はてなキーワード: 閉鎖病棟とは
本命バンドのライブがつまらなくなった。でもそんな事は長いことバンギャルをしていたら起きる事で、バンドに文句を言うつもりはさらさらなくて、単に私がそのバンドのターゲットから外れたのです。
楽しい時に楽しい事をして、つまらなくなったらやめる。心穏やかに生きていくために必要な事。
長いことありがとう!楽しかった!ここ数年は謎の義務感だけで通っていたけれど。
その頃の私は中々のメンヘラで、当然に手首はザクザクだし、自殺未遂を繰り返しては閉鎖病棟送りになっていた。
はじめて本命バンドの音楽に触れて、ライブに行って「死ねない」と思った。こんなに楽しくて素晴らしい事がこの世にあるなんて!と。
それからはメンタルがV字回復。こんなに暗い曲を世に出しているバンドなのに!生きてもっとこの音楽に触れたいと思った。
おかげで今とても元気です。
拗らせて死にそうになっていた私に生きる事を教えてくれてありがとう。
2年ちょい前、Twitterでよくある○○が好きな人というタグで知り合った。
当初はお互いよそよそしく、正直そんなに仲良くなれないだろうなと思った。
でも、色々と共有するものが増え、お互いの好みを把握し、ちょっとしたことを乗り越えて、なんだかんだ一年もった。
お互い決して穏和な性格ではない。ためてためて突然キレる。
恐らく、物理的な距離の関係で一度も会ったことがなかったのが幸いしたのではと言う結論に至った。
1年越えた辺りで、友達は自傷をしていることをさらっと告げてきた。
この人が!?と驚いたけど、なんでもない風を装った。もしかしたら動揺が伝わっていたかもしれない。
過去にも自傷をしていた友達がいたので、記憶を辿りながら話をしていった。
ちなみに私も友達も若いうちに死にたいと言うことを話すようになったのもこの頃だったし、私が心療内科に通い始めたのもこの頃だった。多分。
友達はどうだったか分からないけど、少なくとも私は同じ悩みを共有する相手がいたことに本当に救われた。
死にたい、苦しい、辛い、逃げたい、助けて。
暗い感情を分かち合う人がいることが心を軽くしていた。
DMでそんなことをどちらかが送る。内容によっては当日じゃなくて次の日だったりするし、どちらかがSOSを出した時はちょっと急ぐような、そんなゆるい感じだった。
ただ遅れても絶対に返事はする。たとえ用事が済んでても。それはなんとなく出来ていた約束のようなもの。
で、知り合って2年経ってようやく友達と会うことになった。
私が好きなジャンルのプチオンリーが初めて開催されることになり、何が何でも行かなくては!と言ったところ、友達も行くから会えるねと。
10分くらいだったろうか。その後お互いに用事があるからと立ち話で終わった(笑)
お互い死ぬまで会わないかもねとずっと話していたけど、会えたことが本当に嬉しかった。
「次会う時はどっちか死んでそうだよねwww」なんて言いながらハグして別れたけど、私は名残惜しくて少し泣いた。多分友達は知らない。
それから友達の状態は目に見えて悪化していたけど、実家だし大丈夫だろうと思っていた。
一週間音沙汰がないことも増えてきて、その度に時間は空くけど返事があることに安堵していた。
そんなことが続いていて、私が少し他のことにかまけていた間に友達のツイートが止まっていた。
『死にます。今までありがとう』と言った内容だったけれど、いつものかなと思って、生きてる?なんてDMを送った。
それから2週間返事がなかった。
友達の推しキャラのソシャゲイベント告知があり、これで戻ってくるだろうと思って再びDMを送った。でも返事はなかった。
この時点でも閉鎖病棟に入って隔離でもされてるのか、重課金が親にバレて携帯没収されてるのかなくらいにしか思ってなかった。
過去にそう言う友達がいたのでそんなに焦っていなかったのも良くなかったと今は思う。
それから1ヶ月、もっと早く動けよお前と言われても仕方がないのだけど、友達宛にはがきを出した。
閉鎖病棟に入院していても、携帯を止められても親の目に入れば安否確認は取れるだろうと思った。
それまでも誕生日やクリスマス等、イベント毎にプレゼントを贈りあっていたので、友達の親にも私の名前と住所は知られているからいけると思った。
1ヶ月も間が空いたのは、私のもしもの予想が当たっていたらどうしようという気持ちがあったからだった。
数日経って、仕事上がりに携帯を見ると見知らぬ番号から着信があった。
私は知らない番号は詐欺や宣伝等の恐れがあれば拒否設定をするのに全て検索をかけるようにしている。
どこの野郎だと鼻息荒く検索をかけたら、友達の家があるところの番号だと分かった。
動悸がした。手がふるえた。信じたくなかった。
恐ろしくて、すぐに掛け直せなかった。
次の日の夜、思い切ってその番号に電話をかけた。
手も声も震えていたと思う。
