はてなキーワード: 退職とは
似たようなこと言われて、若いのが辞めたら若手退職ラッシュになった昔の職場を思いだした。
私はちょうどその時にかねてからの希望が通って異動で出ていったけど。
二度と戻らねぇと思った。
まあまあの田舎。小学校は学年ごとに2クラスあって、中学校も同じ。ほとんど代わり映えしない顔ぶれで9年間を過ごした。
中学生のころ私たちはクラスで地味ーズなんて呼ばれていたらしい。息苦しい田舎に暮らすおたくで、クラスに馴染めなかった6人組だった。
交換日記をして、当時流行っていたFF7のイラストを描いていた。
それが救いで、何よりも楽しかった。
彼女は仲間内でいちばん絵が上手だった。飲まれるような、背景と世界観のある絵を描く子だった。
当時は田舎の中学生はパソコンどころか携帯さえ持っていなかったけれど、彼女の水彩は色鮮やかに、画用紙の上に世界を描き出した。
みんな彼女の絵が好きだった。
高校はみんな別々のところに行って、携帯を買い与えられて、そしてわたしはインターネットの広さに救われた。
東京に暮らす高校生と仲良くなった。学校帰りにサイゼリアやマックに行く生活に憧れた。彼女のようにもっと自由に生きられるかもしれないと思った。
進学校という環境の良さもあったおかげか、びくびく周りの顔色を伺って生きていた中学時代と比べて、高校を卒業するころには毎日が楽しくなっていた。
わたしは大学に進学して地元を出て、残りのみんなは地元で就職した。
その頃にはもう6人全員が集まることは少なくなっていて、たまの機会に顔を合わせてはその時に好きな作品の話をする仲だった。数年に一度会うだけだったとしても、昨日までも会っていて、明日も会うみたいな顔で話した。アラサーと呼ばれる歳になっても誰ひとり結婚しなかったし、人生の話なんてろくにしなかった。あの頃と同じようにアニメやゲームの話だけしていた。
だからずっと付き合いが続いていたわけではない、実際のところわたしは彼女とはもう数年会っていなかった。
東京で就職したわたしが地元に戻るのは盆と正月の2回だけで、その時期、田舎の家庭はなにかと忙しい。彼女とタイミングが会うことは少なく、たまに絵を描いては展示会に出していたこと、仕事で悩んでときおり転職や退職をしていたことくらいしか知らない。
まだ気持ちの整理がついていない。
彼女の訃報は、地元に残ったうちの一人から、電話で聞いた。亡くなったのだと。
どうして、と聞いた。聞いたけれど、まだ自分で言葉にするのが怖い。ただ、悩んでいたことは知っていたから、そうか、と、思った。
明後日が通夜だけど、急に来れないよね、って言ってくれた。平日。地元まで飛行機の距離。行くと言えない自分が情けなかった。
その電話を受けたときにもわたしは会社にいて、その日も23時まで働いた。親族の不幸でもない、いま抜けたら多大な迷惑がかかるのはわかっていた。
最後に一目会うことすらできない自分が情けなくて仕方なかった。そんなもんじゃないのに。
ご家族の気持ちを思うと、もし次に地元に帰ったとして、彼女に手を合わせることができるのかわからないのに。
写真で見せてもらった油絵、展示会に出した彼女の絵。彼女自身の顔よりもそちらのほうが記憶に濃い。
実家に電話して、代わりに通夜に行ってもらうことにした。母親も泣いていた。
地元の話をたくさんしたのは、あの田舎で生きるのは苦しかったのかな、って思ったから。
近所のスーパーに行けば誰かしらのお母さんに会う、名前さえ忘れかけていたような同級生の○○ちゃんが結婚したらしいよ、を親から聞かされるような土地。
あのときゲームと絵とインターネットに救われて、いまもなお生かされている。世界が広がって、ようやく呼吸ができるようになった。
彼女だってあの絵があればどこへでも行けたはずなのにと思ってしまう。こんなところで閉じてしまう必要なんかなかった。
誰かに聞いてほしいけれど、親以外にはまだ口に出して相談することができずにいる。
ネットをあまり使わなかった彼女だけど、わたしは本当は、もっとたくさんの人にあなたの絵を見てもらいたかった。
あなたがいたことをせめて書き残しておきたくて、さみしくてまだぐちゃぐちゃで何もできないけど。こうして文章にすることをどうか許してほしい。
フリーダムに書く。
「大体の人が好きなことは仕事にできない」
みたいな理屈をまあよく見るんだけどさ、
そういう考えはそれなり人生損してるなぁーと。
結論だけ言うと、仕事楽しくなくても、仕事していること自体を楽しめばいいのに。
人生の半分くらいの時間を使うものを楽しまないって・・・そりゃ勿体ねーわって思う。
何もね、今の会社から与えられた任務に心から真面目に取り組む必要無いし、
つかそれは洗脳だし、まあどこまでも行っても嘘よ。
