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2020-12-21

ブルマー起源障害者スポーツブルマー

ブルマーは紺色とは限らない!

先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色小豆色・赤色ブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。

調査方法

主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイト掲載された、映画ドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品確認するのかといえば、ブルマー日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人サイトツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。

なお、バレー部ブルマーとそのほかの学生ブルマーについては、分けて考えたい。

加えて、プロバレー選手映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。

ブルマー情報

「美しきチャレンジャー1971年

ビートたけし学問ノススメ」1984年

台風クラブ1985年

スケバン刑事1985年

「もしも、学校・・・!?」1985年

「オシャレ泥棒1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE

ブルマー情報部活編)

「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA

青春の構図1976年女子大生乳房露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)

燃えろアタック1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q

時をかける少女1983年

スクールウォーズ1984年

「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37

赤い衝撃1976年陸上選手という設定)

和っこの金メダル1989年

そのほかの色

「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色ブルマー

「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者社会参加を訴えたドキュメンタリー

「蘇れ魔女1980年バレー選手)。Youtube動画はあるが緑ブルマー確認できず。

オレンジ

「われら青春!」1974年バレー部

あさひが丘大統領1979年

生徒諸君!1980年バレー部

ビートたけし学問ノススメ」1984年バレー部

白(!)

時をかける少女1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364

まとめると

ブルマーは、90年代よりもずっと前から存在している。

障害者スポーツブルマー

ところで、先ほど両腕のない女性映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いす少女陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足選手被写体として用いられていた。義足陸上選手を扱ったポスターイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手セミヌード披露している。

僕は素直に美しいと思ったし、義足機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの障害隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手自分身体努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えしま自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしま身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツ称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。

今の職場身体障害聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。

本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマー義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えことなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者パラリンピックをどう感じているのだろう?

結論、今後の発展

前回の記事では、スク水ハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマー存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手ブルマー学生ブルマーに影響を与えたのか、さらブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水ハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマー存在確認した。

今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人アップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマー確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマー一定範囲分布していた可能性が検討できる。また、企業公式情報新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマー誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。

さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったか調査せねばなるまい。

加えて、身体障害憐れみ対象スティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻であるかどうかにもかかわらず、自分身体を見せる権利を改めて問い直したい。

また、上記サイト管理人及び編集者各位に感謝を。

メリークリスマス

2020-12-08

脂肪をつけて服が綺麗に着られるようになりたい

20代前半女、身長158センチ体重41キロ体脂肪率14パーセント

親族ほとんど似たようなガリガリで、完全に遺伝ぽいんだけど食っても食っても体重が増えない。

寧ろ年々痩せていってる。ヤバい

もちろん乳は無い。まな板の上に小豆のせたみたいな乳。

肋骨ゴリゴリに浮いてるし、腕なんて骨と血管が気持ちいくらい浮くのでゴツい。

絵にかいたような不健康体なのに、周りには細くて羨ましいと言われる。

すぐ不調起こすし正直なにがいいかからない。

私はダボダボパーカーとかのゆるっとした感じの服が好きだが、

私が着るとアイスバーみたいになる。

ハイウエストジーパンは、ベルト通さないと腹回りが緩くて下げパンみたいになる。

この体型の1番の悩みは服が綺麗に着られないこと。

着たい服が綺麗に着られないのが本当に辛い。

栄養士やってる友達指導の元、食事週間の改善をしばらく続けてたけどダメだった。

プロテイン飲んでひたすら寝ると太ると聞いたので試したけどダメだった。

栄養の吸収率が悪いのかもしれないからと教えてもらい、ビタミン摂取してみたけどダメだった。

他にもこれやるといいんじゃない??って聞いたことはだいたい試したけど全部ダメだった。

食事は食べることが好きなので人並み以上に食べるし、

めちゃくちゃ活動的でもない(むしろ逆)


どうにかしてもうちょっと健康的になりたい。

かい方法はないだろうか。

2020-12-07

anond:20201206184804

なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張り無知を知性とか信仰かいうとあとで悲しくなるかなと思うよ

宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ

まず経済勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ

きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする

まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ

商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね

現金日常生活してたら普段であわないやつ

あれなんでだと思う?

