はてなキーワード: 公立学校とは
道路を封鎖していた環境保護運動の参加者が渋滞に怒ったドライバーに射殺されてしまう事件が発生
https://gigazine.net/news/20231109-environmental-protesters-blocking-shoot/
mystandard1979 そもそも彼は教授でも弁護士でもなく、撃たれた人も環境活動家ではなかったらしい。
偽情報を流しているのは、トランプの2020年大統領選“不正偽情報”を流していた界隈で、今回の情報源はEndWokenessやIan Miles Cheongなど
パナマの事件、犯人が「環境活動家を自力で排除したダークヒーロー」みたいに扱われてるの何?報道によれば
・犯人は銃火器違法所持の前科のあるアメリカ人(パナマ生まれでパナマ国籍あり)で、マネーロンダリングで有罪になったバンカーの顧問
なんだけど
日本のツイフェミが言ってる性加害の話は、安全圏でワガママ言ってるだけ。
アメリカではもっと深刻なレイプ被害などがあるから議論が進む。
そんなに欧米のような国がいいなら、さっさとアメリカにいってきて、半年か1年過ごしてみて、その上で
https://nypost.com/2023/09/04/virginia-school-kept-teen-gender-transition-secret-suit/
バージニア州の高校生が家出し、複数の州で性的人身売買を受けた。その理由の一つは、高校が彼女が男性であると認識している児童の両親に告げず、そのことで執拗ないじめを受けたことが訴訟で主張されている。
現在16歳の祖母であり養母でもあるミシェル・ブレアさんはワシントンのセージ審査官に対し、「彼らは娘を守る権利を盗んだ」と語った。
問題のある幼少期を過ごし、精神的健康上の問題を抱えていたセージさんは、2021年8月10日、14歳でアポマトックス郡高校に通い始め、そこで男性代名詞や男性名で呼び、男性用トイレを使うなど、自分を男性であると認識し始めたという。ミシェルさんが先月バージニア州連邦裁判所に起こした訴訟に対して。
しかし、学校職員はセージさんの男の子になりたいという願望に積極的に関与し、彼女が度重なるいじめを受けていたことを知っていたにもかかわらず、性転換を「意図的に隠蔽」し、手遅れになってセージさんが逃げ出すまで両親を巻き込むことはなかった。その後、彼女は4つの異なる州で数か月間にわたって複数の男にレイプされたと訴訟は主張している。
2021年8月11日、新学期が始まったばかりのある日、セージさんはバスの中で男子生徒たちから悪質ないじめを受け始めた。少年たちに「男の子に見える」と言われ、「男の子が好きになるまでレイプする」と脅され、学校から締め出すと脅迫された。訴状によると、彼女が謝らない限り彼女の髪をバスの窓に押しつけ、どこに住んでいるか知っていると言って撃つと脅したという。
翌日、セージさんは2人の指導カウンセラーと面会し、自分が少年であることを伝え、バス事件について話し合った。しかし、職員らはミケーレさんにいかなる情報も開示していないと裁判所文書は述べている。
訴訟によれば、セージさんはその月を通じて、男子トイレや廊下で男子生徒らに「触られたり、ナイフによる暴力や強姦で脅されたり、廊下の壁に押しつけられたり」していじめられ続けたという。
カウンセラーらは、新学期の最初の12日のうち8日はセージさんと会ったが、ミシェルさんには、子どもの「性の不一致」についてカウンセリングを行っており、「彼女を男性として肯定している」ことは伝えなかった。訴状によると、男子生徒からの既知の脅迫にも関わらず、女子生徒が男子トイレを使用したという。
裁判所文書によると、いじめがあまりにもひどくなったため、他の保護者もいじめについて学校に報告し始めたという。
8月25日になって初めて、カウンセラーはセージが男子トイレを使っていること、そして「安全上の懸念」だけを理由にミケーレさんに伝えたが、それでも親には子供の性自認の変化や、そのせいで彼女が受けたいじめについて伝えていなかった。と提出書類は主張している。
