はてなキーワード: 中途半端とは
今の政権にオリンピックをやめさせるには、結局①都民多数が変異株に感染して②都議選で自民・公明が壊滅的に負けないことには不可能なんじゃないか、と思うに至った。
マスコミの無力さ加減は安倍内閣時代から露呈していたけど、菅内閣に至っては「どうせ国民はデモも打てない無気力集団だから世論調査も無視して構わん」「国会で論破されても怪我ひとつしない」という教訓を学んだらしく、彼らの進路を変えるすべはほとんどないのだ。
まして、はてブが世の中を動かす力などほぼゼロだ。
しかして、主に若い都民の皆様は辛抱生活に耐えかえてあちこちで暴発し始めているらしい。明日以降、感染危険性の高い振る舞いが都内において加速することは必定だろう(望んでいるわけではないが)。
あとは都議選だ。
石原慎太郎を都知事に選んだ集団が理性的な判断をするとは期待していないが、政権がオリンピックを遂行するためにどれほど無茶苦茶をやっているかの一点でブームが起きれば、雪崩的な選挙結果は十分起こり得るだろう。
都議選は中選挙区制だから十分な対立候補が出なければ議席に反映しないが、今回は共産党のターンだと思うので想像以上の地殻変動が起こる可能性はあると思う。
都民ファーストだかライトだかという集団が絶滅危機に瀕しているらしいが、選挙はワンイシューで勝てることもある。小池知事を見限って勝負に出る価値はあるだろう。あとなんか中途半端な野党がいるらしいがそれは無視してよい。
それやるならやっぱり画面外の情報としての音は滅茶苦茶重要じゃん?
そこがすげー出来が悪いというか手抜きなので「これはいったいどれぐらいのリアリティラインのものとして観ればいいのだ?」って疑念が生じる。
まずしばらく聴いてると、
「教室の外の状況がどうなってるか」とか音から情報取ろうとか想像しようとかするだけ無駄なんだなってわかっちゃう。
そうするとこの後どういう展開が来てもそれはちゃんと情報提示してないズルだし
そもそも大した展開が来ないのではって嫌な予感がしてきちゃう。
次に、
一直線に外に逃げ延びた奴もいるはずなのに
モタモタと教室に逃げ込んでしばらくさまよってた主人公の通報が第一報ってありえないやん?
「ああそういうリアリティのレベルなのね、そこをちゃんと考えない作り手と受けての映画なのね、はいはい」ってなる。
で隠れ方も不真面目でさあ。
あの隠れ方でどういうチャンスを期待してるのかわからないけど
教室のドア開けてそこから一望して「いねーな」って帰ってくれる場合のみ助かるけど
それならあの目立つ色の頭を机の上に出すんじゃねえと。もっと身を低くするか寝ころべと。
そういうとこすらちゃんとやってくれないので
もしかしてこれはそういうリアリティは全然追求してないものなのかな?ってなってくる。
同じ状況に遭遇中の友人に電話してくるって意味ないしやたら余裕あるしマジで何?じゃん。
これは友達じゃなくて姉妹とかで、トビアスって言うのも兄弟だったりするのかって思うのは
そうじゃなかったらこの情報なんなんだよって言う悠長さだからなんだよね。
親との会話が始まるのも「お前が贔屓してた他の子はみんな死んだぞ!」みたいな話が始まる(それもだるいけど)のかと思ったら
特にそう言うのもなく、オーディション受けに来た?やつの話も何の関係もなく。
・見せたいのは何?
ってなってるうちに「ああこれマジでどんでん返しとかなくこれだけなんだ…」ってなって終わる。
見終わったら一応一番の焦点はこの親子の確執の話なんだね。
集中できないし情報薄いけど。
「これは何か主人公が気付いてない恐るべき状況なのか??」と最初は思ったけど特にそんなこともなく作りが雑なだけで。
警察が突入してきてるのに乱射魔があんな悠長なことやってるのもわからないし
乱射魔はでかい銃振り回して走り回ってるはずなので騙そうとしたって一目でわかるはずだし
それどころかあんな風に落ち着いた呼吸で現れられる人間があの学校にいるわけない(一般生徒でも乱射魔でも変)のでもう純粋に変だし
あの中途半端な犯人のだまし討ちと親子の会話とどっちを焦点にしたいのかまたわかんなくなるし
不自然な友人からの電話はこれをやりたかっただけかーいってますます萎えちゃうし
アイデアと試みは良かったけど最低限が出来てないし要素もとっちらかってるよね?
