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はてなキーワード: 普遍性とは

2017-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20170317223826

ブコメもひどいときてる。本当に救いようがない低能カスの集まりだとわかったわハテナってのが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170317223826

lainof はてな民で一括りにする奴のほうがヤバい

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cider_kondo 駅は9割方無人の県に住んでるけど、車掌乗ってる汽車は少数派だし、自動券売機はどの駅にもあるし、整理券取らないのは素人だけだしで、この記事自分常識普遍性を前提にしてる点については五十歩百歩に思える

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sukekyo 行間を読むってやつじゃないの?それが正解かどうかはわからないけど。30歳の車掌が異常ともいえるほど激昂する「書いてないこと」があったのかなと。それがわからない以上リテラシー云々も決めつけのひとつよ。 6 clicks

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2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161111212415

おそらく「correctness:コレクトネス」?の意味で「コレクト」という言葉を繰り返し使っているかと思うのでそれを前提に反論しますね。

political correctness」は直訳すれば「政治的正当性」であり、「コレクト:correct」というものを直訳したときの「正解・正則」といったもの概念が少々異なります

ポリティカル・コレクトネス」を「コレクト」を前提にして理解しているのであれば、世の中の政治はすべて倫理的に認められる正義が前提になっていなければいけないというふうに推測されます

その点でなんとなく長谷川某氏を思い浮かべてしまうのですが、どうも世の中に対して「こうあるべき」「これこそがあるべき姿」という規範を持っている人ほど、政治的正当性(=political correctness)を理解しづらい位置にいるのではないかと思ってしまます

何度も繰り返して申し訳ありませんが「正義」という概念のもの歴史的に全く不安定ものであり、なにをもって正義と呼ぶかはほんの数十年の間にも大きく変化をしている全く普遍性のないものです。

ですので現在世界中マイノリティーが訴えているのは「コレクト=正解」ではなくあくまでも「ポリティカル・コレクトネスpolitical correctness政治的正当性)」でしかありません。

前提として「政治的」がつくのは、時の政権民主主義による世間多数決がその正当性を決めるからです。

その点がますます長谷川某氏と気が合うのではと思わせる要因なのですが、どうもあなた世間というものに対してウブすぎではないでしょうか?

2016-11-10

ウザい映画ファン撃退

http://anond.hatelabo.jp/20161110154057

映画見て感動したはいいが、何で感動したのか自分でもよく分からないってことはよくある。

宮崎駿作品なんかクソおもしろいけど実際めちゃくちゃ難解だし。

そこで「この気持ちを共有したい!」となると、増田が挙げている例のように「なんだか良くわからないが面白いから観ろ」みたいになってしまう。

これってお勧めじゃなくて命令なんだよね。だからウザい。

けれどもそういう輩に、映画面白さをきちんと説明できるように知識を持てと言っても、それは無理な話。

例えば『もののけ姫』がなぜ面白いかを理屈立てて説明しようとすると、①網野義彦の中世観・中尾佐助の自然観をアニメに採り入れたことで誰も見たことが無い世界観を作り出した、②根底にある(ⅰ)拝金主義批判(ジコ坊)、(ⅱ)どんなにつらい人生でも生きなければならない(らい病の長老・アシタカ)、(ⅲ)自然人間対立(たたら場と神々)というメッセージ普遍性、③従来のジブリヒロインにない野生味、等々にまで話が及んでしまう。

こうした理解をすべての人に要求するのは無理だろう。

から上記のようなウザい映画ファン撃退したいなら、自分の頭を良くするしかない。

映画の扱うテーマなんて限られてる。よくある名作映画ランキングの上位100本くらいを観れば、新しい映画を観ても、「ああこの話ね」というのが分かってくる。今は町山智弘さんや宇多丸さんやらが優しく解説してくれるし。

こういう物差しを持つと、映画を無遠慮に勧めてくる人が来ても、いくつか問いを発すれば「ああそういうテーマの話ね」というのが分かる。

いちいちムカムカしているより、こっちの方が建設的だろう。

カゲプロ映画について所感を述べる

もろもろで再投稿

カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。

前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲小説漫画アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能していますストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。

小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハ世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルート共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌いますSNSカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味パーカージーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。

(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)

ある日、アニメ化情報が明らかになりました。制作会社シャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロキャラクターガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。

そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。

面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかツイッターに流れてくる意見肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います

まりにも無茶が過ぎる脚本構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドルートになったこのアニメ公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。

いやにあら探しばかりしてしま性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなもの否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。

暫く経ってからまとめサイト嘲笑記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。

勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDボーカルはじんさんがよく使うボカロIAの人が!)、楽曲アレンジ版ではアニソン歌手LiSAさんが歌ってくれたり。

でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから子供ながらに、アニメDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。

アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画情報確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調ラブライバーでした。まきちゃん

じんさんは自分音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。

長らく音沙汰の無かった小説新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。

映画の公開は11月作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクター担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思いますシャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。

私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクト面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクト違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。

公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。

容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリーメアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄4DXぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)

一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。

広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです

これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。

そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いもの提供してくれたっていいじゃないですか。

良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから

辛いのでFGOやります。以上です。

2016-11-07

カゲプロ映画について所感を述べる

カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。

前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲小説漫画アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能していますストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。

小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハ世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルート共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌いますSNSカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味パーカージーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。

(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)

ある日、アニメ化情報が明らかになりました。制作会社シャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロキャラクターガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。

そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。

面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかツイッターに流れてくる意見肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います

まりにも無茶が過ぎる脚本構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドルートになったこのアニメ公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。

いやにあら探しばかりしてしま性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなもの否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。

暫く経ってからまとめサイト嘲笑記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。

勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDボーカルはじんさんがよく使うボカロIAの人が!)、楽曲アレンジ版ではアニソン歌手LiSAさんが歌ってくれたり。

でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから子供ながらに、アニメDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。

アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画情報確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調ラブライバーでした。まきちゃん

じんさんは自分音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。

長らく音沙汰の無かった小説新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。

映画の公開は11月作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクター担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思いますシャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。

私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクト面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクト違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。

公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。

容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリーメアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄4DXぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)

一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。

広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです

これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。

そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いもの提供してくれたっていいじゃないですか。

良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから

辛いのでFGOやります。以上です。

2016-10-31

トランジスタグラマーなんて普遍性ないし古臭いトランジスタラジオラジオグラマー?何いってんの?ってなるの

ロリ巨乳のほうがむしろ現代となってはは適切なの

言葉はかわるものなの

おっさんにとってはあの年頃はロリなの

2016-10-20

エロいかより定義(と大前提)を述べて

http://anond.hatelabo.jp/20161019090423

鉄道むすめ駅乃みちか(以下、面倒なので「鉄道むすめ版」は省略)がエロいか否かが盛り上がっているが、まず、問題とすべきはそこではないと思う。

世の中のぐたくだになっている議論の多くにも通じる問題だと思うので、この際書いておきたい。

まずは、三段論法でいうところの大前提を共有すべきである

駅乃みちかの件で問題とされるのが、「駅乃みちかイラスト使用することは適切か」というものだとしよう。

この問題駅乃みちかイラストエロいか否かの関係を表すと、

大前提エロいイラスト使用するのは適切ではない

小前提:駅乃みちかイラストエロい

結論駅乃みちかイラスト使用するのは適切ではない

というのが不適切派の論理になるのだと思う。

駅乃みちかイラストエロいか否かは、上記の小前提の問題である

しかし、三段論法の形で表現すると明らかになるのが、大前提曖昧である

まず、「使用」、「適切ではない」の意味合い曖昧である

使用」については、

一般企業がPRとして使用する

・駅のポスター使用される(事実誤認?)

東京メトロというある程度の公共性を有するor大規模な企業使用する

鉄道むすめという特定企画の一環として使用する

など様々なバリエーションが考えられる。

また、「適切でない」についても、

国家規制すべき

個人的な願望としては使用しないような社会であってほしい

不快に感じる人が一定数いるなどの理由から経済合理性がない

・やるのは勝手だけど個人としては不快に感じる

など様々なバリエーションが考えられる。

これらの組み合わせによって、大前提は何十通りも想定可能である

それらの大前提のうち、自分がどの大前提にたって話しているのかをそれぞれが明示していないので、議論が全くかみ合わないのである

大前提が明らかになれば、それぞれの大前提がそもそも正しいのかどうかについて、駅乃みちか固有の問題から離れて議論ができる。

その議論は、他の事例にも応用可能建設的なものになる余地がある。

また、エロいかどうかを生のまま論じても感性問題しかならない。

少しでも普遍性のある議論がしたいのであれば、「エロい」について可能な限り定義付けをすべきである

エロさなんて定義付けるのは難しい。

「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」なんて定義をしたところで、どうやって判断するんだ、という意見もあり得るだろう。

それでも何にも定義をせずに空中戦的な議論をするよりはマシである

また、一定定義について、それをどのように客観性を持って判断できるかという議論もすべきだろう。

以上のように、まずは、エロいかより、定義大前提を述べてほしいのである

なお、この記事三段論法的に書くと、

大前提定義大前提が適切に設定されていない議論不適切である

小前提:駅乃みちかエロいか否かの議論(及び世の中のぐたくだになっている議論の一部)は定義大前提が適切に設定されていない

結論駅乃みちかエロいか否かの議論不適切である

となる。

この記事自体大前提やその中の定義曖昧ではあるが、言いたいことはだいたい伝わると思うので、詳述は避ける。

2016-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20160911152812

その感覚女性作家漫画とか読んでるとわりとでてくるから

増田だけの思い込みとかじゃなくて女性にはある程度普遍性のある感覚なんだと思うけど


でもさー

ズバリ庇護欲をかきたてる女」だ。

男性が助けてあげたくなりそうだなってタイプの女

こういうのって具体的にどういう女なんだ?

