はてなキーワード: プリントアウトとは
単に自分の心との調和が取れず、メンヘルになっているだけ。桜並木を散歩でもしながら自分の心と対峙してみるといい。勝つ必要なんて無い事が良く分かるから。そもそもマトモな人はネットで活動なんてしないしね。
30代の管理職は同族経営の息子とその太鼓持ちだから、どんなに無能でも席はなくならない。
B2BだB2Cだと言っているが、メールで受注する卸売と、ブラウザの管理画面しか使わないネットショップ。
発注は基幹システムのEDIやFAXサーバを使わせてもらえず、Excelで発注書を作ってプリントアウトしてFAX。
「まあ、わしらが紙の伝票や精神論でやってきた商売から、多少なりとも進歩した形態のはずよな」
と言われるも、正直、退化してますよ。あなたが構築してきた業務支援系に類するものも一切、入れる気はないですから。
てか、部長も分かって言ってるわけですが、もう数年で定年退職のはずで、
もう好きにしやがれ、な気持ちなのかもしれない。
2ヶ月くらい日付が変わるまで働いてたら、そこから1ヶ月くらい経つけど未だにさっぱりやる気がおきなくて、これってもしかして……鬱? と思うような状態になった。
「もしかしなくても鬱」「プリントアウトして病院に」とか言われそうな気もするけど、そういう気も起きないんだよなー。
やる気でなくてそこそこにやってたらちょっと回復してきてこういう文章を書けるくらいにはなったけど、それはなんかもう少し頑張らないと行けない気がする。
やる気が出ない時「何かがおかしい……」って思ってたけど、その時感じたのはメンタルの不調って精神の不調みたいな抽象的な印象があるけど、なんかの臓器がおかしいみたいな感じにすごい近い気がする。
まあ、脳なんじゃないかな。海馬とか。キラーストレス特集でもやってたし。
えーっと、今回の原因の推測としては
・長時間労働は良くなかった
・30代後半になったのに前半と同じように無理できると思わない方がいいっていう勘違い
って感じかね。
環境が変わったり目標が上がったりしても昔と同じように馬力出せばなんとかなるだろうっていう感じで真面目に頑張りすぎてしまったのが良くなかったと思うんだけど、頑張って給料とかも上げたいんだよなー。
そういう気持ちにつけ込んできている(構造になっている)会社も良くないと思うけど、自分の心持ちを先に改善しないといけないよね。言うは易しという感じだが。
鬱とか長時間労働とかに全く無理解な体育会系のうちの会社には愛想も尽きてる気もするし転職もしたいけど、業界内的には給料もそこそこ悪くないんだよなあ、っていうか転職したらかなり高い確率で給料下がるよなあ。
なんだっけ、今後の方針としては
・目標達成しない事とか激しく責められても無理はしない。正社員はなかなか首に出来ない。 ←でもこれが一番難しい
・見栄を張るために頑張りすぎない。
・心療内科……? いやあ……
早く良くなる方法って無いもんかね。
非モテ「童貞とミソジニーを結び付けるな!ミソジニーは非モテだけのものじゃない!モテ男のミソジニーも糾弾しろ!」
はてなー「いやモテ男のミソジニーもちゃんと批判されてるし。自分を顧みないでそんなこと言ってるから童貞なんだよ。睡運瞑菜、プリントアウト」
はてなで童貞とミソジニーが絡んだ話題になると、大体こういう流れになるのをよく見る。
まあ実際モテのミソジニーが批判されてないなんてことはないし、事実に反した主張をする非モテ側も悪い。
しかし、現に童貞という言葉がカジュアルにミソジニー(というか、男の駄目駄目なところ全般)批判に用いられ、結果的に非童貞ミソジニストが免罪されている事が顧みられないのはどうなのか。
当たり前のことだが、ミソジニーを批判するのに童貞という言葉を使ってしまえば、それは非童貞には届かなくなるわけで。
童貞からは「コイツは童貞だけを選んで刺しに来ている」と思われるのは当然の事。
という事を言うと、そういう言葉遣いをするのは一部のミサンドリストだ、と言われるのだろう、多分。
なるほどそれはそうかもしれない。
俺だって、2chやTwitterでま~んwとか汚い言葉を使って女を罵っている奴と一緒にされたくはない。
では、はてなー各位も、単なるミソジニストに童貞ラベリングするような奴とは一緒にされたくないのだろうか?
