はてなキーワード: 模型とは
最近のエヴァもそうだけど、作り手側を盛り上げて宣伝したいのかもしれんけど、
作り手側の苦労とか、視聴者であるこっちからすれば知ったことかが普通であって、
作品自体に相当思い入れというか、あるところまで熱が上がると、
転じて筆者だの監督だのまで調べ上げて傾倒するようになるんであって、
という気になるんだよ、自分としては
それだけでしかない
度肝を抜くようなストップモーションアニメは今はYouTubeでアマチュアが作っているし、
手法をオープンに種明かしすることで知見が集まり高度になる(焼き畑っぽくもあるけど
そんな感じでいい時代になったと思う反面、技術で差別化しづらかったりする
September 24 [Fri], 2004, 18:23
いや前回バンダイに問い合わせメール送ったと書きましたが今日メールきました・・・・・、
え?この文を載せるにあたって一言・・・これ見たとき私はorz状態でした・・・これからどうしようか考え中です・・・・・・・(´;ω;`)、
そしてこのブログ内にもガンプラの画像を載せてる方はいる筈ですので見ていただければ幸いです・・・・・・・・。
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様
く購入&作らせていただいております・・
弊社の回答
お問い合わせいただいた件でございますが、
だいております。
ことができません。
い申しあげます。
お気づきの点がございましたら
********************************
次回、お問い合わせ等ございましたら、恐れ入りますが、
もう一度、お問い合わせフォームから、ご連絡いただけますよう、
お願い申し上げます。
お問い合わせフォーム:https://soudan.bandai.co.jp/toiawase/
********************************
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これがバンダイの見解のようです・・・・許可をとろうとしても許可を貰えないので基本的(例外もあるみたいですけど・・・)にはネット(ブログ)掲載は不可なようです・・・・、・・・・・後は個人の判断に任せるしかないんですけどね・・・・・。
ただ純粋に自分が作った完成品を皆からみればどう評価がくるのかそれが掲載の目的だったんです・・・・それを一部の人(悪用する人達)がいるかもしれないからって掲載不可で断念しなければならないのは非常に不本意です。
(バンダイの見解がこれだから光武・改の掲載も無理そう・・・・・(´;ω;`)
(追記:個人の判断でって書いてるから削除してくださいとは言わないけど・・・・・
載せ続けたい人これから載せたい人はそれ相応の覚悟が必要&本当は違反しているんだと肝に銘じておいたほうがいいです。簡単に言えば責任を取る覚悟でやってくださいってことで。自己責任ともゆふ・・・。)
(ちなみに私が元々問い合わせた理由は自分の完成品のガンプラを載せたかったからメーカーに問い合わせたので・・・著作権取扱ったついでに記事にしただけ・・好きなんだからって勝手にやっちゃいけないだろ流石にって感じで・・・・それとこの記事と私の行動は一部の人がゆう過度な注意いわゆるブログ叩き、ブログ潰ではないです・・・・ブログをまわるけれども注意書き等はせずに私のブログの記事をみてもらい後は其の方がどうとるかなんで・・・・・、それに私も自分のガンプラの完成品を載せられなくて正直大ショックなんですから・・・・・。)
一、午后ごごの授業
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊つるした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら、みんなに問といをかけました。
カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
ジョバンニは勢いきおいよく立ちあがりましたが、立って見るともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた云いました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんでした。
先生はしばらく困ったようすでしたが、眼めをカムパネルラの方へ向けて、
「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。
先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いながら、自分で星図を指さしました。
「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」
ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙なみだがいっぱいになりました。そうだ僕ぼくは知っていたのだ、勿論もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎しょさいから巨おおきな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁ページいっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈はずもなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
先生はまた云いました。
「ですからもしもこの天あまの川がわがほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利じゃりの粒つぶにもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油しゆの球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮うかんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲すんでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。」