同紙によると、カウンセラーはミシェルさんに「(セージさんの)体に自傷行為の傷があることに気づいた」と語ったという。その同じ日に、ミケーレさんは「ドラコ」という名前が記載された学校の定期券を見つけ、セージさんは自分が男性であることを母親に告げ、彼女が受けた脅迫と感じていた恐怖を打ち明けた、と訴訟は主張している。
訴訟によれば、セージさんはミシェルに対し、カウンセラーが「そうするように指示」していなかったら「男子トイレを使わなかっただろう」と語ったという。
しかし、恐怖に駆られた少女は「精神異常に陥り、逃亡を決意」し、その夜、寝室の窓からこっそり抜け出し、両親に宛てたメモを残した、と訴状は主張している。
訴状によると、メモには「あなたは自分の仕事を果たした。イエスはあなたを愛している」と書かれていたという。
「このまま残ったらどうなるのかが怖い。用心してください。ここには悪い人たちがいます」と彼女は言い、「愛を込めて」と手紙に署名した。
セージさんは「見知らぬ成人男性に誘拐され、レイプされた」後、ワシントンDCに連れて行かれ、他の2人の男たちに残されたまま、やはり薬物を投与され、レイプされたと訴訟は主張している。
その後、この2人の男が彼女をメリーランド州まで車で連れて行き、登録済みの性犯罪者と一緒に彼女を置き去りにし、その男が彼女を強姦し、他人に性的人身売買を行った後、彼女を部屋に閉じ込めた、と訴訟は主張している。
ブレア首相の弁護士バーナデット・ブロイルズ氏は、ボルティモアでセージ氏は最終的に連邦当局によって救出され、「悪夢は終わるはずだった」とワシントン審査紙に語った。
しかし、ボルチモアの国選弁護人アニーサ・カーンが両親がセージ君の新しい性自認を「十分に肯定」していないと主張したため、州がセージ君の監護権を取得したと訴訟は主張している。
セージさんは少年のための少年施設に収容され、「そこで再び性的暴行を受け、薬物にさらされ、医療的および精神的医療を受けられなかった」と訴状は主張している。
セージさんは2021年11月12日にその施設から逃走し、別の小児性愛者に拾われてテキサス州に連れて行かれ、「そこで再びレイプされ、薬物を投与され、飢えと拷問を受けた」と訴訟は主張している。
裁判所文書によると、2022年1月24日に当局がテキサス州でセージさんを救出した後、最終的にセージさんはミシェルさんに返されたという。
彼女に起こった出来事の結果、セージさんは複雑性心的外傷後ストレス障害と診断され、「おそらく残りの人生で治療が必要になるだろう」と訴訟では述べており、セージさんは入院と外来を繰り返していると記されている。帰国してからの治療。
ブレア氏の別の弁護士、メアリー・マカリスター氏はポスト紙に次のように語った。「もしセージさんの両親が彼女の精神状態を十分に把握しており、彼女が最初に自分のアイデンティティに疑問を持ち始めたときに必要なメンタルヘルスカウンセリングを提供する機会を与えていたら、こうしたことはすべて防げたはずだ。」
「むしろ、学区も国選弁護人事務所も、自分たちのほうが親よりもよく知っていると判断したのです。彼らの傲慢さの結果、セージは何度も犠牲になりました。」
遺族は現在、アポマトックス郡教育委員会、スクールカウンセラー2人、カーン氏に対し、不特定の損害賠償を求めて訴訟を起こしている。
(かなり前に書いたものですが、バービンハイマーのミーム騒動などもあり改めて知ってみたいので、一部修正の上再掲します)
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。
言い方を変えると、
のとき、
グループAの人間を一律で排除することが差別に当たるか当たらないか?という問題と言える
そしてこのグループAは、今は性犯罪履歴を持つ者、だけど、これは簡単に、それこそブコメみたいに、「男性」「トランスジェンダー」「バイセクシャル」「外国人」「大阪出身者」「育ちが悪いもの」「新興宗教信者」とかに変わる可能性を持つぞ
そして実際調べたら、マイノリティグループごとの統計を出すと犯罪率が5%、50%、0.01%、とかだった場合、
5%グループも排除していいか?25%グループは排除して50%グループが手付かずなのは何でか?0.01%グループは一般より優先して採用していいか?
