はてなキーワード: 映画鑑賞とは
それは女性にも性欲があり、性的欲求や性的願望は男性と同様であり、そこらのオッさんと変わらず都合のいい相手との後腐れのないセックスを求めているということ。
実際、かつて「ご近所さんを探せ!」という90年代からある老舗のSNSがあったが、そこでは40代の既婚女性がセックスレスの解消を目的に登録するサイトだった。
そこで女性も男性と同様にセックスをしたくて、さらには男性と同様に若い異性が好きなんだということが痛いほどわかった。
表向きは美術館巡りとか映画鑑賞とかを一緒に行く人を見つけたいという名目でみんな登録しているのだけど、メッセージのやり取りをして実際に会うと、ほぼ100%その日にセックスができた。自分は1年で20人ぐらいに会ったんじゃないかと思う。
「口説いた」とかそういうのじゃなくて、手を繋いで「したい♪」って言えばセックスできた。それは向こうもそれを望んでいないとそうならない。
おれはその時20代だったけど、若い男に性的な目線で見られることが嬉しくてたまらないのだろう。唯一最後まで拒まれた女性がいたんだけど、その人にしても「じゃあ、キスだけ♪」って唇をくっつけても抵抗せず、そのままさらにしばらくお尻を揉んでいたけど、怒ることもなく受け入れていた。「したい〜♪」って言ってたら笑ってた。それは若い男にされたのが嬉しいからでしょう?
このGWにマッチングサイトを使って、2人の女の子と会ったけど、見事に進展が無かった。
年齢:20代後半
年収:500万円台後半
今まで何だかんだで10人位と会ってきた。メッセージのやり取りは結構上手く行くし、
実際に会っても、趣味の話とかで色々と盛り上がったりしてる(と思ってる。)んだけど、お茶飲んでバイバイか、もう1回ご飯行く位で中々次に繋がらない。
これまで女性と付き合った事が無いのが致命的で、クソマジメで察しが悪いところがいけないのか。
それとも登録写真は1年位前に知り合いのカメラマンに撮ってもらった詐欺写真だが、それがいけないのか。
やっぱりメガネじゃなくてコンタクトにした方が良いのだろうか。
はたまた、ファッションにあんまり興味が無いから、無地のポロシャツにジャケット、チノパンなのがダメなのだろうか。
別に美人とかメチャクチャ可愛い人じゃなくても、ごく平凡でも一緒にいると楽しくて愛嬌がある相手と将来的に結婚したいだけなんだけどな。
趣味は読書に映画鑑賞、ただしお金がないので休日に図書館かTSUTAYAに行くのが数少ない楽しみである。
死ぬのが怖いからずるずると生きているだけの、くっそつまんねぇ一番生きてちゃいけないタイプの人間。
先日「限界女の性事情」なるエントリがバズったらしい。私が気付いたころには削除されていたので中身は知らない。
さて、恋愛や性のこととなると、必ず現れるのが「女はイージー」という声であるけれども、
性愛をさほど重要なものと考えていない人間からすればばかばかしいのでやめていただきたい。
だいたい、「男性器、精液の入れ物として"だけ"の女性器」として求められるなんてごめんだ、
私はたしかに美しくもないしかわいくもないけれど、ゴミ箱ではない。
そう、私は美しくもかわいくもない。
つまり、恋愛や性にかんして「自己決定権」を与えられていない。
私のような人間が「恋愛なんて興味ない」と言ったところでどのような視線を向けられるかは明らかであるし、
ノリに合わせて「彼氏ほしい」と言ってみたところで「高望みするからだめなんだ」と言われるだろう。
もう人づきあいがいやでいやで仕方ない。SNSでさえうんざりする。
きっと生涯独身だ。この先、誰かと性的接触をもつこともないだろう。
私の望みと言えば、ひとりでひっそり生きて、苦痛なく死ぬことだけだ。
見た目がだせぇってだけでオタクだ腐女子だと決めつけられて、そうあることを期待されるのがめんどくさくて、
体重を標準体重から美容体重を下回るまでに落とし、無理して以前よりもちょっとだけ高い服だの化粧品だのを買って、
メガネからコンタクトに変えて……ほんと何やってたんだろうな。
財布も心も貧しくなっちまった。
唯一のとりえであった健康も損なっている。もう何年も精神科通いの薬漬けだ。
しかし、そう悪いことばかりでもない。
あれは昨年の夏だった。
近所の中年男性に挨拶をして、「祇園祭の季節ですね」なんて話をした。
彼は祇園祭がいかに素晴らしいかを語った。そして私に言ったのだ、「彼氏と行ってきなよ」と。
そうか、私は一緒に祇園祭に行く彼氏がいるような「普通の女」に見えたのだ、と。
単なることばのあやでもいい。
とにかく、こんなみじめったらしい不健康な生活をおくっていても、精神を病んでいようとも、
彼には私が普通の、「正常な」女に見えたのだ。これ以上の喜びがどこにある?