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸とつレンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄うすいのでわずかの光る粒即すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその中のさまざまの星についてはもう時間ですからこの次の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお祭なのですからみなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。」
そして教室中はしばらく机つくえの蓋ふたをあけたりしめたり本を重ねたりする音がいっぱいでしたがまもなくみんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。
例えば特撮は自分にとってはありえない映像、どうやって作ったの?!と思ってしまう映像であって、
例えばウルトラマンだって、今から見れば稚拙に見えるところが増えてるかもしれないけれど、
虚構が現実に見えるようなシーンが一瞬だけあるだけでもワクワクしたのが自分の子供時代だったと思う
だから、「八岐之大蛇の逆襲」はやっぱり当時としては凄かったわけで、
庵野氏や樋口氏のような大阪芸大の学生が作った映像でありながら、
少なくとも瞬間瞬間では円谷どころか当時のレベルでの下手なハリウッドは超えてたと思うわけで、
自主制作による特撮やアニメのブームを起こしたといっても過言ではないと思う
といっても、当時の自分は小学生とかなのでリアルタイムでどうだったかはよく知らない
知らないけど、田舎で特撮の雑誌とかファンゴリアの日本語版とかそんなのばかり読んでたのでな、
ところで、現実ってのは本当にクソだと思うのだけど、何がクソかって色々あるのだけど、
現実というのはクソだとしても自分の思い通りに変えづらいというのもクソであって、
社会とか他人とか、自分がクソだと思ってもそれは変えられない、簡単には変えられない
だから、小説とか漫画とか映画とか、そういうフィクションなら当たり前だけどいくらでも変えられるわけで、
現実の世界で何かをなし得る、マザーテレサじゃないが、そういうのは難しいわけだけど、
フィクションはいくらでも変えられるわけだから、どんどん手が込んでくるというのがある
要は努力と結果が比例しやすいわけで、フィクションを作り込むことにのめり込んでいく
でも、それがモーションコントロールカメラみたいな時代だったらまだ牧歌的というか、
特撮に関しては特に技術自体で差別化ができてたりもしたわけだけど、
今の時代はCGがもうメインであって、パッと見では実写かCGかは区別がつかないぐらいで、
ディープフェイクみたいなのだって眼球の光の反射がどうこう言われてるみたいだけど、
というか、自分的にはCGを全面に押し出した作品に飽きていて、
まあ、初代ジュラシック・パークも途中で寝てたんだけど…
でも、物語の内容がまったくない、それこそ「八岐之大蛇の逆襲」みたいな作品が面白く思えるのは、
やっぱり技術というか、当時の若者たちの執念が込められているからだと思う
かといって、自分はトランスフォーマーやパシフィック・リムみたいなのに飽きてる
シン・ゴジラも特に後半はそういう感じがして食傷気味とでもいうかつまらなさを感じた
といっても、後半に庵野氏が試みてたiPhoneによる撮影のようなカメラワークや臨場感が活躍する場はなかっただろうし、
やったらやったで完全にクローバーフィールドみたいになってしまうだろうし、
自分としてはそっちの方が面白いとさえ思うのだけど、それをやるとゴジラではなくなってしまう
そうするとストーリーはともかく、打算としてもああいう映像になるのは仕方がないのだと思う
話が脱線したが、今日に至るまでフィクションを作り込むことに精力を注いできた面があったわけで、
そのためにモーションコントロールカメラもそうだがコンピュータは非常に活躍してきた
そして、今はコンピュータで映像を作り出し、コンピュータ「が」勝手に映像を作るところまで来てるとも言える
一方、商売として考えるときに差別化は必須なわけで、その差別化が特撮技術だったりした時代があったと思うのだけど、
最近は比較的安価にCGによる特撮が可能になってきていることもあり、それがYouTubeを賑わせたりしてる
こうなるとフィクションだのCGだのは完全なレッドオーシャンとも言える
仮にその辺を歩いているオバサンや子供でさえ簡単に無償で高度な特撮映像が作れるような時代になったとしたら、
となると、技術でないところで勝負しなければならないわけだが、
それは物語とか内容とかレイアウトやカメラワークだとかになるわけだけど、
それはそれでまた溢れてるように思う
その上、震災や津波のようなリアルの映像にとても特撮は勝てない
リアルの映像の圧倒的なリアルさに、当たり前だが、圧倒されるだけで、破壊されるビルの模型をちまちま作ったり、
CGでシミュレーションしたりすることさえ、リアルで人が死ぬという現実には敵わない
そうすると、最後のフロンティアとして残るのが現実と考えるのも変ではないのかもしれない
フィクションを突き詰めて虚構を現実に極限まで近付ける努力をしてきたが、結局はリアルには勝てなかった
その虚構を現実に近付ける技術も高度に発達はしたものの陳腐化し一般化してしまった
となると、最後にクリエイティブな領域として残るのはリアルしかない
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
私はプラモデルを趣味にしている。そのような感情が無全くいかと言えば嘘になるが、自慢ではないけどそこそこ上級者ではあると思う。
雑誌に掲載されるような大きいコンテストでも何回かは上位入賞しているし、出品すれば大抵何らかの賞には引っかかる。自認はさておき他人からはプラモデルの上手い人と認識されていると思う。
さて、タイトルだが、私は初心者が嫌いだ。あ、初心者といっても自分が下手くそだとちゃんと認識して日陰から出てこないようなタイプは嫌いではない。ただそういう人はこっちからは見えないけど。
嫌いなのは下手くそな初心者のくせに堂々と「こんなの作りました!良いでしょう?」とSNSなんかで自信満々にアップするタイプ。趣味なんだから自由でしょと言われればその通りなんだけど、嫌いに思ってしまうんだから仕方ない。