みたいな話もでてくる
そしてこの問題の目的は犯罪者の排除ではなく子供たちを守ることだよね
「性犯罪者」って、イメージから排除されて当然と思われやすい憎まれた属性であるせいで、問題の本質に目を向けられなくなっている人が多い印象
メリーランド州民主党、「組織的な人種差別」を解体するために白人女性を指導部から排除すべきだと宣言
民主党選出議員は講演者のラインナップについて「白人は…少数であるべきであり、それには正当な理由がある」と述べた
FOX初– 教育委員会の会議で発言したイスラム教徒の子供たちが「白人至上主義者と同じ側にいる」と主張して最近批判されたある民主党のメリーランド市議会議員は、「白人女性」や「白人至上主義者」をバッシングした経歴もある。シオニストユダヤ人」とFOXニュースデジタルが報じた。
元公立学校教師のクリスティン・ミンク氏は、12月に第5地区を代表してモンゴメリー郡議会議員に選出された。
彼女は「これは公平だ」と宣言しながら、火曜日の夜の教育委員会会議で、 LGBTQ+のカリキュラムに反対するイスラム教徒の子供たちは「白人至上主義者と同じ側にいる」と論じた。
「残念なことに、この問題は…一部のイスラム教徒の家族を白人至上主義者や完全な偏屈者と同じ立場に置くことになっている」と民主党は述べた。「私はあなたをそれらの人々と同じカテゴリーに入れるつもりはありませんが、ご存知のとおり、彼らはこの特定の問題について同じ側に陥っているので、それは複雑です。」
彼女はまた、「愛国者」という言葉は白人を表すのに使われると主張した。
「今こそ『愛国者』という言葉を取り戻す時だ。そして明確にしておきたいのですが、私が『『愛国者』という言葉を取り戻せ』と言うとき、私は実際に『愛国者』という意味でその言葉を使っている人たちが、『白人』という意味でそれを使っている人たちからその言葉を取り戻しているということです」と彼女は語った。
同市議会議員はまた、黒人や警察との衝突の間、白人は自らの身体を人間の盾として使用すべきだという要求への支持を表明した。
彼女は「現場で白人たちの特権をどのように活用するかをロジスティックに教えてくれる主催者たち」に感謝した。
自分でも恵まれた環境だと認識しているが、本当に毎日が仕事が辛い。楽しくない。
社会人になる前から躁鬱になったり発達障害だったり、でなんだかんだ年に10回以上は心療内科に通っている。
その症状が会社での地位が上がり、若手から中堅になり、ストレスが増えれば増えるほど、ひどくなってきている。
昔からなんでもできた。目の前のことをそこそこ一生懸命に頑張るだけで、誰よりも良い評価をもらえた。ただそれは地方の公立学校という限られた環境で。
受験戦争の前に勉強に飽きてしまった。満足に努力せずにそこそこ良い大学に行ってしまったことがきっかけで、悪い癖がついた。努力をしなくても大丈夫っていう。
その流れで、手先と口の器用さと、初速の勢いだけでこれまで生きてきた。でももうそれも飽きた。当たり前のことを当たり前に頑張り続けるのがしんどい。
プライベートも順調で、結婚して夫婦仲はかなり良い。友達もいる。趣味もある。
労働条件の話ばかりに終始している人は、
自分自分の自分ばっかりでそれと合わない周りやら影やらを呪っていても惨めな気持ちになりませんか。
いやいや、大上段から何か言いたいのではなくて、自戒と自分への叱咤の意味で書くのですけれど。
働き始めるとどんな仕事でもそうなのだと思っているのですけれど、自分が日々を行っている仕事は苦役よりなのか祈りよりなのかってぼんやりでもわかってくるように思います。
公立学校の教員って祈りよりで割と濃い目の仕事なんだとわかってきました。
この仕事は、祈りの部分で言うと、目の前のこの人がどのような人になっていくのか寄り添いながら幸を祈ったり、祈った上で最善を尽くせたり、
尽くせず歯がゆい思いをしたり、そんな日々です。それを何かのせいにしたり、誰かのせいにしてしまったり、誰かのせいにした自分を情けなく恥ずかしく思う日々です。
苦役なんだとしか思えず、不貞腐れたり、苦役だからと居直ったりしている人からは何か学びたいと思う人は少なく思います。
そのため、陰では汚物みたいに扱われたり、避けられたりするのをよく目にしてきました。度がすぎると卒業式終了後に保護者に怒鳴り込まれたりしていました。