・・・と考えた時、最初に挙げた例の流れからは到底そんな『ミサンドリストと一緒にすんな!』という心意気は感じ取れないわけだ。
むしろ星を集めるのは決まって、ミサンドリストにいっちょかみして童貞を小馬鹿にするブコメだ。
である以上、童貞をラベリングに用いているのは一部の人間だという切断処理は通用しないし、君たちは非童貞ミソジニストを叩く気はないし、童貞だけを刺してるのと同然なわけ。
もう、どっちでもいいけど、
推敲するじゃない、
紙にしてからのチェック。
とも思っちゃうわ。
病院に行くの、って違う違う!
推敲の話。
プリントアウトしてると
うまく例えられないけど、
そこに出来るコスモ。
第9宇宙は消えちゃったけど。
慣れないことするんじゃないわ、
って思っちゃう。
うふふ。
レモン風味豊なって書いてあったけど
レモン感なしでした。
パンの食感が違うと思って作ってるところ見たら、
違いの分かるダバダな感じね。
夏野菜ミックス。
野菜水に浸して浸けておくと
ほんと水が野菜臭くなって、
苦手な人は、うわ!って思うかも知れないけど
もう、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
水分補給しっかりね!
まさか修論テーマを今の時期になって教授にちゃぶ台返しされるとは思わなかった.この3か月間の計画は全て無駄になった.
意気消沈した中で修士研究計画を練り直すためにPCに向かっていると,隣に1年上の先輩が座った,どうやら実験が上手くいっていないらしい.
機器の調子が悪いそうだが,具体的な原因が分からないというのだ,
まあよくあることだ.機器メーカーに問い合わせることを視野に入れて対策練るしかないですね,と答えたら
「昔の人が苦しくても下に穢多非人がいると思えば楽に思えたように,君という最悪な状況が下にいると思うとまだ気が楽だよ」
と笑顔で私に言った.
私は相手の口調で瞬間的にどう反応するか決めて笑いなど返す節がある.その先輩の口調はまさに冗談であった.だから反射的に笑った.
しかし,その内容はよくよく考えるととんでもない侮辱のように思えた.少なくとも,失意の中の私を励ますような冗談とは到底思えない.
反射的に返した笑いが色を失い,乾いた笑いになる.そして怒りと殺意が沸々と湧いてきた.
哀しいかな,私は昔からこういう侮辱に直接歯向かうことなく,なんとかして消化して耐える節がある.
今回も耐えた.乾いた笑いで,結構エグイ冗談ですね,そんなそんな,あははは,と
先輩にとっては少々キツメの冗談でも受け流した人間としか思っていないのだろう.
いや,もう何を言ったかも忘れているのかもしれない.
まあ,こんなこともあるさね.
私はまた侮辱を甘受した.
「保育参加はお母さんは行けなかったのですか?○○ちゃんもお母さんがくるのをとても楽しみにしていましたよ」と聞いてきた保育士さんへ。
父親が保育参加に行けない場合は同様に「お休みは取れなかったのですか?」と聞くのでしょうか。皆さんにそのように聞くのであれば疑問はありません。
毎日わたしも夫もフルタイム勤務でギリギリの中、双方の親にも頼れず仕事と家事と育児を夫と二人で分担してなんとか頑張っています。
二人で話し合いお互いの職場で調整して決定したことに「お母さんはおやすみは取れなかったのですか?」と言わないで下さい。私だって休みが取りたかったです。保育参加に行きたかったです。
わたしは2月に転職しまだ半年も経っていないため有給休暇が取得できません。また転職時に時短はしないという上で採用をしてもらったため時短を申請することもできません。
まだ採用されて間もないため、休みを取るのも気を使います。来月に1歳半検診があるため、それも2ヶ月前に言って欠勤扱いで休みを取得しています。
保育園から2週間前に保育参加と懇談日の日が決定し月末に休みを取得するのはわたしの環境では難しく職場にも話しましたが認めてもらえませんでした。今回は二人で話し合って夫に頼みました。
保育参加とは保護者に希望日を設定している1週間の範囲で聞いて一日保育を実際にしてみて、お昼寝の時間に先生と懇談会という行事です。
希望日はうまく通りません。
転職してこれでも前の職場よりはマシな勤務時間になりました。時短は制度ですが、転職間も無い新入社員はやはり申し出にくいです。
直接言えないのでここで。保育園って、子供を人質に取られているようでうまく先生に言うことができない。。
3歳以下のほかのお母さんを見ていると時短が当然のようでフルタイムで働いているのは3歳以下の児童ではわたしと数人だけみたいです。
転職前は時短をしていましたが、当然に残業で時短で賃金ひかれた上で残業代も支給されませんでした。
転職時に時短ありきで面接したら、やとってくれるところはありませんでした。
朝は送るのでせいいっぱいで、終業後に迎えに行くとクラス担任はもう帰っています。
子どももわかっているようでしたが、先生にはお母さんがよかったと話していたんですかね。
それを思うとやはり心苦しいです。
担任のふとした言葉のはしばしに「もう少し仕事どうにかならないんですか!?」と言われているようで。
いっぱいコメントがついていてびっくりしました。ありがとうございます。