1.音をちゃんと作ってリアリティラインをガン上げして迫真の臨場感と恐怖を与える
2.リアリティラインをもっと下げて臨場感なくして抽象的&お芝居っぽくして親子の話にきちんと焦点を絞る
3.犯人は顔見知りのうちの誰なのかというサスペンスをきちんと作ってメインディッシュにする
どれかにしてくれと言いたい。
主人公あの隠れ方で後から来た女にも犯人にも見つかってないので
この映画はリアルなスタイルではなく実は能みたいに見てほしいものなのかな?って捉え方をするなら2にいったらいいしね。
そういうことをしたかったのかね?
ラストシーンとか凄い雑に見えるの、普通に作りが雑なだけなのか舞台から降りてるって意味なのか、悪い意味で判断つかない。
最近優秀であることを目指した先に何があるのか自分には何も見えなくなってしまった。
ここまでは皆が耳にタコができるほどよく聞いた話だと思う。でも吐き出す場所が欲しくて書いてみた。
ただ自分の場合は上位互換がいるせいで自己肯定感がなくなってしまい、メンタルがやられた、とかそういう話ではない。
上位互換という考え自体が社会構造や雇用形態に囚われてる考えなのではないか、という認識から自分の幸せがわからなくなった。
物事や事象はただ”ある”だけだが、それに対する社会や文化が良い・悪いと言った評価をつけていると考えている。
いや、今改めて考えると事象や物事というくくりさえ、広義的に文化的な考えに囚われているのだと思う。
そう考えると、自分の幸せはどこに有るのかわからなくなってしまった。
お金をいっぱい得られれば幸せなのか?わからん。人から褒められたら幸せなのか?わからん。
例えば生涯趣味も何もなくてお金を使いたい対象が見つからなかったら幸せとは言えないと思うし、当然お金ですべての幸せが手に入れられるわけではない。
人生にも物事そのものにも意味はなくただあるだけであり、自分が楽しくて満足できればなんでもいいと思っている。要するに楽しんだもんがちということ。もしくは不満や不幸を感じないのも幸せと言えるかもしれない。極悪犯罪者だったとしても、それが社会的にどんなものであれ幸福を感じたり納得できるのであれば、空虚な人の人生よりよいものだと思う。
自分の幸せは自分ででしか定義できないというのが私の気持ちだが、それによって幸せや生きるモチベーションを見失ってしまった。
つまり中途半端に主観を重視する観点を得たことで、客観的・社会的な要素が組み込まれた幸せに頼れなくなってしまった。
今までは優秀になっていっぱい稼げればとりあえず幸せになるだろう、みたいなふわふわした感じで、社会的な要素が自分の主観的な幸せに入っていたことに気づいて居なかった。
しかしそれに気づいてしまった私は、幸せになるために以下のいずれかをしなければならない。
2. 自分の幸せに再び社会的な要素が組み込まれている状態を認識しなくなる
3. ここまでの思考の背景を改める
昔は理解できなかったが、”自分探しのたびに出る”人は1番を解決したくて、旅に出ているのだと理解してる。もし解釈違いだったら教えて欲しい。ちなみに自分も1番で解決したい。ということで幸せがわからなくなってしまって、何のために生きたらいいか分からず現在とても虚無という現状をまとめた記事が以上。主観には社会性が含まれてしまっているので、自分の心の”衝動”に今後耳を傾けていきたい。今の所全然聞こえないけど。
スピリチュアルなことを書いてるとよくわからなくなってくるので、怪文書になってたらごめんなさい。
参考にするためにも是非教えてほしい。
最近というかここ1年位、もの凄く自分が嫌で嫌で消えてしまいたいと思う事が増えた。
そんな事で周りと比べるな、自分だけの良いところがあるでしょう、という言葉をかけられることもあるけれど、嫌でも複数の人間が集まるコミュニティで交流しながら日々過ごす中で、そんな自分を肯定的に捉えることが出来ない。
自分は本当に性格が悪いというか大分ひねくれていて面倒な人間で、周りの人に相談すると幻滅されるんだろうな、というような事を考えていたりする。本当に最低である。
自分で「自分は性格が悪い」と言うのは予防線を張ってるみたいであんまり良くないのだろうけど。
かつての同級生や友人が学校を中退して家庭を持って幸せにしているのを見ると、素直に「おめでとう」と感じる自分と、嫉妬に近いようで、憧れはしないよく分からない感情が湧いてくる。
今でいえば「コロナかかりたくない」と言う割に頻繁友人宅や外に遊びに行ったりするのを見ると「どの口が言ってんの」と思ったりする。
