はてなキーワード: 演技力とは
見なければいい。わかっている。それでも放送時間はやってくる。しかしつまらない。
ネットに繋ぐ。とても評判がいい。これがわからないヤツはバカとでも言いたいような文字列が並ぶ。腹が立つ。
というわけで次の週も見る。やっぱりつまらない。気が狂ってしまいそうになる。なのでつまらない理由を列挙する。
分かり合うって大切だよね。(分かり合えないってつらいよね、ともいえる)
ユリ熊嵐のなかのストーリーともいえる部分は、ざっくり切って以上の3つを広げたものにすぎない。
透明な嵐に負けちゃだめ。スキを諦めない。キスをあきらめる。
1話先行発表会に集まったファンを絶句の海に叩き込んだ惑星クマリア、断絶の壁、ユリ裁判。
しかしそれらは謎でもなんでもなくなる。「あ、これ説明しないんだろうな」ということは見続けていればいやでもわかってしまう。
そして見続けていれば、テーマが他者とのコミュニケーションの話だということはどんなアホでもわかる。なぜなら同じ話の繰り返しだから。
謎だった部分が無意味であればあるほど、単純すぎるテーマが浮き彫りになっていく。結果興味が薄れていく。
同じ内容の説教を30分間週イチで聞かされているのと同じ。もう言いたいことはわかってるから、早く終わってくれと思う。つまらない。
同じセリフが同じタイミングで同じ用法としてしか出てこない。なんの機能も果たさない。キャッチコピーとしての美しさも、読み取れるほどの意味情報もない。
語感がいいかといえばそうでもない。少なくとも2015年のセンスじゃない。
るるかしこい、は脚本として正しい使われ方をしていた。ような気がする。言語自体は死ぬほどダサい。
私はスキを諦めない。わたしはキスをあきらめる。ポエムを使わないと会話が書けないのか。つまらない。
なぜなら同じセリフを繰り返し続ける機械だから、そこに全く人間(クマでもいい)が見えない。
大半がポエムなので、キャラクターが実存在からかけ離れていく。
きわめつけに演技力もない。だからキャラクターに魅力がない。彼女らの行く先にまったく興味が持てない。つまらない。
とにかく見ていて面白くない。バンク・視覚的な面白さがない。変身シーンが苦痛でしかない。
美術も過去の作品からの転用だったり、名作映画からの引用だったりする。
話題になったサイコの家やクマ撃ち写真も結局なんの意味もないただの引用だった。
現実のセットで作れるものをアニメで作る意味が感じられない。つまらない。
驚くほどツイストがない。引きのある終わり方のあと、これが起こるんだろうと思う。そして起こるべきことが起こる。やっぱりか。つまらない。
ポエム絵本が挟まれる。結論のわかりきった説教のなか、結論のわかりきった例え話が始まる。最初の説教も例え話なので、聞いていてつまらない。
話が進まなくてイライラしてくる。ポエムが繰り返される。ポエム絵本が引用される。ますますイライラしてくる。つまらない。
わからないならわからなくていいと監督が言う。この人の世界は面白いとファンが言う。
当方、スポーツ観戦に興味がありません(自分がやるのは嫌いではない)
周りが盛り上がっているのを見ても「そんなに楽しいかなあ」と思うばかり。
よくスポーツは「筋書きのないドラマ」と言われるけど、それだったら
作家や脚本家が一生懸命ひねり出した「筋書きのあるドラマ」の方が
きちんと盛り上がりも考えられているし、よっぽど面白いのではないかと思うのです。
エンターテインメントとしてスポーツを見た場合、映画やドラマなどより優れている点は2つあります。
2.展開や結末があらかじめ用意されていない点
もっとも映画やドラマだとしても、1は役者の演技力や演出によっていくらでもカバーできるし、
2はあらかじめ用意された(ベタな)シナリオでないと観客に思わせればいいわけで、ようするに脚本の質の問題。
これを持ってスポーツの優位性を説くには、ちょっと弱いかなと思う訳です。
============
話は代わりますが、私は映画とかのキャッチコピーで「真実の物語」とか「感動の実話」をうたうことに、何の価値も見出せません。
別に実話だろうがフィクションだろうが、物語が始まってしまえば関係ないからです。
しかしながら興行成績などを見る限りでは、世間の人にとって実話であるということが
物語における強力な「付加価値」となっているのは、認めざるをえません。
そう考えたときに、ふと気が付きました。
これってスポーツ観戦でも同じことが言えるのかな、と。
野球でもサッカーでも何でもいいですけど、観客がスポーツに何を求めているかというと、結局のところは真実性です。
目の前の試合が「本当のこと」として担保されているからこそ、観客は安心して感動することが出来るわけです。
こればっかりは、本質が作りごとである映画やドラマでは到底かないません。
昔の方が粗があったし、昔の俳優の方が目に見えて演技が棒だったけれど、
それを有難がる人っていうのは、昔の人越しのフィルターだから補正が加って
実際にはそうでない事が、懐かしさと郷愁とが相俟って黄昏たくて素晴らしかったと言う。
筆者は未だに高倉健の演技力が素晴らしかったとは思わないし、エヴァンゲリオンが社会現象を巻き起こすほどのドラマ性の高いアニメだったとは考えていない。
それは、昔を知らないからだ。
昔を知っている人はその当時の感動を今も引き摺っている。
だからこそ、未だに現在の対象物に対して昔の比較相手を引き合いに批判している。
今を知り、昔を知らない人からすれば、昔の良かった事は古臭い考え方と批判する。
例えば、現在の就職活動の現状と昔の終身雇用制度が成り立ってた何もかもが良かった時代を比べる事はナンセンスである。
