はてなキーワード: プレッシャーとは
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
○ 米国における自殺幇助 (Assisted suicide in the United States - Wikipedia )
https://en.wikipedia.org/wiki/Assisted_suicide_in_the_United_States
「当然のことながら、死の幇助の受容性は文脈によって異なります。2014年のComRes/Careの世論調査では、73%が
“末期の病気で、自分の人生を終わらせることを明確かつ確定した意思を宣言した英国の 知的 精神的 判断能力 がある成人が、
致死量の薬を自己投与して自殺をする支援を受けることができる” という法案の合法化に賛成しています。
しかし、これらの同じ人々の42%はその後、死の幇助に反対するいくつかの経験的な議論が強調されたときに、考えを変えました。
例えば、愛する人に負担にならないように彼らの人生を終えるように人々に圧力をかける 危険性のようなものです。」
○ オレゴン、ワシントン、カリフォルニアの尊厳死の2016年レポート (尊厳死国立センター)
尊厳死法に基づく処方箋 | 尊厳死法による死に基づく死 | 尊厳死法に基づく死亡者の割合 | 全死亡の割合 | |
オレゴン | 204 | 133 | 65% | 0.4% |
ワシントン | 248 | 192 | 77% | 0.3% |
カリフォルニア | 191 | 111 | 58% | 0.1% |
合計 | 643 | 436 | 68% | 0.3% |
賛成派なら教育水準が高い=年収も高い層が尊厳死を選んでいるとするでしょう。
自分は反対派なのでハイパー学歴社会の米国に置いて高卒未満(Less than high-school education)がこんなに含まれているのかよが感想。
つかなんで修士未満か?じゃねぇんだよ、ニュースかドキュメンタリーで実質的に州から死ねと言われているってヤツみたぞ。
白人 | 非白人 | 高卒未満 | |
オレゴン | 96.6% | 3.4% | 5.9% |
ワシントン | 95.7% | 4% | 3.3% |
カリフォルニア | 89.5% | 13.1% | 5.4% |
賛成派なら、治療費の懸念は尊厳死にほとんど関係しない、経済的理由以外で自分自身に選択を下したとするでしょう。
自分は反対派なのでやっぱり経済的理由を気にしている人おるやんけ!!!以外に無い
保険なし | 治療費が気になる | |
オレゴン | 1.4% | 3.1% |
ワシントン | 2% | N/A |
カリフォルニア | 3.6% | N/A |
これは、全て私の自分語り。
マッチングサイトで出会い、何回かメッセージやデートを繰り返し、観覧車の中で告白。恥ずかしながら告白する様は、高校生のような純情さだったかもしれない。
別れた原因は、相手が忙しい時に、自分は不安になってしまった。それで相手に負担をかけたのが悪かったと思う。
今でも残っている写真を見ると思い出す。でもほろ苦い思い出に昇華されてしまったかもしれない。
学生生活も女性の少ない環境で、学生時代に女性と付き合うことや、深い話をすることもなかった。母親以外の女性と深く関わることがなかった状態である。
幸いコミュ力は低くなく、日常会話などでは、特に問題なく会話できるが深い話ができない。
これは、会社でも同じで、日常会話や仕事上の会話では、普通?にできるが、Lineを聞くなどのことは能動的にできなかった。
深く関わることに恐れがあったのかもしれない。
流石に25を超えたあたりから、現状の自分ではまずいと思い、マッチングアプリに登録し始めた。太っているので、写真映えはないが、運良くマッチングすることができた。
自分の趣味を話す。相手の話を聞くことは割と自信があるので、マッチングしたら、大体会うまではできるのだけど、そこから先が中々続かなかった。
初対面では、自分のこと、相手のことを聞くことがあるので、割と話すことができた。最初の方はアキネーター系になっていたけど、数をこなすと話を振って、自然に相手の言葉に対して、自分も同じ部分、自分と違う部分を素直に話すことができるようになった。
でも、デートなどで出かけると、うまく話ができなかった。水族館に行っても、はえ〜すごいな〜大きいな〜くらいで深く考えないので、話を振ることがない。話を振らないといけないきがして、すごくプレッシャーを感じた。
自分は、この年齢なのにどうしてこんなに下手なのかと自問自答をするときもあった。
自分の内面を吐き出すことが苦手で、恋愛相談などは人になかなか話せないでいる。相手の話を聞くことは多いが、自分の内面を上手く言葉にすることができないのと、くらい話をすることがとても苦手。
男友達と出かける時は、相手から話題を振ってくれたり、話したい時に話せばいいやって気持ちだった気がする。
最近は、それでいいや。自分の背伸びをする部分はそれじゃないと思うようになった。
これもここ1年でできるようになったこと。少しずつ経験値を得ているように思う。
自分の話をしてくれるて、聞いてくれる人
この二つができる人は、すごくモテると思う。一般的に良く人気があるタイプだし、大概は彼氏がいると思う。
ここからが本題。現在彼氏がおらず、僕のタイプの人に出会った。
すごく笑ってくれて、声が可愛らしい。
笑顔も素敵で横顔を見ていたくなる。
人生で初めての猛アタックを仕掛けた。電話できる時は電話し、会って好きだと伝えた。
一度断られても、何度も何度も好きを伝え、自分の好みにすごく合っているということを言った。
高校生のように純粋で泥臭い。成功率も高いかわからないし、側から見ると少し痛い。
相手が嫌なら止めると言ったが、そこまで言わないので、好きを伝え続けた。ヴァイオレット・エヴァーガーデンをだしにして、言葉は伝えないと伝わらないからと。
私の中でダメと無理は違う。そう言い聞かせて、毎日好きを伝えていた。そうでないとダメです。の一言で心が潰れそうだったから。
一緒にゲームをし、それが終わると、寝るまで話し続ける。そんな生活を続けていた。
お互いが休みの日。いつもなら遊んで、駅に送って電車で帰ってもらうところだけど、すごく眠そうだったので、送り届けることにした。
1時間。私は運転しながら色々とお話しした。いつも、告白しているけど、どういう気持ちなのかなと?
