はてなキーワード: ファンアートとは
特にFGOで感じる。ファンアートとかでぐだ子ぐだおと呼ばれ愛されているけれど自分にはただの第三者、空気的な存在にしか思えない。Fate/snをやっている時、文書を読んでいる時衛宮士郎は自分でも空気でもなくいちキャラクターに思えた。立ち絵がないから自分の視点だからじゃなく表現出来ないけどぐだはキャラクターだと思えない。主人公=自分の気持ちが強いのかな・・・それも何か違う気もするんだよな
書きながらめちゃくちゃ何なんだろうと考えたんだが多分「自分語り」がないからかなと思った。自分語り、特殊な設定、ちょっと変な性格。これがノベルゲームの主人公にないと完全に自分と切り離して物語に入り込めない。ほぼ立ち絵も出てこないしなんというかキャラとして確立?してないとダメなのかもしれない。上手く表現出来ないけど多分アイマスのP(ゲームの)みたいな存在だとぐだおぐだ子を思ってたのに二次創作でキャラとして扱われてるからなんか違うなと思ったんだ。何が違うかはわからないが
兄貴ことビリー・ヘリントンが亡くなられた。母親によれば交通事故とのことだ。
兄貴との出会いは当然ニコニコ動画の釣り。サムネに釣られて開けばマッチョな男同士のレスリングのような物が始まる。
「またこれか」と思うと同時に、なぜかそう聞こえてしまう空耳コメントのせいで面白くなり次第に兄貴が出ている動画ばかり見るようになってしまった。
一番有名な木吉カズヤとのレスリング動画に続き鎌田吾作やいかりやビオランテとの絡み合いを見た。兄貴が出ている別のビデオも見た。そのビデオに出ていた他の男優が出ているビデオを見て…とレスリングシリーズにどんどんはまっていった。
ただ動画を見ているだけでは物足りなくなり自分も作ってみようとWindowsムービーメーカーでMADを作ってみたりもした。今でもニコニコ動画に残っているが、素人が作った拙い編集で今なら見向きもされないだろう。それでもコメントが付いて嬉しかった。そこから動画編集にはまった。
人付き合いが苦手な典型的なオタクニコ厨だったが、レスリングシリーズ(あとドナルド、松岡修造、エア本等)という共通話題で友人も出来た。使いやすい語録やたくさんのキャラクターが居る所など、昨今のアニメのノリに近かったんじゃないかと思う。
当時高校生だった自分も社会人になったが、あの時学んだ動画編集の技術や知識が今でも仕事で役立っている。兄貴には感謝してもしきれない。
「ホモビデオ男優をバカにするなんて」と怒る人も居るだろう。日本の動画サイトで自分が出ているAVがオモチャにされていると知ったら怒って当たり前だ。
しかし兄貴はそんなケツの穴がキツイ男じゃない。日本での扱いを好意的に受け取り、イベントに出るために来日し生放送に出たり自ら素材を提供したりと大人な対応をしてくれた。ニコ厨や運営の悪ふざけに乗ってくれるユーモア溢れる人だった。
イベントでの兄貴コールに笑顔で答える姿やインタビューでの受け答えなど「妖精哲学の三信」を体現化したような姿に感動した。ネットで創作された人物像そのものの「兄貴」がそこに居た。
レスリングシリーズが下火になってもtwitterでMADやファンアートに触れ、なぜか台湾のイベントに呼ばれてそこでも大人気だったようだ。
そんな彼の急逝。嘘であって欲しいと思う。しかしソースが母親の発言となれば信じざるをえない。本人のtwitterとFacebookも止まっている。仕方ないねと諦めるためにこの増田を書いた。こんな時間まで起きてるだらしない男でいやぁサーセン…。
女性向けジャンルの話だし全ジャンルに当てはまる訳じゃないのは分かって読んで欲しい。
はてなブログ初めて使うからミスとかあるかもしれないけど多めに見て欲しい。
ここ二日間で「神がカップリング乗り換えて大手になった話」だとか「小説書きとは仲良くなりたくない絵描きの話」とかを読んでたら自分も吐き出したくなって書くことにした。
字書き辞めて以降文章書いてないから支離滅裂になってるかもしれない。ごめん。
もう2年位前の話になるけど、私はある女性向けジャンルで小説を書いていた。その頃は楽しかったし、それなりに絵描きや小説書きの人たちとも繋がってキャッキャしていた。
イベントでもそこそこ本を出していたし「ああ楽しいな」って思いながら細々と小説を書いていたら一人のフォロワーが徐々に大手になっていった。
彼女の書く物はPixivにアップすれば大体一日で100ブクマはつくし、フォロワー限定のリスト公開のprivatterでは閲覧数が数時間で三桁以上になるというレベル。
多分、そのカプ好きな人は最低一回は読んでてもおかしくない認知度の人だ。
最初の頃は「〇さん凄いなあ!私も頑張りたい!」なんて気持ちで彼女の書く作品を読んでいたし応援もしていた。彼女の言葉が紡ぐ世界が好きだった。
彼女のツイートにどんどんいいねが付いて、そのいいねの数も数分で私が一度も貰った事のない位の大きな数値になっていくのを見て悔しいと思い始めたのだ。
彼女がイベントで本を出した後、仲の良い小説書きや絵描きと一緒に楽しそうにアフターをしたツイートと写真を見て羨ましくなったのだ。
「彼女のツイートは私がいいねしなくても他の誰かがいいねするから」
と言う気持ちで、彼女のツイートを見ないようにミュートをしたら気が楽になったのは覚えている。
でも、「〇のツイート、続き楽しみ」「〇の話、世界観綺麗だから引き込まれる」
なんていう共通フォロワーの空リプで彼女を褒めるツイートを見てしまい心が苦しくなった。
ワードミュートすれば良い話なんだろうけど、彼女のハンドルネームは一般名詞だったせいでその単語をミュートしてしまうと普通のツイートまで見られなくなる。
