2017-06-06

選択肢としての自殺

小さい頃から、いつも頭のすみっこ自殺という選択肢がある。

2年前に実際に行動を起こし、自宅の鴨居ロープをかけて首を吊ってみたことがある。

その時は幸か不幸か、ロープから首が外れてしま死ぬには至らなかった。

意識が一瞬で飛び、耳元で大きな爆発音がしたくらいで苦痛は全くなかった。

昨年練炭を浴室で火をつけてみたもののムセてムセてしんどかったからすぐやめた。

から死ぬ時は首つりがいいかなって思ってる。

今日は朝の電車に間に合わなくて遅刻ギリギリだった。

何となく同僚が冷たい気がする。

貯金が今年もほとんどできなかった。

少しでも心が揺らぐことがあると、「あーあ、そろそろ死んどくかな。死ぬのってそんな苦痛じゃないみたいだし」という考えがにじみでてくる。

友達もそれなりにいるし恋人もいる。仕事もあるし。

でも自分が死んだからって誰かが悲しむイメージがわかなくて抑制にならない。

一日に何度も自殺をすることを頭の中で予行練習してしまう。

先日猫を拾ってしまったので、自分が死んだら猫の引き取り手もいないだろうし猫を看取るまでは実行にうつしちゃだめだよな~と思って今日もなんとか帰りにホームセンターロープを買うのを止められた。

毎日死ぬことを何回も何回も考えてしまうのでなんとなくしんどい

病院に行ってもその場ですぐ治るわけじゃないだろうから行くのが面倒くさい。

だったらこの場でサクっと死んだ方が楽だよな~とかまた考えてる

プライドが高く自己肯定感が低く、生育環境問題があるからこういう考えかたになるんだろうか。そんなん治すのに気が遠くなるじゃんね。あー死にたい死にたい

誰に助けてほしい。

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