はてなキーワード: シミュレートとは
「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」「インフィニット・デンドログラム」少し前だと「七星のスバル」「SAOAGGO」といったオンラインゲームを題材にした作品に対し「こんなバランス、ネトゲであり得ない!こんな運営いるわけない!設定ガバガバ!作者はネトゲエアプのクソアニメ!」と心無い批判をする人が居た。
現役ネトゲユーザー目線で見るとおかしな部分があり思わずツッコミを入れてしまうのだろうが、これらは「実在しないゲームを描いたフィクション」だ。
多少現実的じゃなくなって別にいいじゃないか。二足歩行ロボットが活躍したっていいし、腐女子という属性以外完璧な夢女子がイケメンにモテてもいいし、女子高生がおっさんの趣味をやっても別にいいのに、ネトゲにだけ厳しい視線を向けるのは偏狭でしょう(ネトゲ警察?)
「実在しないゲームを描いたフィクション」である以上、現実のネトゲと同列で語り批判すること自体がナンセンス。
防振りに関しては原作者がはっきりと「設定ガバガバだけど許せる人だけ見てほしい」と書いている。
また、作者が息抜き程度に書き始めたもののため読む人によっては耐え難い矛盾や違和感を感じる可能性があることが予想されます。
特に、【VRMMO】として完成されたゲーム性を楽しみたい方にはお勧めできません。
そして、それらに対しとても不快に思った際は速やかにページを閉じ、この作品を切ることをお勧めします。無理して読むことは息抜きや趣味の読書では無いと思います。
またストーリーを作る以上「主人公が活躍できる理由」が無いと話も盛り上がらない。
俺TUEEEEするためにゲームとして許される範囲内で強い理由や設定を盛り込むことが悪いとは思わない(これが本来の意味のチートで無双だったら怒るけど)
リアルさを重視して地道なレベリングやアイテム集めで少しずつ強くなっていく話もそれはそれで面白くなるのかもしれないけど、視る側が求めている刺激や爽快感とは違うと思う。
「こんなガバガバな運営・バランスあり得るのか」というツッコミも、そもそも現実のネトゲ運営もしょうもない調整ミスをするし、ちょっとやればすぐ分かりそうなバグを残したまま世に出すし、すぐ炎上するようなガバガバな所ばかりでむしろリアリティーがあるんじゃない?
現実のオンラインゲームなら全てのプレイヤーは公平で特定のプレイヤーだけ贔屓するのはおかしいのだろうが、そこはお話だし……
FF14のプロデューサー吉田直樹氏のインタビューに答えがあった
今の世代のオンラインゲームは、当時の思想とはまったく異なるゲームになっている。キャラクターやジョブのレベルは、ストーリーを追いかけているだけで、サクサク上がっていくようになった。むしろ、そのレベルアップの速度は、一般的なスタンドアローン(一人用/オフライン)のRPGなんかよりも、ずっと速くなっている。だから、部下のプライベートな時間を拘束してまでレベル上げをする必要もないし、ダンジョンを攻略するために、ゲーム内の町の中で同じ目的を持った人を探して、大声を張り上げる必要もない。ダンジョンを攻略するためのパーティメンバーは、マッチングシステムが自動的に探してくれる。マッチングした人と無理に友達になる必要もなく、「よろしくー!」「おつかれー!」と挨拶する程度の気軽さである。
今の世代のオンラインゲームは、“自分から”友達を作ったり、チームを組んだり、仲間を増やそうとしない限り、自由に一人で遊んでいくことができる。だから、人間関係に悩まされることはない。
FF14に限らずネトゲをソロで遊びたいという需要は確実にあり、ゲーム側でソロプレイをサポートする仕組みがあるのは別に珍しいことではない。
問題のボスも「実はソロでも倒せる程度の強さだった」というだけで何の問題も無い。
レベルも知識も無いはずの初心者がいきなり初見ボスに挑んで勝つようなやつは知らんけど。
ネトゲ経験者なら知っていると思うが「海外の人とゲームで異文化交流」なんてのはほぼ幻想で、実際は通信速度の問題や言語のせいで同じ国のプレイヤーと遊ぶことがほとんど。
そして人口統計から考えて関東在住のプレイヤーと遭遇する確率の方が高いので問題無い。
それがたまたま近所に住んでいるイケメンでも同じ高校に通っている同じ学年の美少女であっても確率的には0ではないから問題無い。
そもそも「東京と青森と島根に住むプレイヤー達の物語」とか成立させるだけでも大変だし……。
まったりギルドだと思って入ったらイベント時にノルマ達成できなかった下位プレイヤーとしてチーム内チャットで晒されたので、本格的にやるところやるんじゃない?