メンタルを病んだ友人に表面上は優しい言葉をかけるけど、心の中では「そういう事をするからそうなってるんじゃないの」なんて思っている。それは自分にも言えることなんだが。
歳を重ねるごとに、比較的恵まれた環境で育ってきたんだなと思う機会も増えた。
でもそれに伴って周囲の友人の非常識な部分が目につくようになってきて、嫌だなと思う機会も同時に増えた。口には絶対にしないけれど。
もちろん、他の人から見た時に私も非常識だと思われる事もあるのだろう。
でも結局周囲を見下している。本当に最低だ。
周囲の人にもそれぞれの価値観があって同じ場面でも受け止め方が違うというのも分かっている、つもりなのかもしれない。
ずっと友人が少なくて、まだ交流のある友人も本当に限られていて、今この人との関係を絶つと、その友人グループを抜ける事になるんだろうなと思い、ズルズル付き合っていたりする。顔を合わせる機会は少ないけど。
育ってきた環境も学歴もなにもかもが本当にバラバラなグループだから違和感があるのは当たり前なのだが。
正直に思ったことも言えず惰性だけで続けてるような関係いつまで続けるんだろう。
この感情について考え始めると、いつも考えがまとまらなくてモヤモヤとした気持ちが積もり続けているような気がする。
あまりメンタルがガタッと落ちるような性格でもないので自分では何ともないと思っているけど、本当はどこかで崩れそうになってるのかもしれない。
勉強がとても得意なわけでもなく、何か特別得意なことがある訳でもなく、コミュニケーション能力も優れているとは言えない。そんな自分なのに周囲に不満を抱いてばっかり。
こんな最低な事言える人いない。親にも恋人にも口が裂けても言えない。今すぐ消えたい
消えたいと言いつつも自分には甘いから決断もできない。最悪だ。
自分自身にコンプレックスとよく分からない自信を中途半端に持っているから、卑下したり周囲を見下したりするのがずっと止まらない。こんな醜い自分を受容出来なくてずっと辛い。いつまでこんな事言ってるんだろう。普通の人間になりたい。
与党も野党もダメとなったらあいつらの議席が増えるぞと両方にプレッシャーをかける
他の野党には絶対にないあの党の存在意義って、元々そこにあったんじゃなかったの?
そこ放り投げて連立に色気出しちゃったら、もう名前が共産というだけの普通の野党のひとつでしかない
もちろんそうするのは彼らの自由だけど、路線変更したということはもっとはっきり言ってもらわないと困る
協力するのかしないのか、志曲げてでも連立に入るのか入らないのか、そこを曖昧にしたまま中途半端にフラフラするのは虫がよすぎると正直思う
閃光のハサウェイが売れた事に対して、FGOのイキリオタクが喚いているが、そこまで面白くなかったやないか。
中途半端なストーリーであれで何を楽しめというのかわからんわ。
FGOはサービス開始時からずっとプレイしてるし、楽しみにしていたが、正直期待はずれだったわ。
じゃ、閃光のハサウェイはっていうとつまらなくないが、面白すぎるということもなかった。
というのも、MSの質量感が足りない。なんか重みがないんだよなって感じ。
こっちはあまり期待してなかった分、そこそこ楽しめた。
やっぱ期待すんのはだめなんやな。
野球ファンには憤慨する話だと思うのだけど、野球素人が試合をみていると「なんでベースを移動する際に攻撃側が走るのだろう」って疑問に思った。
単純に野球が複雑で危険な競技なのは、走者があるからではないか?攻撃陣はあくまでもバットを用いてボールを打つことしかせず、走者もおかずに塁移動だけが何らかの表記として機能すればいいのではないか?塁に進むときはその場所にマーカーなりを付けて置けば良い。プロ野球ならデータ上で表記してしまえればいいのだからとても簡単だ。もしも塁に人を送っても、走る要素自体を無くすという手もある。ちょうどボードゲームの駒と同じ。ボードゲームで「駒に走らせる」ってあまり聞かないよね。
これにより走者、守備側の接触リスクは極端に減る。また盗塁など多くのルールが簡略化でき、より多くの人に理解しやすいシンプルなスポーツになりそうだ。
こういうと「野球で走らないっておかしいだろ」という人がいそうだけど、そもそも足腰鍛えても実践で走らないスポーツは多いと思う。常に動き回るだけがスポーツではない。野球はどちらかというと長丁場で待機することが多いのだから、実は走者などの要素を抜かしても問題ないのでは?