これが、睡運瞑菜を実践しなかった者のの末路である。もうどうしようもない。私こそが本当の「限界女」ってやつじゃないのか?
* * *
「10カ国に行って一度もスリに遭ったことがない」みたいなまとめ見て思ったんだけど、何カ国以上だと旅慣れてるなあっていう印象になるの?
ぶっちゃけ自分は、10カ国...だけで語れる?と思ってしまった。
マウントしたいわけじゃなく
・仕事で海外行く人はもっと行ってる(これを言っちゃあおしまいか)
と思うから。
逆に、3カ国しか行ったことないけどそのうち1カ国に1年住んでたとかだとまた印象変わるよね。同じ国に何度も行ってる人もいるか。
あと全部ツアーでガイド付きバス移動とかだとうーん?と思うかも(でも年取ったらそういうことするかもしれないし否定はしたくない!)
かくいう自分は、大陸ならではの地続き移動が大好きなので、鉄道移動できるなら1度に3カ国ぐらい行く。
フランスから隣国へ1泊だけとか、アメリカからメキシコ日帰りとか、トランジットで半日だけぶらつくとか、行ったことあると言っていいのかレベルの滞在も含んで、30カ国になる。
もう一度言うが、マウントじゃない。渡航経験は多くないのに数だけ稼いでしまうタイプだと思う。
人の旅行話を聞きながら会話して初めて「なんで黙ってたの!?」と言われることもある。逆にバックパッカーの人とかだと「ふーん。まあまあ行ってるね。」みたいな感じ。
だいたい海外旅行好きって言うのは恥ずかしくて言いづらい。うまく言えない。。お金がかかる趣味だからともすれば嫌味っぽいし。
あと自分は女性なんだけど、旅行に関して男性ってマンスプレイニングしたがるので非常に疲れる。(キラキラ女子っぽい旅行をしていないかどうか執拗に確かめようとする)
本題に入ろう。
実際、旅慣れてる基準というか、履歴書の趣味欄「旅行」って書けるぐらいの経験って何カ国以上になるんだろう?
読書や映画鑑賞なんかといっしょで、経験に時間がかかるものこそやっぱり量が1つの基準になると思うのでぜひ聞きたい。
(こんなことで旅行を測っても仕方ないというのは百も承知なのですが、就活に使えるものなのかどうか知りたい)
【下記のどれか1つでも満たす】
・1度に半年以上の滞在もしくは旅行を経験したことがある(除:仕事)
・年齢と同じ数以上の国を訪れたことがある(同じ国に複数回訪れた場合も、再度カウントできるものとする)
【下記に該当するものは除外する】
面白かったような気がするけど別にその時はあんまり何も思わなかった
劇場版2作目は衝撃だった、アニメは子供向け、ドラマは大人向けくらいのイメージがあった
子供時代の私になんだかわからないけど大人の雰囲気がある作品感を与えてくれた
実写版パトレイバーをやるって頃には特に理由はなく押井作品から離れていたけど
結構映画観ていても席を立ちたくなるようなひどい作品なんて滅多にない
痛々しくて立ち去りたくなった
実写に逆輸入されるとこんなに聞いてられないもんだとは
大人になればわかるかなと思っていた
ドイツでも日本の深夜アニメの公式配信はあるのだが、新作アニメ映画を見るのは通常困難である。
しかし年に一度ドイツおよびオーストリアの各都市で日本の新作アニメ映画をドイツ語字幕付きで上映するAKIBA PASS FESTIVALというイベントが開催されており、そこで「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」と「Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」を鑑賞することができた。
以下はニュルンベルク会場の様子(他の開催地はベルリン、ドルトムント、フランクフルト、ハンブルク、ケルン、ライプチヒ、ミュンヘン、パシング、シュトゥットガルト、ウィーン)。
会場の雰囲気: ニュルンベルクの場合は15シアターくらいある大きな映画館の2シアターが貸し切られ、1日アニメが上映される。普通の映画上映とそれほど変わったことはなく、一日券の販売やアニメグッズの売店があるくらい。会場によっては制作スタッフ等のゲストが来て質問会みたいなのがあるらしい。たまに気合入れてコスプレとかしてきている人もいる。
上映前: 日本と同様映画の前の宣伝映像は長い。ドイツのアニメイベントの宣伝や日本のアニメ配信関連会社のほか、アトラスやコーエー、シュタゲ等のゲームの宣伝がいくつかあった。
人の入り: ざっと数えたところ70~80人くらい、割と空いてる。アイドルアニメはやはりヨーロッパでは受けが微妙かも。でも中にはグッズを付けていたり結構なファンもいる模様。女性も少なくとも2割くらいはいる。
盛り上がったところ: ドイツの映画鑑賞は笑ったりちょっと歓声を上げるくらいは許容。ライブパートは静か(集中して聞いていたのかもしれないが日本語の歌なのできついかもしれない)。女の子たちがコミカルな動きを見せるところはかなり盛り上がっていたように感じた。
笑いが起きたところ: 最初の追いかけっこパート。お尋ね者ポスター。月ちゃんがフィレンツェのお屋敷でマリ母に恭しく退出を促すポーズをしたところ。
人の入り: 200人を超えるくらい。満員ではないが混んでる。3部作の第2部にあたる映画であるが第1部は去年上映された。
