はてなキーワード: (Ryとは
http://yunojix.hatenablog.com/entry/2015/10/13/110218
300時間はさすがにいやだが120時間くらいまでならねっていう。辛さは性格とお給金とその後によると思うわたくしなのでございます。
残業代は全部出たので別に困らんかったが、修羅場中は特に使う場所もない。そもそもホテル取ったりタクったりがふえて立替がかさむので実感としてはたいして楽になった気はしない。
もともと残念なのでそれ以上悪くならないというかどこに労力を振り分けるかによる。
仕事に労力を全振りしていたのでむしろ生産性は上がった。が、その他のことが適当すぎて修羅場後は家と家計が修羅場。家計は残業代でバーンと入ってくるのでさして問題にはならないのだが片付けはね…わがままボディとか習慣とかね…
欲望のままに生きることになるのでかなりわがままだしズウズウしくなったと思う。人間性は確実に低下した。
別に特に何もなかった。月経が止まるのはいつものこと過ぎて気にならないし、修羅場中は早起き快便である。アドレナリンが出すぎかもしれない。
最初に80時間超えた時はまだ仕事に慣れてなかったこともあって胃腸炎になったが、その後は100~120時間程度ならさして体調にでなくなった。
むしろ閑散期のうつ状態がひどい。アドレナリン中毒なのかもしれない。
人間性が低下したという意味では自己破壊されてるのかもしれんが
まー超残業しまくるのって躁鬱のジェットコースターのシュミレートみたいなもんなんで、乗り越えられるかどうかは体質によると思う。もともと気分障害があったりするとむしろ好調になったりとか。
あとはちゃんとおちんぎんが出るかどうかも大事なポイント。忙しい時期の後に代休をとれるかどうかとか。上の理解があって終わったあとはねぎらってくれるかどうかとか。そうじゃない会社は速攻やめるべきだし、残業時間数をじまんするのはいくない。
自分は一時期ものすごく残業が多かったがそこでストレス耐性がものすごく高いと思われたのか今は海外の協力会社に出向している。英語できないのに。流石にストレス耐性つよくても語学できなさすぎて最初の2ヶ月は会社行きたくない病になった。そういうストレスには弱いんだよ!
でも今じゃもう慣れちゃって毎日5時間くらいだけはたらいて(三時間位しか働かない日もある)余暇を楽しむ人生だ。おちんぎん少ないのが不満なのと海外出張手当が三ヶ月ごとにしか支給されないのとか祝日の少ない国なうえに有給取れないのがストレスで、100時間超の残業のほうが楽だったなと思っている俺がいる。転職したい。
http://anond.hatelabo.jp/20150827105500
いわゆる「個食」(孤食)を恥とするか否かについて触れられた話題の記事である。
IDは伏せるが、この記事にこんなブックマークコメントにこんなことを書いているユーザーがいた。
このユーザーが使っている「育ちが悪い」という造語というか、新概念?を目にして、ひっくり返るほど驚いてしまった。
「育ち」というのは、文脈から察するに、人間の生育環境や、その結果として形成された人格そのものを指していると思われるのだが。
「悪い」ものがあるということは、「良い」育ちもまた存在するという意味なのだろうか。
代議士の家に生まれた子息は炭鉱夫の家庭のそれとは「育ちが違う」のだろうか。
とにかく、わたしは生まれてから一度も耳にしたことのない言葉、頭の片隅にも置いたことのない概念だったので、とても混乱してしまった。
焼き鳥をひとりで食べるのが「デフォ」(普通、通常というニュアンスのようである)の者は、「育ちが悪い」のだという。
そうなのだろうか。
わたしにはわからない。
手が震えている。
動悸がおさまらない。
お題:
「得意料理は?」
「パスタかな」
「どんなパスタ作るの?」
「プッタネスカとかよく作るかな」
「・・・(は?なにそれ?みたいな顔)」
答え:
「トマト系なんだけど、アンチョビやオリーブの塩味や唐辛子の辛味が効いてて美味しいんだよ、〇〇さんは何系のパスタが好き?」
であとは普通に食べ物の話に移行するとか、そのままデートに誘うとか、家に誘って(ry とかいくらでも。
「は?なにそれ?みたいな顔」されるのは分かりきってるじゃん。ビビらんでいいw プッタネスカとか出すなwってトラバみかけるけど、むしろ、当たり障りのない会話より「え、なにそれ、ついてけない」ってところから快適な会話に行く方が反動でグイっと来るよ。
スポドリのくだり
15年ぐらい前の田舎の話ではあるけれど