それに空リプだけが理由で大好きなフォロワーをミュートしたくなかった。
最後に、私の心を完全に折ったのは大手絵描きが彼女の書いた作品を読んだファンアートを投稿した事だった。
大手絵描きはフォローしていなかったが、そのカプを好んでいる腐女子なら絶対RTで見かけたことのある人だった。
それから大手絵描きと彼女はどんどん仲良くなっていき、最終的には大手絵描きに同人誌の表紙を描いてもらっていた。
大手絵描きが感想イラストを投稿した事をきっかけに、他の有名絵描きたちがこぞって彼女の小説の感想という名目のファンアートを投稿し始めた。
それを見た私の感想はただ一つだった。
「妬ましい」
私がどれだけ頑張っても一度も貰った事のない感想イラストを浴びるように貰う彼女が妬ましかった。
というツイートには
「は?私はそんなの一度も貰った事がない。自慢か」
そして極めつけには、私の方が数ヵ月も先にPixivにアップしていた話に類似したネタを堂々とツイートし始めたのだ。
まるで彼女の方が先に考案していたネタのように扱われているではないか。
私は彼女のツイートにいいねが100ついた頃、自分がアップしていた作品を非公開にした。
ネタをパクったなんて言いがかりを彼女の信者に言われたくなかったからだ。
寝ても覚めても大手字書きの彼女に対する嫉妬心は募る一方だった。
だからある日
「私生活が忙しくなったのでアカウントを消します。今までありがとうございました」
と理由を付けて創作アカウントを消した。当然pixivも削除した。今あるのはプロの漫画家や声優などしかフォローしていないロム専のアカウントのみだ。
そりゃあ私の書いていたカプは人気があったから私自身も10ブクマ位してもらっていたが、どうせ大手になった彼女と比べたら底辺字書き。
惜しむ人なんて居ないだろう。という気持ちで諸々を削除した。
その時の爽快感は今でも覚えている。それから「ああ、これでやっと楽になれる」
もう字書きを辞めてだいぶ経ったがやはり今でも「感想欲しかった」「好きです」の一言位ロム専の人に一言だけでも良いから貰ってみたかった。
私の書く物の感想が一言でも良いから、義理じゃなくて本物の感想が欲しかった。
同人誌に感想がフォームをつけたんだから一度で良いから感想を投げて欲しかった。
という「して欲しかった事への羨ましさ」の気持ちが多く残っている。
今回この話を書くことに決めたはてなブログを見て、大手になった彼女のアカウントを見に行ったら「最近あったイベントでもスペースに列が出来て大変だった。でも今回も書ききって満足!」的なツイートをしていてウヘァという気分になった。
私はオタクだ。いわゆる漫画とかアニメとかゲームが好きなやつ。
私は特に漫画が好きで、とにかく漫画を時代ジャンル問わず読み漁って、漫画でいろんなことを学び、人生観を養われたと言っても過言ではないくらい影響を受けた。
この素晴らしい作品を描く人たちは、こんな大変なことをしてまで何を残したかったんだろう。それを読み取り、その作品が在った意味があったと、私がよりよい人間になって証明しようと心に決めるくらい漫画が好きだ。
そのせいでキャラ萌えシチュ萌えで終わる短絡的なオタクが無理になった。
そういう2次元を崇拝する信者の暴言です。私の個人的な意見です。異論は認めます。
たくさん良い漫画がある。よい名言がある。ここから学べる社会的なことがある。
なのになんか公式厨名乗りながら付き合ってない2人をくっつけてどうたらとか、逆カプがどうとか、公式と解釈違い起こしたとか……
なに?!なんなの?!
品性なさすぎじゃない?!
そりゃあ私もファンアートは好きですし、二次創作も読みますし、その内容に関して解釈がどうとか言いませんよ。好きだし。
人それぞれ好みによりけりがあるし、そこは固定だの雑食だのは追求しません。
ただね、
・公式厨名乗りながらも付き合ってない2名を、公式公式言いながら付き合わせ、いかにも自分が正しいように振る舞うカプ厨
・二次創作で承認欲求を満たさないと生きてけない絵師(一次創作にもいるけど)
・公式と解釈違い起こしたとか言って公式を叩き始める自称ファン
公式じゃねえ!!!!!!!目を覚ませ!!!いかにもお似合いだろうが付き合ってはいねえ!!!!
二次創作で付き合わせるのは良いと思うし、そういうファンアートは私も見たいけど、公式じゃねえ!!!
お前は公式の直属の部下でもなんでもねえ!!!!!ただの!!ファンだ!!!
いいか?私たちは恐れ多くも好きな作品のキャラを""""お借りして""""絵を描いたり小説を書いたりしてるわけ!!
反応がなかったからどうとかで沼変えするなぶっ飛ばすぞ?!?!お前の承認欲求を満たすための作品じゃないんですよ。
ていうか、あなたの好きなキャラは恐らく少なからずとも努力してるキャラが多いと思うんですけど、あのね、見習えよ。全てにおいて好きというなら見習えよ。学習して。メンタル面も。
ファンがワーギャー騒げば騒ぐほど、作品の印象が悪くなるんだよ黙れ!!!!!!!
公式とソリが合わないなら黙ってファンやめろ!!本当に迷惑だ!!お前のせいで新規ファンを獲得し損ねてるようなもんだよ!!!
良いところを話そう?本当にファンなら良いところを見つけ出して布教しよ?それで新規ファン増えたら商品展開も広がるんだよ?文句言うだけ不毛じゃない?問題は好きなコンテンツに人が集まるかどうかだよ?
原作がどうなろうが原作の自由だし、まずお前は原作者じゃないし、本当なんなんだこの人種。
作品が面白くなくなったら投資する価値はねえ!見切りをつけろ!
そしてさぁ、最近語彙力ないことをステータスにするっていうか、語彙力ないことを面白がって
っていうのやめない?