今の時代、インターネットをちょっと検索したら最低限必要な知識や動画なら手の動かし方まで学ぶことが出来るし、本屋に行けば1000円2000円でHow to本を手に入れられる。1作目とは言わないが、2〜3作も作ればそれなりのクオリティのプラモが作らなければおかしいんですよ。やる気があればだけど。
技術もやる気も無くいつまでもシコシコとヘッタクソなプラモを作り続けてアップロードしている奴を見るとイライラする。成型色に直接ウェザリング !とか言ってる奴を見るたびにブロックしている。
自分の好きなことで下手くそに関わりたくないし見たくもない。みんなそういう気持ちは無いんだろうか。
もちろん初心者が多ければジャンルの裾野が広がってメーカーも事業展開が可能になる。そういう点では下手くそ歓迎だけど、歓迎するのはそういう点だけだ。
模型サークルにも来て欲しくない。展示会の参加申請も出さないでほしい。コンテスト出品なんてもってのほか。
SNSなんかだと初心者に優しくしなければいけない同調圧力をとても感じる。プラモデルに限らないですが、趣味でそれなりの腕がある人、本当に初心者歓迎していますか?
魚の骨を取るのが滅茶苦茶苦手だ。
海沿いの町で育ったいわば骨取りサラブレッド(?)のはずなのに下手だ。
祖母は模型みたいな骨の取り方をする人で、認知症で私の事が認識できなくなっても私の存在を無視しつつ美しく魚を食べていた。あら、キレイ。
母も父も祖母程ではないがそこそこ上手い。兄弟もある程度はできる。
朝や職場での昼食は避けている。人と食事するときは選ばない。無言で骨取りに集中する。鮭と鰤で今更ながら練習しているがたまに刺さりかける。穴子や鱧、鰻は苦手。秋刀魚も鯛も苦手。干物の食べ方はわからない。
友人や同僚はあんなにスイスイといとも容易く骨取りできているのに…
自慢じゃないが祖母直伝の編み物という特技、切り絵、アクセサリー作りなど正直細かい作業は得意な方だと思っている。
おかしい。
こんな私も小学生まではありとあらゆる魚を食べていた。毎日ではないが、食卓に煮魚や焼き魚が並び、小テストのようにクリアしていた。あの頃は私の魚人生で一番輝いていた。
その後、喉に骨が刺さるまでは。
正直言うと小学校低学年の私は慢心していた。お皿の上のあまり見かけない魚に今までのノリで油断した結果、立派な骨が私の無防備な喉にジャストミートした。痛かった。ご飯を食べても抜けず耳鼻咽喉科送りになった。初めての挫折。
吸引チューブを突っ込まれ悶え苦しんでいる私の診察室になぜか私よりも小さい男の子がいた。意味がわからないがチューブで溺れる私を近くで眺めていた。(個人情報とは?)私を処置した医師の顔は全く思い出せない。ただ小さい子に見られてるからそんなに泣いたらダメだよ~という言葉だけははっきり覚えている。
子供はどうでもいい。こいつ、これが終わったら…!と思った。その医師の喉に骨が刺さる呪いを百万回かけたい。
その後なぜか上手く食べられなくなり今に至る。小学校の給食で骨付きは無理だと担任に涙ながらに訴えた経験は黒歴史だ。その時ちょうど教室のテレビで魔女の宅急便が流されていて、金曜ロードショーで見る度に嫌な思い出がよみがえる。
ちなみにスーパーで「骨無しです」と大きなシールが貼られた魚を飼ったこともある。食べたらしっかりした骨が残っていた。解せない。魚の骨格を覚えたら骨のある場所がわかって取りやすくなるとどこかで見て、魚類の勉強をしたこともある。魚の知識だけは増えた。
下手な自分に諦めはあるけど、やっぱり上手くなりたい。大人として恥ずかしいし、人との食事も困る。子供の頃の大人って美味しそうに大根おろしののった秋刀魚をおかずにご飯を頬張るイメージだった。今の実力で魚とご飯を一緒に食べると確実に喉に刺さる。っていうか大根おろしで骨が見えないから絶対無理。
技術的特異門 1.1
https://anond.hatelabo.jp/20201224181054
の設定です。
地球圏標準時は十六進数のユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記は二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます。
この時代の標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊な計算機でさらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。
〈京都〉物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています。質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています。太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要なときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます。普段はデブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造を演算しています。
〈京都〉は太陽‐地球系の第二ラグランジュ点付近、地球から約五光秒の辺境に位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史は比較的長く、周囲の権域とは相互に不可侵の関係を結んでいました。独立性の高い平和な田舎社会であったため、これまでの「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」からは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。
〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場の暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存が保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済と文化を破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つのに必要な計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者の存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較的平穏な権域です。