未来の話なんだから、ムーアの法則と量子コンピュータと5GとAIとクラウドとブロックチェーンとGAFAとミノフスキー通信のおかげで全部解決してるに違いないため問題ない。
蟹の口について厳密に知ってる訳ではないのだが、ああいうのは「手回しドリル」みたいなもんで、めっちゃ複雑な動きしているようで動力は単一のベクトルでしかない(そこにロジックが無い)みたいなもんだと思ってるので
「進化の賜物」であるのは確かだが複雑である、ってのはまた別じゃないか。
そういう意味では猫が舐める行動に関しても何らかの単純なことしてるように見えて結果が複雑になる数式的な奴(たとえば、円周率)が組み込まれているからそうなっている可能性は無きにしも有らずって所だが、
それ言うと自由意志的な奴がどんどん否定されていっていずれその個体の未来は条件整えれば死まで完全にシミュレート化の鵜みたいな話になるので好きじゃないんだよな。
常に同じレスポンスを返す人
該当者、15%くらい?
該当者、5%くらい?
意外と少ない
該当者、30〜50%くらい?
これがかなり多い
詭弁に騙されるとか、詭弁を弄してしまうとか、仮説を立てられないとか、そういうのひっくるめて
該当者、60〜80%くらい?
これは訓練しないとなかなか身につかない
該当者、年齢と場合による
1〜4の壁を突破できる頭のいい人でも、知識がないと詰むことがある
例えば頭のいい人でも頭の悪い人の思考がシミュレートできないらしい
1〜6まで突破できてる人は、それなりの会社にいればそこら中に居るけど
なかなかうまくシミュレートできてると思う
あまりにひどいと思ったので、こっちにも書く。ブコメで言ったけど誰も読まないし。こっちに書いても読まない可能性高いが。
肉を食べないことで地球環境を救えるのか、実際に計算するとこうなる
https://gigazine.net/news/20191012-vegetarianism-climate-change/
また、バージニア工科大学で畜産学を研究しているロビン・ホワイト氏とアメリカの農業研究事業団の研究者であるメアリー・ベス・ホール氏の共同研究でも「アメリカの食料生産システムから動物を除外した場合の総温室効果ガス排出量の減少はわずか2.6%」との研究結果が出ており、ベイリー氏の主張の裏付けとなっています。
yas-mal 2.6%って大きいな。肉を多く食べるとは言え、人口では世界の1/20程度の米国人だけを対象にしてそれって、相当じゃね?
wow64 アメリカ人が肉をやめても、"世界の"2.6%にしか影響ないって言いたいのか。アメリカ国内計算なら1割近く削減できるみたいだぞ。(1.4t / 14.9t) https://www.jccca.org/chart/chart03_02.html
yamada_maya これ2.6%って米国内じゃなくて地球全体の話だよね。米国の温室効果ガスの排出量は13.6%なんだけど、そこから2.6%も減ったらものすごい削減では。パリ協定の2割程度削減するって目標が一発でクリアできるじゃん。
こんな発言がみられて、それにいくつかのスターが付いてたりする。
一次ソースを読む限り、この2.6%ってアメリカ国内の総環境影響ガスの排出量に対する割合の話にしか見えないんだけど。
The modeled system without animals increased total food production (23%), altered foods available for domestic consumption, and decreased agricultural US GHGs (28%), but only reduced total US GHG by 2.6 percentage units.
動物を使用しないモデル化システムでは、総食料生産量が増加し(23%)、国内消費可能な食料が変更され、米国の農業GHGが減少しましたが(28%)、米国のGHG総量は2.6パーセント単位だけ減少しました。(機械翻訳)
ってここまではっきり書かれてるのに、なんで世界のGHG排出の割合で2.6%だと思ったんだろう?
