はてなキーワード: イコールとは
作品自体を見ずに今回の騒動について観測できた範囲だけでみると
は冷静で客観的な意見のようにみえた。むしろなんでコメント欄で叩かれているのかわからない。
というか、今回の騒動の大元として、監督のツイッターのみが原因で特定の1社だけが叩かれている状況がわからない。監督視点が絶対的に正しいんだろうか。
ちなみに、もし今回の騒動で最も責任があるところを追及するとすれば、スタッフロールに出てくる会社名と企画者の順番が参考になりそう。
以下ページの情報が正しいのであれば、恐らく最大出資=最大の発言権者はテレビ東京であろう。KADOKAWAは監督からも名指しをされ何かと叩かれがちではあるけれども、最終的な決定権は非常に少ないと思われる(仮にこの11社が等分で出資したとしても、1社あたりの議決権は10%に満たない)。
http://heikin.hatenablog.com/entry/17winAnime_P
→(テレビ東京、Age Global Networks、AT-X、エス・ワイ・エス、クランチロールSCアニメファンド、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、ジンミャク、KADOKAWA、ドコモ・アニメストア、ブシロード、クロックワークス)
・企画
廣部琢之:テレビ東京
柴野達夫:ビクターエンタテインメント
池本浩史:ハッスルエンターテインメント (ジンミャク)
梶井斉:KADOKAWA
濱田直樹:ドコモ・アニメストア
長畑克也:ブシロード
武智恒雄:クロックワークス
製作委員会側としては利益を最大化することを考えれば、監督降板(制作会社変更)は避けるべき事態なのは周知の事実のはず。結果として利益につながらないのであれば、他の出資会社が賛同するはずがない(ちなみにDMMの元偉い人のコメントなんかは的外れで、1社の偉い人が無茶をすれば何でもできるように書いているけれども、それってオーナー企業の体制だよね)。
それと公式サイトのコメントはKADOKAWA単体では作成できず、製作委員会各社の承認が必要になると思われる。
そう考えると、公式サイトのコメントの裏側には、製作委員会の各社が飲めなかったような制作会社からのよっぽど無茶なやり取りがあったんだろうな、というのが想像される。
ただ視聴者にとっては好きな「作品を作るを作る人=クリエイター=監督」が偉くて絶対視されるわけで、著作権や制作契約なんてどうでもいいんだろうなあ。出資がなければ作ることなんでできないし、そもそも制作会社には1%の権利もないのにね。
ちなみにコメント欄では「12.1話が~」といったものもみられるが、あれってどういう経緯で製作されたのか全て表に出てきてたっけ? 著作権上OKなこと(結果として追認したのかもしれないし)と、製作委員会で問題なく案件承認されたことは全然イコールではないんだけれども。
というか、そもそも吉崎観音さんが承認したことを正義のように語っている人もいるけれど、吉崎さんだって製作委員会入りをしていない=権利を持っていないようだし(原作者として数%権利はあるのかもしれないけど)、ツイッターのコメントも如何ようにも読めるし(完全に著作権を譲渡して「自由に」制作・発表していいのか、製作委員会に承認されるのであれば「自由に」作ってもよいのか、その辺もあいまい)。
ちなみに他社とのコラボレーションだって、恐らく半年~3か月くらい前には案件が固まっているはず。その辺もコメントを見ると進行スケジュールの全くわかってない感がすごい。各社年間計画があるわけだから、やろうと思ったらすぐ決まるなんてことないでしょ。働いたことないの?