転職して半年でなかなか休みにくいこと、時短も採用時の面接でフルタイムと約束したので簡単には取得できないこと、双方の親にも頼めないので保育園があって本当に助かっていますという状況をお話しました。
担任の先生は「そうなんですねー、お仕事大変ですねー」と言っていました。
ひとりでもやもやするより、やっぱり少しでも話をするのが大事だと思いました。
背中を押してくださってありがとうございます。
また自己管理が出来ず遅刻は日常茶飯事、部屋は汚部屋が当たり前
このへんは全部自分がだらしなくて怠けてて、食欲とか衝動がおさえられないのかと思ってた
まあ何とかギリギリで大学も卒業して、就職して自活してたんだけど4年前になんか辛くなっちゃって首吊りと練炭自殺しようとしたけど救急車呼ばれて助かっちゃったんだよね
そこからちょっと入院して、メンヘラ病院とカウンセリング通いが始まった
1年通ったあたりで両親の離婚が実はめちゃくちゃ悲しかったこと、そのとき離れて暮らすことになった父親のことがすごく好きだったこと(何故か大嫌いだと思い込んでた)、母の再婚相手と仲良くしなければいけないのが苦痛だったこと、母が過干渉なことを自覚できた
その話をしたあたりでカウンセラーにもう大丈夫なんじゃない?過食とかの自傷もおさまったでしょ?と言われ、おさまってないのにハイと言ってしまった
そのあとそのカウンセラーの先生に治療目的じゃなくて習い事感覚で自己啓発のグループカウンセリングはどう?と言われてそっちへ行くことになる
そこで知り合った2人は病気とかじゃなくてなりたい自分があってそれに向かって頑張るって感じだった
医療関係者以外に自分の辛かった気持ちとか聞いてもらうのは初めてで絶対話せないと思ってたんだけど通っていくうちに話せるようになった
グループカウンセリングで話せることが増えるにつれて今まで空回ってる感じしかしなかった人との会話が出来るようになって、友達も出来た
部屋の中整理して時々なら綺麗な部屋を保てるようになった
でも通っているうちに金銭的にもきつくなってきたし、行くたびに他のメンバーはちゃんとがんばってるのに私は...って思うことが増えてきてしんどくなっちゃって行かなくなった。
それから今まで何もしてこなかったんだけど自傷が治ってなくて日常生活に支障が出まくりなんだよね
過食でお金が飛んでくから昼の仕事じゃおっつかなくて風俗で時々バイトしてるし
過食するくせに自分の見た目にこだわりがあるから毎日自分の姿を見るたびに鬱になって何も手につかないことがある、だから仕事も家事も効率が悪くてもっとやりたいことあるんだけど出来ない、時間ばかり過ぎていく
http://anond.hatelabo.jp/20170528113521
http://anond.hatelabo.jp/20170527185142
このへんの腐女子がんばれよ論とか。
今回の騒動はたまたま選出基準のせいでBLの割合が多かっただけで、本質的な問題はそこじゃないと思う。
どっちかと言えばこれは「自分の作品は公のものだろうとなんだろうと使われ方を全部自分で管理したい」と願う作者とそれに立ちはだかる現実の話だ。
BL二次創作の作者にその手の人の割合が多いという意見は分かるが、別に自分の作品を管理したいのはBLもR18も二次も商業も関係ない。
例えば自分の作品がどこで閲覧できるか。自分の作品が何に紹介されるか。自分の作品が誰に楽しまれるか。自分の作品がどんなことに使われるか。
そういったものをとにかく全部自分の思い通り、想定通りにしたいと願う人は創作活動をしている人の中では別に珍しくはない。単にそれが我侭だと理解しているから周囲に要求してないだけで、内心やめてくれと思っている人はいる。
それは別にプロもアマも関係ない。それなりの年のオタクなら「俺が嫌だと行っている」という言葉に覚えのある人もいるだろう。
魚拓やアーカイブはちょっと見つからなかったので、当時の話題のまとめがあるサイトをのせておく。
http://neto10.blog55.fc2.com/blog-entry-12.html
リンク先まで見に行くのが面倒な人向けに簡単に説明すると、あのジャンプに連載していた久保帯人さん(ブリーチの作者の人)が当時私的に書いた絵をファンが喜ぶならとサイトに掲載していたけど、それをDLしてプリントアウト(自分だけで楽しむ、私的利用の範囲でもちろん適法)している人達にやめてくれって言った話。
そうすると当然「私的利用だから別に悪い事でもなんでもない」という反応もあるわけで、そういう正論に対して久保さんが言った(日記に書いた)のが
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」 理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
という一文だった。(本当はサイトに乗せた理由についての話とかもあってもっと長いけど今回は前後の文章は関係ないと思うので該当部分だけ抜き出しました)
で、最終的には絵は削除されました。嫌だと言ってもファンからのDLしたいという問い合わせが尽きなかったため、とのこと。