何故なら、今は当たり前のことが昔にはなく、逆もありきだからだ。
昔を知っている人なら、今の人は甘えてるとかゆとりとかって批判するけど、
今の人が昔の人を団塊世代だからとか昔の方が融通が利いたからとかをよく耳にする。
当り前だけど当り前じゃない時代があって、それを現在の在り方に対する批判というのはよくある事だけど、
それは昔を知り今を知っているからこそできる事であり、片方しか知らない人が多いから有難味が分からないのである。
最初に出した高倉健やエヴァンゲリオンにしても昔を知っている人なら非常に楽しい話題だけど、そうじゃない人には当然意味が分からないし
そういったコミュニティに入れない事に内心苛立っている。
逆もまた然りだ。
昔のアニメを有難がる風潮は、昔を知り今を知らない人あるいは、今のアニメを否定する古い型の人間であるからだ。
昔の俳優の演技力は素晴らしかったという風潮は、ジャニーズやAKB48などのアイドル風情の演技力とかそういった人ばかりが現代ドラマに出まくってる事への反感である。
実は両方とも同じである事に気付いていない。
昔の人には昔補正というフィルターが加っている事は前に述べたが、現代もさして変わらないのではないか。
アニメもエヴァンゲリオンの後に涼宮ハルヒ、まどマギ等と言った社会現象に似た現象が巻き起こっているが、その規模はその時々によって異なる。
たまたまエヴァの時代は就職氷河期だった事もあったし茶の間世代が多かったために大人も夕方アニメを見られる時代であったため、社会現象になり易かっただけである。
うーん、大体あってるけど、原因というか構造が分かってない気がする。
軽く業界全体をまとめておく。
現状、声優界は完全な供給過剰。声優という肩書き持ってる人は1500人とも3000人とも言われるが、専業で食ってる人はせいぜい1割というのが定説。
一方、毎年専門学校や養成所に入ってくる声優志願者は毎年6000名を超える。学校や養成所は増える一方。それ自体が一大産業になっているので止められない。
入れるだけ入れて絶対に声優になれないダメ学校もごろごろしてるが、一応事務所と繋がってる養成所はそういう訳にもいかないので、何人かは新人と契約する。そうでないと養成所に入ってくる人がいなくなって、立ちゆかなくなる。これを「養成所ビジネス」とか言って批判する人も多いが、あえて言っても必要悪に過ぎない。
とにかく競争は厳しいけれども、一応は事務所との契約まで行ける人も、年間100人以上はいる。
ところが声の衰えは容姿の衰えよりもよっぽど遅い。吹き替え声優第一号の滝口順平さんが亡くなったのはわずか3年前で実働55年間。今年亡くなった永井一郎さんも実働50年(俳優として働いてた期間入れるともっと長い)。
このあたりの大御所は別格と考えても、生涯現役のまま亡くなった人は他にもいくらでもいる。さっきの人数と稼働期間を考えると、辻褄が合わない。
結局、役者として一応の能力を身につけるには、才能ある優秀な人間でも3年から5年の訓練が最低でも必要、というのがプロの評価。専門学校は2年だし、大抵の養成所も基礎と応用の2年制。青二塾に至っては1年間。必要な訓練期間に足りてない。
「まだ一人前のプロの役者としてやっていくだけの演技力は身についていないが、本人の能力や姿勢を考えれば、この後現場で経験を積んで研鑽を怠らなければなんとかなる、と現時点では判定しました」
というだけの話。ギャラが安いジュニアランク時代、30分アニメ一本1万5千円の時期が2~3年あるので、言うなればその期間が見習い期間。
さて、ジュニアランクの声優とはギャラが安い以外にどういう特徴があるか? そう、「若い」ということ。
若くて演技力はいまいちだけど安い役者をどう使うのがいいか、といえば、顔出し前提の深夜アニメが一番使いやすい、ということになる。安いし他の仕事も大してないから、いろんなイベントに引っ張り出したりウェブラジオで無茶ぶり企画やらせたり、そういうアイドル売りがやりやすい。
こうやって「大きなお友達のファン」を獲得するか、演技力が伸びたり当たり役を掴んだりして業界内で一定の評価を得るか、うっかり歌唱力が評価されてCDリリースできるようになるか、そういう「何か」が獲得できれば事務所の方でも「じゃあジュニアランク終わっても生き残れそうだな」と判断できる。
元増田が「確変」と呼んでる現象はその中の極端な成功例で、ギャラが安いうちにどんどん使っておこうと引っ張りだこになっている現象。
逆にジュニアランク期間が終わっても(あるいは終わる前でも)見込みがないようならば事務所は容赦なく新人との契約を切る。見込みがないなら早期にそう告げる方が、本人の第二の人生のためでもある。
結果、ジュニアランクが終わるまでに、新人声優の半分は消える。劇団だか三流事務所だか何だか分かんないところにしがみついて業界に残ろうとする人も多いが、アニメ声優としてはほぼこの時点でゲームオーバーである。
他、ジュニアランク期間では引っ張りだこでも、ランクが付いた途端に仕事が激減して「あの人は今」状態になる人もそれなりに出る。
さて吹き替えの話。アニメは制作本数が多いので新人どんどん使えるが、吹き替えはそうじゃない。もともと予算の考え方も違うし、芝居の性質上、顔出しの仕事やってる俳優がこなす率も低くないし、長期の仕事も多い。そしてFIXと呼ばれる「この俳優にはこの声優さん」みたいな関係性もあったりして、アニメのような若手新人が主役に抜擢、なんて現象は起きにくい。
結果、声優界の中でも、吹き替え声優が一番なるのが難しい少人数な世界になっている。吹き替え向けのコースを持ってる養成所はあることはあるが、そこから物になる人は年に1人出るかどうか。