そこからの会話は今も信じたくないけど、ご家族から1ヶ月以上前に亡くなったと聞かされた。
ご両親とも私が名乗るとああ、とすぐ分かってくれたし、あのプレゼントの方ですよね?と言ってくれて、友達はご家族によく私の話をしてくれていたようだった。
私へお返しのプレゼントを一緒に考えていたと聞いたところでもうね、泣いてしまってね。
四十九日も過ぎたので、一周忌前には会いに行きたいと思ってるんだけど、心が追い付かないのが現状。
色々と考えてしまうけど答えは見つからないし、仏前に手をあわせるまで受け入れられないままだと思う。
私は幸いと言うべきか分からないけれど、ネットを越えてつき合いがあったので友達の死を知ったけれど、SNSでつき合いのあった人が突然死んでも気付かないんだなっていうこと。
話しかけて返事が来るって当たり前のことじゃない。
もう一度返事してほしいなって今も思ってしまう。
だからみんな友達大事にしろよな!ってことでもなんでもなく、ただ私が今の感情と記憶を忘れてしまうのが怖くて書き留めてるだけです。
二人だけの秘密も徐々に忘れて、いつかそんなこともあったなあって思うのが今は怖いです。
・小学生
小さい頃から根暗で引っ込み思案。バスケというチームスポーツでは迷惑な存在でした。
ある日、監督にメンバー全員の前で、「お前チームで浮いてるぞ。」と苦笑いしながら言われました。
自分は普通にしてるつもりなのに、みんなと仲を深められない。どうすれば浮かなくなるのかわかりませんでした。
元々私にとっては居心地の悪いクラブでしたが、監督の一言があってからは、練習が終わったあとの後片付けの時間に、いつも倉庫に隠れて泣くようになりました。
辞めたかったのですが親に「辞めたい」と言う勇気すらなく、卒業しました。
・中学生
ブスと言われ、クラスでいじられるようになりました。
私の行動や発言をクラス中が逐一ネタにする、という、よくあるやつです。
幸い完全に孤立してはいなかったので、なんとかやっていけました。
私とよく一緒にいてくれたグループは、いわゆるオタクグループなのですが、私はアニメや漫画をほとんど見ない人間でした。
グループで流行ってるアニメを見たりして、最低限の知識は抑えていましたが、オタクの話題にはその程度の知識では通用しません。しかもほとんどが腐女子だったのでもうちんぷんかんぷんでした。
ですので、話はすれど友達にもなりきれず、孤立を恐れた私は金魚のフンのようにグループにくっついて回りました。
部活は、経験のあるバスケをやりたかったのですが、小学校での苦い経験と、バスケ部のメンバーが軒並みスクールカースト上位のいじめっこだらけだったので入りませんでした。
進学は、そこそこの進学校に行きたかったのですが、自宅から距離があったのでやめました。
こうやって、やりたいことをすぐ諦める人間でした。
・高校生
1年生の後期くらいから学校を少しずつサボるようになり、2年になった頃には不登校になりました。
何もかもどうでもよくなり、自殺のことしか考えられない。1年生の頃はトップだった成績も、最下位レベルに落ちました。
担任に心療内科の受診を勧められ、鬱と社交不安障害と診断されました。数年通いましたが全くよくなりませんでした。自殺を図りましたか未遂に終わりました。
出席日数が足りず進学できなくなったため、通信制の高校に転学して卒業しました。
昔は大学に行きたかったけど、この頃はもうすっかり頭が悪くなり、これまでの経験から学校生活でうまくやっていける気もしなかったので、大学進学は考えられませんでした。
メンタルの調子が悪いままだったので、社員として働けそうにないと思い、実家に寄生しながら短時間のバイトを始めました。バイト先でも浮いていました。
2年ほどバイト生活をして、「いい加減就職しないと」と思い就職活動を始めた矢先、精神科に入院することになりました。閉鎖病棟で数ヶ月過ごしました。
治らないのは、病気でもなんでもなく、ただの甘えでこうなっているからだと気付きました。
こうして振り返ってみると、私の人生に不幸なんて何一つありませんでした。家族もいたし周りも優しい人ばかりでした。全部自分の甘えや選択が招いた結果です。
周りの人は、「私はこれを頑張った」「努力した」と言い切っていて、心底尊敬します。
私は頑張ったことや苦労したことがありません。何もない半生になってしまいました。
私より怠惰な人はあまりいないと思いますが、もしいたら、福本伸行の熱いぜ辺ちゃんでも読んで頑張ってください。
死にたい。
医者がいいよって言うまで出してもらえない。
精神病院なので、もちろん閉鎖病棟。鍵がかけられていて、外に出られない。
ぶっちゃけ、悪い意味で、自殺したいという気持ちがなくなった。
まず、ほかの患者がヤバすぎた。
認知症か何かで意味のわからないことをブツブツいってるおばさん。