俺は男だけどさっぱりわからん

そういう女を好きではないというよりあんま見たことない気がする

(俺程度の男には寄ってこないとか身も蓋もないこと言わないで欲しい)


庇護欲っていうかずばり言って「頭足りないっぽい?」って印象を受ける女には会うことあるけど

大丈夫かいなっていう人としての心配はするけど愛情にはならない

というか話しててあんまりグズだと男でも女でも楽しくはないじゃん

既に結婚した友達でも条件のいいイケメンが「庇護欲をかきたてる女」とくっついてるのなんて見たことな

男と同程度には頭よさそうな嫁さんだったよ


まとまりがなくなったけど疑問点は二つだよ

・「庇護欲をかきたてる女」ってほんとにいるの?どういう感じ?どういうとこに生息している?芸能人でいうと誰とか?

・「庇護欲をかきたてる女」が男に超モテるっていう通説は事実に即してるの?女性の間の迷信では?

  同じぐらい頭よくて頼りになる女の方が男から見てもうれしくない?庇護しなきゃいけない弱弱しい女なんて人気出る?

http://anond.hatelabo.jp/20160911002050

うそう、あのお祭り感はあの瞬間じゃないと味わえないもの

ジブリみたいな普遍性とは別の高揚感がある

2016-09-02

君の名は。オタクへのご褒美だった

君の名は。控えめに言って最高だった。

まりにも良すぎていてもたってもいられず、この気持ちをひとまず文章にしようと思って書きました。

以下、本編過去作のネタバレを含みます

見てない人はマジでこんな駄文読む価値いかチケット取って映画行ってきてください。

まず、冒頭のOPからクワクが止まらない。

そして、衝撃。

あれ?こいつらすごく真っ当なキャラ達だぞ?

すごく社交的で友達もいてそれなりに楽しそうな学校生活を過ごしている。

間違っても学校サボって御苑で金麦おばさんと密会なんてしそうにない。

なんかこの時点で、今回の新海監督は今までとは違ったものを作ったんだという実感がビシビシ伝わってきた。

そこからコミカルな入れ替わりのやり取りはコメディタッチ楽しいんですよ。

TSモノ大好きおじさんとしては、とてもツボなやり取りにニヤニヤしっぱなし。

また、メイン二人の俳優さんがとてもうまいんですよね。

入れ替わってるのが声からスッと入ってくるから、どんどんのめり込む。

なんだよ、なんだよ〜めっちゃ面白いやん!

というか二人共めちゃくちゃかわいいし、なんて明るくて楽しい映画なんだ!!

なんて思ってましたよ。

海監だってこと忘れて楽しんでたので、中盤隕石落下下り

あ、忘れてたけど、これって新海監督の作品やんけ…

叩き落とされて、そこから這い上がっていく瀧の姿。

なんだよ、めっちゃ主人公じゃん!!

で、あのカタワレ時のシーンね。

感動的なのに、口噛み酒やおっぱいで笑かしてくる。

そんなところもすごく楽しかった。

で、マジックが落ちて記憶がなくなっていくシーンは号泣するしかない。

あの、一瞬で音がなくなるシーンは本当に鳥肌が立った。

そこからはずっと泣いてたと思う。

新海イズムみたいなものが全開で、それでもあのハッピーエンド

エンドロール最中はずっと心臓がドキドキしてました。

で、まず思ったのは、背景。

海監督の代名詞といえば、あの印象的な背景が上がること多いでしょう。

それが、今回はすごく薄い。

キャラクター邪魔をしないように、すごく地に足がついた背景になっている。

ただ、一点だけ新海監督らしさを出した部分は彗星描写でした。

それが効いて、瀧の言う夢のような景色という言葉にすごい臨場感が生まれていたと思います

メリハリが付いたので、逆に印象的になっていた気がしました

で、でですよ。

まぁみなさん言及している過去作へのオマージュ

真っ先に感じたのは宮水神社御神体のあるカルデラ風景

あ、これって星を追う子どもと重なるなーと。

どこか異世界じみた風景彼岸此岸、それを分ける水。

まぁその手前でユキちゃん先生が出てきた時点でもうって感じではあるんですが。

そして瀧と三葉の間の繋がりは携帯電話。あ、これってほしのこえかと。

なんか過去作とのオマージュがぐりぐり練りこまれてて、うれしい!うれしすぎる!!

