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はてなキーワード: 慰霊とは

2017-11-30

https://anond.hatelabo.jp/20171129195200

韓国系市民団体が何をやろうが、それは韓国政府責任ではない。

ましてアメリカで起こっていることは、韓国政府コントロールすることができない。


もし韓国政府が関与して、それでアメリカ慰安婦像が作られたならばダメだと思うが……。

話題サンフランシスコ慰安婦像は、あくま市民団体が進めてきたことじゃないの?


あと、慰霊や追悼、記憶継承のための記念事業は、必ずしも「むし返し」を目的としていない。

それならそれで韓国政府は、「むし返すつもりはない」と明言してほしい。それをやらない韓国政府には、俺も不信感を持っている。

2017-11-06

案(仮)

地震計の針先で描かれた手紙認識しました。

ポケモンGOの中心に、月曜朝からウォーキング・デッドさながらでいる。

そんな当たり前の事実に、1年経ってようやく気づかされた重いです。

今、千のため息とともに届きました。

夢遊病的、ライザップ的な身体支出を迫られ、もともと悪くはなかった顔もめっちゃ痩け、やつれ、目も当てられぬ体型となり、いっぱいでた。

お察しします。

ポケモンはいえ、もとは私の肉。

角界じゃふなっしーくまモンとならぶ国民ゆるキャラ、その中の人であります

八百万の神々、とまでは申しませんが、一種妖怪であることに変わりはありません。

なたやなんやで背後から袈裟懸け、バッタバッタとなぐ者たちが要るでしょう。

幸い、刃物は得手であります

ところで、慰霊弔辞は本当に必要でしょうか?

かの国民司会者の線で軽ーく超えてみたところで、こうした妖怪たちへの唾かけ(婆)、うまく行ってもゴーストバスターズの失笑しか浮かびません。

なんせ甦らせるばかりでなく、解放しようというのですから

あるいは鎮魂は、別の形で行われてはならないものでしょうか。

期待族による盆踊りのような。

ここにあることが光であるような。

音楽だけをお持ち寄り下さい。そして、たっぷり食べ物と酒を。

朝鮮人には「猛毒入り井戸水」で、全員死なせてもらえばいいのです。

近かれ遠かれ繋がっているのだから

ちなみに海外pocket monsterと聞けば、陰茎を言います

仕方ありませんね。しかし何らかの鎮魂は必要でしょう。

乱暴に発想を並べ立ててしまうのが悪い癖です。

確認ですが、墓は発破できないのですか?

だったら、記帳台にしましょう。

2017-11-05

この前とある街歩き型の謎解きゲームに参加した。ネタバレ一切禁止から具体的には書けないけど、

そのゲームマップに示されたチェックポイントに赴いて次々と謎を解いていく形式を取っていた。

もちろんチェックポイントにはダミーもある。そうしないと総当たりで解けてしまうからだ。

だが俺は愚かにも「この近くに別のチェックマークがあるから、ついでにそっちも見て来よう」と"ズル"をしてしまった。

 

ズルをした先にはある親子の銅像があった。

俺は知らなかったが、昔実際に起きた有名な事件モチーフにしたモニュメントだった。

少なくとも銅像の横にある説明は俺を陰鬱な気分にさせたし、事件概要スマホでググっただけで胸糞が悪くなった。

到底謎説きイベントに使っていいような代物ではなかったが、間違いなくマップチェックマークはこの銅像を指していた。

まりダミーチェックポイントに俺はまんまと釣られた訳だ。

 

が、自分のズルい所業を棚に上げて言わせてもらうと、

こういう悲劇的なモニュメントをお遊びの舞台に上げるのはまずいのではないか

少なくとも謎解き気分で拝む銅像ではなかったし、そもそも慰霊目的以外の人が来訪してしま可能性を作って良いような雰囲気ではなかった。

歴史探訪が目的企画ならまだしも、誰もが知ってるメディアコンテンツとのコラボ企画だったし。

ダミーだろうが何だろうが、チェックポイント候補としてゲームに使った時点で不謹慎じゃなかろうか。

2017-11-04

かつて大惨事のあった公園

こないだ両国にある横網町公園に行った。無料で入れる普通公園なんだけど、たまたま入って見たらなんだか石垣の立派なお城のような建物が建っていて、花が供えてあったりして慰霊してる雰囲気説明書きの看板もあったけどスマホ検索したらなかなか凄かった。

横網町公園 - Wikipedia

公園は元々陸軍被服廠があったところであったが1922年赤羽現在東京都北区)に移転し、東京市(当時)が買収し公園として整備したものである工事1923年7月から始まったが、その最中9月1日関東大震災がおきた。直後、周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まったが、16時ごろ、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園避難した人だけで38,000人が犠牲になったという。震災後、その38,000人の遺体はその場で火葬され、3メートルの高さになるほどの大量の遺骨はその場に急遽作られた仮設の慰霊堂に収容された。


火災旋風で38,000人が犠牲に」って想像を絶するけど、東日本大震災の死者が確か2万人くらいと思うと凄い事件だなと思って。(今調べると東日本大震災は死者16,000人弱の行方不明者が約2,500人だった)

関東大震災で習った事って「大きな被害」「朝鮮人井戸に毒を放り込んだというデマで殺された」くらいな気がする。東京の人はもっと詳しく習ってるのかな。

関東大震災Wikipediaを見てみたらこ火災旋風のことは直接書いてないみたい。公園に建ってた慰霊堂のことがちょっと載ってるけど。

一見長閑な公園でかつてこんな大惨事が起きていたなんてと、なんか不思議な気分だった。調べたり看板を読んだりしなかったら何も知らないままだったわけで。また東日本大震災の話になっちゃうけど、「ここから下には家を建てるな」って立て札があってそれを守ってた村?町?は被害が無かったとかいう話とかさ、奇跡の一本松を残すだの残さないだのの話とかさ、語り継いでいかないと記憶って無くなっちゃものなんだなって。