その怒鳴り込まれた本人は強がってましたが、職場の同僚からも好かれてはなかったようで、より一層惨めな人だなあと思っていました。
自分がそうなると、ただただ悲しいです。そこでキレ散らかしたとて何か事態が良い風に変わるわけではありません。
労働条件整備については、組合の中堅以上(青年部でなくなったあたり以上の人たち)に任せるのが肝要だと思います。
自分がその順番になって初めて先輩からのバトンを受け取ればいいのだと思っています。
私たち現場の労働条件が良くなるかどうかは、勤務校の管理職や自治体の教育委員会で決まることが多くその鍵を握っているのが組合です。
入ってない人は、組合に入った方がいいですよ。組合費かかりますけれど、必要なお金なのかなと折り合いをつけています。
入ってないのに労働条件について何のかんの不満を垂れたり、全世界に発信してもあなたの目の前の労働環境は変わらんです。
組合は確かにイデオロギーの癖が強く、何言ってんだろこの人たちと面食らうこともあります。
でも、組合があるから労働条件が長い変遷を経ながら向上してきた側面はあります。
組合の出入り(お抱え?)の学者もいて、労働条件については、声をあげてくれています。
組合の中での活動員の活動的に、twitter上で労働条件のことをイキリ散らかしているのならば、お勤めご苦労様です。ありがとうございます。
そうでもない非組合で未成年がやっているウラ垢的にイキリ散らかしているのなら、慎みましょう。
保護者や児童生徒はイキリ散らかしてるの見てるし、そこからトラブルを招きます。
デジタルタトゥーになっても構わないようなつぶやきを心がけましょう。
修学旅行の見積もりについては、私は数社見積もりを依頼して業者を選定しています。
数社投げても半分くらいは音信不通です。年々ゆるやかに回答が苦しくなり渋くなってもいます。
業者さんの方に旨みがないし、抱えるリスクの方が年々大きくなっているのだという話は中にいて聞くことがあります。
旅行会社の方を詰めるというよりもどうしても納得いかないのであれば、自身に縁のある地元の議員さんに陳状にいく案件だと思います。
私が属する自治体では、全額を負担されているご家庭は少ない印象です。
自治体から補助が出るご家庭も多いです。どうしても、経済的に負担が難しければ自治体に相談しても良いのかもしれません。
おそらく件のツイートの方も、
もしこの前のバレンタインジャンボで1等当選していれば業者を詰めようという思いに駆られたり、
全世界に発信してこのおかしさを糾してやろうなどどいう思いに駆られることはなかったでしょう。
もし、そうなのであれば、地道にゆかりのある地元の議員さんに陳状に通ってください。
労働条件が悪いからと不平を言ったり、そっち(保護者サイド)がいちゃもんつけるなら止めましょうと
その中を覗いていると、修学旅行について業務的な視点でしか語らない人ばかりで、
修学旅行の意義を真摯に門外漢の人に自分の言葉で話している人がいなくて残念でした。
私は修学旅行は教師が意義をブレずに持つことが大切だと感じながら日々を過ごしています。
この意義は自分の中でブレずに持っていないといけなくて持っていて、
自分がブレないものであれば何でもいいと思います。でも、持ってないとダメです。
それを持った上でどのように一つ一つの体験活動を教材化するかです。
このあたりを教えてくれる先輩がいないまま権利権利、〇〇ハラスメント〇〇ハラスメントと真顔で言っている人は、
本当に不幸な日々だと思います。
生徒や保護者目線であれば「旅行代高え、金ねえよそんなに」「ですよねー」で構いませんが
教師であればそれしか言葉を持っていないとなると日々が辛かろうなあと思います。
公立学校の教員としては「ハイハイ、意識が高くて本当に素晴らしいですね」でいいです。
そんなのは現場からほど遠いお役人や現場を知らないどこかの大学教授が己の欲望を叶えるために勝手にやってくれます。
大事なことは目の前のこの児童生徒にしてやれることが本当に少ない惨めさを噛み締めながら前に進もうとすることと
この人のことで自分は真に祈ることができるかどうかです。
ムスリムへのハラール給食を提供している/いた学校があることが認識できない人っていうまとめ見てビビった。見事に議論が噛み合ってない。
……それはまだ違憲判決が出てないだけなのでは?
