はてなキーワード: 土地とは
あんまり解決出来ない。太陽のエネルギー密度が低くて、大量の太陽光パネルが必要でそれを維持管理するのは想像以上に大変だし、コストも膨大で大量の土地がいる。日本には向いていない。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 111 | 19058 | 171.7 | 50 |
01 | 72 | 7692 | 106.8 | 57 |
02 | 73 | 5919 | 81.1 | 31 |
03 | 42 | 11020 | 262.4 | 51 |
04 | 21 | 2980 | 141.9 | 81 |
05 | 22 | 1897 | 86.2 | 35 |
06 | 25 | 1967 | 78.7 | 52 |
07 | 46 | 4117 | 89.5 | 46.5 |
08 | 109 | 9451 | 86.7 | 32 |
09 | 179 | 13497 | 75.4 | 48 |
10 | 181 | 38124 | 210.6 | 53 |
11 | 229 | 19970 | 87.2 | 56 |
12 | 304 | 29490 | 97.0 | 37 |
13 | 169 | 13677 | 80.9 | 39 |
14 | 188 | 17661 | 93.9 | 45 |
15 | 152 | 16562 | 109.0 | 35.5 |
16 | 184 | 17688 | 96.1 | 44 |
17 | 187 | 19135 | 102.3 | 50 |
18 | 185 | 12601 | 68.1 | 41 |
19 | 160 | 13439 | 84.0 | 43.5 |
20 | 89 | 10254 | 115.2 | 58 |
21 | 117 | 17774 | 151.9 | 45 |
22 | 107 | 15822 | 147.9 | 39 |
23 | 100 | 5929 | 59.3 | 38 |
1日 | 3052 | 325724 | 106.7 | 45 |
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・感じるのは自由
あなたの身体はあなたが管理しているものなので、感じたり思ったり内部でなにかをするのは問題ないです
「感じる自由は、ある」
その音声が拡散されてだれかに届いたりだれかの声がとどいたりすることを前提に管理されている方の自由です
黙れと言われたら黙るべきで、話していいといわれたら話してもよいはずです
たぶん管理側は~とかこういうルールが明記されているからおそらく~というのは~の部分が「あなたの自由」によるものなのでそれはいけません
ちゃんと管理側に許可をもらって権利を得てから自由を行使しましょう
面倒で難しいのは、これがウィンドウズのファイルシステムみたいに上位からの継承があったりなかったり、途中で権限を持つものが変わっていたり
すなおに直近の管理者に許可を得ればいいだけではない場合もあるので
注意をすべきで気にかけて自由とはなにかを問うときはその最上位から近くの現場までの経緯や相対的な位置と関係性を把握することにつとめるべきでしょう
そして、この「契約」は当然、他のあらゆる契約がそうであるように、「解除」できるはず
つまり、すべての人はどこの国にも属さず生きる権利を持っている
しかし現代、地球上の、人間が住むことのできる殆どの土地は、国々によって分割されている
貸借対照表的な話なんだけどさ
権利と責任、責任と価値、価値と福祉みたいなのって鏡写しというか近い関係性をもっているのよ
たとえば、知的障碍で価値がない人を追い出していい、相手にしなくていい、というのなら
そうでない人の生活区域内に、知的障碍の人たちの住むエリアを別途確保することになってしまうよね
用意なんてしねえ一般人の目に触れないところに行けっていっても日本に権利者がいない土地はないんだけど
どこかに「知的障碍者が権利者となっている土地」を日本の国土として無料でお分けすることになるのかってことや
いや不要なので殺していけばいいじゃんって言うのだとすると「人を殺すということ」をする事になるので
人を殺すことに社会的リスクと支払うべきコストがあるよね 殺人を犯した人は法治国家では裁かれるの
それを「裁かれない」って大幅コストカットをすると「人の命としての価値」を大幅カットすることになるよね
知的障碍がどこまでか、微分積分ができない障碍者とか三角関数ができない障碍者って価値をいま普通だとおもってる人にもつけかねないし
人の命って不要になれば切り捨てていいんだ、一定の土地に住んでる人は水害にあうこと前提なので救助なんていらんわみたいな
