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はてなキーワード: 蛍光灯とは

2023-09-17

anond:20230916190712

連邦兵站情報システム(Federal Logistics Information System) – FSC内の個々のNSNの情報掲載されている米国国防総省補給品データシステム。NSNに関連づけられた様々な品目データ(NIIN、特性、品目名、ISC、Demilitarization Code、PMIC、NMFC等)が収録されている。

航空機部品から蛍光灯バルブに至るまで様々な品目にNSNが割り当てられている。その番号形態からどのような品目なのかがわかる。NSNを使用することで品目の名称特性管理データ標準化され、類似した品目の在庫が重複しない。

2023-08-21

anond:20230821105250

研究では、ブルーライト網膜ストレスをかけ、睡眠に影響を及ぼす可能性があることがわかったが、ブルーライトカットグラスが解決であるかどうかは不明であることもわかった。メタ分析では、17研究のうちどれも、ブルーライトカットグラスと非ブルーライトカットグラスの間で、視覚疲労感や視覚パフォーマンススコアに大きな違いがなかったと結論づけられている。

一般に信じられていることとは逆に、ブルーライトの最大の発生源は太陽であり、携帯電話コンピュータのようなLED機器ではない。蛍光灯白熱電球ブルーライトを発する。

 

1.ブルーライト網膜ストレスをかけて睡眠影響がある可能性は否定してない

2.ブルーライトの主な発生源はスマホPCではない

3.ブルーライトカットグラスが視覚疲労感に大きな影響はなかった 

2023-08-17

駅の「排除ベンチ」を見てきたがこれは違うと思う

最近の駅にはずっと座っていると尻が痛くなる『意地悪ベンチ』が多くなっているが人に全く優しくない「排除アート」なのではないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205469

 

これだが、都営大江戸線大門駅だという。

そこでちょっと回り道をして見て来たんだが、単にデザインの一環だと思う。

ブクマ動画を貼っている人がいるので見て欲しいが、

https://youtu.be/OiTBIFPVDmM

動画再生前のサムネイルに写ってるのが件のベンチだ。

 

再生すると3:51 で接写されて使用している人も見えるのだが、スツールタイプ普通椅子とをくっつけたデザインだ。

スツールタイプのベンチ?は1993年から駅に普及してきて、ドッカと座るほどじゃないがずっと立待ちするのはシンドイっていう需要に応えて設置されてきた。

パイプタイプスツールの反対側に普通椅子を同じ素材で作ったというデザインだと思う。

 

大江戸線環状部のコンセプトデザイン

大江戸線は環状部が2000年に開通して全通したんだが、駅の内装がかなり凝っているという特徴がある。そして駅ごとにコンセプトが違う。

 

特に目立つの飯田橋駅で、ここのコンセプトはポストモダンかと思われる。

https://goo.gl/maps/Dy3pdXoWyuoq8bNH9

この入口なんかはアールヌーボー流行時に出来たパリメトロ駅のサイバーパンク化みたいな、何とも言えないデザインとなっている。

駅の内部も緑色ワイヤーフレームがひしめき、その途中に蛍光灯があるというすごいデザインだ。昔のアタリベクタースキャンゲームのようなSFチックな内装だ。

 

蔵前などの下町にある駅の場合は「和の色」的な江戸紫、茶、緑なんかの組み合わせになっている。永谷園お茶漬けみたいな駅だ。 

 

六本木は夜の街なので黒の大理石+金の装飾みたいな、怪しい感じになっている。

でもこれってホストクラブとか水商売イメージで、六本木外国人が多い歓楽街ちょっとイメージ違うんだな。そもそも郊外的なお水なイメージが嫌いな人が六本木とか来るんで。

 

まあこんな感じで駅ごとにコンセプトがあるわけよ。

で件の大門駅はっていうと、ライトインダストリアルだと思われる。動画見ても判る通り、線路の向こうのトンネル壁はアルミのコルゲート材で化粧されている。

なので椅子ステンレスパイプにしたんじゃないのか?と。

動画にもプラスチック座面の椅子も数個映っているが、これは後から付け足したのではないか

パイプ椅子はどんな拷問だよって苦情があったのではないか

 