横網町公園検索すると「心霊スポット」と出てくるから少しは知られた話なのかもしれないけど。(あと今年の7月殺人事件起きてる)


(追記)

ブコメ見てURL最後スラッシュ消してWikipediaちゃんと読み直してたら関東大震災のページに横網町公園火災旋風のことしっかり記述してあった…長いんで読み飛ばしてた…

やっぱり地元の人はちゃんと教わってることとか、神奈川の「どやぁ」とか知れて面白かったので書いて良かったです。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812003759

だめだこりゃ全然、こっちの示した違いの話は目に入らないようだ。じゃあもっと具体的に聞いてみよ。アメリカ日本軍兵士慰霊碑はつくられるけど、テロリスト慰霊はされないのはなぜ?

2017-08-11

から自分がどう見られてるのか想像できない人たち

原爆投下の日の慰霊式典で反アベデモをしてた人たちって何がしたかったんだろう。

「式典参加者やら一般国民からどう思われようがしったことか。俺たちゃ安倍叩いて内輪でワイワイできりゃそれでいいんだよ」ってのだったらシンプルだ。「死ね自己中」で済む。

でもこれで国民を反安倍へと駆り立てることができると信じたうえで、本気で政権打倒を説得しようという意図の下に行われたんだったら、この人たちの想像力貧困さにゾッとする。

こういう場でそんなことすれば人からどう見られるのか、全然想像がついてないんだぜ?

どんなに正論だと思ってても、法的にはセーフでも、こんなところで主張すれば反感買うだろうなって思うだろ、普通

わけわかんねえよ。

2017-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20170729014140

まあ八百万の神がいる国なのに、なんで太平洋戦争負けたの?というのは疑問だな

あと靖国神社神社のようで神社でない慰霊施設なので、あまり現世への効果は期待できんな

2017-06-04

敢えて、天皇陛下にご諫言申し上げたい。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」に関する天皇陛下のお言葉以降、退位へ向けた法整備が進んできました。

私は、陛下のお言葉を拝聴して以来、この事態を大変憂慮しております

私は、我が国国民のために献身的に尽くされている天皇陛下のお姿、例えば、東日本大震災被災者先の大戦戦没者に対する慰霊特にパラオをはじめとする国外の様々な地域へのご訪問など、陛下の務められる幾多のご公務を通じて示されているご意志お気持ち全面的に信頼しております

先のお言葉の中で示されたお気持ちは、単なる「存在」としての「象徴天皇」ではなく、「行為する存在」としての「象徴天皇」のあり方に対する強い決意と自負の表明であり、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることこそが、やがて象徴天皇皇室に対する国民の信頼を失わせ、その結果として皇室の存続を危うくすることにつながるという強い危機感の表明である、と私は理解しました。

しかし、私は、この陛下お気持ちの示され方について、敢えてご諫言申し上げねばなりません。

先の大戦で、私たちの国は、天皇神格として祀り上げ、天皇の名のもとに、悲惨戦争を戦いました。国内外に甚大な死者を出したこの戦争は、国策の誤りでした。

私たち日本国憲法代表される戦後政治体制のもとで、天皇日本国日本国民統合象徴として位置付けることで、政治的権能から切り離しました。

天皇の権能を非政治化し祭祀国事行為限定することは、むしろ日本国日本国民にとって素晴らしい知恵であったと考えます。非政治的存在として祈り慰霊するからこそ、私たちはそのお気持ちを信頼し、共にひとつとなれるのです。もし政治的権能を有する者であったなら、その政治的行為に対する責任が生じ、過ちがあればその責任を追及し責めを負わせなければならなくなります。仮にその政治的行為のために報われない者が生じれば、その者たちは行為者に対して怨嗟感情を抱くこともあるでしょう。政治的権能を有しないからこそ、日本国日本国民統合象徴でありえるのであり、私たちはその心を信じることができ、癒しを得ることができるのです。

今回のお言葉によって、国会は退位を可能とする特例法を制定しようとしていますしかし、これは明らかに、天皇陛下のお言葉立法過程へ影響を与えたことになり、天皇政治的行為可能性をひとつ押し広げてしまったことは間違いありません。

また、2017年5月21日毎日新聞が、天皇退位をめぐる政府有識者会議における専門家発言に対して、不満を漏らされたと報じました。「自分意志が曲げられるとは思っていなかった」と述べたとされています毎日新聞報道を受け、発言をした専門家しかも一人はすでに故人)が陛下生き方全否定しているなどと強く批判されました。

もしこの発言事実であるとすれば由々しきことであるのは言うまでもありません。天皇意志とは異なる形で立法作業が進むことを天皇自身が阻むことになれば、それはもはや政治的行為のものです。天皇が自らの意志を表明して、政治的行為を直接行ったり、また間接的にでも強い影響力を及ぼすことは、象徴としての天皇位置づけを揺るがすものであり、上で述べた天皇行為による癒しを損ない、むしろ皇室に対する信頼を危険晒すことになると考えます

あるいはこの発言事実ではなかったのかもしれません。しかし、天皇が、たとえ自らの地位出処進退に関することであったとしても、意志を表明し影響力を与えることができる可能性を広げることは、天皇意志僭称し、それをもって国民を動かし、一定政治的成果を得ようとする者を産むことにつながるのです。天皇意志に基づいていると見せかけて、特定個人糾弾されることは、戦後私たちが作り上げてきた象徴天皇制の枠組みの中で、極めて異常な事態なのです。