「裁判になるまでは普通にやってて問題になってなかったこと」なんて、いくらでもあるからね。それこそ、親を殺した人を重い刑に処すのなんて、違憲判決が出るまでは当たり前だったわけで。
個人的に、ここで挙げられている横浜市立飯田北いちょう小学校のハラール給食は、憲法違反だと思う。……もしそれが本当にハラールなら。
ハラールは、単に豚肉を避ければよいというものではない。たとえば「特定の生徒の野菜炒めから豚肉を取り除く」だけではダメだ。豚肉と一緒に調理された野菜や、さっきまで豚を調理してたフライパンで炒められた野菜もハラールではないからだ。別々に調理する必要があるし、当然、新規の食器を購入する必要も出てくるだろう(要するに、「ムスリムにとって豚肉とはウンコのようなもの」だと思えばよい。誰も、特殊な趣味の人を除けば、ウンコと一緒に炒められた肉や、さっきまでウンコが乗ってた皿に盛り付けられた料理を食いたくないだろ?)。
あるいは仮に牛や鶏であっても、屠殺はムスリムか啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)によって行わなければならないので、仮に「行政が認めたハラール」なるものがあるとすれば、それはすなわち「行政が、特定の宗教の信者のみを屠殺人として指定している」(あるいは、特定の宗教を持つ屠殺業者のみを選んで契約している)という意味になる。要するに、本当に公立学校でハラール給食を出すなら、仏教徒や無神論者の屠殺業者は入札に参加できないことになる。これは特定の宗教の優遇を禁じた憲法に違反する。行政が給食の契約をするに際して事業者を宗教で選別することは許されない。横浜市民のはてなーはぜひ横浜市立飯田北いちょう小学校の給食に関する行政訴訟を起こしてほしい。
ただし、小学校の給食なので、厳密なハラールではない可能性もある。つまり、普通の野菜炒めから豚肉を取り去って「ハラールですが何か」と言い張っている可能性はある。牛肉や鶏肉も、日本人が屠殺したやつを使ってるのかもしれない。それなら日本国憲法には違反しないので訴訟の必要はないが、それは断じてハラールではないので、ハラールであると嘘をついてムスリムの住民を騙すのはやめるべきだ。
個人的には、ムスリム住民にハラール給食出すくらいは別にいいじゃん、と思うが、市が神社に無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(砂川政教分離訴訟)、琉球王国時代から続く孔子廟に那覇市が無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(孔子廟訴訟)、大規模災害の被災地で寺社仏閣への支援がなかなか行われてこなかったりしてきたわけで、ムスリムだけ公費による優遇OKにするのは不公平感が強くて納得がいかない。土地の無償貸与がダメで、業者を宗教で選別するのはOKなんて通らないでしょ。憲法を改正して「伝統宗教に公序良俗の範囲でカネを出すのはOK」ってことにする以外に解決策がないので、ムスリムの人たちが公教育でのハラール給食を望むなら、ぜひ憲法改正運動に手を貸してほしい。
中学の頃。「総合」の時間でクラスのお調子者というか半分問題児な男子がどういうわけかクラス委員選挙に立候補した。手作りの選挙ボックスにみんながワイワイと票を入れて、真面目な女子と一騎打ちになり、お調子者が勝利した。
担任の教師は突如真剣な顔をして、「それが本当にあなた達の取りたい選択なのか考えて」と説教し、なぜかその選挙をやり直させた。
(普通なら今度は女子が勝つんだろうけど)二度目も僅差でお調子者が勝利。担任マジギレ。でもお調子者も黙ってなくて、「なんで俺じゃダメなんですか。これ選挙になってない」と聞くが、担任は訳の分からない事を言って答えず。
三度目、なんか給食費泥棒の犯人探しみたいな、「机に伏せて挙手」形式にさせられて女子が勝利。
公立の高校時代。生徒会長選挙があり、体育館で演説会をやる。生徒は全員強制召集(全校集会)。
生徒会長候補が演説中、こんなことをやった。「みなさん、後ろを向いて下さい。……前を向いて下さい。……私には人を動かす力があります」
