はてなキーワード: ポリシーとは
はてなブックマークの人気エントリー、通称ホッテントリは、多くのブックマークを集めたエントリーが表示されるページだ。
最近はそこに企業からの対価を受け取ったことで表示されるエントリーが含まれている。
それはまあいいのだが、iOSアプリではそうしたエントリーに「PR」アイコンが表示されるのに対し、デスクトップブラウザでは何も表示されない。
一体どんなポリシーにもとづいてこんなことになっているのか理解できないが、現実そうなっている。
デスクトップ版でも「PR」が表示されるブラウザ拡張機能か何かがあればいいのにと思う。
とりあえずページのソースを開いて見てみたのだが、一般のエントリーと区別するための情報は何もないようだった。
アプリ版で表示できている以上、どこかから情報を取ってくることは可能だと思うのだが、へなちょこな私のスキルではどうしたらいいかわからない。
わからないことがあった時、Googleがあるし、調べたらもしかしたらわかるかもしれないけど、調べるのに多分数時間はかかると思われる時ってあるじゃん。
私はそういう時、聞いた方が早いなら聞いた方がいいなと思うタイプ。
的外れな調べ方で数時間を浪費する時間にも、会社は私に給料を払っている。
でも世の中には、聞く前に調べろ(というか最終的にインターネットの海に答えがあるならわかるまで調べろ)派もいる。
そういう考え方にはその人なりの理由があるのだろうし、ポリシーを否定したいわけじゃない。
ただそういう人達にとって、きっと私は怠け者に見えるのだろうし、怠け者に対していい感情は抱かないと思う。
先輩や同僚に負の感情をもたれて、良い事はまぁ無い。
そういう考え方の異なる人達と、上手い事お互いにポリシーを捻じ曲げずに上手い事やる方法ってなんかないのかな。
現状でいうと私は組織の中で下っ端なので、聞いた方が早いじゃんと思いながらめっちゃ調べて、あーすっげ時間無駄にした気がするなーと思いながら、フラストレーションを溜めている。
私はなんとか新卒で高専教員になれたので、ここに記録を残しておきます。これから後輩の役に立てば嬉しく思います。
指導教員のコネで仕事を紹介というのもこの業界にはあるらしいですが、不幸にして私は一切そのような機会に恵まれませんでした。ですから、全くのコネ無し公募(jrecin)のみの結果です。
いわゆる就活の機・電・情のくくりで言えば「電」。
就活を始めるまでは「ポスドク・任期付きドンと来いッ!」とか思っていました。しかし、いざ就職を初めて色々と自分の周りの環境を見ていたら任期付きポストで結論を先延ばしして競争に打ち勝っていくことは無理(自分の性格に合わない)と判断したので、任期なし(パーマネント)のポジションだけを狙うことにした。
博士の進路としては「アカポス(大学・短大・高専)、企業、国研、その他」に大別されると思います。私は企業でバリバリ稼ぎつつ管理職を目指すキャリアパスにも魅力を感じず、「三度のメシより研究がスキッ!」という熱血研究者でもなかったので、博士を活かすなら教員かなあと思ってデモシカ教員を目指しました。
ということで、狙いの分野は「アカポス」かつ「任期なし」一本で勝負しました。
学部卒の就活では集団面接に行くと「東大や京大が居て、自分の学歴が一番低い」と言われている程度のレベルの大学の新卒博士。高専卒ではない。
カネはあるが人材の質はピンキリといった感じでした。博士学生が滅多にいないので情報が手に入らないとうのが絶望的に不利な条件でした。結論としては研究向きの環境ではなかた。
プロシとフルペーパーではフルペーパーが圧倒的に重く評価される分野だったので、フルペーパーの数でいうと1本でした。レター等はなし。その他、国際会議と国内会議が数本。
なし。一切なし。
高専 A 推薦状有り 書類通過 面接落選 (面接官の数が3名で最少だった)
高専 C 推薦状なし 書類通過 面接落選 (専門外の担当授業のことに聞かれ、全然答えられなかった)
高専 D 推薦状なし 書類落選 (履歴書手書きが応募要項にあった)
大学 E 推薦状なし 書類通過 面接落選 (教員公募でも高専と大学では雰囲気がかなり違うことがわかった)
高専 F 推薦状なし 書類通過 面接落選 (年齢限定公募だったので結構期待した)
高専 G 推薦状なし 書類通過 面接落選 (推薦も紹介も必要ない珍しい形式の公募だった)
大学 H 推薦状なし 書類落選 (よく応募要項を見ると、分野が細かく指定してあった)