それは野球にアラズってのは確かにそうだけど、素人目線からすると野球は中途半端で時代遅れなので、そういう新しい方向も取り入れて欲しいな
この文章を書いている今、かつてなく自殺企図の情動が高まっており、それでもなおそれを完遂することへの恐れから、今なるべく頭の中を冷静にして考えたことを書き留めておこうと思い、手を動かしている。
自殺未遂自体は、10年近く前にやったことがある。部屋に一人の状態でベルトで己の首をゆっくり絞めていき、「落ちる」ところまで行ければあとは死ねると思っていたが、結局自分でリミッターを外すことはできなかった。あとは、家にある薬状のものをとにかく全部飲むというのもやったが、たくさん飲めば死ねるような薬はなく、薬効どうしの食い合わせで運よく死ねるということもなかった。私は所詮その程度ですが、こんなのマウントを取り合いをするものではないと思う。
処方された薬は自分の判断で勝手に飲むのを止めてしまったが、少なくとも今日までは自殺することなく生きてこられた。自殺チャレンジばかりを考える日々から脱却できたきっかけははっきりとは分からない。グラデーションに近いものだと思う。そしてそのグラデーションは真っ白な状態に戻ることは決して無いだろうと感じる。初めて本当に死にたいと考えた日から今日までずっと死のことを意識してきた。下手な例えだけど、シャッフルされた山札から1枚ずつドローしていくうちに「死」を引いてしまったのが10年前で、それ以来ずっと手札に「死」を持っている感じに近い。手札に「死」を持っている状態に慣れていったことで、逆説的に今日までそのカードを使うことなくやってこれたような気がする。
少し話は変わるが、私は私が「自殺したい」と考えていることを他人に表明することをひどく恥ずかしく感じる。そのことを他人に話してしまえば、それは暗に「止めてほしい」ということを意味し、結局のところ本気で死ぬ気はないのだと始めから自己矛盾が露呈してしまうからだ。したがって、本当に死にたいと思うときに私は沈黙するしかない。実際この文章を書くまではそうしてきた。
なるべくキーを打つ手を止めないようにするため、文章の構成を考慮せず思うままに書くことにするが、ご容赦いただきたい。
「自殺をしてはいけない理由とは一体なにか?(あるのか?)」という倫理的・哲学的問いがある。よく答えとして挙がるのは
①生きていればまだ良いこともあるから
といったところだと思う(「自殺するには苦痛を伴う」というのは積極的に自殺を選ばない理由ではあるが、自殺をしてはいけない理由ではない)。
私はこれらのいずれも失当だと思う。
①生きていれば良いこともある
下らないことを言わないでほしいと私は思う。そりゃ良いことも悪いこともあるだろう。でも結局人生における良いことと悪いことの総量を比べることはできないし、最後には誰もが死ぬのである。なぜそれが今ではいけないのか。人生における最後の幸福を味わったら後は死んでもいいのだろうか。少なくとも、死にたい気持ちを自覚し、それを何度もやり過ごして生きてきた人間にとって、残りの人生は死にたい時間とそれをやり過ごしている時間の繰り返しでしかない。
②残された人が悲しむから
実のところ、身体的苦痛へのためらいを除いて、これまで私を自殺させなかった理由の最たるものである。幸いにも、私は家族に恵まれたと思うし、私が自殺した後の家族の気持ちを考えると涙が出そうになる。しかし、実はそれを私が気にする必要はない。なぜなら、実際に自殺した後に悲嘆に暮れる家族の様を「悲しい」と感じる主体であるところの私はすでにどこにもいないからである。悲しいと感じるのは残された者の気持ちを考える「今のまだ生きている私」であり、その意味で身体的苦痛へのためらいと同じだ。
少しそれるが、現行刑法だって自殺を殺人には当てはめていない。自分の保護法益である生命を自分が終了させたところで罪には問えないからだ(容疑者死亡のため起訴できないというのもある)。
したがって、突き詰めれば、②は(残されることになる)私が悲しいから「自殺してはいけない」ではなく「自殺しないでくれ」というお願いでしかないというのが正しい。
死を選ぶことは本当にいつでもできるだろうか。中途半端なためらいがなくなったあの瞬間に人生を終わらせておくべきだった、そうすれば今の苦痛を味わうことはなかったのにといずれ後悔しないだろうか。少なくとも私はいま後悔している。10年前に死ねていれば今日の苦痛はなかった(10年間の喜びも無価値だったのかと問われれば、少なくとも今の苦痛に釣り合うものではなかったと答えるでしょう。死にたいときは常に)。