カーテンをめくって何してるか覗いてくるおじさん。
突然怒鳴りつけてくるおばさん。
全身に墨入れたおじいさん。たぶん元893。
保護室という外から鍵のかけられた部屋では、「ここからだせー!!」って顔を窓に押し付けて怒鳴ってる奴もいた。
基本的に誰が暴れたりしてようがナースは我関せずで、通報すると「またかよ」って顔をしながら部屋に連れ帰って眠くなる注射を打って寝かしつけるだけ。
排泄がまともにできない人も含まれてるから、トイレもすごく汚い。
話してて普段絶対知り合わないような人とLINEの交換をした。(退院後即、全員ブロックした)
たまーにまともな人もいるんだけど、突然なにもないところで大泣きしたり、やっぱり幻聴とかひどいんだろうなと思った。
聞いてる限りだと、家で面倒見きれないような人が長期間押し込められてるって感じだった。
部屋に携帯の持ち込み、携帯の充電器の持ち込みなどの許可がおりない。
嘘でもなんでも良いから、元気で病気が治ったふりをして、医師の前では猫をかぶって入院して一週間で携帯を取り戻した。
措置入院の人は、自分の意志では退院できないし、病棟から出ることが出来ない。
どうやってこのやばい空間から抜け出すかだけを考えてたら、あっという間に退院にこぎつけた。
1ヶ月と3週間かな。
VR ZONEに行ってきたから体験したアトラクションを書いとく
滑空と上昇や旋回と下降など、2つの動作の組み合わせはほぼできないと説明された。
操作が慌ただしくならず、「ここは落ち着いて上昇してから突っ切ろう」と気持ちを落ち着けることができて正解だと思う。
とにかく半端ない、ゲームとしても面白いのでもう一度やりたい。
他のアトラクションの待ち時間もこれの感想を話しあうと苦にならない。
LCL注入から発進シーンの迫力が凄い、エレベーターで上昇するシーンは感動する。
プレイヤーが向いてる方向が照準なので、現在使用してる銃の残弾見ようとすると変な方向に銃撃する。
N2爆弾というのが強力らしいが私の組ではでなかったようだ。別の友人の組では3個出たと言っていた。
使徒がビームで攻撃してくるけど見てから回避不可、というか横歩きしても回避できない。逃げちゃダメだと使徒も言っている。
武器もランダムかもしれない、運ゲーかな?またやりたいとは思えない。
なおこれは3人同時プレイなので4人だと2人づつに別れて体験となる。
人数によって使徒の体力は調整されるのだろうか?どのみち勝てる気がしないが。
アクセルとブレーキだけのシンプルな操作、しかしアイテムは宙に浮いてるので手を伸ばして取る必要がある。
滑空の気持ちよさ、行く手を邪魔するパックンフラワーやドッスンのスリルが非常に凄い。
またアイテムを手に取るという動作もいいアクセントになっている。
スタート位置についたときに隣のキャラに手をふったりできるんだけど、
現実で右にいる人はVRでは左にいて、左にいる人は右にいる。
2台づつパーティションに区切られているので、双方手を振り合うのを現実で見てると双方壁を向いて手を降っているので面白い。
4人同時プレイなので4人でやるとやっぱり面白い。キャラ性能の差はおじゃまで出てくるCPUのクッパとワリオ以外多分無いと思う。
並んでいる時にスタッフが言っていたが、自然の雪山だから標識なんてなく道がわかりづらい。
人によっては滑落から復活して再度滑落してるだけでコースの半分も行けずに終わる可能性があるんじゃないのか。
自然はそうなんだろうけどゲームとしてはどうなんだそれ。いやゲームじゃなくてVR体験だからいいのかな?
岩とかにぶつかった時、派手な音はせずに鈍い音がするだけだがこれが気持ち悪かった。
何か実際にスキーでクォーターパイプから飛び出して怪我した時の事を思い出してしまうぐらい気持ち悪い。
VRに酔ってしまったのか?と思うぐらい最後はふらふらだった。
これも2人プレイ、4人の場合2人づつ別れる。またやりたいとはあまり思えない。
VRキャバクラってこんな感じなのかな?ってずっと思った。こんなのなら未来は明るいぞ。
NPCがめっちゃ褒めてくれて中途半端に終わる…レイジングストームだこれ!
レイジングストームはマッチョな特殊部隊の人達がプレイヤーをガンガン褒めてくれるので俺のオススメです。
装弾数も重量もマシマシなガンコン振り回し、オブジェクト壊しまくり敵撃ちまくりの気分爽快。
仲間を助ければ「よくやったアルファ1!」と褒めてもらい、
敵のロボットを倒せば「アルファ1が敵H.A.C.Sを倒したぞ!」って言ってもらえる。最高の接待ゲーですわ。
マッチョな黒人隊員に「俺のケツを守ってくれ!」と言われた時は心踊る筋肉も踊る。(でもプレイヤーに向けて言ってるセリフじゃないです)
とにかく楽しいレイジングストームみんなもやろう!ラスボスはゲームが違うしエンディングがアレなんだけど!