仕事内容を楽しいと思い込むのではなくて、仕事する時間そのものにできるだけ多くの楽しみを見出すのよ。
重要なコツは、仕事で使う時間を「なにか自分の人生とは別の時間」のように考えないこと。
あのね、
どれだけやりたくないことだろうが、
それらに対して手を動かして考えるのは「自分」なのよ。
何が自由でどう楽しむかは人それぞれだけど。
例えば俺の場合は全ての数字を維持するゲームだと思って楽しんでる。
売上とか給料とか仕事の速度とかもちろん、後輩の機嫌とか、昼飯の旨さとか、
とにかく仕事行っている間の全ての事柄を数値化して、それをなるべく高く維持するゲームみたいに考えてる。
あと細かいことをいちいち楽しんでる。
タイピング早くなると楽しー。
電話に慣れると楽しー。
人を丸め込めると楽しー。
俺を怒ってる人を観察すると楽しー。
一番早く来るエレベータを的中させると楽しー。
あと、考え方として「楽しさ」と「仕事の内容」に直接的な関係がないっての重要。
会社の職種とか上司に依存しないんで、いつ職場を鞍替えしてもいい気楽さがある。
そもそも会社なんてどんな最悪なことが起きても、クビか倒産しかありません。
それがなんだっつうんでしょ?次の会社行けばいいだけじゃん?
そう気楽に構えれば上司のカミナリとか仕事上の大ミスとか、ゲームの臨時イベントクエストみたいなもんですよ。
まあこれは俺のやり方だけど、とにかくどんな楽しみ方も絶対にある。
「仕事内容がやりたいことではないので楽しめない」
って考えは間違いだし根拠がない、と俺は思う。
人は皿を落とさず回すという何の意味もない単純なことにすら楽しみを見いだせる。
人は災害や戦争などという意に反することの極致にすら楽しみを見いだせる。
銃弾も飛んでこないし、複雑さは皿回しの比ではない。
楽しみ方なんていくらでもあると思うんだ。
間違いなく言えるのは、
「仕事後と休日だけが自分の時間」みたいな考えで生きてたら人生あっという間に終わる。
か、人生つまらなすぎて20代で退職リタイアして労働が無意味にトラウマになる。
それか自殺。
実際そういう人らを見てきたし、
それは本当にもったいないと思う。
仕事に行くのも皿洗うのも風呂はいるのもシャンプー詰め替えるのも全部自分の人生の時間なんだから、
楽しみを見つけることはできるって。ゼッタイ。
逆に言うけど、
仕事(を含めた生活)に自分独自の楽しみを見つけようという姿勢もなく、
それである日突然「とくに自分がどうこうしなくても自動的に楽しくなれるようなこと」と出会える(それも仕事で!)、なんて思ってるほうがおめでたい。
「いまの職業や会社が楽しいかどうか」なんてどうでもいいんですよ。職業や会社なんて人生から見たら使い捨てなんですから。
「仕事している時間をどう楽しむか」を見つける(・・・というより作る)ことが超重要。
最後に、
人に与えられた楽しみに出口なんかない。
会社なんかは
みたいな感じで「こう楽しめ」と押し付けてくる。
まあそれはクソオブクソ。無視していい。
そしてそんな言葉の通り本当に「今の会社の自分の仕事」に対して心から取り組むようになったら、
「仕事を楽しめ」ではなくて、
そのためには「たとえ囚人ですら自分の意思で自由に動いていない時間など一秒もない」という事実に気づくことですなぁ。
※一応フォロー
以下の理由で、誰もがこれをできると俺も思っていません。
・俺は技術職なのでそもそも会社なんぞ使い捨ての乗り物であるという考えがあります
・俺は人間関係の状態や質にプラス/マイナスの影響を1mmも受けない人です
・俺は会社における立ち振舞(「お疲れさまです」とかね)はロールプレイだと考えることができます。軍隊の敬礼といっしょでしょあんなもん。
・全ての評価軸が自己満足なので、他人に怒られても全く心的ダメージ受けないですし、褒められても全く心的プラスはありません。
ひでぇ、早めにそんなとこ辞めて欲しい。
話逸れるけど、前職も健康診断の結果勝手に開封されてみられてた。
要所見がある人に再検診促すためとか言ってたが気持ち悪すぎて反吐出た。
退職の要因の一つだった。
で、歳を取るとそのブーストを失う。
男はその点、存在だけでは評価されず、何がしかの価値を出さなければ他人に評価されない。
自分の実力で得た評価ならいきなりの喪失というのはないわけだ。
・新卒でITベンチャーに入ったが8ヶ月で退職して、今は同業で小規模の会社経営。
・高校入学後から15年以上、衝動性、注意欠如、躁鬱のような症状に悩まされ続けてきた。
・調子が悪くなると、数日~数週間落ち込み、本気で死にたくなる
・タスク整理、優先順位がつけられず、仕事が終わらないため常にストレス状態
・衝動的に動き、後で後悔することを繰り返してしまう。高額の商品や詐欺に引っかかり1000万円は溶けた