お前推しのために語彙力学び直すことすらできねえの?国語学び直せよ。好きな作品のために。そのくらいやれよ。
作者が命がけで作品作ってるんだから、ファンも命がけなんだよ。
いい加減にしてほしい。
自分の好みと近しい作品を貪り漁って、その場の快楽を満たそうとするオタクが死ぬほど嫌い。
そもそもオタクってその分野で専門性があるからオタクなんじゃなかった?
オタクですらねえよ。そんなん。
ファンは作品の印象を背負ってるんだよ。ほんと、これだけは分かって。
ああいう人があのジャンルにはいるんだなぁって思われたくないでしょ?
全てにおいて公式が、原作が、作者が、最優先事項だから。ファンのための作品じゃなくて、作品のためのファンだから。
身分をわきまえて欲しい。
まじで。なんなんだ。
総括するとオタクめんどくせえな!辞められてよかったねおめでとう!で終わることだと思ったけど、自分もここ1年くらいアイマスを辞めたいと思っていながら切る勇気が出なかったクチで、明日にはsideMのライブに行くことになるので、改めて最近の考えをまとめてみようと思った。
『9.18の騒動でアフィブログやランキングを騒がせてる「アイドルマスター」ってなに?』
深夜アニメを見始めてネットに慣れてきた2011年、当時興味を持って見ていたことといえばやらおんとニコニコ動画だった。調べたらかわいいキャラクターがアニソンに合わせて歌って踊っている。それはもう追いかける要因になりえた。なんとなく見た目が好きだった竜宮小町がプレイアブルキャラクターから外されたことや、765アイドルと961男アイドルの絡みコラが面白おかしくアフィブログに載るのを目の当たりにして、ショックだったし怒りを覚えた。でもキャラクターは可愛かったし、曲もキャッチーで、ゲームのプレイ動画を見たりして毎日を過ごしていた。
当時程なくして始まった「アニメのアイドルマスター」がとても面白く、またオタクになりたての私には全てで、後発で始まった某スクールアイドルに変に対立意識を持ってしまったりしたせいで対抗意識を燃やすようにアイドルマスターにのめり込んだ。
そしてシンデレラガールズにたどり着いたのだ。
売り出し中でポチポチゲーがモバゲーのランキングを占める中、アイマスといえば信号機!メインキャラクターとして冠を置かれていたのになかなか出番を貰えないキャラがいた。Mだった。
この時点で、RとSにビジュアルでタメを張れるとは言えないキャラクターデザインの時点であまり雲行きは良くなかったのかもしれないと今なら思う。
CDリリースが決まり、当時人気のあるキャラ順ともいえよう数名に声優がつき、作品の冠ラジオが始まった。この時に属性ごとのパーソナリティがキャスティングされたが、信号機の順でいくとMだったはずのものが既に声が付いているJになったのを当時の私はわだかまりに思った。Mはまだ声優もいないしメインなのに前に出て来ない扱いにくいキャラクターだったし、あまりに新カードが来ないと記事にされているのをネタにされるのをたまに見ていた。そんな中訪れたアニバーサリーでついに声優が決まり、CDデビューが決まり、ガチャSRで登場した。好きになってしまった。声優も当時見ていた女児アニメの出演者と知り余計に親近感が湧いた。
そこから、Mを中心に漠然と信号機が好きになった。今でこそ歴史の積み重ねで声なしのキャラクターでも「担当」と名乗ることに不安はないかもしれないが、設定も小出しの当時は有名だったAやYに比べるとほぼモブみたいな扱いが多かったし、ピクシブもRとSだけが扱われたような2次創作も珍しくなかった。好きなキャラが仲間はずれにされて傷心しながらも、毎日のように更新される美少女のイラスト、テキスト、ボイスに夢中だった。
主題歌のシングルを買い、噴水公園のイベントやゲリラライブ、SSA、念願の1stライブ、雪辱の総選挙、そしてアニメ化が決定し、We’re the friends!のリリイベで初めて現地の観覧に参加して2ndライブの発表を聞いたり、とにかく楽しくて仕方なかった。
アイマスを辞めたいと思ったのは、『TVアニメ アイドルマスターシンデレラガールズ』で”アイマスに地雷ができた”からだ。事象の説明で長くなってしまうのでサクッと済ませるが、「自分の思い描いていたM」と「アニメで描かれた情緒不安定さ」・「Pやシンデレラガールズの200人近くと接するM」のギャップが受け入れられなかった。いわばMの夢女になってしまっていた。(夢Pとも言えるかもしれない。当時は夢理解がなかったので最近気持ちの整理がついてから名前をつけた)
アニメの展開をなぞるライブのセトリに3rdライブ以降あまり気持ちが乗らなくなった。その時点で辞めればよかったのだろうが、デレステが始まり、平面の世界にいたシンデレラガールズのアイドルが3Dの新しいステージにいるという、765シリーズを彷彿とさせるような”アイドルマスターらしさ”に目が眩んでしまった。
デレステオリジナル曲〜後発声帯実装キャラの飛躍により序盤のキャラクターや声優は出番が減り、私はラジオメインに以降していった。声優の活動を追うしかなくなった。
本格的に声優の個人ラジオを聴くようになり、イベントに通い出したところで気がついた。
結局今の今まで見ていたのは”M”なのか”Mを通した声優”なのかを見失っていた。
まあアイマスはその辺りの次元をぼかすのが上手だったと今なら思う。普通の声優はキャラクターにビジュアルを寄せたりしないからだ。その辺りは自分が型に当てはめたがりなせいと、2.5次元俳優を知った今だからこう思うのかもしれない。
「アニメが全てというわけではない、でも与える影響があまりに大きすぎる」
結局は自分が「キャラの解釈はこう思ってる!」って芯があればいいことだと思うけれど(リアルにギャルゲーに理解のある女オタがおらずみんなもれなく腐女子になっていったので)1人でオタクをしていた私にとって「ネットなら同じことを喋れる仲間がいる」ことは唯一無二の趣味だった。
