼まれたが無理な話である。
1話すらない、世界観も主人公の風貌も一人称も不明な作品をどう書けというのだろうか。
そもそもAは自分が提示した資料で物語が書けると思っているのだろうか?
寄稿の話は断った。
Twitterで私が○○というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
Twitterで私が★★というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
そんなにスマホゲーを通して交流がしたいのだろうか。何のために?
元々私はAにユーザー番号を教えておらず、今もAをフレンド登録はしていない。
先日、そんなAをTwitter(私が世間話をしている鍵アカウント)からリムーブした。
Aも鍵アカウントなので影で私のことを言われているかもしれないがどうでもいい、Aは他のフォロワーとコラボなりゲスト原稿なりし合えばいい。
10年の付き合いが何だというのだ、今の私は解放感に満たされている。
ちなみにAからは私のサークル情報だけを呟く公開アカウントをフォローされているが、サークル情報なら勝手に見ればいいと放置している。
もしも今後私が即売会に参加したらAは姿を見せるのだろうかと密かに気になっている。
この10年、コラボやスマホゲーのフォローに再三応じなかった私へ何度も声を掛けてくれたAには多少感謝している。
マジでこれなんだよ
あと大元で夢女も叩いてるけど、今も昔も腐女子は夢を「自己投影きめえw」と馬鹿にして差別してきたんだよね。
ていうか夢は腐と一緒にしないでと主張してきたって無理があるんじゃ?それなら男オタにもっと夢女というカテゴリー認知広まってるでしょ。
実際は「夢女って何?」という声が多くて、それを利用して腐は「二次元イケメンに恋してるやばい女の事ww」と刷り込んでるよね。
自分達は既存の男キャラクターを魔改造して作品のキャラとはかけ離れたクリーチャーにしてぐちゃぐちゃのエロ書き散らす癖に、夢は異物を混入させるな気持ち悪いと晒し上げ
叩いていなくとも「二次元イケメンに恋とか、私はおこがましくて出来ないかなw」と遠回しに馬鹿にする
雑食腐なんて今でも「黒歴史w」と言って過去の夢系統をネタにして馬鹿にするツイート散々バズらせてるよね。
あまりにも夢への差別思考が当たり前になってきたからなのか、最近はプロの腐も乙女ゲームを馬鹿にするようなシナリオ書き出してるよね?乙女ゲームに男がトリップしてヒロイン無かったことにして登場人物のイケメン総取りwとか
腐こそ自分達以外の女が憎くて仕方なくて、排除してきた奴らにしか見えない
何で被害者面してるんだろう
コロナの影響で4月から在宅勤務が導入され、4、5月の2ヶ月かけてなんとか自宅で業務ができる体制を整えた。
チャット?なにそれおいしいの?状態で最初は混乱してたおじさん上司たちも、流石にラインくらいは日常的に使ってるので、しばらくしたら慣れてきた。
だいたいの業務がなんとか在宅で進むようになった7月頃から、不穏な話が各部署から聞こえてくるようになった。
—-
まず前提として、弊社はメールは社内であっても、
「◯◯様」で始まり、「よろしくお願い致します。」で締めくくるカルチャーがあり、そういうのが文面にあると自然と全体も合わせてカチっとした文章になる。このおかげである程度の礼節のある、悪い言い方をすれば堅苦しいコミュニケーションをとっていた。
そのためチャットになってもしばらくは、それを踏襲した文面になってたけど、
これ自体は上記のメリットは確かにあり、業務連絡から傍道に逸れて、「ぶっちゃけ週報は誰も読んでないから月報だけでオッケー」とか「都度メールで送付してたファイル、実は数年前のシステム改修で必要なくなってたんだよね」みたいなことも起きてた。
果ては、部署を超えてのオンライン昼飯会とか、チャットに冷蔵庫の食材を書き込んだらオススメの料理がレコメンドされる、みたいなことも行われ始めて、かなりいい感じに機能してたと思う。
一方で、「言葉足らずで業務が事故った」「言動が失礼」みたいな話もちょくちょく聞きようになった。
これに関しては、始めたばっかやから仕方ないかー、時間が経てば減ってくるやろとか思ってた7月末頃、ある管理職が他部署の新卒の女の子を電話で怒鳴り倒す事案が発生した。
(チャットの文面が気に食わなかったみたいだけど、確認したら最低限の丁寧語は使われていて、常識の範囲内な文章だった)
これは表面的な問題じゃないっぽいので、両者ヒアリングの後、全部署の代表者数名が集まって対面で会議することになった。
その中で原因として挙げられたのは
怒鳴り倒した管理職が悪いっちゃ悪いんだけど、当人の人間性の問題で片付けると、類似イベントが発生しかねないので、
フランクなコミュニケーションの恩恵を捨てて、かっちりした文章を書くとか、「最低限の敬語」の基準を設定するとか色々出た中で、在宅勤務中に水戸黄門にどハマりしてたらしい、おじいちゃん役員から、試しに時代劇にしてみよう!みたいな意見が出て、まぁ面白そうだから導入してみた。
社内時代劇を一ヶ月くらい試した結果としては、とりあえず「〜ござる」とか語尾につけとけばオッケーみたいな軽さと、なんだか新鮮で面白いということで、以前と変わらない活発さが戻り、
目上には「〜殿」とかつけるので、役職の上下を萎縮させずに明確に出来て、そこそこいい感じに回ってる。