「死」は切った時点でほかの全ての選択肢を失うという点で最後のカードだ。でも結局その理論は①の理由に行きつく。それは「自殺してはいけない理由」にはなりえない。
私が敬虔なクリスチャンであればこれほど強い理由はなかったろうと思うが、私を含む非キリスト者には全く通用しない。結局なにがしかへの信仰しか救いにはならないという気がしている。
こんなことを平気で言う人間とは関わらない方が良いですよ。
つまるところ、やっぱり自殺してはいけない理由なんて無いんですよ。
どれも思いとどまらせるための方便でしかなくて、あとは本人がするかしないかの判断があるだけ。
ここまで書いたところで紛れていた衝動の波が戻ってきた。
ところで私は家に包丁を置いていないのだが、その理由を人には「私は自炊しないので」とへらへら語っているが、実際の理由は衝動的に自分に使用しないためである。今は刃を己にめり込ませたくてたまらないので、平時の私の判断は正しかったのであり、その正しさを心底憎悪する。
夫は夜勤で深夜まで帰ってこない
暇を持て余していたのでちんちんを作ることにした
在庫が中途半端なので薄ピンクと茶色の毛糸を適当にまぜて形を作るも、混ぜ方が下手すぎて薄ピンクベースに茶色が入ったマーブル模様のちんちんができた
形ができて満足し、数時間後に改めて見ると何かが足りない、チン毛だ
適当に黒い毛を乗せて軽くくっつけた
率直にグロい
テーブルに「作ってみた!」という置手紙とともに羊毛ちんちんを置いて寝た
深夜に帰ってきた夫はかなりビビったらしいが、そういう時に限って私は爆睡してしまっていた
反応を見たかった
悔しい
初期段階のものでもドンドン興味をもって取り組んで、黎明期のスピード感を体験しつつ熱が冷めたらさっさと違うものに移っていけて羨ましい。
単に飽きっぽいのではなくて、中級者程度までは楽々進めるしそこからの見切りも格好いいところがある
確立された趣味やジャンルでもいきなりトップスピードで吸収するから恐ろしい
能力があるから初歩的な部分はさっさとクリアできるので、よくある初心者本を買っただけで終わる人とは全然違う
少し進んでから自分に合ってるかどうかで継続性を判断できるので一定の経験値も得られる
効率厨と揶揄されガチだけどそんなの振り切れるスピード感と探究心と好奇心があっていいよね
単に趣味が多くて中途半端って人ではないし、同じジャンルにただ居座ってるだけの人でもない
与えられたお仕事に文句言うだけなら簡単だろうけど、じゃあそれをしっかり上の人間に説明してみろよ。クソが。
つーか同じようなミーティング何回も繰り返して、やっと3-4回目で懸念点出てくるなら意味ねぇだろ前半の時間。なんだよ今更『これって本当に必要?』って。一週間前に言えや。なんでミーティングしてんの?
ミーティングも無駄なのばっかり増えてきてるし。やっぱ普通の会社である程度決められた仕事の進め方とか知らない野良みたいなもんだからな。しょうがないよ。
とりあえず型にはめてやればいいのに、なんか中途半端にあれこれ試して無駄にしてるし。そのくせ仕様に関してはいっちょ前に『無駄なものはそもそも作りたくないよー』だって。あほくさ。
スクラムでやるならその型にはめてやりますって押し通せよ。そうしないといずれ崩壊するんだからこのまま引き続き。全然合理的じゃない。
俺がやれって?結局開発リソースがすべてだからオレが口をだせるところじゃないよ。言ったところで『それはエンジニアが考えればよくない?』って。アホか。なんかもう疲れたなぁ。
外注先もクソ見てぇなクオリティで毎回だしてくるし。それで金取れると思ってんのか?まじで。俺らにできねぇことができると期待してプロに依頼してるんだから、俺らができないレベルの仕事をしろよ。
タイトルのまんまです。
自分はアラサーのフリーターでしたが、今月頭から仕事に行けてません。別に職場環境が良くないとか、上司が怖いとか、残業が多いとか仕事内容が大変とか、そういうのは一切ないけど行けなくなりました。転職したばっかで、別の職場に変えるとか、前の職場に戻るとか、そういうことをしても行けるようになる気がしない。