とりあえず置いてあるゲーセンがあったらやってみてほしい。
迫力は凄い、だけどヒートホークとビームサーベルって干渉するんだっけ?
体験後なにか思い出すなと思ったんだけどあれだ、ドリキャスのコロ落ちだ。
なんだよ、隔離病棟って。閉鎖病棟と隔離室(保護室)がお前の頭の中で合体したのかよ。
隔離ってことは開放処遇が基本の任意入院ではなく医療保護入院させたいんだろ?
そのくらいは書けよ。描写が薄っぺらすぎてペラペラもいいところやないか。
単に奇異な言動があったというだけでは、幼い年齢であればありうることで、発狂という言葉から連想される幻覚妄想興奮状態とは程遠いではないか。
この連作については何も知らんが、この「娘が発狂した」を書いた書き手は、精神疾患や精神科医療についてまったくの無知で、創作するにあたって調べるということをしない人間だ、ということは分かる。
なんかもう最高に頭悪そうな書き手だし、それでも訳知り顔のブクマカたちがこぞってブクマしてホッテントリ入りしちゃうのとか、ため息しかでねぇよ。
元増田自身が面倒ごとを何とか避けようとし続けて、母親の精神病未治療期間(DUP)を長期化させ、予後不良とさせたのにこの言い草。
やはり母と子は似るのか。
ジプレキサザイディスかリスパダール液を味噌汁に入れるという形にすればバレなかったろうに。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
それ「精神障害者保健福祉手帳」じゃなくて「自立支援医療(精神通院医療)」のことじゃないっすかね?
障害年金申請くらいのレベルであれば「手続きが煩雑」と言えるだろうけどさ。
閉鎖病棟のことでつか?
つか、初めての入院だからよくわかってないんだろうけど、入院させたくらいでどうにかなるなら皆困ってないから。
入院させても治ってない状態ですぐに出てくる、また地域でトラブルを起こす、また入院する、また地域でトラブルを起こす………これの延々ループに入るだけ。
まあ厚生労働省が、日本の精神医療は長期入院が過ぎるということで、精神障害者は地域で暮らしましょーって推進してるんでどうしようもないけどね。
退院後はナマポ受けさせてグループホームに入れるのがいいんじゃね。
そんじゃ〜ね!
ちょっとはみ出た、つづき
入院が決まった直後に、入院時に必要なものを買い込みレンタカーで母の元に向かった。
徘徊が多く、連絡手段も無い為、朝、荷物だらけの新居に迎えに行っても空振りになってしまう可能性があったからだ。
破たんした呪いの言葉を一晩聞き続ける程度だったら何とかなるだろうと踏んで寝袋を持って家を出た。
アパートにいた母を、最後の晩餐さならが母を食事に連れ出し、禊を済ませるが如く、深夜営業の温泉に連れて行った。
これまで母の病気が進行してから、弟を含め3人で食事をすることは何度かあったが、
私が成人してから母と二人で食事をしたり、温泉に行ったりしたのは初めての事だったと思う。
しかし、あのアパートで母と二人きりで一晩を過ごすのはやはり心理的に無理だった。
そこで、仕事で徹夜を強いられる彼女がいる自宅に、彼女に無理を言って連れて行く事にした。
自宅に母を招いたのも初めてだし、彼女に合わせるのも初めての事だった。
彼女も親に対してトラウマを抱えており、軽くパニックにさせてしまったのは本当に申し訳ないと思っている。
しかし、この母親に対して、親孝行らしい親孝行を始めてしたのかもしれない。
母は何度も夜中に起きて二人の息子が襲われる、警察に助けを呼ばないと、言った事を不安になってしゃべっていた、
うとうとすることもあるが、眠りかけた際は幻聴として聞こえる言葉をそのまま声に出してしゃべっていた様だ。
母にとってみれば、もう25年間、四六時中不安な時を過ごしているのだ。
翌日、車で病院に向かう途中、母は、私が子どもの頃、家族でドライブに行って以来車に乗れて楽しいと語った。
家族の同意があれば、本人の意思に関わらず強制的な入院が可能な制度だ。
その際、思わず、ここまでとても長かったです。と医師に話した。医師も私の苦労を察してくれたようだ。
診断時、私から事情を話す際に、精神科へ行っても結果的に治療が受けられない件を話したくだりで、
やっぱりそうか、といったニュアンスだろうか、ため息を漏らしていた。
法律上定まった手順であろう医師が保護入院の説明をを本人に読み上げる際も、
聞きはするが当人になにが起こるのか 理解していない様子だった。
閉鎖病棟に送る際、持ち込み禁止となる物が母の身に付けたものからいくつも出てきた。
不安からか何枚も重ね着した一張羅のポケットや、鍵だらけのウエストポーチからは、
刃物であるハサミや安全ピン、 南京錠などの金属、ワイヤー錠等のひも状のものが、
わんさと出てきた。しかし、 体を傷つける可能性のあるこれらのものは閉鎖病棟内には一切持ち込めないそうだ。
手続きを済ませ、病院に母を預け、弟や彼女に報告をし、帰路に向かう際は、
涙も出なかったし、ざまあみろ、といった感情にもならなかった。
これでひと段落ついたんだな。という感慨はあったが、正直、いまだに母への気持ちは整理がつかないし、
私が多分死ぬまでこのもやもやした気持ちに整理はつかないのかもしれない。
ともかく、これで弟にかかる負担も減るし、母の不安もいずれは多少なりとも解消されるかもしれない。
本人がいつか病識を持つようになって、まともに話せる日がくれば、また母に対して憎しみの感情が沸くかもしれないし。
