はてなキーワード: 考察とは
だねえ。
正直、あのエンディング見た後、またすぐ見る気が起きなくて。
劇場で見終わった後、エヴァ終わった!とかさっぱりした気分だったんだけど、そのくせネットで人の感想や考察を読んだりしてる。
わからないところが気になるんだろうな。
2回目見るのはしばらく経ってからかなあ。
エヴァが、おたく達へのメッセージとして結局、「普通にしてさえいればいいんだよ」ということしか言えなかったのが悲しい。そりゃ俺も、きっとほとんどの大人も、他に何も思いつかないわけで、だからこそおたくは、どうしようも無くおたくな訳だけど。
「あんまり拗らせずに、ただ普通にしていればいい。普通にしていれば、普通の力学がはたらいて、普通に周りの助けを借りて、あるべき所に収まることが出来る。心配しなくても、あなたの出番、あなたにしか出来ない仕事というものも絶対にやって来る。それも、誰の目にも、もちろん、あなたの目にも明白な形で、やって来る。」っていうメッセージは、悩み一般をテーマにした物語の結末としてはよくあるし、実際、ほとんどの”元・拗らせてた”大人は、そういう結論を通って、まともになったんだと思う。
もうそういう結論でしかエヴァを終わりに出来なかったって言うのも分かるし、庵野が新劇場版を始めた意図は全然違うところなのかもしれないけど、やっぱり26年おたくを待たせておいて、最後の最後でいつもの「納得感」をフルスクリーンで叩きつける、っていうのもどうなんだろう。
アスカのケンスケとのあれこれだって、おたくを舐めているとしか思えない。アスカがケンスケと過ごして居心地良いのは納得できるけど、ある一つの言葉がアスカを救ったような描き方をするのは辞めて欲しい。エヴァは「人を劇的に救う、核心的な一言」みたいな安いドラマのアンチテーゼではなかったのか。
安易な「この世界の片隅に」みたいな場面も、本当にエヴァでやる必要があったのか?どんな状況でもしたたかに暮らす人々の力(に触れたアヤナミ)でしか、シンジを立ち直らせることは出来なかったのか?エヴァは「人をやがて救うのは、時の流れと日々の暮らし」みたいな、安いドラマのアンチテーゼではなかったのか?
庵野、結局お前さえ結論を出せなかったせいで、おたくたちは今でも、どこで聞いてきた言葉なのだろうか、”他者の痛み”がどうだとか言ってエヴァを語っているぞ。おい見ろよ、「ガフの扉」だとか「ゴルゴダ・オブジェクト」だとかの話は凄く厳密に考察できるのに、心の問題になるといきなり、曖昧な言葉でなんとなく語ることしか出来ないおたくのありさまを。心の問題は、「絵コンテにはこう書いてある」だとか、「ウルトラマンのオマージュだ」だとか、とにかく情報を集めていけば解明できるような事じゃなく、おたく自身がその”他者の痛み”とやらにしっかり向き合って、「普通に」自分の心を見つめ直していかなければいけないのに、おたくはそれが分からないんだよ。そもそもシンジだって、そういう面倒臭い奴として描かれていたのに、結局、じゃあそんなシンジが(そしておたくが)どうすれば救われるか、庵野、お前にも、結局分からなくて、急遽シンジを一定時間黙らせて、それから別人格にシンジをやらせることにしたんだろ。それであんなに、シンジの心の動きが追えないような造りになってしまったんだろ。庵野。あんまりじゃないか、庵野。ほとんど前田真宏が作ったって言うのは本当なのか、庵野。本当にあれで、シンジをシンジのまま救うことがないままで、いいのか庵野。
今回は「記憶」や「情報」よりも「推測」と「考察」がメインです。
前『映画秘宝』編集長・岩田和明が退社した後、のん(能年玲奈)さんが同誌で持っていた連載が、素っ気無い告知と共に終了しました。これに関して私は、投稿番号(10)において「実はのんさんも内心では、自分とは無関係な『ワンダーウーマン』のコスプレとかさせられて、着せ替え人形のような扱いを受けるのが嫌だったのではないか?」との推測を述べました。
この私の推測は、あくまでも推測、つまり「可能性としての理由」の一つにすぎず、他の可能性も考えられます。結局のところ「真相」について外部の者が知ることはほぼ不可能でしょう。したがって、ここでの本題は連載終了の「真相」を明らかにすることではありません。
私の述べた「のんさんの連載終了の理由に対する推測」に寄せられたブコメには「のんさんの連載が終了したのは岩田和明が退社したからだ」と云うものがありました。この『説明』だけで「それで『理由』としては『十分』である」と簡単に受け入れる人が存在することに対して、私が覚えた『違和感』が今回の本題となります。
さて、まずは「岩田和明が辞めたから」と云う意見に沿って考えた「のんさんの連載が終了した理由」の仮説を幾つか例として挙げて、その後に「私が考える問題点」について述べます。
