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はてなキーワード: トップレスとは

2021-03-09

トップレス運動に近いかもだけど、モデルミニスカートとか履いた時に「大胆に」みたいな売り出し方するのやめて欲しい。

なんで「大胆」って言われちゃうかと言うと、それによって男性から性的目線が集まってしまう「のに」露出するから

実際ミニスカートとか背中が開いてる服を着ると、普段よりナンパかめっちゃ増える(痴漢はなんでかむしろ地味な時の方がされる)。

露出が多い服着る時は「男の注目を集めたい」んじゃなくて「自分がそれがカッコイイ、かわいいと思う服だから」な時なんだよな。

好きな服くらいなんの心配もなく着せてくれよ。

anond:20210309190456

だったら「女体をいやらしく消費するエロ本」に反対するのとトップレス運動って根幹は一緒だよね?何が違うの?

anond:20210309185505

そういやトップレス行進とかしてましたね…

最近は見ませんけど

2021-02-09

anond:20181106091944

そもそもプロレス自体サーカス見世物から始まったもので、全然「(アマチュアレスリングプロ化したもの」ではない。

そして言うまでも無くサーカス見世物というのは、人権的な見地で言えば明らかにアウトな代物だ。

もちろん、現代プロレスラーはその多くが一応自由意志で入門し、自由意志トップレスラーを目指して努力し、リングに立っている。非人道的搾取構造があるとまでは言えないかもしれない。しかし、「ありえないくら自分の体を痛めつけ、それを見世物として多くの観客に向けたエンターテイメント提供するサービス」という本質は変わらない。「民衆」が集めた「資金」という名の王の権力によって戦わされる奴隷、その意味ではローマの闘技場から見てすら一歩の進歩もない。

この10年あまり、かつて人々の心を震わせた数々の名レスラーの多くが、体を酷使しすぎたあまり寿命というには若い年齢でなくなっている。いずれ「プロレス」それ自体人権的な見地から、認められない時代が来てもおかしくないだろうと思われる。特に女子」に限った話ではない。

2021-01-22

anond:20210120133357

うん。霊感だけど、欧米フェミだったら「女性電車で股を開いて座権利がある!」って言うと思う。「女性も街中でトップレスでいる権利がある!」って実際に主張しているように。

なんで日本フェミって「女性男性と同じ自由を与えよ!」ってリベラルな方向ではなく、「男性女性と同じ制限を味わえ!」って全体主義的な方向に行っちゃうんだろう?

それやっても女性押し付けられる制限は現状から減らないし、男性も「平等」に制限押し付けられることにより、その制限自体正当性ますます強くなるはず。要するに自分を苦しめている構造の強化に加担してる。

男性が苦しんだだけ女性の苦しみが減るとゼロサム思考してるのか、報復感情を満たそうとしてるのか……

2021-01-04

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

あいさつ

新年おめでとうございます

直近の記事まとめ

タイトル執筆時点のブクマ投稿投稿曜日投稿時刻
手塚治虫「ブッダ」とおっぱい、20世紀のおっぱい税2762020/11/0208:05
フレンチ・カンカンの穴あき見せパン、トップレスのショー842020/11/1008:24
ラインダンスとレオタード少女、ブルマーの追記482020/11/1608:10
カーニバルのギリギリなビキニ、その歴史112020/11/24火(前日が祝日08:04
ベリーダンスとマーニャのふんどし342020/11/3008:10
ボディペインティングとドラえもんことわざ辞典のCFNMとPETA152020/12/0707:57
根本的な疑問。ブルマーとスク水とセーラー服はなぜ紺色?142020/12/1407:49
赤ブルマーの起源、障害者スポーツとブルマー292020/12/2108:07
イギリス人の緑ブルマーと赤ブルマー、スパンキング、お尻ペンペン42020/12/2808:01

ブルマー記事考察

noteでやらない理由

ブクマで、どうしてブルマー調査個人ブログnoteでやらないことをいぶかしがるコメントをいただくこともあった。理由はいくつかあるが、一番の理由はこの匿名環境が心地よいためだ。もしもコテハンで延々とブルマーについて語っていると、自分アイデンティティの深いところにブルマフェチであることが刻まれしまうだろう。現に、さっきブルマーを脱がしてお尻を見る夢を見た。いつしか毎週のようにブルマーについての考察を書くことが求められ、承認欲求からそこに依存し、それが完全に習慣になってしまう。怖いことではないだろうか。