・逆に調子がいいと性格が悪くなったと言われ、かと思ったら次会った時は落ち込んでいて、情緒不安定のあなたは何なんだと言われる
・今まで生きてきて、心から楽しいと思ったことが記憶の限り1回もない
私は広告業界で10年ほど広告制作の仕事をしていた。最初は総合代理店で、最後の半年はWEB広告代理店で。
そして昨年末をもって退職に至ったので、退職エントリではないが、なんとなくWEB広告の実情について
広告業界の人たちにも話したかったので文章にまとめることにした。
私はそれは、奢りではなく、むしろ戒めだと考えている。
なぜなら広告会社は、そういった矜持を自戒の念を込めて持っていないと、
私は新卒でとある広告代理店に入社し、そこから10年ほど制作を担当することになった。
最大手というわけではないが、時々全国規模のTVCM制作も手がける、そこそこの代理店である。
そこは、今となっては「働き方改革」の標語ひとつで一蹴されてしまうような、徹夜と休日出勤を繰り返す昔ながらの制作現場だった。
私はこれは、他ならない「文化からの転落への恐怖」に起因していると考えている。
タレントは不自然に微笑み、手放しで商品を褒める怪しいコピーで溢れかえり、
だからこそ代理店の制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。
広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。
「ゴミ」と「文化」の間に横たわる深い河を、靴一足分だけでも超えられないか、
誰だって、自分は人生をすり減らしてゴミを作ってる、とは思いたくない。
そんなミリ単位のこだわりを爆発させていくうちに、時間外労働は積み上げられ、
(ホントにダラダラやってるだけのヤツもいるんだけど)
私は土日の撮影や徹夜のプレゼン準備が反吐が出るほど嫌いだったが、
そういういい歳こいたおじさん達が、1ミリでも良い物を作るために
わがままを通そうとする姿を見ているのは嫌いではなかった。
情熱大陸とかプロフェッショナルでは、プロ達は綺麗なオフィスでキラキラ仕事している場面ばかりだが、
現実のプロ達は深夜の制作会社の会議室で、ボロボロになりながら臭い鼻息を撒き散らして仕事に食らいついている。
繰り返されるのは、誰かが「もうこの辺で辞めにしませんか?」と言ってしまえば終わってしまうような脆弱な会議である。
しかし「少しでも良いものを作らないと俺たち生きてる意味ないよな」という不文律が全員の頭の中に共通して存在するから、
「もう辞めよう」と口にする人は一人もいない。そして1ミリだけ良くなった企画書を持って徹夜明けでプレゼンに挑む。
その情熱大陸が映さないような種類の、リアルな感じが好きだった。
まぁ、そういうおじさんおばさん達の見えない闘争が積み重なって、
「広告は文化」と心の中で思っていても怒られないくらいの社会風潮は出来たのではないかと思う。
過去の名作広告をまとめて本や番組が作られるくらいなのだから、一応文化と言っても差し支えはないだろう。
その会社で9年働いた後、私は縁あってWEB広告の代理店に転職することになった。
これが同じ「広告代理店」を冠しているが、とても同じ広告を作っているとは思えないような職場だったのである。
ここが広告という文化を殺して食べる、屠殺現場のような場所だった。
それは「数値化」だ。
WEBで広告を作る、ということは、制作物の全てを数字に置き換えることができる、ということなのである。
この広告が何秒見られたのか、どんなクラスターの何%が見たのか、何%が商品を買ったのか、広告のコスト効率はいくらか。
広告の全て数字で語ることができるのがWEB広告の独自性であり、実際私が居た会社はその強みを最大化するような戦い方をしていた。
すると何が起こるか。
たとえば、必ず視聴率やクリック率が高く出るような広告をつくる。
それはどういうヤツかというと、始まってすぐに「お得なキャンペーン」とか「今だけ何%ポイントキャッシュバック」といった数字を画面に大きく出すようなアレである。
誰もがあれに反応するわけではないが、一定層そういう数字に反射的に反応する人種の人たちがいる。だから結果的に数値はわかりやすく上向くのである。
コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である。
そういうわけから、WEB広告代理店では撮影や外注を行わない広告制作が奨励されている。
ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。
そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。