その後も、三葉になった瀧がテッシー自転車に乗ってるところは信濃新聞CMを思い浮かべるし、

ラスト就活中の瀧の語る人々の記憶に残るような街づくりがしたいって台詞大成建設地図に残る仕事と重なるし、

今まで追ってきた新海監督の作品思い入れもあって、もう胸が詰まりましたよ!

そしてラストね。

もうあのラスト

みんな騒いでますけど、あれ秒速5センチメートルですよね。

秒速は新海監督の作品の中でも一番好きな作品です。

バッドエンドなんて言われますが、自分はそうは思わないし、それも含めていい作品だと思います

あのラストはあれでいいんですよ。

出会いいからこそ秒速5センチメートルはあの作品たりえたと思うんです。

でも、タカキには、幸せになって欲しかった、出会って欲しかった。そんな気持ちがあるのもまた事実です。

叶っちゃったよぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!

はぁ〜叶っちゃいましたよ。

出会いましたよ。

間を阻む電車にも負けず、ちゃんと振り向いて声をかけて、三葉も振り向いてくれた。

こんな幸せなことがありますか?

何回かニアミスしてるんですよ。

新宿で、タカキが仕事に押しつぶされて帰る帰路ですら違ってるんですよ。

タカキが振り向いても、アカリは振り向きませんでした。

でも、三葉は毎回きちんと振り向いてくれて、同じ気持ちを共有している。

はぁぁぁぁ〜〜ハッピーエンドかよ!!!!!

もちろん君の名は。はそんなオタク気持ちなんか抜きにしても良い作品です。

ど真ん中どストレートの直球のようなエンタメ作品だと思います

映画館カップル中高生がいっぱいという話を聞いて、当然だと思いました。

それだけ普遍性のある作品だと感じました。

あの、新海監督が、こんな作品を作ってくれた。

それが嬉しくてしょうがありません。

ずっとずっと大好きだった監督が、メジャーに羽ばたいていく。

そんな素敵な門出に、こんなオタクにご褒美をくれる。

なんてうれしいんだろう。

海監督のファンをずっとしてきたからこそのカタルシスがありました。

小説川村さんがおっしゃっていたように、まさに新海誠集大成のような映画だったと思います

そして、そんな君の名は。で初めて新海監作品を見た人たちが、過去作でも好きな作品を見つけてくれるとうれしいなと思います

で、こんな駄文を読んでまだ映画を見てないアホは早く映画館に行こうな。

2016-08-29

シン・ゴジラ海外版を作れ

シン・ゴジラ石原さとみは配役ミスだ」

  http://anond.hatelabo.jp/20160829171356

 

ブクマページ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160829171356 を見たら、

いくら自然でも、石原さとみがかわいければいい。米国人受けなんか気にしなくていい」

という声が圧倒的に多かった。

 

しかし、市場規模で言えば、日本市場世界のなかで圧倒的に小さい。

  http://bit.ly/2bM5XzI (グラフ

  http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160829-00061607/

数字で言うと、世界全体で 383億ドルで、そのうち日本は 18億ドルだ。比率で言うと5%弱だ。

  http://www.animeanime.biz/archives/22585

 

こんな小さな市場で、こんな小さな売上げだけを得ていれば満足だというのは、あまりにも肝っ玉が小さい。怪獣は史上最高のでかさだが、東宝ファンの肝っ玉はミジンコのごとく小さい。ノミキンタマというべきか。

 

こんなふうに日本国内における自己満足で、「泉ちゃんはかわいい」「さとみかわいいよさとみ」なんて言っているようでは、先が思いやられる。まともな CG の開発費用も出ない。

 

まあ、彼らは自己満足しているだけでおしまいなのだろう。世界的規模で 20倍の市場をめざすという発想には馴染めないのだろう。それならそれで仕方ない。

シン・ゴジラは、国内版とは別に海外版を作るべきだ。そうすれば、外国人俳優を多用することで、多額の興収が海外市場で望めるだろう。

 

いや、いっそのこと、製作権を丸ごと海外会社に売り出すべきだ。そうすれば、製作権を 10億円ぐらいで売れて、東宝は濡れ手で粟で大儲けできる。

その一方で、海外映画会社は、10億円の代金を支払うことで、200億円ぐらいの興収を得ることができる。日本専用の庵野シン・ゴジラは、海外ではたいして興収を得られないだろうが、内容はそのままにして、外国人俳優外国CG を使った海外版シン・ゴジラなら、200億円ぐらいの興収を得ることができる。いや、ひょっとしたら、300億円になるかも。

