はてなキーワード: 小豆とは
「この持ち方が正しいのは箸が食べ物を掴む食器としての役割があるからだ。その持ち方で支障ないって言ってるが、それじゃあゴマや小豆をつまめないだろ」
「そのあたりは掬い上げるような取ればいいんすよ」
「そんなことするんだったらスプーンでいいって話になる。刺し箸で食べる奴もいるが、それもフォークの方がいい。逆さ箸や合わせ箸とかだって衛生的に問題があるからだ。マナーとかそういうのを抜きにしても分かるだろ」
正しく持てている側だからポジショニングトークをしたいわけじゃない。
箸に限らず正しいのには理由があるが、個人的に無視していいこともあるだろう。
けれども“無視していい前提”で語ってくるなら、それはさすがに違うと言っておかなければならない。
でなければ、まるで正しい側が間違っていると認識されかねない。
「確かに、カジマのその持ち方は箸の機能をロクに使えていないね。数ある食器の中から箸を使う以上、ロクに機能を活かせていないのは合理的じゃない」
「それにマスダは作法を抜きにしてもと言ったが、実際は作法も大事だぞ。もし親戚が亡くなったとして遺骨を壷に入れる時、そのクセだらけの持ち方で本当に支障がないと思っているのか」
「えー、味方がいない。タイナイとウサクもそこまで言えるほど上等な持ち方じゃないっしょ!」
「まあ、それは確かに」
「む、よほどのことがない限り、他人にとやかくいわれる筋合いはないぞ」
「この持ち方は僕らの勝手だ」
「おいおい……」
でも直さずに生涯を終えられるなら、それはそれでいいとも思っていたりする。
たまに指摘された時にブーたれて切り抜けられるなら、そっちの方が遥かに楽なんだ。
だから“そんなの個人の勝手だろ”とか、“他人にとやかく言われる筋合いはない”と便利な言葉で突き放したがる。
「箸の正しい持ち方を教育したり、喚起したりするのは抜本的ではない。正しく持てていない者が現状たくさんいるのだから、システム側が現代の人間に合わせるべきだ」
「……なんだか含みのある言い方だな」
「だって個人レベルの問題を大局的な施政から解決しようってのは、むしろ遠回りだろ」
それに、皆やいのやいの言う割に“最も大きな理由”を隠そうとするのもヤキモキした。
「今さら箸の持ち方を矯正するのは面倒なんだよ」って言いたがらないんだ。
改めて考えてみると、俺たちティーンエイジャーの段階で1万8千回くらい食事をしていることになる。
その内の何割くらい箸を使っていたかまでは分からないが、1日に1回は使っていると見積もって約6千回。
いざ箸の持ち方を矯正するにしても、この6千回を取り戻すのは生半可なことではないだろう。
これの意味するところは、身も蓋もないことをいえば“面倒”という言葉に集約される。
だけど彼らがその言葉を使わないのは、それでは罷り通らないであろうと思える程度の通念はあるからだ。
事故で指を失ったとか、のっぴきならない事情で出来ないとかではない。
ただただ使いこなすのが難しい、今さら矯正が面倒くさいから、そのままでもいい理由にすがるんだ。
今更も今更だけど、凄い。嫌味抜きで尊敬する。語彙力がないので申し訳ないがネットミームで賞賛させてもらうけど行動力の化身としかいいようがない。
自分は増田で叩かれがちなので普段は明かさないけど人文学を専攻して研究者になりたいと思っている者なんだけど、一番やりたいテーマが「愛されるということの社会的価値」なんだよね。で、一番注目してるのが「愛されたい男性」だからこのエントリを見て猛烈に感銘を受けている。
男性の愛されたいってイコールで性欲で結ばれやすいし実際それが満たされればおおむね愛を求める部分も満足してる人も結構いるっぽい(もしかしたらそう思い込んでる人も交じってるかもしれない)んだけど、最近バ美肉おじさんとか見てると「愛されたい気持ち」が可視化されててすごい魅力を感じる。別に性欲が悪いっていう気はさらさらないけど、男性の「愛されたい気持ち」もそこにざらっとまとめちゃうのはすごく勿体ないと思う。どっちがいいじゃないけど、コーヒー豆の中に小豆混ざってるけど気にしないの、双方に対して勿体なくない?分別した方がよくない?って気持ちに近い。特に自分はこのコーヒー豆に例えた性欲のことはそこそこ好きくらいで、小豆に例えた「愛されたい気持ち」の方にすごい興味があるから貴エントリに出会えてうれしいので勝手にお礼を言います。ありがとうございます、また吐き出したくなったら吐き出してくれるととても嬉しい。見つけ出せるように頑張ります。