いま生活してる人の価値そのものをダイレクトに削っていくんだよね
権利や価値を保証されている人たちのものを障碍者の人たちという区分で削ると同じ分だけそうでない人のものも削れるの
人を殺したり支配したりすることが上位だという表現があるから位置関係的に上というイメージに、行動に安全性が確保されてる雰囲気にとらえられやすいけど
実質それだけのコストを支払って安全圏を確保しているってことなんだよね
弱ければ強くなるってことではなくて、弱い部分を補強しているのが強さってことなんだわ
弱さを削っていけばフォーミュラカーみたいな強さとかサラブレッドみたいな強さとか手に入るかもしれない
でもふかふかのシートにエアコンがついてる車とフォーミュラカーなら一般生活はどっちが楽かな
毎日特訓のような生活に明け暮れるならフォーミュラカーでもいいとは思うけど
サラブレッドのような訓練と調整の毎日が幸福な人もいると思うけど自由を謳歌したい人もいるんじゃないかな
人を殺してでも生きていかないといけない社会って銃社会みたいなところがあるかもしれないよね
人に銃口をむけたり、手を挙げろっていってるのにポケットに手を入れようとしたりする人は撃たないといけないかもしれない
そんな人たちを殺してもいいってことになると、ころすひとが殺す準備をしたりリスクを背負ったり殺した責任とかを取らないといけなくなるよね
殺す自由が完全に自由だとしても遺体の処理からなにから税金でするとしてもその税金分なり処分費用をし払う必要があるよね
人として生まれたらどの時点でどう判別してどんなふうに対応するか、っていまはほとんどご家庭で家族でやってもらってるところを社会が人の生活を管理することになるかもしんないし
国がそこまで管理しないと基準も規定もつくりようがないかもって感じ
お部屋、常に片付いてるかな
あるべきものがあるべきところにあっていつもほこりを払ってきれいになってる
そんな感じかな
出しっぱなしとか汚れてるとかないかな
よごれたりだしっぱなしだったら捨てないといけないっていわれたらコストがロストな感じじゃない?
障碍は出しっぱなしじゃなくて傷だろって思うかもだよね
傷はここでいうと個性みたいなもので多少あっても「おさまっていれば許容される」ことだよね
傷があろうとなかろうと収納の規範から逸脱するもを逸脱することについて「障碍」って言ってると思うんだけどどうかな
よごれはそのお部屋の規範とはちがう基準で存在してるものだとしたら、基準にあうように洗ったりそういう基準の扱いにしたりすべきがいいかな
捨てるよりは洗って使えるなら洗ってまた使ったほうがいいと思うんだよね
それよりやっぱり部屋のものは使ったらすてる 片づけてないものは捨てる いつのなにをもって片づけというかって決めるほうがいいかな
毎週金曜日の20時の時点で片付いてない物は捨てるって基準だといいのかな
その日帰りが遅くなってたまたま、みたいなことでもごっそりすてていいのかな
基本捨てる捨てないっていうなら、捨てないほうがありがたくない?
優遇しないっていうなら優遇しないって対処をするコストを自分か誰かか何かがその分補填することになるんだよね
なんかもうすでに言葉になってるものを言葉で示した方法で操れる感覚みたいなのがどっかある人たちがいるとおもうんだけど
障碍者ってもなにが障碍者かって1例だけでいえばはっきりそうかもしれないけど自治体レベルの数でいうと
「どっちかわからない」なんて人もでてくるし、それを排除する社会って機能があったらそれを誰かが担う必要があるんだよね
お子さんがもしいらっしゃるご家庭で最初の反抗期がくるあたりを経験されていたら思い出してほしいんだけど
「それやだ、これがいい、こうじゃなきゃやだ!」ってものすごく無駄なものをせがんだり同じものを欲しがったり
どうせすぐ捨てるのに買うとか言い出したりするのを対応したことがあるかなって思うんだけどもちろんない人もいるかも
そんな問題は欲しがってるもの与えればいいだけで簡単に解決する話ですよね
それが親御さんからの目線だと最善の解決方法だとして買い与えていたかどうかって、同じもの無駄にしたりいくつもあったり
使い道まちがってたり、お値段の価値もないものだったりすると、そういう買い物なんかにコストどれだけ払ってるのかって
子供目線から「今日はお弁当じゃなくてハッピーセットがいい!同じお昼なのにハッピーセットじゃないのは嫌だ!」って選択肢には
ご家庭でお弁当をつくったりする材料の備蓄や料理の手間、他の時間帯に波及する食器やダイニングの掃除なんかのコストを無駄にしてるよね
要望をあげる目線からのメリットの陰に、大きくコストを払っている人がいたりするってことね
制度を作るって考えてみてさ、その執行や処理や対応をする人たちがいるとして、その人たちのお給料・生活・気分・保証その他もろもろ