なのでワザと排除の為に嫌がらせ椅子を設置したんじゃなくて、デザイン優先で人に厳しいモノが出来たのだと思う。

大門駅の周辺には飲み屋街も無いし酢客排除とかも心配する必要が無いから。

 

実は電車自体排除アート

でも実は鉄道界隈では電車自体が「排除アート」になってるんだな。

通勤電車というのは都市圏だけに走ってるものだと思うじゃない?そうじゃなくて、今は地方でも全てつり革+ロングシート通勤電車になってるんやね。

県境を跨いで隣の県庁所在地に行く、なんて時は乗車時間は2時間かになる。そういう長距離幹線でも全部通勤電車に置き換えられてる。

通勤型だとつり革も定員に入るから同じ乗車率でも両数を減らせる。ワンマン運転で降車時に後ろから運転席に移動するのもやり易い。

って事で乗車時間観光路線かなど考慮せずに全て通勤電車にして、ブラインドも省略する為に窓はスモーク入りガラス景色は良く見えない。

こんなものに何時間も乗って平気な馬鹿がいるわけもなく、通勤需要以外は全滅して通勤時間以外、通勤圏以遠は空気輸送になっている。それで鉄道自体の利用が減って特急廃止とか減便とかの本末転倒な事になっている。

みんな高速バスに乗り換えちゃうんだね。当たり前だ。バス乗客排除みたいな事をしないから。

って事で、実は乗客は駅のベンチじゃなくて電車から排除されているのであった。乗客はずっと立ってろって事やね。座りてえならバスしろ

 

ただ、大門駅で座るという事よりデザインが優先の椅子採用されたのは、こういう銭にならないが当たり前に考慮されていた「休む」という行為が軽視して当然という風潮もあったのだと思う。

その行きつく先が最早高速バス自家用車に乗り換えられ役に立たない地方幹線状態じゃないのか?

車椅子など身体障碍者や足が悪い高齢者の移動が確保されるように法律が作られ、EVや段差解消など動線は確保されて来た。

だが健常者の移動には保護措置必要なかったので、ちょっと疲れたりした時のベンチや新幹線が無い場所での長距離移動が拷問みたいなモノになっていってしまった。

ホームレスや酔客を悪意建築排除してたら健常者も周縁的状態になった時に悪意に晒されるようになったわけやね。

パイプ椅子を設置するな」「長距離路線通勤電車にするな」という法律作れば直るんだろうが、普通そんな法律無くてもいい筈なのだが。

2023-08-12

anond:20230812224929

ある程度なら、背が高い方が便利ではあるよ

高いところに手が届く方が、収納面や掃除蛍光灯交換などのメンテ面では有利だから

そんな理由で好きになるか?とは思うけどね、完全に家電スペックと求めてるもの同じだもの

2023-07-26

環境整備点検ってやつ

最近世間を賑わしてる某会社話題になった環境整備ってやつ、ウチの会社でもやってる。

月一の点検会社によって違うんだろうけど、ウチの会社だと床に●mm以上のゴミが見つかったらアウトとか、

指で触って埃がついたらアウトとか

毎朝の掃除は、汚れてるとかそういうのは関係がなくて、

から言われた事は遂行しなければならない、そのためのしつけ。

例えば蛍光灯を週1ではずして拭くとか(汚れてるわけじゃない)

会社で何かあったら社員のせいにされるのかな

社長が知らなかったとかあそこのコンサル方針としてありえない

だって強力なトップダウン構造を構築するためにやってるんだし

2023-07-24

Twitterガンプラ民頭おかしいだろ

10年ぶりにガンプラ買って、昔使ってた道具で簡単な部分塗装とかスミ入れ、デカール貼ってトップコートして・・・ライトな感じに楽しんで作って、

一眼でサクっと撮ってツイートしたら、ガンプラ名人たちがこぞって

「合わせ目が消えてたらなぁ」とか「エッジの処理してないのが残念」とか、挙句写真っていくらでも誤魔化せるから良いよね」みたいな引用リツイートしてくる。

そいつらのTwitter見に行くと、やれゴチャゴチャ作業してる写真スマホアプリスクショと汚いメシの写真ばかりで全然完成した写真もねーの。

(なんなら完成品も正直・・・・という写真ばかり。ゴミが後ろに映り込んでたり、蛍光灯ノイズ入りっぱなしのガラケー?みたいな画質だったり)