私たちは、今回のように「天皇意志」が示された、あるいはそれが僭称されたことで、容易にその意向に沿おうとしたり、それによって個人糾弾したりしてしまう傾向を今もなお強く持っています。だからこそ、天皇意志が直接にはもちろん間接的にではあっても政治的影響力を持つことがないよう、意思の表明を極めて抑制的に限定し、同時にそのことで、祭祀慰霊という行為を通じて、天皇日本国日本国民統合象徴たらしめ、同時にすべての日本国民が等しく癒しを得ることができる仕組み─「象徴天皇制」─が大切なのです。

陛下は先のお言葉の中で、「十分に行為できなくなった天皇」が「象徴」の地位にとどまり続けることが皇室の存続を危うくすると述べられました。しかし、私たち臣民」は、どうぞそこまでご心配さらないでください、と申し上げなければなりません。たとえ陛下が十分に行為できなくなり、代行者を置かなければならなくなったとしても、私たち陛下のお心を、そしてこれまだ果たしてこられたその行為を決して忘れることはないし、またそのことで皇室を廃そうなどと考えることは決してございません、と。むしろ政治的影響力を与える可能性を広げてしまうことの方が、象徴としての「存在」を穢し、皇室に対する国民的信頼を損なうことになってしまうのです、と。

2016-12-28

普段安倍さんのこと嫌いだけど真珠湾慰霊評価する

でも和解要求よりももう少し謝罪を中心にして欲しい…

真珠湾奇襲なんて卑劣なことした日本過去が恥ずかしい…

日本アメリカにひどいことしたよね…

2016-12-26

真珠湾慰霊って良いことだと思う

真珠湾に奇襲して多くの人が亡くなった

そして第二次世界大戦後が始まった

自分が生まれる前のことだからよくわからないけど

日本人アメリカ人に対して本当に酷いことをしたと思う

日本人は「鬼畜米英」なんて言葉を使う人種差別主義者だった

2016-12-05

安倍首相真珠慰霊サヨクざまあwwwwwwwwww

さすが俺達の安倍ぴょん

2016-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20160904030955

それ、慰霊(死者を慰める)目的だけじゃなくて、同じことを繰り返さないという注意喚起意味もあるんやで。

から戦争関連の記念日総理慰霊祭に参加してコメント発表するだろ

お金ですっぱり解決はいかないですね

とある工場勤務なんだけどね。

毎年ある時期になると工場事故で亡くなった方の慰霊の為に、仏壇が設置され、記帳とお参りをすることになってる。

それは勤務時間外。

噂では、その事故で遺族との間で、痛ましい事故を風化させること無くお参りを毎年することと決められた、勿論、金もたっぷりな!って聞いたんだけどね。

いや、お参りが嫌なわけじゃないんだけど、それ、色々な宗派の人が勤めてるし、どうなのかな。そして、労働者全てにお参りを要請するのってと思って。

それが普通なのかな。

遺族の感情が赦さなかったとかはわかるけど。

当事者以外も子々孫々謝らないとならないの?

2016-08-07

今回の件で広島平和記念公園改名検討するべき

http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20160806-00060801/

意見大勢をみると、広島平和記念公園目的広島で亡くなった無辜の民の鎮魂や慰霊をおこなうための

施設であり、利用者は遺族および原爆悲劇を哀しむ心を持つ人でなくてはならないということのようです。

それであれば原爆追悼所とでも名前を変えたらどうでしょうか。

過去被害にあった人たちを悼み、安らかに眠ることを願うことは平和を記念する行為ひとつに該当すると思います

71年経って今なお犠牲者哀悼の意を捧げるのみというのであれば、それは平和を記念する行為にあたるのでしょうか。

万人に開かれた公園として、平和を祈る場所として平和記念公園という名前を掲げているのであれば、

いまを生きるあらゆる人と向き合い、過去に起きた悲劇を知り、これから平和について考える機会を持ってもらう必要があると思います

平和を望むはずの側が「この人は入っていい」「この人は駄目」という区別をする行為は、平和を願う主体者が自ら新たな争いの種を生み出すという

重大な平和に反する行為だといえます

(どんなに小さな行為だとしてもです。)

また例年、平和記念式典で首長が過ちを繰り返さず、核なき世界平和を求めるという声明を出すことが恒例となっています

上述の状況からこれは犠牲者や遺族の心を癒やすための有名無実の口上にすぎないということのようですので、

平和記念式典という名称もまた広島慰霊式典とでも名前を変えるべきでしょう。

今回のポケモンGoの一件は単なる企業経済活動であって、一方的相手方が始めたことだとしても、

平和を求めるのであれば平和的に向き合う必要があるのだと思います

奪われた十数万人の命の重みに対し、それを忘れず悼む心を持ち続けることは人として尊い行為であり尊重されるべきであると思いますが、

71年という時間もまた重く、平和過去悲劇や、マナールール理解していない人に対して排除区別論理適用するのであれば

平和という旗印を掲げ続けた一世紀にも迫る年月の間、一体何を祈り、何を考えていたのかという甚だ疑問が残ります

2016-04-21

靖国英霊には安倍の参拝なんぞよりもっと望んでいることがあるはず

なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、

安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭真榊奉納したというニュースが流れている。

参拝は見送ったとのこと。

例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜配慮なんかするな、戦没者慰霊がなぜいけないのか、などと