(1)理由その1:出版業界では―――近年は徐々に改善されつつあるものの―――編集部と書き手の間に交わされる契約や業務引き継ぎなどが「イイ加減」な状態で放置されていた―――或いは、されている―――ケースが多々あることは、よく知られています。例えば、漫画家志望者が原稿の持ち込みに行き、原稿を預けて帰ったはいいものの、その後はナシのつぶて状態なので痺れを切らして編集部に問い合わせたら、原稿を預かった編集者が既に退社しており、持ち込みに来た漫画家志望者の存在も連絡先も編集部内で情報が共有されておらず、肝心の原稿はロッカーや引き出しの中に人知れず放置されて誰も存在を知らなかった…。こんな話を目や耳にした経験がある人もいるのではないでしょうか。これと同様に、ひょっとしたら、岩田が退社した『映画秘宝』編集部では、のんさんの事務所へ連絡する時の宛先を書いたメモ等が不明となり、コンタクトが取れなくなったのかも知れません。
(2)理由その2:誌面出演者や書き手が「雑誌」や「出版社」や「編集部」ではなく「担当編集者個人」を気に入ったので、その雑誌での仕事を引き受けたというケースもあるでしょう。ひょっとしたら、のんさんも「岩田和明個人」を気に入っていたから『映画秘宝』の仕事をしていて、岩田和明個人が居なくなった『映画秘宝』が相手では仕事をする気が失せたのかも知れません。
(3)理由その3:2ちゃんねる等では「会社を辞める時に『復讐』として、自分が居なくなったら仕事が回らなくなるように仕掛けを施してから退職した。ザマーミロ」と云った類いの、真偽が不明の武勇伝的な話を目にすることがあります。ひょっとしたら、岩田が退社する際に腹いせとして、のんさんの連載が継続できないように工作したのかも知れません。
(4)理由その4:岩田和明個人が独断でのんさんの連載の開始を決定したが、実は他の編集者や双葉社は始めからずっと連載に反対し続けていたので、岩田が退職したのを幸いに連載を打ち切ったのかも知れません。しかし、のんさんのような人気芸能人に連載を引き受けてもらえれば、双葉社としても編集部としても読者を獲得する良い販促材料になるはずなので、それを考えるとこの仮説は可能性として低いような気もします。しかし、人気芸能人にオファーするとそれなりの金額の報酬を支払わねばならず、それならば予算面での圧迫があって連載を切りたくなる動機が生じると云う可能性も、有るといえば有りそうです。
(5)理由その5:さらに可能性は低いですが、のんさんへの報酬を岩田個人のポケットマネーから捻出していたので、岩田が居なくなったら支払えなくなったとか、或いはのんさんへの報酬を名目に会社の会計処理をゴニョゴニョしていたのが発覚して、岩田の退職に伴い不明朗な会計処理が是正されたとか…。流石にこれらは無いとは思いますが、こんな可能性だって、無理やり捻り出そうと思えば捻り出すことだけは出来ると云う例として書きました。別に、私が本気でそう思っている訳ではありません。ただし、過去に集英社で「漫画家が出席していない編集者だけの飲酒会合を『漫画家との打ち合わせ』の名目で『必要経費』として申告していたら、それがバレてガッツリ追徴課税を課された」と云うケースがありましたから、金銭処理がイイ加減な出版社や編集部というものは『映画秘宝』がそれに該当するか否かは別にして、業界に存在はするようです。
以上で取り敢えず、仮説例を挙げるのはこれぐらいにしておきます。
さて、出版業界周辺において上で述べた(1)〜(5)と「似たり寄ったりの話」を見たり聞いたりした経験をお持ちの方からすれば「岩田が退職したから、のんさんの連載も終了したんだろう」と言われれば、その説明でもう『十分』であり『納得』するのが謂わば『当たり前』なのかもしれません。しかし、私は「それを『当たり前』の事として放置し続けても良いのか?」「それを『当たり前』として済ませる感覚に対して、そろそろ『疑問』を持つべきではないのか?」と、そう言いたいのです。
のんさんが如何なる動機や理由で『映画秘宝』の連載を引き受けて継続していたのか、そして何故連載を終了したのかに関する真相は、外部の人間である我々には分かりません。
しかし本来、契約をして報酬を出すのは『会社』のはずです。つまりは「会社としての正当な業務」の一環です。その「会社としての正当な業務」が、いくら編集長や担当編集者であったとはいえ、高々「社員の一人」に過ぎない岩田和明が去っただけで業務の引き継ぎもままならず、契約も煙のように消え失せ、仕事も打ち切りになってしまうのでは、これは「会社」としてはハッキリ言えば「恥ずべきこと」であり「異常事態」です。
考えてもみて下さい。思考実験として、仮に「岩田和明が今回の恫喝DM事件を仕出かすような人間ではなく、不祥事で退職する出来事も起きなかった」と云うような『並行世界』がイワタバースの一つとして別次元に存在したとします。その並行世界に暮らす岩田が、もしも不慮の事故や病気などのアクシデントで亡くなったとして、その場合のんさんの『映画秘宝』での連載が簡単に終了するでしょうか?「まっとうな会社」ならば「緊急事態に他の社員が対応出来るように引き継ぎが可能な状態にしておく」でしょう。「まっとうな会社」ならば、です。
「岩田和明個人が退職したから、のんさんの連載も終了した」と云う説明だけで、それで十分な『理由』として受け入れてしまう人は、要するに「『映画秘宝』とのんさんとの間でオファー及び契約を交わして成立していた『会社としての正当な業務』を、岩田和明が個人の一存でどうにでも左右できるように『私物化』していた」と言っているのに等しいのではないでしょうか?