アニメになると、自ジャンルが腐の友達でもみんな見てくれた。更にとっつきやすいソシャゲが出ればイチコロだった。そんな友達でも在学中は関係を損ねたくなかったし、アイマスの良さを分かってほしかった。宣伝したら見てくれて、話を理解してくれる友達も増えた。
ネットでは、解釈不一致の人と関わらないようにするのは容易だった。例をあげればコスプレイヤーだ。「Mというキャラクター」が好きだったので、コスプレイヤーはみんな顔やスタイルというオフラインの部分をちやほやされたい承認欲求がダダモレな奴らだと思い込み、ブロックしまくった。レイヤーがオタクの中で目立ち、オタクの種類の中で世間に例として挙げられることが多くなった現在ではこれは偏った考えだという認識もあるのだが、今後もレイヤーとは分かり合えることはないと思う。
一方自分はファンアートを描いたりしてそこそこツイッターの人間関係を築き上げることに成功した。作り上げるプロセスや褒められることで得られる承認欲求や快感はレイヤーとさほど変わりはないけれど、オタクはネットで顔をあわせることなく楽しむものと型にはめたがっていたところがあった。そうとは言いながら実際ライブや即売会ではフォロワーと会ってご飯などしていたので、なんだかんだネットの友達と会うことは楽しかった。容姿をオタクとしての楽しみに持ち込みたくなかった。
あまりに遅いが、私とシンデレラの最後は結局5thでMの声優が出る回をライブビューイングで合計2回見て終わった。千秋楽であまりの辛さに途中で席を立って、そこでやっと辞められた。もうMに対してもMを演じる声優に対してもお金を払おうと思わなくなった。それに伴ってツイッターのアカウントも消し、本格的に2次元の美少女と女性声優を好きになることを辞めた。
その後、イケメンが出てくる女性向けにハマってみたりもして声優ライブにも足を運んだ。平均30代くらいだと思うが、女性声優みたくかわいいとか見てて癒されたりは一切しなかった。ただ『顔の良いキャラクターの声をしている』と漠然と感じ、当たり前だがあざとかわいい系のキャラをゴリゴリのおじさんの顔が声出してるのを見て、悪い意味でも良い意味でも裏切られたと感じた。その中で一番若かった20代の男性声優は推せる!と思ったが、正直また若手かと正直自分に辟易した。(オタクめんどくさいな)
そこから初めて2.5次元という世界に触れて、舞台を見て、そこで初めて「推しは生きてる」と感じた。でも、どれだけ見た目と行動が完璧でもやっぱり2.5の俳優はキャラクターの声では喋らないのだ。そこから、声は声優に求めて、演技は俳優、キャラクターの成長は公式に、という考えが自分の中でちゃんと整理できた。
ちょっと前まではこれを声優に求めていたんだな、とも反省した。
結果的に、声優に無理やり2.5次元性を求めるのはやめて3次元アイドルを推すようになった。アイマスの現場でたまにいる”厄介オタ”の行動原理もなんとなく分かった。(当時は現地で近い席になるとペンラでぶん殴ろうかと思うほど憎しみを抱えていた)
3次元アイドルは生きているし、アイマス2みたく中途半端に成長しない。曲が良くて、歌が上手くてかわいい。現場も行きやすいし、会いに行ける。同性として可愛い子は見ていると元気が出る。(疑似恋愛にはやっぱり賛同しかねる部分があるけれど)
「推し」を推している時の感情は、Mを「担当」していた時と近いと思う。
「推し」って言葉はPから嫌われてるけど、ライトで使い勝手が良くて、追いかければ追いかけるほど熱が入っていって、今では「好きだ・応援できる」という時自分の常套句だ。
アイドルマスター、キャラクターの「担当」って言葉はやっぱり呪縛であり麻薬だと思う。自分がいなくちゃダメという錯覚。
Mに対しても、「ソシャゲに課金をして強くなりたい、カードを入手したい」という気持ちではなくて「声を聴きたい、新しい絵が見たい、この子がどんな行動をするのか知りたい」という気持ちのほうが強かったので、課金はあまりしてこなかった。時間をかけることもお金をかけることも、モバゲーのシステムには投資したいとあまり思えなかった。今思うと、この行動は「担当」ではなく「推し」だったのかなと思う。
デレステで限定が来た時に、それはもう当時持っていたお金を財布の中身以上に費やして、何が何でも72時間で入手しようとした。結果的には入手できず、ただ財布の中身以上のお金を擦ったという現実だけが残った。なんとも後味が悪く、シンデレラガールズを辞めるという感情に駄目押しをされた気分だった。
今でも「推し」と「担当」のファン行為としての境目は見つけられていない。
ミリオンの「担当」でSSRが来ても同じことにならないといいなと漠然と思っている。
765とミリオンライブを辞められずにいる理由。それは、声優の2.5次元性とキャラクターの設定の深さ、デザインの可愛さ、そして3Dモデルでキャラの実在性を感じられるという点だ。完成度の高さだ。
sideMの今後はどうなるんだろうと、まだどこか「アイドルマスターに」期待している自分がいる。
今度の新作発表会には、既存コンテンツの展開やアイマスの4つのシマの合同ライブなどを期待している。
アイマス2とアニメ以降、当時中途半端に存在をなかったことにされていた彼らがどこか気がかりだったので、2014年のSSAでsideMの告知された当時を知っていると復活することは喜ばしかったし、現にアニメ関連のプロジェクトが公開される2ndライブまでは嬉々として現場に通ってきた。
アニメ化は嬉しかったが、放送中も『Mの時みたいになってしまうんじゃ』と不安が拭いきれず、冷えながらもなんとかアニメを見切った。
