はてなキーワード: 視野とは
食べられる魔物、まだ解明されていない未知の生態、ダンジョンには夢が詰まっている。
しかし4話で魔物は無限に湧き出るのではなく限りある資源だったと発覚する。
下層の強力な魔物が上層に移動してくるのを防いでいたゴーレムは
ダンジョンは危険になり立ち入れず、恵みをもたらす豊かな生態系は消滅する。
3話まで魔物達の興味深い生態や美味しそうな姿を見せられた後でこの予測はかなりショックである。
ライオス達が探している赤い竜に追いやられてオーク達が上層に避難してきたのだった。
しかもオークは迫害された民族で、ダンジョンに追いやられ、ダンジョンで子を育てていた。
強者から逃げ、新天地でニッチを見つけて繁殖するのは人も魔物も同じなのだろう。
オークの族長は語る。
ダンジョンを作った狂乱の魔女を倒した者はダンジョンの王になるという。
しかし冒険者は日銭稼ぎや力試しといったビジョンのない荒くれものばかりで、
王になったら何をするか分からないから冒険者は見つけ次第殺しているという。
旅の目的を話し族長の信頼を得て竜の目撃場所を聞き出したライオスは、
これからはダンジョンの王になった場合のことを考えると伝えオークたちと別れる。
ダンジョンは多種多様な魔物が住まう豊かだが有限な生態系であり、
危険な場所であることさえ迫害された者達にとっては身を守る障壁にもなるが、
海洋は人の立ち入りの難しい場所=ダンジョンであるため自然が多く残っているが
海水温の変動やザルな漁獲規制の影響により様々な魚種が絶滅の危機である。
多くの動植物が人が立ち入るのが難しい深山=ダンジョンに追いやられいる。
縄張り争いに負けた者が人里に降りてきて暴れるという構図はオークの略奪のようだ。
そして陸も海も魔物に劣らない興味深い生態の生物が生息してる。
そしてダンジョンの王になったらどうするという問いを視聴者に投げかけた。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
スクリーンタイム見てたら、1日でsnsアプリを合計1時間から2時間は毎日見てる
ツイッターやsnsで得た情報と費やした時間を比較すると本当に無駄だと実感する
なのに手ぐせで開いてしまう
電車に乗って座った瞬間
散歩をしててふとした瞬間
家に帰って一服した時の小休憩
トイレに持って行ったり
スマホの画面なんかより目の前にいる動植物の方が綺麗で可愛いのになんでスマホばかりに目が入ってしまうのだろう
画面をみていて視界の端で犬や猫がこっちをみている目線を感じると「また、やってしまった!」となる。
スマホを解約したいのに旦那が「連絡取れないと緊急連絡先は君にしてるから」って常にスマホ持っててほしいっていう
でもいざ緊急連絡が来た時に対応できなかったら悲しいのでスマホの解約は視野に入れてない
どうにかして緊急連絡先以外でスマホを「うっかり」見てしまう「癖」をなんとかしなくちゃなと思う。
この前の寿司屋の炎上もそうだけど、パッと見で流れてくる情報にいちいちイライラしたりするのが今の癖を正したい理由で
あと一つは本を読んだり考え事をしている時に「ハッとする言葉」があったり浮かんだりするんだけどそれをツイートしたくなったりするし
特に本をよんでいる時はネットという浅い考えではなくしっかりと胸にくる言葉が多いのでパクリツイートすらもしたくなる
だからTwitterに「この本のこの文章すごく良かった」という文章に本の写メが添えられてるのかなって思う。(第三者に伝えるにはあまりにも適当すぎるやり方だからすごく嫌いな方法で見ててムカつく)
とにかくスマホをうっかり見ないようにするためにしたのは
・snsのスクリーンロック(インスタ、Twitter、グラビティの三つのアプリを合計1時間越えたらロックされる)
・なるべく紙面での本を読むこと
・Twitter等を見てて少しでもストレスを感じたら見るのをやめる
・友達とかと連絡取っていても「今から掃除するからまた後でー!」としっかり伝える(これができないから気を使ってずっと返信してしまう)