↓
何らかの経緯で「スポドリ持ってきてる奴がいるよ」と顧問の耳に入ったと思われる
↓
顧問「おい全員水筒持って並べ!スポドリ持ってきてる奴ら前出ろコラ!お前らジュース代わりに飲んでるんやろ!!!正座や正座ァ!!」(事実確認なし)
↓
↓
顧問「お前らにスポドリなんか必要ない!!今後スポドリは禁止や禁止!!まったく、そんなことも言わなわからんのか!!大体先生らがお前らぐらいの頃はスポドリなんか(ry」
↓
俺「はーい(スポドリ禁止ってことはそれ以外ならよかったんか!ホナ今まで麦茶やったけど明日はアイスティーにしよ!!)」
↓
俺「濁らないように頑張ってアイスティー作るで」
↓
俺「できた!!渾身のアイスティーやで!」
↓
俺「あ、先生!今日は"ちゃんと"アイスティー作ってきました!!朝からがんばっt」
↓
顧問「昨日言うたばっかりやろうがお前はホンマに!」
顧問「一緒じゃ一緒!!!流せ流せ!!!ホラそこの流しに流せ!流すんじゃ!」
俺「そんな勿体ない!スポドリじゃないのに!!」
俺「ええー……」
顧問「ほら!!さっさと流せや!!」
顧問「ナ・ガ・セいうとるんじゃ!!」
俺「えーっと、立っていいんですか?いいんですね?折角上手にできたのに……グスン」
顧問「よーーーし」
↓
俺「……ちなみに僕今日何飲んでたらいいですかね?喉乾いたんですけど……」
顧問「お前!!!反省が足りんな!!!外10周走ってこい!!!!戻ってきたら正座や!!!」
あの時期の学校とは相性最悪だったなー……。
会社でもそれなりの立場につき、最近では自分に対して否定的な意見をくれる人がいなくなっていた。
例えば仕事にかかわらず世の中の話なんかを会社の人間としたところで、その是非を判断できているのかわからないままに「その通りですね」「説得力がある意見ですね」なんて言われたりする。
正直、自分の意見がどれくらい正しいのかを判断する機会が身近では失われていたのだ。
最初の印象はこうだった。誰一人として大したことを書いてない。自分ならもっと的確な切り口で物を語れるはずだ。と。
ところがいざ書き出してみるとどうにも反応を得られなかった。
トラバで適当にマウントを取られたまま流されていくのが関の山だった。
そこで大切なことに気づいたのだ。
人に正論を並べられたところで、さらなる正論でマウントを取るか相手の気持を害さないように無難なコメントをする以外に会話を続ける手段がないのだ。
まさに現実の自分と同じではないか。だから周囲の人間は当たり障りないコメントを残すことしかしなかったのだ。
それに気づいてからは早かった。
4年の男の先輩はクラオタではあるものの、子供の頃ピアノをやっていた程度で、それまで弦楽器も管楽器も触ってこなかったので、楽器選びで色々触った結果、ファゴットに落ち着いた。
3年の女の先輩は中高とバリサクを吹き、大学で念願のファゴットを手にした。
そして、全員ファゴットがめちゃめちゃ上手かった。
幼少からヴァイオリンをやっていたけどちっとも上手くなかった俺にとって、このエピソードは衝撃的であり、多分一生忘れない。
簡単な楽器なんて一つとしてないはずなのに凄いというか、なんて器用なんだと。
結局俺は今でもヴァイオリンしか弾けず、数年前からレッスンを再開し、今度こそ本当に上手くなろう(最低でも音大入れるレベルを目指す)と、かなり本気で取り組んでいるけど、仮にそのエネルギーを他の楽器に向けたとして、大学時代の彼らのようにメキメキ上達するなんて思えない。
例えばギターとか、初心者の壁と言われるセーハ以前に、簡単なコード演奏のレベルで挫折しそうだし。
一応、ヴァイオリン以外の楽器ではオーボエかベースギターはやってみたいと常々思っているけど、上述の躊躇に加えて、大人から始めても合奏の需要がなさそう=発表の場がなさそうということで保留状態だったり。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
車もない木造建築の時代じゃないんだから、騒音を規制してほしい。まるで発展途上国並みの意識の低さ。
地下鉄の「かけこまないでくださーーーーーーーーーーい!!!」とか、深夜の救急車「はい右曲がります救急車通ります右曲がります救急車通りま(ryピーポーピーポーウーーーー!!!」、オツムのよわいDQNの一人神輿みたいに音ならしてる車、耳が遠い年寄りでも乗ってんのかっていうぐらいうるさいバイク。
「○○に一票をよろしくお願いします!!」選挙カー。耳が腐りそうなJpopのわきでコロッケの販促歌などたれ流しのスーパー。
...