そこからモチベーションや熱は戻っていないが、アイドルマスターを辞められなかったので明日からsideMのライブビューイングに行く。アニメ以降、sideM出演者のうち特定の声優を推すようになった友人と連番するつもりだ。リアル友達とアイマスの話をするのは楽しい。さらに言えば今後現地に行く予定もある。行くのはライブ後半なので、それまでにあわよくば熱が戻ればいいなと思う。
こう分かっていても、セカライで私は確実に声優を通してもふもふえんを見た。ある意味声まで備えた2.5次元俳優のようで、もふもふえんは無敵で完璧だったと今でも思う。かわいいし、カッコよかった。
他ユニットは「〇〇キャラ役の声優が歌っている」止まりで、それが普通だ。
でも、もふもふえんはそれを飛び越えた何かだった。実名を出してしまうと、男声優の歌とダンスを見て「あゆむらせかわいい」でなく「かのんさんぎゃわいい!!」になった。女性声優のアイマスには、この現象が全編に渡って効いている。一種の魔法だ。
サライ見に行くのためらってるのは、声優が見に行きたい訳じゃなくて315プロのキャラクターが見に行きたいからだ。
アイドルマスターは増えすぎた。キャラクターも、声優も。正直シンデレラガールズで徐々に増えていくのを追ってたけどもう完全にお腹いっぱいだ。
なんで3次元創作してる人って隠れないの?って常々思う私です。さすがに全ての3次元創作隠れろとは思わない。それこそ好きの気持ちを絵とかでしか表せない人いるよね。私もそうだからわかる。いわゆるファンアートならいいんだよ。公式の衣装だったり公式が絡んだことをそのままイラスト化するとかさ。
ただ完璧な創作は別。あきらか本人に送り付けたら何これ、何この猫耳、何この絡み、何この衣装ってやつ。ジャ〇ーズとか有名な芸能人ならそんなわざわざ見ないでしょ、逆にこっちを煽ってくるような行動や言動をあっちがするじゃん、別に良くない?とかそういう意見も多く見られる。
私が未だに自分が起こしたことだけど自分でひやってする話をします。
私が小さい頃の話。まだ同人とかそんなの知らなくて普通にマンガが好きだった私。いろいろネット上を検索して間違えてエロゲーサイトを開いてしまってわっやばい!てブラウザバックしようとしたときふと目に入ったパッケージ。これは私が知ってるあの作品では?一気に頭が混乱しました。私が好きなあの作品が勝手に使われてこんなエロ作品にされてる!ひどい!これ犯罪だよ!大変だ!
焦った私はその作品の公式サイトにいってメールを送ったんですよ。その作品について細かい情報を書いて。どうにかした方がいいですよ!って。犯罪だと思ったから。
犯罪は犯罪で間違いはないんですよね。今思えば同人ゲームの一種でいわゆる公式から見逃してもらってひそひそやってたもの。でも何も知らない人からしたら犯罪だし不快だしおかしなものなんだよ。3次元創作だって同じで不快な人がそれを見たら何かしら行動に移しちゃう可能性だってある。不快な人は見なければいいっていうけどそれだけじゃ済まない可能性だってある。特にアイドルはそう。偶像崇拝だもん。好きな人が汚されてるって思ったらこんなことされてるんです!おかしくないですか!?って公式に送り付けてもしょうがなくない?
あと正直そういう絵をあげてる人って結局承認欲求が強い人なんだよね。わかるよ、そういう絵の方が反応大きかったりするし3次元は2次元より目が肥えてる人少ないから2次元で目立たなかったけどこっちだったらバズれるとかあるよね。でも正直普段からそういうこと律儀に守ってる人からは嫌われるしそういう友達欲しい!てこっちの界隈に踏み込んだ時うわあの人じゃんってひそひそされたりする。こっちの業界って狭い業界なんだ。
私は大人しく鍵かけてそういう専用のアカウント作ってそういうこと呟く人たちとひそひそ狭い世界で話してる方がよっぽど楽しいと思ってるよ。
悪い例:凄いフリーソフトを作る、凄いファンアートを作る、凄いWEB小説を書く
悪い例:コンビニの冷凍庫に入る、街で態度の悪い人に喧嘩を売る
悪い例:女装オナニー動画をうっぷする、彼女とのハメ撮りを公開する
悪い例:デマをゴーグする、特定個人や政党を批判するため嘘をつく
人をいじめちゃいけません
ネチケットを守りましょう
どうも腐女子です。
痛いファンです。
あの二人は中野腐女子スターズと事務所一緒だったりして売れる前から腐女子文化は知ってたっぽい。売れてからは彼らも知るところ、ご覧の通りで痛いファンがたくさんだ。こんな風に。
いやでも彼らの腐女子ファンの割合が他のお笑いコンビと比べて有意に多いかどうかは分かんなくて分母が多いだけではとも。ピクシブ芸人1000users入りでの彼らがしめる比率を思ってもそもそも普通のファンが多いからファンアート創作ファンも多くなりさらに痛い二次創作ファンもどうしても多くなるというだけの話だと私は思ってるけど。
あの人(便宜上四文字熟語で司会専念と呼ばしてもらう)は2010s初頭の腐女子にとっては革命的だったんだ。卑屈で等身大で顔が可愛くて死ぬほど才能がある人たらし。そして彼(便宜上私たちの初恋)は今も昔もダメスパダリだ。
余談だが最近、初恋の思想に時代が追い付いたなと感じる。初恋は絶対に相手を悪いようにはしないお笑いをやるから、一昔前の悪口全盛バラエティじゃ映えなかったけど、そのじつ、今の寛容な時代を用意したのは、初恋ですよ。
話は戻るが彼らの普通のファンで「私はBLに嫌悪感がわくのだが最近彼らの活動を見ていてひょっとしたら実際にそうなのかもしれないと考え始めた、万が一そうならば私のこの嫌悪感は差別なのかと悩んでいる」と仰っておられた人を見たことがある。まあ、あの二人、正直仲いいんすよ。
で、嫌悪感にも種類があって、
①単純な同性愛嫌悪
②はあって当然というのが今実際現実問題共有されやすい感覚だろう。
ただ②も①にもとづくあれでアレなんちゃうかと混ぜ返されたら黙ってしまう。アレなんかな?いや、そんなつもりちゃうんやけど、でも(万が一)^2実際ホンマにそうやったら?