聞くことに後悔はなかった。続けることによる可能性があるのか、撤退を余儀なくされるものなのか。
落ち着いているし、結婚とかしたら凄く良さそう。というお言葉をもらったけど。退屈そうとのこと。
男性としての魅力ってなんなのだろうか。人を手助けし、人として善い評価を貰おうと、仕事などでも取り組んできた。
仕事では、自分なり物事の進め方を提案し、プロジェクト等を進め、部署内外の人が困っていれば相談に乗って、解決のために提案や手を動かす。
まだまだ、影響力は少なく、できることも万全ではなけれども、自分の手の届く範囲では、色々と助けたいと思った。
4,50代の方々と良く話し、考え方を学ぼう、自分の考え方は方針と合っているかなどを確認し、調整したりもした。
多分、そういう部分ではないのでしょう。男性としての魅力というものは。どちらかというと、私は柔軟、相手のことを受け入れるタイプだ。
私の趣味はキャンプなのだが、友達とも行くし、一人でも行く。静かな空間が好きなので、金曜日に休暇を取り、金曜日-土曜日に行くのが好きだ。
写真も好きなので、そのキャンプの写真を良く撮ったりする。その話や写真を見ると、相手も行きたい!とよく言われる。
私は、どんなキャンプがやってみたいか?というのをたまに聞く。深い意図はなく、相手がどんなことで喜ぶかを知りたいから。でも、キャンプをやったことがない人は、答えようがないのかもしれない。これを書きながら考えていると、想像できていないことを答えさせようとする私が悪いように思う。
そういう、相手が何がしたいかに対して、答えてあげるというのは、私が楽しているだけなのかな?
でも、自分がしたいことについてこいっていうほど、自己中心的な考え方ができるほど、自分に自信はない。
自己分析をしていると悪い面に直面し、自分には魅力がなく、自信が無くなる。
一つだけ自分の中で成長をしたのは、今までできないと思っていた、情熱的に好きを伝えること。少し恥ずかしいは恥ずかしいが、正面からこれをできたことは、私の中で一つの自信になり、男性としての魅力を築く、石垣の一つになればと思う。
遅咲きながら、素敵な人に出会い、素敵な恋愛を重ねて想いを伝えるための経験になればいいなと思う。
今までできなかったことができるようになるのは、良いことなのだから。
今は前向きなことを書いて、悲しい、寂しい心を抑えようとしているが、内心は涙を流している。
マッチングアプリでダメだったときも凄く落ち込むけど、今回のは関係が切れていないけれども、心は今までの比じゃないくらい落ち込む。
元増田みたいな人にもたくさん子供作ってもらう為には、避妊具や子無し世帯に重税を課して、それを財源に子育て福祉を超充実させるのが良いと思うけどなあ。子供産んだはいいが、子育て無理なカップルは施設に子供を自由にドロップする事が許されて、それでも子供は幸せに育つことができるくらいの体制を取っておく。親が子供を育てなくても良い社会にすれば、子供作るプレッシャーもなくなると思う。
かつては職場のエース 昇進も早い方だった 満を持して回ってきた重要な役割 HSPっぽい性質が災いして 人間関係や期待、プレッシャーに耐えきれず 鬱になった 通院するようになった
その後はネガティブさが自分を覆うようになり ネガティブなダークサイドに堕ちた それが10年前
その後10年間
ひたすらに雑用 それしかできなかった 自信を失い 居場所が見つけられなかった なんとか居場所を確保しようともがいてきた しかし10年も立つと別世界
周囲はどんどん昇進し 自分の目線から見える風景は 全く変わってしまった もともと高くない自己肯定感は 底まで落ち 認知も歪んできた
これは闇堕ちなのか
HSPを感じてるみんなは どうかこうにはならないで
夫は毎晩のように晩酌をする。
休肝日といえば二日酔いでお酒が飲めないときくらいだった。(当然休肝日になっていない。)
アルコール依存症というわけでもないが、それでも仕事が終わって家にいる時間の大半は酔っ払っていることが何となくストレスではあった。
依存症になってからでは遅いし、今のうちになんとかできないだろうかと考えた結果、そこで思いついたのが休肝日貯金という提案だった。
大体ビールを1缶空けると、割と良さそうな焼酎をロックで2~3杯。毎週ゴミの日に一升瓶が一本出てるので、一週間で飲みきっているようだ。
150x7+2500=3550円が夫の一週間の酒代と考えられる。
そういえば、以前夫がなんとなく大きな買い物をするのは気がひけるというようなことをいっていた事を思い出した。
自分の小遣いを貯めたとしても、なんとなく家族の手前使いづらいというような感じだった。
そんなつもりもなかったが、確かに毎日ちょっとずつ使う分には罪悪感がないのもわかる。
私「いつもおつかれさま。ところでそろそろ年齢的にも体のことが心配だし、お酒を減らしてみてもいいと思うんだけど。」
夫「あー、うん。そうだね。健康のことを考えなきゃだね。」
口ではこう言っておきながら明らかに生返事。次に何か私が言おうものなら言い返してやろうという身構えも感じられるが、ここまでは予想通り。