あいう連中って結局そうやって人の足引っ張る事で自己肯定感保ってるんだろうなぁ。

他のプラモ写真かに粘着してきたし。100RT超えると定期的に湧くんだよな。ガンプラ民。キモ

2023-07-19

出産危険(笑)

男は工場蛍光灯付け替える為にフォークリフトの爪に乗らされて落ちて死亡みたいな、クソくだらない事故でたくさん死んでるんだよなあ

2023-07-18

初心者向け観葉植物

観葉植物がほしい。

鉢底からの高さ60cmから1mくらいまでのやつ。

耐陰性が強いやつ。

うちはでかいマンションとでかいマンションに挟まれた小さい集合住宅で、全く光が入らない。

部屋が暗いなーと思って植物育成用のLEDを一つ買った。明るくなった。

光量不足ならもう一個くらい買い足してもいいので、レース越しの光が届く〜とかの植物ならうちでも生きていけるんじゃないかと思う。

植物育成用のLEDってすごいんだな。蛍光灯普通LEDとは光の質が違う)

モンステラとかストレチアとかビカクシダとか、葉っぱでーす!っていうのじゃなくて、

幹!枝!葉っぱがそよそよ。みたいなのがいい。

エバフレッシュがいいなって思ってたんだけど、葉っぱが小さくて落ち葉の処理が大変と聞いてて、うちには無理かもしれないと思っている。

ルンバさんが通れる場所ルンバさんに掃除してもらって綺麗になってるんだけど、

自分は全く掃除しないかルンバさんが掃除してくれない棚の上とか埃だらけなんだ。

隙間に落ちた葉っぱとか自分掃除するとは思えない。

店頭シルクジャスミンベンジャミンもいいなって思ったんだけど

シルクジャスミンは幹!って感じがないのがさびしい。

あと、エバフレッシュほどじゃないけど、葉っぱがちっちゃいので掃除が…。

ベンジャミン質問サイトとか見るとめちゃくちゃ枯れやすいみたい。

フィカス・ナナっていうのにしたらもう少し枯れないんだろうか。

あと、やっぱり葉っぱがちっちゃい…。

全然さっきから言ってる希望と違ってつる植物なんだけど

シッサスエレンダニカっていうのもワサワサして葉っぱが大きくて暗めの部屋でもよく育ちそう。

つる植物って丈夫なイメージがあるし。

さて、何を買ったらいいのかな

anond:20230716230625

室温32℃までなら扇風機で十分行ける。


夜の冷えた空気を逃がすな。

熱源対策

室温33℃を超えたら。

飲みものについて

「嘘のおすすめ」に気をつけろ!

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

2023-06-09

バイク、乗ってみたらとても楽しかったんだ!この楽しさを知らせたい

anond:20230609063417

なぜ書くのか

バイクを持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい

バイクに乗ることについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。

そこでバイクを所有していく中で感じている喜びを紹介したいと思う。

じゃあバイクを持つ喜びとは何か?

この感覚をわかってほしいんだよ

うちのバイクは、チョークを引いてセルを回すと、勇ましい排気音を響かせ目を覚ます。そして、これからバイクに乗る楽しさを想像してワクワクが止まらなくなる。

今まで対した趣味など無かったのに、ここまでワクワクすることになるとは...。

なんだか下品な感じがするけれど、愛車はこんなにも格好いいんだ!という自己顕示欲が掻き立てられる。しかし、この誇らしい気分は悪くない。

自転車自動車乗り物という点では同じだが、また違う良さがある。

うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。

数年前、生活必要に迫られ自動車を購入したんだが、購入後、自動車に乗ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、自動車はすごい…運転するるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。

ところが、バイクを納車したあとの喜びは、もう自分経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。

駐輪場にとまったバイクを見ると、瞬時に愛おしく感じて多幸感が落ちてくるイメージだ。

そんなに愛おしいバイクが他のバイクよりもかっこいい排気音を奏でたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!