さらに、ある程度ライターブロガーとして名前が売れたら世間話題になったり、現在進行形炎上していたりすることについてコメントすることが期待されるかもしれない。それは、気晴らしとはほど遠い。自分がやりたいのは個人的に気になったことの調査であり、それ以上ではない。だいたい、世間議論不毛なことが多く、建設的でない議論に巻き込まれても面白くない。要するに、期待されると疲れるのだ。

また、この記事ほとんどが海外情報斜め読みとその翻訳からなっており、それで閲覧数を稼いだり、有料の記事を作ったりするのは少しばかりおこがましく思う。最近はあまりかましく言わなくなったのかもしれないが、リンクフリーかどうかもわからないサイトから引用している個所も多い。コンプライアンス的にはグレーだろう。こうして書いた記事がバズったら確かにうれしいが、あまりブクマ数は気にせずに遊びとしてやる距離感が一番楽しいバズることが自己目的化しては意味がない。

匿名性の良さにはほかにもある。増田という環境情報書き手受け手関係フラットで、記事の誤りを気軽に指摘してもらえるのだ。もともと自分勉強のためにブルマーについて調べていたのだから批判も含めてあらゆるコメントはいつもありがたい。

更に、増田でこうして書いたことで学べたこともある。ライター業というのは思いのほか大変なのだ。まとまった長さの文章を毎週書くことをしばらく続けてみたが、テーマを選ぶことも調査することもそれなりに気力を使う。小説で長い文章を書くのが元々苦ではなかったので、こういう記事簡単だろうと油断していたのだが、自分で考えた締め切りを守るのも負担だとわかった。ましてや自分の興味がないことも書かないといけないうえに、ウケるテーマを探さないといけないプロはなおさらだろう。一時期、文筆業に憧れていたことがあったのだが、こうして実際にその真似事をやってみると、その苦労がどれほどのものか、かなり実感がわくようになった。

かに自分妄想必死でひねり出して数万字書いてスルーされがちな小説と比べ、調べたことをまとめたものはほんの数千字でブクマがもらえるので、かけた手間と承認欲求コストパフォーマンスはこうした記事のほうがいいのだが、そういう問題ばかりでもない。

とはいえ面白経験ではあったので、例えば僕のフェティシズムとは関係のない記事を書いて、どの程度伸びるかどうかを実験しても面白いかもしれない。たとえば、筆者はよく美術館に行くのだけれど、刀剣には詳しくないため、どこをどう見ればいいのかがわかっていない。それについて調べた記事なんかを書くのもいいかもしれない。さっさと書籍を入手しろという話かもしれないが。

また、何かまとめたくなったら書く。それがいつになるかはわからない。

2020-12-12

なんで男が不倫して別れないと女が叩かれるの?

一応前置きするけど、このタイトルだとフェミっぽいけど自分あんまりフェミは好きじゃない。

そもそも不倫して断罪するのは不倫された側であって、他所様の家庭のそういうことに口を突っ込むのってあんまりしないほうがいいんじゃない?って思う増田です。

ましてや赤の他人がね。

でも佐々木希結構いろんな人から叩かれてるよね。

離婚しないなんておかしい!もっとはっきりとした態度で!」みたいな。

さっきもネットニュース上がってたけど、大物女優二人と佐々木希が対談した時に佐々木希が恐縮しっぱなしで全然意見が話せず、これは渡部の件が影響してあまりさないほうがいいだろうと判断たからだ、離婚しないという決断が間違いでなければ良いですね、みたいな。

そんなこと言われる必要どこにあるのかね?

なんか、「佐々木希大変だね!孤軍奮闘大黒柱!」って言いながら、内心「こいつ別れないとか頭おかしいんじゃないか?」みたいな考え透けて見えてて凄く気持ち悪い。

乙武の時も酷かったよね。

妻が不倫肯定しててお騒がせしてすみませんみたいな謝罪文乙武と一緒に出したら「洗脳されてる」ってはてブでも凄い吹き上がってた。

反面、フジモンとかは全く叩かれないじゃん。

木下優樹菜がどんだけ好き勝手やってても、「こいつと別れないなんておかしい!」みたいな批判フジモンに届くことはないよね。ひたすら同情的。

何がそんなに違うのかなって。

まあなんでもかんでもフェミに結びつけるのも良くないけどさ、女性が何しててもいいじゃない!っていうのがフェミの根源なわけでしょ?

トップレスで歩こうと、一生独身でいようと、個人尊重するべきで女性らしさを押し付けるなっていうのがトレンドなわけじゃん?