自民党外交の基本路線は 「対米完全追従路線(属国化)」または 「対米依存&自尊路線(ポチ化)」の二択でずっときた。この二択、結局「日米安保」はいずれの場合も前提なんだよね。でも、それが前提である限り日本はいかなる「戦略」も持ち得ないし「自立」はできない。ずっとそれでいくのか、将来的にもう少しマシな状態への移行を考えるのか、選択の余地はその二つしかねーだろっていうのがつまり「自民党」なわけで。
もし、そんなのイヤだ!日本は「自立外交」に踏み出し、正しい意味での「国際協調」を考える必要がある……というなら、日米安保以外の安全保障体制を独自に構築しなちゃならない。そしてその場合、まず憲法の改訂は必須となるし(別なる安全保障体制がイコール日本一国での再軍備を意味するわけではないが、日米安保を否定した上で米軍プレゼンスの代替を考えるのに、自衛隊の状態を現状かそれ以下にすることは不可能だろうしその位置づけも変えざるを得ない)、これまで積み上げてきたのとは全く違う「外交」、「経済」の世界を作り上げて行かなくてはならなくなる。経済の面でも、アメリカ頼りの状況から離脱しなくてはならない。
そしてそれは、米中に二極化する世界に強烈な第三極を誕生させ、世界大戦にもつながりかねない流動的な局面を作り出すことにもなるだろう。日本がもっと小国であったうちならば、そこまで大きな問題にはならなかっただろうが、この不自然な政体のまま現在のように経済その他のパワーだけが巨大になってしまったため、どうしようもなくなっている。
現在の世界で、日本が本気でアメリカから「独立」したら……これはちょっとしたホラーだよ。GDP世界三位の国が、極東で、アメリカ・中国のコントロールを離れて、ロシア・北朝鮮・韓国その他東アジアの国々と新しい「関係」を結ぼうとする。イランや北朝鮮どころではない、世界にとってのマジな「脅威」だ。
鳩は、一応壮大な見通しをもってコレやろうとしたんだと思うが、(もしそれができれば、もちろんそれは「米軍基地」を「沖縄」から放り出すことにつながる)結論から言うとそれはもう現実的には全然無理なチャレンジだったわけだ。影響力を利用しようとした中国には警戒され、アメリカからの横やりはもちろん、そもそもその見通しを共有できない官僚も全力でその足引っ張るしかない。下手したら世界を破滅させかねないわけだから。ただ、鳩の頭の中ではこれを「平和的に実現することは可能なんじゃないか」という見通しもあったと思うわけだ。相当ぶっ飛んではいても、アイデアや方向性自体は間違いなく「自民党の二択」に対するオルタナティブなわけで、これを揶揄したり100%否定するのが本当に日本のためにいいことなのか俺はちょっと疑ってる。
少なくとも、鳩が100年後の教科書にどう書かれるかは、まだ未知数だと思う。
院1。夏。もうすぐ学会だ。
学会で忙しいだろうからっていって、1日インターン2つ申し込んだだけにした。
さてとインターン見なきゃな、とどの長期インターンはもう終了している。やべー。
ふとインターンサイトのプロフィール、いわゆるアピールボードを開く。
この二つはもう埋まっている。わりと迷わず埋められたと思う。
……。
空欄。
理由は単純で、一人の方が楽やんとか人と話すネタ浮かばんからどう話しかけりゃいいかわからん!とかいうてたらあっという間にハブ山ハブ男。
サークルどころか学科でもそうだった。研究室はちょっとだけ話したかも。4人の研究室。なお1人は失踪。1人は就活。
もう1人は、俺が研究やってるのを見てか、こいつについときゃ卒業できるやろwと思われたのか。共同研究すること。あれ共同って言わないよ。
あーじゃあ趣味を代わりに書き込もう。サークルの代わりになるかな。
自分は一人でチャリでふらっと数日旅行するのが好きだし、それを書いてもいいかな。。。
んでもこの項目で企業が知りたいのは、多分協調性かリーダーシップを見たいんやな。
ということは、、、
ここに一人でチャリがどうのこうの書いたってなんの意味もないじゃないか。
いや、協調性ってなんだろう。
どうもグループで何かを成し遂げるために必要な能力のすべて、らしい。
だとすれば。
22の人間が人生を思い返すだって笑われるのかも。でも気づいてしまった。
この段階ですでに必要とされていた『協調性』なぞ、俺にはない。
中学時代まで空気を読むの意味が、感覚としてもわからないポンコツっ子でした
まあだからいろいろされる人でした でもそういうことした人に今はうらみなんかありません
というか書きたいそこは本題じゃないですね
高校時代になって初めて、なんとか空気を読むことの理解をしました
そのときに自分を妥協することでこんなにも認められるんだ!とか思っていました
それが認められたことのイコールにもならないのに
協調 … 力を合わせてことをなすこと 利害の対立するものが、力を合わせてことにあたること
妥協 … 対立していた者の一方が他方に、あるいは双方が譲ることで意見をまとめること
http://www4.plala.or.jp/k-k/meisai019.html
らしいです。協調性は妥協じゃない。当たり前の話なのにあまり考えてもみなかった。
ああーーーーでも気づいてたんでしょう。なあ大1の俺。なあなあなあ。
心のどっかで絶対に妥協は逃げで、妥協すれば協調できる、仲間の一員として認められるってもんじゃないことを知っていたはずだよ。
だけどすぐに「しょーじき人生一人の方が楽やろw」とか思っちゃってさ
きっとそういう気持ちが大学生の俺自身をハブ山ハブ男にしたわけです。
俺はいま協調性を身につけたい。というかそれで成功体験が欲しい。
こんな悪くもないのに謝罪しまくって妥協し、協調できた気になってる自分を変えたい。
「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」
「いまさらボランティア!?あんたインターン長期いってないのに!?」
特に「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」っていうのが脳内で聞こえる。
「いまさらボランティア!?あんたインターン長期いってないのに!?」
これも聞こえるけど、まあまあまあ……
正直一番下なんてのはどうだっていい。
「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」これがヤバい。
就活のため→自分を変えたい→協調性養って成功体験ゲットして自信付けよう、なんだよね。
不純すぎる。
キモい。
もうだめなのかもしれない。なんだか行動する気力をそがれていく。
今日も何も何も決められないまま、俺はリクナビのアピールボードのページを閉じる。
ボランティアのページを閉じる。
声にならない叫びを叫びたくて、1年ぶりにここに来た。もしかしたらだれか共感してくれるんじゃないかとか思ってしまう。