ここまでは田舎なら大概ある。
ただ、長野市住みなんだろうけど、長野市、って言っても他の県庁所在地に比べたら僻地側がホントに僻地で
元村みたいなところが多いのでそういうとこに住んでんでしょ?
・移住者、善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。
善光寺は長野のものだし。オリンピックも長野でやったものだし。
逆に他の都市が何をしてるのか、と。
お前ほどじゃないだろ。
???
土地の性格上、「長野市を中心にして集まる」と言う県ではないので。
上の理由も。
ってか、スケールメリットをどうしたら発揮できるのか、他でどう発揮してるのか、1つでもいいから挙げてみてくれない?
ちなみに、県のトップ高である長野高校のセンター試験の平均値が奈良県全体の平均値より低かった事があったとか。
・北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。
・めしやがまずい。
・仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。
だ(ry
どうやらもうすぐ1年たつらしい。
が、宣伝活動が目に余るのでhttp://anond.hatelabo.jp/20141204085433に引き続き、こき下ろす。
「ブラウザ」を検索しただけで広告が出るありさまだが、何よりも問題なのは、広告が嘘を言っていることである。
まず、「軽い」とは言えない。他のブラウザと比べて特別軽くはない。Chromium派生ブラウザはメモリが十分にある環境においては速いが、メモリ消費量が非常に多いので軽いとは限らない。
「純国産」は間違いなく嘘。ソースコードの大半はChromium(by Google)だというのに、純国産だと名乗っているのはChromiumを冒涜する行為である。もしGoogle本社が日本なら間違っていないんだけど。国産と"純"国産では意味が全然違うので。
速いのも安全なのも大半はChromiumのおかげなことを忘れているのではないか。
というか、Chromiumを勝手に改変しているだけなのに、何を根拠に「安全」と言っているのだろうか。Chromeはセキュリティ修正を目的としたバージョンアップが何度かあるのだが、それについていくとは限らないというのに。
マルウェア広告ほどではないが、嘘広告でうざい。一応マルウェアじゃないのが不幸中の幸いみたいなものだ。
ソフトウェアを紹介しているとあるニュースサイトに何度か掲載してもらってるようだ。
多額な広告料を出しているせいかは知らないが、2014年のM大賞にて銅賞を受賞。(これなら、似たようなスタンス+αのVivaldiも銅賞以上はもらえそうだな)
ときおりMトークという記事を独占してもらったりするのだが、これも多額の広告料を出しているのだろうか。
とうとう、他のソフトと一緒にバンドルされるようになったみたい。
インストールは任意になっているようなので、別に問題ではない。これも宣伝活動の一環だろう。
以前、「Google Chrome と同等の機能を実現」とか謳ってることをこき下ろしたが、まだこの文言が修正されていない。
H.264、MP3、AACコーデックやDRM機能(Widevine)などが入って初めてGoogle Chrome と同等と言えるのに、できていない。嘘をずっとつき続けている。
以上を要約すると、「ただのChromium派生ブラウザのくせにでしゃばりやがって」かな。
一応名誉のために言っておくが、(ユーザーによる提案によって)他のChromium派生機能にはない独自の機能を標準搭載していることは評価する。
だが、その宣伝手法と自発的でない開発態度がまったく気に食わない。
ネタできたらまたこき下ろしてやる。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-7470.html
空襲への消火を拒否して、危険な都会から疎開したら、配給を滞らせるのは、正当な行為。
空襲への消火に、防空法によって避難を禁じられ参加させられ、死傷した市民は、国の指揮下に有った訳ではないので、補償や年金の対象にはならない。
創氏改名しなかったらインフラを使い辛くするのは、別段、創氏改名への「強制」ではない。
慰安婦は、勿論「強制連行」ではないから、無問題。史料で確認済みの人身売買も誘拐も、無問題(スマラン事件や中国での強制連行事案は、見えない)。
安倍晋三は、スターレッジャー紙への広告には参加するが、「歴史修正主義者」ではない。
「粛々と」は、言わない。でも言う。
非協力的な地方公共団体への助成金を削るのも、何もおかしくない。