一部の人たちがネットで吹き上がっている。

最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、

まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミ仕事なのだから、取り上げてあたりまえである


自分は、靖国神社存在について、神道伝統にしたがえばきわめて特殊神社であると思う一方、

その英霊鎮護する機能を必ずしも否定しない立場だが、

なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である

というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。


それはなにかといえば、天皇陛下の親拝である

英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。



先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月最後靖国を訪れることな崩御された。

今上陛下は、即位以来、親拝されたことはない。


先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社A級戦犯合祀したことに対して不快感を持ったれており、

それが親拝されなくなった理由だという説がある

この説の傍証はいわゆる「富田メモである

個人的には、あのメモだけでは、証拠としては弱いと思うが。



今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在陛下のお立場から考えて、

少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、

とある新聞記者が、宮内庁役人に問うたところ

「もし、今の状況で陛下靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。

そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。


となれば、現在行政最高責任者である安倍晋三のなすべきは、

自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下差し置いて靖国に赴くことではなく、

陛下安心して親拝できる環境を整えることであろう。


陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、

それは間違っている。

しかに、先帝陛下昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、

敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、

日本平和繁栄を誰よりも願っておられたはずだ。


そもそも、先帝陛下は、日米開戦を決めた御前会議において

四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて

その御心を示された方である


軍服威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、

望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。

しかしたら、庶民的君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ挙句は若くして病に倒れた父君

大正帝の御心に、思いをはせられていたかもしれない。



今上陛下が、先帝陛下の遺志を継ぎつつも、

国籍民族を問わず、先の大戦悲劇を語り継ぎ、その犠牲者慰霊することを

自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。



先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本天皇というのは

おそらく世界でもまれ平和主義君主である

英国王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、

現在我が国天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、

その居城を守るのも「兵隊」ではなく「警察官である



我が国事実上軍隊である自衛隊最高指揮官内閣総理大臣であるから、その地位にあるもの靖国神社を参拝すれば

軍国主義の復活との批判もあり得ようが、

現行憲法下で今上陛下靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。



もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相仕事であろう。

首相自身靖国に行かないことで近隣諸国懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。

にもかかわらず、無用近隣諸国との緊張を高め、陛下差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、

それは、本当の意味皇室敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである



憲法下では、政教分離との齟齬を指摘する向きもあろうが、

そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社天皇陵を親拝されているし、

宮中では、日夜、神道形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。

もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家私的行事としてであって、

その区別は厳格にすべきだろうが。



皇室敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相靖国参拝実現」を声高に叫び

結果として陛下靖国親拝への道を遠ざけ、英霊御霊の安らかなるを妨げるものは、

愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。

靖国神社

私の祖父戦没者です。

遺骨も遺品もありません。

亡くなった、正しい場所も、はっきりと分かっていません。

祖父純粋職業軍人ではありませんでした。

民間から徴用で、記録上は戦闘に参加したことはないそうでした。

そういう人も、珍しくないそうです。

祖母は4人の子供がいたので、生活も楽ではなく、ある年の祭祀にあたって納める祭祀料などを十分に準備できないこともあったそうです。

ですが、それでも、きちんと、毎年、等しく祭祀を行ってくださっていたとのことでした。

それは、今の日本があるのは、祖父のように日本国のためにと犠牲になった方々がいるからであり、その魂をお慰めするのは当然のことですと言われたそうです。

祖父の遺骨もない祖母にとって、靖国神社祖父慰霊してくれる場所として、心の拠り所でありました。

祖父は、日本のために犠牲になったんです。

今の日本は、祖父のように、日本国の為にと犠牲になった多くの人達が礎となってくださっているからでもあると思っています

A級戦犯合祀されていることを問題視している国があること、その為、日本国内でも、靖国神社問題視している人がいることは知っています

戦争に巻き込まれなくて、ここまで生きてくることのできた日本人が、

過去戦争責任者戦勝国認定した人達合祀されているからといって、

祖父のような、国のために働いて、戦没者となった人達の誇りまで貶めるようなことをするのはとても悲しいです。

祖父のお墓には、遺骨はありません。

法事も、お墓参りも、常に遺骨のない状態で行われてきました。

祖母は、いつもそれを寂しがっておりました。

祖父が眠っている場所に行ってお参りしたいと、常に言っておりました。

靖国神社は、祖父のような、遺骨もない、戦没者とその遺族にとっても、心の拠り所でもあるのです。

祖父のように、遺骨がない、日本国のために犠牲となった戦没者も、靖国神社合祀されていること、どうか心に留めておいてください。

2015-09-27

安倍よ、日本の誇りの為に立ち回ってみせろ

 安倍首相は今年の7月、中国を「身近な脅威」と名指しして、今回の安保法制の可決をすすめた。(安倍政権太鼓持ちとして以前からその姿勢を隠していない産経新聞によるソースである。)

http://www.sankei.com/politics/news/150729/plt1507290039-n1.html

 そして日本が「国を守る為」というレトリックのもと、"集団的自衛権"というアメリカを利するためだけのもの日本戦後でも稀に見るほどの強行的な手段で通すことになった直前、中国は全世界から注目を浴びる場で、期限まで名言はしていないものの、30万人規模の軍備縮小を表明した。

http://jp.reuters.com/article/2015/09/03/china-xi-parade-idJPKCN0R306520150903

 (そんなことは少し調べたり考えたりすればありえないことだとわかるものではあるのだが)もし万が一中国が攻めてくるとしても、この時点で国際的観点でどうみられているかという立ち回りの時点において、中国現在日本安倍政権よりも2枚も3枚も上手である。もし日本が望む通り、中国が脅威として日本に攻めてきて、その戦いに日本が勝利したとしても、すでに日本海外諸国で「70年間の平和路線放棄した狂信的なナショナリズム政権」と報じられている。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-3238173/It-s-surprise-attack-Punch-breaks-Japanese-parliament-opposition-politicians-claim-crucial-vote-abandon-70-years-pacifism-held-without-knowing.html