書き殴った理由はうっぷんを晴らしたくて、だけども。。。
どうしたらいいのだろうか、明日は休みを取れたので、とりあえず、寝て起きてゆっくり考えよう。
叩かれてるかもしれんなそれはそれで落ち込むけどもまあまあまあ……
1ヶ月経ってしまったけれど、読みました。ありがとうございます。
今日体外受精のための採卵をしてきました。手術室に入り静脈麻酔(軽めの全身麻酔のような感じです)をしました。途中麻酔が切れ、激痛に襲われました。痛い痛いと叫びなんとか採卵は終わりました。
不妊治療を始めた時、体外受精までするつもりはなかったんです。そもそも体外受精まで行くとも思っていませんでしたが、怖さで無理だろうなと思っていました。
でもタイミング法も人工授精も全く手応えがなく、後悔するのが嫌で体外受精に進みました。
最近、人と比べてしまう自分自身に嫌気がさし、自分ばかり見つめるようにすべくライフログを取るようになりました。機械的に時刻としたことをずっとメモしていくだけなのですが、これをしていたら考えすぎたり悩みすぎることが減りました。淡々と時間を過ごしていくだけの生活になりました。味気ないですが、精神衛生上、今は楽な気持ちです。
不妊治療は人を壊します。人のおめでたい話を聞けば、最悪の事態を呪うようにして願うようになりました。妊娠のためにいいものの情報を聞けば振り回されます。ストレスを溜めないようにしましょうなんて記事を見た時には「妊娠したらストレスなんてなくなるわよ!」と叫びたくなります。電車に乗れば見知らぬ子や妊婦を呪ってしまうような黒い心に侵され、それにふと気付いた時に酷く傷つきます。
「不妊治療は軽い気持ちで臨みましょう」「絶対に子どもが授かるとは限りません、そう心に留めておきましょう」なんて書いてあったって、不妊治療と向き合っているイコール子どもが欲しいと強く願っているわけで、軽い気持ちで思えるわけないでしょ、なんて思ったり。
取り留めのない文章になってしまいました。ごめんなさい。誰かに知ってほしいんです、きっと。不妊治療って大変です。お金も心も。ちなみに採卵だけで30万くらい今日は支払ってきました。移植にまたお金が必要です。
私は不妊なんて関係ないやって思っていました。不妊治療の話を聞いてもふーんと思って聞き流していました。当事者になるとこんなに大変なんだと思うようになりました。抱えてる病気については友人にサラッと言えるのに、不妊治療だけはどうしても言えません。どうしても言えないのです。苦しいです。でも誰かに伝えたって改善されるわけでもないですし、一人で抱えていればいいのかもしれません。
出口の見えない暗い迷路でずっとずっと彷徨っている気分です。不妊治療に負けない心が欲しいです。
オタク界隈から「絵師」なる言葉が聞こえてくる。絵師とは一体なんだろう。報酬を受け取るいわゆるプロフェッショナルであろうか?それとも趣味つまり個人の楽しみであろうか?またはコミケや自費出版などで活動するプロとは言えずかつ趣味というには範疇ではプライドが許せない人だろうか。凄くいい絵がリツイートされてきてプロフを見に行くとプロフェッショナルとして活動している人は「イラストレーター」の肩書がある。一方いかにもなオタク絵のプロフを見に行くという肩書は「絵師」。はぁ、やっぱりね。で、絵師って何なんだよとオタクに問いたい。因みに私のなかでは絵師イコールオタクという偏見が成り立っている。
近親相姦の法規制の是非について、いろいろ議論が拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。
<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正。
2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>
前提の確認として、2017年現在の日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。
ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪(強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)
18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例)
また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)
たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見が大勢を占めると思われる。
しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイは不快だから反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件で法規制を成しうるため、不快感を法律の根拠にするのは避けるべきだろう。
規制の根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待の可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。
そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近、大学教授が学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。
年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的な関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。
かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交・婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。
「生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスターマーク効果)
では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?
成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。
現在の日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。
日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。
ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在も同性婚は認められていない。
しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。
アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。
保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー:一夫多妻・多夫多妻制)、児童性愛(ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。
http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil
つまり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手が児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。
次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。
一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。
きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。
しかし最近のLGBTを擁護する世論を考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。
そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。
「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子を顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。
ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。
もちろんハプスブルク家やロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子が顕在することもありえる。
しかし、サラブレッド育成や家畜の品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。
では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?
「優生学」とは、表層的には「優れた人間を人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間を遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。
同様に、遺伝子の多様性を守るべきという立場は、(遺伝的多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?
「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である。
「日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。
では、この考えを拡張した「人類の繁栄と遺伝子多様性のために、近親相姦で子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見は優生学として批判されないのだろうか?
なぜ、見ず知らずの他人と社会のために、子どもの遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦やLGBTカップルにも襲い掛かる。
要旨としては、「一個体単体での多様性は存在しない。遺伝子の多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。
まさに、そのとおりである。
元増田のコメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子の多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。
似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれる子どもは、その遺伝子に一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。
これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝的多様性」と表現した。
だが、「社会全体の遺伝的多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。
「社会全体の遺伝子多様性を考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれた障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親から生まれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである。
どんな組み合わせの子どもも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。
酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。
「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活に不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。
カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。
生物のミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。
もしかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。
ミクロのレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。
(※再追記ここまで)
互いに愛し合う両性は、人類の遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。
多様性を善とするならば、近親交配で生まれた子どもも多様性の一種として認められないのか?