だいたい、どの事務所でも「元若手声優」はいくらでもいて、そういう人は吹き替えに潜り込めないか虎視眈々と狙っている。ぽっと出の新人が演技力で対抗できる相手ではない。
----
返信の返信。
それなら最初の三行も要らない。一行で済む。
で終わり。
深夜アニメは予算が安い。ジュニアを使えば安くなる声優のギャラとか最優先のカット対象。そして円盤やその他の細かい収入に頼るしかないから、声優をドル売りすることで作品の露出を少しでも増やせるようにしつつ、細かい儲け口を少しでも増やして稼ぐ機会を増やそうとしてる。そういう努力の積み重ねで、現今の狂った制作本数が維持できている。
内容については伏せておくが、話の内容も結構面白く、また主役のキャラクターを演じる女性声優の演技力も相まって非常に魅力的な作品であった。
しかし例の深夜アニメは、政権や経営者団体の意向を伝えるためのプロパガンダという側面の強い作品であった。
例の深夜アニメの具体的内容は伏せておくとは先述したが、作品を読み解くためのキーワードとして「生きづらさ」と「自己責任」の2つがある。
「生きづらさ」に関してだが、主人公は人間関係などに困難という「生きづらさ」を抱えている存在として描かれていた。
もちろん人間関係に困難を抱えた主人公は古今東西多くの作品に登場し、またプロパガンダ目的以外の作品にも「生きづらさ」を抱えている主人公が登場することも多い。
従って、「生きづらさ」だけを以てプロパガンダと認定するのは乱暴である。
もう一つのキーワード「自己責任」についてだが、例の深夜アニメは主人公が抱える「生きづらさ」を嘲笑する作風であるように感じられた。
また、話の内容も「生きづらさ」の根源を徹底的に自己のパーソナリティに求めるものである。
これらを踏まえると「生きづらいのはそれを感じるあなたが悪いのです。社会や制度は何も悪くありません。だから自分を変えてね。」という自己責任イデオロギーが例の深夜アニメの底流を流れているといえよう。
さて、例の深夜アニメは「経営者団体の機関紙」と揶揄される大手新聞社と資本関係を結ぶ放送局が制作に関与していた。
また、
・「経営者団体の機関紙」は社会保障のスリム化と自己責任イデオロギーの吹聴を主張として行っている
このの3点を踏まえると、政権や経営者団体の意向が例の深夜アニメにも反映され、結果政権や経営者団体のプロパガンダとして例の深夜アニメは制作・放送されたということが推測される。
一見魅力的な話もキャラクターも、実は政権や経営者団体の意向を視聴者にインプリンティングさせ、思想を誘導させるための装置の一つでしかなかった。
作品の政治性という物語の根幹に目を向けようともせず「キャラクターが魅力的だから」「話がおもしろいから」という枝葉末節に眩惑され、
あまつさえ映像ソフトやキャラクターの人形、出演者の声優が登場するラジオCDなどを嬉々として購った、己の軽佻浮薄さと愚鈍さに慄然とした。
そして過日、アニメの映像ソフトや人形、女性声優が登場するラジオCDなどを全部処分した。
ただ例の深夜アニメ以外にも、政権や経営者団体のみならず、右左問わず様々な政治団体やロビイストのエージェントが、テレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった
ポピュラー文化を通じ人々を特定イデオロギーに染め上げようとしていることは容易に想像される。
もちろん接触者が全員特定イデオロギーに染め上がるといった、皮下注射モデルが妥当であるとは思えない。
しかし例の深夜アニメのように魅力的なキャラクターやプロットで人々を眩惑し、徐々に思想やイデオロギーをインプリンティングさせることは十二分に考えられる。
これを踏まえ、今後はテレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった娯楽にはなるだけ目を向けないように心がけていきたい。
勿論「だからあなたたちも娯楽には目を向けないでね」と言いたいわけではないし、思想やイデオロギーを読み解いたうえでいったんそれを相対化できるなら娯楽を楽しむのもありだろう。
ただ枝葉末節に幻惑され、思想やイデオロギーに目が向かなかった己の愚鈍さを鑑みた場合、娯楽から遠ざかった方がベターだと判断しただけだ。
ついでに例の深夜アニメは映像ソフトも全く売れず、一部マニアから「爆死」と揶揄される作品である。
ちゃんと思想やイデオロギーを読み解いたうえで、一旦それを相対化できるリテラシーは多くの人に備わっているのかもしれないと安心した。
1: http://anond.hatelabo.jp/20140817034159
サクセスストーリーは始まらない。小説のようには。これは、生身の人間の記録だ。
話は少しさかのぼる。ぼくが中学校二年制三学期を迎えたころ。両親が離婚した。雨の日だったと思う。正確には、ぼくが離婚させた。
ぼくの父は、破綻を迎えるまでの十数年、ほとんどまともな職につかなかった。職にありついている時も金を家にいれないので、働いていてもいなくても同じだった。さらに男は、部落出身だとおのれを偽り、人権団体を傘に生活保護を認定させようとしたこともあった。それくらいには、どうしようもない男だった。ぼくの毎日のおかずがその男より少ないのも、ぼくを苛立たせた。
僕は中学に上がってしばらくすると、学業の意味をみいだせずサボりだした。家にいると、その男は、気まぐれにぼくを闇ポーカー屋や、パチンコ屋についてこないかと誘った。ぼくは、男の思惑については考えなかった。ただ、クズが出来る工場には興味があって、何度かついていった。そこでわかったことは、前者は場内で飲み物と食い物が只だった。しかし、必ず負ける。もう一方は、給餌がない。ただ、勉強すれば儲かるようだった。ぼくは研究を重ね、中学三年の頃には、その成果としてまとまった金を手にしていた。お金自体より、お金が増える仕組みを実践できているのが楽しかった。