私「そこで考えたんだけど、休肝日を作ったらその分貯金してみるってのはどうかな。」
夫「、、、え?どういうこと?」
動揺が見えた!すかさず畳み掛ける。
私「あー、ほら。以前、金額の大きな買い物をするのに気が引けるって言ってたでしょ。だから、休肝日を一日作るごとに500円を貯金していって、溜まったら好きなものを買ってもいいってしたらどうかなと思って。」
しばらくして口を開く。
夫「うーん。でも、小銭とか用意するの大変だし、長続きしなさそうだな。」
実はそれも想定内。
私「そそ。それで考えたんだけど、寝るまでにお酒を飲まなかった日は、電子マネーサービスに500円チャージするっていうのはどう?いつも電子マネーでお酒も買ってるんだから、月末の請求は変わらない感じになるでしょ?」
ハッとした顔で顔を上げる夫。畳み掛ける私。
私「それでたまったお金の使い道に関しては、絶対文句を言わない。趣味のものでもゲームでも、好きなものを買ったらいいんじゃない?」
夫の瞳の奥が輝いたのを見逃さなかった。
私「そしたら、今日だけはこのビール一本で終わったらOKということにして、早速やってみようよ!」
えー、悪いよ。いいの?といいながらスマホを取り出す夫。どの電子マネーにチャージしようかアプリをぽちぽちし始める。
勝った。
最初の一週間くらいは日中の頭痛がひどかったらしく、それってどこぞで読んだ離脱症状じゃねーか!って大声で突っ込みたくなるのを我慢。
そんなこんな、すでに禁酒生活も10日を過ぎ、自分の仮説が正しかったことを実感した。
なんとなく夫の心理的には、小遣いを残しても使いみちがないなら、毎日の発散で消費してやろうという気持ちがあったみたい。
まぁ、私だって好き勝手買い物ができるわけじゃなくて、小遣いだからって好き勝手できていいですねという無言のプレッシャーをかけていたことは反省している。
子供も大きくなって少し手がかからなくなってきたので、そろそろ趣味を取り戻して、いいも悪いも子供を巻き込んでもらいたいなと思ったのは事実で、うまく行ってくれてよかったです。
さて、その分今度は子供にお金がかかるようになってくるので、次はどのタイミングで小遣い減額を申し出るかの戦略を立てなくては。
あくまでも、産後鬱っぽくであって、苦しんでいる当事者の方々よりもマシだったとは思う。
私は子供の4カ月健診の時に、産後うつの気があると診断されて少しだけカウンセリングを受けた。
あまり覚えていないが問診票に母親の状態を尋ねる項目もあって、そこの回答がマズかったのだと思う。
喉元を過ぎてしまえば出産から4ヶ月間はしんどかった、大変だったで済むけれど、当時は地獄だったと思う。
どんな感じだったのか、思い出せる限りで書いておきたい。
前提として、夜泣きや授乳で常に寝不足。思考力が落ちていたと思う。さらに出産直後の伸びきった醜い体に日々嫌気がさしていた。
その上で、共働き夫婦二人の時間が長かったからかもしれないが、出産した直後から私は突然〇〇ちゃんのお母さんとしか呼ばれなくなった。
スタバで一人、ぼんやりお茶をしてスマホをいじる。今までは普通だった時間が、ご褒美になった。我が家の育児は私のワンオペ ではないが、それでも礼儀として一人で出掛けるためには前もって夫に「今週末は一人の時間が欲しいな」と伝え、同意を得る必要がある。
外食にだって気軽に行けないし、美術館に夫婦で行って感想を言ったりもできない。今まで楽しいと思っていたことは簡単にできない、手の届かないものになった。
出産する前に想像力が足りなかったと言われるかもしれないが、覚悟していた以上に私個人が消えてしまったし、それまで築いてきた価値観を奪われた。
小さな子供のいる家庭は日中公園や子供向けの施設や催しに行って子供と遊んで、食事はファミレスや家庭で。私も当たり前にそういうものだと思っていたけれど、それまで好き勝手生きてきた人間が突然、そこに幸せを見いだせというのはよく考えたら難しい話だ。
今までの幸せを手放して手元にいるのは、簡単に死んでしまいそうな赤ちゃんだ。少し表情は出てきたかな?とは思うものの、まだまだ宇宙人とお猿を混ぜたみたいで考えてることはよくわからない。
それでも、我が子はとんでもなく愛しい。この子に何かあるなら、自分の命を躊躇いなく差し出せる。宝物。それは絶対に間違いない。
離乳食だって始まってないし、赤ちゃんが自力で動くこともないから、実は面倒ごともあまりない(と、今なら思える)。
でも、初めてやってきたか弱い生き物の命を預かっているというプレッシャーは非常に大きかった。自分が判断を誤ればこの子は死んでしまう。そんな気持ちが強かった。
砕かれた価値観と強いプレッシャーの中で、時折子どもがいなければと思ってしまう。それで、そう考えた自分に自己嫌悪する。
私には夫がいて、復帰する職場があって、子どもは元気で、世間から見たら恵まれた環境で幸せなのだ。頭では分かっていても、心が追いつかない。
いつか、子供に手を出してしまうんじゃないか。そんなことする前に消えてしまいたい。戻りたい、戻れない。そんな気持ちがグチャグチャになって、時々頭の中で包丁を取り出して、まず子供を刺して次に自分を……と考えることもあった。