自衛隊は、「戦力」じゃないから「違憲」じゃない。でも、「軍隊」。でも、「暴力装置」じゃない。
国旗国歌は、「強制」するものではない。だが、上の指示に従わない教師は排除していい。
被害届は、適宜無視して構わない。警察の内規や警察官職務執行法に罰則は無い。
アメリカやイスラエルやそれらの同盟国による民間人殺傷行為は、「国際法違反」ではなく、「非人道行為」でもない。
アルカイダやダーイシュは「テロリスト」だが、フェニックス作戦は無問題。
ブラック企業は、規制緩和により「ブラック企業」の定義より除外。
原発は、本来は莫大な保険料を要する無限責任保険が必要であり、現実には掛かっていないが、そして、廃棄物の処理の目処も立っていないが、経済的で合理的な発電方法である。
消費税を上げても景気に悪影響は無い。
「徴兵」など、有り得ない。
中国の生産現場に2回出張した。1回目はタンブラーを買っていったが評価は普通だった。
2回目に行くとき、何が喜ばれるか実験の意味も兼ねて、100円均一で色んなものを5,000円分ほど買いお土産として持って行ってみた。
以下、評判が良かったものと所感。
首かけタイプや、タッチペン付きのストラップ、クリーナー、イヤホン。
他にはiPhone専用だがUSB充電ケーブル、保護フィルムなど。
これらは、スタッフで取り合いになるほど評判が良かった。近年中国の発展に伴いスマホが大ブームだが、
これらのような周辺機器はそんなに充実していないらしく、使い勝手が評価されたようだ。
2位 工具
多機能ドライバー、ラバーコーティングの軍手、ペンチ、ノギス等
これらは私の環境が、生産現場である事もあるだろうが、同じく人気があった。
ともかく中華製品に比べ品質が良い。これは私自身が強く感じている事だが、中国製のものは最悪だ。
日本製も現地で売っている事は売っているが、クソ高くてあんまり使われる事は無いようだ。
3位 ステーショナリー
これも2位と理由は同じである。現地のそれとは品質の差が雲泥である。
だが日本ブランドはともかく、100均でも多くの物はmade in chinaであり、逆輸入という事になる。
なぜ本土に流出していないかという謎はダイソーが大企業たる理由であろう。
4位(圏外)
・清掃用品(固形洗浄剤やブラシ等)…自ら清掃、そんな習慣は中国には無い。
・整理用品(ペン建てや名刺入れ等)…自ら整理、そんな習(ry
・ステッカー(子供用からギャグ系等)…たくさん余って放置されていたので私が回収した。
・消臭剤(置くタイプ)…クサヤ豆腐の前では全ての臭いは無と化す。
・ペンライト(Made in China) …そもそも点かなかった。ふざけんな。
タイトルを記事内容に合ったものに変更しました。内容は変えていません。
http://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/535980176283566080
「円安が好きな人ってほんとーにわからない。自分の国を安く売って何が嬉しいのかな。」
http://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/534181673152565248
「消費税が逆進的だ(所得の低い人に厳しい)という人は多いけど、円安もかなり逆進的だよね。円安で利益がでるのはトヨタなど大企業ばっかり。
その一方、格安な輸入食材&商品が軒並み、円安で値上がりして、低所得者層は出費が増える。」
この2つのツイートへの返答をマクラにしつつ、アベノミクス(このダサいネーミングはなんとかならないのか)の良い点と悪い点、
民主党執行部への愚痴(これがメイン)なんかを書いていこうと思います。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
ここまでに書いたとおり、景気変動によって不況時にはデフレによって失業という経済問題が起こります。
また、好況時にはインフレーションという問題が起こってしまいます。だから過度のインフレもデフレも望ましくないのですが、
経済は常に循環してるのでほっておくと景気変動は避けることができません。
金融安定化政策とは、このような景気変動を平準化するために政府がとる政策のことです。
インフレ時には世の中に出回るお金の量を減らすことで景気の過熱をおさえて、デフレ時には出回るお金の量を増やすことで景気を温めます。
この政策の効果がよくわかるのは、リーマンショック以降の各国の金融政策です。
中央銀行(日本だと日本銀行)が供給している通貨の総量をマネタリーベースと言います。