仕入れがあるからなんだよ

販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの

借金してたらお支払いできないものがでてくるよね

仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費事務所家賃税金などいろいろ

いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる

取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね

なのでこっちにお金はいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ

これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと

そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね

歳末とか毎週のセールとか取引現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか

そうするとどこで現金がほしいか何の取引利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社機能を切り売りできるものがあるんだね

それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど

そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて

その今の時点の会社買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミング

からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね

小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね

農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる

台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね

約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど

それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ

なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの

そのずれが大きく離れるときリスク回避するためにとる手段現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ

根性自分ルールでその派生商品利益がでるわけではないんだよ

単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら

自分感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね

そういう勘はその人自身人生のものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないか

たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても

から人類はどうだって話にはならないよね

取引には現金で即日という最強の取引から期待値不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので

相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミング必要貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので

時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスク回避になっているか

その相手必要タイミングお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる

逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと

次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね

FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算かに全部の分の取引相手国の現金必要なんだよね

これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要貨幣量の総合計を国とか銀行ストックするのってすごくリスクなんだよね

単位明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない

同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる

もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ

こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね

博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ

なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの

みんなが保険会社みたいな感じだね

反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約保険会社自営業でやってる感じ

銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね

だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ

もともと情報によって取引が動いて値段がついてるから

かい連鎖数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね

でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね

その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性あんまり関係ないよ

でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね

春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性から女性から子供から作業員から官僚からといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミング存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね

お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる

その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで

そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバー小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね

そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ

その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済

あなたの持ってるお金小麦先物を買うとしたら知っておくべきは

小麦農家の状況 組合などの単位で数十

小麦流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者運営にかかわる状況

・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況

取引先の卸先状況 業者事業状況

小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況

製造製品流通状況 製品販売先と販売方法と卸取引状況

製品の取り扱い業者状況 製品広告製品販売実態に対する状況

製品を取り巻く当期の状況 製品自体販売タイミングにおける消費動向などの状況

製品の消費先状況 末端の消費者還元してくる総合的な情報

これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど

そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金投資っていうものをしてくださいねってのが一般金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね

でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう

みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気上記の最低限必要情報集合体見立ててすがるのは

しか宗教的かなとはおもうけどその情報集合体である本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい

手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか

崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチングコンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まり宝石なのか蛆虫なのかどうか

それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないか

もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら

いまいち宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこからまれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな

そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう

無知な人が理解ができる情報限界無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ

「納得」してしま現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない

もちろんその人自身知識尊敬理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね

その後でならきっと違う風景をちがう表現でちがう層の人に発信できるんじゃないかなと僕は君のことをそんな風に感じてる

2020-12-04

焼き鳥屋さんのお通し増田手加減なく何外科手出す魔が塩とオノンさやり時や(回文

おはようございます

いつもたまにしょっちゅう行って最近全然行けてなかった焼き鳥屋さん。

久しぶりに行ったわよ。

そんでね、

ここの焼き鳥屋さん焼き鳥自体普通の感じなんだけど

やたら最初に出てくるお通しが美味しくて、

昨日は「茹で小豆こぼし汁もどし」が美味しかったわ。

お通しも抜かりなく手加減なく美味しいから、

お通しカットする理由がないしお通し代もないしで、

おかわりしたいぐらいよ。

冗談でおかわり!って言ったらおかわりできました。

こういう小鉢で実力が発揮される飲食店って凄いわね!って褒めたら

レトルトだって言うじゃない。

ここは普通に凄いでしょってこっちの話に乗ってほしいものだけど、

私もそのレトルト買って食べたいわって思ったけど、

きっとレトルトジプシーの美味しいレトルト食品を探す旅に出たら、

いつか出会えると思うし

また出会ったら三千里から報告するわね!

ところでさ、

千里と500マイルってどっちがザアルフィーだったかしらと思う反面、

結局母親とは出会えたのかしら?まるちゃんって、

たまちゃん心配になるほどよね。

最近はもうあの時間帯のアニメなんて見てなくて何やってんだろうな?ってラインナップが気になるけど、

まあ私は今日ランチしか楽しみがないって言うのが最近の唯一の楽しみだってことも

ちょっと悲しいわね。

早くランチに行って何食べようかと食券機のメニューを眺めたいものよ。

パスタ屋さんで食券機とは珍しいけど、

一定数でいる、

食券機が使えない人がいて、

私のもう一つの趣味として、

人間観察があるんだけど

趣味人間観察ですって大っぴらげて言う人に限って、

何も観察してない人多くない?