生理的な影響もあると思う。

バイクを腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。

おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか個人の感想だけど。

バイク乗り仲間は百八人までおるぞ

さらバイク乗りのコミュニティに繋がれるというのも大きい。

バイクに乗っているといるとライダー同士のネットワークができ、連絡先を交換することになる。

同じ車種に乗るライダーとのオフ会ツーリング先で、素晴らしいバイク乗りネットワークを築いている。一人で楽しむことを期待して買ったバイクで人と繋がれるとは、良い意味で裏切られたので最もすごいと感じた。

バイクに乗るまでは趣味での付き合いなんて皆無だったのに!コミュ障陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。

私はバイクのおかげで、これだ!というライフスタイル確立できたと思う。

学びもあるんだ

バイクメンテナンスを通じ知識道徳習得していくことで、機械や道具への理解が深まった気がする。

仕事でもプライベートでも、機械や道具に対する感じ方がかなり変わった。

それからフィクションで道具がぞんざいに扱われているのを見ると、苦しくなるようになった。道具のことを理解して大切に扱う大切さを知ったと言えるかもしれない。

何を選ぶのか?

人の生き方というのは様々だ。バイクに乗るだけが人生ではない。

だが、結婚子育てだけを生きがいに生きていく、という人には、今まで大した趣味もなく生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。

個人的感想になってしまうが、買い物ならば、バイクで買い物に行くほうがより楽しい

ただ買い物に行くというタスクをこなすだけではなく、その道のりを楽しむ満足感。いろいろな景色や道を、風や気温、匂い、そして愛車の熱と鼓動を感じながら走る。そして、自分テクニックが向上して、自分の愛車がそれに答えてくれたという手ごたえ。バイクに乗るたびに新しいかにかを得られるような期待感

愛車とのコミュニケーションを通じて感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。

バイク乗りの仲間がサーキット沼、林道沼,超ロングライド沼に落ちるたびに、仲間である私もバイクを増車して一緒になって楽しんでいる。

人生の酸いも甘いも噛み分けたはずの中年おじさんが、際限なくバイクお金突っ込み何台もバイクを所有してしまうのは何故か?

それはとても楽しいからだ。

バイク乗りへの支援は足りるのか

まず、こんなに楽しい自分バイクライフのために、警察バイク屋などがいろいろな安全教室・ライディングレッスンや走行会を行っていることはすごいことだ。

そして今のライディングレッスンの充実ぶりは、質・量共にすばらしい。

ちょうどいいレッスンや走行会がない。やりたくてもどのように調べればいいかからない、という話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・

定期的にお世話になっているレッスンでは、運転テクニックバイクにまつわる知識についても、自己流では全く実現できないほどクオリティが高い。

金銭問題はつきまとうが、バイク業界若いバイク乗りをどんどん増やしていきたい状況なので、基本的若い人でもなんとかなるように設計されている。最近大手販売店を中心に、免許取得費用支援してくれるバイク屋も多い。

調べて、決断すべき

バイクに乗る喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。

若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。

補足:良い事ばかりではない

バイクというのは危ない乗り物なので、転倒やそれによる怪我・後遺障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。

警察の皆様は、ライダーへの安全啓発活動を手厚く行ってほしい。

バイク用品メーカー各社様は、より手頃で安全ヘルメットプロテクターを開発してほしい。

世の中にはバイクをぶっ壊したり(整備不良)、バイクに加害(爆音マフラーなど違法改造)する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…

それから時間は本当に足りない。

子育て家族サービス仕事などで時間が無い場合は、定期的にバイクに乗る困難さはかなり上がると思う。

特に家族から理解を得るのが難しい場合もあると聞く。幸い、我が家はそこは受け入れてもらっているが。

追記あり子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせた

私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。

首都圏在住、夫婦ともにフルタイム勤務。

なぜ書くのか

子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい

子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。

そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。

じゃあ子供を持つ喜びとは何か?

この感覚をわかってほしいんだよ

うちの子は、保育園のお迎えや、仕事から帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔ダッシュでつっこんでくる。

誰かの人生にここまで重要になれるとは…

承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。

結婚家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。

うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。

結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。

ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。

子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。

そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!

生理的な影響もあると思う。

子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。

おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか個人の感想だけど。

彼女ママ友は百八人までおるぞ

さらに近所のコミュニティに繋がれるというのも大きい。

子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。

私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!