特に四つ目が私にとって重要で友人も気にせずに「気が向いた時に返事してw」みたいなノリなんだけど楽しいからついついラリーしちゃう、そのくせでsnsを開いてしまう
snsをうっかり見てしまうことに関しての改善点って「見なくなる」しか感じられないからこの先地上波みたく「snsは全く見てません」ってなればいいんだけどな、、
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>一つの仕事が生む信頼が別の支援者との関係構築の「糊代」になるような情報共有のやり方
自分のことを思い起こすと反省ばかりで痛い思い出しかないけれど。
次の仕事をつくっていくということにもつながる話で、自分の仕事だけじゃなく、視野をひろくみておかないとこういうことは普段考えようとはしないね。
++
いったん投稿しちゃったから、読んでるかわからないけど、何が痛かったかというと、せっかくだから。
自分の後悔というのは1で引き継いだものを誰かほかの人にバトンを渡せるように2,3と増やして行けたか、言い換えれば自分で自分以外の仕事のニーズをつかんでいけたか、という点で力不足をよく感じる。
むしろ引き継いだものが後退しちゃっている面もあるし、何も進んでいないこともあるし、代理で引き継いでいる感覚が抜けなかったりすることもあったし、いまもある。
こういう世界って、やっぱりメンターになる人というか、そういう背中をみて自分の仕事、信頼関係の作り方も含めて、つかんでいく面がある。
信頼というテーマで言えば、ほとんど一緒に仕事をしたことがなかったけれど勝手に師匠だと思っている人の言葉で、「卵の殻理論」というのがあっていつも大切にしている。随分前になるけど。
とりの卵は外側からいくらつついてもひなが孵らないような仕組みになっている。だから支援者の仕事というのは、無理して外から叩いたり押し付けたりすることじゃなくて、
被支援者の大切にしている世界をナラティブな物語にしてみせることで本人の気づきをいかに促していくか、というのがキモだということ。
殻を割るのは支援者じゃなくてひなで、その動機付けを見守るっていうのは、信頼関係を構築する、という話とパラレル。、
ただそれは援助をはじめるきっかけにすぎなくてその先に支援チームとしての技術力が試されるし、その活動が広がるかとか定着するかが試される。
この2ステップ、そのタイミングというのは試行錯誤してなんとなくみえてきてはいるけど、いかんせん、最初のステップをクリアしたと思うタイミングで現場を離れなければならない、みたいなことが多かった。
でも、そういう動き方というか流れというのを伝えていく、というのは大切なことだと思うね。
俺が主張してることのニュアンスをちょっとずつズレて捉えられてるなーと思う。
まあそれは仕方ない。こっちの言葉足らずなせいもあるだろう。だからってここでギリギリ認識をすり合わせようとやりとり重ねても空中戦にしかならんし、あるていど言いっ放しで終わっとけばいいのだが。
よくある「寄り添い論」と勘違いされてるんだよなあ。その危惧はよ〜くわかる。東北震災の時の反省として盛んに言われたことだし。
俺のスタンスは全く逆で
「他人事だからこそ可能な醒めた頭で、具体的な(かたちのある)問題について質の高い支援をすることで、間接的に精神的負担を減らすことを目指すべき」というもの。
というのはセットでなければならない。
人助けとはテクニカルな実務課題の複合体なんだ。そこが抜けていると現地で共依存みたいな「寄り添い」に陥ったり
安全圏から当事者不在の「正論」や箸にも棒にもかからない机上の空論を投げつけるだけになってしまう。
「移住」とかを視野に入れた話がおいおい必要だとして、その議論を進めるにあたっては支援側の外の人間との平熱の信頼関係(精神的依存関係ではない)が必要。その信頼関係はどこから?といえば、そこまでの雑多な問題を一緒に的確に片付けてきた実績が裏打ちになるだろう。
某マッチングアプリで素敵な方と巡り会えたので、他の人の励みになればと思い共有。
アラフォーでも望みを捨てなければなんとかなる!