「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能や自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別と罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見そのものである。歴史は繰り返す。
「富裕層が節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正で対応すべきであって、税制の設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。
近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物の遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。
まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子を編集し、発現する特質をコントロールする時代がいずれ訪れる。
「多様性が善」ならば、各人が好き勝手に自分の遺伝子を編集することは許容されるのか?
自分の子を希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。
果たしてデザイナーベビーは子どもに対する人権侵害なのか。アメリカの宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子と卵子の状態から「設計」し始めたらどうなるのだろう?
予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?
また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?
「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?
「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族の繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。
つまり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交は大事な贈答物が『キズモノ』になる」から、近親相姦を禁じる論理だ。
婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。
何のために婚姻をしていたのか?
「家督」を守り繋げるため?
子どもを育てるため?
婚姻制度が形骸化し、婚外子が一般化しているフランスや北欧では、事実上の多夫多妻制度に移りつつある。
皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体的不自由が続くため、自由恋愛&事実婚の社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダルが最近もあったね。)
一人の恋愛強者男性が精子をバラまき、多くの女性に子どもを産ませる。恋愛弱者の遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)
つまり、一夫多妻制の基では、社会の遺伝子プールは多様性を減らす方向に働く。
これは、社会の遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?
※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまり、フィクションのお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/
この理論が根本にあるんだとするなら、そもそも障害児を育てることがおかしいみたいになりません?
もっというと年齢を重ねるごとに障害児の生まれる確率は高くなるんだから近親相姦によって障害児が生まれる確率を超えた年齢層の人は結婚しちゃダメじゃないですか。近親相姦がアウトなら。
だから近親相姦がアウトって理由に劣性遺伝がどうのこうのを持ってくるのはおかしいかなと思うわけですよ。
それ以外に近親相姦がだめな理由って私のメタ認知能力が弱いというのもあるかもしれないですけど、多分世間の目じゃないでしょうか。
世間の目っていうのは今まで気づかれてきた常識的価値観によって作られたもので、近親相姦によるデメリットが許容されている現代においても惰性で継続しているしか過ぎない気がするわけです。
私は見たことないですけどネットの話を聞くにLGBTの人たちと同じように表に出てこないだけで近親相姦に相当する恋愛をしている人っているんだと思います。
もし近親相姦をダメだと言うなら最初に言ったとおり障害児を産む確率は年齢によって変わるわけで、そこも同じ基準点として判断されなきゃ合理性に欠けるのではないでしょうか。