 平和的な路線を歩み始めている(少なくともそうした姿勢を打ち出している)中国を、好戦的日本武力行使によって制圧したという構図からは逃れられない。安倍政権が縋っているアメリカ政府だって、もし国際的非難日本に及べば、容易く安倍政権に対するハシゴを外すだろう。

 私が不安に感じるのは、このどうしようもないほどの国際的な場における立ち回りの下手さである自民党が党是として掲げ続けている"自主憲法制定"にしたって、自民党によるのそ憲法改正草案現在日本国憲法よりも国民基本的人権制限こそすれ、決して拡張できるようなものとして読み取れるものではないものである点においても、どう足掻いても味方を得られるようなやり方をすすめてはいない。ネット上で勇ましく敵国から日本を守るべきだ、自分にはそのために命を捨てる用意まであるとまでと言う若者論調を見るにつけ、この日本政府内閣という日本の首脳陣の無能さが泣けてくるほどに情けない。

 いくら法案内閣の言動を読み合わせてもアメリカに媚びを売り、軍需産業を拡大して経団連を設けさせようという以上の効果を見出せない集団的自衛権とやらが、本当に日本の誇りを取り戻すために必要だったとしよう。ならばせめて、その大義名分の元に散っていくであろう命に対して、キチンとしたはなむけをする用意はできないのだろうか。

 "誇り"や”プライド”は誰かの足を引っ張る為に、誰かを相対的に貶す理由としてあるものじゃない。その人がその人個人の人生立脚するうえで必要であり、ゆずれないものこそ、"誇り"と呼ぶにふさわしい。

 さて、戦場への積極的介入が行われれば、必然的犠牲になる人の命は増える。その時の用意や覚悟責任は、東京オリンピック国民行事と定めながらもグダグダであり、2011年原発事故収束のメドすら立てられない今の日本に、果たしてあるのだろうか?敗戦記念日での靖国神社への参拝を、慰霊行事として国際的に認めさせることすらろくに出来ず、ただ近隣国感情を逆なでする行為としてむしろ中国韓国に利を与えている結果しか及ぼしていない現在自民党に、その手腕があると想像する方が賢明なのだろうか?

2015-08-15

から最低な一日

朝おきて嫁に飯を作ってもらう。

テレビ見ながら飯くう。

嫁がどうでも良い事を話しかけてくる。

テレビいい場面になったので「ちょっと黙って」って言う。

すると物凄いキレて手に負えなくなる。

食器をたたきつけるわ、なんか良くわかんない事(私は被害者てきなこと)で罵ってくるわ。

とりあえず俺がチビりそうになったのでごめんなさい!ってあやまって寝室に逃げ込んだ。

んで今に至る。今も寝室から増田

話を遮ったのは悪いと思うが、もうちょっと気を使ってほしい。

他人が今何をしているか、俗にいう空気を読むってのをもうちょっと頑張ってくれないかな。

そういえば、少し前に日航機の墜落事故の遺族の方が、慰霊のために片道6時間くらいかけて車で現場へ行ってらっしゃるニュースを見た。

嫁はその時「なんで車?飛行機でいけばいいじゃん」って言ってちょっと引いた。

安倍談話について雑感

結論からいうと、思ったよりは悪くなかったがところどころで安倍氏歴史観垣間見える談話だった。


個別にみると

 百年以上前世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化原動力となったことは、間違いありません。アジア最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアアフリカの人々を勇気づけました。


 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。


 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島長崎での原爆投下東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国東南アジア太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。


 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在平和がある。これが、戦後日本の原点であります


 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシアフィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾韓国中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和繁栄のために力を尽くしてきました。


 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国英国オランダ豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力必要であったか

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心から感謝気持ちを表したいと思います

  • ここは中々いいと思う。

 日本では、戦後まれ世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去歴史真正から向き合わなければなりません。謙虚気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります

  • ここもその通りだけど、過去歴史に正面から向き合ってないのはお前じゃないのか?と思わざるを得ない。

残りはまあ理想論だけど特に突っ込みどころなし。

2015-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20150625142731

ひどい言い草だが、まあ、似たようなことは時々思う。

3.11.の津波で死んだ人は日本中世界中から慰霊してもらえるのに

たまたまその前日に陸前高田気仙沼で病死した人は

タッチの差で慰霊される権利を逃したことになる

2015-03-11

藤田「死を贈与した」直哉氏(@naoya_fujita)による3.11追悼式への疑義

かつてある作家をめぐる言説に対する批判への反論で「かの作家は死を贈与した!(ドヤァ」と発言し諸方面から人間性を疑われた藤田直哉氏が、2015年3月11日Twitter上で3.11追悼式に対する疑義を唱えはじめた。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575529749969289217

2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。これは、俺が非人間的な感性からなんだろうか。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575530332390297600

集団の死を、集団慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575531644360204288

親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。これ、脳の容量超える。そして、普段、その辺でやっている知らん人の葬式にもそう感じなきゃならんのか、でも現にそう生きていない。では、日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞやってのが、わからなくなる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575533582023786496

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575534421018804225

別に個々人が死んだタイミングは、この一分ではあるまいに。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575535179709739009

死んだ人間黙祷を捧げるのに、何故、加害者である地震の側のタイミングに皆が合わせなければならないのか。納得ならん。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575538080834318336

ちゃんと書くか。災害や死者を名目に、個別の生を生きていて、それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられるのが、ぼくには不愉快