【スペック】
・38歳
・容姿は中の中くらい
・栃木県在住
・デブ(90kg)
【やったこと】
・転職
フルリモートの職にして居住地にとらわれず、収入もそこそこ上がり、相手の所得を考慮する必要をなくした。
上手くいかないことがあれば、次に行った時に質問してセットの仕方を学んだ。
服はユニクロやGUをやめ、少し高めのお店で店員さんと相談しつつ決めた。
とりあえず3セットくらい用意した。
その他眉シェーバーや鼻毛カッターを用意し、合わせてもらうときは必ず処理して行くようにした。
・アプリ
手当たり次第アプリを入れてみた。アプリによって女性のタイプがだいぶ変わるので、自分にあうアプリを選んで課金するようにした。
いいねは毎日送り、マッチングしたらなるべく早く顔合わせにお誘いした。
それは双方にとって早い方が良いと思うから。
プロフィールは頭に叩き込む、プロフィール写真もかなりよく見ておく。
最後に連絡先交換して、さっさと全額払ってお店を出て一旦さよならをした。
別れた後すぐにお礼のLINEを入れてた。
・顔合わせ以降
次のデートは相手の興味があるところを複数提案し、選んでもらった。
2〜3日連絡が来なくても耐える。
・3回目のデート
定番だけど、ここでお付き合いをお願いした。
自分がADHDだからって同じADHDに何かを強要する権利があるわけじゃないぞ
それにADHDにも症状の差があるから君のやり方でどうにかなるなんて勘違いも甚だしいぞ
ADHDで出来てないやつ見るたびに自分はできてるのに相手は努力不足なんだって決めつけてないか?
そういうのやめた方がいいぞ
俺はインターネットの使い方が下手なので、SNSを見ているといつのまにか男女バトルの観戦をし始めてしまっていることが多い
はてブもそう、5chもそう、Xもそう、redditはまだマシなような気がするけど、これは攻撃的なコンテンツを板ごとブロックしていってるからだろうな
とにかく、どこを見ても男女バトル、バトル、バトルだ
しかし、現実ではどうかっつうと、全然みんな仲良くやってるか、あるいは互いに興味なし、そんな感じだ
田舎に住んでいて電車じたい通ってねえから、痴漢も女性専用車両もない
会社には電気ポットなんて気の利いたものはねえから、みんな水道水かペットボトルの水を飲んでて、お茶汲み作業なんてものはない
人間がいねえからマッチングアプリをやってる人はほとんどいないし、それ故「世の中の男/女はクソだ」みたいな話が出ることもない
「潰れたTSUTAYAの跡地に"ドンキ"ができるらしいよ」「ドンキってなんの事?びっくりドンキー?ドンキホーテ?」「どっちでも割と嬉しいよね」→「結局ドラッグストアだったじゃねえか!」
こういう話しかしてない
日本の男は家事をしないとか、女は下方婚をしないとか、ぶつかりおじさんとか、女ドライバーは視野が狭いとか、そういうバトルはインターネットでしか見ることができない
あの戦場はなんなんだ?と思う
みんな本当は中身に興味なんかないんじゃないか?
ただ二つの陣営に分かれてヤイヤイ言い合いがしたくて、ちょうど大体1:1の比率になれるチーム分けとして「男女」がちょうど良くて、全然どうでもいいことを肴に口喧嘩をして楽しんでいるだけなのでは?