一度、父にパチンコの攻略法を共有しようとしたことがある。そのとき彼は、ぼくの説明を聞くなり
と言い放った。餓鬼は夢を言うものだし、攻略法は確かに存在していた。血を分けたとはいえ、肉身との合意形成まで神は保証していないことを思い知った。ぼくは二度と同じことを口にしなかった。ぼくの手元にはいくばくかの金がすでにあったが、やはり出口はみつからなかった。
そんな折、転機が訪れた。父方の祖母が他界した。これが一家破綻を引き起こした。なぜか?父はできちゃった婚をしてこのかた、せっせと毎年、百万ずつ消費者金融に借金を作っていた。祖母は、このギャンブルによる借金を二年毎に内密に精算していた。その二年の精算周期を目前にして、祖母は死んだ。母があけすけにぼくに話してくれた。自転車は前のめりに急停止し、乗員はほうり出された。中学生にして人生はハードからベリーハードモードになった。その頃のぼくは、定期的に母に金を渡していたので、頼りはぼくだけだったのだろう。仕方なしにタネ銭のほとんどを母にわたし、祖母の四十九日の法要が終わったらみんなで出ていこうと提案した。暴力から逃げよう。貧しさも和らげることができるかもしれない。そして一方的に、ぼくは母の手をとり、家を出た。父を一人残した。金の重要性は再確認された。
十六歳になるのを待って、ぼくはアルバイトを始めた。解体工事、ピザの配達、飲食店調理、エロビデオ屋。スーパーのレジ。気持ちとは裏腹に、どれも長続きしなかった。三ヶ月もすると定形作業に慣れ、新しい事がしたくなる。気を紛らわすために、あいた時間で、頼まれていないのに段取りの効率化や改善をした。ポスシステムを無断で走破し、廃棄率や回転率を計算してオリジナルノートに映すのを空き時間の趣味とした。店長会の議事録を盗み見するのも日課になった。そういった業務に関係のないことを社員にやんわり諭された次の日が、だいたいぼくの自主退職日になった。金銭的にはじり貧だった。
いくつかのバイト歴を経て、最後に応募した求人が「PCオペレーター募集」という求人広告だった。その時代、地方都市でまだ見かけない求人だった。その頃にはぼくは開き直り、一つのアルバイトを六ヶ月で必ず辞める。そして、同じようなバイトはしないことに決めていた。コペルニク的回転により収支を安定させた。とりあえず生きていけるし、お金を増やす方法をよりもっと知りたかった。今回も、その怪しい求人の裏側を見てやるつもりだった。
面接に行くと、縦長のプレハブ小屋のようなみすぼらしい雑居ビルだった。中に入ると垢のついたソファに男が一人座っている。マネーの虎に出ていた堀之内九一郎のような風貌のスーツ男だった。その虎風の男は、釣り上がった眉で、自らを社長だと名乗った。アルバイト面接にもかかわらず、名刺をぼくに差し出す。話しぶりからも慣れていないのは明らかだった。口だけは達者なので、営業上がりだろうと推量した。
ぼくはその時代にしてはめずらしくパソコン先生だったので、すぐに採用が決まった。学歴にかかわらず。虎は、二人バイトが辞めるから明日からきてほしい、と言った。ますます怪しかった。ぼくは、いやらしい笑いを隠し、業務内容を聞きだす。男は壮大な事を奔放に話していたが、要するに、出会い系サイトのサクラが仕事だった。ぼくはとても面白そうだと思って、了解した。
入社して一週間で、ぼくは完璧なチャットレディーになった。しかし、完成された演技力とはうらはらに、客が異様に少なかった。ほかに事業もしていない。日商は大幅な赤字に見えた。でも、ぼくはノウハウを掴んで六ヶ月後にはやめるつもりだったから、それはどちらでもよかった。
「金が無い。来週払うはずの給料が払えない。どうやってもいいから自分で売上をつくってくれ」
と、通帳を手でひらひらさせながら虎はいった。漫画のような状況にぼくは少し面食らう。とりあえず事情を説明させた。
「じつはこの会社、きみが入社する一ヶ月前に出来たんだ。出会い系システムも他社から買ったものだった。彼らが送客を保証をするので二ヶ月で間違いなく黒字転換するという話だった。が、客がこない。約束が違うと納入元にかけあっていたが、そうしている間に、わたしの脱サラして得た運転資金も底をついてしまった」
虎は切なそうに泣く。額面どおりぼくの目の前でぽたぽたと涙する。社会は惨めな大人で満ちていた。
ぼくは、いくつかの方法を使って業界を調べた。社長の首根を掴んで、納入元にもいった。そこで話を聞くと、業者は、しなびた我らが虎から、すでに二百万の導入費用を支払わせていた。さらにシステム利用料として粗利の五割が毎月抜かれる。そのうえ、月々のサーバー維持費、合計十数万の支払いがまだなので、早く払ってほしいという。悪びれもせず。あとで分かったことだが、このころ全国的に、ヤクザのフロント企業が出会い系システムを詐欺同然に売りつけていた。上場しているあの情報通信企業も、元を辿れば同じ穴のムジナだ。
ぼくはだいたい事態がつかめた。それに加え、ぼくはこのビジネスに可能性を感じていた。だが、虎を救ってやる気は微塵もなかった。体面を保たない大人を、ぼくは嫌いだった。その後、給料の支払い日がやって来たが、予告通り給料の支払いはなかった。社長はぼくに、面談と称して言い訳をくどくどとする。ぼくは、うんうんと頷きながら話を無視し考えを巡らす。ふと、試しに揺さぶってみようという気になり、声を出した。