そんな人間観察をしていると、

食券機の前に来たら

ものの3秒で諦めて考えない人が多いのよ。

考えようともしない、

間違っても良いじゃない!人間もの相田先生彷彿とさせるんだけど、

その人の後ろに行列を作ったら駄目かも知れないわねさすがに。

ある人は、

たくさんボタン押して、

全部買っちゃって、

残りの食べない食券を大量に返金処理させて、

それってただのプチ営業妨害じゃないかしら?って

現場には緊張感が走るけど、

その人はアハハって笑ってるのが逆に怖いわ。

食券機の前はドラマが一杯すぎて、

不安になるわ。

私もそうなったときかのことじゃないけど、

考えるとは辞めたくないなって

常に考え続ける人間になりたいな!って謎の教訓を残しつつ、

もうまたこんな時間になってしまたことに、

人は学習能力があるのかないのか分からない次第ではあるわね。

気付いたらもうこんな時間よ。

まったくだわ。

うふふ。


今日朝ご飯

シャキレタサンド

シャキシャキレタスサンドです。

私なりに略してみました。

ぜんぜん世間に浸透してないのが残念だけど、

今思い付いていったので、

浸透も何もないわよね!

デトックスウォーター

グレープフルーツピンクグレープフルーツの方を2玉ほど買ってきたので、

1つを半分にして搾って、

もう1つの半分の方も搾って、

要は1つ分のピンクグレープフルーツウォーラーよ。

半分だけ残ってても仕方ないわよね。

炭酸水でも良いし、

ボトルに汲みおいている冷やしたお水でも良いし、

ホッツ白湯しろ

朝は季節関係なく起きたら水分補給よ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-11-30

ドーナドーナを始めるインターネットお絵かきマンが随分いる

ドーナドーナ概要

エロゲ老舗メーカであるアリスソフトの新作。

女の子をヒトカリしてきてハルウリさせて反道徳的なことをなんやかんやして遊ぶゲーム

メインの原画は魚介(小野妹子)が描いているようだが、ユニークヒロインという特別キャラクターエロ有り)の絵はイラストレーターが多数登用されている。

ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう | アリスソフト

https://www.alicesoft.com/dohnadohna/

登用されているイラストレーター

しのづかあつと さくやついたち 小豆TANK BLADE てつぶた FBC INO 黒本君 竜太 サガノユウジ

ドーナドーナを始めるインターネットお絵かきマンが随分いる

お絵かきマンが、自身担当したゲーム宣伝Twitterでしているのはよく見かけるが、関わってないエロゲを取り上げているのはだいぶ珍しい。

ゲームプレイして面白かったという話ではない。

このゲーム11月27日に発売されたばかりで、発売日・翌日あたりにタイトル画面のスクショパッケージ画像が流れてきていた。

2020-11-20

anond:20201120131037

グリーンピース=えんどう豆

鞘ごと食えるグリーンピース=さやえんどう(スナップエンドウもこの仲間)

キドニービーンズ=赤いんげん

鞘ごと食える若いキドニービーンズ=さやいんげん

花豆マーブル模様のいんげん

あん白いんげん豆のジャム

小豆英語レッドビーンズ(他に呼び方はないのか)

ガルバンゾーひよこまめ(頑張るぞーではない)

  

なお

オートミール=えん麦ごはん

ハニーオーツ=えん麦とはちみつのせたサブウェイのおいしいパン

カラスムギ=えん麦の野生種

ハトムギ数珠玉の栽培種、肌が綺麗になる漢方使用される

バーレイ=大麦、ビタバーレイ=ビタミンいれた大麦

2020-10-29

anond:20201029182524

道民やけど、オラ!東京都民大阪府民にあやかって北海道産じゃがいもは「おいもさん」

大豆小豆、白花豆などには「おまめさん」。バター飴は「あめちゃん」って尊称つけろよな💢💢💢

サケの切り身を食べるときには、地方の川から太平洋を目指したサケたちの勇猛な冒険に心震わせろ!以上!頼むで!

2020-10-13

anond:20201013135032

あー、小豆餡のカステラサンドを送りつけるのは止めてほしーんだよなー

2020-10-10

[]おぜんざい

を速攻でつくりたいとき

缶詰

レトルト

フリーズドライ

白玉粉こねる

⑤おもち

だと思うんだけど、

(もちろん小豆買ってきて炊いたら最高)

あずきバー」+おもち

が早いんではないかと。

おもちをトースターで焼いてるうちに

あずきバーレンチン

しかも安いあずきバー

とおもってたんだけど

普通にあずきバー美味しいので

食べてしまう(アイスのまま)

うーん

これは作戦勝ち❓

2020-10-03

anond:20201002101427

中華あんみたいななんでも片栗粉を入れてとろみをつける系かと思ったら小豆の方だった

増田の嫁どこぞの女子アナなの?