その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。
私にはこれが、数字に裏付けされたゴミを作っているようにしか見えなかった。
始めにこのクオリティの広告を見た時「まともなクライアントがこれにお金を出すはずがない」と思っていた。
しかし実際は違う。喜んで買っている。そりゃそうだ、クライアントの持っているお金は「広告宣伝予算」であって「広告文化への投資予算」ではない。
RADWIMPSが歌うデザインされたTVCMであれ、フリー音源とポイント還元キャンペーンだけで出来たWEB動画であれ、効果が高そうなものにお金を払う。
なんとなく効きそうなだが高価な胃薬と、見た目はチープだが安価で効き目が数字で裏付けされている胃薬だったら、後者を選ぶ人は少なくない。
私が在籍していたのは半年程度だったが、WEB広告会社が大手代理店から仕事を奪ってきた、というようなニュースを度々耳にした。
かくして、広告という文化は、数値に裏付けられたゴミによって貪られ、じわじわと瓦解し始めている。
今なお「広告は文化だ」と思っているのは広告制作者を始めとする一部の広告ギークだけなのだろうか。
もしかしたら多くのクライアントサイドも、今では広告を文化だとは思っていないのかもしれない。
(思っている希少なクライアントもいる。代理店はそういうお客さんを大事にしてください。)
少なくとも、WEB系の広告会社にはそもそも広告を文化と思うような発想はない。
ただ忠実に、広告は言葉通りの「広告」なのだと彼らは思っている。
彼らは非難される立場ではない。だってそっちの方が本来の「広告」の語義には近いのだ。
「経済を回すための1つの因子」みたいな感じに思っているんだろうなぁ、きっと。
文化もろとも倒壊しているのにも気づかず勝ち気になっているのが我慢できなかった。
懐古趣味の「昔は良かったおばさん」みたいな話にはしたくなかったのだけど、
2019年、ついにWEB広告の出稿費がTVCMのそれを超えたという。
この先の広告業界がWEB業界を中心に回るのは日を見るより明らかだし、その時のエースプレイヤーは私が辞めたあの会社かもしれない。
しかし、あの地獄クオリティのWEB広告達を元に大学の授業が行われることはないだろうし、それを論じた本が出るようなこともない。
広告という「文化」は静かに解体され、彼らに食いつぶされ、いつの間にか消滅していることになるだろう。
私はそんな「冷たい熱帯魚」みたいな解体現場で確かに働いていた。
これは救命ボートからタイタニック号に乗り換えるような所業かもしれない。
ただ無邪気に文化を貪り続けるよりはマシだと思っている。
25歳男、Fラン大卒。卒業してから1ヶ月だけ派遣で働き翌年までニート。
再び派遣で地元の空港の貨物の仕事をしていたが一人暮らしがしたくなったので今年の2月で退職。
現在に至る。
大学では地理情報システムについて(といってもソフトの使い方程度)学ぶ。情報系のくせにプログラミングの知識はない。
就活を始めても企業の掲げる仰々しい理念を真に受け、自分は社会に出て働くに値しない人物なのでは?と勝手に絶望したのと、できることなら働きたくなかったので就活から逃げた。
流石に働いていないのはまずいと感じ、働くまでのハードルが低いスポット派遣で数ヶ月ほど働いた後、貯まった金で自動車免許を取るが今までで1度も運転していない。
免許をとっていざ就活と思い立ったが、結局やる気が湧かずに1度もそれらしい行動をしないまま引きこもりニートと化し半年以上の空白期間を作る。
翌年から家族の煽りを受けてまともに働こうと思い、社会復帰も兼ねてフルタイムの派遣で働く。地元の空港の航空貨物の仕事で時給1300円。
時給は良いが肉体労働で残業が多い(月40時間程度)のと、夏は死ぬほど暑く空調もないことから1年半程度で退職したのが2ヶ月前で現在無職。
常々感じていたのが実家暮らしの兄と相部屋で、いい加減一人暮らしがしたくなったのでありきたりだが上京を考えている。
都内でなくてもいいが満員電車に乗りたくないので、できる限り職場の近くに住みたい。引越してから仕事を探すのと、就職が決まってから引越すのはどっちが良いか。
探せば家賃5万程度のところはあるし、人手不足の今なら無資格未経験でも25歳なら雇ってもらえるところはあるだろう。
貯金も訳あって300~400万程度はあるので2,3年の間は手取りが20万切っていてもどうにかなるはず。
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見返してみると皮算用が多すぎるし新卒の時点で躓いているのに今更無職になって都内なら就職できると考えるのは浅はか過ぎるのでは?