でも、それは端的に言って「異常」だとは思いませんか?
繰り返しますが、私は何も別に「これが『真相』だ」と言いたい訳ではありません。ただ、もしも「出版業界では編集者が業務を『私物化』するのは『当たり前』のことだ」と、何の違和感も疑問も抱かずに考える人が編集者や読者に少なからず存在するならば、私は「そのような考え方は、最終的には雑誌そのものを腐らせて、破滅に導いてしまうのではないか?」と、そう言いたいのです。
ここで本筋からは少々逸れますが、のんさんの芸能人としての立場を考えると「編集者との『個人的な関係』を動機として、のんさんは連載の仕事を続けていた」と世間に思われてしまえば、他の芸能マスコミから「男女の関係?!」等と面白おかしく報じられる虞れがあります。したがって、仮に『映画秘宝』や双葉社の側に「連載を終了させたい」と云う何らかの理由が有ったにしても、のんさんに迷惑を掛けないように彼女の立場に配慮するならば、むしろ連載終了のタイミングは岩田の退社直後にならないようにタイムラグを設け、あらぬ世間の誤解を避けるべきだったのではないかと私は思います。
もしくは、連載終了の告知時に「のんさん及び彼女の事務所は、岩田和明がしたことについては『許されないこと/悪いこと』と考えている」と、誌面で明確に告知するべきだったと思います。それが無いまま「連載を終了したのは単に岩田和明が辞めたからだ」と世間の考えを放置してしまえば「もしかして、のんさんは岩田のした事を『悪いこと、間違ったこと』とは思っていないのではないか?」と世間の人々にあらぬ疑いを持たれかねません。
それとも、岩田和明がのんさんの連載を終了するにあたって「素っ気無い告知」だけで済ませたのは、暗に「のんさんは俺(=岩田)の事を批判してないぞ」とアピールする狙いが有ったのでしょうか?
或いは、連載を終了させることで「自分(=岩田)とのんさんの間には『特別な結び付き』が有るんだぞ」と(それが「事実」であるか否かは別として)、世間にアピールして信じ込ませる狙いが有ったのでしょうか?
このような可能性をついつい私が考えてしまうのは、既に述べたように『映画秘宝』のライターや編集者は「普通とは違うオレたち」をアピールすることが大好きだからです。
可能性の話は置いておくとして、岩田和明が編集長になる前から既に、雑誌『映画秘宝』の内部では「業務の『私物化』」は起きていました。そして、それは結局のところ、彼ら『映画秘宝』がホモソーシャル集団内部だけで通用する価値観を盲信して、女性を含めた「他者」に対して甘えると云う幼稚な精神の持ち主だったことに起因するのだと私は思います。
予想外に長くなりましたので、今回は一先ずここまでとします。
人間がいなくて馬人間しかいない世界観ならまだわかったんだが、そうじゃなかった
会話等のコミュニケーション能力は人間と変わらない
運動能力は人間とは桁違いで、サラブレッドと同じくらい速く走れるし、パワーもある
まず、1番気になる点として、ウマ息子?ウマ野郎?は存在しないっぽい
お母さんやおばあさまは言及があるので、ウマ娘からウマ娘が産まれるのは間違いないようではある
また、マックイーンのプロフィールに、両親という記述があることから、親は2人必要なのは確定である
ということは1番あり得るのは、外見は人間の女の子のようではあるが、雌雄同体だと考えるのが妥当か
または、我々現実世界の馬の魂を受け継いで産まれる(=キャラが作成される)という説明があることを思えば、あくまでこれは物語であって、世界観としては虚構ベースを出るつもりがない、というのもひとつの説明としては成立すると思われる
次に、トレセン学園とは何かが気になる
ウマ娘は競走馬になるためには、トレセン学園に入学する必要がある
その学生のみがウマ娘のレースに出場でき、ウマ娘レースは人間も大勢動員できる国民的娯楽と位置付けられている
普通に考えれば、ウマ娘レースは大きなお金が動く経済活動である
我々の世界でトレセン学園に最も近いものとしては、宝塚音楽学校が相当するのではないかと思う
普通の中学や高校ではないが、寮に入れてみっちり管理し、トレーニングし、興行に起用するシステムである
芸能事務所や、サッカーのユースチーム、または競艇や競輪でいう訓練所などもトレセン学園に近いと言えるが、習い事や訓練所というより、もっと学校っぽさがある場所であるため、おそらくトレセン学園は、宝塚音楽学校と同様、学校教育法上の各種学校に相当する教育機関であると思われる
これに関しては言及がないが、実際の馬と同様に、人よりは短いのではないかと考えられる
というのは、国民的人気な娯楽が、人間で言えば中学生から高校生相当のウマ娘によるレースだからである
人と同様な成長をするのであれば、走力のピークは20代前半であるはずで、実際100メートル走の世界記録は23歳、800メートルの世界記録は24歳が出している