前の職場も、長いこと(とは言っても二年半)勤めてましたが、大晦日に突如体調というか精神のバランスを崩して一月半行けませんでした。去年の4月頃から一月ほど緊急事態宣言を受けて休業してましたが、その休業がなかったらたぶんその時も行けなくなってたと思います。たった週4日、たった5時間や6時間のシフトに行くだけでも日々しんどかったです。でも、やっぱり理由はわかりません。
前職の前は2年間ニートでした。ニートというか療養中という肩書きを背負った家事手伝いのような感じで、できる範囲で家族のご飯を作ったり買い出しに行ったりしていました(言い忘れてましたが実家暮らしです)。新卒で入った会社がブラックで、その次にバイトで入った会社で、良くしてくれていた子持ち既婚者の異性の上司がどんどん距離を縮めてこようとするのがどうしようもなく怖くて病んで辞めました。その時の影響か、今も異性の上司という存在が怖いです。前の職場は幸いいなくて、今の職場も異性が居ないから選んだというのが理由のひとつにあります。
そもそも私は他人とコミュニケーションを取るのが得意ではありません。おしゃべりなので、もしかしたら他人から見れば得意なように見えているかもしれませんが、すぐに疲れてしまいます。なのに接客業をしていたのは、前述した以前の職場の上司やオフィスの雰囲気が怖くて、それよりはマシだろうと思ったからです。
周りのみんなは、そんな私に「大丈夫だよ」と言ってくれます。でも全然大丈夫じゃない。「良いところいっぱいあるから、だいじょうぶ」と優しい親は言いますが、良いところがいくつあっても、仕事に行けなきゃどうにもなりません。仕事に行く、という一見簡単そうなことが、私にとっては死ぬほどハードルが高くて難しいことなんです。
両親が私を物覚えの良い、標準的な見目の人間に産んでくれたので、仕事内容などを覚える上で困ったことは今までありませんでした。なんならみんな「よくできる」「優秀だね」なんて言ってくれました。でも、それでも仕事に行くのがしんどいなら、私は優秀じゃなくて良いから、何も気にせず淡々と仕事に行けるようになりたかった。良いところがひとつもなくていいから、ただ仕事に行ける人間になりたかった。
標準的に優秀でも、引きこもって何かを成せる程秀才ではありません。今更勉強し直すお金もありませんし、実務経験を積むにも仕事に行ける気がしない。中途半端に持っているだけでなにもできない。それならいっそ、何もできなくて良いから、ただ仕事に行ける人間でありたかった。
自分で自分の機嫌をとれない人とは結婚するなよ。一生、そいつの機嫌とりで終わるぞ。しかも、機嫌とりは、相当うまくやらないとダメだ。中途半端な機嫌とりは、逆に相手をイラつかせるぞ。
もう5番煎じくらいだけど、書きたくなったので筆を執る。
こういうところがいけないんだよなあとは思う。
増田でも満たせそうだがどっちかってえと読む方なんだよな。増田でも承認欲求満たせるかな?
今期放送のアニメとかを適当に消費してTwitterあたりに感想を書くだけで共感が貰える。こんな楽なもんはないよ。
重要なことは、どこか人が見てるところに吐き捨てるってところだ。
オタク的な深堀りや探求をしようとすると苦痛になるだけだからしなくていい。
この目的のために見たくもねえ定番コンテンツを消化しようとするから続かないのさ。
やりたいことは知識バトルでバチバチすることじゃないはずさ。なら、やることは決まってくる。
俺はバチバチしながらチヤホヤされたいから自分が生まれる前のクソ映画の消化してるよ。ああ。
ジャンルを間違ってしまったので反応が薄く、あんまり承認欲求は満たせなかった。
短期目標で1エピソード何字くらいってボリュームをきめて、毎日投稿できる量を書いた。
プロットと設定を大まかに決め、1話あたりの展開を前者に沿って、たまに外したりしてた。
液晶タブレットや左手デバイス、参考用の画集やらを買ったりするくらいは投資している。
俺がやりたいのは絵が描きたいんじゃなくて絵で承認欲求が得たいんだ。
だけど、そのためには手が早くないといけない。手が致命的に遅くなってしまったのでコスパは最低。
別にうまくなくていいんだが、中途半端に絵を描く人間やってるせいでうまくなりたいと思ってしまう。
あー、絵でバズんねえかなー。
練習が苦痛なら手先も不器用で運指もままならねえ。続くわけがない。
ちょっとでも内容についてぐぐったらトップに出る程度にはネットで有名になった。
細かく色々ジャンルはあるけど、自分の守備範囲のコミュニティで「しってるー」って言ってもらえる事が多くて満足している。
だが信じていて頭がいい連中を欺くには相当気合を入れて自分から騙す必要がある。