全体の雰囲気: バトルシーンのクオリティが高く緊迫した場面が多かったためか会場全体を息を呑む場面が多かった。エロいシーンは若干の反応あり。
笑いが起きたところ: 士郎と桜がいちゃついてる食卓の向かいにライダーが座ってたシーン、そのすぐ後のナイフとフォークを出されるシーン。
刀の映画を見に行った。
2回目。
1回目からずっと感じてたけど、あんまり口にすることでも文章にすることでもないかなと思って蓋をしてたけど、どうにもしんどいので吐き出してしまうことにする。
書いてスッキリしたいだけ。
なんだけど、誰かに知ってほしい気持ちもあるらしくて匿名ツールを引っ張り出してきた。
映画を見た人間のぼやきなので映画鑑賞済みであることを想定して書きます。
***
自分に正直に言うと、
「正しい歴史のために正しく死なねばならない」
と言われた信長のことを、少し羨ましいと思った。
まだまだ完結するまで死ねないと思っている作品も多いしオタクとして生きてて今が楽しくないわけでもない。
楽しいと感じている時、発している時、私は確かにその瞬間「楽しい」と心の底から思っている。
なんだけど、それに反するように、死にたいと、心のどこかでずっと感じている。
「生きることで発生する日々の煩わしさ」と、「死ぬ瞬間に生じる種々の煩わしさ」を天秤にかけて、ただ「現状維持」だけを選択しているような感じ。
変わることが面倒くさい。
だけど生きていることも面倒くさい。
なんなら今、「歴史のために」と言う大義名分を掲げてこの命を終わりにしたい。
「正しい歴史のために」
「正しく死なねばならない」
人の生死に正誤などあるのかと感じもするが、私の命が正しい歴史のために摘み取られるのであれば私は喜んでこの命を差し出したい。
彼の死には意味があった。
それ以上に、彼はそこで歩みを止めることを許された。
私も許されたい。
「生きる」ことを「辞める」ことを許されたい。
生きた時代が違うから、信長のその選択は私が望むそれとは全く別のものなんだけれど。
信長は歩みを止める気なんてなかったと思うんだけど。
それでも、今生きていることが間違いだと言われて、あぁそうなんだ、やっぱり生きてることは間違いだったんだ、って、私は納得できる。
別に誰に何を言われたわけではないけれど。ただの現実逃避だってだけかもしれないけど。
それでも、羨ましいと感じてしまった。
1. はてブで https のページをブクマすると URL に /s/ が入って、http とは別エントリになる
これが原因で、ひとつの記事に対して2つのブクマページに分かれてしまう…ということが度々起こる
2. だが、YouTube と Twitter は扱いが特別で、いずれも https化されたサイトだがブクマページの URL に /s/ は入らない
(正確には、ブクマしても /s/ なしの方に飛ばされて、 /s/ 付きの方は常にブクマゼロの状態にされている)
この特殊仕様のおかげ(?)で、この2サイトに関しては /s/ の有無が原因でブクマページが分かれることは「なかった」
(TwitterのURL末尾に ?s=12 みたいのが付いてブクマページが分かれることはある)
3. ……「なかった」のだが、ここ数日でこの仕様が変更されたみたいで、YouTube と Twitter でも1つの動画・ツイートに対するブクマページが分かれる事態が起こってしまっている
4. その一方で、「 URL の /s/ の有無にかかわらず、同じブクマページを表示する」という、上記 2. とは違う方法でブクマページ分かれを防ぐ仕様変更も並行して行われている模様
たぶん最終的にはこちらの仕様に統一したいのだと思われる(ていうかしてほしい)
の続き。
てなわけでー。テーマ性とか物語性とか、そういういつも以上に堅い話はノルマクリアしたので、こっからは書きたいこと書きますよー。
ぶっちゃけて言えば、前述した脚本とかね、監督は脚本家に丸投げしてたんじゃねーかと思います。正直言って観客である自分はある種のアリバイ作りを感じました。「批評家に突っ込まれるような部分はちゃんと作っておきましたよ、これで文句ないでしょ」みたいな。
自分も前編で喪失と回復とか継承とかそれっぽい感想書いたんでノルマクリアー。そういう意味で共感しますよっと。
じゃあだとして、この作品監督は何をしたかったのよ? なにがドライブエンジンなのよ? といえば、それは変態(フェチ)っすわ。
本年いろんな映画がありました。素晴らしい傑作映画、佳作映画、名作、快作、問題作。そしてうんこ漏らすほどの駄作。でも年末になってこれほど「やばい」映画が来るとは思わなかった。
薄々そういう部分あるかな? と思っていったわけですが、度肝抜かれますよまじで。そういう趣味のない人には全く刺さらないと思うけど。興味ある人にとっては、鼻血ブーです。
そもそも舞台背景(現実世界側)はヴィクトリア朝のロンドンなわけです。おそらく爵位持ちのストームボール家がタウンハウスでのクリスマスの飾り付け準備ーからのー、名付け親ドロッセルマイヤー(眼帯をした黒人のイケメンすぎるおじさま)邸宅に移動。
バラ色からブルーグレイに沈みゆくちょっと煙っぽいロンドンの夕暮れを移動する馬車。街を行き交うあらゆる階層の人々!