高専 I 推薦状有り 書類落選 (年齢限定公募で推薦状をつけていたので期待した)
高専 J 推薦状なし 書類落選 (専門分野のかなり近い教員がいたことを応募後に知った)
高専 K 推薦状なし 書類落選 (応募書類のテンプレが他の学校とかなり違った)
高専 L 推薦状有り 書類通過 面接辞退 (高専Oの内定を受けたので辞退した)
高専 O 推薦状なし 書類通過 面接通過 (内定をもらった)
周りに経験者が居ないと本当につらいです。しかたがないのでネット上の情報だけを頼りに書いてみて、アカポスとは関係ない友人に見てもらいました。面接にすら呼ばれず「負けが込んでくる」と自分の書類は全く見当はずれなのではないかという不安に襲われましたが、信じて応募を続けるとだんだん落選にも慣れてきます。
論文別刷りの他に論文概要を要求するところが結構あります。論文の内容を読むつもりはないということでしょうか。
他の就活体験記事ですと、指導教員の推薦状作成について触れられていないことが多いのですが、ここに一番苦労しました。基本的に推薦状の全文を私が作成して、指導教員の印鑑だけをもらうスタイルだったので、推薦状は「第三者視点で書く自己PR」と割りきりました。
公募締め切りから面接日時通知までは2週間というところが多い感じでした。面接に呼ばれる場合にはTELで来ます。落選の場合は郵便(書留、普通郵便)でした。内定の連絡は即日TELでありました。返信用封筒の封筒の宛名書きの「(氏 名) 行」を様に書き換えないものや、差出人の書いていない封筒で送付された不採用通知もありました。
高専は模擬授業+面接というパターンが多く、模擬授業はだいたい20分で教科書を指定してくることが多かった。学部の授業で習った以来の復習だったので、苦労した。やはり博士論文を作りながら準備をしていたので、準備不足となることが多かった。少なくとも1周間は練習を見て、模擬授業の模擬授業を3回程度やるとだいぶ慣れてきました。学校のレベルによって模擬授業用の教科書のレベルにかなり差が有ったので、これは今後授業をやる上でのいい経験になりました。
大学の面接は流石に今後の研究を中心に質問をされましたが、高専は教育(授業、担任、寮監、部活)の質問が大部分を占めた。
あとは想定問答を練習して、面接マナーを練習してという感じで独学でした。
高専のことを知っているかどうかを問われることが多かったので、高専出身者への聞き込みやネット上での情報収集を行いました。面接の後半では、「高専出身でないのに大変よく高専のことをご存知ですね」とまで言われるようになった。研究についても教育についても、新卒なので「ポテンシャルはあります!」という雰囲気の一点突破で想定問答を検討しました。
こんなかんじです。
なんで博士課程まで来ちゃったんだろうね? って何度も悩みました。これからは、なんで教員になっちゃったんだろうね? って悩むのかと思います。
ちなみに女性限定公募には応募できないほうの性別でした。就活中は追い詰められていたので何度も「この股間のイチモツさえなければ面接まで行けるのに...」とか悩んでいたのですが終わってみると何だったんだろって感じですね。あまり思いつめないことが大事です。
もう、二度と就活はやりたくない。
完璧な博士就活記録です。私より業績もビジョンも戦略もあるので、私の記事なんかより参考になります(きっと)。
新卒博士の話ではないですが、応募から面接の期間など公募プロセスの様子を参考にしました。
新卒で高専教員になれるんだという希望や、高専で働いて感じたことなどを参考にしました。
大学教員公募が主なスコープかと思いますが、過去ログなど見るとひと通りの疑問点に対する答えがありました。スレからたどり着く52連敗氏のページから元気ももらいました。言うまでもありませんが、情報は玉石混交なので直感的に取捨選択を行うことが必要かと思います。
今回はやわらかスピリッツ
ネタの構成自体は繰り返し気味なんだけれども、ちゃんと笑わせつつ後半の展開に繋がる伏線を散りばめてて上手いなあ。
王子ジルとヴォルクの設定、大剣より大切なものや、幼女の腹パンの件がちゃんとオチに繋がっている。
ただ、今回はネタが天丼ものが多くて、インパクトのあるギャグがそこまでなかったのが残念かなあ。
食べるかどうかの葛藤や演出が二転三転して、壮大なフェイントまでかましてくるのはやられた。
