はてなキーワード: 慰霊とは
●「はじめしゃちょー」慰霊の森を日本一の心霊スポットと動画で紹介 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20200207-OYT1T50276/
「1971年に起きた全日空機と自衛隊機による衝突事故の犠牲者162人を弔う岩手県雫石町の「慰霊の森」を、「日本一の心霊スポット」などと紹介した動画が、動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開されていたことが7日、わかった。」
「猿子恵久(しげひさ)町長は7日、報道陣に「不謹慎だ。撮っていいことと悪いことの判別ができないなら、動画を流さない方がいい」と話した。」
●はじめしゃちょー、不謹慎動画で謝罪 「慰霊の森」を心霊スポットと紹介...墜落事故の追悼の場 : J-CASTニュース https://www.j-cast.com/2020/02/07379148.html
「はじめしゃちょーさんは2月4日、「日本で1番ヤバい心霊スポット。慰霊の森に行きました」と動画をユーチューブに投稿し、慰霊の森で動画撮影してきたと伝えた。」
「はじめしゃちょーさんは2月6日、ツイッターで「諸事情につき動画を非公開にさせていただきました」とし、「不快に思われた方、申し訳ありませんでした」と謝罪した。」
謝罪と思われる呟きを見る限り(ttps://twitter.com/hajimesyacho/status/1225365081984126976)「先日の動画」とだけで、具体的に「どの動画が不快に思われたのか」について触れられていない。
当該施設がある町の町長が(非公式な?)コメントを出している以上、これだけでは謝罪にならないのでは?と思っているけど、その辺の経緯もまとめて後日動画にまとめるのかな?
艦これは、あらゆる海戦における日本海軍の戦没艦をほぼほぼ実装しているのだが、ご存知信濃の他にも、何故か実装されない艦がある。
それはセント・ジョージ岬沖海戦の戦没艦である、大波・巻波・夕霧である。
この海戦は、当時最新技術だったレーダーを用いた米艦隊の新戦術により、日本艦隊が一方的に沈められた海戦の1つで、その意味では本作のテーマである「悲しく沈んでいった艦の慰霊・鎮魂」にふさわしい艦として、本来なら最優先で実装してもおかしくない話である。
実際、類似の海戦だったビラ・スタンモーア夜戦組(村雨・峯雲)とベラ湾夜戦組(嵐・萩風・江風)は、とっくの昔に実装済みだったりする。
さらに、これら一連の海戦は、日本海軍のお家芸だった夜戦において、実際第一次ソロモン海戦・ルンガ沖夜戦・クラ湾夜戦・コロンバンガラ島沖海戦と、さんざん苦汁を嘗め続けてきた米海軍が、ようやくそのハンデを克服したという意味でも、極めて重要な歴史的意義があると言っていい。
これは本作が重視する史実という観点からも、絶対に無視できないと思うのだ。
ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰霊する像が、ベトナムと韓国に設置される。正式名称「ベトナム・ピエタ」は、2011年、ソウル中心部の駐韓日本大使館の向かいに建つ慰安婦像(「平和の少女像」)をつくった彫刻家のキム・ソギョン(51)、キム・ウンソン(52)夫妻が構想した。「ベトナム・ピエタ」は平和教育と市民募金を経て、2016年中にベトナムで民間人虐殺があった地域と韓国内に設置される予定だ。
キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻は1月12日、韓国紙「ハンギョレ」とのインタビューで「韓国政府は、旧日本軍慰安婦の問題について、日本政府に正確に謝罪を要求し、謝罪を受けなければならない。また、ベトナム戦争の民間人虐殺にも正確に謝罪しなければならない。今の政府は、両方とも本来の役割を果たしていない」と述べた。
日本の裁判所が認めた事実認定や、日本の国会が出した解釈や、日本の会社が支払った中国の徴用工への和解金について無知な人が多すぎるので、まとめました。
労働力の不足を補うため、昭和19年に朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的な労働です。その後の日本国内の裁判で「徴用に応じなければ家族が逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法な労働と日本の裁判所で認定されています。
日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本と戦争をしていない」という理由でサンフランシスコ平和条約に入りませんでした。
その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。
ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互に放棄したものであって個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり、韓国内の日本国民の資産を韓国人から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。
このわかりづらい解釈には理由があります。もっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権を韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産の請求権を日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本人資産の放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。
(慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)
平和条約のあとでも宙に浮いていた個人の請求権ですが、連合軍元捕虜への損害賠償を求める米国最高裁の判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争の遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権は放棄されている」という判決が2003年に確定し、話が動き出しました。
2007年には、日本の最高裁が、「サンフランシスコ平和条約の当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国、中国、フィリピン等の国民からの訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。
ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。
それを受け、西松建設と中国人当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査、記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。
旧三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮人徴用は戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものだから、サンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本の最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります。
この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決は必然でした。