ドロッセルマイヤー家では係累おおよそ数百人を招いたクリスマスの催しが今まさに開かれようとしています。ヴィクトリア朝の舞踏会です!
スターウォーズのクローン兵を見てがっかりした人いませんか? 自分はがっかりしました。そりゃね、数万人が現れての合戦シーンは迫力あるって言われればそうかもしれないですけれど、でもCGでそれやるって、コピペじゃないですか。ウルトロンのときもそうですけれど、大軍勢、大群衆は3Dモデル使い回して同じ姿の軍勢がうわーって押し寄せるわけでしょ。すごいけど、要するにそれってのっぺりした画面でもある。
でもこの舞踏会はコピペがないんですよ。全員色とりどりの、贅を凝らしたドレスやらタキシードやらなわけです。どんだけスタイリスト動員して、服飾に予算投入してんだよ、鼻血出すぞこら。
主人公クララがね、おしゃれが苦手だっていうこの娘が、おねいちゃん(素が出てきた)に髪の毛とかしてもらって、すみれ色のオーガンジーのドレスで現れるわけですよ。オーガンジー。髪飾りは多分朱子織り。
分かる人には「オーガンジーの透け感のあるシュークリーム袖」という説明だけで、その可憐さが伝わることでしょう。
クリスマスパーティーのプレゼント交換会で館の奥深くに迷い込んでいくクララがたどるその通路、ろうそくのキャンドルでゆらゆらと照らされる邸宅の暗がりの美しさ、赤い壁紙には黒いフクロウのテキスタイルがやがて黒いネズミのそれに変わっていく。
現実世界の物語案内人であるフクロウ(ドロッセルマイヤーおじさまのペット)から、幻想世界の物語案内人であるネズミ(ねずみ王マウスリンクス)へと引き継がれていくその暗示を、美術レベルでやってのけるその凄まじさ。
暗い木の洞を抜けて館の暗がりから抜け出たその先は、幻想世界の「クリスマスの森」。雪で白くデコレートされた、しかし緑が目に染みる清冽な森のなかを、泥棒ネズミを追いかけるクララのすみれ色のドレス。ネズミがダイブしてぱっと舞い散るザラメのような雪の結晶の幻想的な美しさ。
めっちゃイケメンの黒人青年。赤い軍服に金のモール飾り。腰にはサーベルで騎兵兜。すべてが完全にフェティッシュ。完敗。映画鑑賞中の感情をあえて言語化すると「ぎょぇわぁ!?」って感じです。
この映画の服飾はジェニー・ビーバンっていうおばちゃんがやってるのだけど、明らかに変態。っていうかおばちゃん『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でモヒカン衣装を量産してたじゃん? そんな二面性を持っていたのか。流石に度肝を抜かれたわ。おばちゃん最高や。
もしくは美術ガイ・ヘンドリックス・ディアスが犯人なのか? 『アレクサンドリア』もかなりキてたもんな。
幻想世界にいっちゃってからは、その病的な美術追求がとどまるところをしらない。捻くれて枯れ果てた真っ暗な「遊びの国」の森には、鮮血のように赤い毒キノコが咲き乱れているとか、廃墟化した遊園地の回転木馬、グランギニョール、道化のハーレクインの禍々しい美しさ。
巨大な城! 瀑布に差し出される水車と歯車! 真鍮の道管の迷路と地下通路に、濡れてベッタリとした湿気。輝かしい水晶天井に照らされる螺旋階段。
回想シーンで母に慰められる少女クララが着ている生成りのエプロンドレスの白い生地には、藍色のスズランの刺繍が散らされていて、これってもう完全にカネコイサオが『ワンダフルワールド』で夢見た世界なわけですよ。っていうか、全体的にカネコイサオでしょ。
10年代も最後半にはいっていまさらそんな角度から奇襲受けるとは思わないじゃないですか? いくらヴィクトリア朝だとはいって、『ワンダフルワールド』のフェチズムが立ち現れるとは、キン肉マンフェニックスのあふれる知性でも予測出来ないわけですよ。
色彩設計がほんとうにほんとうに美しい。ローズガーデンのヴァイオレットベースに茶色のラインとか、オリーブグリーンに熟れたオレンジの差し色とか。ため息が出るとかじゃなくて、鼻血が出るタイプの美しさ。
少女趣味がオーバードーズでフェチになってしまった病的な完全主義の美術背景の惑乱。
もうね、福井晴敏に宇宙世紀が殺されるとか言ってる場合じゃないです。ディズニーにカネコイサオが殺される。なお、もらい弾で少女革命・幾原邦彦も死ぬ。
なぜなら遊びの国へ金の鍵を取り戻すため軍を率いて旅立つ王女クララがまとうのは、黒の軍服(金モール)に赤のロングスカートだから。このロングスカート、品が悪くなりそうなところなのに布の質感と裾の縫い取り刺繍だけで男装めいた凛々しさをだしてるのだ。やばい。やばみ。
そのロングスカートから革のブーツでキックするクララ(なお、このキックが主兵装)。