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575543420544020480

@seiichitsuchiya私は、「何故黙祷罵倒する必要があるのか」に対し、14:46を黙祷時間と定め、一斉に行うという行為に、国家共同体意識形成問題を感じたからだ、と理由を説明しております

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575553783884873728

いや、死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ?それに対する追悼の意図だとすると、地震発生の時間代表させることについてどう考えてるのか、純粋にわかんないのよ。儀式から、決まってるから、という理屈はわかる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575556640000315392

それだったらずっと黙祷するのかという意見が来てるけど、本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの。年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないからなわけでさ。その上で、儀式には有用性があるんだろうけど。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575573893911560192

なぜ、黙祷時間地震発生の14:46からになったのか。説1、誰かが決めた。説2、勝手に決まった。2なら、皆がそれに従いながらも理由を説明してくれないのが、単純に不思議(外国人が、儀式に疑問を素朴に持つ感じを想像してください)

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575584772249931776

で、説1で、合理的に説明がつきそうなのは、「一回で済んで、みんなで一斉にできて、異論が出なさそうな時が地震発生時だから」。これは納得いくんだけど、なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575598071440019456

死者がどう思うか考えろとか、言われるけど、死者は何も思わないし、感じないでしょう。そうではないという宗教観があるのは知っているし、死んでみないと分からないんだけれど、ぼくはその前提で話をしている。その上で「死者」をどう捉えるかがこの社会に及ぼす影響のことを考えてる。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599212928241664

死後の生があると信じたい遺族の方の気持ちもわかる。幽霊的な存在感覚を持ってしまう人たちの気持ちもわかる。ぼくの発言が、その人たちを傷つけている、と言われれば、そのこともよくわかる。しかし、死者は、「本当には」傷つかないし、冒涜されたとも思わないだろう。生者がそう感じるだけで。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575599516314796032

土屋さんのツイートを見て、不安になってきた。これって、死者が「本当に」感じたり、考えたりする前提の話だったの? そうではなくて、遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意っていう話じゃなくて?

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575600381717180417

から儀式が、生者の世界でどのような機能果たしているのかを考えたうえで、「いるのか?」ってぼくは問うているんだけれど。まぁ、ぼくの儀式嫌いは元々で、まぁ、形式的儀式根拠なく反復することそのもの生理的に嫌ってのはある。なんか、心が籠もってない感じがするし、形式そのもので。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575601520592318464

福田恆存なんかは、例えば葬式は、別に、心なんかなくたって、その形式を演じること自体意味があるんだ、周りが「死を悲しむ演技をする」ことが重要なんだというんだけど(「民衆の生きかた」)。むしろ個人的感情は抑える方がいいなんて書いてあって。その形式こそが「感情真実性」を保証する、と

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602024709910528

俺はそうは思わないが、まぁ、どうも、儀式は「説明できないけど必要」と思っている人が多いようなので、ぼくは少数の、アンチ形式主義の心情主義者として生きて行こうと思いますけど、つまりこれ、「真実感情」が型を必要とすることは、「型」こそが「真実感情」を作るということでもあるよね。

https://twitter.com/naoya_fujita/status/575602827705233408

から集団を弔うようなセレモニーがどんな形であるのかには、敏感であってもいいと思うんだけれども。感情セレモニーを生んでるんじゃなくて、セレモニー感情を創り出す効果もあるってわけでしょ? 俺が気に食わないのは、それ。

順番に整理していきたいが、明確に断言できるのは、藤田氏の想像力のなさと狭量さである

藤田氏は、3月11日14時46分に追悼をおこなうことについて、「それぞれ違う死に方をした人間をあたかも一つの何かのように扱い、追悼の名目で、国民の想いを勝手に決められた時間に同期させられる」「なんか生者の都合でインスタントにやりましょ感が出てしまってて、その上で死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い感じがする」ものであり、そこには「国家共同体意識形成問題」が孕んでおり、「遺族などが哀しみなどから生み出す錯覚であり、代弁者勝手に気持ちを捏造したりして政治的に利用するなどで、生者に影響を及ぼすから注意」すべきだと疑義を表明している。

……え? 藤田氏って追悼式が政治家政治的に利用するためにおこなうものだと本気で思ってるの? マジで? そう思った根拠ってなんなの?

「追悼式を決まった時間におこなうことで追悼感情統一的に形成される」という仕組みが、国家国民感情を統制するときのそれと同じものであるというのは真っ当な指摘なんだけど、それは理屈しかないでしょ? たとえば、あくまでたとえばだけど「3.11を忘れないために、今後は○○の政策を~」みたいなことを言い出したのなら別だけど、藤田氏はそういう具体例あげてないよね? 追悼という行為儀式性と政治性を混同してない? 

……とまあ、藤田氏の言動からは「追悼式は政治家政治に利用するための欺瞞的なものだ!」という副音声が聞こえてくるのだが、あれこれ言葉を駆使しているようにみえてその根拠は一切ない。藤田氏の完全な妄想である根拠がないという意味で)。

また、14時46分に追悼をおこなうことを「死者のことを本当に思ってたら、違う時間に違う亡くなり方をそれぞれにしたことも知っているわけでしょ」と批判しているが、そもそも「死者が死んだ時間ぴったりに死者を悼まなければならない」という規範があるわけでもないのだから、14時46分に死者を悼む行為が「本当に思って」いないと判断する根拠がない。その理屈なら、「いつ追悼してもその感情は本物である」という理屈だって成り立つはずだ。

その他、「日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞや」「本当に死者を想って悲しんでいる人は、毎日仏壇拝んだり、考えたりしてるんじゃないの」「年に一回思い出したように黙祷するだけで済んじゃうのは、本当には同じように悲しくはないから」「死者への想いをとうとうと語るのもうそ寒い」と言っているが、これもよく読むと藤田自身バイアスが満載である