おそらくウマ娘の走力のピークは中学生から高校生相当、つまり人の年齢の2/3程度の年齢のウマ娘が人の年に相当するくらいに成長が速い
あくまで、見た目の推移は人間の年齢と同様ならば、という仮定が入ってしまうが、ウマ娘の平均寿命は50歳前後ではないか
となると、12歳程度でトレセン学園に入り、そこから様々なことを学びながらレースに出て、18歳高等部卒業=競走ウマ娘引退ということだろう
マックイーンの家におばあさまがいることを思うと、18歳で卒業したらわりとすぐ種牡馬入りしていることがわかる
祖母18歳で母を産み、母も18歳でマックイーンを産み、マックイーン15歳なら祖母は今51歳だ
ぎりぎり成立している
おそらくレースで強いウマ娘同士が結婚して子供を作り、さらに前述の通り雌雄同体であることを思えば、レースで活躍すること、学園で人気を得ること=子孫を残しやすくすることであるだろう
そう思うとなかなかどろどろした恋愛模様が学園で繰り広げられてそうだな
トウカイテイオーがマックイーンに照れてたのは恋愛感情でおかしくはないのかも
引退後のウマ娘がメジロ家のように豪邸に住み、スタッフとして人間を雇っていることから、ウマ娘にも基本的人権があることが推察される
差別があるならメジロ家スタッフはレースで活躍できないウマ娘であるはずだが、人間を雇っているのである
なんて素晴らしい世界!
これはつまり、馬主のように特定のウマ娘を人間が所有することはどうやらなさそうだ
スペシャルウィークが人間に育てられたように、人間とウマ娘の同居はあるのだろうけども
ということは、ウマ娘は、レースで勝てば莫大な賞金を得ているはずである
ちょうど野球選手やスポーツ選手のように、スターウマ娘は億の額を稼いでいるはずだ
それにより名門のウマ娘は豪邸に住めるのだろう
が、肝心の種付料を支払う馬主や牧場主がおらず、また、このような社会生活を営んでいる以上、広く種付相手を募り、お金を支払って種付してもらうようなシステムはこの世界にないのではないか
タイガーウッズやイチローが、ゴルフ上手い子、野球上手い子を育てたいなら種付します、500万です、とか言ったらおかしいわけで、それと同様だろう
トレセン学園に入らなかったウマ娘はレースせず、人間と同じ仕事をして、社会生活を営んでいるらしい
この人たちは普通に寿命が短くてパワーが桁違いの人間として社会に溶け込んでいるのだろう
同じ学校に通ったとしても、少なくともウマ娘だけのクラスやウマ娘だけの体育はあって然るべきだろう
一緒に鬼ごっことか無理
まだまだ理解不明なこといっぱいあるなー
ゲンドウくん(庵野くん)が自分で長々と外界と隔てるためにイヤホンしてました(S-DAT使ってた)ユイに出会うまでーってやってたからな劇中で
SFフレイバーは現実的に考えればこうだろを無視すれば(していいのか?だけど元からガバガバなので)
まだ強引に考察ごっこというかミステリー小説みたいな遊び方ができると思うけど
話の筋はもうどうやっても無理だと思うシンは庵野くんとモヨコの話で終わる
ワイ、放送当時シンジ君と同い年、発達障害(ASD)のアラフォー。
幼少期からPCに慣れ親しんでいたし、程々にオタク文化には浸っていたと思う。
ただ、エヴァはどうにもダメだった。何を言っているのかサッパリ理解できなかった。
大人になって考察とかも色々読んで、あぁ彼らは人との繋がりが欲しいのに、それを上手くできずに藻掻いているのかという程度には理解できた。
でも、こんな難解な話は中学生の自分には無理ゲーすぎた。精々初号機カッコイイ、シンジ根暗、ゲンドウ鬼畜みたいな感想で、社会現象になったことが意味不明だった。
でも、周りの同年代には放送当時からアレにハマっていた人も数多い。
自分には全く理解できなかったけれども、彼らは放送当時にあの内容を見て、「あの主人公達と俺達は同じだ」ということに気付き、そして憂えていた。
こっちからすると、憂えるまで至れただけ羨ましいんだよな。
ガチアスペからすると、そういう人達は他人の気持ちがわかるだけ恵まれていると思う。あとはどう接すれば良いかだけじゃん。
こっちはさ、そもそも他人が何を考えているのか、言葉くらいでしか判断できないんだよな。そこに絶望的な壁を感じる。
まぁそうは言いつつも、一応なんとか食いっぱぐれることもなく生活はできているし、羨ましく思いこそすれ、誰かが憎いみたいなのはない。
ただ、自分達の境遇をそこまで呪わなくても良いんじゃないか…ってな感じの人達は、この界隈には結構多いな、とは思う。
君らはさ、わかり合うための心は持ってるんだよ。ただ臆病なだけ。
うちらと違って、失敗して経験値を積めば、自然に人と理解し合えるんだよ。
だからまぁ、頑張れとは言わないががんばってくれ。
俺 現実に生きろというメッセージがキツすぎてすぐには受け止めきれ無い、つらい
友達 アスカ可愛かった、アヤナミ可愛かった、前向きな終わりでよかった、考察するぞー!