法律の話で言えば、日本および日本企業に請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国の司法はおかしい、とまでは思いません。韓国で徴用し日本で過酷な労働をさせたという事例に対して、日本の最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権がサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論の余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判で請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります。慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。あと、請求権協定に定められている仲裁手続きを韓国側が拒絶している、というのはかなり韓国に不利な事実だと思います。
条約の解釈を超えた道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しています。基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本が自発的に補償すべきものなのかもしれません。ですが、和解・癒し財団のたどった運命を見ると、現在の日本と韓国に道義と信義誠実に基づいた基金が作れるとは思いません。韓国はかなりアレだけど、日本側の情報発信も、日本の裁判所の事実認定に比べると、だいぶ偏っているように思います。次の世代が今の世代より賢いことに期待するしかないのかなと個人的には思います。
「歴史的事実を真摯に受け止め、犠牲になった中国人労働者についての問題を解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)
「被害の救済に向け自発的な関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)
「任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」(仙台高裁09 年11 月20 日)
「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁の判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法で解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日)
「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)
日本の公式立場としては、戦争責任について反省し償いをする。じゃん?だから各種賠償金を払ったし、総理大臣やら閣僚が謝罪もしている。
天皇は日本国民の象徴だし、天皇が謝罪すれば日本がちゃんと謝罪し反省している、ということがまさに象徴的なものになると、単純に思うんだよな。
天皇は戦争にノータッチどころか、天皇の名のもとに戦争は行われていた。戦争で犠牲になった国民に何度もは頭を下げてきた。外国人だからできない。というのもなんか変な話じゃん。慰安婦にされたり、徴用された韓国人も、徴兵され海外で死んだ日本人も、戦争被害者に変わりはないわけだしさ。天皇がやりたくないなら仕方ないけど、サイパンで慰霊するなら韓国で今生きてる戦争被害者をおもねってもいいと思うんだがなあ。
50年前に定められた日韓基本条約に反するから、韓国大法院の判決はおかしい、という簡単な話ではありません。時系列で流れを整理します。
労働力の不足を補うため、昭和19年に朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的な労働です。その後の日本国内の裁判で「徴用に応じなければ家族が逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法な労働と日本の裁判所で認定されています。
日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本と戦争をしていない」という理由でサンフランシスコ平和条約に入りませんでした。
その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。
ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互に放棄したものであって個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり、韓国内の日本国民の資産を韓国人から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。
このわかりづらい解釈には理由があります。もっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権を韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産の請求権を日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本人資産の放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。
(慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)
平和条約のあとでも宙に浮いていた個人の請求権ですが、連合軍元捕虜への損害賠償を求める米国最高裁の判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争の遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権は放棄されている」という判決が2003年に確定し、話が動き出しました。
2007年には、日本の最高裁が、「サンフランシスコ平和条約の当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国、中国、フィリピン等の国民からの訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。
ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。
それを受け、西松建設と中国人当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査、記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。
旧三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮人徴用は戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものだから、サンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本の最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります。
この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決は必然でした。
法律の話で言えば、日本および日本企業に請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国の司法はおかしい、とまでは思いません。韓国で徴用し日本で過酷な労働をさせたという事例に対して、日本の最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権がサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論の余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判で請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります。慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。