大げさで馬鹿馬鹿しい表現は読ませてくれるけれども唐突なパロディは安易に感じて、正直あんまり好みじゃないかな。
単行本のときに削られる部分とはいえ、編集までコメントで悪ノリしているのはちょっと苦笑い。
青猫の行動は予想以上に一貫しているんだなあ。
目的のためなら、過程もポリシーもそこにはなくて徹底している。
カラスがある意味で利己的に自分本位な殺しをするのに対し、青猫はあくまでヒヌマへの復讐。
殺しそのものは無頓着というか、ヒヌマへの執着と強く結びついているのが、カラスとの決定的な違いだろうか。
1「常にレディファーストで行動する(逆の観点からすれば性差別的な)紳士に育てたい」
2「暴力はいけないことであり暴力で解決する問題はないということを教えたい」
3「自分でも説明できない『男の暴力』に対するもやもやを抱えこんだまま、自分の本音と向き合うことを避けて息子に謎ルールを押しつけたい」
…のどれなのか?
1を肯定するには自称リベラルすぎ、2を肯定するにしてはポリシーが不足しており……だろうと想像。そうなると、端から見てて3が有力にしか見えない。どうなのか。
子育てなんて自分に嘘をついたままではできない。自分の弱さを強くすることなんてできなくても、向き合うことを避けたままでは何も解決しない。正直、幼稚園に対してモンペであるかどうかが問題ではないと思う。「トラブルをただ排除する」ことでしか問題を解決できないという発想のまま子育てしていくなら、この先息子さんはどんどん「トラブルを自分の力では解決できない」子供になっていくだろう。そういうやり方に賛成できない。せめて増田でくらい、自分の本音をきちんと述べるべき。
いわゆる社内SEやっている。
社内のサーバーやPC、メール、ファイルサーバー、ネットワークの構築、運用、管理とかとか。
メンテナンスやルール変更を行う際は、部長会議で説明/承認後に、全社(350人)宛にメール周知と言うフローなのだけども、
作業日になってから「そんな話は聞いてない、勝手にやられると困る」という声に困ってる。
各自が対応しないといけない(グループポリシーやログインスクリプトでは無理な)設定変更も、5,6回メールを送ってやっと対応してくれる状況。。
丁寧に絵を書いて、経緯、改善ポイントを口頭で説明すると解ってもらえるのだけども、4人チームでは全員に口頭説明は無理だよ。。
スムーズに、進めるにはどうしたらいいんだろう。。
この節ではライブ音源を礎と築いた伝説とまで称されるマイク・ミラードという人物を紹介しよう。
彼自身に関してはWikipediaをはじめとして、雑誌の特集や個人のブログ記事を通して幅広い話題があるので人物名のみの紹介で割愛する。
前節でも話に触れたマイク・ミラードが伝説のテーパーと言われる所以は、何も伝説と称される名演を残したことだけではない。
本人の意図せぬ部分である可能性はあるが、彼の歩む足跡に付随したテープ・トレード文化の発展に貢献した軌跡である。
本稿はテーピング・ポリシーに則ったアーティストのテープ・トレードの文化に対して触れることはない。
確固たるシステム、または精神が介在することのない海賊版の流通経路、関わる人間達の側面に対して潜考するための草稿である。
容赦願いたい。
マイク・ミラードがパラノイアと誇張表現を得るまでに至るには、収集家、好事家といった類の人種が関与する。
聖地と呼ばれる西新宿で販売される製品も、データを取り出した後は製品としての価値が形骸化する。
生産数が限られた廃盤製品とは違い、複製されることが前提であるブートレグは実物として鑑賞に耐えうる強度を持たない。
昨日の日付の演奏も、インターネットの海を眺めれば数時間もしない間に流布されたライブ音源を入手出来る。
それは砂浜に漂着した瓶詰め入りの手紙のように。
収集物に関しては興味を持たない人間には一銭の価値も感じられないものが多い。
生前の身内のコレクションを二束三文で手放したという事例を耳にする限りでは少ない話ではない。
"事物が本来の実用的な機能から切り離されて日常とは別の体系に組み込まれること"という哲学者が打ち立てたコレクションの定義を借りて、ブートレグ・コレクターを表するなら鑑賞を前提としない膨大な演奏の記録を持つ人種である。
だが、彼らのコレクションがアーカイブとして日の目を見る日は来ない。
密造酒は興味を持たない人間には味を噛み締めながら酔うことは叶わない。
それは味を理解出来る人間にしか味を説明出来ないことでもあり、コレクターが希少価値を訴える相手が同種の人間に限られる。