お前らはどっちだった?
自分から考察とかしてる人じゃなくて単なる人の書いたのを読んだだけだけど答えてみる。
明示されてない。
漫画版読むとユイの事が好きだったらしいからユイの息子を助けたかったとか、ユイ自身の思いを継いだとかそんなところ?
メタ的な視点では真希波=デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神:ギリシャの演劇で終幕のためにオチをつける役)じゃねーのって言ってる人もいる
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
これも明示されてない。
綾波、式波がクローンだったから~波なマリもオリジナルマリのクローン説とかある。
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
生命の書っていうのに名前を書いているとやり直しても記憶を保てるとかなんとか。
メタ的に言えば旧劇場版や、その他の展開の記憶を持っている、くらいでいいんじゃね。
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
刺し違える気はなかったと思う。
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
俺が覚えてないから回答できない。
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
式波のオリジナル説と、惣流アスカラングレー説を見かけたけど惣流でいいんじゃね?
破で第九使徒に浸食されたのを封印柱で使徒化しないように封印してた。
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?
破の最後で起きたニアサードインパクトは月から投げたロンギヌスの槍で途中で止められた。
一方Qでは槍が2本刺さってたからカシウスの槍で止めたんだと思う。
槍ってなんだよ!
そんなもんはねぇ!
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
アラサー、アラフォーオタクの心にしこりになって残ってたのは、テレビ版、旧劇場版(Air/まごころを、君にとかEoE)で3回も物語に決着がつかなかったことなんだと思う。
特に旧劇場版は監督のメンタルがやられてたせいで「他人はいないといけないけど、近くにいると傷つけあう。それでも現実に戻らないと」みたいな結論になって、その結果アスカの「気持ち悪い」で締めることになった。
それが今回のシン・エヴァンゲリオンでは前向きなメッセージで終わることが出来たから、エヴァを追ってきた人は成仏できたんだと思う。
そこに至るまでのシナリオが陳腐だとか、アクションシーンが序、破に比べてQ、シンはイマイチとか、俺/私はアスカとシンジ/カヲルとシンジのカップリングが見たかったんだよ!みたいな嘆きも一部残ってはいるけどね。
ちょっと長文になってしまったので正しく伝わらなかったかもしれません。
同意です。
正しく読んでいただいています。
①「SSPEの様な遅発性の病気が怖いけどワクチン打った後の病気なんて聞いたことないからY1>Y2だ」
②「SSPEなんて見たことないが他のワクチン打った後に苦しむ人を見たことあるからY2>Y1だ」
みたいな感じでな
適切な例示だと思います。
前回記載した通り、論旨が変わらない範囲で文章を簡潔にするため、X2と同様に敢えて省略しています。
同上です。
上にも記載した通り、論旨が変わらない範囲で文章を簡潔にするため、X2と同様に敢えて省略しています。
Y1を省略してもしなくても、「R2(やR1)は個々人の主観が含まれる価値判断であるため、客観的な情報や論理で他者が否定することはできない」という点で論旨が保たれ、合理的であるということを説明しています。
いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。
私はエヴァをTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前のことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)
エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。
宇部は山口県の瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史も文化も無縁のところだ。
宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。
庵野さんは地元の進学校、宇部高校の出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強に価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長のキャッチフレーズは「国立300、野球は甲子園」。ちなみに、ノーベル賞の本庶佑さんは宇部高出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理やユニクロの柳井さんも宇部高。
そんな文化不毛、受験偏重の宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトやアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンもゴジラも低迷していた。
庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長の中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。
短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。
だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らしや高校生活は、灰色の鬱屈とした、愛せない時間と空間だったのではないか。
漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部高時代の自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。
ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカーで宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路で山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。
https://anond.hatelabo.jp/20210315160051 について、ブコメをいただきました。
ウイルス感染後数年の潜伏期間を経て発症する悲惨な病気もある(麻疹のSSPE等)。ワクチンの長期的副作用が分かっていないのと同様に、新型コロナの長期的影響も分かっていない。新型コロナのリスクを過小評価しすぎ。
この点については、論旨に影響ない程度に文章を簡単にするため、新型コロナのリスクを過小評価して文章を書きました。
当然ですが、より網羅的にフェアにいうなら、ワクチンの方にも同様に、既に統計(エビデンス)のあるリスクが存在します。こちらも文章から省いてあります。
同様に、
です。
R1<R2なら、人はワクチンを打たないということになります。逆も然りです。
元増田で書いた際は、論旨に影響しないため、Y1とX2は無視して、
としていました。上記ブコメは、Y1を無視するのはアンフェアだという指摘で、その通りです(実際にはX2も無視しています)。
元増田で書いたのは、情報収集と論理によって明確化できるのは、既知のリスクX1(とX2)についてのみであって、未知のリスクY2(とY1)については、個々人の主観的な価値判断になるということです。
したがって、Y2を大きく評価し、結果として、R1<R2と評価する人がいたとしても、他者がそれを「論理的に」「科学的に」否定することは不可能だし、やるべきではありません。
当然、「R1<R2(ワクチンを打たない)と考えるのは、X1(コロナの感染リスク)を過小評価しているからだ」などという指摘は非論理的です。その個人の価値判断のもと、Y2(ワクチンを打つ場合の未知リスク)を大きく評価しているだけだからです。
と価値判断する個人にとっては、R1<R2という判断が合理的であることは変わらず、
また、それを他者が「論理的に」「科学的に」否定することは不可能です。
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yzkuma 「ワクチン接種ジレンマ」で数理的に議論されている問題。リスク値のほとんどが不明なので個人的な正解はない。社会的には打つのが正解なので「自分だけ逃げ切る」という選択肢を自分の心が許すなら打たなくて良い。
数理的なんて言われると照れちゃいますね。まぁ足し算も数理ですが。
この点は元増田に書いた通りで、
「全員が免疫を獲得する必要がない以上、統計がないリスク(ワクチンの副作用)を低く、統計があるリスク(感染・重症化・後遺症)のリスクを高く見積もっている人がいるなら、その人が優先的に打ってくれたらみんなハッピーだよね」という考え方はあっていいと思ってます。
元増田に書いた通り、「コロナワクチンを打たない」という意思決定は、いわゆる反ワクチン(既知の科学的なリスク評価自体を否定する)と異なるよね、というのが議論の出発点です。
kou-qana 未知部分は掛け算で、その値は未知だから全部脳内妄想で、何を重視しても合理的ということ?うーん、未知部分はとりあえず掛け算しない態度と同程度に合理的…か…よくわからない。
掛け算というか足し算ですかね。
「何を重視しても合理的」というのは遠からずです。他人には口出しできないということです。それを合理的と呼ぶべきかどうかは微妙だと思いました。
frantic87frantic87 打ちたくないから打たないということ?内心の自由としてはそれで構わないけど、それで他者を納得させるのは無理では
極論すれば「打ちたくないから打たない」が認められるべきで、少なくともそれが「非論理的」「非科学的」だという非難はおかしいという話です。
個人がワクチンを打つかどうかについて、基本的には、他者を納得させる必要はないと考えています。同居家族等を想定しているなら、そもそもの議論がもうちょっと違う方向になると思います。
mRNAワクチンについては作用機序を科学的に考察すれば長期的副反応はそれほど大きいとは考えにくいけれど、嫌なら嫌で良い。アストラゼネカについては経験的に安全性が高いと考えられるけれど、嫌なら嫌で良い。俺は
まさにこういう議論がありがたいです。書いてある内容に異論はないです。
やるべきことは、未知リスクの部分をなるべく正確に推測するために、状況証拠には何があるのか、とか、リスクの見積もりに想定外はないかを議論する(または、専門家が適切にその議論ができるよう、社会的環境を整える・監視する)ことだと思っています。
残念ながら、ブコメでは、「ワクチンの未知リスクは十分に明らかでないと考えるので、ワクチンを打たない」と表明すると、「コロナの後遺症リスクを低く見積もっている」「集団免疫が獲得できないことが理解できていない」等、別の論点にすり替わってしまいます。「知っていることだけで議論したい」「知らないことは議論したくない」「自分の意見を信じたい/変えたくない」からですかね。論点がすり替わるため、未知リスクの見積もり自体はガバガバのまま議論が放置されます。
もう指摘されてるみたいだけどネットを見てるとシンエヴァの感想・考察には庵野監督の名前がよく出てくる。
庵野監督はこう考えたに違いないとか、あと妻の安野モヨコが出てきて、監督にこう影響を与えたんだろうとか。
なんで監督の名前がでてくるかの理由は俺が思うに、シンエヴァはあちこちに監督の意識を感じるから。
全編にわたって監督のああしたい、こうしたいというのを感じる。
なんだかエヴァを完結させるためだけに逆算してキャラを配置して動かしているように俺は思った。
旧劇はすべてのキャラが生々しく描写されてそのせいで話がごちゃごちゃになったのとは対照的だ。
新劇は話は分かりやすく綺麗に収めようとして、監督が交通整理している。
その動きが丸見えでものすごく気になる。
「クレしん映画と昔のGAINAXはかなり昔からの兄弟なんですよ」
って話で説明する切り口か、
「成人向け作品のアレですよね?」
という方向になる。
他の深夜アニメよりもクレしんや、成人向けのほうがなぜか本格的にエヴァンゲリオンしてるように見えるんだよ
クレしん映画は全部見た上に、オトナ帝国と暗黒たまたまについては何十回みたかさえもう覚えてないほど見たし、成人向け作品についてはここ2年のものなら浴びるほど読んでる
エヴァ自体で話すと結局たどり着くのは「庵野秀明監督のし小説」論なのだが…もっとこう…純粋に「世界の見え方」を話すと…
「庵野監督の私小説論」としてエヴァの感想や考察を書くのが1つの正解なんだけども…エヴァが好きな人のための感想になりすぎて、同じ事やりたくないんだよなぁ…。