なんか新聞の記事とかで論文にアクセスできるようにURLとか貼れってブコメをよく見るから、気になった部分があったらソース確認するのかと思ったけど、ほとんどの人はそうじゃなくて、都合よく解釈して、好き勝手言うみたいだし、そのことをおかしいと思わないらしい。
一々、ソース確認したりするのは面倒なのは分かるけど、疑問すら持たない自信はどこから来るんだろう。
この手の論文に対して、「○○が抜けてる」とか「計算の信憑性が」とか色々文句つけるなら君がモデル化してシミュレートして欲しい。
研究って不完全なものを色んな人が埋め合わせたり、次の人に託したりして成り立ってる。それに対して「○○がないからダメ」みたいに切って捨てる人は楽で良いなと思う。
やらない人は知らないだろうけど、適切なパラメータ探すのも、モデル変更すんのも一苦労するんだよな。問題の種類によるけど計算量の話も出てくるとそっちはそっちでクソ大変だし。
PCの処理速度が上がっていくと、地球や太陽系を丸々シミュレートできるようになるだろう。
すると、今僕らがいる世界もPC上でシミュレートされていて、メタ世界があると考えるほうが自然だ。
イーロン・マスクも三年前にこう言っている。「私達の世界が仮想現実(VR)では無いという可能性は100万分の1に過ぎない」
そして僕ら人類は世界を正しく認識しているわけではない。進化の過程の中で適応に有利になるように世界を歪めてみている。
例えば「高いところは怖い」「りんごは赤いくて甘い」
高所が怖くない個体は淘汰されていったし、栄養価とカロリーが高い果実を目立つ色で甘いと思う個体は生存に有利だった。
確かに存在するが、人類が認識できないものもある。例えばコウモリは超音波を認識するが、人類は適応上のメリットが少ないせいかその能力はない。
英語とプログラミングはまだ安いところがあるので取り組みが出来る。
電子工作関係はかなり難しい。Arduinoやラズパイくらいは出来るが、その後のハードルが高すぎる。
ちょっと基板作ろうとなるとネットも書籍もない。(入門レベルはあるが)
自前でUSB端子やら、USB制御ICの選定、ドライバ製作などをやり始めると躓く。
MayaやHoudiniで、プレゼン用の動画が作れるようになればと思ったが、Mayaくらいの機能になると一ヶ月体験版で触っただけだと無理だった。
Arduinoでサーボモータの簡単な制御くらいはできたが、精度だったり速度だったりが足りなかったので、
PLC買ってメーカーの制御ソフトも買って複数のサーボモータやEtherCATやGOTまでは簡単なのは出来るようになったが、
ミスミが個人相手にしていないので精度良く作る手段がない。駆動部分の設計やシミュレートするのにSOLIDWORKS使おうにも個人では高すぎる。
業界標準になっていて、それを使えなければ仕事にならないようなソフトが高すぎて、土日に勉強しようと思ってもできないのだ。
プログラミングだと、Githubに作った物を置いておけばポートフォリオの役割を果たすが、他のジャンルは難しすぎる気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20190617204447
これ書いた増田です。思ったよりコメントとかもらえてて、皆さんのお話を聞けて割と幸せです。一人で悶々としていると考えすぎてよくわからなくなっていく。
これを誰かに打ち明けられる人生だったら良かったのだけれど、そんな人を作れなかったので今ここにこうしている。
ありがとうはてな。私は確かに、増田に救われているものの一人である。
ただみなさんに一つ謝らなくてはいけない。
そう、私は医者にも行ってなかったし、診断も受けてなかった。だから、書いたことは全部想像で、こういう状況下ならどういう感情になるかをシミュレートしただけの文なのでした。
ただ、一つ弁解させて欲しいんです。
あの文は、嘘だった。
けれど、もう過去形です。
今は、本物に変わったのです。
そう、私は数日前に、発達障害である診断を正式に受けたのです。
なんであの文を書いたかというと、衝撃を分散させたかったから、というのが一番の理由です。文を書いた時、私には障害者である診断が9割は出るだろうと確信を持っていました。残りの1割はただの怠け者の健常者であるという結果だろうと。どちらにしても残酷ですね。
どちらにしても、割と衝撃的な診断になるだろう。だから、その前の心の準備があの文でした。いわゆる、リハーサルです。
私がこれから、どんな目を向けられて生きることになるのかを、確かめておきたかった。
実際の舞台で言う所の、記者を呼んで行う最終リハーサル、ゲネリハに近い感覚でした。