まあそんな悩みを仰っておられる人もいたなあということを思い出した。そういう悩みはただの悩みとして終わった。
楽しい杞憂は杞憂で終わって私はなんだかこざっぱりした気分だ。ちょうど、そう、10年だった。
めちゃくちゃいい夢からさめた。
ソシャゲはあんまり好きじゃないくせに10連ガチャを引くのは好きで、その日何となく10連ガチャが引きたくなったのですごく久しぶりにFGOを開き、詫びやらイベントやらで溜まった石を使って何回か10連を回したら、まだ持ってなかった風魔小太郎が来てくれた。
その存在はTwitterで流れてくるファンアートや二次創作で知ってて、見た目がBASARAの風魔と似てるなー程度にしか思ってなかった。
BASARAの風魔が好きだからちょっとテンション上がってマイルームに招いてツンツンしてたら、まぁかわいい。
なんでみんな教えてくれなかったのってくらい超可愛い。
マイルームじっくり使ったことなかったんだけどツンツンしたら表情変わるんだね。
ロビンフットは再臨したら目が見れるようになったけどこの子はどうなんだろう…
その日、曜日クエストはアサシンの種火集めだったから集めて再臨させてみた。
そしたら、見えない。見せてくれない。焦らしてくる。マフラーかわいい。
もっと…もっと育てないと…と思ったけどアサシンピースが足りない。
私はストーリーを進めて素材を探すことにした。
RPGとかノベルゲーとかストーリーがつくとゲームはとたんに飽きるし、普段ギャグマンガしか読まない読解力クソクソのクソな上に、FGO好きなひとには本当に申し訳ないんだけど、黒ひげさんのしゃべり方とシナリオのギャグセンスがどうにも苦手だったので三章途中で止まってた。でもアサシンの英霊倒したらピース貰えるって聞いたからとにかくアサシンの英霊がストーリーに出るまで頑張ろうってなって、もう一度こたちゃんと一緒に三章をやり始めた。
アステリオスとエウリュアレが尊すぎて知らん間にイアソンに中指立ててたし黒ひげさんかっこよすぎ。なんで最初からそのキャラやってくれなかったの。
知ってたけどFGO、やっぱりギャグマンガ脳みそ持ちには章が長い。まだあるの…まだあるの…ってなるんだけどこたちゃんが一緒だからがんばれそう。
ググったけどこたちゃん。イベントのキャラなんだね。ハマるのが遅かった。
でもこたちゃんのおかげでストーリーもう一回やってみようってなったから、それだけでも十分。
やっぱりやろうって思えるきっかけって心のちんちんに反応するキャラがいるかどうかだなって改めて思った。
私の場合はこたちゃんだった。
でもそれまでこたちゃんと頑張ってみたいと思う。
フレンドさん、今まで放置しててごめんね。フレンド解除しないでいてくれてありがとう。
やり場のない気持ちって悲しいときや辛いときだけじゃないんだなって思う今日この頃。
今自分が考えていることを一つの作品にしようと半年前くらいから頑張っている。
それがもどかしくて仕方ない。
作ってる物の特性で、頭の中ではそれは完成してるのに、実際に人がそれを理解できる形にするためには文章に起こしたりプログラムを組む必要があって、出来上がるまで「今これこれこういう物を作ってます」って簡単には公表できない。
今まで落書きみたいな絵や漫画しか描いてこなかった(アニメやゲームのファンアート)から、人から見たらぱったりと更新が途絶えたみたいになってるんだろう。実際Twitterのフォロワーもこの半年で200人以上減った。
でも今のほうがよっぽどしっかり頭働かせて物を作ってるんだけどな~!って思いながらそれを言うわけにもいかなくて歯がゆい。
追記:Twitterでの話です。色々な人を混乱させて申し訳ない。
結論から述べる。四男の検索よけに「市松」を使うのはやめてくれ!!!頼む!!
もう、おそ松さんが流行りだしてからずっと我慢してきたが、言わせてもらう。勘弁してくれ!
私は歴史が好きだ。それはもう幼稚園児の頃に歴史にハマり、今では近現代史を中心に学んでいる大学生である。それぐらいに歴史が好きだ。その中でもハマったのが、戦国時代の福島正則という人物である。功績や人物像は本件とは関係ないので置いておくが、福島正則の幼名は「市松」である。
そして私は、おそ松さん及びBLが大の苦手である。おそ松さん自体には悪いことはないので私怨だ。これは申し訳ない。ただ苦手なだけである。ただ、「市松」と検索かけてBLツイートが引っかかるのは我慢ならない。BLはパンピの目に入らないのが前提だと思う。好きなものを調べて、ファンアートの域を大幅に超えたものが飛び込んでくる現状には誠に遺憾である。なにより、私が今まで積み上げてきた福島正則、「市松」像にヒビが入った。
検索よけの精神は大切だと思う。思うが、自己グループ内でのモラルを守る反面、無関係な人が巻き込まれているのはどうだろうか。検索よけをしたがために、無関係な人が迷惑している。私だけだとは思うけど。私怨なのは承知している。でも、もっと他の検索よけの仕方はなかったのだろうか。私はおそ松さんのことをよく知らないが、四男でもよかったじゃないか。普通に壱松とかにしてほしかった(壱松ってワードが既存の場合はすいません)。何故、わざわざ「市松」とか凝った検索よけにしたんだ。今回はおそ松さんを取り上げたが、結構検索よけって無関係な人を巻き込んでるよ。
ここまで言うと、「まーた歴史クラスタが喚いてるよ」となるかもしれないけど、これは私1人の意見である。おまけにほぼ私怨みたいなものだ。歴史クラスタは関係ない。戦国クラスタ、福島正則クラスタは関係ない。私個人が抱えている大問題だ。「これだから歴史クラスタは…」ってなることだけは避けたい。それこそ無関係な人を巻き込んでしまう。
話を戻すが、腐女子の方の文化というより、検索よけの時に、誤変換をして発言するという文化があるのは知ってる。ただやり方を考えてほしい。「市松」は福島正則の幼名だけじゃない。市松模様、市松人形、割と使われている。これらを検索する人は、大体がおそ松さんとは関係ない。