「なるほどー。でも社長も大変っすね。退職金使い果たして。さらにぼくが訴えたら、前科持ちでしょ」
そのまま、社長の眼球をぼくは下から見据える。張り付いた彼の眉・目・口。時間にして五秒。次の瞬間、彼の全ての部品がハの字に垂れ歪んだ。ぼくのほうも口元が歪むのを完璧には止められなかった。もう一押しする。
「わかりました、……じゃあ給料いらないです。そのかわり、納入元になんとかいって残りの支払い手打ちにしてください。その後、システムの引き取りを彼らに申し出るんです。サーバーをぼくにわたしてくれたら、それでこっちも手打ち」
――こうしてぼくは、くだらない会社をのっとった。
先月やっと総務の人が入社してくれたので、今まで悪意をぶつけられていたことを訴えた。
すれちがったとき、「辞めろ」「気持ち悪い」「みんなに嫌われてる」と言われるのは当たり前。
近寄ったら変な顔されたり、目配せされた後に避けられたりした。
吐き気をもよおす酷さだったが、ひたすら耐えた。
今、総務の人が加害者に確認中なのだが、ことごとくシラを切られているそうだ。
すごい演技力だ。
もちろん、そうなることはわかっていた。
復讐のため、まずはレコーダーが入れやすいようにポケットのついた服しか着用しないようにしていたのだ。
それでバレないように、悪口はいつも録音しておいた。
今まで散々ばい菌扱いしてくれた主犯のAさん、覚悟しておいた方がいいですよ。
言い逃れできない書面を作ってもらっているのです。
126: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:23:29.69 ID:IwUk1x8y
キムタク 171 ±0
真田広之 165 -6
岡田准一 165 -6
こう見るともっと小さくても余裕で売れるくらいや
143: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:29:02.04 ID:zyJqhx3r
>>126
他にチビの二枚目オッサン俳優って見た事ないし、身長170未満は日本人の成人男性のうち4割もいるのに
170㎝未満で息の長い有名二枚目俳優が出現するのは、数十年に一度以上の長期スパンじゃねーか、
現実は170未満のチビ人口の99%以上が脚光を浴びずに誰にも相手にされず
チビの勤め人やチビの派遣工やチビのフリーターやチビのニートとして人生を終えるわけだ。
半面、日本の成人男性の一割程度しかいない180以上は、俳優だのモデルだのまあまあおいしい位置にいる奴が多い。
芸能人だけじゃなく野球などのメジャースポーツ選手とかもそうだろ。
体がデカいだけで、才能も素質も凡庸なのにプロになったりそこそこいい位置だったり長いキャリアだったり。
そもそも身長問わずほとんどの人間が一般社会で就職して生きていくわけだから
チビのリーマンとかチビのフリーターやチビの工場の派遣とか何一つ得しないわな。
チビは日本人成人男性の四割もいるのに居場所だけは限りなく狭い。
あとトムクルーズが他者との身長の比較で165㎝だと判明してる画像ってどれなんだ?
自分の身長をどう捏造しようが、周囲との比較で実寸や鯖読みが簡単にばれるのは
芸能人の実寸や鯖読みを認定したがるチビ男が一番分かってるはずなのに
それでも自分の身長はサバを読んでしまう(170未満でさばを読まない男は皆無)所に
・有名人(特にイケメン系)に対し「実はかなりサバ読んでる!実寸はこんなに低い!」認定
・日本人の成人の平均身長を171に固定(実際はここ二十年以上、171と172を左右している)
チビ仲間を少しでも増やしたいんだろうな。
最後に。
真田広之レベルの顔面(あと演技力と英語力とアクション力)じゃないと
イケメンだと認めてもらえないって、チビの人生ってすごくハードモードだよな。
ちなみにアクションに関しては十代~二十代と
千葉ちゃん直々の訓練や危険な撮影で天守閣からの飛び降りなど無理難題をこなし
常時怪我が絶えず、毎日死を覚悟していたとのちに述懐している。
高身長だと小栗や豊悦レベルでの顔でもイケメン扱いされていい思いしてるのに。
岸部一徳とか棒読みで目の細いフツメンなのに明らかに身長で得してる。
チビだと真田やハイド(化粧&フォトショがないと通用しない)レベルの顔じゃないとイケメン扱いされない。
岡田准一なんて顔面、声質、演技力、まじめで温厚で勉強熱心な性格と
どれも今の同世代の中ではずば抜けてるのに、いまだに代表作を生み出せないのは明らかに身長のせいだろ。
歌手業のついでに、たま~に俳優活動して大ヒット作をいくつも生み出した
全てにおいて可もなく不可もない凡庸な才能の福山と比べると、ますますチビのコスパの悪さが浮き彫りにされる。
整形とか植毛でもどうにもならんしな。
■そこそこ有名なAKBまとめブログ管理人から見たじゃんけん八百長問題
http://anond.hatelabo.jp/20130920105319
毎日AKB関連スレをチェックしてる割に分かってないので言いたい。
ただ結論は私も八百長はなかった、と考えている。
理由は3つ。運営的にメリットが無いこと、デメリットが大きいこと、最後にメンバーの考え方を挙げる。
まず運営にメリットが無いことについて。
ご存知の通りAKBのミリオンは、CDに付属するおまけ、握手会などのイベント参加券によるものである。
握手会について詳細に知らない方も多いと思うが、AKBの握手会はテレビに出てくる16人の選抜メンバーだけが行うものではない。
国内の48グループ(AKB48、SKE48、NMB48、HKT48)に在籍するメンバーが全員参加する。