そんな日は来ないかもしれないが、ともかくこれで一区切りついた事になる。
繰り返しになるが、「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という
声もあるだろうが、自分の気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書いた。
自分を棚に上げてなにか説教じみた一言を添えて終わりたい気持ちを抑えてこれでこの長文は終わります。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
追記:少しだけ文章校正をしました。多くの読んでくれた方、改めてありがとうございます。
乱筆乱文、誤字脱字、事実誤認、諸々失礼。
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追記
とても参考になる知見も多くいただきました。
これで終わりではないので、是非、今後に生かしたいと思います。
この話は私の人生のある側面の、ある時間だけをバッサリ切り取ったもので、
別の面では幸せであり、大半の時間は、苦労はありますが、それなりに恵まれた生活を送っています。
悲劇性や誘因性の強い文章になりましたが、自分自身を奮い立たせるために自己演出した部分も多分に含まれていますし、
それなりに珍しい経験をしたので「保育園落ちた日本死ね」位の話題にならないかなー、と。
ただ事実と異なる事柄は書いていないつもりですが、母の性格を受け継いだせいか、感情基準での記憶をする傾向があり
事実の認識に多少の誤りがあるやもしれない事を明記しておきます。
特に地元の総合病院の精神科医師が話してくれた、治療の可能性や、相談内容、他の施設の紹介といった、
具体的な情報のくだりは、今思うと当時の余裕のない状況で色々思い違いをしていたり、
その時点で必要な情報だけを記憶に留めようとした傾向があるので、もしかしたらきちんとした説明を受けていたのかもしれません。
心理面での負担や苦労をねぎらってくださるコメントも多くいただきましたが、
母の事で本当に辛いと感じていたのは母の病気が発症するよりも前の方がはるかに多く、
病気が進行してからは、母の事であまり辛いと感じたことはなく、やっかい毎が面倒だ。
調べ物が面倒だ、なかなかうまい方法が見つからないで面倒だ、事務処理が面倒だ、
と、いったような仕事での面倒毎に近い感覚だったかもしれません。
もやっとした問題に対して、検索するには言葉もあいまいで、答えも方法論も様々過ぎるし制度もたくさんあるしで、
的確な道順や回答を出せる所にいつまでも辿り着けず、情報迷子になった側面は多分にあります。
普段はGoogleさんをそれなりに使いこなし問題解決の為のITリテラシーはそれなりに自信がありますが、
実は 『ケースワーカー』さんという言葉の存在はかなり最近になってから人づてに知りました。
それまでは地元の総合病院に電話した際や行った等、もしかしたらそれに気づかず『受付の人』という認識で相談をしたこともあったかもしれません。
本文には書きませんでしたが、昨年末あたりから、精神科のある病院への電話問い合わせの窓口や、福祉センターの精神保健福祉担当で、
『ケースワーカーさんと相談したい』とわざわざ言ってから色々相談する様になって、
ここには書かなかった世帯分離の手続き等に対しての答えにも、光が見え始め徐々に事態が好転してきた次第です。
『ケースワーカー』さんはここ数年認知され始めたマジックワードで『当番弁護士を呼んでください』
という言葉を知っているか否か、みたいなものかもしれませんね。
もし、私と似たような境遇でどうしてよいかわからない場合は、役所や病院等へ電話をかけ、
まず『ケースワーカーさんと私の〇〇の問題について相談したい』と言うのが良いのかもしれません。
地元の総合病院の精神科の待合室で、母と初めての診断を待つ際の事。
待合室の傍に、精神科病棟への通路があり、おそらく統合失調症の方が、看護師に連れ添われ、
意味不明な話しをしながら歩いて行くのを見て言った母の一言が最高でした。
『かわいそうにねー、頭がおかしいのねー』
ERのシーズン6とカーター先生、ベントン先生を思い出してしまうんだよなぁ。
私はERは好きじゃなかったんだけど(メロドラなので)、姉がずっと見ていて、
ER6、7は面白いって聞いて、中学か高校の頃、重要な所だけ見た。
ルーシー死んじゃって、生き残ったカーター先生が影で医療用の麻薬を打ちはじめて、
それがバレて同僚の皆に詰問されるんだけど、
私の中で、安西先生バスケがしたいです、的なシーンになってて泣けちゃうんだけど、
やっぱり薬物中毒になると本当に大変なんだなって思う。
更生施設のガランとした感じとか、
施設の人は最初カーター先生に厳しい感じだったはずだし(強い意思がないといけない的な)、
もう本当に頑張ってって感じ。
数シーズン後(だっけ?)に刺した統合失調症患者とカーター先生は再会するわけですが、
心神喪失状態だったんだからしょうがないだろう的なことを言って、最悪だと思った。
精神疾患にかかった人でも、重大な犯罪をしたらそれなりの罪は負うべきだと思う。
閉鎖病棟に入るにせよ、被害者やその家族が無罪という言葉を投げかけられるのはひどく辛いと思う。
せめて、本来ならこの罪に相当する、ぐらいは言うべき(言ってるのかな?)