2020-10-02

嫁がありとあらゆるメニューに隙あらば餡を混入しようとする

おにぎりの具にこしあんなんてのはまだ序の口

つぶあんが添えてあるつぶあん肉じゃがポテトサラダこしあんが練り込んであるこしあんポテサラ大豆小豆不協和音が楽しめる納豆つぶあんパスタなどなど…

そして餡が最初から視界に入っている場合はまだマシな方で、本当に恐ろしいのは突如口内に餡が出現するアンブッシュ、いや文字通り餡ブッシュである

今日ハムカツか(よかった餡がかかってなくて)」と思いながらソースをかけてかぶりついたところ、薄いハムハムの間から突如現れるこしあん

こうなるともう脳の処理が追い付かず味覚は大パニック 食べてみるまでどんな味か分からないとか我が家食卓こしあんルーレットか!と叫びたくなる有り様である

ちなみに昨日の夕飯はオムライスちくわ入りのインディアンサラダ

おっ、もしかして今日あんこフリー食事なのかと期待しながらスプーンを動かす自分 卵に包まれた中から出てきたのはつぶあん入りのご飯

「…今日はまた新メニューチャレンジしたんだね」

「そうだよ オムあんこライスだよ」

「オム…あんこ…」

その日の夜は滅茶苦茶セックスした 

2020-08-29

さやに入った小豆イラストいらすとや

https://www.irasutoya.com/2020/08/blog-post_444.html

小豆がこういう形のさやに入ってるのを知らなかった。

こういう実は当たり前だった知識いらすとやを通じて知ることがけっこうあるのでホント助かります

2020-07-13

anond:20200712174248

男って付けなくてもなんとなくの共通認識として妖怪性質が変わらないからじゃ無い?

小豆洗い男は「なんで男って付けた?要はただの小豆洗ってるおっさんだろ?」ってなるけど小豆洗い女だと「あぁ、なんかたぶん旦那迫害受けてたか子供のために小豆洗ってたら死んだ母親の霊なんだな」ってなんか意味合いが変わってくる。

逆に男ってわざわざついてると、「お、何か力が強くて暴力的なんやな」って印象になる。

2020-06-10

牡蠣飼い

 それじゃあ行こうか、といつものトーンで言った彼女について歩いたのは、十分にも満たない時間だったと思う。五階建の、綺麗でもなければ汚くもない一般的建物の前で足を止めた彼女は、こちらを振り返って「じゃーん、ここが私の城です」と笑って見せた。

「いいところだね」と中身のない返事をして、建物に入る彼女を追いかける。よく晴れた空には雲ひとつなくて、広い国道を車が走る音が遠くに聞こえた。

岸田さんの部屋は3階にあって、僕らはそこまで階段をのぼった。エレベーターもあるのだけれど彼女はできるだけ階段をつかうことにしているらしい。「大学生は不摂生からね」と言って複雑なジェスチャーをしてみせたあと、彼女コンクリート打ちっぱなし廊下に並んだ小豆色のドアのひとつの前で立ち止まった。

「ここが私の城です」ともう一度言って少し照れたように笑う。「さっきも言ったけど」

岸田さんの部屋にはひとつ大きな水槽があった。よく整頓された中性的な部屋の中で壁際にこぢんまりと収まったその水槽はなんとなく目を惹くものだったから、僕は思わず水槽」と口に出してしまう。

「ん、ああ、水槽」と、彼女は気のない返事をして、部屋の中央に置かれたテーブルの上を手で払った。「まあ、座ってよ」。

毛足の短い薄いベージュカーペットにあぐらをかこうとしたあと、思いなおして正座にした。一息ついて頭に浮かんだ疑問を口にしてみる。

「何か飼ってるの?」見た感じ、水槽の中に動くものはない。しかポンプはどこか好ましい慎ましやかな間隔で小さな泡をあげているし、岩場のようなセットもある。何かはいるんだろう。