懐中しるこはいざ食べてみるとそんなに美味いものだとは思わないのだが、冬になるとなぜか食べたくなってしまう。お椀の中に入れた最中の上から熱湯を注いで、皮がふやけた頃に箸で潰して食べる。最中の皮を口に入れると舌の上でなんだかヌメヌメして、この感触を味わうと、急に冬が来た感じがするのだ。
そんなことを思い出しながらアパートの自室でお椀に懐中しるこを入れて、お湯を注いでいた。最中の皮と小豆の粉の香ばしい匂いがすぐに立ち上ってくる、と思ってお椀の上から匂いを嗅ぐと、ずいぶんスモーキーな香りがする。コーヒー豆を焙煎していてもこんな香りにはならないはずだ。どこかで誰かがゴミを燃やしているような。
外で誰かが叫んでいる。窓を開けて道路を見下ろすと、道に立っている男性と目が合う。こちらから見て右手を指しながら、カジ、カジと繰り返している。
指差す方角を見ると、黒い煙が立ち込めている。というか、二件隣のアパートから煙が出ているらしい。
スマホと仕事用のPCと、そのへんにあるものをリュックに詰め込んで、コートを来て外に出ると、煙で周囲が霞んでいる。
木造アパートがこんなに早く燃えるとは知らなかった。建物全体が炎に包まれて、内部でしきりに何かが弾ける音がする。消防車が着くと直ちに放水を開始したけど、なかなか火の勢いが弱まらない。
警察が来て周囲を封鎖したので、自室に戻れなくなった。集まってくる野次馬に混じって消火活動を眺めるくらいしかやることがなかった。煙を吸ったせいか少し気分が悪くなった。
ツイッターで検索すると、ニュース速報がすぐに出てきた。ヘリコプターで上空から消火活動をとらえた映像を見ていると、なんだかすべてが嘘っぽく思えた。
奇跡的に焼け残った自分の部屋に戻れたのは結局2時間以上経ってからだった。何もかもが焦げ臭い。懐中しるこはすっかり冷めて、お椀の中で泥のようになっていた。
出火元のアパートは全焼した。住人は今夜どこで寝るのか。ごめん、家が焼けちゃったから今日泊めてくれない?と頼む状況は現実に発生するのだろうか。
翌日、Yahoo!ニュースに載った記事を見ると、どうやら放火らしかった。
またツイッターで検索すると、焼けた建物は、近所に本部があるフェニミスト協会の合宿所だと言っているアカウントが見つかった。合宿所がどういうところなのか見当もつかなかったが、たんなるアパートではなかったらしい。いままで何も知らずに前を通り過ぎていた。
この放火は、先日、百人町であったフェニミスト連合の拠点爆破に対する報復だと指摘しているアカウントも見つかった。
最近、フェニ連とかフェニ協とか似たような名前を見かけるけれど、それが何をしている団体なのか、なぜ争っているのか、よくわからない。自分は日本で平和ボケしているのだろうか。これほどの強烈な悪意と敵意を持って暴力の応酬を続けている団体が近所にあったことに、ちょっと実感が持てないでいる。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。
20代前半女、身長158センチ、体重41キロ、体脂肪率14パーセント
親族はほとんど似たようなガリガリで、完全に遺伝っぽいんだけど食っても食っても体重が増えない。
寧ろ年々痩せていってる。ヤバい。
肋骨もゴリッゴリに浮いてるし、腕なんて骨と血管が気持ち悪いくらい浮くのでゴツい。
絵にかいたような不健康体なのに、周りには細くて羨ましいと言われる。
私はダボダボのパーカーとかのゆるっとした感じの服が好きだが、
私が着るとアイスバーみたいになる。
ハイウエストのジーパンは、ベルト通さないと腹回りが緩くて下げパンみたいになる。
この体型の1番の悩みは服が綺麗に着られないこと。
着たい服が綺麗に着られないのが本当に辛い。
栄養士やってる友達の指導の元、食事週間の改善をしばらく続けてたけどダメだった。
プロテイン飲んでひたすら寝ると太ると聞いたので試したけどダメだった。
栄養の吸収率が悪いのかもしれないからと教えてもらい、ビタミンを摂取してみたけどダメだった。
他にもこれやるといいんじゃない??って聞いたことはだいたい試したけど全部ダメだった。
食事は食べることが好きなので人並み以上に食べるし、
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
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その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
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もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