だからCDに握手券がつけば今回のじゃんけん大会によるメンバー選出の結果は売り上げにほとんど関係ない。誰が選抜で誰がセンターであろうが、必ず握手会に参加しているはずなのでみな推しメンの握手券がついたCDを何十枚も買う。
よって運営が八百長で選抜メンバーを操作することにさほど意味はない。
※付け足しておくとおそらく34thは4タイプリリースされることが発表されている。去年の例からそれぞれにAKB、SKE、NMB、HKTの楽曲がカップリングとして入ることが予想される。だから尚更『HKTのメンバーが選抜入りしていないから、買わない』ということは無い。
2つめはデメリットであるが、これは先に挙げた記事とほぼ同意。
AKBの売りは超大人数グループ内での人間模様であり、何気ないブログやGoogle+の発言やメンバー間のやり取りや、活躍や失敗してしまったりしたことの喜怒哀楽を楽しむことである。
その喜怒哀楽は”ガチ”なものに対する感情でなければ面白くないし、メンバーは”ガチ”でないものに一喜一憂できるほど演技力はないとおもう。
よって
「ガチ」を売りにしているグループがもっとも恐れている「ヤラセ」「事前調整」みたいなものが表出してしまうのはリスクがでかすぎる
という点で同意。
3つめはメンバーの考え方であるが、まったく分かってないなと感じたのがこの点である。
あのまとめブログの管理人が言うには「無名の私がセンターになるだなんてとんでもない」と”わざと負けた”だけで八百長ではないということらしい。
そんなわけあるか。
今の48グループは急成長したベンチャー企業みたいなものである。
メンバーは我々ファンが思っているより冷静に今のAKBブームを見ている。メンバーの口からいつまでグループが存在しているか分からないなどということを聞かされることもさほど珍しくもない。
メンバーの卒業も相次いでいる。決してネガティブな意味ではなく、チャンスがあれば元AKBの肩書きとともに巣立っていく。実際に現時点では卒業メンバーの多くがそれなりに仕事をもらっているように見える。
つまりメンバーは一発当てて名前と顔を売っていつでも巣立てるようにしておきたいのだ。
安定した一流企業なら半澤直樹よろしく社内政治も重要だとはおもう。
いつ傾くか分からないベンチャー企業にしがみつきたくて上司やエース級の先輩を立てているよりも、自分のスキルを磨いて結果をだして飛び立ちたいと考えるの方が普通だ。
SKE48のセンターであり、AKB48のセンター候補である松井珠理奈は2グループのスケジュールをこなさなくてはいけない超多忙メンバーである。
さらにじゃんけん選抜の曲がリリースされる年末は主にSKE側のイベントが重なり多忙を極めることになる。
そして、ここ1年明らかに体調が悪い。
運営が松井珠理奈に対して、相当体調に配慮したスケジュールを組んでいるのはファンならよくわかっているはずだ。
他の有名メンバーは嬉しそうに敗退していった。
珠理奈も運営もどちらかというと「勝ってしまった」という気持ちではないだろうかとおもう。
まだ4月!
6月になるまでに進路が決まっていればいいだろ。
ゴールデンウィーク明けから内々定もらうひともたくさんいるはず。
一般職というからには女性?まあ、総合職の採用活動もまだまだある。
これはまあ、どれくらいの学校に通っているのかによるところもあるけど。
焦らず地道にやるしかない…
話すことを考えすぎて、想定問答みたいなのを作ってない?
面接における質問に対して、暗記したものを棒読みするような応答はよろしくない。
よくされる質問については箇条書き程度でまとめるのは良いだろうし、
演技力に自信があれば、入念なシミュレーションもありかもしれないし。
どうして熱意が伝わらなかったんだろう。
それから熱意。
熱意より、己が会社にどういう価値を提供できるのか伝えることのほうが大切。
学部生なのかどうか知らないけどさ。
相手に、どういう風に働くことができるのかを想像させる材料を提示したい。
会社理解の上で、自分の強みがどういう仕事において発揮できそうか、考えておく。
「もし入社したら、具体的にどういうことをやりたい?」と問われたときに、たくさん話せるように。
よほど見当はずれじゃなければ、多少間違っていても平気。たぶん。
あとこの質問、入社直後というか数年の間隔ではないほうが良さそう。
個人的には、考えやすいと思う。
20~30年先のことを想像するほうが、やりたいことが見つかるような気がする。
ここまで書いておいてなんだけど、
自分が体調が優れなかったり気乗りしなかったりする時に出す演技の声に似た声を女優が出しているから。
映画のセックスシーンではそんなことがないので、演技力の差なんだろうね。
女性向けAVはよくわからないけど、出演者の演技力に力を入れてたりするんじゃないかなと思います。
単純な性的衝動に使うんだったらある程度ハードルは低くなるが、セックスを互いの愛を深める行為として位置づけてる故に
オカズにできるけどヤリたくない男がいるというとこだろうか。
その男を使うのは面白いけど、その男の子供を命賭けてまで産みたくないってことなんだと思います。
http://minhyo.jp/hobosute/335/
読んだので書きたくなりました。
読むの面倒な人用のあらすじ
まだ、電車男が映画化もドラマ化もされる前。2chの有志達がまとめた電車男のまとめサイトを読んだ俺は、勝手に自信を持った。あんなのにかわいい彼女が出来るなら、俺にだって出来るだろうと。だってHERMESを読めないってバカにされていた奴が、たった数週間でオシャレっぽい服装になって、なんとか恋愛していたんだから。