お仕事忙しいなぁ。
最近では事務所の中で堂々とYoutubeを見るようになったからさらに困っている。
LiSAがお気に入りなのか知らないが、うちの事務所では鬼滅の刃のなんかの曲がよく流れています。
やりたくない仕事はぶん投げ、
行先も言わずに好き放題外出、
うん。
まあ。
社長にも社長の人生があり、会社から引退することって社長の人生にとってはなにもメリットがないんだよなって気づけるようになった。
高校生の時。モテるかな、と思って。近所のハードオフで買った。コードを押さえられなくて挫折。ギターが悪かった、手が小さくて向いてないと自分の中で言い訳。家族に譲った。
アコギからの派生。ベンドが上手くできなくて挫折。まだ手元にある。
・イラスト
昔の作品にも詳しいとカッコいいかな、と思って。結局抜きゲーで抜いていただけ。
・バイク
大学生の時。旅を趣味にしたかった。中古バイクを購入。機械もいじれるとカッコいいかと思ったけど、メンテもそんなにせず結局あまり乗っていない。まだ手元にある。
社会人になりたての時。買ったばかりの頃は馬鹿みたいに撮っていたけど、設定とかを覚えるのが面倒になってしまって埃をかぶっている。あと、レンズが高い。
同上。ヤフオクで買って、モルトプレーンだけ中途半端に入れ替えたけどまだ一枚も撮ったことがない。
・登山
近所の山をちょっと登った。高い山に登るのは面倒くさい。高かった登山靴は埃をかぶっている。
・キャンプ
バイク旅のために買ったけど、結局家でダラダラしている方が好きなことに気がついた。道具はまだ持っている。
・タロット
覚えているとカッコいいと思ったけど、覚えるのが面倒くさい。本だけ何冊も持っている。
・映画
名作と言われる作品は知っておきたいと思ったけど、数が多すぎる。見たところで語れるほどの経験も知識も含蓄もない。自分の浅さに自己嫌悪。
覚えることが多い。本ばかり持っている。でも読んでない。
・筋トレ
継続は力なり。ただ自分にはその力はなかった。めちゃくちゃ量のあるプロテインだけ持っている。ジムも契約したっきりほぼ行ってない。勿体ない。
文章なら俺にも!と思ったけど、そんなわけなかった。形から入るタイプなのでMacBook Proなんか買っちゃったりして。むろん埃をかぶる。
指輪物語、十二国記、ラブクラフト、シャーロックホームズ、アガサクリスティ、館シリーズ、鬼平犯科帳、グイン・サーガ…全部挫折。根気が続かない。作者で読んでみようとしてもまず続かない。
・作曲
高いソフト買ったのに、何も生み出せてない。
・御朱印集め
外に出ないので、ほぼ白紙。
やる友達がいなかった。
思いつく限り書いてみたけれど、まだ有りそう。
こうして見ると、如何に自分が人からよく見られるために色々なことに手を出しているかがよくわかる。
自分はこれをやってます!って胸を張って言えるようなものがないや。
・裁縫
・盆栽
・家庭菜園
・天体観測
・釣り
・自転車
押しつぶされそうだ。
※追記
コメントを頂いて、いくつか思い出したので残しておく。皆さん俺のことよくそんなに分かるね。
色々教えてくれてありがとう。
カチャカチャカチャって素早く揃えられるとカッコいいよね。買って説明書を見ながら数回6面揃えたけど、今は部屋のオブジェになってる。
今の仕事が嫌いすぎて転職を考えた時に。本も買ったよ。やってないけど。
道を歩いていて、「この花は〇〇だね」って言いたかった。図鑑を持ってる。
・読書
積ん読って言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、結局根気がなくて読んでいないだけ。買ったことで読んだ気になってしまっている。自己啓発本とか、小説とか、詩集とか、図鑑とか、資料集とか。紙、電子問わず読んでいない、または読みかけの本が大量にある。
趣味と言えるかわからなかったから書かなかったけど、服もめちゃくちゃある。わかってもらえるかわからないんだけど、「定番」とか「一生モノ」って言葉に弱い。例えば、「このアイテムが欲しい!」ってなった時は一時的にめちゃくちゃネットやら雑誌で調べて、「これ買ったら間違い無いだろう」ってものを買ったら満足してしまう。たまに気がついて着るくらい。
・麻雀
ネット麻雀にハマって、麻雀牌まで買った。小手返しやってみたいな、と思ったけど手が追いつかない。あとやる相手がいない。
一時期通っていたけど、自分の身体の可動域の狭さにびっくりしてやめてしまった。