おそ松さんクラスタの中でも、「市松」って検索よけの仕方はダメなのでは?と言っている人も何人か見かけた。ありがたいことだ。甘えていいならもっともっと言ってほしい。
私が純真すぎるのかもしれませんが、最近聞いた話が軽くショックでした。
ニコニコ動画などにあがっているMADと呼ばれるもののうち、結構な割合で業界側の人が作っているものがある、ということでした。
そういう形で人気の動画が生まれて話題になると、売り上げに影響するのだそうです。
最近はニコニコをあまり見なくなりましたが、それでも「世の中には無駄な時間を割いて面白い物を作ってくれる人がいるなあ」と
喜んで見ていた時期もあったので、めちゃくちゃびっくりしてしまいました。
いまは何が人気なんだろうと思って、サイトに行ってみると、ああたしかにこれは流行りを作ろうとしているんだなあっていう動画が散見されました。
はてな界隈では最近タイトルにPRを入れるかどうがで議論が起きてましたけど、それに通ずるところがあります。
でも、業界人が作っててもある意味ただのファンアートだし。(権利侵害はさておき。。)利益を求めて動画作って人気になるなら、それはそれで凄い。
嫌儲ではないはずなんだけど、もやっとしています。好きで作っている人のなかに、目的と動機が違っているものが入っている。
【追記】
>さらにいえば、宣伝用に関係者がMAD作るから嫌悪感っていうのは
>アマチュアが趣味で作りました、金儲けは一切考えていませんと本人が言ってるわけでもないんだから
>ただの潔癖症
アニメ業界は斜陽だーってずっと言われていて、今もボロボロになりながら作っている人が居るわけですから、
暇のある人が少しでも宣伝するためにMAD作っているっていうのは、応援したいところもあるわけです
趣味でやってる人たちばかりだったと思っていたけれど、そういう作品が好きっていう気持ちだけで回っている場なんてなくて、
本当はそれぞれがそれぞれの動機でやっているだけ、それが一つの紐帯みたいに見えていただけ
そんなことに気づいて、私はあまりに純朴でしたというお話です。。
ステマじゃん?って人もいます。どうなんですかね。人気の動画にならなければそんなに影響あることでもないでしょうけど、
ステマって言葉自体ちょっと定義が分かりません。お金もらって宣伝してたらステマにあたるけど、ただ無償で作ってたらステマにあたりますか?
ちょっと思うところあって個人の目から見た腐女子ルールの移り変わりとそこにいた私の変化について書いてく。諸説あるから私の渡り歩いてきたコミュニティはこんな感じだったという話で
ヤフー検索で個人サイトとかゴロゴロ出てきてた時代。最初はそんなに検索避けうんたらガーガーうるさくなかった気がするけど、だんだん検索避けはマナーって話になっていったような。
ちなみにこの頃は家にインターネットなんてなかったので学校のPCとかで同人サイトあさってた。多分言うところで言えば殺されると思う。でもそこに別に特に疑問は思ってなかった。たぶん最初はBLがなくNL中心に、年齢制限のない可愛らしいファンアートを漁ってたというのもある。
(このへんの二次創作ユーザーにおけるNLだから問題ないという高慢な考え方は今思うとどうなんって思うけど)
それに先生と仲良くなって放課後とかに許可もらって本当に「遊ばせて」もらってた(授業中に変なサイトいってたわけじゃない)から別に趣味でネサフして何が悪いのって思ってた。
今思うと先生に同人サイトネサフさせてもらえるまで仲良しになってたコミュ力すげぇな当時の私、って思う。今同じこと絶対できない。
・2000年代前半
うっかりBLに染まってしまった。そしてBLのサイトを漁るようになった。そのあたりから検索避けはマナーだと「みんながいいだした」。見るサイトでマナーサイトのバナーを見るようになった。無断リンク禁止という言葉を見るようになった。とても素直で純粋だった(今は見る影もない)当時の私は素直にそういうものなんだと思い、検索避けはマナーだし無断リンクはとても悪い事なんだと考えるようになった。
BLは隠れないといけないんだ!作者の目に触れてはいけないんだ!!って思ってたし、検索避けしてないサイトをなんて非常識なんだろう!って思ってた。インターネットの原則とかそういうものは全く知らなかったしハイパーリンクのなんたるかなんて存じ上げませんでした。
・2000年代中盤
ある一つのサイトと出会う。知ってる人もいると思う。「ガラマニ」さんである。
そこで受けた衝撃はもう本当にものすごかった。こんな世界があるのか、こんな考え方があるのかと正に雷に打たれたような衝撃と言っても過言ではなかった。
確かに言われてみればその通り、と思わされることはいくつもあった。
そこからそもそも検索避けって何だろうとあっちこっち調べて回って、検索避けというものに対してとても色々な考え方があるんだ、とようやく知る事ができた。
恥ずかしい、隠れたい、という気持ちはとても分かるけど、だからっていたずらにマナーだマナーだと隠れるだけじゃなくて、何のために隠れるのか、原作者の方にお目こぼしを貰って二次創作を楽しむ立場の人間として何をするといいのか、色々と考えるようになった。
けどやっぱり世の中の流れは検索避けはマナーで無断リンクは禁止に傾いていた、と思う。
・2000年代後半
オンラインブックマーク禁止とかそういう話が出てきた。この頃はもうそれがインターネットという広い世界からしてみればおかしな話だと分かっていた。
無断リンク禁止がとても我侭な発言だと理解していた。けれど他に都合のいい場所なんてないこともとてもよく分かっていた。
現実ではこんなに仲間と繋がることなんてできない。ネットの世界くらいでしか趣味について話せない。今ネットを経たれてしまったら精神的に死んでしまうかもしれない、というくらい、ネットのコミュニティに異存していた。
だからこそおかしなことはおかしなことである上で、それでも他に代替手段のないこの世界でどうやったら折りあいをつけていけるのかいつも考えていた。