マイク・ミラードは自身の録音が外部に供給されないようにテープにデジタル信号を付加するなどの工程を経た。
それは自身の録音のコピーが出回った際に誰が流布したか把握するように念を押した作業であった。
現在では容易にミラード・テープを見つけることが出来るが、当時は残したアーティストの演奏の内容、また入手のし難さから数多くの好事家が録音を欲した。
中には彼の死後に彼の生家を訪ねた者もいるという。
趣味で集め始めた者がいつしかコレクションの穴埋めをするという脅迫観念に囚われ、寄生した。
彼が懸念した事態は奇しくもミラード・テープを愛する人物達からの評価と、年月を経たテープ・トレード文化の発展の影に忘れ去られた。
市場が介在しない空間で語られる希少価値という曖昧な価値観に汚染された人種はやがて、パラサイトとなる。
マイク・ミラードが残した同時期から日本でも同じ状況であり、秘密裏に録音された多数のライブ・テープが存在する。
古くは音楽雑誌での投稿コーナー、インターネット黎明期に於いてはファイル共有ソフト、好きな内容を書き込むことの出来る掲示板まで、ライブ会場で知り合ったアーティストのファン同士の交流から、現在ではSNSまで水面下ではあるが数多くのブートレグが生産され、流通する。
Dead Headsに倣うように群れを成して活動した録音者達が、日本のアーティストの録音を販売したことで逮捕される事案も聞かない話ではない。
YouTubeから連なる動画共有サイトでも初期の段階では、日本のアーティストの動画も数多く見受けられた。エンコード情報を消す手段を知らない者から得られなかった者に供給される状況は、テープ・ヴァインに連なってコンパクトカセットかDATを使用しダビングによる劣化する状況を再現する。
とあるアーティストのニコニコ大百科の項目では、ブートレグの存在を明記されるほど動画共有サイトの発展は影響を及ぼした。
ともあれ、YouTubeでも著作権侵害での削除要請が相次ぎ、現在では日本のアーティストのライブ録音を公に聞ける場面は少ない。
コンサートワッチを嗜む人間は録音現場であるライブ会場で知り合うこともあり、時には機材者の駐車場の取り合いになることもある。
デビューを前提に結成されたアーティストではデビューからブレイクに至るまで、また精力的に活動する現在までの公演の80%の記録が現存すると言われている。
現在ではマスタリングの手法が容易になったこと、高品質の内臓マイクを備えた録音機材が安価であることも鑑みると簡単にミラード・テープに匹敵すると言っても過言ではない録音を生産出来る。またスマートフォンの流行による簡易的な録音も存在する。
特に売上の上位に列なるアーティストの大規模なツアーが行われる期間には、音楽交換掲示板の投稿の量も膨大に膨れ上がる。
彼らの多くはメールで連絡を募り、アップローダーを利用したオンライン・トレードを行う。
海外ではDimeを中心とした界隈があるが、ライブ会場に足を運べなかったファンが、その日の間に新しい演奏を聞こうとするのは日本でも難しいことではない。
時にテーパー、トレーダーの各種が集う場所には目的の物を耳にすることで出来なかった愚痴や被害報告の類も見受けられるが、
ライブ会場でのアナウンスにもあるように禁止行為ということを理解しながら禁忌に触れようとする連中である。
善も悪もないのが前提だ。
表立って行動しない録音者から音源を入手した後に、希少価値を訴え、人の褌で相撲を取るトレーダーも一定数はいる。
マイク・ミラードが至った思考は時代のうねりを渡ろうと、現在のテーパーにも精神は濃厚に受け継がれる。
( 4 ) 決別
筆者自身も隠しもしないがテーパーであり、コレクターでもある。過去形だが。
ひとつの音声ファイルでも再生時間は数時間になり、非可逆圧縮音源だとしても保存容量は比例して肥大化する。
ブートレグを入手することのメリットを語るとすれば、自身の生前以前のライブ音源を聴けることや限られた会場でのみ披露された楽曲を聴けることであろう。
だが、マイク・ミラードが録音を残したことは後世を憂いてのことではない。彼は自身の録音が拡散されることを望まなかった。
彼の近親者のみが入手したfirst-generation copiesと呼ばれる最初のコピーは、彼の直筆のイラストや文字が散りばめられ包装としても凝ったものであった。
簡素なダビングでも済む作業に余計な一手間を付け足したのは、彼がパラノイアであったからではない。