まあくだらない冗談だけど、生徒達は微妙にウケる。そして後日投票が行われた(候補は一人しかいないので実質無投票)・・・はずなのだが、なぜか立候補していないはずの別の男子が候補になっていて生徒会長になっていた。そして誰もそれを指摘しない。
あの最初に演説していた候補は「くだらない演説をした」とか凄い説教されたあと立候補を取り下げさせられたらしい。いや、でも、候補のすり替えって……。
もちろん、公立学校でそもそも政治参加というか民主主義教育なんてやりようがないってのは分かってる。一つのクラスや学校の中の出来事が全てではないのも分ってる。こいつらがたぶん不真面目だったのも分ってる。
だが、当時の大人・教師たちの対応にすごい不信感を覚えさせられた。選べと言いながら選ばせず、考え方から誘導しようとするあの姿に。
そして今。
泡沫政党を指して「オウムを面白がってたら大変なことになった!」「NHK党や参政党を面白がってはいけない!」みたいなことをいう連中がとても多い。
筋道を立てた「なぜこの党のこの政策がダメなのか」といった批判ではなく、「ダメなものはダメ!」「選挙は神聖!」みたいなお題目しか唱えられない、たぶんリベラルな人々。
「オウム真理教・アーレフの人は、供託金を十倍にします」「『常軌を逸した』候補は立候補を禁止します」みたいなことをやりたいの?
安倍が射殺された後、「この選挙を弔い合戦にしてはいけない」「票は香典ではない」という人たちもいたね。
私は自民に入れなかったが、でも仮に「安倍が撃たれた?可哀想、弔い合戦だ」といって自民に票を入れる人がいても、それはその人の選択じゃん。
面白がって入れていい。単純な感情で入れていい。とにかく入れたい人に入れていい。
立候補してる以上「あの候補は泡沫です、ふざけてます」「この候補は頭がおかしいです」みたいな人格や出自に関わる情報や誘導は関係ない。
職業訓練校の話になると高専の話題が出るが、卒業者の一人として思ったこと。
現時点の採用側や大学や職場での高専卒に対する能力の評価はポジティブなものが多い印象受ける。
だけど、そこを担保しているのは
・学校数が少なく、入学の段階で一定の学力が必要なこと。(中学卒業者の1%)
・一般的な年齢の子が大学受験に要する時間の多くを、実務や専門の勉学+α(ロボコン等)に割けること。
・高校生相当の年齢(15〜20才)で留年する子がそれなりの人数発生すること。
※卒業した高専は在校生の1割が留年経験者で、入学時からストレートで卒業するのは8割くらい。退学者も多い。25%が留年したクラスもあった。
大部分は若い段階で学力と専門への適正で篩い落としが働いていることが大きいと思う。
他の高専は分からないが入学以降はカリキュラムと塾がリンクしていないので、塾で成績を上げてきて入学した子は辛そうな印象を受けた。
高専退学者で怨嗟の声もよく聞く。若い段階で篩い落としが激しいので当然。
近々だと卒業者が毎年全国で1万人ほどで、就職するのが6000人弱。しかも専門の特性上特定産業。
専門とマッチする卒業生が就職市場に何人投入されるんだろうなって人数。
大学もここまで極端に数が少ないわけではないが、そこに至るまで競争や篩い落としが働いてたこそ質が担保されてた側面もあるんじゃないだろうか。
高専の数を増やすだけだと、私大が増えた現状と似た感じで安泰とは言えなくなるように思う。
現状は工学に偏ってるので、他の専門分野の高専が増えるのなら面白く思うが。
【追記】
・第一に小学校の中学年時点でなりたい職業が決まっていたこと。大学生になって学べるようになるまでの時間を考えると中学卒業時点から学べるのは魅力があった。
・高等教育は受けたいなと思っていたこと。それに対して高専のコスパが良かったこと
・田舎だと教育コストの関係上 公>私 の価値観。私立高校に対する認識は、大学内におけるFラン私立のような認識。
・高校受験が学区制で自分の学力と合う公立高校が近隣になかったこと。調べたら現在半数の都道府県で学区制は廃止らしい。自分が受験した当時は大半でまだ学区制があったようだ。
学区内の公立進学校の偏差値が60、次点の公立高校が55。近隣の私立高校は公立進学校よりも低い。