3.11追悼式で生まれる追悼感情は嘘である」という視点には、「感情には嘘の感情と本当の感情の二つがある」という先入観存在する。感情に嘘も本当もないでしょう、とこの増田を書いている私なんかは思うわけだ。よしんば、それが追悼式がなければ生まれなかったものであったとしても、おこなわれたことで生まれ感情は実際にそのひとのなかにある感情である

ここまではまだよい。藤田氏は元から作家の死を贈与したなんてぬけぬけと言い出すわ、自分が言い出した伊藤計劃以後論に批判が飛んできたら反論を書くのではなく「じゃあお前が考えろよ」とかTwitterでくだを巻き出すわ批評家としては全く能力のない人間であるが、そのことに藤田氏に責任はない。人間能力には限界があるのだ。

だが、上記のようなバイアス藤田氏が無自覚ななか他人攻撃し始めるのなら話は別だ。

なあにが、黙祷じゃ、バカタレ、黙祷を字で書いてインターネットに垂れ流す自己顕示欲の塊どもが。

追悼式が追悼感情を惹起する機能があるとして、そこにある感情が偽物であると断言することの暴力性を藤田氏は考えなかったのだろうか。

そして、その暴力を振るう対象である今日14時46分に追悼の念を掲げる人間のなかに、被災者遺族が、知人や友人、家族を失った人間がいる可能性を想像できなかったのだろうか。

藤田氏は、「今日14時46分に黙祷をした(あるいはツイートした)人間」全員に対して「バカタレ」と言ったのである

これは、生者に対する冒涜である

藤田氏は、藤田氏のなかにあるバイアス無自覚のまま、藤田氏の主観的判断による「偽物の感情」を持った人間を「バカタレ」と罵る、想像力が欠如した狭量な人間である(それ故個人的には絶対に関わりたくないので増田に書かせてもらった次第だ)。

でまあ、もしこれが藤田氏に届いたとしてもあいつは「そんなことは言ってない! 被災者遺族のことを侮辱する意図はなかった!」とか言い出すに決まってるんだけど、意図があろうとなかろうと文言だけ読めばそうなるんだよ。てめえ批評家自称しておきながらそんなこともわかんねえのか。主語大きくすんなって批評家でもない俺だって何かを主張するときの基礎だって知ってるよ。そんなこともわかんねえからてめえは批評家としてクソだって言ってんだ。

いやー、「死を贈与した!」とか言っちゃうひとは本当に他人感情にみじんも興味ないんだなーってのがわかって大変ありがたいです。藤田氏は本当にクソだ。ありがとう藤田氏。おまえは二度と信用しない。

あとさ、地震を「加害者」って言っちゃうのはちょっと……いや、まあ、物事擬人化して理屈づけようとするのは悪い事じゃないか……うん、別にいいと思うよ。ひとそれぞれだしね。

2015-01-08

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/p4f04d8s/status/552793036413865985

これって嫌味なわけじゃん?

慰霊血液型診断も非科学的ながら便利ツールとして使ってるし(一応血液型診断が便利ツールってのは話の種か合コンの場繋ぎ程度のツールってことで)

万世一系江戸しぐさも嘘っぱちだけどどっちも授業で教えてるよねっていう

片方は叩いて片方は擁護なり無視するメクラかっつー嫌味なわけじゃん? 非科学的な行為も嘘も伝統がつけば許される、事実になってるよね現実っつー

ブクマみると嫌味を嫌味として受け取らずわけわからんブコメつけてるやつばっか

どうしちゃったのはてな 昔のはてなもっと優秀な人がおおかったじゃない

2014-07-07

一人目の夫とは女子中学生のころに婚約が決まった。

はてブオフ会に行こうかなって話。


関東大震災が起こった年、女子中学生であった私は結果的に当時の摂政を銃撃からお守りしたのだけど、その後、宮内大臣から直々の縁談があって、新しくできた丸ビル前で待ち合わせたのがなれ初め。

あの時はまだ民本主義とか、東大新人会に勢いがあって、彼が進歩的な話をしてくれることにときめきを感じたことを今のように思い出す。

けど、あの年は甘粕大尉事件を起こしていた時代でもあり、その後の時代は彼に向いていなかった。進歩的とされた思想弾圧の結果、彼は閑職にまわされ酒と借金におぼれていった。


その時の私の窮状を救ってくださったのも、牧野伸顕閣下。幅広い人脈を持つ閣下のおかげで、私に暴力をふるうようになった彼と私の婚約関係

世間の好奇を浴びることなく解消することができた。そして、早くに妻君をなくしてた海軍のある佐官の下へ嫁げたことは、一生の中でも最大の幸福だった。

その後の戦争で、私と子供一人を残し、帰らぬこと人となってしまったのは仕方ないことかもしれないけど、悲しかったなぁ。実のところ、敗戦が決まって軍人恩給も出なくなるかもということで

今後の一家の暮らしをどうしていくのか本当に心配だったことの方が切実で、あの時のことはあまり記憶にない。なんとか生き残ったことだけを思い出す。


敗戦後何もなくなったどころか、一人目の夫よりもはるか人間的・学問的に劣っていた進歩的知識人たちが政治的にも、学問的にも跋扈しだしたことには天地動転とはこのことかと思ったけど、

その後の日本の成長は目覚ましかった。高度成長期も終わりには、国のために散った二人目の夫と将兵さんのために、南洋諸島慰霊することが出来た。あの時、ようやく戦争が終わったのだと思い、

夫が欲しがっていたゼネラルモーターズ製のシボレー模型と、子供が作っているトヨタ製のカローラ模型をたむけた。


日本と言えばまず後進的で奇形資本主義であることが当然とされた時代からうってかわって、1980年代には日本世界最高の資本主義国となっていた。

NECに勤める孫に半導体というものを説明され、湾岸戦争を見た時に、もう世界は私が知っているものではないのだと思ったものだった。


さて、どんなに年をとってもお迎えは20年前に来ると思っていたのだけれども、100をとうに超えてもまだ生きていて、このまま後2,3年生きれば県で一番長生きらしい。

「はてぶのオフ会」が話題になってるというのだけれども楽しいのかな?