喜ばせることを前提として、実物としての鑑賞にも耐え得る付加価値を生み出そうとしたからだ。
複製の芸術でもある写真を表現手段と選択するアーティストは生産数を限定して、価値を高める。
現在、流通するミレード・テープのコピーに彼の意思は介在しない。
それは現在でも同様に個の間柄から逸脱しては配布されるブートレグに於いては録音者自身の意図は抜け落ちる。
ミラード・テープの精神はテープ・トレードの文化で生まれた星の数ほどあるブートレグにも共通する。
またテーピング・ポリシーを持たないアーティストのファンの間では、流通しないライブ・テープを持ち合わせないトレーダーは相手にもされない。
テーパー同士の限られた関係性の中でしか交換されることのない録音も存在する。同時に寄生虫は繁殖する。
自身の経験を振り返っても、総再生時間にして年単位に匹敵する膨大なライブ音源を耳にすることはない。
愛着と思い入れのあるブートレグ、またはテーパーとしての自身の録音を耳にすることの方が有意義であろう。
ライブ音源を耳することの最大限の感情の再現性にある。時にライブ会場の音響よりも優れた音質で聞かれる演奏には違った感情が湧き上がるかも知れない。
アーティストの込めた感情は違った形ではあるにしろ、いつか聞きたい者の耳に届くことだろう。
パラサイトから見れば喉から手が出るほど欲するブートレグの大半のデータを削除した。
人生を賭けて手に入れようとしたライブ・テープを入手した時から遅かれ早かれ決断しようとしたが、この瞬間に決別をしよう。
ミラード・テープは彼の友人のために。何より彼自身のためにある。我がテープは我が友のために、誰より私のためにある。
Thank You Tapers. I Love You Baby. Fuck You Traders. I Hate You Baby.
Nintendo Switch (公式サイトでの表記がカタカナではなく英語表記なのでそれにならう) が特異なマシンだことは論を待たない。
Wii U は結果的にハズレハードとなってしまったわけだが、では Nintendo Switch はハズレなのか?
産まれる前からオワコンなのだろうか? スプラトゥーン 2 もゼノブレイド 2 もマリオオデッセイも爆死確定なのだろうか?
Nintendo Switch は携帯機だ。
Nintendo Switch は USB-C 端子で充電する。 ドックにも USB-C 充電器を挿すようになっているので、据置機のような大きな AC アダプターは必要としない。
ドックが本体ではなく、軽量・低消費電力な本体に TV 出力アダプターを接続するというのが論理的な形態なのだから、これは携帯機と言うほかない。
携帯機として考えた場合、競合機種の価格は以下のようになる (税抜) 。
さらには、ハンドヘルド端末としては iPad mini 4 (32GB: \42,800) や Android タブレット (Huawei MediaPad M3: 約 \28,800) あたりも競合となるだろう。
二万円を切っているのはどちらも五年前のハードだ。
こうしてみると、価格性能比で見れば決して高くもないように見えるのではなかろうか。
ただし「価格満足度比」で測るにはあくまでソフト次第なので、高く感じる人はソフトの充実度に不安があるのだろう。 それかそもそもゲーム自体に興味がないかだ。
任天堂ファンには苦々しい 3DS アンバサダー事件もあったので価格設定で下手を打つなという意見もまぁ理解はできる。
据置機との比較で PS4 や Xbox One S と変わらない値段じゃねーかという意見があるが、はっきり言ってこの両者がバーゲンプライスすぎるだけだ。
腰を落ち着けて大人向けのゲームしたい層は PS4 買っときゃまちがいないので今すぐポチればいい。
なにかと専用ケーブルを要求されるのが任天堂ハードの常だったので、充電端子が USB-C なのは大英断だ。
PS Vita が二世代目で MicroUSB になったのもそうだが、汎用端子は可能なかぎり活用できてしかるべきだ。
バッテリー駆動時間に不安を抱える Nintendo Switch だが、モバイルバッテリーを一緒に持ち歩けば長時間プレイも可能であろう。
まず、ジャイロやら加速度やら IR やらのセンサーをリッチに積んでいるのは最近のハードのお定まりだが、なぜ GPS を積まなかったのか?