 

シン・ゴジラ脚本には、それだけの魅力がある。なのに、東宝には、それを生かすだけの資力もないし、配役能力もない。だったら、海外会社製作を任せるべきだ。自分製作ができなければ、海外会社製作を任せるべきだ。そして、海外会社に百億円規模の大儲けをさせた上で、東宝も1割ぐらいのおこぼれをもらえれば、それで満足できるはずだ。(コバンザメ商法

 

無能会社は、無能なりに、製作権を他社に渡すことで、少しは儲けることができる。おこぼれを。

 

p.s.

石原さとみ役は、google:image:ナタリー・ポートマン で。興収 200億円なら、高額ギャラも払えるだろ。

 


 

 【 ブコメ

 

Borom  ナタリー・ポートマンにしたら「日系人のカヨコが祖母を不幸にした原爆投下を二度と行わせないために立ち上がる」ってシナリオ破綻するんじゃない?

 

ナタリー・ポートマンは、菜食主義で、ハーバード卒で、ユダヤ人。「虐殺されてきたユダヤ人の痛みがわかるから原爆虐殺されないように努力する」でOK。完璧だよ。

 

 

ニューヨーク版作ればいいのでは

 

何を以って海外版シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラ海外ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?

 

ハリウッド演出ではないリアルアメリカシン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも

 

海外版は、シン・ゴジラ翻案リメイクではなくて、現状のまんまです。翻案リメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功保証される。

 

なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本からこそありえた選択肢からだ。

庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラニューヨークに出現したら、ゴジラニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用決断するはずだ。それが最も合理的からだ。(自分たち死ぬかわりに、他人死ぬのだから、その方が合理的だ。)

というわけで、ゴジラ米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だからゴジラが出現する場所は、「核の使用可能地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラ米国に出現したら、ゴジラ映画のものが成立しなくなる。「ゴジラニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)

 

 

※ ついでに言うと、東京核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。

 

 

 

言っとくけど外人特に米国人にはそんな面白い映画じゃないよコレ

 

わかっている。だから日本向けの会議場面は大幅にカットして、ゴジラアクションシーンを増やせばいい。脚本さらに加筆はしないが、一部は大幅にカットしていい。

だいたい、会議場面が長すぎるんだよ。もっと短い方がいい。

 

細かすぎて伝わらない日本あるあるなので脚本シナリオも別物にしない限り無理

 

いやいや。全部作り直したら、金がかかりすぎる。石原さとみのところと、CG のところだけを変えるだけでいい。あとはそのまま使う。(ただし大幅に短縮する。)

これだったら、撮影コストはギャラ代プラスアルファぐらいで済むし、CGコスト必要経費だけとなる。全部作り替えるほどのコストはかからない。

   ※ CG は現状のままでもいい。しょぼいけど。

 

なお、「細かすぎて伝わらない」というのは、問題ない。細かいところは伝わらなくてもいい。映画として失敗していなければいい。ちなみに、千と千尋や、もののけ姫は、日本丸出しだったが、世界中で受けた。日本的だとしても、普遍性があるものは、受けるんだよ。

(「国民性ジョーク」というのがあって、「米国人はこうした、日本人はこうした」という話をすると、世界中のどこの国でも爆笑を得る。日本人の愚かな国民性日本人しか理解できないということはない。世界的に有名だよ。)

 

 


 

【 参考 】

 

シンガポールではすでにシン・ゴジラが公開されている。

評判は? とても好評だ。詳しくは下記のトラバ

  → http://bit.ly/2bIbNz1

  

 

2016-08-22

自殺島11巻

http://fuufu2.hatenablog.com/entry/2016/08/22/070726

上の記事の人は良い人なんだろうけどいきなりこんな話を聞かされるとぶしつけだとか無神経だと受け取る人は多いだろう。((良かれと思って己の幸せをばらまきたがるのは、はてな賢人のorangestarさんですら一度その罠にはまったくらいであから、「自分幸せ普遍性確認したいだとか己の幸せ世界に祝福してほしい」という感情は理性をはるかに超越したものであると思うので仕方ないけどね))

いわゆる「己の達成や幸福単純化して人に押し付けて回る」やつね。まぁ私はこの人の意見無視するしほかの人もそうするだろうから、あとは「私にできたんだから貴方にもできるはず」を子供押し付けて不幸にしないようにだけお願いしたいです。