この映画、興行的には失敗だと本国では判断されているのですが、当たり前ですよ。だって制作費100億超えですもん。『ボヘミアン・ラプソディ』の二倍以上でしょう。見た感じ、そのほとんどを美術と背景に突っ込んでいるようにみえる。出演者の演技も悪くないけれど、目立った名前はキーラ・ナイトレイくらいで他はあまり大きなギャラは発生していないのじゃないかな。
(このキーラ・ナイトレイ演じるシュガープラム(金平糖の精)は、かなり演技が良かった。ちょっと頭の弱いアーパーでふわふわした妖精キャラをキーラ・ナイトレイがやっているのだけど、キーラ・ナイトレイだと気づかなかったですよ。この味は往年に美人だった頃のシンディ・ローパーが醸し出していたあれじゃなかろうか?)
とにかく、画面のどこを見ても、美術的な意味で隙がない。コピペで穴を埋めておけとか、それっぽい小道具をおいてごまかしておけとか、撮影時に陰影をつかってしょぼいのを隠せとか、そういう気配がひとつもない。
監督もしくは美術の美意識が、一部の隙もなく、「この世界観でこのカメラアングルで、この角度を撮ったときには、ここにはこれがないとだめでしょうお前らなんでそれわからねえの!?」と言わんばかりの画面が、延々と、延々と続く。
それはたとえばパーティーシーンでテーブルの上のグラスがこちらのゴブレットは真鍮に銀メッキだけど、あちらのゴブレットは磨いた銅に幻獣の鋳造とか、そういうレベルで気合が入ってるにも関わらずそのゴブレットは2つ合わせても画面の面積の1%以下で5秒も写ってないとか、病気としか言いようがない。
変態が怖い意味でやばい映画なのだった。冒頭に言った+50点はまさにこの変態性に対する評価なのです。もうちょっと金が出したいのもこの部分であり、実を言えばこの鼻血は、パンフを購入してもDVDを購入しても払拭できる気がしません(画面小さくなると美術の細部がわかりづらくなるので)。究極的にはエルミタージュ美術館にでもいかないと、この興奮(というか発作)は解消されないとおもいます。
そんなあたりが『くるみ割り人形と秘密の王国』の感想でした。この映画感想後編がわかった方には強烈におすすめです。それ以外の人にはそこそこ映画だったと思います。
この映画のもうひとつの特徴である「量産化ピエール瀧軍団vsドルイド文明の巨大人形兵器」という側面には触れませんでした。この部分に対する評価は他の方に譲ります。
うまくまとめられないと思うけど、気持ちを吐き出したくて書き留めることにしました。
タイトルの件については検索したらいくらでも出てくるし、検索してこのブログがかかるようなものだと思うので説明は省きます。
前置きとして。私は広島出身の者です。
小学校入学前に初めて平和記念館へ行き、小学生中学生で平和学習と何度も平和公園へ訪れています。
原爆の日は夏休み中の登校日で黙祷をし、原爆を題材とした映画鑑賞をするのが毎年恒例な小学生時代でした。
就学前の資料館への訪問で強烈に"怖い"という感情を持っていたので、映画鑑賞は開始10分も経たないうちに気分が悪いと保健室へ行くのも毎年恒例でした。
祖母は原爆被害者で被曝者健康手帳を持っており、小さい頃から原爆についての話を聞いて育っています。
さて本題に戻ります。
今回の件を見かけた時に真っ先に感じたことはビルボード以降アンチ記事が目立ち始めた。でした。
過去の事象を持ち出し、テレビ出演がキャンセルになるほど問題視される。異常だなと感じています。
そこで怒りの発端となる原爆です。
何を根拠、信念とし怒っているのでしょう。
広島で生まれ育ち、被曝した祖母から生の話を聞いてきた私は今回の件はどちらかといえば擁護派なのかもしれません。
なぜなら、原爆の悲惨さを知っていて原爆を揶揄する為にあのTシャツが存在すると思えないからです。
現にTシャツのデザイナーからもそのような意見が出ているという記事を見かけました。朝鮮の独立を祝う象徴に過ぎないと。
無知は罪なのでしょうか。
そして、広島出身であり原爆被害者を家族にもつ私がこの件を憎まないことは罪なのでしょうか。
また、自分が受けた原爆教育の経験があってもこの件が必ずしも許されないことだとも思いません。
そして日本で活動する韓国人に日本の歴史を学ぶべきだとも思いません。
ただひとつ。
広島で生まれ育っていない縁のない人間が広島を持ち出して批判していることは許せません。普天間問題と同じです。
この目でジミンの様子を観察しました。
彼らの真意がどこにあろうと。私は自分が見て感じた彼らが全てで、彼らの真意以外の意見は私の見て感じた彼ら以上になり得ないです。
そして彼らの真意は表に出ることがない。それでいいと思っています。
公演レポートを見ただけで判断してファンを辞める方、溢れんばかりの批判記事を鵜呑みにしている方。
韓国叩きにこの件を利用している方。
きっといなくならないでしょう。