つまり位置ゲーはできないということだ。 持ち歩けるのに位置ゲーはできない。 なんで?
これから伸ばしていきたいスマホゲームと食い合いたくないということかもしれないが、せっかくの携帯機なのに、どこにでも持ち歩けるのに、メリットを活かせないじゃないか。
さらに、これは任天堂のポリシーと絡むので仕方ないが、可能であれば SIM カードスロットを積んでほしかった。
たしか 3DS の時に「通信して遊ぶのに月何千円払わないといけないのはどうか」と否定的だったし、 PS Vita がドコモと連携して 3G 通信を積んだのも失敗に終わったし、これ以上コスト増になる要素も足せないとは思うが、ここにきて格安 SIM 通信環境も整ってきているので、なんならニンテンドー SIM とか言って格安 SIM に参入まであってもよかったんじゃ… まぁ、ないな、これは。
あと、 VR はいいとして、ニンテンドー 3DS にあった AR 機能をなぜ捨てた?
いまにして思えば先進的だった、二眼カメラによる AR 機能は残念ながら 3DS でもプリインストールアプリくらいでしか活かされなかったが、もうあきらめたのか?
Nintendo Switch の性能なら Google Tango 並の空間認識で新しい遊びも生み出せそうなのに。
ついでに言えばインカメラもない。 3DS カメラでエロ自撮り問題があったので潰したんだろうか。
なんかこうして書いてくと、コントローラー関連のギミック以外にハードウェア的な魅力ってあんまりないのかなと思えてしまう。
そのコントローラーも追加で買うと高いし…
Wii のときにたくさん買ったリモコンは Wii U では使えたけど今度こそゴミになるし…
いろいろ不満が続いてしまったが、なんだかんだ言ってゼルダ BotW は楽しみだし、スプラトゥーン 2 ももちろん楽しみだし、マリオオデッセイもやっぱり面白そうだ。
任天堂には比類なきコンテンツ力があるのだから、無理してハードにギミックを組み込むのはそろそろやめてもいいのかもしれない。
あーー、そろそろめんどくさくなってきたからもうやめた。
は? Nintendo Switch がハズレかどうか? 知るかバーーーカ!!!
吹き出しの内外を問わず、台詞とそれ以外のモノローグや傍白すべてに句点がつけられています。
何気なしに読んでいて一度その存在に気がつくと、これが気になって気になって仕方がないのです。
この違和感をおぼえる一例を挙げると、
漫画家・楠みちはるは『湾岸MIDNIGHT』というシリーズ漫画を、
この2社にまたがって描きつづけています(※)。
後者の最新作『銀灰のスピードスター』では、その傍白にもきっちり句点がつけられています
(三点リーダー「……」やダッシュ「——」のあとにはつけられておらず、それだけが救いです)。
自分の場合、特に吹き出し外の傍白は登場人物の内面の詩的なあらわれ(文字どおりのポエム)として読むので、
そこに句点をつけられるとどうにも決まりが悪いように思われます。
そこまで気になるものだろうか、と思われる方は、
ぜひ集英社や講談社など漫画に句点を使っていない出版社の単行本をご用意いただき、
試しにそこに句点を加えて読んでみてください。
内容によっては、句点の有無で台詞の印象が変わってくることがあるように感じられると思います。
もちろん小学館には出版社としてのポリシーによってこの方針をとっていると思います。
それをあらためてほしいなどと大それた要望をするつもりはないのですが、
最近好きな漫画家のウェブ連載作品が小学館から物理書籍として発売され、
やはり句点が気になってとても残念な思いをしたことをきっかけに、
ここでこの悩みを吐き出してみました。
なぜ喋らないのか考えられる原因を列挙しました
・人との交流に興味がない
・特定の人達とだけ喋らればいいと思っている。相性が悪い人と無理に話す必要は無いと思っている
・声を出すことや会話が怖い、緊張する。傷つきたくない
・交流には興味あるが話題が思い付かない。もしくは頭の回転が遅い
・聞き専である