この問題については確かに作者の態度はあまりよくないものだったかもしれないけれど、「確かに適法ですが個人的には嫌なので止めて欲しいです」とお願いをして、そのお願いが聞き入れられなかったので「では公開を止めます」って取り下げたのは別に何も間違ったことではない。それこそ適法。作品の公開を取りやめるのもまた作者の権利なのだから。
当時はまだブリーチは連載していなかったが、ジャンプに別の作品が掲載されたことはあったはず。つまり既にプロだった時の話がこれ。
その世界で金を払って生きている人でも自分の作品は法律とか関係なく自分が思った通りにしか扱ってほしくない、と思うだけでなく口にする人だっている。
そして個人的には後ろ盾を持ってきて権利を主張するんじゃなくてシンプルに「嫌だから止めろ」とだけ宣言する久保さんの態度は、言い方の問題こそあれむしろ変なごまかしをしない正しい姿勢だと思う。
二次創作は、原作者の意向によるけれどもまだまだグレーゾーン(作者が許可を出していないもの)は多い。公式に二次創作を認めたものもかなり増えてきたが、決してそちらの方が主流ということでもない。(とは言え二次創作=全て何もかも違法、みたいな扱いはどうかと思う)
また、原作にそのような要素がないものをBL化する場合、原作からの剥離度はいわゆる「健全」な本と比べたら高くなりやすい。(エロがないのにエロ化する二次創作も剥離度は高くなりやすい。念のため)
そして男性と比べて女性は慣習的に性的なものに触れることをタブー視されている空気はあると思うので、内圧なり外圧なりで、どうしても後ろめたさを感じる人というのが多い。
そうしたどこかうしろめたいものは、やっぱりあまり衆目には晒したくない、と思う人が多い。大勢の人の目に触れると攻撃される、という怯えがある。
結果、周囲から見た時になんだか妙だなと思われてしまうような妙なムラの掟だとかなんだとかが出来上がったりすることもまあよくある。
そういう意味では今回のような騒ぎが起きたときにはNLよりBL界隈の方が問題になりやすいだろうし、男性界隈より女性界隈の方が問題になりやすいだろう。
ただそれはあくまで傾向の話で、男だからセーフ、女だからアウトという話でもないと思う。可能性の大小の話でしかない。
それについて「嫌なら止めろ」ということは簡単だけれど、そもそもその後ろめたさの理由は内圧も多いけれど外圧だって多いのだ。しかもいわれがないタイプのやつ。
外圧が多いなかで必死に調整しながらなんとか隙間を縫ってきたのに腐女子は文句ばっかり、と言われるのは正直納得いかない。
最初に断っておくが、もちろん腐女子の妙なルールについてはおかしな勘違いだとか我侭前回の俺ルールはある。もう間違いない。
けれど全部の問題がが腐女子の中から出てきたわけじゃない。むしろ外部から「腐女子は存在が気持ち悪い」「目の前に出てこない腐だけがいい腐」とか言われたりすることもあるぐらい(今ではそういった声も減ったけど)で、それこそおおっぴらに腐った話をしたわけでなくても腐という属性を持っているだけで人間のクズみたいな扱いをされることだってあった。
それはゾーニングでどうにかできるものじゃなくて、それこそ作品の名前で検索してBLが出てきたらキャプションがあったりタグがついててもどれだけきちんと注意書きしてても叩く。こんなクソを俺の前に見せやがって。視界に入った時点でアウトなんだよ。という論調でこられる。そういう頭のおかしいとしか思えない人が普通にそこらにいた時代があった。
自分たちは嫌なら見るなというくせに、腐の作品は中身が見えなくてもその存在が目に映ったら理不尽に怒られた。そんな時代があった。
元からひっそりやりたい人はもちろんいたけれど、そもそも別にひっそりやりたいという願望があったわけじゃないけど、オープンにやると文句を言われるので仕方ないからひっそりやらないといけなかったという人もいる。そんな中でお前ら本当に我侭だな、みたいに言われると「我侭なのは分かってるけどそうさせた理由の数割はそっちにありますよね?」と思う。
上に上げたなかの腐女子がんばれ論あたりからは「あなたたち男オタクが僻地に追い込んだくせに今更逃げる事情を説明しろって言うんですか?冗談も大概にしてください」と感じてしまう部分もある。もちろんこれを書いた人が追い込んだ人達ではないだろうし、それこそ一部の頭のおかしい過激派と普通の男オタクを一緒くたにするつもりはないけれど、腐女子を雑に腐女子とまとめあげて上記のような論を展開されると私は性格が悪いのでうっかり厨返しとしてクソオタクとまとめて扱いたくなる。
謎ルールを振りかざして外部にだから配慮しろと言うつもりはないし、お前らが理解してしかるべきなんてことは思わない。理由がどうあれやっぱりやっちゃいけないことはいけないことだ。
そして、摩擦を起こさないように腐女子から動くことも時には必要だと思う。けれど外部から攻撃されてきた経験を持つ人もいる腐女子たち(当然そうでない人もいる)に「尊重してあげるからそっちからローカルルールちゃんと形にして掲げておいてよ、頑張れ」みたいな態度を取られると(そのようなつもりはなかったかもしれないけれど私には少なからずそう見えた)なんでお前のためにやらないといけないんだ、と反発されるだけだと思う。
自分で自分の作品はコントロールしたいけど、それは必ずしも叶えられるものじゃない。特にそれがちょっとばかり我侭な類のものだった場合。