話を戻して、
薬物中毒者とは関わりたくないし、薬物に手を出しやがって…、とはやっぱり思う(自分も精神薬漬けだけど)。
カーター先生は薬物中毒者にしては綺麗に書かれてたと思うし(本物の薬物中毒者は見たことないけど)
(意思がない人が刑務所で指導受けてる特集をニュースで見たこともある)、
主婦が自宅でクスリ作って家計のたしにしてるような麻薬大国アメリカと比べたらマシなんだろうけど、
日本の更生施設の現状のコラム読むと、やっぱり施設はもうちょっとあってもいいような気がする。
後半、かっこ書きが多くなってしまった。
両親ともに勤務医だった。それも代々続くような医師家系ではなく、自力で這い上がってきたタイプの。
保育園時代に「お風呂に入るのを嫌がるから」との理由で通わされたスイミングスクールは、毎回始まる前に女子トイレで嘔吐していた。
9歳のときにいじめにあったが、親は学校側の対応に任せ放置した。学校側はからかいの延長と判断した。ゴミ箱に捨てられた教科書は、元のようには返ってこなかった。
少年は学校1位の成績を維持し続けた。いい成績をとっても、親がほめてくれるようなことはなかった。浮かれるなとは言われた。
市立中学への入学。部活に入らなければスイミングスクールを週3に増やすと言われた少年は、陸上部に入部するが、4カ月で不登校になった。本人にアプローチをかけることは親はしなかった。
その間、世間では引きこもりと定義されたその間に、少年はインターネットで様々な世界と情報を手に入れる。
中卒15歳、高卒認定を6科目取り、理科2科目落とし、秋の受験で残り1科目までにして、
とても生きづらい、つらいと感じて15歳で手首を切った。
市販薬乱用も頻繁に繰り返すようになった。
今まで溜め込んできたものが発露した、涙を流すだけでは耐えられなくなった。
輸入した無水カフェイン錠をざらざらと水で流し込んで、げろげろと吐いて親に病院に連れて行かれた。
「親に対する敵意が妄想的」。精神科医が下した病名は統合失調症だった。処方も統合失調症の急性期に対するそれそのものだった。入院先は閉鎖病棟だった。少年は面会に来る親に退院させてほしいと要求するが、rejectされるばかりだった。医師に言ってもはぐらかすだけだ。それは主治医の判断だから、と言う。4カ月目に無断離院をし、退院の扱いになった。
「薬は毎日必ず飲め」
「勉強しろ、夜9時から朝6時まではルーターの電源を切るからネット禁止」
インターネットは少年にとって、狭い世界から脱却できる、同じ時間を生きる人がいると実感できる唯一のツールだった。
医療は何の役にもたたなかった。
外来診察には診察室に親が入ってくる。そしてうっかり「死にたい」とでも言ったものなら、主治医がちらつかせる「入院」のカード。
少年は親のためだけに、元気な表情であり続けた。心の中がすごくぐちゃぐちゃでも、元気な振りをし続けた。
主治医「××くん、表情いいし大丈夫だね。処方同じで2週間後」
母親はうつ病で、SNRIや睡眠導入薬が処方されていた。当時連絡を取っていた閉鎖病棟時代の友人が自殺するというので、着いて行った。
母親に処方された睡眠導入薬と自分の持っている睡眠導入薬、ざっと数えて100錠、冬山で凍死計画。
でも、目の前の15歳の命が失われることが怖くなって、少年らは山を降りた。
捜索願で警察に保護され、親元に帰される。警察の前では「生きていてよかった」と口にするが、家に帰れば
母は
「病院帰るのッ!? とりあえず薬増やせ!!」
「薬だけは飲んで!!!」
父は
「薬は元の場所に戻しとけよ」
主治医は
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
と言った。
言われたとおりに薬を飲んで、死にたいと思ってこっそり腕を切っては、過食嘔吐を繰り返した。
求められる「笑顔」を演じながら。
18になる直前に、病院を変えると少年は言った。両親は納得しなかったが、今の病院にはもう二度と行かないと言ったら、県立精神科病院への転院を認めてくれた。
案の定診察には親がいるので好きなようには話せないが、抗精神病薬は漸減され、ADHD向けの薬一つに処方が絞られた。
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
過去に医学部生として、今臨床に携わるものとして、主治医の話を聞いて頷いたあなたがたは今。
「診断名出てよかったね」
「ADHDかー、俺もそうだと思っていたんだよ」
今の主治医はこう言う。
彼は18歳の夏に命を断つ。
もうやり残したことはない。
私自身の経験も踏まえて、「残念なメンヘラ」というのは「悪である」と断言できる。