・趣味や思考回路が相当変わっている為、普通の人と話題や会話のスタイルが合わないから交流を諦めている(早口で論理的にまくし立ててしまう為、普段は話さないなど)
・自分が会話に入っていくことが迷惑になると考えている、または自分が嫌われていると思って萎縮している。
・会話の相手を嫌いか、怖いか、興味がないか、関係がこじれていて気まずい
・会話の相手がこちらの沈黙を好みそうな人だから、またはうるさいのを嫌いそうだから
・話しかけた相手に誤解されたり、変な好意を持たれることを予め防ぐ為
・誰かと「話さなくても成り立つ関係」を築きたいと思っているか、誰かと既に築いている(アイドルとファンのような関係など)
・いつかは人に嫌われるような問題を抱えていると自覚している為、最初から人と関わらないと決めている。
・いつか絶対に来る別れで悲しまないように初めから人と関わらないと決めている。
・知られたくない秘密があったり、その場に話の内容を聞かれたくない人がいる
・喋らないことで相手に一方的に喋らせ、情報的に有利な立場につこうとしている。
・事実でない噂が流れているのを訂正せずに放置しておきたい、偽りの噂によって虚像を作り上げたい為、沈黙している
・「寡黙な人」や、「やれやれ系」だと思われたかったり、神秘的なイメージを形成したい。
・喋らないことで威圧感や不安感を与えるなどして相手を操りたい。もしくはプライドが高く自分から話しかけたら負けだと思っている。
・その場の特定の人と人間関係を築くと、自分の別の人間関係に支障を来すと考えている(「あの人と仲いいと思われると困る」)
・目立ちたくない
・どういうキャラで話せばいいか分からない(自分のキャラクターについて特定のレッテルを貼られたくない)。もしくは今まで喋らないキャラだった自分が急に喋ったらどう思われるだろうかと躊躇している。
・不祥事、スキャンダルを起こしたため嫌悪の嵐が収まるまで交流を断とうとしている。
・人間関係に関して破滅願望や自虐心がある。または、孤高の状態に対する自己陶酔
・保守化、様子見。会話を断つことによっていままでの関係を維持するか、見直したいと思っている。
・事なかれ主義。話に加わると、自分に責任が降りかかるなどの災厄があるかもと考えている
・失言をふせぐため
・話さないことで逆に何かを伝えようとしている(無言のアピール)
・考え事や、目標達成の為の努力など別のことをしているので話したくない
・人と関わることによって俗欲が生まれたりメンタルが乱されたりして別の活動に支障が出るのを予め防ぐため(隠遁者の発想)
・言語が通じない
・物理的に喋れない
・耳が聴こえなかったり、声帯や反回神経に障害があり、医学的に声が出せないか、交流に障害を来すほどの知的・精神的疾患がある
一番最初の「人との交流に興味が無い」タイプを分類し直すと、完全に他人に興味が無く、人目も気にしないスキゾイドタイプ、自意識は高いが他人には興味無い自意識オンリータイプ、一部の人にしか興味を持てない選別タイプ、会話より考え事や空想が好きなデイドリーマータイプ、日常的で些細な話題に興味が無く抽象的な議論や専門分野や自分の好きな世界のみに興味を示す異星人タイプ、人には興味があるが会話のマナーやプロセスが面倒臭い怠惰タイプ、別の人間関係で満たされている幸せお腹いっぱいタイプ、歳をとって色々なことに飽きた悟りタイプなどに分けられると思います。
また、大きく分けると、喋らないタイプと、喋れないタイプ、理由が自分にある場合、相手、環境、関係性の中にある場合、感情型と目的型と消極型と障壁型に分けられます。
※指摘があったので触れておきますが、この記事は喋らない人を見下して書いたものではなく、ただ単に原因を列挙することを目的としたものです。(私自身が「喋ら(れ)ない人」です。)
ここ数日のJXUG (Japan Xamarin User Group) の話を見ていてなんだかなーと思っていたが、ついに主宰がコメントとポリシーを出した。
これでこの話「だけ」は終息に向かって行けばいいと思う。
今回の件は、担ぎ上げられた方の性別や過去の言動も相まって盛り上がってしまったが、男性だったら同じことが起こっていたか、という問いかけには「起こりうる」と答えたい。