そういった時、それこそ商業ベースのものはいくら嫌でもすぐにどうにかなるものではない。お金の問題や、権利の問題が絡んでくる。昨今の作品は個人だけでなくメーカーやらの手が加わってるものも多い。作者一人が嫌だと言ったところでそれに関わる他の人達の意向もあるからじゃあ止めようとはならない。
けれど、それが個人で管理している、それこそ同人作品だったら? 公開非公開を決めるのは自分の一存だ。なんか色々ややこしい商業ベースのものと違ってさくっと公開停止できる。そして消してしまうのは色々楽だ。だってもう問題が増えることはないのだから。
だから同人作品は作者が嫌だと思った次の瞬間公から消え去っている、なんてことがよくある。
それは別に晒されたとかそんなものですらなく、面倒になった、古い作品に耐えられなくなった、なんとなく気分で、そんな雑な理由でも作者が「そう」と決めたらすぐになくなってしまう。
そしてそれは何一つ悪いことじゃない。作者として当然の権利なのだから。
理解していない人も多いだろうけれど、理解した上で、だからこそ自分が管理しきれなくなったら消そう、という人もいると思う。
周囲がなんとなく空気を読んでくれている間はどうにかなるから公開する。周囲が空気を読んでくれる人ばかりでなくなったら管理しきれないから止める。
外から見ると何か起きて初めて公であることに気が付いて公開停止するのと、ついにこの日が来たかと思って公開停止するのと区別がつきにくいが。
ただ、どちらの場合も結局のところやさしく扱ってあげないと消えることに変わりはないので、そこを区別する理由はあまりないのかもしれない。
公に出したものは、法律で条件を満たせば使っていいと決まっている。だから使うことを強制的に止めさせることはできない。
でも「止めてほしい」とお願いすることは出来る。もちろんそのお願いを聞き入れるかどうかは自由なので、我侭で身勝手なお願いを無視することは何も悪くない。
悪くないがお願いすることで聞き入れてくれる人もいるんだから、別に一言お願いしたっていい。寧ろそれで双方が納得するなら円満解決、すばらしいじゃないか。
なんだか法律で認められているだとかそんなことを言うのは我侭だとか言って「お願いすることが非常識」みたいな論調の人が中にはいるけどそうじゃない。むしろ強制することなんて出来ないと分かっている知識ある人だからこそ「お願い」するのである。我侭なのは分かっているけど、できれば勘弁してもらえないか、と。
禁止だなんだとがなるちょっと残念な人達もけっこういるのが哀しいところだけれど。
まあ、個人の自由にすればいいと思う。ただ、当然その行動に見合っただけの結果が帰ってくる。それだけの話だ。
ちょっと気を回すだけで円満に解決するならその方が皆嬉しくてよかったねってことじゃないの、ということだろう。
悪いことしてないんだからヘイト溜める方がおかしいと思うなら、それは高慢だと思う。相手から罵倒してきたり誹謗中傷を投げ掛けてきたりしたらそれは行き過ぎた行為だけど、余計なことをされたせいで安寧が崩れたのなら、そりゃあ不満の一つも抱く。
いくら文句言おうがそれは身勝手な話だから別にどうでもいいと言いきれる鉄人だけが相手の気持ちを無視したらいい。実際身勝手な文句もそこそこ多いので。
感情的に書き殴った本題ではない部分について、ちょっと言葉が足りないところとか大げさに言ったところはあって、いろいろツッコミを受けております。すみませんでした。概ね仰る通りですがいくつか反論したい点もあります。
で、本題に関する部分についてこっちで補足入れると、私がメインで言いたかったのは
というあたりです。
「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないので最初から出しません」というのも一つの正しい手段だけど「ネットに上げると嫌なことがあるかもしれないけどいいこともあるかもしれないので考えた結果上げることにします。ただ、嫌なことが実際に起きたり環境の変化で嫌なことが起こる確率が上がったりするならその時は下げます」っていうのだって正しいですよね。
私の回りにはあの論文に扱いが雑だと怒る人も配慮があってよかったと苦言を呈す人もそういうのはおいといていくら学会発表だからって論文としての出来がアレすぎて「普段私がどれだけ苦労して論文書いてると思ってるんだ論文舐めるんじゃねぇ」と別方面でキレてる人もいますが、あれについて別に法律違反だとかおかしなことを言う人もいなければあの論文を書いた人が悪人だと言う人はいません。
声の大きい人が目立つのはよく分かるんですけど、なんだか嫌なら最初から上げるなよバカだなぁみたいな反応がどうにも目に入ったので(当然そうでない人もたくさんいますけど)そういう人達に「なんで上げちゃいけないんですか? 別に使われたことに文句は言ってないじゃないですか」って言いたかったのです。
ネットに上げて使われたことに文句を言ったりあまつさえ法律違反だとかなんだとかおかしなことを言ってる人は残念だと思います。
id:houyhnhm 剥離はくり→乖離かいり、の方がよくない?
うまくまとまったか自信はないですが書いてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20170531012221