とりあえずちょっとだけイラッとしたので、ちょっとだけ意地悪をしよう。

上の記事を書いた人は、こういうことにならないように気を付けてね(ニッコリ

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

>http://transpersonal.jp/1494/>

親も、周囲の人たちも、そして、子供も、その実態がつかめないというのが、「見えない虐待」のこわさです。わかりにくいために、被害者には、だれも気づかないうちに大きな傷がついてしまます

その代表例が、「ダブルバインド」と「ミスティフィケーション」と呼ばれる、主に親から子になされる介入です。

ダブルバインド」は、ほぼ同時に矛盾するメッセージを伝えるということです。「なんでも好きなことを言いなさい」と言われて、自分意見を述べたら、「そういうことは、おとなになってから言いなさい」と言われてしまうような介入を指します。「ダブルバインド」を受けた子供が戸惑ってしまうのは、当然のことです。なにしろ親の言うとおりにしたら、逆に怒られてしまったのですから。「ダブルバインド」を受け続けると、自分が何を感じ何を考えているのかがわからなくなってしまます

ミスティフィケーション」は、イギリス精神科医R.D.レイン提唱していた概念で、子供感情搾取してしまう巧妙な介入です。例えば、子供希望が明らかではないうちに、あるいは、子供希望をまったく無視して、「○△クンは、女の子なんかには、興味ないんだよねー」なんて言ってしまうやり方です。こんなことを言われ続けたら、女の子にワクワクする気持ちは、罪悪として認識されるようになってしまいかねません。それって、とても不健康な状況ですね。

ダブルバインドミスティフィケーションは、どこの家庭でも時には、行われると言ってよいでしょう。たまに行われるのなら、問題ほとんどないのですが、それがひっきりなしに行われてしまうと、深刻な心の傷を子供に与えます

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2016-08-11

無能コミュ障田舎者シン・ゴジラは辛い

シン・ゴジラとても面白かったですけど、日頃感じてる生きづらさに形を与えられてぶつけられました。

以下はもちろんネタバレで進みます

無能コミュ障部分

有能さがカタルシスを生むのはあらゆる物語共通するため今更だったのですが、コネ大事さについて日本社会舞台に鮮やかに描かれるとより堪えますね。

尾頭さん抜擢シーンでさらっと語られる「政府中枢人物の部下と大学の先輩であること」が実に辛い。

コネシステム利便性理解していますが、やはり人間関係か、と。それも大学

皆が良い物と言い絶対に取り戻せない時間で、有能な人間だけのコミュニティで、この運命性と聖域性にも関わらず普遍性を持って受け止められることが、つまり自分普遍的からぶれることを突きつけられるのです。

田舎者部分

全体を通じ東京者こそ深く楽しめるリアリティ作りなのは言うまでもありませんが、無 人 在 来 線 爆 弾 に特別意味を感じられないことが何よりも辛いです

この映画一番の盛り上がり所だと熱中する輪に入れません。在来線という言葉の何が違うのか?どうして見覚えのある新幹線よりも特別視されるのか?何がパワーワードだ、共感できません。

マッチョオタク気取りが多いはてなではコミュニケーションめいた物をコンテンツに求めようものなら正論めいてなってない奴だと断定されるでしょうけど、その強者たらんとさせられる空気もまた生きづらさの一つであります

マジョリティに逆らうことを表明する以上非難されることは当然でありますが、何につけても自分感情がそのように否定されることより自分社会不要であることは自明なのに、社会とやらは体面の建前上退場の手段を用意しないのが一貫性なく意地汚いですよね。

2016-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20160805102839

横やけど、それ「固定観念」だけの問題なのだろうか。別に「男にスカートはだめ」と言ってる差別女や差別男を擁護するつもりはさらさらないけど、固定観念じゃなく本能とか普遍性レベルで「女は男よりスカートが似合う」とか「スカート男は美しくない」という可能性もあると思う。キルト着物例外であると。これを科学的に証明できるのかどうかは知らんけどな。

2016-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20160728224144

良識ということは、ただモノを知っているというだけではなく、その知見などから良い悪いという区別を付けるところまで意味が及ぶから「誰にとって良いのか」と問うた。

「良いことに概ね普遍性がある」というならば、まずそれをあなたなりの基準で示すことからはじめよう。概ね普遍性があるなら、きっと他の多くの人にとっても良識派として共有されているだろうし、されてなくてもその基準疑義を呈する人はそう多くないはずだろうから