単に1日に10こくらい卵からひよこが産まれるらしいから見に行こうくらいの気持ちでいいんだよ
散在するコンテンツの意味がわかるのに1年くらいかかるゲームだから
すでに実生活でブラックな生活をしている人には絶対にすすめたくないよ
まぁ勝てなかったんですよね。
京都大学に落ちて、浪人して予備校通って、また京都大学に落ちて私大へ。
実家は貧乏なのに無理して私大に行ったので、大学4年間はバイト漬けだった。
大手企業に入ることが希望だった。それもうまく行かず、就職も妥協した。
そこそこ大手には入れたけど、配属された部署がブラックで、精神的に潰れてしまった。退職。
前の会社で知り合った彼氏が地方に転勤になり、27歳で結婚して彼について行った。
今はパートの主婦だ。実家の家族とも会えない。夫は仕事のストレスで、酒を飲まないと寝れないらしい。毎晩酒を飲みながら一人でイヤホンでYouTubeを観てる。
酒癖が悪いって訳でもない。真面目に働く夫。喧嘩はしない。だけど一緒に過ごすと不満が溜まっていく。
車がないと外出が不便な田舎だ。私は免許も車もないので、スーパーに行く以外家に引きこもっている。もうすぐ30歳だけど子どもはまだ作る勇気がない。
浪人しなきゃ良かった、文系じゃなくて手に職つければ良かった、公務員になれば良かった、あの会社に入らなければ良かった、とか色々過去を後悔して。
努力しなかったわけじゃないけど、もっと努力できたんじゃないかとか、違う人生があったのかなとか。
後悔しても仕方ないし、十分恵まれてる。だけどモヤモヤする。こんな気持ちは親にも吐き出せない。
なんかもっと、大学生になったらサークルとか楽しんで、大手企業に入って、生き生きと働いて、自分らしく生きて、好きな人と楽しく暮らして、趣味も充実して、お金もあって、そんな妄想を女子高生時代に良くしていた。
あの頃の私にごめんねと言いたい。
・広告代理店にいたが去年に退職して、今は同業でフリーランス。
大学入学後から10年以上、鬱病のような症状に悩まされ続けてきた。
去年「注意欠陥優位型の発達障害」と診断されたが、いまだに困っている。
風呂入らないし、歯も磨かない。ご飯はUberEATSかコンビニ。
多い時は月に2-3度は、鬱状態になる。ひどい時は何日も引きずる。
連絡が取れなくなるのは社会人としてあり得ないことで、
迷惑をかけた人達には申し訳なさの極みだけれど、繰り返してしまう。
細かいタスクや確認作業が苦手だが、上司や仕事相手に調整してもらい、
心療内科に行ったところ、注意欠陥優位型の発達障害と診断された。
知人の伝手を頼ってフリーランスで仕事しているが、あまり状況は改善していない。
診断を受けてから、このような鬱状態が断続的に一生続くんだ、と思い、絶望的な気持ちになる。
鬱状態になると、自分のやりたいこともできないし、人に頼まれていることもできなくなるため、
発達障害が治らないのは仕方がないと諦めているが、
せめて自分がもっと自分のことをコントロールできるようになりたい。
仕事でもプライベートでも、上手く調整しながら、もっと自分のやりたいことができるようにしたい。
今は、たまに頭上から石が降ってきて気絶する、みたいな感じで、しんどすぎる。
弊社は広告代理店だ
社員数は500名以上で、本社は東京、北海道から九州、海外にまで支社がある
詳しくは忘れたが、ワークライフバランスに関する賞もいくつか取っている
正確にいうと、子供のいる社員などはリモートワークの相談ができるらしい
先日、今回の騒動を受け全社的にリモートワーク応相談の書面が下りてきたが、未婚単身者の私に対する上長の答えは
だった
「新型肺炎に罹患してなおリモートワークで仕事をすべき」と思っているのか尋ねるべきだったが、脱力感に襲われ、聞く気が失せてしまった
朝礼・夕礼でわざわざマスクを外し、かわるがわるマイクを取っては、営業ノルマを告げ社員を叱咤している部長陣
と言いながら
「コロナに負けず頑張ろう!」
と叫ぶ上長たちを見て
「この会社を辞めよう」
と思った
言われた事しか出来ない子は、大抵、中途半端なお嬢さん育ち。お弁当なんて、社会人になってもママに作ってもらってくる人もいた。