妻の1/10も真似できていないが、コミュ障陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。

私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。

学びもあるんだ

我が子が知識道徳習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。

仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。

それからフィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。

何を選ぶのか?

人の生き方というのは様々だ。親になるだけが人生ではない。

だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタク趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。

個人的感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい

おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感

子供初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。

子供プラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。

人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?

それはとても楽しいからだ。

子育て支援は足りるのか

まず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所無償医療提供されるのはすごいことだ。

そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。

保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・

近隣の認可保育所活動食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。

私は日本の子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してから失業も少なく、子供犯罪にかかわるリスクも低い。

金銭問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。

調べて、決断すべき

子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。

若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。

補足:良い事ばかりではない

親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。

行政には、こういった世帯への支援を手厚く行ってほしい。

社会福祉は真に困っている世帯への支援を優先してほしい。

世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…

それから時間は本当に足りない。

時間残業、長距離通勤介護などで時間が無い場合育児の困難さはかなり上がると思う。

キャリア犠牲になると思う。我が家夫婦ともにそこは受け入れているが。

追記

読んでくれた人

いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます

この界隈で見かけない意見言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。

内容が薄い、つたわらない

説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。

ごめんなさい。

愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。

大事なことを書き忘れた。

世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…

彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。

妻も幸せだと確信できるしね。

家事やってるの?

いっぱいやってるよ!以上。

家事からめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピード半端ない

省力化しつつ爆速食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。

私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ

面倒なことについて

とにかく時間

・土日に休めない

 子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。

子供時間を割けない罪悪感

 我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供放置してしまときは焦る。過保護かな。

仕事への関心が薄くなる

子供、妻、仕事と3番手に降格だから仕方ないね

心を広く持てるようになったような気もするが…

これ以外は人によって違うかな。

親同士の子育て方針の違いとかね。

子供が一人ということもあって、お金の面は気にしていない。

パパ友ママ友

パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。

この先

子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。

バイク

コミュ障陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。

ここリアルだな。

私は、暖気運転を兼ねて、エンジンの反応を確かめながらゆっくり走り出す瞬間とかしゅき。

2023-06-03

明けない夜はない

死なない人はいない

落ちない飛行機はない

切れない蛍光灯はない

焼けないおにぎりはない

嘘をつかない人はいない

サボらない社員はいない

鳴かないホトトギスはいない

冷めないお湯はない

2023-05-25

夜型からまた昼形に治り始めてきた

去年あたりメンタルぶっ壊れて死にそうだったので電気使う生活をしてた。

この書き方だとまるで原始人の生活してたみたいな文章だけど、ようは夜間にメインの蛍光灯を使っていなかった。

夜になっても間接照明だけで暮らしていた。

メンタルおかしくなってから睡眠タイミングがぶっ壊れたのか、メンタル壊れたから心を守るためにギラギラ蛍光灯を夜間もつけるようになったので眠れなくなったのかは、定かじゃないけどもとにかくメンタルがぶっ壊れてて夜間に照明をギラギラに使う生活をしていたら睡眠リズムがぶっ壊れた。

そしてメンタルのヤバさ加減が落ち着いてきてもなかなか睡眠リズムはぶっ壊れたままだった。

そんで、以前やっていた夜間の蛍光灯停止をすることに決めた。

基本的に暗いと人間は心も暗くなりがちな気がするので、またメンタルぶっ壊れる危険がありましたが、ここは少しずつ様子見で少しでもメンタルに悪影響があるならば蛍光灯使う生活に戻るという選択肢もありますよ?みたいなノリでやりました。

なんというか蛍光灯を使わないと夜がながくなります

そして夜が長いと、人間本能が。さすがにこんだけ長い間夜起きてるのってマジヤバじゃね?みたいな感じになるのか知らんけど、0:00くらいにはさすがに眠くなってくれる。最長でも2:00くらいまでにはちゃんと眠くなってくれる。ありがたい。

蛍光灯消したら暗いだろうと思われますが、そこそこ暗いです。でもそれはメインの部屋の明かりを消してるだけで、脱衣所とか、キッチンとかトイレとかの電気を付けて置けば漏れ出た光が照明になるし、もっと暗くていいなら外の街灯の光が眩しいのでカーテン開ければそれなりの光量は入ってくる。そんな感じ。