リーマンショック以降、アメリカは大規模な金融緩和によってマネタリーベースが急増しました。
それに対して日本はあまり増えていません。不況下でも出回るお金の量を増やさなかったことでデフレ不況が加速していきました。
また、出回るドルの量が増え円の量が増えなかった影響で円高ドル安も加速しました。
ドルはたくさん出回っているから安くなり円はあまり出回ってないから高くなります。
ここで大事なのは、通貨の交換レートというのは出回っている量の比率で決まるものでしかないということです。
最初に紹介したちきりん女史のツイートでの誤解はここにあって、円が高いか安いかと、自国を高く売るとか安く売るとかはなんの関係もありません。
その国の通貨がどのぐらい出回っているかは金融政策によって決まりますが、それは好不況の影響を平準化するための結果でしかありません。
リーマンショック前には1ドル110〜120円だったのが、2011年には1ドル70円台というとてつもない円高ドル安に突入しました。
円が高くなったからと言って日本が豊かになったわけでないのはご存知の通りです。
アベノミクス(もう一度言うけどこのネーミングはダサすぎると思う)ではこのデフレ不況に対して、やっと金融緩和をして出回るお金の量を増やしました。
今まで金融緩和をしてこなかったのが異常なだけで金融政策に関してはごくごく普通の政策なんです。
ここからが本題です。というか民主党支持者としてのただの愚痴です。はぁ…
日本銀行には、第一次石油危機の時の高インフレや、バブル経済の時代に金融緩和をしすぎた記憶から、インフレは悪だという認識が根強くあります。
デフレでも良いからとにかくインフレにならないような金融政策を行ってきました。
38度の熱を出してしまったトラウマが忘れられなくて体温を34度に保って体を鍛えようとしている人がいたらまず36度ぐらいまで体を温めろよと言うと思うんですが、
体温を上げるのは絶対に許せないと言う考えが日本銀行には強くあります。
それと、マスコミや知識人に多いのがイデオロギー的に金融緩和にアレルギーを持っている人たちです。バブル時代、自民党政権は好景気の中で金融緩和を進め
赤字国債を発行し財政支出を増やしていきました。この時期の「自民党的」な政策に対するアレルギーから、金融緩和政策に対して脊髄反射的にバブルの再来、
という言葉を使いたがる傾向があります。バブルを知らない私にはこの感覚が全くわからないんですが、バブルのトラウマはこんなにも大きいのか、と心から思います。
ただ、ここまででも書いたとおり金融政策はイデオロギーとは関係ない技術的な問題です。
インフレ時には引き締め、デフレ時には緩和する、それ以上でも以下でもありません。
国の経済政策についての学問であるマクロ経済学には、大きく分けて二つの考え方があります。「新古典派」と「ケインズ学派」です。
おおざっぱにいうと新古典派の経済政策というのは、経済活動は市場に任せていれば最適化されてうまくいくから国はなるべく介入すべきではない、という考え方です。
それに対してケインズ学派の経済政策というのは、新古典派経済学は特殊な環境でしか成立しないから、国が環境をうまく整えるべきという考え方です。
金融安定化政策というのは、ほっといたら物価は勝手に上がったり下がったりしてひどいインフレやデフレになったりするからそれを安定させようとする政策なので、
当然ケインズ学派に属する政策です。ケインズという経済学者が書いた「雇用・利子および貨幣の一般理論」という本の中で提言されていて、
アベノミクス(ry)が設定した3つの論点は1,金融政策2,財政政策3,成長戦略です。経済学的にも妥当な論点の設定だと思います。
タイトルにも書いているように私は民主党を支持していますが、現政権の政策で経済政策に限らず私が唯一支持しているのが1の金融政策です。
そしてこの点についてずっと民主党に不満をもっています。金融緩和アレルギーの項で、金融政策を体温の上げ下げに例えましたが、とにかく36度ぐらいまで体温を
上げないと何も始まらないという現政権の金融政策を否定する理由は特にありません。ただ、その上でどんな栄養を取るかだったりどういう風に体質改善するかについて
は全く支持できません。金融緩和は短期的(2~5年)に企業収益を押し上げ失業率を低下させます(個人的にはこの失業率低下が超重要!)。
そして長期的(10年以上)なスパンで考えると制度疲労がおきている仕組みを変更したり不要な規制を撤廃するための体質改善やトレーニングが必要です。
この体質改善の部分については民主党を支持しています。だからこそ民主党に金融緩和をしてほしかった。そして実際にそのチャンスもあったと思っています。