どれだけの予算でどう運営していくのかってことと、共存ってカタチで予算があればそれぞれの家族や地域や近い人やお仕事をそれもかねている人たちを
既存のまま運用できるのとどっちがコストがかかるかってことを考えたら処分専用に高いお金払うより共存のほうがコスト的に浮くとおもうんだよね
高度に管理された社会って結局人間がその高度で管理されながら生きるっていう意味なわけで
相手が大きく失うものがあるとしたら、奪う側はそれを奪い取っても吸収できたり自分のものにできたりしないんだよね
たとえば命をうばっても命は2個にならないよね
奪った命で褒められるのなら褒められるために社会的地位を上げるために奪うだろうけどそういうお仕事って地位あがりそうかな
だれもがやりたくない仕事をさせられる人をふやして、命が奪われることになったとして人の住む領域として健康が最低限天賦されていることが基準という狭さになって
人とはなにか人のあるべきはと定義されて逸脱すると障碍として排除されるようなのって
提案しちゃいたい人からしてみても暮らしやすい社会ではないとおもうんだよね
いまの嫌いな人間はみんな死んでほしいとか、異世界に云って無双したいとか、自由に発言できてその呪詛がどこにも届かず
自公両党は法施行時に、土地取引の「事前届け出」の対象地域から市街地などを除外することでも合意している。
一方、立憲の安住淳国対委員長は23日、自民党の森山裕国対委員長と国会内で会談し、
「私権に関わるので極めて慎重に扱わないといけない。全く賛成できない」と伝えた」
共産党はともかく立憲民主党は水源地を外国人が購入して独占されても文句言わないって事よね?w
自衛隊基地の側に中国共産党や朝鮮労働党が土地所有して常時監視しても容認するのか~wwww
それについて
今の自民党には、理由は何であれ国民の権利をさらに侵害できる可能性のある法律を与えてはならない
シンプルに、殺される
って言ってる自称リベラル(w) が反応してるけど、私権の勘違いも甚だしくて、政党支持率がなぜ低いのか
を露見してておもしろいw
大きな窓から差し込む日光で目が覚めた。曇っていても海はどこか明るさを帯びている。
振袖姿の卒業生達を見送りながら朝食をとり、自転車で散歩する。海が見えるだけでどこか心も穏やかになる。ここで法人営業したいだなんて軽口をたたいたのはきっと無意味な時間さえも自然と共にさえあれば甘美なものになるのではないかと思ったからだ。
友人から近況報告とも自慢とも取れるLINEを受け取りながらピラフを食べ、海沿いからは少し離れた道を進む。遠くに住む親戚の子どもみたいに、ちょっと離れただけで街は急に顔つきを変える。アップダウンに太ももがヒーヒー言っているが、新たな表情に魅せられるままにペダルを漕ぐ。初見が印象深い街に家を買えば、後悔の度合いは少ないんじゃないか、なんてことを思った。
夕方家の近くまで帰ってきたら雨が降り始めていた。日当たりのやや悪い築50年近くの賃貸マンションの一室で、自然豊かな土地のマンション購入を思い立ったのはそんな日だった。
私はこの県を愛してますアピールをする訳だけど本当に愛してるんだったら知事になろうとは思わないでしょうに
今の県を嫌って立候補してるんだからここが嫌いですアピールをするべきじゃないだろうか
立憲民主党の安住淳国対委員長は23日、自民党の森山裕国対委員長と国会内で会談し、安全保障上重要な土地の売買取得などを規制する「重要土地等調査法案」に反対の方針を伝えた。
作品は見たことないんだけど塾の帰りに何度も通ったあそこが聖地なんて笑えるからそれだけのために見ようかな
最初はこんな田舎で死んでいくのなんて嫌すぎると思って地元を出て、気が付けば10年近いし
一生帰らないつもりで墓じまいもしたし、両親亡き後の実家と土地どうするかな~なんて
時々考えるくらい今も帰るつもりはないんだけど
いろんな人が話題にしてくれてとてもうれしい
薄らぼんやりとしていますね。そもそもあなたの定義が正しいと仮定すると、アイヌへのそれは村八分という形を超えています。
あなたのいう村八分はあくまでもイジメの枠でしかなく、村や集落等の狭い集団の中で発生する制裁です。とするとアイヌが本州の人々から受けたのはそれとはあまりに規模が違いますね。村八分で戦争が起こりますか?後世にまで語り継がれるほどの人権問題となりますか?
単に村の中で起こるような小規模なイジメとはわけが違います。それに村八分ということはアイヌの中での話になります。それは本州から来た人とアイヌの人の間には発生し得ないのです。まさか日本という土地の中で村八分があったとか、そういう詭弁を言いますか?
黒人差別と差別が同じというのも、先程の主張と食い違いますね。差別は他にもあるはずです。あなたが先程からしている、日本人への差別用語。これも立派な差別ですが、まさかそれは問題ないのですか?