昼形になって良いことは、夜中の暇な時間を味合わずに済むことだと思ってる。あとやっぱり日光のある時間に行動するほうが合理的だし、天体運動に合わせた合理的活動ができてるという気持ち自尊心が満たされる効能がある。他の人はどうか知らんけども。

もしも夜間に蛍光灯ギラギラさせて眠れないと申してる方がおられるのであれば、おまじないの一つとして試してくだされ。

2023-04-23

明けない夜はない

死なない人はいない

落ちない飛行機はない

切れない蛍光灯はない

焼けないおにぎりはない

燃えないゴミはない

嘘をつかない人はいない

サボらない社員はいない

鳴かないホトトギスはいない

2023-04-05

anond:20230405022235

逆じゃあねえか? 蛍光灯色温度の高い光がキツくてたまらんくなってきたぞ。やはり日没後は色温度の低い光が自然なんじゃないか? 夕日とか焚き火とかもそうだし。

2023-03-05

anond:20230305231000

いかんのか?

(でもアベちゃんが「蛍光灯はもう作ったらダメ」言い遺してったやんか)

2023-02-22

anond:20230222123351

 短い点滅のあとで和室蛍光灯が点いたとき、尖浩二は気を失わぬために奥歯が割れるほど食いしばらなければならなかった。先程から感じていた鉄っぽい血と死の臭いは気のせいではなかったのだ。まだ暖かい液体が尖の靴下に染み込んで足の指を濡らしている。六畳間の床は赤黒い血溜まりと化しており、その中央には腹部を大きく咲かれ痙攣を繰り返す勉三の体が横たわっていた。そうして、

「うわぁ……べんぞうさんの中……すごくあったかいナリ……」

 決して誕生を許すべきではなかった人造生命体が……一度は理解し合えたとすら思えたかつての友人が……勉三の肚の中で血液にまみれ、大腸を引き抜いては陶酔した表情で頭部の髷に巻きつけるという、尖には理解し難い動作を繰り返していた。

「に……ゲる……ダス……」

 勉三のか弱い濁声にはっとした。そうだ。逃げなければ。改めて目を向けると、ちょうど勉三の瓶底眼鏡がずり落ちるところだった。隠すもののなくなった彼の両目は刃物乱暴にほじくり返され、今では暗い虚だけがそこにあった。

「マッ……」

 叫びそうになって抑え込む。そうして、部屋の凄惨な状況に背を向けて一目散に駆け出した。

キテレツ……! こんなときキテレツがいれば……!)

 しかしそれは叶わぬ願いだった。先週、熊田薫とみよ子の結婚式の余興で、薫のランクルに社外オプションで取り付けた対戦車ライフルによって蜂の巣にしてしまたからだ。

 その時の最高な盛り上がりを思い出し、一瞬気を抜いてしまたからだろうか。玄関の扉を開けるのに手間取った。血糊で手が滑り、ドアノブがうまく回らないのだ。ゴトリ、と金属製の重い音が背後からする。

「ひぃっ!」

 自身悲鳴かぶさるように甲高い声が聞こえた。

ハジメテ〜ノ……チュウ♪」

 聞き覚えのあるメロディ。いや、そうだろうか。初めて聞く旋律かもしれない。違う、そんなことはどうでもいい!

「開いて! 開いてよぉ!」

 焦れば焦るほどドアノブは回らなかい

「キミト……」

「んぐっ」

 それが尖の、ファーストラストKISSだった。

2023-02-13

リモート→出社に戻って暫く経った感想

コロナで2年フルリモート→年明けから上の判断で出社させられてる勢。

オフィスに戻った感想を書くよ。

・やっぱ対面じゃないとね!という場面は今のところない。1日話さない日のがザラ。リモートのがコミュニケーション意識してやれてたね。なんなら「居るから」新しいチャット窓に誘い忘れてた〜とかが発生してクソ