割と障害者であると診断される確信はあったので、自分が障害者だと診断された時の感情としては全く嘘偽りのない、赤裸々な言葉たちが確かにそこにはあるのですが、やはりタイミングとしては嘘になります。違っていた可能性もあったわけですし。ごめんなさい。騙すような真似をして。
実際の私の症状は、ADHDもありましたが想定外に自閉症スペクトラムも付いてきました。むしろ、こっちがメインでADHDの方がオマケ、くらいの状態だそう。
私は、思っていたよりも生きにくい世界で生きていたらしい。
想像以上に重めの障害として捉えてるような医者の口ぶりに、いささか狼狽を隠せないのでした。
その診断を、粛々と、穏やかな気持ちで聞くことができたのは、やっぱり皆様のおかげだと思う。ありがとう、増田の皆さん。割と人生ひっくり返るような現実を心安らかに受け入れられたのは、皆さんのおかげです。皆さんの忌憚のない意見が先にあったからこそ、その衝撃は和らいだのです。
医者からの言葉も、割と皆さんが言っていたことを要約して砂糖漬けにしたような耳障りのいいお話だった。
もし世界の脳のタイプの人口がひっくり返ったら、あなたの方が正しくて、今の多数派の方が自分は間違っているんだと精神を病むことになるんじゃないかな。あなたは、ちょっと運悪くこの脳のタイプが少数派の時代、社会に産まれちゃったけど、でもあなた自体、あなたの脳は問題ないんだよ。
まあ、正直、捉え方の問題でしかなくない?どんなに好意的に捉えても問題が解決するわけではなくない?とは思ったものの、それもまあ一つの優しさかな、と思って深くは考えないことにした。
そんなわけで割と心は、やはり穏やか。
結局のところ私はやはり自分が普通になれない理由を求めていたのだ。
普通になろうと頑張ることを諦めるための理由を求めていた。一般社会でそれを諦める理由なんて、病理的なものしかないだろう。
私は、詐病でもなく、真っ当に、それを止めることができた。ありがたい話である。
これで労力を無駄なことに使わなくて済む。
それに、これは自己肯定感の話にも繋がるように思える。
今までの自分なら、どうして私は普通になれないんだろうと悩みに悩んでいたところだったが、障害者であることが確定した自分なら、障害あるなりに頑張ったんだもんね!と納得ができるように思えた。
私は、「健常者でどう頑張ってもグズの私」は一切愛せないし許せないけれど、「障害者でトロいけど頑張っている私」にならば優しくできるような気がしたのだ。
それは、差別だろうか。だとしたらごめんなさい。
それに、本当ならそんなこと、障害のあるなしに関わらず、できるはずなのにね。どうにも不器用にしか生きれない。
話は少しズレるが前回の文は障害者への差別意識が高いために苦しむのだ、という意見があったが、それは弁解しておきたい。あれは、どちらかというと、自己嫌悪、自虐の色合いが強く、世間一般の障害をお持ちの方々へ向けたものではないことはご理解頂きたい。
そういう言葉を発せられる時点で差別なんだよ、と言われたら何も言い返せないのだけれども。ただ、あの言葉たちは、私に障害者という属性が付与されたから産まれた言葉たちなのだ。私がそうでなければ、発さなかった言葉たちなのである。そこは、信じて頂きたい…が、こういう言葉たちから自分の意識しない差別って浮き彫りになるものですよね。反省のきっかけにもなるので、そのあたりへのご意見、特にお待ちしてます。
そんなわけで、私の業火のように荒れ狂うような感情の波は、リハーサルの架空の時間のうちに消費されたために、今は穏やかに、障害者である自分を受け入れられている。
いや、ただ、薬が効いているから穏やかなだけなのかもしれないけれど。
フルニトラゼパムの眠りから覚めたから、穏やかなだけなのかもしれないけれど。
ただ、先生からのお話は、今までの人生の伏線回収みたいで、謎が解き明かされていくような感覚だった。
いや、むしろ思い当たる点が多すぎて、これはコールドリーディングじゃないか?とさえ思った。
あなたの地元の駅に商店街ありますよね?そこのパン屋さんの作るカレーパン、本当に美味しいですよね!みたいな。
理解してくれるかのような素振りすら今までの人生で得られなかったのだから、ほんの少し微笑みかけてくれるだけで嬉しくなっちゃう単純な人間なのだ私は。
それに、これが医師でも詐欺師でも、話に乗らなきゃ人生は微動だにしない。
なら、乗りたいのだ、私は。
不適合者に薬を飲ませて利便性を図りたい世間の思惑にはまっているのだとしても、それで人生が好転するならむしろWIN-WINだろう、きっと。
そう言い聞かせながら、不信感を拭うことにしている。
さらに加えると、思いがけない救いが一つあった。
こういう気質は、遺伝するから…親のどちらか、似たような人いたりしない?