自身の偏差値が60半ば、高専の目的の学科が60前半だったので高専を選んだ。
自分が住んでいる地域に置ける中学卒業時のコスパを含めた選択肢の狭さの影響が大きい。
中学卒業時点で学力さえあれば住んでいる地域に限らず入学できるよっていう公立学校が高専しかなかった。国立のメリット。
公立小中学校→推薦→高専→入社だったから、組織に入る際に学力を測るテストを受けたことはなくそこに関しては個人として特殊なんじゃないかと思ってる。
先天性心臓病患者の成人。要するに生まれつき心臓に奇形がある。100人に1人は自分みたいな先天性心臓病を持って生まれてくる。3クラスあれば、1人ぐらいはいる。
基本、子どもの頃に手術をしないと、寿命が短くなったりする。幼児期に手術をして直せば、「順調にいけば」健常者と同じ寿命が保たれるといわれている。が、一度手術をすれば、完全に健常者と同じというわけにはいかない。一生、「新型コロナウイルスの重症化リスクあり」の基礎疾患者になる。先天性心臓病で手術した子は、学校は健常者と同じ「普通学級」に通う。学力は普通の子と変わらず、日常生活は普通におくれるので「障碍」がなく、障碍者手帳も余程重度でないともらえないからだ。見た目は、健常者と全く区別がつかない。自分も小中高、全て健常者と同じ教育を受けてきた。つまり、基礎疾患リスクだけがある。
心臓というのは、基本的に一度、筋肉が弱ると治ることはない。だから、子どもの頃に手術直後の状態がベストで、その後の人生は、いかに「現状を保つか」が勝負になる。新型コロナウイルスに感染しても「治るから」なんていうのは、同じ土俵を踏んでいない健常者のたわごとだ。先天性心臓病患者で手術した子は、成人しても何十年経っても手術した病院の専門の「小児科」に定期健診に通う。子どもの頃に手術した影響が出るのは、手術から何十年も経ってからだからだ。手術した病院も、昔の手術が成功しているかどうかを追跡調査できるので、メリットがある。
さて、自分も最近、定期健診で小児科に行ってきた。子どものころから何十年も通った病院だ。が、様子が違った。延々と待たされる。いつもは待たされても1時間ぐらいなのに、2時間以上も待たされた。初めてのことだ。
医師の方に聞いたら、クラスの先生が「4月からマスクを外そう」という雰囲気になってしまい、怯えた子が親御さんと一緒に来院して学校提出用の診断書をお願いされるケースが続出していて、結果、遅くなったという事だった。
何というか、「やっぱりそうなのか」という感じだ。要するに、学校の先生にとって、我々みたいな見た目健常者にしか見えず、生活に支障が出るという意味での「障碍」も持たないのに、基礎疾患だけ持って社会で暮らすような人間は「邪魔っけ」であって、「社会のお荷物」で要らない存在なんだろうと思う。
学校の先生が口ではどのようにつくろおうが、内心はそのように思っているはず。マスクをつけずに感染したら、重症化したり人生が変わってしまうような子たちは、自分の仕事の上では「生まれてきてほしくない邪魔な存在」で、リコリス・リコイルみたいな先天性心臓病をダシに使った作品の中で、健常者に共感を与えるだけの存在として生きて、10代のうちに死んで社会に出てきてほしくない…と、学校の先生はそのように思っているのだろう。少なくとも、我々先天性心臓病患者は、教員を見たら自分を迷惑な存在だと思っているはずだ、と自衛して生きたほうが日本社会では幸福になれると思う。自分はそうやって生きてきた。
やはり、「先生は、私みたいな先天性心臓病患者は生まれてこないほうがいいと思っているんじゃないですか?」、「先生は、健常者の立場で命の選別をしている、差別主義者だったんですね」、「クラスでマスクを外して、クラスターが発生し、万一私が重症化したら、私は先生を一生恨もうと思います」、「マスク外して感染したら重症化するかもしれないのに、私にマスク外してほしいってことは、先生もクラスも私に重症化してほしいって思っているっていう事ですよね?」ぐらいの事は、学校の先生に言ってあげてもいいんじゃないかなぁ。できるだけ、学校の先生が、我々のような存在が、アニメの中だけではなく、現実にかなりの比率で「生きている」存在であると実感できるように。