2014-06-23

戦争体験者の高齢化に対して何の対策もしなかった政府

今日沖縄慰霊式典や原爆、終戦などの慰霊式典で毎年話題になるのが「戦争体験者の高齢化である

先の大戦悲惨さは、実際に経験した方でないと分からないのは事実である

それゆえ我々戦後人間が、戦争体験者から聞いた話を次の世代の子どもたちに聞かせても無味乾燥とした話になってしまう。

従って「戦争悲惨さを伝える戦争体験者を次世代まで残す」ことが必要なのは明らかである

しかし、政府はそれを怠ってきた。

戦争悲惨さを伝える戦争体験者を次世代まで残す」方法で最も有力なのは、我々が戦争体験者になることである

実体験と言うのは百聞千聞に及ばない、とても大切なことである

しかし、日本平和国家の名の下、戦争をすることを拒んだためそのような機会を得ることは不可能だった。

日本政府戦後70年、このような間違いをずっと続けていたのだ。

しかし、今からでも平和国家を破棄することで、戦争を体験することができるのも事実

政府はしっかりとした対応をとってほしい。

2014-01-04

なるほど私は左傾化している

僕らは何か戦争で他国に迷惑かけましたかね?

っていうか、戦争なんてしまたかね?

私はというと、他国との関係はそんなことよりも、オリンピックやら国際試合なんかで日本とアツイ試合が出来たら何とも言い難い感情が湧いて出て、ただただ感動している。

応援するのは当然のように日本だけど、感動したら勝つとうが負けようが相手も讃える。

それが私の当たり前だ。

逆に今でも戦争がどうのこうのと、60年以上も昔の話を引っ張り出されても、何も感じない。

いや、一転して鬱陶しい。

百歩譲ってもそんな理屈が通るのは戦争から2世代くらいだ。

んなもん手持ち無沙汰な爺婆に任せとけと心底思う。

犯罪者の子供は犯罪者か?犯罪者の孫は犯罪者か?

罪だ罪だと言い聞かせて、一体何世代引き継ぐつもりですか?

仮に自分たちの世代で何かあったとしても、こんな鬱陶しいものを子や孫に引き継ぐのはよそうと思う。

歴史修正主義と言う言葉がいつからか突如として流行り始めた。

でもそもそも歴史って、本当に確かなことなんて何もない。

たった一つの発見であらゆるものがひっくり返るくらい、信用がおけない。

ましてやよく言われる戦争は何カ国もの思惑が未だ渦巻いていて、人数単位で言えば億の単位で渦巻いていて、

歴史が見る人によって、視点によって違うのであれば、そんな億単位戦争真実なんてもはや図り知れるものでもない。

ただ勝者が指標として真実を定めるだけだ。

からその真実まやかしに過ぎない。

から趣味として、一つの学説として歴史と言うものを振り返ってみたりするのはありだと思う。

ただ、この歴史真実だとか、特定の人を歴史修正主義呼ばわりするのは、私は戴けないし、この上なく胡散臭い

そしてそんなことに時間をかけるのは無駄だと思う。

少なくとも先の戦争真実なんて、今の有象無象の思惑せめぎ合う時代より何百年かして冷めた頃に、つまり完全に中立な時代に定めてくれたらそれでいいと思う。

それでも収まりがつかないという人達は、先にも言ったとおり当事者同士、その世代同士で喧嘩させてどうぞと言う感じです。

靖国神社だって、その出来た意味や経緯がどうあれ、現代おいて参拝する意味は先の大戦があって今があるということから、先人への感謝慰霊に過ぎないということで十分じゃないんでしょうか。

先の戦争を肯定やら英霊を肯定やら、仮にそれが本当だとしてもそれは日本の、靖国立場的なもので、別にいいんじゃないんですかね。

どの国でも軍人慰霊施設ならあるだろうし、命を賭して現代の礎になった人々に、あんたらは間違ってたと言って聞かせるのが子孫のすることですかね。

別にアメリカエノラゲイを祀っても、北の将軍が北で祀られても、ドイツヒトラー祀っても構いません。

その慰霊が=軍国主義の肯定だなんてどう考えても頭がおかしいので。

そんな人は参拝する人に少しいるかもしれませんが、反対してる人の中でそう繋がっちゃってる人よりは少ないんじゃないですかね。

靖国がどこかの新興宗教のごとく戦争や混乱を奉って信者を増やしているというのなら話は別ですが。

というわけで私はとにかく現代人として60年以上も昔の古臭いものに振り回されるのにうんざりしていて、現代現代価値観で友好なりなんなりと楽しいことをやって行きたいと思うのですが、この古臭い価値観嫌悪して新しい価値観でやって行こうとする様は、あれ?もしかして左翼じゃね?と気づいてしまったわけです。

というわけで次からこういう論調の人見かけたらネトウヨではなく、ネトサヨでお願いしますね。

逆に昔の価値観でどうこうものいう人はものすごく保守的で実は真のネトウヨとして讃えるべきかなと思いました。

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