責任持って仕事こなしていく子は、両親共働きか片親で、基本的に料理洗濯掃除も自分でこなし、学生時代から自分で弁当作っていたと聞く。
親も親で、子供の入社式に親が参列、気持ち悪い。そんな親子、絶対に面倒起こすから配属お断りしたい。
子供に労働させるなんて悪!みたいな風潮が一時期あって、宮崎駿の千と千尋の神隠しの映画が公開された当初、子供に労働させる酷い話!とコメントする人もいた。
これは手元に無いからうろ覚えだけれど、確か、映画のパンフレットの監督の言葉に、
子供に労働させるのが本当に悪だろうか?イギリスの炭鉱堀のような苦痛労働ばかりイメージ先行しているが、そこまでいくものでなければ、子供は自らの成長に繋がる事を学びとる、そういう子供の労働に対するアンチテーゼを、作品に入れ込んだ、と書いてあった。それが、国際的にも賞を貰い評価される映画になった。
今、職場で教える立場になって、つくづく思う。学生時代に何でもしてもらってばかりいる子はいつまでも子供のまま。親になっても、文句や主張ばかり言って仕事しない。そのくせ年齢上がってくるから、出来る若い子がみんなしわ寄せを被る。
みたいな扱いを受ける恐れのある派遣先が静かに増えてきている、日々の健康を自己管理してコロナウイルスに感染しないようにする
「万が一かかるようなことがあれば」即派遣先の責任者に電話とメールで報告、なぜどうして何をして感染したかの事情聴取付きだ。
感染の恐れがある派遣社員は強制的に有給取得を命令され毎日毎時間体温と健康状態の報告がメールで必須、そして良くなったか悪くなったか
逐次派遣先の責任者に報告する。そして出社の可否を派遣先が決めて同意が得られない場合は派遣社員の交代と派遣先への謝罪を派遣社員が行う。
コロナウィルスに感染したのは日々の健康管理を疎かにした派遣社員とそれを管理する派遣会社の責任だから、とか
不満はあるが人手不足でぎりぎりの人員で業務をこなす派遣会社では交渉できる人は誰もいない。
世の中には社員を休ませる会社やリモートワークを進める会社が別世界の会社のように思えるぐらい、酷い労働環境がある。
だから人手不足なんだけどな・・・ 交渉できる体力がある派遣会社でもない限りコロナウィルスにかかった派遣社員を庇えない。
感染した社員を養う余裕もないために入院となれば自己都合での退職を迫られる事になるだろう。
転職しろとは言え派遣社員歴がある人間は余程の実力がない限り転職市場での扱いがすごく悪くて転職したくてもできないのが実情だ。
コロナウイルスという未知のウイルスによって世間は脅威にさらされ、それは日常を送る私たちの生活をじわじわと影響している。
特に、小さな子をお持ちの家庭ではかなりセンシティブなテーマであると思う。
私は、保育園で働いていた。
なにかと話題にあがるように、当たり前ながら過酷な現場で、自らの目で見て手で触れながら援助していく優しいイメージがあるが、それ以上の戦場であることをとりあえずご理解いただきたい。
私は認可園で仕事をしていたが、例に漏れず人手不足、人間関係のよろしくなさ、それらによるプレッシャーなどなどでついに体調を崩し、休職となった。あまり細かいことを書いてしまうと個人や園特定につながるので黙っておくが、上司に「もう私は身体が動かない、どんなに頑張ってももう無理だ。もう頑張れない」との電話をした時に、「メンバーはお前だけじゃない。俺は他のメンバーも守らなくちゃいけない立場にある。」とひとこと言われて電話を切られたことだけは忘れられない。
愚痴のようで申し訳ないが、休職中は、逃げてしまった、子どもたちはどうしているか?メンバーは?などなど諸々の負の感情に見舞われてしんどかった。同時に、今ここで自分と向き合わねばとも思った。保育のどの点が大変だったかここであげていく。
*シフト勤務
保育園はシフトで回ってる。園にもよるけど病院付属のとこなんかは夜勤もあったりする。
このシフトが鬼。
早ければ6時半出勤〜とか、遅ければ21時22時までのオーダーもあったりするから、とにかく生活がガタガタになる。体力何よりも大事。体育会系が重宝されるのはこれ。