小説ダメならこっちだな、と思ったけどそもそも書けるようなネタがない人間がセンスを求められるこれらをやろうとしたところで、という結論に至った。
・競馬
このブームに自分みたいな人間が手を出してないわけないよね……。自分でも呆れる。
ダービーで800円、鳴尾記念で500円、安田記念で300円、エプソムカップで600円負けてるよ。
・ゴルフ
職場の付き合いで。クラブセットも持ってるよ。知人が「120に壁が…」なんて言っていたけど、そもそもそのレベルにも達していない。たまに職場でコースに出てもひたすらボールを追いかけてマラソンするばかり。
・料理
鉄のフライパン、中華鍋なんて買っちゃったりしてメンテを怠ってこげつくようになっちゃったり。調味料ばかり揃えてみたりして期限を切らしたり。自炊程度ならやっているけど、趣味なのかこれは。
・TRPG
これもやってた(やってないけど)。ソードワールド、クトゥルフ。ルールブックを買ってきて、キャラシまで作るんだけど「え、これ誰とやるの?」という疑問が出てやめている。オンセがあるのは知ってるけど、そこまでのバイタリティがない。
・データベースになろうとする。詳しくなろうとする。
ナンバリングタイトルやシリーズもののゲームを全部やろうとする(ドラクエ、FF、メガテン、ポケモン、ゼル伝などなど)。
ご指摘はごもっともで、多分自分は「趣味に打ち込んで、誰かに認められる」ではなく、「誰かに認められるためにとりあえずわかりやすいものに金を出して何か始める」パターンが多い。
誰かに認められた経験が少ないから手っ取り早く「すごい」と言われる手段を求めているのだと思う。承認欲求バリバリだね。
このネット社会、ちょっと調べるとどんな事象にも初心者向けのハウツーが転がっているので、自分にもできてしまうんじゃないか、という気がしてしまう。これを始めれば人生変わるんじゃないかと思って一時的にカッと熱くなるけど、すぐに冷めてしまう。その繰り返し。確かにこれは趣味と呼べないかも。
〇気になるコンテンツを見つける
→気になるコンテンツの作者が影響を受けたコンテンツやルーツとなったコンテンツを調べる
→これを理解しないとこの気になるコンテンツを完全に理解することはできない!
→手を出す
→量の膨大さ、内容の難解さに挫折
このパターンが非常に多い。指輪物語とか、クトゥルフとかが一番わかりやすい例だと思う。映画もそう。服買う時とかでもこういうことがある。(調べまくった結果、定番モノしか買わない、とか)
勉強、部活とか何かに打ち込んだり、成し遂げたりしたことがないからその反動じゃないかなって考えている。積み重ねがないから急いでそれを何かで埋めようとしている感覚。
AmazonとYouTubeとTwitterは余りにもキラキラし過ぎていて、人に影響を受けて流されやすい自分のような人間には本当に毒です。Instagram?だめだめ!
英語、キーボード(ピアノ)、動画制作、プラモデル、格闘技(ボクシングor空手)、アマチュア無線、DJ全部昔気になってたことだ。
発信者になろうと思って昔作ったブログの残骸もネットの海で化石になってる。発信するような積み重ねがないし。
部屋は汚い。よくわかったね。
お金はないよ。カツカツです。
ものがどんどん増えるのは、始めてしまったからにはやり切らないといけないって言う心底下らないプライドがあるのだと思う。
初めてホリエモンチャンネルを再生したら「自治体って要る? 都道府県は中途半端」と問題提起していた。
番組名
「行政のデジタル化改革」の展望と課題(中編)【平将明×竹中平蔵×堀江貴文】
そうそう、中途半端で、ほとんど要らない。しかし、完全解体は抵抗があるという指摘は正しい。
東京・埼玉・千葉・神奈川のうち、2015年〜2021年に他自治体からの転入数がプラスの自治体を中心に
「首都圏エリア」を定め、そのエリア内を関東特区、エリア外を関東県に分け、
医療・ゴミ処理・上下水道・納税などは広域展開すれば、もっと首都圏は住みやすくなると思う。
観光・経済・教育関連の枠組みとしてのみ県名を残す(例:神奈川県観光協会)。もちろん予算も残す。
今年、埼玉県150周年だと知ったが、人口増はさいたま市とその周辺の一部だけ。
横浜市も同じく人口増は、東京寄りの区だけ。県は要らないし、市町村も端境地に住んでいると嫌気がする。
どの市長もメインの地区しか見ていない。僻地や境だと、どうしても隣の市・区が生活圏になる。