うそう、と言いながら岸田さんは顔を水槽に向け、瞬きをふたつした。まつ毛が長いな、と感心しながら続きを待つ。

「カキだよ」と彼女は言った。

「カキ?」言葉が像を結ばないまま、ひとまずおうむ返しに口に出す。

「そう、カキ。あー、あの、海にいるやつ。貝の、ええと、岩みたいな……」

「あ、うん。牡蠣ね。牡蠣

ひしゃげた岩のようなビジュアルが頭に浮かぶ牡蠣。食べるものだとは思っていたが、飼っている人がいるとは思わなかった。なんで飼ってるの?と思ったままを口にだす。

「いや、どうしてって言われると難しいんですけどね」彼女は細い指を顎にあて、はにかみながら視線彷徨わせる。「飼えるのかなーと思って調べたら飼えるってわかって、飼ってる自分想像してみたら、なんか……良かったから」

「なるほどねえ」なるほど。

2年に満たない、それもけっこう浅い付き合いの中でうすうす感じてはいたが、彼女はやはりかなり変な人なのかもしれない。しかしそういう気付きは往々にして表に出さないほうがいいものから適当に話を合わせることにする。

「でも牡蠣って海の生き物でしょ?結構大変そうだけどな、海水管理とか」

そうなんだよ、と言ったあと少し間をおいてちょっと待ってね、と謎めいた手振りをした彼女は、ゆっくりと立ち上がって部屋の隅に向かう。

その間に水槽に目を向けてみると確かに牡蠣がいるようだ。二匹。匹って数え方でいいのかな。牡蠣と言われてみると確かに岩ではなくて生き物だなあと思えるから不思議ものだ。とはいえほとんど動きはなく、岩に似ていることは否定できないのだが。

ほどなく、岸田さんがなにやら大きな袋をもってきた。「これ、海水……のもと。買ってるんだ」

海水の……もと。そういうのがあるんだ」

あるんだよ、と言って岸田さんは袋をひっくり返し、包装を読みながらいろいろと説明してくれた。一袋がいくらで、そのうちどのくらいを一度に使うのか、水換え作業はどのようにして行っているのか……などなど。

最初は大変だったけど今は日課からそんなにかな、と締めくくって、彼女ひとつ息をついた。

「飼っててここが楽しい、みたいなのってある?……牡蠣って動かなそうだからさ」

愚問ってやつかもしれないなあと思いつつ、つい聞いてしまった。岸田さんは相好を崩し、やっぱそうなるよねえと楽しそうに言う。

楽しいっていうか、愛着かな。彼ら見た目は岩みたいだけどちゃんと生きてるし、泡吹いたりもするんだよ。見てると案外愛しいんだなあ」

しみじみとそう言う彼女を見るとそういうものなのかと思わされたので、「そういうものなんだね」と素直に言った。「そういうものなのです」と受けて、岸田さんは視線水槽に向ける。

つられて僕もそちらをみると、牡蠣ひとつ泡を吹くのが見えた。

2020-03-19

自己組織化分子目的

増田そもそも生物と無生物を線引きするのに、本質的意味なんかないでしょ。」

そうなんだけども、じゃあ生物ってなに?って話になるじゃん?

人間生物定義されるもの分子組織化されて出来てるじゃん?

でも生き物ではないと定義されているもの・・・例えば鉱物だって分子組織化されて出来てるじゃん?

そして、その鉱物も増えたり大きくなったり硬くなったり、あたか生物が成長/変態しているかのような動きを見せるじゃん?

例えばルーマニアにある岩のトロヴァント(Trovant)とか、鵜ノ崎の小豆岩とかさ

変化するという点において生物と違わないじゃん?

生物と呼ばれるものは色んなものを取り込みながら無駄に動きまわってエネルギーを消費することを選んだけど

生物というか分子目的ってなんだろうな?なんで集まるの?

 

 

ーーー 追 記 1 ーーー

 

増田「なんで物理現象に「目的」があると考えようとするのか……?」(anond:20200319154828)


そもそも分子って自己組織化って現象すごくなぜだろう?ってならん?なんで自ら安定した形に組みあがっていくの?みたいな?何のために?

現象意味などの無いって言っちゃそれまでだけど、じゃあ、生命という現象のワイたちは意味ないの???みたいな

 

しかも“ゆらぐ” じゃん???