不規則なシフト勤務でなにが崩れるかというと、自律神経である。
お天道様が登って起きて、沈んだら寝るのが生き物なんだけど、その常識がいとも簡単に崩れてゆく。
さらに保育園では入園、運動会、発表会遠足、卒園、行事というものがあり、それによって早起きや遅くまでの準備が必要となり、よけいに自律神経はダメになる。
自律神経が壊れると、風邪をひきやすくなり、治りにくくなり、もともとあった持病がヌッと顔を出してくるほか、放置していると確実にメンタルを壊しにかかってくる。そうすると大変だ。
わたしからは体力増強に努めよとしか言うことができない。そのくらいどうしようもない問題だ。
*人との関わり
尋常じゃなく人と関わる。子どもはもちろん、その親御さん、それだけならまだいいが、同僚(同じ保育士だけじゃなく、栄養士さんや看護師さん、たくさんの専門職が集まってチームで仕事をしている)。目まぐるしいくらい色々な人と話し続けて相手の思惑を慮り、時には意見が衝突することもあるし、衝突したらしたで絶対折れない人多いし、なぜか存在がデカくてべつになんにもいいことしてないのにみんなからリスペクトされてる人とかとにかく色々強いのがいる。
どの人ともそうだが合う合わないあって、合わなかったらサイアク。どこかでガス抜きして自分の色を出していくしかないし、それすらも許されなかった場合やる気を失う。
子どものためにみんな一生懸命で、気持ちがぶつかるのはわかるが、結局ただのケンカになっていたり。
専門職は免許を手にした時から専門職だから、たとえペーペーだろうとベテランだろうとみんな持論を持ってるし結局は誇りを持って現場にいる。そういう人たちと共闘していくにあたって、心が折れてしまうようだと、なかなか長く続けてくのは難しい気がする。
大きい園だと人の出入りが多くて目が回ってしまう人もいるだろう。それはそれぞれのコミュ力によると思うが、出る杭になって打たれてしまうようだと悲しいかなそこでは難しい気がする。
とにかく感情労働というやつなので、笑ったり泣いたり、いろんな人としての感情にとんでもなく自分の心がついていって処理しないといけないので、ほんとうに疲れる。特に0〜2歳くらいの子たちは1秒後には想像もつかない行動に出るし、自我がすごいので、ひとつひとつに付き合っていかないといけないのだが、1日終わると魂が抜けている。時々わけもなく涙が出てくるようになったら赤信号かもしれない。そのくらい感情の暴力に見舞われる。
あとすごく怒る親御さんに当たるとつらい。今の世の中慌ただしいので小さなことにこだわり、細かく見てくる保護者もたくさんいる。
忙しい世の中だから、家族はせめて家では楽しく過ごしたいので、そのぶんの鬱憤が園にぶつけられることも多い。特に子どもの甘えとか、イライラや自我を受け止めるのはかなり心にくる。ひとりでそれを受けるのは人間どんな強い精神を持ってても無理なので、保育園はチームで動いている。チームの中で大切なのは思いやり。これがないと現場は崩壊する。だから人間関係が大事で、ちょっとでもうまくいかないと思いやりが伝わり合わず、とんでもないことになる。
何点か大変だったなぁというポイント?をあげてみたものの、これには個人差もあるし一概には言えないと思う。ネガティブな要素がたくさんある中でも、そこからパワーが湧いてくる…くらいの人は、保育をずっと続けられると思う(そういう人間が本当に存在するのかはナゾだが)。しんどいけど負けないぞという強さがある人にも向いている。そういう人たちは続くと思うし、現に長くやってる人は強さがある。
あとギャランティの問題も早急に解決してもらいたい問題だ。改善はしているが、諸々の責任の重さについて対応する値打がまだ充分に付けられていない。
いろんな現場があって、小さな赤ちゃんから入学前の幼児さんがいるような大きな園はとにかく目まぐるしくて、迅速な判断と行動が求められるし、最前線だから人手も足りないし常に忙しい。逆に、小規模で乳児さんまでの園だと、少ない人数をしっかり見られたりして、ゆったりのびのび保育できる現場もある。(ここも保証はできないので気になるところは余すところなく見学なり実際に保育に入らせてもらったりして環境を見ておくこと)日々勉強し続けなければいけないのはどこでも同じだが。同じ保育士とはいえ得意不得意はあって当たり前だし、いろいろな働き方がある。ようは自分に合った現場を探すことが大事なのだ。別に最前線の大きなところでバリバリやることだけが全てではないと私は思っている。