それが多分、出産3〜4ヶ月くらいのことだったと思う。
私が持ち直せたのは、遠方に住んでいた友人がその頃たまたま会いに来てくれたからだ。彼女が「出産して半年くらいして、やっと子供の存在を受け入れられるようになった」とサラッと言った言葉を聞いて、心が楽になったことだけはよく覚えている。
自分が産んだ我が子であっても、出産後しばらくは受け入れられなくても何もおかしくない。母親になったらからと言って全てを受容できるわけじゃない。
それでいいんだ、と。思えてからやっとペースを掴めるようになった気がする。
お互い平日休みだから月2回会えればいい方でそのうちセックスは1回くらい。
付き合いたての頃は会うたびやってたし何ならやりたくて会ってたけど、1年過ぎた頃からだんだんマンネリ化してきて、入れて出しますね〜って感じになりつつあった。
セックスが嫌いなわけではない。
やればそれなりに気持ちいいし彼氏も下手ではないと思う。でも、むしろそこがものすごくめんどくさくなった。
感じるのは体力使うし、イかせてもらったら口なりまんこなりでイかせなきゃいけないし。
3秒で出してくれるならいいけど何分もまんこ締め上げながらガツガツ突かれるはの正直結構しんどい。
というかもう気持ちいいのがめんどくさい。その時間と体力を睡眠とか学習に使いたい。何ならNetflix見てる方がぶっちゃけ楽しい。
気持ちよくしてあげようって頑張ってくれるのは伝わるが、大変申し訳ないがそのお気遣いがめんどくささの原因に…
そもそもセックスって気持ちいい、気持ちいいけど、ムダ毛処理して丁寧にシャワー浴びて体力使うコスパに見合うか?と最近思いつつある。
セックスは気持ちを伝えるものったって、2年も付き合ってりゃ十分に伝わっている。
乳首もアナルも開発もしたし、ポルチオもイケはしないけどそこそこ感じる体質。
体位やフェラテクも動画や本を見て覚えたし。上手いかどうかは知らないけど。
その時付き合ってる彼氏とどうすれば気持ちいいかそれなりに頑張って研究した…と自分では思っている。
でもその結論として、セックスのコスパ微妙だなと思うようになってしまった。
それなりの年でそれなりに経験があるからそれなりのセックスにはなってはいたけど。
正直私にとっては関係性を維持するための必要経費だと割り切る時間だった。
でもふとそう思った時に、彼氏も、彼氏だから彼女を感じさせなきゃ…と、義務とプレッシャーでセックスをしてるんじゃないかと気付いて、思い切って持ちかけてみることにした。
一般的には男の方が性欲があるとされるから、飽きたとか性欲が落ちたとか理由は色々あれど、男からセックスレスにしたいとは言いづらいという話も聞くし。
というわけで、お互い無理してセックスしてるならもうセックス自体をやめようと。
やめたところで嫌いにはならないし、むしろ無理して付き合わないためにもやらないならやらないでいい。
生理的な性欲解消で穴を使いたいなら協力するけど、疲れるので私を感じさせることに重点を置かないで欲しいと伝えたところ、無事セックスレスになりました。
彼氏側もぶっちゃけまあまあ義務感だったし、自分の性欲も落ちてきたしでちょうどよかったようで。
会ったらいつも通り美味しい飯を食べたりデートしたり、家でダラダラしたり、その中からセックスだけがなくなった感じ。
イチャイチャはするけどムラムラはしない。これはセックスが義務になった頃からそうだったけど。
プレッシャーがなくなって昔よりのびのび付き合えている気すらする。
片方がセックスをしたくてもう片方がセックスをしたくないと悲惨だけど、お互いにしたくないと決めたら肩の荷が下りた。なあなあでなくちゃんと区切ったのがよかったなと思う。
恋人だからセックスをしなきゃいけないことはないんだなと思ったので投稿してみた。
ネットでセックスの話を読むと、セックスは大切!セックスはコミュニケーション!セックスは素晴らしいって感じで私もそれを信じ込んでいた。
でも別に誰しもがセックスに向いてるわけじゃないし、セックスを極めなきゃいけないわけじゃない。
性欲解消ができればいい程度にテキトーにそこそこでやってもいいし、しなくてもいい。
もしかしたら彼氏は風俗とか行くのかもしれないけど特に咎める気もない。
そして二人とも微妙な家庭で育った影響で結婚願望はないし、子供も作る気はない。
尚更それならセックスなしの彼女なんてよほど癒しや家事や愛情能力が高くないと不要になる気もするけど、向こうに新しい彼女を作るほどの性欲があるかどうかもわからない…多分ない。
とりあえずセックスって頑張らなきゃいけない感じになってるけど、頑張らなくてもいいみたいな話。
ありがとうございました。
M2なんですよ。
で、ありがちなことに投げ出して引きこもっていたんですよ
原因について言語化したくなくて考えないでおいたんですけど増田にならできる気がするので書きますね。