まあ私は別に近親相姦に憧れとか興味があるわけじゃないんですしむしろ兄妹は嫌いよりなんですが、なんとなくおかしいなと思ったので書いた次第です。
※追記
少し調べてみたんですが、高齢出産による障害発生のメカニズムと近親相姦による障害発生のメカニズムは違うので一緒にするな的な感じらしいですね。
もっというと発生する障害自体も変わってくる的な‥よくわかりませんけど。
だとしても障害って広い括りで見た時この2つに大差はないと思っているので、結論は変わりません。
※追記2
私が言いたいのは近親相姦が種として見た時弱い交配だから禁止ってのはもう通らない時代じゃないかってことです。
遺伝学とか全く知りませんがおそらく近親相姦は交配としては弱いんだと思います。
ただそんなこと言い出したらLGBTとか高齢結婚とかも弱いじゃないですか。
自由恋愛とか科学が進んできている現代で近親相姦だけ弱いから仲間はずれなのはおかしいと感じたって話です。
※追記3
追記しすぎですが、ブクマしてくれた方々に感謝を伝えたいのでかきます。本当に有難うございます。
様々な意見が見れ、おかげさまで多種多様な人間性を垣間見ることができました。
私の言いたい部分が伝わってないなとか、この人めっちゃ理解してくれてるなとか、やはり人間は色んな方がいるなと。
印象ですが社会全体の秩序(文化)または不快感を重視するので近親相姦を認めてはいけないって人と、双方同意の上なら誰かに迷惑かけるわけでもなし自由じゃないかって人で分かれてるなと感じました。
ちなみに遺伝関連からのアプローチは言いたいこと伝わってないなって感じがして私の文章力不足を感じますね。私が言いたいのは近親婚を遺伝の危険性(障害児の出産)をもって禁止するなら、同じく危険性のある出産は禁止されるべきですし、もっと言うなら障害児の出産は事前に判明したなら堕ろさなければいけなくなるのでおかしいってことです。だって近親婚がだめな理由が遺伝の危険性(障害児の出産)ならここイコールで結びついちゃいますから。
それから何世代も後に弊害が出るというのも近親相姦が連続した場合の話ですよね?近親相姦が許された社会になった瞬間家族内での交配しか起きなくなるとは思えないんで弊害は多少は出るでしょうけど、それは他の危険性を持った交配と比較した時大差ないと思うので問題にならないかと。
後は意図的かそうでないかからのアプローチは高齢であるならば出産しないという選択肢が存在するわけで、問題にならないと思います。どちらも危険性を考慮して自制することが可能な上で妊娠・出産を選ぶことになりますので。…炎上しそう。
元増田は入れ墨の問題を好き嫌いの話とみなしてるようだが、一部で言われているように
入れ墨は暴力団のシンボルマークである。これは揺るぎない事実で、だからスパ銭やプールで
入れ墨の人の入場を断る事にしている。
これはナチスの鉤十字の問題と通底している。ナチスは既に72年前に撃滅されたが、今でも
鉤十字をモチーフにしたりナチス式敬礼をしたりすれば批判の的になるのを知ってるよな?
しかも暴力団の問題はナチスとは違い、地域によっては未だに現在進行系なんだよ。
元増田は入れ墨に対する偏愛が深過ぎるゆえ、入れ墨の負の歴史をあまりにも軽く考えすぎている。
これまで非常に多くの善良な市民が暴力団排除のために血と涙と汗を流してきたのか、少しは
想像してみろと言いたい。
元増田は決して認めないだろうが、多くの日本人にとって、入れ墨をしている人間イコール暴力団だ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sonodahisashi/20151013-00050405/
μ'sは良かった、という人が苦手だ。
僕はμ'sがどうしても好きになれなくてラブライブそのものが好きになれなかったからだ。
理由はあげればそれなりにあるけれど、自分が好きでなかったものに労力を使うのは無駄だ。
そんな僕をラブライブコンテンツに触れさせてくれたのがサンシャインだった。
一番最初に感じたのはキャラの声が好きだ、ということだった覚えがある。
たまたま配信で観た1話で、いきなり歌いだしたり髪の毛の色がカラフルな彼女たちに面食らったけど。
なにより、「あの」ラブライブか……とちょっと引いていたのに。
CDを買うようになり、BDを予約して、雑誌を買って、ゲームも始めた。スマホゲーはねこあつめ以外したことなかった。
彼女たちのうたが、声がしみる。そんな風にいつの間にか思っていた。
一番びっくりしたのは声優とファンの距離感が今までの認識とは全然違っていたこと。
声優っていうよりほんとにアイドルみたいだった。いまだにμ'sからのファンとは認識が合わない気がする。
ここで冒頭に戻る。
それは振り返っているからそう見えるだけだろ?
そもそもキャラと声優を同一でみる、2.5次元っていう発想が納得できない。
彼女たちが演じているキャラがいて、キャラがいて演じている彼女たちがいる。
そこをイコールしないと楽しめないなら、ライブなんて行くなよ。
アニメを観に行ってるわけじゃないんだろ?分かってるからこそ声優の調子が悪いとかダンスがうまくなったとか、
そういうことに感動するんだろ?