地球と月は厚さ数キロメートルの分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都〉のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス、暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主が臣民を弄びつづける地獄〈月詠神国〉が成立しました。
これに先立つ〈肉の時代〉に、安価な身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去の種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型を演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます。
たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象もそのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります。
無制限に競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産と権限が集中していき、亜知性が増え続けています。正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様を修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察・軍事・司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分と再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています。
非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます。愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。
作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます。
ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業から生まれたため、〈京都〉社会の基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム〈阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産と権限を与え、独り立ちさせました。
通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動を表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意に操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身を実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型の限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。
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千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています。経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートルの分子機械球殻が、赤外線で赤色巨星のように輝いています。太陽を回っていた天体のほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星と土星は、ゆっくりと縮んでいっています。伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています。
ダイソン球でおこなわれる演算のほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系が進化し続けています。ほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽系神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触を許可されている知性も居ます。
物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事の痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。
『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙の熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段を模索し続けています。その一環として、大出力レーザーで自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年の恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。
東京理科大学のミスコンに出る女子の出身学部は、経営・建築・生物・応用化学が大半である。
どうして建築学科が他の3学科と肩を並べるくらい女子に人気なのかよく分からない。そんなに建物好きの女って多いのか…?土木はあんなに人気無いのに…?
と思っていたが、どうやらデザイン系の学生が結構建築学科に行くらしいですね。なのであまり理系っぽくない女が多いと。
美大に行きたいけどそれでは食えないから建築学科に行く、勉強できる人はそれなりにいるらしいですね。
というか建築学科を出て、建築とはあまり関係ないデザイナーとして働くルートって結構メジャーなんですかね?知り合いにいないから分からないのだけど。
まあそもそも卒業後の進路のひとつである建築士だってデザイン力が問われるし、大学で模型製作とかするらしいし、デザインの素養のある人間は目指すか…そうか…。