一つの例を出す。
「『テスト書いてない』なんてそれ○○の前で言えるの?」「テスト書いたから大丈夫です!」
これは、別コミュニティの男性の話を基に持て囃された言葉で、IT業界でコードを書いている人なら似たような内容を見聞きした方も多いだろう。
当の本人は、テストだけにフォーカスされてしまっている事を良いと思っておらず、一つの手段である事を伝えるために苦労しているようだ。
男女問わず、コミュニティの中で誰かを担ぎ上げて人柱にする事は起こる。
コミュニティ内の交流会や発表の場で、ちょっとした有名な方の記念日を祝う事もあるだろう。外部の人がそれを見ても問題のない表現は幾らでもできる。
しかし、コミュニティ内の発言を Twitter等で確認すると「内輪向けすぎて、ないわ」と感じる。イベントログでも同様である。
件のピラミッドが描かれたスライドは、新規参加者を疎外するには十分なもので、現場に居た参加者が「これはマズい」と思わなかったのであるなら、非常に危険な状態ではないか。
考えてみてほしい。何の知識もなく興味だけがある未来の開発者が、その画像を見た時の事を。コミュニティに参加するためには、まず自分は一般ピープルの扱いを受け、ピラミッドの上部と「人脈」として繋がらなくてはならない。それはXamarinを利用するためのコストでは無い筈だ。
自分はMSのプロダクトは気に入っている。また、Visual Studioを普段から利用している。Windows開発者かと問われれば、Windows開発者でもある、と答えるだろう。そして、XamarinもVisual Studio for Macも良い方向へ進化していく事に期待している。
だが、少なくとも、現状のコミュニティには参加しようとも思わないし、必要な技術情報や交流は国外の物を利用し、参加するだろう。
あくまで、このコミュニティに限った話であるため、他のコミュニティで邂逅しても特に何も思わない。
一つ、コミュニティポリシーの経緯について。今回の件に影響を受けすぎているように感じるため、中性的な表現に修正した方が良いものになるのではないかと提案したい。
JXUG 名古屋ハンズオンでの事実について - Xamarin 日本語情報
それでは、より良い開発を。
JXUG のポリシーを明文化しました http://jxug.org/policy.html
ほー
それじゃ、散々燃えたのでここら辺のお気持ちが変わったと言うことですかね。
@y_chu5 大丈夫です。ああいうのは一次的なものでわかってる人はわかってます。— 田淵 義人@エクセルソフト (@ytabuchi) 2016年11月26日
@khb02323 あ、コミュニティのヤツは外野がヤンヤン言ってるだけなので私はスルーしてますw iOS/Androidが書けたらXamarinに踏み込まなくても良いかな?って感じるのは良くわかりますが、そこを乗り越えてもらうにはどういうアプローチがいいのかなーって悩んでます。— 田淵 義人@エクセルソフト (@ytabuchi) 2016年11月27日
今日はスルー力が試されるな。— 田淵 義人@エクセルソフト (@ytabuchi) 2016年11月26日
ポリシーを明文化するのと発端になった話にけりを付けるのは別の話だと思うんですけどね。臭いものに蓋をしたまま良い感じの道具だけ置いてみただけでしょ。
.@chomado ぁわわ、そんな話になってたとは。すみませんm(_`_)m
この場でいっときます。
それを言ったのは私です! 断じて、ちょまどさんじゃありません。— 山本康彦@BluewaterSoft (@biac) 2016年11月26日
「ぁわわ」じゃねーよ、これこそ Japan Xamarin User Group のトップにまともな謝罪文として載っけておくべきだろ。起こったことが断片的にしか伝わってないから余計に「あの女エヴァンジェリストはダメだ」って誤解が広がってくんだろ。ユーザグループと、そしてエヴァンジェリストを守りたければ誰が何をやらかしたのか、そしてその人が偉い立場の人であるなら一定以上のごめんなさいを示すべきだろ。