通らないとキレて、物を壊したり、奇声を上げたり、他者を害したり、自身を(死なない程度に)害して「あの人のせいで!」と騒ぎ散らす。
これが「悪」でなくてなんなのか。
たまにほんとに死んでしまう「残念なメンヘラ」もいるが、それは彼らの「失敗」である。
断言できるが、彼らは死ぬ気などないのだ。
たまたま切り口が深すぎて発見が遅かったり、首を吊ってみたら意識が飛んで、そのまま死んでしまったというだけの話だ。
「残念なメンヘラ」と呼ばれる人々は、厳密に言えば「精神病患者」ではない。そこははっきり区別してほしい。
一般的に精神病患者と呼ばれる人々は、定期的に通院し、毎日、きちんと薬を飲んでいる。
たいていの医者は、患者に合う薬を考え様々な種類を試し、その人に一番適した処方をしてくれる。特に具合が悪かったり、気分が落ち込んだときに飲むための頓服薬も出してくれる。
病院ではカウンセリングも行い、今の状況、日ごろの体調、精神状態の聞き取りをし、定期的な血液検査なども義務づけられている。
これは血管に直接薬液(おそらく、安定剤的なもの)を入れるもので、覿面に効く。とまらなかった動悸がぴたりとおさまって落ち着くくらい効く。ただし、薬液が濃いため、血管を通る際に痛みを伴う。
そうして通院治療・薬物治療を行った上で普通に働いている人もいるし、支援施設などに通い就労を目指している人もいるし、自宅療養している人もいる。
そういう人々は性格も穏やかで落ち着いている。日常の生活にもそれほどの支障はないし、少しコミュ障だったりすることはあるけれど、他人とも普通に会話ができる。
まともな治療を受けている精神病患者は、「メンヘラ」と呼ばれる彼らのように、日常的にリストカットしたり、ODを繰り返したり、他人に対して「このままだと自殺するぞ!」と脅したりはしないのだ。
ODなんか繰り返していれば薬は足りなくなる。当然、毎日飲んで精神を安定させるはずのものがなくなるのだから、精神的には不安定になる。落ち込んだり、逆にハイになりすぎたり、他者に対して攻撃的になったりする。
そして、そんなことを繰り返している患者は、入院治療の対象になるのだ。
家族、もしくは担当医の判断で、精神病院に入院させることができる。最初は閉鎖病棟に入れられるのが普通で、そこで薬の管理を徹底的に叩き込まれ、それから開放病棟に移され、院内のデイケアに通ったりする。退院後もデイケアに通い、きちんと薬を飲んでいるかなどを管理される。
厳しい先生などは、ODを繰り返したりする患者は患者としてみなさない先生もいる。
何故なら、日本における精神病の治療は薬物治療が第一であり、それをきちんと管理できない人というのは、「治療する気がない」という意味だからだ。
「メンヘラ」と呼ばれる彼らの多くは、「治療する気がない」のだ。
陰性の統合失調症と診断されて通院を続けている。手帳だって持っている。もう20年近くになる。引きこもりも経験した。
だけどその間に、一度も自殺未遂をしたことはないし、ODをしたこともないし、リストカットをしたこともない。「これから死ぬから」と誰かを脅したこともない。
薬を飲み忘れたこともない。薬は、命綱だから。それを飲まなければ自分が辛いということがわかっている。
残念なメンヘラ、なんていう種類の馬鹿がいるから、差別され、侮蔑される。
ネット上で声が大きいのは、残念なメンヘラたちであることが悔しい。
残念なメンヘラたちが馬鹿なことを繰り返し、それをネット上でいきいきと発信するから、「メンヘラ」という差別用語が生まれた。
私が実際に精神保健福祉法違反を実体験したのは10代後半のときだった。
このとき転院した先の私立精神科病院の児童思春期病棟がマジでクソだった。
(任意入院同意書と引き換えに看護師から手渡された「入院に際してのお知らせ」という書面に
「あなたの入院は、あなたの同意に基づく、精神保健法第22条の3に規定による任意入院です」との記載がある)、
これなら精神保健法にもとづき任意入院は自由に退院ができるはずである。
任意入院者が退院を申し出た時は退院としなければならない(21条2項)のが原則であるが、
精神保健指定医の診察のもと一定の場合に72時間を限り(特定医師の診察のときは12時間)
通常、この規定は病状悪化等のため措置入院や医療保護入院等に切り替える準備として利用される
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E6%84%8F%E5%85%A5%E9%99%A2 )
任意入院者が退院を申し出た時は退院としなければならない。ただ例外として指定医が必要と認めれば72時間に限って入院を制限できる。これは
(患者本人へ退院制限を行う旨や患者の請求権に関する事項を記載した書面)で告知し、