id:chibatp9 「覚悟も無しにあげてたの?」みたいなのは研究側というより、むしろ創作側(非二次)の人が言ってるのを見るが。
個人的にはどっちかと言えば創作には携わってない人が言ってて、研究職の人は観測対象がおしゃかになる的な意味で論文側が微妙といった反応のイメージでした。創作側、というのはあまり感じたことがなかったですが、ひょっとしたら批評慣れしている人やタフネスな人が多いのかもしれませんね。
書き方を見てひょっとして誤解を受けてる? と感じたのですが、なんで上げたの的なことを言う人にちょっと物申したかったけど言う人は研究者側だとか捜索側だとかは特に言ってないつもりです。
先日のNHKの特集はみていないのですが、ツイッターで流れてきたこちらのツイート
とりあえず、改めて思ったけど発達障害者に必要なのはセルフモニタリングと言語化ですね。自分が何が得意で何が苦手でどのような状況下で良いパフォーマンスを出せ、あるいはその逆なのか。徹底した自己客観視と言語化抜きにしては、助けを求めることすらできない。— 借金玉 (@syakkin_dama) 2017年5月21日
借金玉さん、有名な方ですね。
私は多分定型だと思いますが、この方のブログは参考になるので好きです。
このツイートを見て、まさにそうだよなあと思ったので、体験談を少し書いてみます。
その人がカミングアウトしたわけではなく、というかその人自身に自覚があったかも怪しい(多分なかったと思う)のですが、
その人と組んで約三年間仕事をした私は、彼女は発達障害だったんじゃないかなと思います。
・仕事の優先順位が立てられない。どうやっても立てられない。何度言ってもできない。目の前にある仕事からやってしまう。
・極端に走る。少なめ、とか、多め、とかが理解できない。少なめと指示を受けたらゼロになり、多めといわれたら100になる。
・上の派生で、可能性の話が通じない。「おそらく~だろう」といわれると、Aさんの中では『決定事項』に変わってしまう。
・一つ一つの仕事は非常に丁寧だが、どれほど客が並んでいても同じペースで行う。状況に応じての効率化ができない。
・一から十まで話さなくては伝わらない。省略は非常に危険で、まず正しく伝わらない。
あとこれは、発達障害というより、彼女がうつ病を患っている(これは本人が話した)ことから来ていたのかなと思うのですが、
・非常に頑固である。こちらが理屈立てて説明しても、まったく受け付けない。本人の中の妄想が最優先される。
『臨機応変に動くことが不可能である』『情報(上司からの指示など)を脳内で誤変換する』という合わせ技の上に、頑固さが加わると
まさに地獄です。
ものすごく自信満々に間違った指示を私に伝えてきて、それはおかしくないでしょうか…?と尋ねても、一切聞く耳を持ちません。
ちなみに私のほうが後輩で、彼女が先輩であったので、なおのこと大変でした。
なぜなら入社して一か月のとき、私が些細なミスをしたら、その件で彼女に五時間叱責されたからです。
障害のあるなしに関係なく人を苛めることができるという例ですね。
それでも仕事のできる人ならば、いずれ尊敬の念も沸いたでしょうが、実際には上記のとおりでした。
私は彼女の誤変換に悩まされ、振り回され、また彼女がマイペースに仕事をし続ける分、必死にフォローしなくてはなりませんでした。
ここからが本題なんですが、
どうして『極端に走る』のか、
本当にわからなかったわけです。
最初は、彼女には、この職種の経験がないからだろうと思いました。
優先順位を立てるという仕事の仕方をしてこなかったのだろうと思いました。
彼女は三十代後半で、私よりも年上で、『やってできないはずがない』と思っていました。
そうではないのだと思い知るまで、二年近くかかった気がします。
私は彼女と組んで仕事をしていましたが、私のメイン業務は入力や処理であり、彼女はカウンター担当でした。
私は業務上、プリントアウトすることが非常に多く、プリンターは彼女のそばにありました。
私が印刷をかけるたびに、彼女は出力された紙を、私のところまで持ってきました。
私は何度も彼女に言いました。
持ってこなくていい。自分で取りに行きますから。目の前のお客様を優先してください。
そういうと、三日ほどは、彼女は紙を持ってこなくなりますが、四日目にはまた同じことの繰り返しです。
彼女が待たせているお客様のフォローを、私がしなくてはならないんですから。
紙なんか持ってこなくていいからお客様対応を最優先してやってくれ!と思うのですが、
紙が出てくると、ダメなようでした。意識がそちらに向いてしまうのでしょう。
紙を持ってこなくていい、というのを、七回目くらいで、諦めた記憶があります。
私はそうやって、ストレスに苛まれながら(彼女も同じようにストレスだったでしょうが)
一つ一つ、彼女への対応の仕方を学んでいきました。いやおうなしに。
最終的に、私は、
・ある程度は、彼女に沿った対応をする(なるべく数字で区切って話すとか、一から十まで話すとか)
・八割方は諦める。
・自分の身を守ることを優先し、彼女の仕事が溜まろうともなるべく視界に入れない。
という境地に達しました。
できることを期待するから苛々するのであり、できない人なのだと認識してしまえば(まあそれでもイライラしますが)
少しはましになります。