・今年はコロナの影響で3月-5月は学校侵入禁止だったんです。だから研究ができないから雑誌会をめっちゃやろうかということで月1本くらいやることになっていたんですね。本来は就活が終了した人から大体7月くらいにやるんですけど。
・ついでに自宅で就活をする必要があるではないですか。でもちっとも進まなかったんですよ。自宅なんて寝る用のスペースしか用意していないのに、部屋は妹と同室なのに、自己管理ができないからコアタイムがちがちの厳しめな研究室にしたくらいなのに、説明会も会場に行くのではなく自宅で好きな時間に見るようになってこれまた自己管理の必要性が出てきて、そもそも友達がいないし、まあこの辺は言い訳なのですが、ESが出せない出せない。うっかり期日を過ぎた企業が多数で、何とか出せた数社も締め切り数時間前に滑り込みだし、まあそんな感じでグダグダしていたんですよ。それを横目に数少ない友人は内定を決めてくるしね。
・とはいえ思ったよりも自己を律せられなかったなと思う。1月から発狂したように就活をしていて体力が無い癖にその体力の無さを認められず把握せず管理せず休みもほとんどなく体力的に疲れていたというのもある。コアタイム中に実験をサボって就活をしているというのが快感で、就活をしないのだったら実験をしなくてはならないというのが一応のプレッシャーではあった。これが急に無くなってサボろうと思えば私だけの不利益でサボれてしまうんだもの。
・そんな中雑誌会もしなければならないじゃないですか。私そんなに成績いい方じゃないし本当下から数えたほうが早いし有機化学も得意じゃないしでもまあ実験は好きだから研究室来たんですけど手を動かすのは好きだけど得意とは言っていないのですけど、
で、だからこれまで雑誌会は本当に締め切りのめちゃくちゃ前からゆっくりじっくりやるのが好きだったんですよ。でも就活(やっているとは言っていないが)の合間を縫ってやるのが本当に進まなくて。1つ目は締め切り1週間遅れで無理やり仕上げたけど自分の目で見てめちゃくちゃクオリティ低いし。っていうか普通雑誌会が出来たら発表する前に先輩や同僚に見せるのが慣例なんですけどそんな暇もないし。
・というかね、うっかりもうM2なんですよ。つまりね、後輩の面倒を見なければならないということなんですよ。でもここ2年で全然成長していないし本当成長が遅くて。正直私より後輩の方が普通にできるし。だから私に雑誌会の添削を頼んでも大したこと言えないと思うのよね。というか添削本当に苦手なんですよ。普通に頭悪いし本質を理解せずにパターン丸暗記の段階だから応用が効かないし。ああ私勉強できなかったんだな分かっていたことじゃないか。でもそうすると5人もいる後輩をもう一人の同期がほとんどすべて面倒を見ることになるじゃないですか。同期はまあ面倒見がいいし要領がいいし文句はめちゃくちゃ言いつつもやれると思うんですけどそれは申し訳ないし何より悔しいじゃないですか。でも私事実後輩の面倒を見るの得意じゃないしできないし苦手なんですよ。こう、できないのにできるふりをして無駄に高圧的に的外れなことをいう典型的な悪い上司ムーヴをしてしまうんです。まあ言い訳なんですけど。
(今考えると結果的に投げ出しているので後輩指導を同期に丸投げしていることになっている。意味がない。)
・で、二つ目のも無理やり仕上げたんですけど本当クオリティ低くて。というか2つくらい難しくて分からないけど調べ方が分からなくて。これを晒して後輩に笑われるのが怖くて。恥ずかしくて。
・で、提出を投げ出してすべての連絡を絶って引きこもったんですね。
就活もちょうどいいから投げ出して。推薦で行く予定だった最終面接も投げ出して(これは本当に、後輩に申し訳ない)、ほかもろもろ投げ出して。
引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
私の現状を知った父に引っ張り出され無理やり研究室に行かせられているのが今日である。
・まあ今年の、同級生にありがちな就職は厳しそうだろうなというタイミングだから諦めもついたというのもある。
・正直私は今でも退学したい。恥ずかしい思いをする場から逃げ出したい。
ただこうやって当時の心理を言語化すると感じるが、本当に視野が狭いし、中島敦の「臆病な~」を送りたい状態だな。今もそうであることは否定しないが。
就活でハイになって、先輩もいなくなって、自分の期待値を上げたのが悪かったのかもしれない、敢えて悪者を作るとすれば。
・他の同僚に受け入れられるかという話ですが、みんな意外と優しいので私がヘラヘラしていたら受け入れてはくれるし排斥はしないと思うし、そこはあまり心配はしていないのだけど、普通に受け入れられた後に普通に研究を続けた後普通に研究とかのコミュニケーションでうまくいかなさそうでそれは心配。
・多分留年すると思うんだよね。前期の研究の必修の単位落としたし。
就活どうしよっかな、いっそ別の分野で文系就職をした方がいいのかしら。でも他にとりえもないしコミュ力が無いからこの分野(化学系のメーカー)で就職したいとM1の時に思ったのであって、文系就職の方が苦戦しそうな気がする。