タイトルに「リコリス・リコイル」をいれたのは、最近、主人公を心臓病にして売れたアニメだからだ。全話見た。まぁ、要するに百合×ガンアクションを、やりたかったのだろう。が、何だろうな、健常者が我々先天性心臓病患者に対して何を期待しているのかが、良くも悪くもよくわかアニメだった。
主人公の千束は、要するに銃の天才でありながら、人工心臓をつけて寿命を他者にコントロールされる存在だ。そういう話が実際に大ヒットしたという事は、脚本家や原作者の意図に関わらず、「先天性心臓病患者みたいに変な病気を持って生まれてくる人間は本来的に迷惑な存在だが、かわいくて才能があれば生かしてやってもよい、ただし、その寿命は健常者が管理してやる」というようなどす黒い差別感情や支配欲を健常者は心のどこかに持っていて、そういう心を持っているからこそ、あの話を楽しくみられるのだろう。
現実には、人工心臓をつけてあんなに激しく運動する事を仕事にするなんていうのはあり得ない。どちらかというと、リコリス・リコイルだとクルミの方が、先天性心臓病患者が目指すべき仕事に近い。
我々、先天性心臓病患者は、生まれた時から肉体労働には適さない体で生まれてきたが、大部分は回復して障碍者手帳を持てない。自分は、そういう例外的な存在が生まれてきて申し訳ないという気持ちをちゃんとずっと持って生きてきた。生まれてきたことで日本社会に迷惑をかけて申し訳ないとは思っているが、自分の手術の時点でいくらか日本社会から投資されてしまっているので、そのまま自殺したら日本社会に迷惑をかけたまま死ぬことになる。だから、将来は体を動かさなくてすむ仕事に就いた方が社会のためになると考えて、自分は、ちゃんと国立大学の工学部の情報系に進んで、大学院まで出て、ちゃんと働いて納税して結婚して子どももいる。ちなみに、先天性心臓病の多くは遺伝しないので、子どもは健常者。
でも、クラス全員のマスクを外そうとする「学校の先生」は、そういう我々、先天性心臓病患者まるごと、少数派だから日本社会にいらない、排除したいって考えなんでしょうね。まぁ、我々が少数派であることは否定しないし、何より、我々の手術法が開発されていない時代は、我々先天性心臓病患者は皆、幼児のうちに死んでたので、我々がいなければ日本社会が成り立たないというわけではないことは歴史が証明している。
が、これだけは言っておきたい。我々の多くは、手術しないと死ぬ体で生まれてきて、手術して我々を生かそうとしたのは日本社会。日本の手術の多くは、高額医療費制度を使って、公金を使って賄われてきた。日本社会は、一度は我々を生かして社会に役立てようとしたのですよ。
我々が要らない、厄介な存在なら、手術に補助を出したりせずに放置するだけで、勝手に幼児のうちに死んだのに、せっかくそういう体で生まれてきたのに、それをわざわざ社会の役に立つかもしれないと思って生かしたのは日本社会の方。
「学校の先生」は、特に公立学校の先生は公金で雇われているわけだから、日本の方針に従うのは当然。「学校の先生」が、我々、先天性心臓病患者に生きる価値がないと思って、クラス全員のマスクを外す施策をするのであれば、日本社会が一度我々を生かして日本社会のために役立てようとしたことと、ご自身の判断が矛盾していないことを証明してほしい。
このままマスクを外す判断が継続されれば、重症化しやすい我々先天性心臓病患者の子から先に感染して死にやすくなり、長期的には、我々のうちで成人してから長く生きるものは少なくなり、我々は淘汰される。「学校の先生」がクラスのマスクを外させるという事は、長期的には、我々先天性心臓病患者の子達を選択的に死にやすくして、消極的優生思想を実現させようとする計画に加担している事になることを、「学校の先生」には自覚してほしいと思う。それが「学校の先生」ご自身の考えであり、日本社会の考え方とも合致するとご自身で信じていて、大多数の健常者のために、我々先天性心臓病患者を長期的に淘汰させることが日本社会のためなのだと心から信じていらっしゃるなら構わないが、ご自身の倫理感と反するのであれば、かわいそうだな、と思う。ご自身の倫理観と合った、誇れる仕事を学校の先生にはしてほしい。