「作品を見て世界の見え方が変わる驚き」っていうのがどの作品にもあって、当然エヴァもそこで大きなインパクトを持ってるんだから
自分で言うのも何だけど、ぼくやっぱけっこう昔の人なんだわ。
今の人にしては素直じゃないし、真後ろの世代の人達ほど浅い意味でのデータ主義でもない。
ネットにいるけっこう昔の人はね…素直に実力を成果物に落とし込む能力は低いが、モノを見る時にデータやセオリーに囚われない個性がある
けっこう昔の人ってめんどくさいやつな反面で、一度勉強したら忘れないような体験をする感性・深く掘り下げる根気を持ってる人けっこう見るんですよ。
山田哲人の不振について、野球ファンの人と話す機会があったけど、ぼくに言わせると山田哲人って真面目で素直過ぎるからこそ知恵を手に入れると迷うんです…。
知恵が本当に知恵ならいいんだけど、浅いデータ主義・一般化されたセオリー止まりのものだと彼は退化するんですよね…。
素直ゆえに
イチローの凄さって、「データやセオリーを実体験で修正する能力」で、キャンプで体を大きくしすぎて春先に出遅れる経験を繰り返すうちに、【キャンプで体作り】みたいなセオリーを疑い、違う方向に走って正解を見つけてるんですよね。
昔のすごい人って優れた感覚を感じさせる話がある
今の50前後まで来るとデータを感覚で修正する能力やセオリーを疑う・自分の中での公式を作る能力が高い人がけっこういる。
最近になって新庄剛志が外野手について自分の考えで世の中ががたどり着いたセオリーを正してるのも、その1つ。
今の40過ぎぐらい、こういう「一時的に優秀なコーチと二人三脚で成功するぐらい素直なんだけど、真面目すぎて一度迷ってしまうと長い眠りについたり、最悪そのまま引退する選手」って増えた気がする。
現代野球に合った調整や登板間隔を見つけきれてないのもあったが…根っこにあるのは素直すぎたこと
今アラフォー生き残ってる人ってそもそもセオリーにハマらないタイプや癖が強く独特の偏屈さを持ち合わせてる選手が多いんだけども…そういう人ってセオリーにハマらないか、自分なりにセオリーを微調整する優秀な感覚を持ってたんだと思う。
どこの球団にも頭悪い人はいるけど、セ・リーグファンの頭悪い人は他球団への攻撃性がやたら高い人がいる。
結構前から蓄積したデータや、本人のインタビューをもとに発言したつもりでも、それがネガティブだとクソリプ飛ばす人がいる
パは根拠がある発言には素直なファン多いから文化の違いを感じる
ちなみに、阪神ファンのことじゃないです。
というか、西日本の球団のファンってセパ問わず、自分からネタにしていくファンが一定数いるせいで、他球団に「不敬だぞ!」「無礼だぞ!」みたいに突っかかる人の割合が少ないんですよね…。
他の人の感想読んだりもした。
大前提として。
作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画や音楽、小説、家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。
エヴァシリーズでこれほど考察や感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品だからだ。
作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。
・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。
・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。
・「委員長や。」あら^〜
・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。
・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。
・アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。
・「もう一度エヴァに乗る。」
・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野を彷彿とさせる。良い。
・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」
・所謂、イマドキデザインのミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)
・みんなはアクション、戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…
・大量のインフィニティ。レンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。
・脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。
・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー。
・ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメの人類補完計画、旧劇の人類補完計画を認知した。所謂ループもの。
・ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。
・シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供。大人として責任を取る姿勢のミサトさん。
・ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)
・マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァの呪縛を受けた冬月研究室の一人。
・イスカリオテのマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。
・初号機から綾波。14年間、シンジがエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。
・先のシーン、アスカがマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。
・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波はクローンだから髪は伸びないと思い込んでいた。
・アスカもクローンだった。迎え撃つのはオリジナルのアスカ。(アニメ版?)
・ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさん。さらに作業員へ無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。
・ヴィレをマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。
・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん。原点回帰。良い。
・槍でやり合う碇親子。
・モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。
・メタ的な現実とエヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からのメッセージがより強くなる。
・メタ的な現実の意味でもエヴァの世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。
・個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)
・大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。
・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイとゲンドウが再開。
・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品の電車って演出的に結構特殊。
・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。
・個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)
・旧劇のラストシーンに出てくる海辺でアスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった
・エヴァの呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。
・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。
・一足先に精神的に大人になっていたアスカ。シンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。
・自己愛のメタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!
・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。
・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。
・アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン。
・エヴァは過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?
・なので海が青くなる。
・迎えに来たマリはシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカは海辺で大人になってたけどマリはまだっぽい?
・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。
・まさかの神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。
・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。
・シンジの手を引くマリ。マリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。
・個人的メモ(フェロモンに関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)
・宇部新川駅。庵野監督のお地元。現実を駆けていくふたり。庵野監督とヨモコ先生。
思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジは現実でマリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。
あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。
委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)
良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。
ヨモコ先生が庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。
私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。
怒ってる。
最後に。
学生時代、アニメ・漫画や映画などで演出を教えてくださったぬまた先生に感謝します。
ということで色々理由を付けて迷っていたシンを(昨夜)見てきた。ありがたいことに良かったとも悪かったとも明確な感想は流れてこなかったので割とニュートラルには見られたのだと思う。ただ、否定的な意見もなさそうなので折り合いを付けたのだろうな、と。だからもう最後に「おめでとう!」とかやられても納得するぐらいの覚悟はしていたつもりだった。
だけどさああああああああああ。
もう今更、謎の新用語がわからんとかは言わない。だけど結局、これってコミュ障の親子喧嘩でしたって話だったの?それ旧劇でやったよね?まだネタバレ感想も考察も全く読んでない状態で全く理解できていないと思うけど、結局そこかよ?!しかもなんで今更ネオンジェネシスってタイトル回収してるの?テレビ放送アニメの最終回かよ。そんで結局やり直し?いやそれもテレビと旧劇でやったよな。あの学園編は最高だったな。そんで円環の理ってオタクはどんだけループが好きだと思われてるんだ。もうループとシュレディンガーの猫と粉塵爆発とバタフライエフェクトはそれだけで安っぽく見えてしまうので二捻りぐらい入れて欲しいわ。マイナス宇宙とか裏宇宙とかもうギャグでやってるだろ。解説音声付けて欲しい。
そしてラストシーン。
こっちは初回放送時が正に14歳ど真ん中、あれからもう25年、四半世紀経ったんだよ。シンジくんがようやく大人になったというのに俺は妻や子どころか恋人も居たこと無い小汚いおっさんになってしまったんだよ。
25年も経ったあとの総決算がこれですか。
アニメと旧劇と新劇は予習していったし、映画の中で説明された部分はふーんそうなんだーって思ったけど、なんか全体的によくわかんないとこたくさんあった…
でも盛り上がってる映画を盛り上がってるときに観れたからそれだけでよかったー!
コロナ前に最後に見た映画がミッドソマーだったけど、あれも盛り上がってるから見に行って、よくわかんなかった!でも盛り上がってる映画観れたからよかった!
でもやっぱり色々わかんないから詳しい人を横に置いてアニメと旧劇と新劇を説明されながら見たい!
ミッドソマーは単作だし、エヴァほど考察とか深読みとか説明とか多くなかったから一通り読めて小ネタとかも分かって満腹感あったけど、エヴァは色んな人がいろんなこと言っててどこで何を読めばわかるのかがわかんないし量も膨大だし!
ようやく10代が終わった」「エバーに囚われていたあの頃の自分からの卒業」みたいな「当時のシンジくん達」の感想が本当にきつい。
↑ キョロ充:エヴァにいっちょがみして自分語りや社会的なマウントがしたい
謎考察
「ようやく10代が終わった」「エバーに囚われていたあの頃の自分からの卒業」みたいな「当時のシンジくん達」の感想が本当にきつい。
いや、もちろん本当にそういう人もいるとは思う。謎考察とかをブログなりnoteなりに書くくらいのガチ勢。
そのガチ勢の感想に対しては、「気持ち悪いな」って思うけどそれはある意味ヲタクに対しては誉め言葉であって。
自分が世代的にドンピシャだったからって、そこまでの熱量でもないのに「あの頃から卒業できていない自分」を都合よく作り出す層がほんときつい。
いや確かに当時はめっちゃハマったんだろうし、旧劇でいろいろな感想抱いたんだろうよ。
だからといってそれを後生大事に持ち続けた訳でもなく、他のアニメみたり他の趣味を楽しんだり現実をがんばったりしてて
エヴァはまあ「昔ドはまりしたコンテンツの1つ」であり、たまに懐かしんだり、劇場版が公開されたらまあみるかくらいの感じだろ。
お前らがここ数年エヴァについて語ってたシーンなんてみたことないぞっていう。