任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間以内に限り退院制限を行うことができます。
この72時間以内に、継続して入院治療する必要性を患者に説明し説得を行うことや、医療保護入院へ移行するため家族等から同意を得ること、
( https://www.e-rapport.jp/law/welfare/welfare_2014/welfare_2014_2.pdf )
とあるように、「任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間以内に限り」「入院継続に際してのお知らせ」で告知して行わなければならない。
さて私の場合は
「退院させてください」
「うーん、まだ」
一蹴された。
えっ。えっ。じゃあ
「任意入院患者が退院の意思を明らかにした時点から72時間に限り入院が延長され」「医療保護入院へ移行する」のかな、と思った。
72時間経ったけど何もなかった。書面も告知もクソもなかった。
なにかがおかしい。
ちなみにこのあいだ、クソ狭い病院の建物の外に出たことがない(鍵のかかった閉鎖病棟(はーと))。
余計にメンがヘラりそうだぜははーって感じだった。
さらに1カ月後、言葉の強さが足りなかったかなと思い言葉を変えて診察(週1)に主治医に言った。
「まだダメかな」
やはり72時間経ったけど何もなかった。書面も告知もクソもなかった。
なにかがおかしい。
この病棟にいるのは9歳から19歳までの子ども。6カ月以上入院している患者も全体の1/3(ベッド数30)くらいはいただろうか。
平均入院期間は90日程度です。病状が改善すれば、できるだけすみやかに家庭等へ復帰することを目指しています
( http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/section/seisin.html )
そんな押し問答を繰り返し4カ月目、ようやく手に入れた一人での外出許可でそのまま脱走した。
いや、「無断離院」した。
このときは外泊扱いになり、帰って来いとの話になったが無視した。
退院できた。
えっ!?
入院中疑問に思ったことがある。ナースステーションで覗き見した名簿では9割方の人が任意入院。
中には病院から学校に通う人まで。みな長期入院している。1年以上いる人も。居住施設じゃんそれは。はやりの社会的入院ですか。
そして入院中同い年の任意入院患者から聞いた言葉。その人もやはり学校に通いながら入院する長期入院者。
「親さえ説得すれば退院できる」
- 精神保健指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院の必要がある者であつて当該精神障害のために任意入院が行われる状態にないと判定されたものであること(33条1項1号)または34条1項の規定により移送された者であること(33条1項2号)
- 家族等のうちいずれかの者の同意があること(33条1項柱書、33条2項)または居住地の市町村長の同意があること(33条3項)
- 入院の告知(33条の3第1項)
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%85%A5%E9%99%A2 )
要するに家族と指定医の間でこうなんかうまい具合にされちゃってる入院形態じゃないですかね!?
そして別の任意入院患者が興奮し保護室(隔離)に連行されていく(それはまさに連行だった)シーンを見て疑問に思った。
その患者は3日間保護室に入れられていた。もちろん同意などない。
あれ!? 任意入院患者の隔離は12時間に限ってできるんじゃないですかね!?
主治医に診察で疑問を直撃!すると……
あとは「定期病状報告書」を都道府県に定期的に出さなければいけないのだ。
これのチェックが意外と厳しいのではと思った。
退院制限や隔離拘束を行うなら医療保護入院、もしくは措置入院(→都道府県の命令による入院)に移行すべきだ。
でも医療保護入院は
当該精神障害のために任意入院が行われる状態にないとは、単に任意入院に同意しないことを指すのではなく、病識がないとか判断力が低下しているといった、入院治療の当否を自己決定するについての能力不足を必要とする。逆に、こうした能力不足があれば、たとえ表面的に同意ととれる行動があっても任意入院を行うことはできない
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%85%A5%E9%99%A2 )
ハードルが高い。たぶん。
統失だって診断したくせに、県立病院に変えたらADHDだったじゃん!
おわり。