ここで一番最初の借金玉さんのツイートに戻りますが、何ができて何ができないか、というのを伝えてくれるのは、
私は約二年間、ストレスと、いったいなぜできないんだ!?という思いと、どうアドバイスすればできるようになってくれるかという悩みに、
神経をすり減らしましたが、
彼女が最初から、(発達障害だというカミングアウトは別になくても良いので)、
自分はこういったことが苦手であり、こういったことは努力してるけど本当にできなくて、
こういった風に伝えてくれると助かる、という話をしてくれたら、
私もすごく助かったし、
あれほど彼女を嫌いになることもなかっただろうな、と思います。
昔、とある会社のサイトに掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。
この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。
4,5,6条が素晴らしい。
【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
"
【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。
校正には知識が必要です。だから、校正マンである自分は仕事の関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分の知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!
自分の知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分の知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業のプロフェッショナルなのです。
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
校正の仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程で使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典も出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異、ほとんど同じだと思っている時点で確認にプロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題のひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネットを情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体やインターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物(書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネットで情報を得る場合には、必ず複数のデータを調査し、公式サイトなどのデータを確認します。校正で大切なことは、信頼できる情報で確認すること!疑わしい情報で確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正のプロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります。校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態で校正に挑むのが、確認作業のプロフェッショナルとしての基本です。
「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
校正のお仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間の無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミスを発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様に安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験で100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります。100点満点を目指すなら、200点目標の確認作業をしてトントン。校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。
校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミスの可能性はなくならないのですから。
校正作業が完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります。校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!