母です。私に似ているのに、私よりも勝手にいきていて、私より傍若無人な母。
その、トゲのある無神経な言葉に何度も苦しんで、母親のことが理解できずにいた。
むしろ憎んでいた。憎くて、家から出た時、離れられてどれだけ嬉しかったことか。
それは、救いだと思いました。
今まで理解できなかった母を、許すための糸口を見つけられたから。
もしかすると、もしかすると、私は親に嫌われていたわけではなかったのかもしれない。
障害のために歪んで見えていただけで。
まだ何も確証はないけれど、そんな可能性が見えただけで、とても嬉しかったのです。
その話を医者にしたら、まずは自分のことだけ考えなさいと窘められましたが。
みんなが増田に求めるものは、きっと強い感情の奔流のようなものだと思うから、きっと私のこの安らかな文は、前回の狂いそうなほどの衝撃の中で書いたそれよりも、きっとつまらないに違いない。
けれど、やっぱりみなさんの存在に救われたものとして、その後をお伝えしたかったし、感謝の念をお伝えしたかったのです。
ありがとうみなさん。
頑張ります。
生きやすくなりたいともがいた日々は、障害の言葉で無に帰ったわけじゃなくて、むしろもがいたから障害という答えにたどり着けたんだと今は思ってます。そう信じてます。
病院からの帰り際、モンシロチョウを見かけました。太陽光が突き刺すような、アスファルトの熱が柔く伝わる、少し早い夏のような日。
そのモンシロチョウは、ゆらり、ふわりとまるで、よろついているかのようなおぼつかない動きで公園の緑の中へと消えていきました。
夏にもモンシロチョウは生まれるとは聞いたことがあります。けれど、この炎天下で、この蝶はどれだけ生きれるんだろう。
今までの自分なら、その姿に勝手に自分を重ね合わせ、世を儚んでいたのだと思います。
けれど、今の私には、別の姿に見える。
あの蝶に木陰という場所があるように。
きっと私にも、穏やかな、帰りつくことのできる場所が、あるんじゃないかって。
そしてこれからの人生で、そんな場所を見つけられるんじゃないかって。
今はまだ、蝶のように美しくはなく、蝶よりもおぼつかない、ゆらめくような足取りだけれど。
そう信じたくなったのです。
勝手に、蝶と私を重ねて見ながら。
どうか、私にも、そして読んでいるあなたにも、あなただけの、それぞれの木陰を見つけられますように。
もう見つけている方には、その木陰の中で、健やかに、美しく、揺るぎなく、生きれますように。
みなさま、本当にありがとうございました。
追記。
更に追記。
増田で文を書いたら、お言葉をいただけることが嬉しくて…ブログを立ち上げました。
もちろん増田だからコメントもらえてたのはわかってるんですが。
記録を、私という連続性を付与してつけていきたいと思ったのです。
もし私の文にご興味ありましたらお越しください。
百合SFってのは「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」なんだと思う。
私はハンバーグも唐揚げも大好物だ。そこそこの年齢になってきたが、一般的な調理方法で使われる油の量ならばまだまだウエルカムだ。もし、いきつけのレストランで「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」のフェアがやっていたとして、私はそれを知った時に初めになんと思うだろうか?「お、いいじゃん!」まず間違いなくこれだ。フェアの内容が増量なのか割引なのか、それとも別の何かなのかに関わらず自分の好きな食べ物がフィーチャーされたイベントにワクワクしないはずがない。こういった食に対するワクワクは代えがたいものがある。別段節制しているわけではないが、普段よりちょっと贅沢なものが食べられると思うだけで、人は人生を華やかなものと認識できるものである。我ながら単純なものだと思うが。
ところで、なんの話題だったろうか。そうだ、百合SFだ。元増田の内容をハンバーグと唐揚げに置き換えるとすると「肉料理を眼の前にしている時に、酪農家の『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』という発言を目にした」といった感じだろうか(全然 違ったらゴメンね )。私がその状況に出くわした時に何を思うかシミュレートしてみる。「そうだねぇ。それはそれとしてこちらのお肉料理は冷めない内に美味しくいただきますね」こんなところだろうか。