・機材が合わない

椅子モニタなんやかんや。好きなの使いたい。…特に蛍光灯の写り込みがやばい。暗くさせてくれ。

・人が気になる

他の人が何をしてるか、リモートの時は気にならなかったのに見えると気になる。なんであいつかあのプロジェクトアサインなんだ?、とか、あいつ寝てる…とかどうでもいい事が目に入って邪魔。あと、あの人たち仲良しなんだ〜ってのが目に入るのは、逆に寂しい。

後ろ通らないで欲しい。気が散る。

・直接声をかけられる

集中すると周りの声が耳に入らなくなるので、肩を叩かれたりするとめちゃくちゃビビる。当然のように物理で割り込まれるとほんとにイライラする。

通勤

割と運動にはなってるけど、まあ自分意識してやる運動とはやっぱ楽しさが段違いなんだよね…

・1番辛い事

出社ならでは、出社のが効率いい、と納得できるような事が何もないこと。ただ単に昔に戻っただけ。集中力がガタ落ちしてて、1日が長い。自分リモートが快適な人種だとわかってしまった事。

2023-01-30

1月いろいろ

空気が冷たくて

寝るときちゃん電気敷き毛布してるんだけども

息を吸う鼻の穴が空気の冷たさで痛くなり

11月から鼻血出てる

あるの電気ストーブなんであぶなくてつけて寝れないし

息をしないわけにはいかないので

鼻が痛いよー空気が冷たいよーと思いながら

朝になってたことある

中空ポリカ買って二重窓作ろうかと思ってたら

キッチンの照明が壊れ(いまだに蛍光灯だった。多分替えを買ってた)

オーブンレンジが壊れ(29年も使ってたかしょうがない)

そして2個あった1つのストーブが壊れて(これも電源部接触なので怖くて使えない)

オーブンレンジ一人暮らししてた時のを出してきたのでなんとかなったし(これも古いけど)

電気ストーブはのこり1個だけど出してきた(でもこれも電源部のコードがなんか硬くてやばげ)

キッチン照明はどうにもならなくて、買い替えました。ううう。

1月なんなの???ってくらいでしたが

左足痛いけどさっき掃除機かけたし

頑張る

いま電気敷き毛布をしいて凌いでる

🐈たまごあと1個

中空ポリカもそこそこするので

来月作れるかな……。

2023-01-26

転職先の会社で、すごく基本的ことなのに自分しかやらない(できない)事がたくさんあって自分入社する前はどうしてたのか気になる

例えば、寿命が近づいて点滅し始めた蛍光灯の交換や会議プロジェクターを準備、満杯になったシュレッダーの廃棄袋の交換とかそういうレベルの事。

2023-01-10

蛍光灯が好き

蛍光灯の光大好き。

気分が落ち込んだ時にわざわざコンビニに行って蛍光灯の光を浴びたりする。

あと家に洗濯機あるのに何もしなかった休日の夜にコインランドリーまで行って蛍光灯の下で洗濯が終わるまで本を読んだり。

ふつふつと投げやりな生きる希望?というか全部どうでもいいや!(だから私は何しててもいい!)っていう前向きな気持ちになる。

家も蛍光灯だけど、やっぱコンビニとかのビカー!っと明るい空間は良い。

オシャレなインテリアとかお店とかって電球色ばっかりなんだよね。

雰囲気がいいっていうのは分かるんだけど、電球色の落ち着いた空間にいるとだんだん落ち込んでくる。

あと昼間の日光下での色の見え方と夜の電球色の照明の色の見え方が変わるのもストレス

間接照明とかも嫌。寝る直前までビカビカの蛍光灯の下にいて、布団に入るときバチっと真っ暗にして寝る方が良く眠れるくない?

2022-10-23

賃貸セカンドハウスを借りて二拠点生活を始めてみた

2022年の夏から賃貸セカンドハウスを借りてで二拠点生活を始めてみた。

始めた理由は、自宅の一部屋がコレクションで満杯になっているので、荷物を置く倉庫と別荘を兼ねたセカンドハウスが欲しかたからなんですが…

属性独身男性 中小企業勤務 テレワーク無し 自家用車無し

セカンドハウススペック
セカンドハウスの過ごし方
セカンドハウスを借りてみた感想、その他
総評

以上、結婚をせずに趣味に生きる独身男性から情報でした。

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