でもなあ、研究室で私がうまくやれていたかというとそんなことないので、きっと雰囲気や求められている資質が同じな化学メーカーの研究職に行ってもどうせダメな気がするなぁ。
そこは迷わないと決め打って就活をしてきたんだけど、こうなった現状迷ってしまうな。じゃあ他の分野と言われても何、って感じだしな。どうやって調べたらいいかすら分からないな。就職イベントとかに行けばいいのか?インターネット苦手だな。
分かんない。どうやって決めたらいいのかわからない。自分で決めて自分で自分の責任を取るのが怖い。
・M2になってさ、できる人にならなくてはならないという思いはまあめちゃくちゃあったよね。そこは諦めたほうがいいんだろうなと言う思いは持つことにした。
・うちの研究室の5年前くらいの卒業生に似たように3年かけて卒業した先輩がいることは知っている。隣の研究室で私の2つ上の先輩に留年した先輩がいることも知っている。前例がいればいい訳ではないが、まあ事実として少しの安心材料にはなる。
・研究についてですが、そもそも個人テーマだし、ちょうど芽が出ないから他のテーマやりたいですと言っていた時期だったし、その意味ではあまり問題は大きくない。
12月に学会に行くと言ってしまっていたので、それをどうするかは教授と相談しなくてはならない。多分振り込みはしたが申し込み書類は書かずに投げ出したし事前のなんちゃらも何もしていないのでどうしたらいいのか教授と相談しなければならない。
・教授はいい先生だと思う。比較的手厚いし、生徒を気にかけているのは感じるし、私に心配のメールを送ってくれていることからもその辺は豆である。
ただ優秀な人には嫌われがち。管理したがりだし、厭味ったらしくはあるし。
・ただ事実として毎年のようにドロップアウトする学生が続出しているのは先生が可哀そうだなと思う。私みたいな学生をうっかり取ってしまって本当に申し訳ない。多分お情けで取ってくれたのは知っているし(私の年は偶然定員オーバーしていなかったから落とされなかったが他に人がいたら落としていたとは思う。似たようなことは取るときに言われた。)、本当はた迷惑な学生で申し訳ない。
母が言っていたが、だとしても取ってしまった以上卒業まで面倒を見るのは仕事なので教授の義務らしい。知らないがアメリカならとっくにクビなのではないだろうか。
その辺は日本の大学の古くて有り難い部分だと思って権利を行使するべきなのだろうか。定期的に頭の中の私が「私にそんな権利ない!やめるべきだやめたいし!」と叫ぶ。
でも父も母も口を揃えてやめるなと言うのでやめない方がいいのだろうな。
・せめて雑誌会をさ、クオリティ低いものを提出するか、せめて「間に合いませんごめんなさい次週でいいですか」の連絡くらいするべきよね。別に就活も投げ出して私生活も投げ出せば許してくれるわけではないから。先生は私がこんな感じなのは十分知っているのだから優しくも「無理そうですか?」というメールもしてくれいていたのだし。
当時は鬼の形相のメールに見えたが今読むと全然そんな事なくてむしろ優しい文面で驚く。
・最近、先生が、なよい学生が増えたから緩くなったよねと言われていて、その一翼を私も担ってしまったのが悔しい。
(悔しいと思う箇所がずれているとはよく言われる。これもそうなのだろうか。多分本当に悔しいことは他にあって、でも言えなくて、まだ言えそうなことになすっているような気がしている。)
・ねえそういえばこれファーストコンタクトを教授にしたけれどさ、普通は同僚の学生とか他の研究室の懇意にしている先生とかに相談すべきだったのだろうか。
もうちょっと書きたいことがあるのだけどまた書いて再投稿します。
【9/29 0時 追記】
とてもあたたかいコメントが沢山ついていて本当に驚きました。ありがとうございます。涙が出ました。
自分より稼いでる人は自分より優れてるって考えてるから、金持ちを妬むこともない。努力したんだな、運がすごく良いんだな、とは思う。
増田で(増田じゃなくてもいいけど) 嫉妬 でなるほどって思う要素あったか?
どう嫉妬しているのか聞いても相当ふわっとする答えしか返ってこないぞ
例:
2020-08-09
あれはなんなんや
ワイには全く理解できん
↓
ワイも理解できんやで
なんでも嫉妬に括りの雑すぎやで
あと、自分以外が成功しているとムカつくという心理状態もよくわからんやで
強いて言えば小金持ち以上に生まれて親からプレッシャーかけられている状況なら
なんとなくイメージ湧いたが (兄弟姉妹はXXなのにお前ときたらみたいな)
他は?みたいな?
なんで無償で賛美歌うたって成功を讃えたり、なんらかのリアクション返してんの?
それって得するの?
↓
ワイは特に羨ましくもないタイプの成功者(例.ホリエ○ン)とかに対してはイラつくで
なんでかはわからん
羨ましい奴にはムカつかない
年がら年中同じことやってるぞ。パッと思いつくのは今年の1月くらいか
競技プログラミングの過去 問をやってみたところ解説を読んでもまったく理解できないので. C++の書き方以外にも今後どういった学習が必要になるのかみなさんのアドバイスが欲しいです.