私のこのブログも本当に広島出身者なのか本当だとしたら頭がおかしい、そんな風に思われるだろうなと思っています。
こちらのエントリとコメ欄の中盤〜の流れが興味深かったので、男女問わずに質問させてください。
『男にとって「ストーリー」「脚本」「演出」が映画の魅力。「俳優」の優先度は最下層』というのが結構多くて驚いたのですが
「俳優の演技が好き」だからこそ、映画を観に行く動機の優先度上位に「俳優」がくるのは女性特有で、男性には無い考えですか?
増田本文には
(女性は)好きな俳優の好きな演技を見るのは楽しいから、好きな俳優で決める気持ちはわかる
とあるし
実際に私の周囲の20〜40代のオタクって程ではない映画好きの女性たち(60代の母親含む)と
「○○の演技が好きでストーリーも面白そうだからコレは観ようかな」
「××の演技は苦手だからなあ、ストーリーは気になるんだけどコレは観ないかな」のような会話を定期的にします。
今パッと思い出せる具体例を挙げるなら
俳優なら
女優なら
"怒り"の広瀬すず
あたりが「この人が出ていたらスクリーンで観てみたい」と思う出演者です。
「出演者」も「出演者の演技」も重要視しない人が圧倒的に多いのか?教えていただきたいです。
※元増田では「女優」「AKB商法」と女性の出演者についての文章ですが、コメ欄では「男は男女問わず誰が出演しているかは重要視しない」という男性からの意見が多く見られたためひっくるめて「出演者」としました
映画館での映画鑑賞をするときの動機を教えていただきたいです。
「俳優の演技が好き」だから「俳優」を重要視するのって私の周りだけ…?と不安になったので。
元エントリのコメ欄で、一部の男性が言及している『「俳優の顔が好き」だから出演する「俳優」を重要視する女性』って、本当に多いんだろうか・・・。
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以下、言い訳
偶然冒頭のエントリとコメント群に辿り着いて、勢いでこの文章を作りましたが
その後ブコメでたくさん議論が交わされていて、この質問いらなかった…と気づいたところです。
あほや
元増田のブコメ欄での議論のピークから2ヶ月しか経ってないけど、せっかくなのでもうこのまま投稿します。
改めて色々な意見が集まったら嬉しいです。
あとオススメの映画があればぜひコメントください。洋画邦画問いません。
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お金がない。
どのくらいないかというと、扶養ギリギリまで稼いでいるのに貯金はゼロで、全財産が2080円と1000ウォンなくらいない。これはマジです。ちなみになぜウォンがあるのかというと、以前韓国に旅行した際なんとなく取っておきたくなり使い切らず持って帰ってきたからです。深い意味はないし、両替しても100円とかなので放置している。
毎月20日が給料日で、先月も滞りなく支払われたのにこのザマである。さすがにヤバい。わたしは比較的常にお金ないけど、今人生で一番貧乏だと思う。
なんでこんなにお金がないのか。原因は三つある、と思う。
まず一つ目は、大学の入学一時金?的なアレを自分の貯金から支払ったことだ。
こんなわたしでも、ずっと昔からこんなにだらしなかったわけじゃない。小さい頃からこつこつ貯めていたお年玉は、高校3年2月時点で20万円は下らなかったはずである。だがそのお金は大学に入学する権利を買うのに使ってしまった。
ご存知の方も多いと思うが、大学の入試には様々な方式があり、それぞれ日程はバラバラだ。わたしが受験生だった当時はなぜか偏差値の高い私大ほど入試や合格発表が遅かった記憶がある。そして、大学に晴れて合格すると、まだその大学に入学することを決めていなくても、その権利を保持するためにまあまあな額のお金を大学に納める必要がある。わたしの場合だと、受けた全ての大学の合格発表(2月末くらいだったと記憶している)の前に、滑り止めとしてセンター試験のみを利用して合格したあるN大学の一時金納入日があった。
さあここからが問題である。N大学の一時金納入日直前、わたしは他の大学に合格している自信が全くなかった。そして浪人する気も全くなかった。だから今の時点で合格しているN大学の入学権利はなんとしてでも保持しておく必要がある。
が、我が家は決して裕福ではない。ありがたいことに食べるものに苦労するほどではなかったが、4歳のときから母子家庭という由緒正しい貧乏である。先ほど浪人する気はなかった、と言ったが、これは「浪人できる金などなかった」の間違いであるのでお詫びして訂正いたします。大学に全落ちしたらキャバ嬢か自衛隊だな!とよく言われていたが、これが冗談ではなく大真面目な話なのである。余談だが、高校受験の時は高校落ちたら舞妓になるしか道はないと言われていました。