直球で”量子生物学“なんてのが存在する。量子科学の視点から生物アプローチしている

 

[TED] 量子生物学は生命の最大の謎を解明するか?(How quantum biology might explain life's biggest questions)

 https://youtu.be/_qgSz1UmcBM

[主催: 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構] 第1回量子生命科学研究会

 http://jsqls.kenkyuukai.jp/images/sys/information/20170721094035-5ECB4947B99026F0697B5E1404FED6EBBD60A6A4F2DBD759583B5F5F5C1A96CC.pdf


そして、熱運動的なゆらぎ

[分子生物学][生物物理学] 生命現象の基本にゆらぎを発見

 https://brh.co.jp/s_library/interview/58/

 

・・・からの、『脳の「ゆらぎ」を応用した超低消費電力のコンピュータ』を作れるのでは?とかやってる

 https://wisdom.nec.com/ja/technology/2017011301/index.html



 

ーーー 追 記 2ーーー

・・・いずれにせよ、日本物理学会は、

 

生命システムは複雑ではありますが,非生命物質と同じ,通常の物質系(原子分子イオンなど)からできていますしたがって,
材料的には生命と非生命物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか.
(略)
生命物質から自律的に動く人工的な生命システムを創り,「生命」と「物質」の違いに迫る研究を進めています
https://www.biophys.jp/highschool/E-26.html


とか言ってるので、生物は何かは結局よくわからないが、

”生きる意味を考える” ということは

自己組織化分子の振る舞いや目的を考えるということ で概ね正しいので

夕飯はコロッケではなくてスパゲティー🍝

2020-03-16

タイトル変わってif入ってましたかマルチエンドではないのでいいと思います

anond:20200309211602

元増田ですがタイトルにifが入ってましたね。

であれば論ずるまでもなくifですので、本編の純度を何ら損なうわけではありませんから別にいいと思います

内容に踏み込んでも大学生になってからの話ですのでなおさらifですし。まあ他のはどうなるかわかりませんが。

要は唯我成幸の話としての「ぼくたちは勉強ができない」は先週で終わっているわけですね。

オタリア小豆エンドみたいなものなのでいいと思います

余談

長編が始まるタイミングは大外れでした。

高校生活終わってからだとは予想できませんでした。

2020-03-09

ラブコメ漫画」でのマルチエンドはありなのか

ジャンプで連載中の漫画ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したこと大炎上しています

結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。

純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います

この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。

ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。

好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。

恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます

漫画におけるマルチエンド

漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。

読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前から分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。

ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。

ラノベにおけるマルチエンド

ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。

他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。

ラノベとして一番ちゃんマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写密度漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます

恋愛ゲーム

マルチエンドと書くまでもなくほぼマルチエンドです。

シナリオメインの恋愛ゲーム基本的出会いとそれぞれの事情簡単に知っていく共通ルート個別ヒロインイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。

共通ルート個別ルート比率作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。

なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。

個別ルートが1,2時間かい作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間描写が済んでしまうような運命説得力などありません。

主人公のし選択によって、別のヒロインと結ばれる運命生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。

ラブコメ漫画」では反対な理由

オリジナルアニメマルチエンドはないでしょうからねこの辺りでしょうか。

「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています

ですから現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。

じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います

ぼくたちは勉強ができない」での分岐文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だからヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルート関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。

そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間描写相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。

その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。

いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから

でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか

恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。

恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルート共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロイン選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロイン個別ルートに進むんです。

まりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインルートに進むわけですから主人公ヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインルートに行く作品って全然多くないんです。

バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子攻略するゲームなんですよ。

じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルート価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。

まとめ

ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間匹敵できるのはラノベくらいでしょうがライブ感は比較になりません。

そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。

からゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。

余談

ところで文化祭分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロイン長編から始まると思います

あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから

センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生正気を疑います

理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います

余談2

ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。

少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。

追記

表現規制云々

最近ネット論調のせいかと思いますセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。

私の中では人類普遍原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。

なんここ

オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。

引用

enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートイベント時系列ザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに

これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去トラウマを乗り越えた真冬卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。

そうやって成幸がヒロインズの問題解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現しました。

別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。

Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。

イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。

キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。

tmkyz 最初マルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのはしかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。

最低限事前告知して欲しかったですね……

houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる

ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛伏線と展開は求められているのでは。

isaisstillalive 終始想像だけでディスってる

deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?