1.ひたすらググッて解説が書いてある
を繰り返す。
非常にツライが結局これしかない気がする。
ワイは1行も書いてないけどGAFA入ったやで
毒親および毒親・毒配偶者を原因とした、社会性の欠如、無駄な高プレッシャー、反社会性パーソナリティだぞ
その津田氏本人が「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある」「「作り手が無理に変更を強いられた」という状況を生み出すものだった」と認めたって話でしょ
読め
忘れるように努めてたけど、忘れる努力に疲れてしまったというかもう気を使わなくてもいいかなとなったので吐き出す。
なお、保身もあるが、読んだ人の中で私ではない誰かがこれを書いたと思われてしまう危険性があるので、フェイクを混ぜている。
とあるジャンルのとあるカップリングで細々と作品を作っていた。
人がそんなにいないジャンルだしカップリングだったので、拙い作品でも見てくれる人はそれなりにいた。
村長は別にいたし、クソ面倒なので村には関わりたくなかったが、
人が少ない頃にTwitterやらオフ会やらで絡んでいたのでそうもいかなかった。
(この頃はちょっと人付き合いを頑張ろうとしていたが、結局全部無駄だった)
しばらくはTwitterでブロックしたりミュートしたり鍵をかけたりとごまかしごまかし交流を続けていたが、
ところで、このカップリングには村長ではないけど中心人物のA氏がいた。
気さくで親しみやすく、本も定期的に出し、即売会ではカップリングの本を買って感想も伝えてくれるため、とても人気がある人だ。
A氏とはジャンル関連のイベントやコラボカフェなどを中心にサシで会うこともある程度には距離が近かった。
向こうもイベントに当選したら声をかけてくれたりと、かなり気を使ってくれていたと思う。
A氏はカップリングの最古参と言っていい人で、何かを企画するのならまずA氏がやるのではという空気があった。
(正直なところ、このプレッシャーには同情しているが、かといってこちらが先に企画するのも難しいほどの空気だった)
そのプレッシャーに折れたのか、A氏はついにカップリングで初のアンソロジーを企画した。
A氏らしい素敵な企画で界隈の空気も一気に盛り上がり、私も含め皆が喜んでいた。
ただ、個人的に応募することにはためらいがあった。
前述の通り、私は評判があまり良くないのにくわえ、作品自体も拙いうえに人を選ぶものだったからだ。
初期の人が少ない時分ならまだしも、作り手が増えてきた今、私が応募することはマイナスになりかねない。
とはいえ、A氏から企画開始前にそれとなく話をされおり応援すると答えていたため、今さら梯子は外せない。
悩んだすえ、人を選ぶ要素を抜いた差し障りのなさそうな話を考えて、応募することにした。
応募後、A氏も私も参加する同人誌即売会が開催された。
A氏が企画主催として同カップリングのサークルに本を買いがてら挨拶をしていたのを覚えている。
もちろん、私にも以前出した本の感想や企画参加へのお礼を含めた挨拶をしていただいた。
アフターとしてA氏と私含めた古参数名でカラオケに行き、企画へのお礼や人が増えたことなどを話していた。
話題が今日買った本へ移った時、A氏は「応援として買ったけど、このサークルの同人誌は読まない」と取れる発言をした。
アルコールが入っており、年単位で付き合いのあった面々のため色々と口の滑りがよくなっていた場である。
多少であれば気安い話をしても良いとA氏が思ったのかどうかはわからない。
それでも、公募企画を主催している人物が公募企画に参加しているメンバーの前でする発言ではないと私は感じた。
応援も読まないのもA氏の自由ではあるのだが、本人がいない場所で吊し上げのように「読まない」と宣言するものではないと思う。
他のメンバーの反応は「同意」だった。正確には、同意であるように見えた。
解散してから、私は今後について考えた。人によってはどうでもいい話であるし、私が気にしすぎている部分も大きい。
ただ、この違和感を飲み込んで企画に参加できるかというと、できないという判断をした。
どちらにしろ周囲の評判が良くないのだから、A氏との関係も分不相応な待遇である。
私は企画を辞退し、数少ない付き合いのあったフォロイーをブロックしTwitterアカウントを鍵アカウントに変えた。
今後も、作品を作ることはやめられないと思う。ただ、今のジャンルでも新しいジャンルでも交流することはもうないだろう。
彼の発言を以って「これだから社会学者は」といったリアクションが見られたが、今回の彼の謝罪文を見れば、むしろ社会学者を見直す者も出てくるのではないだろうか。
いやほんとこれ。自分は好き放題叩いておいて、自分が批判されると被害者しぐさを始める社会学者しか見てこなかったから、冷静に分析をしたうえで謝罪をしている津田氏は尊敬した。
むしろ一連の騒動で社会学のイメージがアップしたよ。もともとが低すぎるって点もあるけど。
彼は謝罪文で「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある。「ネットで炎上してるけど、気にしなきゃ平気」というのはなかなか難しいのではないか(体験済み)」と今回の自身の体験を含めてネット言論の無視できなさ、プレッシャーを振り返っている。
そうそう、ここも重要で、「そんなもん1人の一意見以上に読み取れないから~」って無茶な津田氏擁護してる人に本人がこう言ってるんだけどって言ったら、