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みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
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だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
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その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう
みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
たしかに宗教的かなとはおもうけどその情報の集合体であるご本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい
手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
いつもたまにしょっちゅう行って最近は全然行けてなかった焼き鳥屋さん。
久しぶりに行ったわよ。
そんでね、
おかわりしたいぐらいよ。
で冗談でおかわり!って言ったらおかわりできました。
こういう小鉢で実力が発揮される飲食店って凄いわね!って褒めたら
ここは普通に凄いでしょってこっちの話に乗ってほしいものだけど、
私もそのレトルト買って食べたいわって思ったけど、
きっとレトルトジプシーの美味しいレトルト食品を探す旅に出たら、
いつか出会えると思うし
ところでさ、
三千里と500マイルってどっちがザアルフィーだったかしらと思う反面、
最近はもうあの時間帯のアニメなんて見てなくて何やってんだろうな?ってラインナップが気になるけど、
まあ私は今日のランチしか楽しみがないって言うのが最近の唯一の楽しみだってことも
ちょっと悲しいわね。
早くランチに行って何食べようかと食券機のメニューを眺めたいものよ。
パスタ屋さんで食券機とは珍しいけど、
一定数でいる、
食券機が使えない人がいて、
人間観察があるんだけど
何も観察してない人多くない?
そんな人間観察をしていると、
食券機の前に来たら
ものの3秒で諦めて考えない人が多いのよ。
考えようともしない、
間違っても良いじゃない!人間だものの相田先生を彷彿とさせるんだけど、
その人の後ろに行列を作ったら駄目かも知れないわねさすがに。
ある人は、
たくさんボタン押して、
全部買っちゃって、
残りの食べない食券を大量に返金処理させて、
現場には緊張感が走るけど、
その人はアハハって笑ってるのが逆に怖いわ。
食券機の前はドラマが一杯すぎて、
不安になるわ。
考えるとは辞めたくないなって
常に考え続ける人間になりたいな!って謎の教訓を残しつつ、
気付いたらもうこんな時間よ。
まったくだわ。
うふふ。
シャキレタサンド。
私なりに略してみました。
ぜんぜん世間に浸透してないのが残念だけど、
今思い付いていったので、
浸透も何もないわよね!
グレープフルーツをピンクグレープフルーツの方を2玉ほど買ってきたので、
1つを半分にして搾って、
もう1つの半分の方も搾って、
要は1つ分のピンクグレープフルーツウォーラーよ。
半分だけ残ってても仕方ないわよね。
炭酸水でも良いし、
ボトルに汲みおいている冷やしたお水でも良いし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
女の子をヒトカリしてきてハルウリさせて反道徳的なことをなんやかんやして遊ぶゲーム。
メインの原画は魚介(小野妹子)が描いているようだが、ユニークヒロインという特別なキャラクター(エロ有り)の絵はイラストレーターが多数登用されている。
ドーナドーナ いっしょにわるいことをしよう | アリスソフト
https://www.alicesoft.com/dohnadohna/
しのづかあつと さくやついたち 小豆TANK BLADE てつぶた FBC INO 黒本君 竜太 サガノユウジ
お絵かきマンが、自身が担当したゲームの宣伝をTwitterでしているのはよく見かけるが、関わってないエロゲを取り上げているのはだいぶ珍しい。
このゲームは11月27日に発売されたばかりで、発売日・翌日あたりにタイトル画面のスクショやパッケージ画像が流れてきていた。