なので、高3の9月から通っていた塾(4月の時点ではそんな金はないから自力でどうにかしてくれと言われていたが、夏が終わってさすがに無理だと察したので超頭下げて無理して入れて貰った)の費用や大学の受験料(これすら払えないので受ける大学を減らしてくれ、と懇願された。4校しか受ける予定なかったのに)などで財産を殆ど使ってしまった我が家には、入学するかもわからない大学に払う、言ってしまえばドブに捨てることになるかもしれないお金なんて全く残っていなかった。だがそれを払わないと折角受かった大学の入学権をみすみす捨ててしまうことになるのである。
困った。超困ったし、めちゃくちゃ悩んだ。母に言うと、当然お金がないので「他の大学も一つくらいは受かってるんじゃない?」と返ってきた。超他人事である。
「いや、全部落ちてたら行くとこなくなるんだけど」
「でも何を言われてもお金は出せないよ、人に頼む前に自分でどうにかしたら?」
・・・というわけである。かつて母に「大人になって、ブランドもののバッグとか、そういう本当に欲しいものができた時のために取っておきなさい」と言われ貯めておたお金は、こうして一瞬にして消えてなくなったのである。ていうか「本当に欲しいもの」の例がブランドもののバッグなのって社会的にどうなんだろう。確かに欲しいけど。
二つ目は、基本的にわたしに浪費癖があることである。いや、浪費だとは思ってない。服や、靴、アクセサリー、おいしいごはん、飲み会、好きなアイドルのCDやDVDやコンサート、旅行、カフェ巡りや映画鑑賞、他人にとっては「もったいない」かもしれないこれらは、わたしにとって必要最低限の出費なのである。
よく母には一番出費の多いアイドルという項目に対して「アイドル追いかけるのいい加減どうにかしろ」と言われるしわたし自身早くやめたいんだけど、みんなかっこいいしかわいいしライブは最高だしでやめられる気配は今のところ全くないので、最近は明日全員引退しろと毎日のように思っている。ちなみに今わたしが好きなアイドルグループのうち二つが○○周年でやたら金がかかり(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルの○○周年というのは、やたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである)、別のグループの推しが12月で卒業してしまう(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルが卒業するときはやたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである。これを卒業商法と言います。あとシンプルにこれまでは我慢できてたグッズや公演も「これが最後だから」と言って抑えが利かなくなってしまう)ので出費額は右肩上がりである。
あと一つ、これは非常に短期的な理由ですが、今月パソコンを買ってしまったからです。でもこれはしょうがない。誰に何と言われようとこれは必要経費である。なぜなら就活と卒論執筆控えどう考えてもパソコン必須な未来が見えているのに、我が家のパソコンは10年以上前に母の会社が使っていたがもう古くなったから捨てるというので貰ってきたデスクトップ型パソコン(WindowsXP)その一台のみなのである。
購入には一部祖母やその他の方から頂いた成人のお祝い、から成人式の撮影や着付けやクリーニング代を引いた額、も使ったが、全額自分負担である。今月の給料の半分近くが一気に出て行ったのだから、そりゃ金もなくなるわな、という話である。
今後の話をしよう。給料日まであと約2週間、2080円と1000ウォンだけではどう考えても生活できない。それに今月はコンサートの入金締切があり、ということは遠征のための飛行機もさっさと手配しなければならない。ていうか普通の大学生はなにも贅沢なことなんてしてなくても2080円じゃ日常生活に支障をきたすし、何かあった時のことが怖くて外出れません。ざっと計算すると、次の給料日までに、最低でもパソコンを買うために使った費用まるまるくらい必要なことがわかった。ので、どうにかしてお金を得なければならない。ていうかそもそも大きな買い物をしなくても給料全額使っちゃうってどうなんだろうな。
わたしは考えた。こういうときは誰かにお金を借りるのが一般的だろう。だが、額が大きすぎる。いくら貧乏と言ってもわたしよりは計画的にお金を使う母はいざというときのための貯金があるし(その、いざ、は、ブランドもののバッグを買うときであって、娘の生活費のためではないと思うが)、1万2万なら貸してくれるだろう。恥ずかしながらこれまでに何度かそのくらいの額なら借りたことがある。だが、借りたお金は当然返さなければならないし、それは次の給料日に、ということになるだろう。借りたものはなるべく早く返す。当然のことだ。