だってどうでもいいもんな ホームステイなんかしたことねえし、一生しねえよ なんの知識もねえから何も言えねえよ
でも確かにインターネットバトルが開催されてると、いっちょかみして、自陣営のために戦いたくなる
人の業だよ人の業
もうちょっといいチーム分けはねえのかなあ
前々から思っている。
中学校卒業後に3年間のベルーフスシューレ(Berufschule:職業学校)通いが義務付けられている州もあります。
ドイツの義務教育機関は、大きく分けてグルンドシューレ(Grundschule:基礎学校)とオーバーシューレ(Oberschule:上位学校)の2つに分類されます。グルンドシューレはすべての子供が同じように通う、いわば小学校にあたるもので、通学年数は短い州で4年間、長い州で6年間です。その後、成績や本人の進路希望によりギムナジウム(Gymnasium:中高一貫校)やレアールシューレ(Realschule:中学校)などのオーバーシューレで9〜13年生まで学びます。
続く高等教育機関には大学や専門学校がありますが、そういった機関で学ばない場合は、中学校卒業後に3年間のベルーフスシューレ(Berufschule:職業学校)通いが義務付けられている州もあります。
では具体的にどんな学校があり、どのような就学後の進路が考えられるのでしょうか?上述の通り、ドイツの学校システムは州によって異なるため、今回はバイエルン州の学校システムを例に紹介したいと思います。
全生徒共通のグルンドシューレ(Grundschule)を卒業すると、進路は3つに分かれます。進路を決めるものは、ほぼ成績です。成績が良い順からギムナジウム(Gymnasium)、レアールシューレ(Realschule)、ミッテルシューレ(Mittelschule)となります。ざっくり説明すると、義務教育後の将来的に、ギムナジウムは大学進学する子、レアールシューレは専門学校や職業学校で学ぶ子、ハウプトシューレは就職する子が進学するという感じです。
(1)ギムナジウム → 中高一貫校を修了後、卒業試験を経て大学進学
(2)レアールシューレ → 義務教育修了後に職業訓練を経て就職、あるいは専門学校を経て大学進学
(3)ミッテルシューレ → 義務教育修了後に就職、あるいは職業訓練
(2)レアールシューレ(Realschule)から(1)ギムナジウム(Gymnasium)など、途中で進路を変える道も開かれていますが、よほど成績が良くない限り難しいと言われています。ほぼ10歳で将来が決まってしまうと言われるのはこのためです。
【義務教育】 1〜4年生:グルンドシューレ(Grundschule) ※日本の小学校にあたる、全生徒共通の学校
- 進 路 の 分 か れ 道 ----------------------------
5〜10年生:ミッテルシューレ(Mittelschule)、レアールシューレ(Realschule) ※日本の中学校にあたる
5〜13年生:ギムナジウム(Gymnasium) ※日本の中学校と高校にあたる
- 進 路 の 分 か れ 道 ----------------------------
【それ以降の高等教育機会】
3年間:ベルーフスシューレ(Berufsschule im dualen System/Berufsfachschule:職業学校)
3年間:ファッシューレ(Fachakademie/Fachschule:専門学校)、ベルーフスオーバーシューレ(Berufliche Oberschule BOS/Berufliche Oberschule FOS:職業高等学校)
ギムナジウム修了後
4年間〜:ウニヴェルシテート(Universität:大学)
ミッテルシューレ(5〜9/10年生)は基礎的な学力を身に付けるための学校で、将来の就業に必要な知識などを中心に学びます。授業内容は職業・実務を重視したものになっています。修了後は即就職する道だけでなく、働きながら職業学校で学んだり、職業訓練(Ausbildung)を受けてより専門的な職業を目指すこともできます。
〜ミッテルシューレ修了後の進路〜
→ 就職
→ 職業訓練(Ausbildung)
レアールシューレ(5〜10年生)は、論理的思考を身に付け、幅広い職業を視野に入れて能力を磨くことを命題とした中間的レベルの学校です。修了後、職業に直結した専門学校や単科大学で学びを深めることを前提としており、成績によってはギムナジウムへの編入や、専門学校を経て総合大学進学も可能です。
→ 職業訓練専門学校(Fachschule über Berufsausbildung/Fachakademie über Berufsausbildung/Berufsoberschule über Berufsausbildung)
→ カレッジ(Kolleg)
ギムナジウム(Gymnasium)とは?