自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分が他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚な姿勢で校正に対するのが、確認作業のプロフェッショナルです。その謙虚な姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤の役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マンを廃業した方が賢明(…!?)です。
なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マンを廃業すべし。
(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識や能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
校正のお仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることなく任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります。制作社は、作品にケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミスは校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜!制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作も校正もプロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから…
校正病(笑)の一種に「文字パニック」という症状があります。日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常の生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字や意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単な漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業のプロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)。
文字パニックとは別に校正マンがかかりやすい病気として「本が読めなくなる病」もあります。活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識に誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思と時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合、子供が学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板、広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイトの情報をプリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。
何事にも興味を持ち、広く知識を習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分の知識で確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます。校正ではさまざまなジャンルの文章を校正するため、歴史、社会、自然、科学、技術、産業、芸術など広い分野の知識が必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味が理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります。校正に費やせる時間は無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。
前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識を習得するための心得をもうひとつ。友達との何気ない会話、家族との日常、職場で流れているラジオ、テレビ番組やCM…等々、日々の生活は情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまいます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報を収集することはできませんよね。不特定多数を対象に情報提供してくるラジオやテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体をちょっと意識するだけで、情報収集のきっかけは生まれるのです。
校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マンの能力があらわれてしまいます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合、校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マンで大丈夫?」という状況を引き起こしてしまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。
(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マンが鉛筆で書き込んでおくこと。
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宅配便だの何かの値上げだのポテチの製造中止だの、今みたいにいちいち窮状呼びかけて、
テレビカメラに向かってお伺い立てなきゃいけないもんなんだろうか
こういう正当な理由があるんで値上げします作れませんごめんなさい、でいいだろうよ
まあわかるよ、正攻法じゃ無理そうだから、こうやって泣き叫んでることぐらいは
どっちかというと、叫んでる人より、便乗して言いたいこと言ってる奴らの方が醜悪なんだわ
自分がかわいそうだと思うものは社会問題として取り上げて、騒ぎたいだけ騒ぐんだけど
自分がどうでもいいと思ったらふっつ~に「当事者に言えよ」で終わりなんだよね
当事者に言ってもダメだから声張り上げてるのはみな同じなのに、そこで選り好みしてダブスタかます
気色悪いだろうが
本当に困ってらっしゃるようなので私の知っていることを書きますが、
私は法曹関係者ではありませんので、内容は専門家に確認を取ってください。
まず、民事訴訟のお金を取り戻すことは「相手に意思がない限り」無理です。
取り戻せない金額にさらに費用を払うことが馬鹿らしく感じるのなら、
自分でやってみても良いでしょう。
その場合、難しいのは相手方と契約があったという証拠を示すことです。
もし彼が「そんな契約してない」と言ったら、
支払期日や方法の記載を伴った契約書を交わすという習慣のない日本では、
その後が問題です。
仮に判決通りの期日に支払いがなかったとしても、
裁判所は何もしてくれません。
罰則もありません。
あなたが「期日なのに支払われてないから、ちゃんと払ってくれ」と言うしかありません。
相手に「金が無い」と言われたらそれまで。
あとは「お願い」を続けるしかありません。
まずあなたは相手が口座を持っている銀行名と支店名を見つけなければいけません。
口座番号や口座名義人は分からなくても良いです。
よく法人間の新規取引の契約書に銀行口座と支店名を各項目があるのは差し押さえの時のためです。
(分からない場合は地元の銀行をかたっぱしから指定しても良いですが、その分費用もかかりますし按分しなければいけません)
仮にそれが分かったとします。
もし仮に現金があったとしても、相手方がその銀行から融資を受けている場合などは、
さらに、そもそもその差し押さえの通知を相手方が受け取らない場合、
差し押さえは出来ません。
これほどまでに条件が厳しいのです。
これは「銀行口座の差し押さえをしましたが現金が無かったので」という前段階が必要です。
「相手の銀行口座が分からないから財産開示請求しよう」という順序は出来ません。
嘘を言えば科料がありますが、これは国に支払うものなのであなたの懐には入りません。
また、その内容が正しいかどうか裁判所が調べることもありません。
そして、(不確かですが)車は無理になったと思いますし、
ここまで書くとお分かりかと思いますが、
今は、危ない橋と見た目が必要以上に豪華に見える橋は渡りません。
参考になればと思い書かせて頂きました。