それでやる気になった俺はまず、外見を良くしてみようと思い立った。外見と言えばダイエットだろうと思い、ジョギングを始めた。結果的にたいして痩せなかった。標準体重ギリギリオーバーだったのが、ギリギリセーフに変わったくらいだった。それでも運動は良い。自分の自信を保つ為にはかなり役に立ったと思っている。
ダイエットだけでは意味がないので、美容院にも通うようにした。毎月は行かなかったが、2か月に1回は行っている。髪型の指定も、雑誌の切り抜きを持って行った。最初は気恥ずかしいと思っていたが、持って行ってみると当たり前の事として対応してくれたから、色々説明するよりも楽になった。
さらに、電車男に触発されたわけだから、やっぱり服だ。それまでの俺は10年物の服をそのまま着ていたから、新しいものを買っただけでずいぶんマシに見えるようになった。ファッション誌を買い、そこに載っている店に行き、自分にしては結構高めの服を着た。一着でゲームソフトが一本買えるくらいだったと思う。オシャレな人に見せればあまり良い評価はされないだろうが、自分で買った高い服を着ているという自信が出た。
今までモテなかった奴が、ちょっと外見に気を使ったところモテるわけがない。それなりに頑張っても生活は一向に変わらないので、いっそのこと風俗に行くことにした。やれば変わる。そんな風に思っていたのかもしれない。
せっかくだから高級なところにしようと思い、吉原に行った。6万以上だ。その金額には全く不満は無かった。俺の童貞はそれぐらいの価値がある。そうでなければ困る。普通にSEXして帰ってきたわけだが、どういうことか全然喜びが無い。どうでもいいことに大金を使ってしまったような喪失感だけが残っていた。
だが数日して、猛烈な性欲が襲ってきた。とんでもない性欲だった。それの為ならまた大金を払っても良いような気がしてしまう、それぐらいの性欲が襲ってきた。だが、自分の理性は残っていた。安いところにしよう。その程度の理性は残っていた。
その後に行ったお店は、前の1万くらいで行けた。安くてカワイイが売りのようだったが、全然ダメだった。すごく事務的にSEXされたようだった。値段の差は、サービスの差・演技力の差だったのだ。それからは風俗に行くのをやめた。大金を出して演技をしてもらいに行くのは無駄だと思ったのだ。自分が大金持ちになったら行くかもしれないけど、今の自分には大きすぎる出費だ。
でも、風俗に行ったことによって女性への考え方が大きく変わった。リアルに、目の前で、自分の肌で、エロいことをしている女性を感じたせいか、世の女の子を本当の意味で性の対象として見られるようになったのだ。それはAVやエロゲでは得られないリアルな感情となった。ほんの少しだが、ナンパしてる奴らの気持ちが分かったような気がした。
風俗を体験し、本当にリアルなモテたい気持ちを持った俺は、「モテる技術」という本を読んでいた。かなり分厚い、だが実践的な恋愛マニュアルだ。モテたくてコミュ症な人はこれを読んだらいいと思う。
さて、「モテる技術」の内容は結構単純である。目に付く女の子には声をかけまくって、反応があったら楽しませて、仲良くなったらSEXに持ち込め、という感じ。それだけならよくある情報だけど、著者がモテないオタクだった過去があるから、リア充コミュ充みたいに「なんとなく流れで」とかではなく、じっくりしつこく説明してある。ググれば書評みたいなものがあるだろうから、ここではあんまり説明しない。
で、とりあえず誰でも声かければいいことが分かったけど、そんな勇気は特にない。だから、女の子を見たら、全員好きな子だと思うことにした。無理やり好きだと思い込むために、女の子を取り囲む大きなハートをイメージしていた。職場の子もコンビニの店員も電車で近くになった子も全員。そうすると自分がちょっと変わってくる。仕事なら易しく接するようになるし、店員さんにも優しく「ありがとう」とか言うし、話しかける予定の無い子でも、褒める場所を探してみたりする。
これは効く。何度か同じように接していると、だんだん向こうから親しげに話してくるようになった。ならない人も多いけど、数人にでも効果があると嬉しくなって続けられるようになった。本当のリア充は、これを素でずーっと続けられる人なんだろうと思う。
そんなモテ実験をしていたころ、俺はとあるバーに通うようになっていた。バーと言っても小汚い路地裏の奥にある、カウンターしかない安いところだ。職場と家の往復になっていた人生を少しでも改善しようと思い、学生時代の友人に連れて行かれた店に通うことにしたのだ。とは言うものの、行ったところですることが無い。マスターとも話題が合わない。だから俺は、とりあえず酒を飲むことにした。
バーというからには酒の種類が多いわけだ。だったら色々飲んでやろうと思い、毎回違うものを頼んでは飲んでいた。週に一度、3~4種類の酒を飲む。すると少しずつ味が分かってくる。それで酒好きなマスターと酒の話題で盛り上がれるようになった。盛り上がるといっても、マスターの上機嫌トークを聞くだけではあったが。
順調に常連客となっていったわけだが、路地裏の小さなバーなんてのは、常連客しかいない。本当にいない。いても誰かの紹介だ。そうなると一種のコミュニティとして機能してくる。他の常連を電話で呼んだり、常連の友達と知り合ったり、付き合ったり、喧嘩したり、色々なことが起きている。そして俺もその中の人として、だべったり、笑ったりして過ごしていた。
彼女と出会ったときは深夜だった。たぶん2時近く。いつのも常連と一緒に飲んでいた時に、酔っぱらった彼女が入ってきた。マスターは嫌な顔をしていた。酒癖が良くない女の子らしい。ふーんと思って、どうもーとか挨拶してたら、急にほっぺにキスされた。
なんだ?意味が分からん?なんだこれ?は?俺?なに?好き?キス?おれ?