道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しており、おそらく基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本が自発的に補償すべきものなのであろうな、と個人的には思います。基金を作るのがスムーズに進んでくれたら、と思います。
「歴史的事実を真摯に受け止め、犠牲になった中国人労働者についての問題を解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)
「被害の救済に向け自発的な関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)
「任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」(仙台高裁09 年11 月20 日)
「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁の判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法で解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日)
「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)
本当は約一カ月後の12月なんだけど、毎年この季節がくるとマジでウンザリしたくなる。
忠臣蔵のストーリー自体は別にいいんだけど、許せないのは忠臣蔵を持ち上げる人達が気に入らない。
日本は73年前の歴史的経緯から「戦争放棄」ということになっていて、戦争や争い事を美化してはいけないはずである。
「戦争と仇討は違うだろう」と言われるかもしれないけど、話し合いで解決できないから最終的に武力を使って白黒つけるという原理原則を考えてみれば、太平洋戦争も忠臣蔵も同じである。
アメリカからの経済制裁やタヌキからのイジメに耐えかねて、マジギレして大爆発するという流れも一緒だよね。
毎年8月になると原爆慰霊や終戦記念日で反戦平和を誓うのに、その4カ月後には赤穂浪士の「忠義」を礼賛するってどうなんでしょうか。
今まで赤穂浪士達を批判的に論じている人を見たことが無いし、下手に彼らをテロリスト扱いすると火病を起こす輩もいる。
私から見れば、靖国神社に祭られているA級戦犯も、高輪・泉岳寺に祀られている浪士たちも大して変わらない存在に思える。
それはA級戦犯を英雄視するとか、赤穂浪士たちは犬死にしたとか言うつもりではない。
くそ餓鬼は政府による退去要求を断り、廃村に居続けることにした。これに対し国会は全会一致でダムの建設を決定。ダムの建設は難航。さらには豪雨が加わった。建設中のダムは水をためないようになっていたが、何者かが勝手に建設中の水門を閉じてしまった。このため酒鬼薔薇王国は完全に水没。くそ餓鬼は風呂場で全裸で遺体となって発見された。家宝の鶴の掛け軸は屋根裏から綺麗な状態で発見された。
もともと廃村で独立国ごっこをしていたようなものだが、さすがにこれはかわいそうだということで王国民は慰霊を行うことにした。王国民は元少年Aに会えなかったくそ餓鬼のため元少年Aがくそ餓鬼の首を絞めている像をつくることにしたのである。誰かが王国から帝国に昇格したことにしてはどうかと提案した。これは名案だと思い「酒鬼薔薇帝国 皇帝 くそ餓鬼」という文字を彫ることにした。
除幕式の日、王国民は我が目を疑った。くそ餓鬼の像が柊になっていたのである。誰がどういう工作を行ったのかは分からない。ただひとつ言えるのは柊が了承せずにこんなことは起こりえないということだけだった。青島先生は「キチガイか」というひとことを残して立ち去った。なぜかその顔には笑みが浮かんでいた。
今年も夏がやってきた。テレビをつければ慰霊式典の中継が行われている。
今年で73年目だという。
この時期になると、テレビでは突然戦争体験のドキュメンタリーや、戦時下を舞台にしたドラマを放送しはじめる。これはもうすっかり夏の風物詩になってしまった。
多くの家庭に設置されているテレビを通して、戦争を知ってもらう。
それ自体は悪いことではないと思う。
もう終戦から73年が過ぎた。生の戦争を知っている世代は減っている。
その前に、戦争を知らない世代が、戦争を知っている世代と情報を共有すること。
テレビから流れてくる情報は、私たちに様々なことを教えてくれる。
「この国には戦争がありました」
「この国には戦争のなか逞しく生きた人たちがいました」
知っておかなければならないことだ。
でも、テレビの報道は、いつもその事実を伝えただけで終わってしまう。
「戦争は繰り返してはならない」
ただ、それだけで終わってしまう。
どうしてそういう話にならないのだろう。ずっと不思議だった。
今でも不思議に思っている。
その代わり、国の決定の責任は、政治家だけではなく、すべての国民にかぶさってくるものだと思っている。
「たまたま戦争がおきていない」73年のそのいちばん端っこに、私たちは生きている。
毎年戦争体験のドキュメンタリーを見て、間接的ながら戦争を知った私たちは、戦争を避けるために最善を尽くさなければならない。
でもどうやって?どうやったら、戦争を避けられるの?
「民主的な国」に生きている私たちは、「どうやったら戦争を起こさないで済むか」考えなければいけない。
それなのに、誰もそんな話はしない。
私が知らないだけで、本当はみんな、そういう話をしているのだろうか。
言葉の限りを尽くして、それでもどうしようもなくなったその先で、戦争は「起こってしまう」。
私たちは、日本を「戦争しか選択肢がなくなってしまった」国にしないように、日々を積み重ねなければならない。
終戦の日は、毎年訪れる。
きっとこの先も、終戦の日が近づくと、テレビでは戦争を伝える番組が放送されるだろう。
日本の夏は、「戦争の悲惨さを学ぶ夏」から「どうやったら戦争を起こさない国にできるか、みんなで考える夏」へ、一歩前進しても良いのではないだろうか。
来年も夏はやってくる。
今年も1月17日がやってきた。
阪神淡路大震災から23年目だ。
被災地である神戸の公園では震災の起きた時間に慰霊の集いが行われたというニュースが今朝も流れていた。
既に23年も経っているのに…だ。
被災地以外に住む人間だから思う事かも知れないが、慰霊の集いのニュースを見て
「この人達はいつまで震災の亡霊に取りつかれているのだろうか」と感じた。
大きな災害でも20年も経てば被災地には、その災害を知らない世代が増えて来る。
災害の傷跡を引きずる事が悪いとは言わないが、災害を知らない新しい世代が増えて来た時、
その新しい世代から見れば傷跡を引きずる人々は「亡霊」という印象を持たれる事も有る。
ニュースに映った慰霊の集いの映像から、私は亡霊の集いの様な印象を受けた。
20年以上経っているんだ、もう慰霊の集いを止めても良いんじゃないかな?
止めずとも、慰霊の集いの形や、あり方を見直すべき時期に来ているのではないだろうか?
少し、話は変わるがこんなニュースを見た。
神戸新聞NEXT|総合|県の復興借金、いまだ4386億円 重い地元負担
兵庫県は震災時に復興費用を県債(借金)で賄ったが、その借金の返済が未だに終わっていないという話。
4386億円の借金が残っているそうだ。
復興のための費用が20年以上経つのに借金として自治体に残っている。
それはその自治体の発展にとって大きな妨げとなっているのだろう。
正しく、震災の亡霊(借金)が未だに被災地を苦しめているという印象を受けざるを得ない。