世界は常に変わっていく。長く生きていれば変わっていく世界の中にあって変わらない自分だけがまるでウラシマ効果で俗世から切り離されていく宇宙旅行者のように感じてしまうこともあるかもしれない。逆に、変わっていくだろうと思っていた世界が、実際の所は全く変わらずに拍子抜けをしてしまうこともあるかもしれない。悩み苦しんで、選択を迫られながらも世界を変えていこうとしている人々もいれば、移ろいゆく情勢に合わせて自分を変えていく人々もいる。無関心や身勝手から世の中に起ころうとしている良い変化を妨げてしまうこともあるかもしれない。
例えば食肉文化の未来を憂う酪農家とただの肉好きの私、「食肉文化」の現状を変えていけるポテンシャルを持っているのはどちらだろうか?これについては私よりも酪農家の方であると思う。「より現場に近いから」くらいの理由付けではあけれど。
そう考えた時に、『食肉文化はなくなっていった方がいいのかもね』 と述べた酪農家がその発言を実現するために、私ができる現実的な方法はなんだろうか。「肉を食べること」これしかないと思う。「買い支え」と言いかえることもできる。もちろん「支えるぞ!支えるぞ!」と張り切って過度に買い求めれば、需要過多となり、期待とは反対方向の谷底に世界はまろび落ちてしまう可能性はあるので注意は必要であるけれど。
もし明日、食肉文化がなくなったら?それは困る。では30年後、食肉文化がなくなっていたら?それは困る、とは明言しづらい。もしかしたら私は変わりゆく世界に順応することに成功し、「ハンバーグと唐揚げのコンボメニュー」がなくても生きていける体になっているかもしれない。そもそも年齢的に脂っこいものが駄目になっているかもしれない。それはそれで悲しい。
梯子が要らなくなるのは何年後だろうか。
梯子がなくなった時に、私はどう思うだろうか。
まぁ、それはそれとして、 文字を打ち込みながらハンバーグと唐揚げを画像検索していたら何だかお腹が空いてきてしまった。さて、冷蔵庫になにか残っていたかな。
先日、この記事を読んで、なつかしいPS・SS・N64による次世代ハード戦争を思い出した。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1903/31/news006.html
ソフト売り上げ結果を見れば圧倒的にPSの勝利であり、どうあがいても勝てそうにない
https://entamedata.web.fc2.com/hobby/game_rank_ss.html
https://nendai-ryuukou.com/article/056.html
このデータの正確さはわからないが、概ねの傾向は掴めるだろう。
トリプルミリオン3本、ダブルミリオン3本、ミリオン12本のPSとミリオン1本のSS。これは勝てそうにない。
当初はSSの方が売れており、ハード100万台の達成はSSが早かった。これはアーケードゲームが強いセガのファンが購入したのに対し、
そもそもどこを目指しているのかよくわからなかったPSという位置づけだった。
潮目はもちろん誰もが知るところのFF7の発表だ。あとは多くのサードがPS陣営に流れていった。
そこで、スクウェアがSCE陣営に付くことを前提として、当時どうやればセガがそこそこ戦えたかを
後世の知識を持ってたままループしたとして、シミュレートしたい。
1997年1月にFF7が発売、その前年である96年8月にトバルNo.1が発売されることを考えると、時間はあまりない。
バーチャファイターとデイトナUSA(5か月早める)の2本をローンチに発売する。
これでアーケードファンの心をがっちりつかむ。デイトナUSAはそのバカさから、
パーティゲーにも向いているので、気合で4人対戦機能を付ければ、キッズの遊び道具になったはずだ。
(私の記憶では、4人同時対戦できるレースゲームはマリオカート64が最初だったはず)
逆にワンチャイコネクション、ゲイルレーサー、 真説・夢見館は開発をやめよう
・8月11日 シャイニング・ウィズダム
サードだと
・12月25日 真・女神転生デビルサマナー
くらいだろうか。どうみてもオタク臭い。いや、個人的には悪くないラインナップだが、ドラクエかFFしかやらない一般層がこのハードを買いそうにない。
まず、前年のバーチャファイター11月、リミックス7月、2を12月に発売するのは頭が悪すぎる。
ここは気合でバーチャファイターとリミックスは合体させて、ローンチで発売すべきだっただろう。
オリジナルバージョンとリミックスバージョンが選べます。これはかなり画期的なローンチだ。
そして、バーチャファイター2は夏に発売すべきだ。バーチャコップ、VF2、セガラリーを立て続けに発売する意味が分からない。
そして、申し訳ないが、シャイニングウィズダムやホーリィアークの開発をやめよう。
冬に発売すべきはシャイニングフォース3だ。発売を2年早めよう。
あと、シナリオ1、シナリオ2、シナリオ3という売り方は最悪だった。