さ、あなたにとっての「良識id一覧」どうぞ。パチパチパチ。

2016-07-26

自画自賛番組で「日本人は親切で礼儀正しい」とか言わせてるけど

今回の事件に対する反応みたいの読むたびにバーバリアンの国だと思い知らされる

日本人先進国常識人権普遍性は通じない

花岡事件 ハンセン病隔離 袴田事件 挙げればキリがない

2016-06-20

「俺の認めたものじゃないとダメ」ってのが芸風なのはわかってるんだけど

それほんと(一般的意味での)青二才ロジックであって、共感して集まってくるのは同じ完成を持ってる未熟な若者だけだと思うんだよね。

普遍性のないロジック使ってると外に広がっていかいから、どんどん、蛸壺化というか自己満足の駄サイクル化すると思うので気を付けたほうがいいかなあ。

2016-06-06

ズートピア(ぼくわたしの考える映画

まり映画を見ない自分映画感想を書いてみる。浅いよ。


久しぶりに映画を見たよ。話題になってたから。


ズートピア

傑作。感動しないけど傑作。


宮崎アニメ説教くさいという人は

ディズニーとかピクサー作品についてはどう思ってるんだろう?

ディズニーピクサーってあんまり(ってか5作品しか)見たことないんだけど、

上映前の短編ストレート説教ぶちかましたり、

今回見たズートピアだって見事な説教アニメなんだよ。


でも宮崎アニメほど説教くさくない。なぜだ。


理由ひとつ自分の見たディズニーピクサー作品

人物アニメじゃないからのような気がする。


今回見たズートピアは、現実をちゃんと描いた上で、理想を語るという、

自分が考える、アニメーション映画がこの世に存在する意義を見せつけてくれた。

架空世界を作って、現実を描き、普遍性を語る、というか。

もちろんこういう現実理想を描いた作品ばかりではつまらないし、飽きるので、

人生個人的な1ページを淡々個別的写実的に描くという実写作品も好きだけど。


人間社会における差別肉食動物草食動物という道具を使って表現している。

現実社会動物というものを使い究極にデフォルメしている。

そこに遠慮はない。

実写や人物アニメ表現すると、

胃がキリキリしたり、見終わった後、友達とギクシャクしてしまいそうなもの

かなり直接的に表現している。


これはアニメーションが得意なことだ。

わりと実写は実際の人物を使った隠喩というか比喩を得意にしていて、

アニメーション直喩を得意にしているのかなって思う。


ビバアニメアニメーション万歳

(隣の人間より動物共感やす人間の歪さも感じるが。)


正直、実写で普遍性を語るのは限界があるか

よっぽどの天才監督と全人種民族を集める資金力がないと難しいんじゃないかと思ってる。

そうじゃなきゃ、現実存在する違う国の違う人間のことを自分と照らし合わせて見てくれる客ね。

実写舐め過ぎかな。でもこれをクリアした実写作品は傑作だと思う。



あと話戻るけど宮崎アニメ説教くさいもう一つの理由

脈絡なくいきなりセリフ説教(っていうか思想)を語るという

脚本問題であろうな。

シュガーラッシュもそういえば、ラストで姫がいきなり民主主義訴えたけど。




日本アニメーション映画も頑張って欲しい。

アニメテレビアニメ見ない、アニメーション映画しか見ない超マイノリティ自分ですが。

あと実写も絶望しないで頑張れ。




先生に反対され、労働条件絶望してアニメーション業界に進まなかったチキン人間より。

2016-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20160504142823

英語キーボード普遍性があるからじゃない?アメリカヨーロッパ日本語キーボード探すのは面倒だし、慣れればどっちでもいいなら英語キーボードでよくね

もしかしてここにいる増田ってまだ日本で消費してるの?

2016-04-16

男にウケるもの+女にウケるもの≠男にも女にもウケるもの

後輩にデザインを教えている。

今の課題レイアウトとか配色とかの技術では無く、「誰に向かって作るか」だ。

そこで気づいた事が有る。

・有る年齢、志向男性に向かって作ったもの限定性を広げようとして、女性要素を入れても、男性にも女性にもウケるものにならない。

・「誰もにウケるもの」は、属性に異存するもの排除して、普遍的で間口の広い要素に「特化」したものであって、属性折衷ではない。

・という事が、分かってない子にはホントに分かってない。

デザインに限んないと思うんだ。

間口を広げるってのは、蛇口を捻るように調整したり、足していく事じゃ無いんだ。

狭い可能性を排除して、普遍性を突き詰めることだと思うんだ。

普遍性ですら、選択の問題

それを後輩に教えないといけないし、お客さんへの説得の上手い文言を考えなくてはいけない。

2016-04-13

めもてきなかきちらし

コンテンツ思い入れがなければダメだという日本商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつ創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。

日本場合自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。

そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。

アメコミヒーロー社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本あるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツ超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。