—-
さいごに弊社に向けて
僕はパソコンにちょっと詳しいからってテレワーク関係のシステムを導入やらされて、そのまま上記みたいな管理業務まで押し付けられてしまった可哀想な弊社のヒラ社員です。
口腔アレルギー症候群(OAS)というものがある。シラカンバやハンノキの花粉アレルギーを持っていると、副次的に発生することがある症状だ。
具体的には、生の果物・野菜を食べると口がかゆくなる。喉がイガイガし、唇が腫れる。普通の食物アレルギーと違って全身に反応が出ることは少ない。30分もすれば治まるのだが、摂取し続けると重症化しアナフィラキシーショックを起こすこともありうる。重症化しなくとも単純にかゆくて腹が立つ。なので生の果物を控えることになってしまう。
人によるのだが、自分は特にリンゴとビワ、メロンで反応が激しい。リンゴに関しては生のものなどここ数年食べていない。しっぺ返しが来るのはわかっているし、そもそも生のリンゴ自体そこまで好きでもなかったし、損したという感覚はない。えるしっているか、リンゴはレンチンするとコンポートみたいになっておいしい。ビワも砂糖と鍋で煮込み、冷やしてコンポートにした方が食べやすくてよい。メロンは元々甘さが苦手なので、公の場で断りやすくなって良かったなあくらいにしか思っていない。
つまり今までのところこの症状で迷惑を被ったことはなかった。だが今日からは違うのだ。
昨日実家からナシが送られてきた。近所の方からのお裾分けのお裾分けらしい。ナシの甘さ、瑞々しさ、食感、そのどれもをこよなく愛していた私は早速今日の昼食に食べた。五分ほど経って、愕然とした。口がかゆい。そんな馬鹿な。唇が熱を持っている。歯茎がチリチリと燻る。喉に違和感を感じる。間違いなくOASの症状だ。念入りに歯を磨き、うがいをしてから調べたところ、やはり私の持つハンノキ系統の花粉症が原因のようだった。
これから先、私は梨を生で食べられないのだろうか?どうしても食べたいのならこの耐え難いかゆみと戦い、リスクを承知の上でということになってしまう。幼稚園生の頃に好きな食べ物を「ナシとスイカとサクランボ、うどん」と書いていたほど生粋のナシ愛好家なのに。さらに調べたところ、ハンノキ系統の花粉症によってOASが引き起こされる果物の中に、スイカとサクランボも含まれていた。
絶望的だ。かつて訳あって人生のレールからドロップアウトした時と同じくらい、眼前が闇に包まれている。私にとってあれらの果物は人生と同等の意味を持っていたのだ。だが私は諦めない。かゆみに耐えるのだ。そうすれば今までと同様にナシを味わ かゆい かゆい うまかっ です。
元々この春に公開だったが、コロナ騒ぎで延期してて、ようやく昨日から上映開始。
個人的に人生最初に映画館で見た映画がのび太の恐竜で、それから長い長い時を経て、子供と一緒にのび太の新恐竜を見てる自分に感慨深いものがあった。
さて中身。
以下ネタバレもあるので、内容を楽しみにしてる人は読まないでね。
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あの話は無かったものとして、のび太がジャイアン&スネ夫コンビに「恐竜を見せてやる!」と啖呵を切る所から始まる。
以前のピー助は歴史的にもちゃんと日本にいたフタバスズキリュウだったが、今回は謎の新種。名前が無いので物語中は新恐竜という名前で通される。
姿は始祖鳥。始祖鳥似なんだから鳥の子孫な訳で、物語もその鳥になる系統の新恐竜の特性を軸にしたストーリーが展開される。
産まれたての新恐竜に翼があって、成長して飛べるようになるまでのお馴染みのやつ。
飛べるように頑張る、でも飛べない。
何度も努力する、でも飛べない。
でもでも最後に?ってやつだ。
TV CMやってる木村拓哉は途中から出てくる。こいつはまぁまぁ重要なキャラで、ネタバレすると話が興醒めするので書かないが、小さめのどんでん返しがある。
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いつも思うけど、ゲスト声優で有名人連れてくるのはどうだかなと思う。
俳優が声を当てても大抵は合わない。演技とキャラがどうにも合わない。今回は芸人とかじゃない分、ましだったが。
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さて話を戻して。
今回は話の舞台は白亜紀。恐竜時代の最後の時期なのを利用したプロットになってます。
因みにフタバスズキリュウのピー助も白亜紀で、この物語の中でも実はピー助が出てきます。
でも正直、ここは話交じるけど出して良いのか?とも思った。そもそも前作見てない良い子の皆んなはピー助知らないだろうに。
その他、生物学的に疑問が出る箇所があったり、恐竜がCGだったり手書き風だったりが混ざってたり。ストーリーも絵もあちこちで粗さが見えた。
小学校高学年にはアラが目立つかも。
今回は50周年記念作と言うことでもうちょい頑張って欲しかったが、短い夏休みでどこにも行くとこないなと言う子持ちの皆んなは映画館に足を運んでみて欲しい。ガラガラだから映画が潰れないよう映画好きは少しでも貢献してね。
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おまけ。