3部作であることは隠して、シャイニングフォース3~王都の巨神~というタイトルで売る。
「続くじゃねーか!」という批判が出るかもしれないが、当時はネットはない。大丈夫だ。
・1月26日 ガーディアンヒーローズ
・3月22日 パンツァードラグーン ツヴァイ
・8月30日 ファイティングバイパーズ
・11月29日 電脳戦機バーチャロン
・12月21日 ファイターズメガミックス
あたりだろうか。翌年の1月にはFF7が出ることを考えると、辛すぎるラインナップである。
アーケード移植作はどうしようもないので、これでいくしかないが、
相変わらず、バーチャファイターキッズとファイティングバイパーズをこの近さで発売するという暴挙をしている。
キッズは春ごろに発売すべきだ。または、昨年末の年末戦線に、キッズ同梱のSSを発売するなどをやるべきだろう。
とはいえ、本物のキッズはわざわざ「キッズ」と書かれたものは嫌いなわけだが。
ここで、何回シミュレーションしても、あの名作NiGHTSは発売すべきではないという結論を得た。
もう一つの大好きなバーニングレンジャーもである。
では、ソニックチームは何をすべきだったのか。
よくifの話で、ソニックをSSで早い段階から発売すべきだったという話がある。
もちろんそれは正しいが、日本市場でのソニックの人気はいまいちのため、日本市場ではソニックでは勝てなかっただろう。
ここでやるべきはエニックスの口説きである。つまり、エニックスと堀井雄二に頭を下げ、
うちのコンシューマ主力部隊であるソニックチームと中裕司をドラクエ7の開発部隊として使ってくださいと
頼み込むことであった。つまり、チュンソフトの立場をセガがやりますよ、彼にはファンタシースターを作った経歴もあるので、
RPGできますよ、ということだった。これは荒療治にもほどがあるが、
これまでのセガハードのソフトを見ても、やはりRPGは弱い。いまでこそJRPGと揶揄されるRPGだが、
当時は一番の花形であり、ハードの生き死にを決める。ここで、ドラクエを取らない限り、SSがPSに勝つことはないだろう。
つまり、結論としてはソニックチームをチュンソフトやハートビートの代わりのドラクエ開発会社に充てること。
もっと言えば、開発が遅れていたSFCのドラクエ6も引き取って、1995年末または1996年初旬に
多くの人が持つゲームボーイに比べて、ゲームギアでやったところで、たかが知れているのかもしれない。
他の案も募集したい。
25歳になっても、人生というものの楽しみ方がさっぱりわからない。 齢25でそんなことを言ってても、チャンチャラ可笑しいかもしれない。 まずは、だ。私には趣味がない。覚えている限り13歳の頃ぐらいからだ。 これは12歳の頃に精神的に參って10年ほど、ノイローゼになっていたことが原因の一つだと考えている。 覚えている限りと枕詞を使った理由は、私は過去の記憶が薄いからだ。 旅行に連れられていっても食事にいっても、数カ月後には覚えていない。 12歳以前のことはよく覚えていない。もしかしたら趣味などなかったのかもしれない。 趣味に対し非常に高い幻想をいだいているのかもしれない。 次に、私には友人、恋人などはいない。 趣味もなく、記憶力もなく、ここまで読んだ方は察しているかもしれないが、卑屈な人がどうやって人と仲良くなれるだろうか。 いや、なれるのかもしれないが、自分のような人と楽しく過ごせる時間が想像つかない。 「自分を愛せないひとは真に他人を愛せない」。愛せない人は愛されない。そういうことだ。 友人がいたのは二年程度だが、その頃の感情は上手く思い出せないので、 友人だとか、恋人だとか、そういうものに趣味と同じく幻想をいだいているかもしれない。 人を楽しめるすべが分からない。 最後に、私には悪意の楽しみ方が分からない。 ここまで卑屈で孤独で趣味もない人間の私だが、人を傷つけて楽しむことができない。分からない。 インターネットを渡り歩いていると数多の悪意を見る機会があるが、ああいう楽しみ方は出来なかった。 楽しいと趣味もなく、孤独な私にとっては、悪意をかざして楽しむ、そういうことすら羨ましく感じる。 これも幻想をいだいているのかもしれない。 正義感でやっているのであれば、おそらく感じるのは楽しいではなく怒りだろう。 けれども楽しむ手段がないのだ。意図して彼らの気持ちをシミュレートする余裕はない。 楽しみ方が分からないが、私が死ぬことで他人の楽しみが奪われることも知っている。 楽しくなくても人生を続けなくてはいけないのだ。 だからせめて静かに生きさせて欲しい。
何を持って普通と言うべきかなんて知らないが、ともかく普通なんだ。