当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事は会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤玉そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。
ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったからである。木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮ゆうそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般の美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。
内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女と言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事の共通なものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィスに彼女が入社して来たことすらが、誠に不思議なめぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである。
その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セルの仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。
HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……
見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。
私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、
「樋口さん」
と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、
「なあに?」
と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである。彼女は樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女は彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。
「あなた、樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」
すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである。
「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」
「じゃあ、樋口っていうのは?」
「何なんでもないのよ。……」
そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。
私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女が樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語の根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたからである。
この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車の停留所までと、電車にのってから、彼女は巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。
私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女の容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語に重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学を卒業して、そこの研究室である奇妙な実験に従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである。
彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。
それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末のホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルのカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。
「君、怖いの?」
私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。
それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど一時間もの間、黙っていたのである。
「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」
彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。
「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。
「話して下さい。君の身の上話を」
彼女は身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかばは子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである。
私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である。
「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪の川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察の手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」
彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖の名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである。
「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」
彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、
「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地の景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」
「ちょっと、ちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」
そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸の景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである。
「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」
初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。
「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」
私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットにしまいながら云った。
初代は、それから又、彼女が物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
20年ほど前に実家を取り壊し、そこにマンションを作りました。当時から欠陥が多くて雨漏りに散々悩まされてきたけどこの間の修繕工事でほぼ問題なくなったようです。
そろそろ親が家業を引退する時期でもあり、マンションとそれに隣接している親の家をどうするか考えてます。
父親は相続してもらいたいらしいけど、そのためにはおそらく法人化するのがてっとり早い。ただし兄妹ともに公務員なためどこまでうまくいくかは不透明。まあ自分の職場は実家が農家という人がかなりいるため、そのあたりは見逃してくれる可能性が非常に高いけど。最悪、配偶者に取締役になってもらおうかなって思ってます。
先祖代々の土地を守りたい、というよりは帰る場所が欲しいイメージですね。兄妹も実家から離れ気味ですし、自分は実家を出たかったからわざわざ田舎の方に引っ越したわけで。でも今住んでいる場所に比べれば実家のある街は間違いなく都会。東京まで小一時間だし。結構便利な場所だから、年取ったら実家の方に引っ越ししてもいいかなって思ってる。土地も建物も売ったらハガレンのエドのようになってしまう。
マンションは立地的には相当いいところだし借金も住宅ローン以外にないし、下手な不動産投資よりリスクがないんですよね。近隣の開発は盛んで、もうすぐ駅も改装するので便利になるはず。相続税をぽんと支払えてフリーな立場の人だったらどうするんでしょう。
来年家がぶち立つことになりますが、時間かけて比較検討したし妥協点は最小限にしたので納得はしてるんですが、さすがにでかい買い物なので今になっていい面しか見てないんじゃないかと割と不安になってきました。
でも楽しみのほうが大きいです。
今私が住んでいる所の話じゃなくて、私の実家のある市の話だ。
ちょうど、アラフォーの私の世代で、突然子供の数が急減し、以降微減を続けて三十年ほどで、こうなった。
まあ、全国的に少子化な訳だし、要因は主に経済的な事情だ。しかしこんなにも減らなくてよくね?って考えたとき、ふと思ったんだが、そもそも辺鄙な田舎に昔は何で小学校が五校以上もあったのか?っていう。
市内の風景を見ると、家自体はあまり減ってない。私が高校生くらいの頃はむしろ盛んに宅地開発が行われていて、世帯数は増えたくらいだ。なのに子供の数は減少の一途をたどり続けた。何校もの小学校が必要だった理由は世帯数の減少ではないんだ。
じゃあ多くの小学校が必要だった本当の理由って?って更に考えた結果、単に一世帯の子供の数が昔はクソ多かったからだと気づいた。
私の父なんぞ十二人兄弟だった。母だって六人兄弟だ。一世帯だけで、現在の5~10世帯ぶんの子供がいた。
その沢山の子供達の中で、生まれた場所に残れたのは基本的に家を継いだたった一人だけだ。近場で結婚できた女性も残れたかもしれない。あとは全員家を出ていった。多くは地元に職がないので遠くに行った。親が土地をくれて家を実家の近所に建てられた人もいるかもしれない。だがそれはごく一部だ。
沢山の兄弟を持っていた人達で、自分も沢山の子供を儲けたという人はあまりいない。二人か三人兄弟が多い。当然、一世帯につき小学校に通う子供の人数は少なく、通う期間も短い。