だからネット上のルールを理解した上で、検索避けであったりを使いながら、禁止ではなくて誠心誠意お願いをしながら、どうにかこうにかそれなりにBLを楽しんでいた。
この頃は検索避けしすぎるのどうなの、と言い出す腐女子は増えだしていた。検索避けは必ずしもマナーではないという考え方は、だんだんと珍しいものではなくなっていった。
Pixivが有名になった頃。検索避け的にどうなの、という話はあったけど結局のところ今ではこの通り、超大型サービスになっている。
そう、当時Pixivは私の周囲の検索避け大好きな人達にとっては敵だった。あんなBLが誰にでも見られてしまうようなもの、というくらいの扱いだった。
でも結局個人サイトはどんどんなくなって、二次創作が見たければPixivに行け、という時代になった。結局なんだかんだ言って「たくさんの人と触れ合える」ことは魅力だったんだろう。
けれどやっぱり隠れたい、マナーが、と言う人はいて、Pixiv内にどんどん腐女子の独自ルールが作られていった、みたいだ。というのも、私はそのころPixivはやっていなかった。
その頃はまだ時間も元気もあったので、サイトという自分の城を更新していたし、活動の主体は文章だったから。
それにやっぱり、まだBLが大多数に晒されるのは怖かった、というのもある。あんなところに行っては誰に見られるか分かったもんじゃない、とビクビクしていた。
検索避けや独自ルールはそれでも根強く残っていたけど、もうなんだか最初の主張から比べるとなぜ検索避けするのかの大義名文すらどこかに行ってしまっていたように思えた。
・それ以降~最近
SNSだの何だの発展が早過ぎてむしろ流れをはっきりと思い出せない。
Twitterは最初周りでは「オタクの集まりでどんなヘンタイ発言も許容してくれる」みたいな扱いだったのに今やマナーがどうだとかやっぱり腐女子ルールができた。
腐は鍵垢に篭れとさんざん言われたし、オープンでBLの話をするとマナー違反だと言われた。
時代が「二次創作って黙認だよね」とか「公式で二次創作OKな作品も増えてきたよね」って中でそれでもBLはなんだかケガレみたいに扱われているところがある。
サイトはどんどん閉鎖していき、結果二次創作サイト向けのマナーも語られることはなくなっていった。
かわりにツイッターでのマナー、ピクシブでのマナーが語られるようになった。でもマナーは結局のところわたしたちのかんがえたさいきょうのマナーでしかなかった。
字は100字も書いてない
たまに書くと違和感がすごい
ガチで字が汚いし、字が思い出せない
記事やちょっとした数ページの漫画ならネットで腐るほど読んでるが
本を読まない
有意義なことが書かれている本が少ないと気づいてしまったし、常にPCやスマホを優先してしまう
中を検索できないことにイラつくし、詳しく章立てされていないことが嫌だし
ブコメ無いし
章にリンクされてないのも嫌だし、Kindleは読みづらいし、有料だから気軽さもない
でも本はとても好きだ
漫画は高校生の時に500冊は持っていた(今はダンボールの中)
老後の楽しみにしとくか
TVチューナーならディスプレイを代わりに使うだけだからとても安定する
ディスプレイなんて5台もあるし
これで私は週に1回けものフレンズを見てる
そのために買った
一人暮らしにおける自炊はもはや贅沢な趣味なのではないだろうか
私にそんな余裕はない
元々絵がドヘタクソで、10年くらい練習して描けるようになったが
得意な人が得意だから、あるいは絵を描いてて楽しいから描くのだろう
私のように苦しんで練習して・・・という時代ではないのかもしれない
ジムに行くようになって気づいた
ただ夏は走りたくないので自転車買いたい
小銭が貯まって喜ぶという
ないな
直接的に結果につながりやすいのは、モバゲーのほうで春~初夏頃に開催される(はずの)総選挙に投票することだろうと思います。例年の傾向では、イベントを進めたり有料のガチャを回したりすることで投票券を入手でき、その投票券の数だけ任意のアイドルに投票できます。上位に入賞したアイドルはCDデビューなどが約束されることが多いです。
ただ、既に数回開催されていてもまだ声のついていない人気アイドルも大勢いて、とくに東郷あいさんや水野翠さんも属するクール属性は順番待ちで渋滞しているなどと言われています。個人の力だけでは、下馬評を覆すのは難しいかもしれません。
そこで、担当アイドルの周知活動に注力することが推奨されるでしょう。pixiv やtwitter あるいは動画投稿サイトなどでファンアートやマンガ、担当アイドルを主演させる動画などを発表することで、担当アイドルの魅力をアピールしてみてはいかがでしょうか。デレステのプレイ動画やスクリーンショットでもいいかもしれません。
地道ではありますが、担当アイドルに総選挙で投票してくれるファン(プロデューサー)を増やすのが、プロデューサーにできる応援だろうと思います。
1.二次創作はファンアートであるという建前が揺らぐ。コロコロと扱う作品を変えて、しかもそれらがその時その時の人気ジャンルだったとしたら、儲けや人気取りのための二次創作であると取られても仕方がない。単なるミーハーということもできるが。(ミーハーも人気を不必要に傾斜させ、過大評価と過小評価を作り出す害悪だと思っているが、これはまた別の話だろう)
2.キャラクターが使い捨てされる恐れ。もとよりそのジャンルに長くとどまる必要が無いのだから、過剰な属性付けやキャラ弄りでキャラクターを消費してしまう傾向があるように思う。イナゴ系の同人作家というのはこれという作品はない一方、これという作風やジャンルを持っている場合が多い。作品やキャラクターはそれをやるための踏み台として消費される。古参がいい気はしないだろうな。
まあでもそう悲観や憤慨することもないんじゃないか。どうせ時期が来れば次の餌場を求めて去っていくのだし、彼らが去ったその後のジャンルはむしろいい安定期のように見える。もっともその作品に地力があったればこそだろうが。