しかし、来月のわたしにお金があるだろうか?というと、答えはノーである。このままだと扶養の限度である103万を超えてしまいそうだったため(それだけ稼いでいて貯金がゼロという現実をわたしは重く受け止めなければならない)最近バイトを控えており、来月の給料は相当少ないと予想される。これで借金を返したりしたら更にお金がなくなりまた借金、という自転車操業が目に見えており、それはさすがに人間としてダメな気がするので避けたい。
なぜガールズバーなのか。まず、日払いであること。先程から言っているように、わたしはお金はないのに出費の予定はあるので今すぐお金を手に入れる必要がある。引っ越しの日雇いとかでも全然いいけど、あんまり体力に自信がないので。かと言って人に自慢できるような見てくれでもないので面接であっさり落ちるかもしれないけど。そしたら引っ越し屋にするしかない。
そしてこれが最大の理由だが、水商売は扶養とか関係なく働けそうだから、だ。なんとなくその辺ってお水の世界はグレーゾーンな気がする・・・少なくとも引っ越しバイトよりはガバガバな気がする・・・。もちろんそうじゃなかったら即ちそれは死を意味します。
水商売は下へ下へと流れて行くから水商売というらしい。DESIREの合いの手も言ってるように、落ちたらように怖いのである、水商売は。わたしネット掲示板って2ちゃんねる(あ、今は5ちゃんねるっていうんだっけ?どっちでもいいけど)と糧くらいしか見ないんだけど、ヘルスとか超怖そうだよね。
今回お金がないのは怖いって身をもって学んだから、今後はちゃんと貯金したいなあ。これ以上支出が減る見込みはないので収入を増やさないといけないんだけど、ガルバって親にばれずに続けられるものなんですかねえ・・・?うち、門限12時、許可制で終電がデッドラインとかいう超絶厳しい家なんですけど・・・?
部署移動で今まで積み上げてきたものと関係ない部署に回されたので、会社をやめてフリーランスになった。
今までの知り合いに声をかけたら仕事が次々と舞い込んできた。
しかし、フリーになって半年、こんなにフリーランスが快適だとは思わなかった。
通勤と定例会議、人事評価、これがなくなるだけで1日の時間が3倍に増えたような感覚だ。
仕事の時間は減り、収入は増えた。そして意外なことに、将来への不安も消えた。
目覚ましかけずに起きて、パジャマのままだらだらと2~3時間仕事したらその日の作業は終わり。
午後のほとんどは自由時間だ。読書も映画鑑賞も趣味の街歩きも捗っている。
将来への不安が消えたのは、営業して納品さえすればお金がもらえるという確信を得たからだ。
社内政治も会社内の景気も気にせず、自分だけ稼げばそれだけで暮らせるのだ。こんな気楽なことはない。
ああ、フリーランスがこんなに気楽だなんて誰も教えてくれなかった!
男性と女性では映画鑑賞の仕方が違うって話を何処かで見たな。たぶん「ホンマでっかTV」あたりなのであまり信用出来ないのだが
これがまあ当てはまると仮定するとこんな感じか
男性の場合、プロデューサー・監督・脚本家あたりの目線で映画を観るので、もし自分がこの映画を作るならこうしてた的な感想を持つ。
なのでキャスティング・演出・ストーリー展開あたりに注目する。
予算が潤沢な大作洋画なら色々こだわることができるので男性好みになり、逆にイメージと違うキャストに棒演技とクソCGなんてことになると男性は叩くことになる。
作品全体の質が満足度につながるので、鑑賞前では判断のつかない"ギャンブル"要素が強くなり、評価の定まった映画にしか足を運べなくなる。
調査結果を見ると「好きなシリーズ」あたりがその傾向で、「好きな原作小説」もストーリーは確実に面白いと評価できてるからかな
女性の場合、映画に出てくる誰かの目線で映画を観るので、もし自分が主人公の彼女やヒロインだったらどう思うか的な感想を持つ。
なのでいかに自分が共感できるかが重要になる。自分に近い設定だと共感度が高くなり、逆にあり得ない設定でも疑似体験的な楽しみ方ができる。
好きな俳優に自分はこんなことを言われてる、憧れの女性として振る舞うことができる、みたいな感じか?
だから好きな俳優・女優が出ている、あるいは憧れの設定などの映画であれば楽しめるし、それらの情報は事前に取得できるので映画に"ギャンブル"要素が少なくなる。
調査結果で「好きな俳優(女優も含まれるよね?)」がダントツなのはその傾向で、「予告編を見て」で映画に足を運べるというのも男性と確実に傾向が違う
的外れならゴメンね