ただひとつだけ言えるのは、子どもを育てるという、人として尊いもののひとつをさせてもらえるという喜びがあるという点において、これは感謝以上のなにものでもない。園にいる間はわたしの子どもたちという気持ちでいることが許される。(限度はあるが)教育現場もIT化が進んで、これから勉強を教える先生はコンピュータなどの電子媒体にとってかわられていく可能性がある。でも、保育だけは、今もこれからも保護者に代わって子どもの育ちを自らの手や目でもって担っていくと思う。就職活動をしている人、転職で保育をやってみようと思っている人も、ぜひ保育について考えてくださると嬉しい。
会社の生命線を維持する仕事だから尻拭いしないと会社が存続が危ぶまれるんだよね。だから尻拭いしないといけない。
そんな大事な仕事を無能先輩にさせてる体制自体が問題だから俺は仕事を教えてもらってる。
無能先輩は自分しか出来ない仕事が重要なことを理解してるから天狗になって上司の指示を聞かないことが多い。
上司も無能先輩に退職されたら困るから強く言うことが出来ない。
体が弱かった事も理由なせいで、小学生の頃からいじめられっ子だったが、その際に恨んだ相手が後日に自業自得の範囲を越えてひどい目に遭う例が、少なくなかったように思う。何かと心配性な親に、どうにか運命が開ければとさまざまな占い師などに連れられたが、大半の人からは「この子には、不動明王が付いている。見かけはひ弱いが、したたかに生きていける」と、説明される事が多かった記憶がある。その後、何やかんやがあって今まで生きてきた。
ただ、職運にはどうも恵まれなかったようで、勤め先が倒産したり規模縮小でリストラされたり、歳を重ねてくると体の不調が原因となり辞めざるを得なくなった例もある。そして最近、年下のボクサー崩れの管理者から、聴くに耐えない暴言と暴力を仕事場で受けた事が原因で退職した。相手とは親子ほどもある年齢差な事に憤りを隠せなかったと言えばウソになるが、それよりも「久しぶりに殺意を覚える屈辱」で血が沸き立つ己の姿に気づき、幼い頃に憎い相手へ覚えた怒りの感情を思い出すと、退職後しばらくはその暗い感情を心の深い所でずっとくすぶらせ続けていた。
その「怒りの熱」が冷めやらぬままネットを見ていたところ、一部では有名な縁切り寺が、近場にある事に気づいた。本尊に不動明王があったかどうかは忘れたが、ともかく「彼の独善的で粗暴な振る舞いや行いの結果が、彼自身に返ってくれば」という一念を胸に、そこを訪れたのは事実だ。それが、この1月の話。
そして、現在。報道に触れなくても知らぬ人は居ないほど、日本どころか世界の街の至る所で新型コロナウィルスが蔓延し、感染拡大を避ける為とはいえ少なからぬ催事やスポーツは取り止めになり、商業モールでは軒並み閑古鳥が鳴いている。元いた職場の有り様を知るつもりは無いが、少なくとも繁盛はしていないだろう。彼をちょっとだけ懲らしめるつもりの決意や恨みの感情を持って願掛けした事が、はからずも疫病という無差別に襲いかかる災厄を国外から呼び込む後押しをしたのかと思うと、今となっては後悔の念しかない。
嫌いになると貢献する気なくなるんだよね
辞めるって決める頃には、なんでこんな会社に人生の一部を捧げないとならんのか?って思ってた
通えないから〜って濁して辞めた
せっかくの退職のチャンスを逃すもんかって感じだった
仕事はするし、辞める2週間前まで同僚とかには何の素振りも見せなかった
そしたらわーわー言われたよ
周りは周りで東証一部上場なのにもったいない!とか、福利厚生いい会社なのに!とかいうけどさ
じゃあ会社に残ったとしていろいろ言ってきた外野が面倒見てくれるかってなると、そんなことないんだよね
転職がんばってね
中途だと同期とかいないし大変なこともあるけど
私は今とても幸せです