趣味は読書に映画鑑賞、ただしお金がないので休日に図書館かTSUTAYAに行くのが数少ない楽しみである。
死ぬのが怖いからずるずると生きているだけの、くっそつまんねぇ一番生きてちゃいけないタイプの人間。
先日「限界女の性事情」なるエントリがバズったらしい。私が気付いたころには削除されていたので中身は知らない。
さて、恋愛や性のこととなると、必ず現れるのが「女はイージー」という声であるけれども、
性愛をさほど重要なものと考えていない人間からすればばかばかしいのでやめていただきたい。
だいたい、「男性器、精液の入れ物として"だけ"の女性器」として求められるなんてごめんだ、
私はたしかに美しくもないしかわいくもないけれど、ゴミ箱ではない。
そう、私は美しくもかわいくもない。
つまり、恋愛や性にかんして「自己決定権」を与えられていない。
私のような人間が「恋愛なんて興味ない」と言ったところでどのような視線を向けられるかは明らかであるし、
ノリに合わせて「彼氏ほしい」と言ってみたところで「高望みするからだめなんだ」と言われるだろう。
もう人づきあいがいやでいやで仕方ない。SNSでさえうんざりする。
きっと生涯独身だ。この先、誰かと性的接触をもつこともないだろう。
私の望みと言えば、ひとりでひっそり生きて、苦痛なく死ぬことだけだ。
見た目がだせぇってだけでオタクだ腐女子だと決めつけられて、そうあることを期待されるのがめんどくさくて、
体重を標準体重から美容体重を下回るまでに落とし、無理して以前よりもちょっとだけ高い服だの化粧品だのを買って、
メガネからコンタクトに変えて……ほんと何やってたんだろうな。
財布も心も貧しくなっちまった。
唯一のとりえであった健康も損なっている。もう何年も精神科通いの薬漬けだ。
しかし、そう悪いことばかりでもない。
あれは昨年の夏だった。
近所の中年男性に挨拶をして、「祇園祭の季節ですね」なんて話をした。
彼は祇園祭がいかに素晴らしいかを語った。そして私に言ったのだ、「彼氏と行ってきなよ」と。
そうか、私は一緒に祇園祭に行く彼氏がいるような「普通の女」に見えたのだ、と。
単なることばのあやでもいい。
とにかく、こんなみじめったらしい不健康な生活をおくっていても、精神を病んでいようとも、
彼には私が普通の、「正常な」女に見えたのだ。これ以上の喜びがどこにある?
これが、睡運瞑菜を実践しなかった者のの末路である。もうどうしようもない。私こそが本当の「限界女」ってやつじゃないのか?
* * *
うんち
ちんこ入れる穴という解釈に間違いは無いけどゴミ箱ではない。
https://archive.is/2hE4H なんでこれくらいのものが探せないの?
つまり、恋愛や性にかんして「自己決定権」を与えられていない。 今日も女は意味不明
かわいい