でも結局できなかった。なぜなのか私なりに感じていることを書いてみます。
民主党政権時代に民主党議員を中心とした超党派のデフレ脱却議連というのがありました。遅すぎるだろうという不満はともかくとして、
デフレ脱却のために金融緩和をすべきということを民主党内にも真剣に考える議員達がいました。2010年6月と7月にはこんな記事がでています。
新政権で金融緩和、円安進む-民主のデフレ脱却議連事務局長http://www.bloomberg.co.jp/news/123-L3GOBZ0D9L3501.html
民主デフレ脱却議連、インフレ目標導入など財務相に提言http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16524520100730
でも結局政策として実現することはありませんでした。民主党の最大の問題点はガバナンスだと思います。人材がいても執行部のイデオロギー的な好みで実現しない
ことが多すぎるのではと思っています。デフレ脱却議連の人達は今の海江田代表&枝野バカヤロウコノヤロウ幹事長体制をどう見てるんでしょう。
2012年に民主党の野田首相と自民党の谷垣総裁、公明党の山口那津男代表が三党合意によって10パーセントへの増税をおまけみたいな景気条項つきで決定しました。
実際には景気の悪い時に増税して、財政再建が成功した例は世界的にみてもありません。この後、年末の解散で安倍政権が誕生して金融緩和が始まりましたが、
あのタイミングで金融緩和をせずに増税してたらと思うと本当に恐ろしいです。
歴史的に見ても、名目GDPが増えない限り、財政再建には成功しません。日本でもかつて2005年から2008年くらいまで、名目GDPが多少増えた時には、
一番大事なのは、まず経済が成長することです。成長することで税収を増やしていく。
実際に2013年度に関しては、経済成長のおかげで3.6兆円ほど税収が増えています。
こういう話をすると結局カネかよ、という反応をされることがあります。正しい政策を主張しているのはこっちなのに景気さえ良ければいいのかと。
リベラルに一定数いるこういう浮世離れした反応が正直に言って一番苦手です。安倍政権は大嫌いだし自民党には投票しないけど支持が落ちない理由は理解できます。
自民党に投票する人を見下して笑ってれば支持が増えると思うならそうすればいいですよ。安倍首相は表舞台からいなくなってる間、デフレ脱却のために真剣に
マクロ経済の勉強をしたおかげで、いまだに支持率が40パーセント以上あって長期政権になりそうです。このことを民主党の政治家はを本気で考えてほしいです。
最初に書いたとおり定収入が保証されていたり資産が十分にある人にとってデフレは得なんです。
そして何度でも言うけどデフレ下での金融緩和は直接的に失業率を下げる効果があります。実際に下がっています。
あまり報道されていませんが、中小企業景況調査報告書を見ると中小企業の景況感も良くなっています。
http://www.chusho.meti.go.jp/koukai/chousa/keikyo/137keikyo/137sokuho.pdf
定収入がある人達の賃金アップはその後に来ます。金融緩和は上位3パーセントだけが得をする政策だと一生懸命に主張している人達には
下位5パーセントは見えていないのか、それともイデオロギーのほうが大事なのかどっちなんでしょう。
私が民主党を支持する理由をあえてイデオロギーを強調して書くと、保守が再分配に興味を持つよりもリベラルが金融緩和するほうが可能性があると
今でも思っているからです。それなのに、実際にこの二年間でデフレ脱却のための道筋をつけた現政権の支持者を馬鹿にしてる人とケンカになったりすると、
一回まとめておきます。私が望む経済政策は、金融政策によって過度なインフレやデフレを抑えつつ、子育て世代や社会的弱者への厚い再分配や余計な規制の緩和、
同一労働同一賃金を実現して世代間格差の緩和や財政健全化を目指すことです。そんな政党があれば今すぐ飛びつきます。飛びつきたくてしょうがないです。
それなのに現状デフレ下で金融緩和に賛成している政党は自民党以外だと維新の党や次世代の党、もうなくなったけどみんなの党みたいに
再分配に興味がない政党ばかりで泣きそうです。どんなに失業率が少なくなっても失業者がゼロになることはないです。
この二年で雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人への再分配には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
知らん。誰か教えてください