なのに不倫については、夫を妻が断罪するべきで、それをしないのは昭和価値観女性のためにならない!アップデートするべき!みたいなのって、なんか本末転倒で、結局新しい女性テンプレを作りたいだけじゃない?って思っちゃうよね。

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-11-19

anond:20201119071906

TOPを考えた洋服を来ていれば

露出狂「ニイチャンもトップレスで登場派?気が合うねェ!!」

2020-11-10

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-11-07

anond:20201107004110

増田広告コンプライアンスの話ではなく、デモの話がしたかったの?

これも増田以外でやっちゃダメだぞ?🙅‍♂️

 

ここから増田トラバ(要望)に沿って話題が変わります

 

  1. トップレス法がある州でどんな時に逮捕されるのかについて語りたいのかな?

  2. まさかとは思うけど男を喜ばせるためにおばあちゃん👵もトップレスになってデモに参加していると思っているのかな?
    男性👨もトップレスデモ参加しているのだけど男性男性をあるいは女性を喜ばせるためにデモに参加していると思っているのかな?

  3. どんな時に逮捕されるかという法の話ではなくて、日常倫理常識の話がしたいのかな?
    エロ萌え絵の愛好家も、エロ絵・萌え絵の手提げで会社学校へ行かない。TPO性別関係ないよ

2020-11-05

anond:20201105153026

で、今度は上裸の権利を求めるトップレスデモが起きるんだな。

anond:20201105153026

外国で「女もトップレスになる権利を」っておっぱい丸出しデモをしてる人のニュースをたまに見かけるけど、ああいう人らは支持をえられないのかな。

2020-11-03

anond:20201102080505

書いていないけど、日本昭和までの海女さんも漁の時トップレスね。宗教思想気候関係なので、そこで調べてください。

2020-11-02

anond:20201101234803

巨乳という身体的特徴の誇張を「性的表現」と表記するのはいかがなものかと。性別関係なく、筋肉量が多い人もいれば、胸や臀部に脂肪が多い人もいる。積極的に自らの身体表現する人もいれば、それを望まず隠す人もいる。身体の在り方も表現の在り方も自由であるべきなのに、それをことさら性的表現」と主張して物事を荒立てさせて表現を委縮させてはならない。

生殖器性交性交類似行為表現を「性的表現」とするのはわかるが、大胸筋や乳房肥大なことを意味する巨乳を「性的表現」とするのは旧態依然としたジェンダーを殊更強固にするだけで、男女同権の実現を遠ざける悪しき風習であると考えられる。ニューヨークでは男女同権を訴えるために女性公共の場トップレスになる権利を主張しているというのに。

表現から何らかのジェンダーを読み取ることは自由である巨乳女性らしいとしたり筋骨隆々な人を男性らしいと読み取ったりして、そこから更に「性的表現」を連想するのを咎めてはならない。しかしながら、それを「性的表現」と発露することは悪しきジェンダーギャップの強化へと繋がることになるので、今後は控えてほしい。

トップレス民族フツーに現存するやんけ anond:20201102080505

たとえばヒンバ族とか

https://tabippo.net/himba/

 

服を生産するコストよりも別の手段で皮膚を守る方がローコストだっただけだと思うよ

例に上げたヒンバ族ならオーカと呼ばれる赤土と牛の脂肪を混ぜて作ったもの身体中に塗り込み、紫外線乾燥から皮膚を守ってるとかさ

だいたいの先住民族は何か肌に塗る。一部の動物もそうだね

 

宗教の影響がなくとも、文明が進んで服を作るコストが下がったら服着るようになったと思うよ。多くの民族がそうであるように

だって合理的理由がないもの

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

2020-10-12

女性向け風俗で働きはじめた

仕事休職することになり、1ヶ月ほどなにもしないでいたのだが暇になり女性向け風俗で働きはじめた。場所東京以外の都市部

から自分射精しなくても相手気持ち良くなってくれることに満足感があり、「はじめてちゃんとイけた」と言ってもらえる子もいままでに数人いた(優しさから言葉だったのかもしれないが)。

なにがしたいかな…?と考えたところ、気持ちよかったと伝えてもらったとき精神的な満足感がふと浮かび「女性向けの風俗などはあるのか…?」と調べてみたところ、びっくり。結構あるんですね。この時点まで女性向け風俗存在は知らなかった。

「住んでる土地名+女性向け風俗」と調べ、Google検索トップヒットする店の求人情報を調べたのだが、入店までに何度か研修があり、研修費として数万円をとることのこと。他のお店を調べても基本はこのスタイルになっている。

