2019-02-03

映画鑑賞後の感傷に浸っている人間ひとりごと

刀の映画を見に行った。

2回目。

1回目からずっと感じてたけど、あんまり口にすることでも文章にすることでもないかなと思って蓋をしてたけど、どうにもしんどいので吐き出してしまうことにする。

書いてスッキリしたいだけ。

なんだけど、誰かに知ってほしい気持ちもあるらしくて匿名ツールを引っ張り出してきた。

映画を見た人間ぼやきなので映画鑑賞済みであることを想定して書きます

***

ものすごくものすごく、

自分に正直に言うと、

「正しい歴史のために正しく死なねばならない」

と言われた信長のことを、少し羨ましいと思った。

なんて言うか、ぼんやりと、常に死にたいと思っている。

でも自分で死を選択する勇気はない。

まだまだ完結するまで死ねないと思っている作品も多いしオタクとして生きてて今が楽しくないわけでもない。

楽しいと感じている時、発している時、私は確かにその瞬間「楽しい」と心の底から思っている。

なんだけど、それに反するように、死にたいと、心のどこかでずっと感じている。

「生きることで発生する日々の煩わしさ」と、「死ぬ瞬間に生じる種々の煩わしさ」を天秤にかけて、ただ「現状維持」だけを選択しているような感じ。

変わることが面倒くさい。

だけど生きていることも面倒くさい。

私の意思とは関係のないところで死を迎えたい。

なんなら今、「歴史のために」と言う大義名分を掲げてこの命を終わりにしたい。

「正しい歴史のために」

「正しく死なねばならない」

人の生死に正誤などあるのかと感じもするが、私の命が正しい歴史のために摘み取られるのであれば私は喜んでこの命を差し出したい。

そういう意味で、信長を羨ましいと思った。

彼の死には意味があった。

それ以上に、彼はそこで歩みを止めることを許された。

私も許されたい。

「生きる」ことを「辞める」ことを許されたい。

生きた時代が違うから信長のその選択は私が望むそれとは全く別のものなんだけれど。

信長は歩みを止める気なんてなかったと思うんだけど。

それでも、今生きていることが間違いだと言われて、あぁそうなんだ、やっぱり生きてることは間違いだったんだ、って、私は納得できる。

別に誰に何を言われたわけではないけれど。ただの現実逃避だってだけかもしれないけど。

それでも、羨ましいと感じてしまった。

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