シン・ゴジラとても面白かったですけど、日頃感じてる生きづらさに形を与えられてぶつけられました。
有能さがカタルシスを生むのはあらゆる物語に共通するため今更だったのですが、コネの大事さについて日本社会を舞台に鮮やかに描かれるとより堪えますね。
尾頭さん抜擢シーンでさらっと語られる「政府中枢人物の部下と大学の先輩であること」が実に辛い。
コネシステムの利便性は理解していますが、やはり人間関係か、と。それも大学。
皆が良い物と言い絶対に取り戻せない時間で、有能な人間だけのコミュニティで、この運命性と聖域性にも関わらず普遍性を持って受け止められることが、つまり自分が普遍的からあぶれることを突きつけられるのです。
全体を通じ東京者こそ深く楽しめるリアリティ作りなのは言うまでもありませんが、無 人 在 来 線 爆 弾 に特別な意味を感じられないことが何よりも辛いです。
この映画一番の盛り上がり所だと熱中する輪に入れません。在来線という言葉の何が違うのか?どうして見覚えのある新幹線よりも特別視されるのか?何がパワーワードだ、共感できません。
マッチョオタク気取りが多いはてなではコミュニケーションめいた物をコンテンツに求めようものなら正論めいてなってない奴だと断定されるでしょうけど、その強者たらんとさせられる空気もまた生きづらさの一つであります。
マジョリティに逆らうことを表明する以上非難されることは当然でありますが、何につけても自分の感情がそのように否定されることより自分が社会に不要であることは自明なのに、社会とやらは体面の建前上退場の手段を用意しないのが一貫性なく意地汚いですよね。