ギムナジウム(5〜13年生)は高等教育機関(大学)で学びを深めることを前提とした、日本の中学と高校にあたる学校です。幅広い教養と、アカデミックな研究につながる基礎知識・学力を身に付けることを命題としています。ギムナジウム修了試験(Abitur)の成績によって、進学できる大学や学部が決まります。
〜ギムナジウム修了後の進路〜
→ 総合大学(Universtät)
ドイツの就学時期
このように複雑なドイツの学校システム、何歳からスタートするのでしょうか?結論から言ってしまうと、明文化されたルールはありません。ドイツ在住の子供達が小学校に入学するのは、一般的に5歳(6歳になる年)〜6歳(7歳になる年)。少なくとも5歳以上であって、小学校の授業に付いていける能力が十分にあると判断されれば就学が可能なようです。特別な理由がなければ6歳になる年に就学するのが一般的ですが、ここ数年はコロナ禍で自宅学習やオンライン授業が増えたことに不安を持ち、就学を遅らせる家庭が以前より多くなったと言われています。
今回例に挙げたバイエルン州では、就学可能年齢になる約1年前(4〜5歳)に保健所(Gesundheitsreferat)から手紙が届き、専門医による就学前検診(Schul-Eingangs-Untersuchung、Gesundheitsuntersuchung zur Einschulung)で心身の発達をチェックして就学の可否を判断されます。ドイツは9月始業で、9月前後の誕生日の子供は日本でいう早生まれにあたるため(バイエルン州では7月1日から9月30日まで)、検診結果や親の希望、小学校や幼稚園からのアドバイスによっては就学を1年遅らせる(7歳になる年に就学する)という選択も取れるようになっています。
中学、高校卒業後に職業訓練校に通えるのは本当に良いことだと思う。
学校の勉強ができなくても、違う視点から同じ様な事を学ぶことができる。
ドーピング云々で関連Youtuberが次々動画出して大騒ぎしてるのなんてボディビル界隈だけだよねw
みたいなアホみたいなエントリが注目に入ってるけどさ。
そんなわけねーだろアホが。自分の視野の狭さを誇るな。バカがよ。
1.ボクシング
一番有名どころで行くと、4階級王者でそのうち1階級で4団体統一、2階級で3団体統一したメキシカンビーフことサウル・アルバレス。
彼がドーピングで引っかかった際に「メキシコの牛肉にドーピング薬が含まれていたんだ」と発言し話題に。
世界的にボクシング系Youtuberはこぞって動画を出したし、今でもちょいちょい関連動画が出る。
日本での有名どころだと山中慎介選手を4RでKO勝利したルイス・ネリも試合後のドーピング検査で失格。
日本のボクシング系Youtuberはこぞって動画をアップした。
2.RIZIN
ここ最近で一番ホットなドーピング問題。これ知らん時点でアンテナ低すぎて話にならんわ。
去年の中頃に木村・フィリップ・ミノル選手がドーピング検査の結果アウトに。
半年後、復帰戦の大晦日マッチのためのドーピング検査でもう一回アウトに。
「ゲームなんてしている暇があったら……」「漫画ばっかり読んで……」と、子どもがエンタメに触れることに対してやたら反対して話そうとしますが、私はあまりそんなことはありません。じゃあ勉強しなくて遊んでてもいいのか、というと、そういうわけでもない。
今どき「ゲームなんてしている暇があったら……」 「漫画ばっかり読んで……」なんていってる化石みたいな教育ママおりゅ?