f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ

はい

fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。

miko88 正典を求める感情のようなものだと感じた

はい

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-03

営業電話

俺は何年か公務員やって、その後は民間で勤めているんだけど、前も今も営業電話というのがよくかかってくる。まあ皆さん御経験おありと思うんだけど。

公務員ときは、よく先物取引営業電話がかかってきた。ベテラン営業は色々とつかむ為の芸も仕込んでいるみたいで、

「いやー××さん、最近小豆が熱いんですよぉ」

なんて言うわけね。何それ、煮えてんのか? とか思いつつも素気なく切って、茶飲み話に臨時職員女性相手に話したら、彼女はニヤーっと笑って、

「それ、どうされるんですか?」

「え? いや、乗るわけないでしょう」

「そうですよ。絶対乗っちゃ駄目です」

やけにきっぱり言うなあ、と思ったら、

「私、一時期、先物業者電話営業やってたんです」

「え? そうなんですか……じゃあ聞きますけど、仮に乗ったらどうなるんですか」

彼女は表情ひとつ変えずに、

「数百万位簡単に飛びます

まあ、先物絡みの恐ろしい話なんて、ちょっとググればなんぼでも読めるけど、その数百万で済めばまだまし、それを補填したいが為に更に金を突っ込んで、もうにっちもさっちもいかなくなって……なんてのは、実際ある話らしい。

その後も今に至るまで、やれマンション投資だ何だ、と電話がかかってくるわけだけど、最近イラッとくるのが、新人らしき輩が(研修がてら?)かけてくるわけですよ。もう、マニュアルの文例読んでるのがミエミエ、早口で話すな、とでも言われているのか、不自然にゆっくりと喋る。でも敬語ダメダメ。「ちょっと、よろしいっすかぁ」みたいなね。この手のが食い下がってくると、ついついキツいことを言って切ってしまうんだけど……いや、最近は向こうから切りやがるんだよな。余程私の言い様がキツいのか。

そういうのを聞く度に、ああ、あいつ、他にもっと向いてる仕事あるんじゃないのかなあ、あん仕事しなければ食っていけないのかなあ、それって幸せじゃないよなあきっと、私がひどいこと言うみたいに何人にも罵声を浴びせられて、心がどんどん磨り減っていっちゃうんじゃないか、とか思ったりもする。しかし、仕事時間をこれに奪われるこちらも心が磨り減るわけで。これはやはり、世の歪みなのかなあ、とも思ったりする。気弱で断れない奴捕まえるまでかけ続けさせられるんだろうなあ。色々な意味無駄仕事だよ。哀しい。

2020-01-15

夢を見た

せっかく寝たのに、エモーショナルな夢を見て目が覚めてしまったので記録しておく。

俺は両親と何らかの閉鎖環境暮らしていて(恒星移民船みたいなSF的なやつ)、細部は思い出せないが、とにかく、居間には高そうな小豆色の革張りのソファ車輪が付いているらしく自律移動する)がたくさん置いてあって、死期の近づいた人間はそれに乗せられて別の部屋に運ばれて行き、やがて死ぬと部屋が過熱して死体が「消え」てソファけが生活空間に戻ってくる。たぶん死体リサイクルされてる設定。

その部屋は、他の部屋と繋がっていて隔離されているわけではなく、入り口からなんとなく中が覗ける。俺は、そうして祖母を乗せたソファが部屋の物陰に入った後に部屋が加熱して、何も乗せていないソファが戻ってくるのを眺めていた。

何とも言えない気分になりながら祖母を載せていたソファを眺めていると、それを見ていた母親が「それじゃソファ拭こっか」と提案してきて、頷いたあたりで目が覚めた。

何でこんなシドニア未来少年コナン火葬場が混ざったような夢を見たのか分からないが、これが年老いた親戚に「自分の見ていない所で面倒をかけずに居なくなって欲しい」という深層心理の表れだとすると、我ながら薄情なやつだなぁ、という感を禁じ得ない。一方でその光景に強いショックを受けたのも確かで、人間がなぜ葬式という儀式必要とするか分かったような気がした。

あと、自分の中の母親が、誰に対しても気遣いを忘れない人間として認識されていることに驚いたりした。正直、普段はその気質を過剰なものとみなしているのだが。

ちなみに、現実祖母はピンピンしている。長生きするのではなかろうか。

2019-11-27

お金ないので小豆缶と食パン買った

大福買おうと思ったけど金ないのでこうした。

2019-11-16

ばばあ→おばあさん

アミダおばあさん

砂かけおばあさん

まんゆうき 〜おばあさんとあわれなげぼくたち〜

アルゼンチンおばあさん

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