頑張って欲しいって声を出してブレード振るんじゃないのか?
μ'sを捨てろとは思わないし、いつまでも大切に想うコンテンツは僕にもある。
それが消えてしまったコンテンツでも、もう続きが見込めないコンテンツでも。
ただいつまでも元カノに執着するみたいに、今カノに前カノを投影するみたいに、
当てはめるのはやめにしないか?(もちろん声優が恋人だなんていうつもりはない。ただのたとえ話だ)
Aqoursが何かやり遂げるたびに、前カノの話をするきみらをみるのは嫌なんだ。
友達にも親戚にも親にも近所の人にも、「子供は?(まだ?)」とよく聞かれる。家族と、特に仲の良い友達以外は会うたびに聞いてくる。正直うんざりだ。毎回聞いてくる友達とは疎遠になった。今年に入って姉が出産してから、さらに言われる回数が増えた。聞かれるたびにつらくなる。
どうしてこうも、「子供がいないと夫婦として、家族として認めない」風潮が強いのだろう。日本人の90%以上は、結婚イコール子供という方程式の中に住んでいるのではないか。
私たち夫婦は、子供は欲しいけれど、子供を産み育てることで背負うリスクを考えると、そこまで…という考え方であることと、流れに身を任せているだけでは子供ができない体質(検査はしていないので不妊という言葉は使わない)であるという理由で今のところ夫婦2人で楽しくやっている。
子供がいなくても、2人とも趣味があるからそれなりに忙しいし、2人でいるのが楽しいし、今とても幸せだ。もし子供がいたとすれば、幸せなんだろうけど、お金のことや不妊治療をしてストレスを溜め込むことで今の幸せが崩れてしまうのが怖い。そう思って子供を産まないことは、臆病なんだろうか?自分たちが一番大切、ではダメなんだろうか?
「子供は早く産んだ方がいいよ」「産めるうちに産んでおいた方がいいよ」「子供かわいいよ」「(今作らないと)欲しいと思った時にできなくなっちゃうよ」
そんなことは重々承知している。でも今そこまで欲しいと思っていないのに産まなきゃならないなんて、なんか違う。周りにとやかく言われる問題ではない。そうやっていってくる人の半分は子供を産んだことのある人間だから、余計に厄介。でも、妊娠のために我慢しなくてはならないのは私だし、産むのも育てるのも私なのだ。そんなに赤ちゃんが欲しいなら自分で産んでくれ。私に期待しないで欲しい。私は今の自分が一番幸せだと思う生き方をしていたい。
そもそも結婚とは何なのだろう。何のための結婚なのだろう。こんな風に周りに言われて、その度に気にして、傷ついて、だったら別に婚姻関係など、いらないとさえ思う。結婚して、子供ができて、親になることこそ、結婚の醍醐味なのか?それが結婚の意味なのか?紙切れ一枚の誓約で、こんなに苦しめられるなんて思っていなかった。子供がいないことが悪いことのような気がして、子連れを見ると萎縮してしまうし、私は女性としての大切な何かが欠落しているのではないかとも思うようになった。子供がいないことが後ろめたい。子供のいない夫婦で、ゴメンナサイ。
産む人、産まない人、産めない人、産んだ人。それぞれにそれぞれの言い分があって、考え方があって、感じ方があって、きっと分かり合えることはない。子供のいない人は、子供のいる人に対してとやかく言わないほうがいいし、子供のいる人は、子供のいない人に対してとやかく言わないほうがいい。
私の場合は子供だが、これが未婚の人の場合は結婚になるんだろう。「結婚はまだ?」「いい人いないの?」「そろそろ結婚しないと、子供産めなくなるよ」「仕事ばっかりしてないで」、、、
デリカシーのない人が多いな。人の心配ばかりするおせっかいが多いな。
結婚してわかったことは、そんなことだった。
もっとのびのび、生きたい。