あと、なんでこれ父親出てこないんだ。
私は、ゲームや漫画を、勉強と対極にあるものだとは考えていない、ということです。
「ゲームばっかりしていないで、ちゃんと仕事をしろ!」「漫画ばかり読んでいないで、単語の一つでも覚えなさい!」などと言いますが、
ゲームメーカーで働いている人はゲームで仕事をしていますし、「漫画で覚える英単語」のような漫画もあるわけです。
そういうものを分断して考える人は結局、「勉強とは何か」「仕事とは何か」という定義が全然できていない人だから、
そんな人がこうしなさいと指導したところで、大した力にはならないのです。
あまり漫画を買わない私は、いくつかの作品だけは買い揃えていて、小学生の長男や次男がよく読んでいるので、教育ママ気質のうちの妻が、「漫画ばかり読むな!」と言いました。
そして、うちの妻がどこからか「現役東大生たちが受験以前に読んでた本」みたいなムックを取り寄せてきて、子どもに読ませようとしました。
するとそこには、『三国志』『ブラック・ジャック』『はたらく細胞』『キングダム』など、子どもたちの読んでいた私の漫画は、全て挙げられていたのです。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
書き出しからしてすでにマウントしたい気持ちはわかるけどこの一文いる?
どうしてこれだけ露骨にマウントしてるのに、さらにこの一文を書いてしまうのか。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
私は「漫画が良い・悪い」ではなく、「この漫画はこういう意味がある」と一つひとつを選んでいるので、まあ当然かなとも思います。
この一文を書きたい気持ちが抑えられない人、本当にキングダムとか三国志読んでる?
キングダムせっかく読んでも全く学べてないですよね。
こういう人がマンガ語るのやめてもらっていいですか。
教育ママよりこのマウント癖の強い親父のほうが絶対悪影響だぞ。
この親父、子供が活躍したら「でも俺のほうがすごい」「俺の子供の頃は」ってマウントがやめられないマウント中毒じゃん。
うげえええええええええええゲロ吐きそう。
世間とか妻に対するマウントすごくて笑う。こういう感じでマンガ語る人たちって「大半のマンガはカス」って思ってそうで反吐が出るわ。
手塚治虫のマンガだけはOKっていってるポリコレと似た香りがする。
「ゲームはダメ。それなら映画を観なさい」などという価値観の親の中も、結局映画館に連れて行ってスーパーマリオの映画なんか観せていたり。
「テレビより小説を読みなさい」と言ってもその小説がドラマ化になって観せていいのかどうか迷ったり。
自分が勝手にジャンルを分断すると、そういうチグハグなことが起こります。
「○○○はダメ」「○○○はやらない」「○○○には興味ない」
と、多くの人が何らかのジャンルをばっさり切り捨てて近づかないようにします。
しかし、世の中はそういうジャンルなど関係なしに融合や影響を繰り返して、どんどん進化していっています。
自分は離れているつもりでも、案外自分に関わっていることもあれば、意外な恩恵を受けていることもあります。
そういう時に、「拒絶していたから理解がない」という状況は、視野を狭くして、自分たちの可能性を封じ込めてしまいます。
ジャンル分けをして良し悪しを決めるのではなくそこから有用なものを探してみる、有益なものを抽出してみる、という意識のほうがいいのです。
脳内で上質を知る男のネスカフェゴールドブレンドのCMソング流して絶頂しながら文章書いてそう。
きっと出会うたびに自分の服装とか小物についてうんちく語るやつだ。
ほああああああああああ!
これが相当大きいと思っていて、この二国から直接の軍事侵攻の可能性が低く、また非常に遠いというのは今後数十年を視野に入れたときにリスクを大幅に下げると見ている。
多くの先進国が陥っている「生産年齢人口の減少」は、経済衰退の最大要因である。先進国以外では中国ですら始まっている。この点で移民を受け入れ続けるアメリカは強い。
原油生産国ランキングで、アメリカはサウジやロシアを上回り一位である。天然ガスも一位。資源があるというのは有利だし、投資的にはリスクの低さを意味する。
トウモロコシ一位、小麦が四位、大豆は二位。こちらの側面でも、食料を輸入に頼る国と比べてリスクが低いのは明白。
結論として、S&P500ではなくオルカンにすることは、リスクを上げるだけだと考えている。
そりゃ短期間ではS&P500を上回る成績のindex投信もあるだろうけど、長期ではオルカンより間違いなく良いはず。
反論を聞いてみたいので、ぜひ聞かせてください。