社会学者の津田氏による「リメイクが続くとしたら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。」というツイートを批判していたが、作者の田中芳樹先生も同意見であった事が分かり、梯子を外されてしまった批判側。
一方津田氏は9月13日、「今回の騒ぎで「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかったし、謝罪したいと思う。」と謝意を示した。
興味深いのは津田氏が示した「同じ変更をするにしても「外から押し付けられた」か、「制作者が自発的に取り込んだ」かでその意味合いは全く変わってくる」という見解だ。
これは田中芳樹先生の意見が判明した後、批判側が食い下がっていた際の意見にかなり近い。田中芳樹先生やアニメ製作スタッフが自分の意志で変えるのと、外部が変えさせるのは違う、という事だ。
これにより「田中芳樹先生も津田氏と同じ意見じゃんw梯子外されてやんのw」と喜んでいた津田氏擁護側も津田氏本人により梯子を外された形になる。
津田氏の謝罪文は理知的に状況をとらえて振り返り、分析しているのでどちらの陣営も読んでみる価値があると思う。
例えば彼の発言について、「ネット上のただの発言を重く捉えすぎ」「影響力を大袈裟に考えすぎ」といった意見があったが、
彼は謝罪文で「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある。「ネットで炎上してるけど、気にしなきゃ平気」というのはなかなか難しいのではないか(体験済み)」と今回の自身の体験を含めてネット言論の無視できなさ、プレッシャーを振り返っている。
制作者の自発性を尊重しようという態度はなるほどと思わされた。
彼の発言を以って「これだから社会学者は」といったリアクションが見られたが、今回の彼の謝罪文を見れば、むしろ社会学者を見直す者も出てくるのではないだろうか。
追記:
リンクを貼ってくれとコメントがあったが、ツイッターのリンクを直接貼っていいか分からなかったので(ツイッターの引用って面倒臭い規約があった気がしたが、記憶違いかもしれない)ツイートへのブクマのリンクを貼っておく。ここから辿ってくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/brighthelmer/status/1305033407043231748
また、誤解がありそうなので追記しておくが、私は津田氏の当初の発言が「田中芳樹先生に対して修正を求めた」ものとは解釈していないし、その解釈は津田氏批判側の中でもマイナーだと思っている。
修正を求めているとしても明らかに対象は「リメイク(アニメ)」でありその製作スタッフだ。
そして彼の謝罪文は、そのアニメ製作スタッフに対して自分の発言が「「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかった」という趣旨である。(加えて、その影響について「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある」と影響力を軽く見ない事を宣言している)
一度作ったものではなくこれから作られるリメイクに対しても、「変更」は発生し得るし、その変更の受け止められ方に対する懸念と反省なのである。
ので増田に吐き捨てる。後で消すと思う
簡単に言うと
・俺増田、昔は米国の某巨大IT企業で勤務。給料はぶっとび価格だったが、辞めて日本に帰る。理由はまったり暮らしたかったから。給料はいいけど能力も要求されるので、だんだん面倒くさくなってきた。家でごろごろしたい。
・日本に戻ってくる。地元の中企業の情シスに入れて貰う。前職みたいな給料は出せないと言われたが、定時で帰れるし仕事レベルが楽勝なので別にいい。俺は家でゲームをして幸せ
・弊社、いろいろあって国内の大企業が買収した。ひとり情シスの俺、大企業の情シスと打ち合わせ
・大企業情シスは弊社の情シスを吸収するつもりだったようだが、蓋を開ければ、俺が一人で全部ネットワークから基幹システムから作り上げていて、激安価格なので、大企業側に吸収すると今より金がかかるということが判明
・システム的レベルが弊社情シス>大企業情シスとなっていた。弊社システムではできることが大企業情シスではできない。俺の能力が高いわけではなく費用の問題と思う
・大企業は国内大手IT屋にシステムまわりは全部丸投げしていて、IT知識があるやつはいない(まあ大企業なんてそんなもんだろう)
・その話がなぜか大企業の社長レベルまで届いてしまう。増田さんを大企業に呼び寄せないかという話になる。弊社から出向の形
・俺嫌がる。だって給料高くなるわけじゃないのに、なんで大企業のシステムメンテ(しかも周りの奴は知識がない)しなきゃならんの。俺より知識ない奴らに囲まれて、しかも知識ないそいつらの方が給料いいってヤダヤダ。今なら全部俺一人で決められるし足を引っ張る奴もいないのに
・大企業の偉い人、増田さんがこの給料でこれだけやっていることがそもそもおかしい。数倍払ってもいいだろうと弊社の偉い人を責める。そして俺の経歴がバレる
・なんでそんな有名企業にいた人がこんな小さい会社でこんな給料で甘んじているんだ、増田さんは親会社に転籍して給料を上げるから大企業情シスで働いて欲しい
・・・それが嫌だから低賃金でだらだらゲームして働いてたんだろうがー!
というものの、安い給料でいい。今の仕事でいい、と言っても「もったいない!」と言われてしまう。俺の能力をかってくれているのは嬉しいが、もうそういうプレッシャーかかる仕事いやなんだよ俺…