という具合に、俺はパニックになっていた。キスなんて風俗以外ではしたことないのだ。彼女は何か酒を注文し、少し飲み、俺と少し話をして、ケータイで友達に呼ばれ、その店を出て行った。マスターは赤くなった俺を見て、にやにやしていた。
次の週、またその店に行くと既に彼女がいた、他の常連とネズミの国の話で盛り上がっていた。俺も少しその話に交じり、ネズミの海には行ったことが無いことを話した。結構酔っていたのかもしれないが、「行ったことないから行きたい!一緒に行こう!」などと、全力でデートの誘いをしてしまっていた。
それから数週間後、本当に二人でデートしてしまったのだった。自分で行きたかったこともあり、デートだということも半ば忘れて単純に楽しんだのが良かったようで、彼女は家に遊びに来るようになった。
俺が毎週決まった曜日に、そのバーに来ることを聞いたようでその日に店に来て、そのまま俺の部屋に来るようになった。そうなればあとは雰囲気の問題で、何度目かに来た時、キスをして、服をはだけ、そうなる直前までいった。その時に。
「私の彼氏になる?」
彼女はそう言った。俺は面食らった。もうつきあってるような気がしていたし、自分の知っている告白シーンとはあまりにも違いすぎたからだ。俺はなんて答えたのかあまり覚えていない。「うん」とか「そうしよう」とか「なる」とかそんなような答えをしたのだと思う。そしてそのまま、なるようになったのだった。
SEX自体は初めてではない。玄人さんで済ませてある。でも、そうしておいて良かったような気もする。年齢の問題だ。10代でヴァージン捨ててる女の子相手に、童貞を隠せるだろうか。隠さないとしたらどんな反応になるだろうか。上手くやれれば問題無いかもしれないが、自分だったら変な不安と妙な期待で大失敗していたのではないかと思う。それはそれで、貴重な経験とも思えるけど。
モテるために色々やってきたけど、付き合ってからどうしたらいいかについては、なにもやってこなかった。というより、そんなこと想像もしていなかった。付き合う前なら、何の連絡が無くても、しなくても、どこにいても何の問題もなかった。付き合ってからは、やっぱりみんなちゃんと連絡を取り合うものらしい。1日に一回くらいは、メールなり電話なり直接会うなりするみたいだ。俺はそんなこと全然思ってもいなかったから、付き合う前と同じように、3日から1週間ほどの間をあけて、会ったり話したりしていた。
そうしたらあまり好きじゃないと思われたようだ。本当に好きじゃなかったかもしれない。数か月後に別れることになった。その子と別れることは特に苦痛じゃなかった。でも、振られたという事実が自分を襲った。付き合ったのも振られたのも初めてだったから、その衝撃に打ちのめされたのだ。また、そんなことは普通の人なら10代のうちに経験することだという常識にも打ちのめされた。
どんなに悲しくたって、時間が経てばそれなりに戻るもので、俺はそれでも同じバーに通っていた。俺を振った彼女は来なくなったらしい。
俺は別の場所で、別の彼女を見つけた。今度はほんとに好きで、ちゃんと付き合ってる。バーのマスターに言わせると、「初めて会ったころはどうしようもなかったけど、勝手にどんどん成長してったな」ってことらしい。
成長は、した。モテるための技術を知った。リアルな性欲を知った。好かれる喜びを知った。振られる悲しみも知った。でも、根っこの部分はあまり変わらない。
モテようとするのは面倒くさい。青春が無かったことには改めて絶望させられた。
それでもやってみれば何とかなるもんだよ。その気になればね。
俺の今いる会社は、面接前に論文が送られてきて、実装してプレゼンしてねって感じだったね。
専門性ない奴はハッタリ力とか演技力とかで勝負するしか無いんだろうけど、それが全てかのように語るのはどうかと思う。
(念のため書いておくと、俺自身はハッタリとか超得意だけど、そんな下らないもんを前面に押し出して仕事したくないので最近はあまり使ってないよ)
http://anond.hatelabo.jp/20121228030144
企業にとっちゃ仕事ができさえすればそれでいいのよ。利益追求団体なんだからな。
だから新入りを採用する時も、意識だの志だのどうこう訊かれはするが、結局は仕事できる能力のあるヤツを選ぶ。選ばざるを得ない。
なのに、「仕事をこなす能力のある人」ではなくて「意識の高い人」が求められる人物像として求人票に書かれてるのはつまり、
“お前、この会社に入ったら相応の演技力も求められますよ”っていう意味なわけよ。
でいきなり話は飛ぶんだが、ペルソナ、っていう言葉がある。(ゲームの方が思い浮かぶかもしんねーけどさ)
心理学用語でいうところの「ペルソナ」という言葉には「職能的仮面」という訳があてられている。
このペルソナっつーのは、要するにその人が仕事をする上で意識の上に纏う仮面、みたいな意味があんのよ。
で、その仮面っつーのは要するに、実際に仕事に就いて、仕事を経験して、その上で仕事に必要なんだけど素の自分には持ち得ないモノを理解し、それを仕事中身につけておく為にかぶっておくお面、てことな。
もちろんこのペルソナってやつは何も無いところから一から作り上げていくわけだから、あのゲームみたいに「ペルソナアアアア!」とか叫びつつこめかみを銃で撃ち抜いて意識を切り替える、なんて便利な事はできない。
畢竟、お仕事を仕事と割り切って淡々とこなす事ができる(仮面を持つ)ようになるまでは、相応の演技力が必要となってくるわけだ。