ドラゴンボール孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボール鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体社会性は得られない、鳥山明個人的世界を描いた作品しかない。日本作品はそういうものしかないと思われる。

どんなにクールジャパンだとか政策として日本作品世界に輸出しようといっても、作られる物自体社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンスーパーマンのように80年近く愛されはしない。

日本人世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデント作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的ものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートルしか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。

クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウン国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。

から、この環境適応できるとサイコー楽園なんだけどね。

自分自分で終われるから。今の日本が苦しいのは、外部的な存在をきちんと認識できているのかもしれない。

2016-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20160407115836

ジェロさんは情感たっぷり演歌うから、他のジャンル歌っても上手だと思うけどなぁ…世界的に普遍性のある歌のうまさだと思うけど。

ベビーメタルはそういう感じじゃなくないですか?

2016-03-30

イクメンって少女漫画じゃん。アホらし

気に食わないといえば、そもそもイケメンをもじってるとこからして嫌いなんだけど、それは置いといて。

たぶん、今はいろんなものが過渡期にあるんだと思う。

夫婦共働き多数派と言われるようになってずいぶん経った。

イクメンだって数十年もすれば当たり前になって、誰もわざわざそう呼ばないかもしれない。

ただ、昔の風潮というのもまだまだ残っていて、夫に十分な収入があれば専業主婦におさまりたいという勢力も強い。

というか景気が悪くなると増える。

そういう中で、男はまず女より稼げなければ、家計の半分以上を負担できなければ結婚してもらえない。

たぶんこれが今ある風潮の中では最強だと思う。

イクメンを求められるというのは、それをいの一番に突きつけられてる中で、さら家事の先払いを迫られてる感じで、

なんかすげー理不尽なんだよね。

だってフルタイムの上に家事育児押しつけんなって、散々主張してる。ごもっともな話だ。

なぜ似たようなことを男には堂々と要求できんの?

イクメンをむやみやたらに持ち上げる空気というのも、もはや行きすぎてハードルばかり上げてんじゃないかと思う。

家事に関わる割合以前に、とりあえず平均以上に稼げてる奴じゃないとテレビに出ないし。

ひどいのだと、イクメン外科医とかが出てんの。アホかと思った。少女漫画世界じゃんって。

現実的だろ。そんな男がいったい何人いるっていうんだ。釣り合う女が何人いるっていうんだ。

最近はお役所イクメンブームに乗っかって、いろいろ支援しようとしているようだけど、

そういうのも同じ公務員だったり大企業だったり、まともに育休が取れるとこを想定してて、

現実はなかなかそうもいかないよなーとしか思えない。

同じ家事分担してる家庭でも、非正規同士でくっついて、でも子供もできちゃったから、

否応なしにそうするしかないってお家もあるんだろうけど、まずイクメンというフレーズでくくられることはない。

当たり前だよね、そんなんじゃ誰も憧れないから

たぶん、世間女性が抱えてるのは、イクメンを持ち上げてるとこからするともっと次元の低い、

しかし深刻な悩みなんじゃないかって思う。

もちろん、東京タワーマンションだかにお住まいの皆様が、イクメンを欲しがるほどお困りなことはわかるよ。

でもそれって、東京だけの話じゃない。

代官山カフェができましたよとか、木更津アウトレットモールができたから橋通って行ってみませんかとか、

そういう程度の普遍性しかないんだから東京ローカルだけで流しときゃいいじゃんって思う。

周りを巻き込むな。

2016-03-29

福島に行っても福島のことは分からないんじゃないか

北朝鮮に行ってきた友達がいるんだけど、その人がいうには、北朝鮮平壌はたしかに発展していて見所もあるらしい。

アントニオ猪木なんかも北朝鮮に行って、好意的コメントを出すし。

でも、だからといって北朝鮮がいい国とは言えない。なぜなら私たち北朝鮮判断するのは、その人権状況であったり、国際問題であったりするから

それと同じように、フクイチが職場として整備されつつあったとしても、でも一方で故郷を追われた人たちがいる。

ミルの『自由論』は、多数の暴論によって、個人の自由が損なわれる危険も説いているけど、まさに「民主主義による政治」によって故郷に住む権利剥奪された人たちがいる。

この権利がどうかという問題を抜きにして、いまフクイチがどうであるとか、原発経済効果がどうであるとかを論議してもダメなんじゃないか。

http://www.1101.com/fukushima/2016/

福島第一原発問題普遍性否定するエントリへ捧ぐ。

2016-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20160307180700

私はラピュタは全く古さを感じなくて、サジタリウスとか星矢とかハートカクテルをやってた1980年代を感じさせない普遍性があると思うんだが、

あと三國志みたいな小説も古さを感じないがどんなもんよ

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