不衛生というわけではないが、綺麗と評するのには無理がある内観。
カウンターに貼り出されるメニューは、ちょっと離れた場所から見るだけで全部読める。
そして料理の見た目は精彩さを欠き、味に至っては繊細さの欠片もない。
そんなの“自己責任”さ。
食堂を利用する生徒の半分はそう答えるだろう。
1位は唐揚げ
2位はハムカツ
3位は細切りフライドポテト
4位は素ラーメン
5位がカレー
例えば4位の素ラーメンに放り込めば、若者の飽食に応える「揚げ物が入ったラーメン」が完成する。
衣から滲み出た油はスープに溶け込み、そのスープを衣が吸うという循環システム。
コショウをかけて麺と一緒にすすれば、別々に食べるより何倍も美味いという幻覚をもたらす。
或いは、5位のカレーに乗せてもいい。
具があるのかないのか良く分からないカレーは、「明らかに具のあるカレー」に生まれ変わる。
飯とルゥの配分に苦戦しながら頬張れば、「1+1=2」という真理に辿り付けることだろう。
生徒の間ではあまり評価されていないが、このコッペパンは割とちゃんとしている。
甘さも塩気もないが、ほのかに感じる小麦の香りは食欲をかき立て、素朴な味は期待を裏切らない。
バターが塗られていないため艶はないが、しっかりと保たれた楕円形によってパンは輝いているように見える。
トッピングは多くないものの、マーガリンや生クリーム、チョコに粒あん、いくつかの惣菜があったりと要所は抑えていた。
更にはサイドメニューで応用が利くので、その可能性は数倍に膨れ上がる。
そんなわけでコッペパンは人気こそ上位ではないが、安定した需要のある公務員だ。
時々、無性に食べたくなってしまう人もおり、かくいう俺もその一人だった。
特に、その日は月に一度あるかないかというコッペパンモードに突入しており、加えて空腹にも襲われている。
頭への栄養が不足しているせいもあり、わずかな理性で押さえつけているのが現状だ。
俺は焦りを表に出さないよう意識しつつ、平均速度で歩行しながらカウンターに向かう。
とりあえず、たんぱく質が欲しいからハムカツとタマゴは外せない。
それに糖分も欲しいから、シンプルに砂糖だけまぶしたやつを……小豆マーガリンもいっておくか。
それを口当たりのよい牛乳で流し込めば申し分ない。
近々訪れる未来をシミュレートし、自分の口内に唾液が分泌されていく。
「はい、ご注文どうぞ~」
唾液が溢れないよう気をつけながら、俺は注文を口にした。
「オバチャン、コッペパンください」
ハードウェアをシミュレーションするの技術を身に着けたいんですけど、
そういうプログラミングコンテストってありませんか。
習得したいことは
C++で、
メモリ→メモリアロケーションとかガーベジコレクションとか
CPU→アセンブラで命令を与えてCPUの挙動をシミュレートしてみるとか
ハードディスク→保存・削除を何万回実行する、とかディスクフラグメンテーションとか
自分で作ってみたりはしてるんですが、どうも抜けや漏れがあるだろうし、
コンテスト形式で動作確認ができるのであれば利用したいのですが・・・、
AtcoderとかTopCoderとかって数学とか計算機科学とかで
Kaggleは機械学習だし、AI系のコンテストはわりとあるんですが・・・。
誰かご存知ありませんか?
今日はすこぶる精神が安定している。つい先日仲の良い友人たちとのパーティーを無事に終えたからだ。
当日までメンタルをぐずぐずに持ち崩し、人を呼べる家の維持とパーティーの準備以外何も手につかず、毎日見ていたツイッターも開かず、仕事中も謎の焦りに苛まれていた。同人誌の原稿が無い時期で良かったと心から思う。友人やパーティーが憂鬱だったのではない。むしろすごく楽しみだった。私の作るごはんが好きだと言ってくれる友人に何を食べさせようか、好物やアレルギーを聞いて、かわいい紙皿を買ってきて、当日までに済ませておくことを何度もシミュレートした。そう、楽しみにし過ぎたのだ。
これまでひとつのことにのめり込むとそれ以外のパフォーマンスが著しく落ちることは何度もあり、今回も間違いなくそのパターンだと分かっていた。これどうすればコントロールできるのかな。
こういうことがある度に、診断は受けていないがADHD傾向があるんだろうなとうっすら感じながら生きている。傾向はあるが診断は降りないくらいの位置にいるんだろうな、とも思う(社会的に大きな不都合はなく過ごせているので)。
こういう傾向、個性があるものとして折り合いをつけていくしかないんだろう。
こんなこと匿名で書いているのは見栄っ張りだからだ。私はとっても優しくて、真面目で、悩みの無い人だと思われながら生きていたい。
まずはおうちパーティーに慣れて手の抜きかたを覚えなければ。そう思って友人を誘ったところだ。