この時点で「研修費を名目に少しでも稼がないといけない業界なのか…?」と疑心暗鬼に。研修不要だとは思わないが、女性不快感を与えない容姿であるかを基準面接をして、合格したひとだけに研修を行えばいいのではないかと思うが、こんなところでお金を稼いでいるのかと。。


いきなり研修費に数万円を溶かすのは嫌だったので、研修費がゼロのお店を選ぶ。

LINEでいくつかのテンプレ質問(年齢や身長体重など)に答え、面接の予約をする。ここまで数日。

面接は多分「こいつは最低限(容姿コミュニケーションなどの面で)働けるのか」というチェックだけされる。「いつから働けますか?」ということになり、すぐに入店日が決まった。

女性向け風俗は「女風」とよばれていることをはじめて知った。

入店日までに登録作業なるものを行う。自店のHP入力した内容を、いわゆる普通女性向け風俗情報サイト(ぴゅあらばさんや、fuzoku.jpさんなどが有名)に加え、「kaikan」という女性向け風俗専門の情報サイトに流し込んでいく。「トップレス可」などの文字に「ああ、こういう世界に来たのか…」という気持ちになる。情報サイトには登録用のフォーマットがあり、基本的プロフィールの他に可能プレイにチェックをつけていくのだが、「即尺」など、ち○ぽが付いている前提のものスルーしていくのがシュールだった。風俗向けの情報サイトはこんなふうにできているのかとおもしろ登録作業を見させてもらった。

多分、女性向け風俗とのいちばんの違いは「フリーで入るお客さまがごくごく少数」なところなのではないかと思う。

女性向けの風俗普段からしまれている方はTwitterアカウントを持っている方が多く、セラピスト女性向け風俗ではたらく男性をこう呼ぶのだそう)とかなり高頻度でDMのやり取りをしているらしい。

先輩いわく、「ほとんどのお客さまはまずDMをしてから来る、フリーの人は全体の1割にいるかどうか」ということだった。

なので「Twitter無差別フォローフォロバからフォロワーを増やすツイキャスを行う→コメントをくださった方などにDMを送り指名はいってもらう」というのが女風の鉄板コースらしい。

恥ずかしながら入店1日目ではお客さまにあたることができず、どんな人が利用しているかなどはまだわからないのだが、働いている子はすごくいい子が多いという印象。

ホスト業界とかも恐らくこんなもんなんだろうと思い至った。日々のコミュニケーションから、お客さま候補の寂しさみたいなものを慰めて指名につなげる…。

男性向け風俗は、自身経験から「ヌきたい→情報サイトで好みの子検索(もしくはフリーはいる)→予約」というのが多いのかと想像していたが、女風ではまったくそうではない。

もちろん男性向け風俗でも、心がこもった接客をし固定客をつかまえる必要はあるのだと思うが、女風の世界はあまりにそこにウェイトがおかれているのがキツい。あまりおおっぴらには語られないことだが、自分のように、もう女の子とウェットなめんどくさい関係性になるのはしんどいので風俗を利用する、お金を払うのだからその時間は楽しませてねといったニーズ女性版を想像していたのだが、まったく違う世界だった。


入店して1日目なので、もしかしたらちょっとした自分へのご褒美や、男性的な割り切ったニーズで女風を使う方もいるのかもしれないが、いかんせん大部分がそうではないお客さまのようだ。

もちろんお店によって客層は違うのかもしれないが、他店のセラピストさんを見ていても大体の方がTwitterに力を入れている様子で「あれ、ちょっと思ってたのと違うな…?」と感じている。

ぼく自身キャバクラなどは自分お金ではほとんどいかないのだが、風俗ドライにその時間を楽しむという感覚で時々利用する(といっても、半年に一度ぐらいだが)。

限られた時間で、お互いの目的が分かっておりサービス化されたものお金を払い受け取るというのは楽だ。資本主義恩恵

自分の力で最初から最後までつくりたい!というものサービス化されてないところから取り組むべきだと思っているのだが、自分にとって射精はそこまで強い思い入れはない行為だった。

安直に「だれかと一緒にいたい」「出張中なので少しご褒美するか」といったニーズで、女風をつかうお客さまが増えればいいのになあと思いながら帰宅したのだが、そのような女性一般的ではないのかもしれない。

結婚しない女性も増えていて、全体の所得も上がっているし、全員というふうにはもちろん思っていないが、もう少しドライに、気軽に女性向けの風俗が使われてもおかしくない条件はマクロ的には揃っているのだと思うのだが、これはぼくの感覚おかしいのだろうか。女性への理解が足りていないんだろうか。それとも「女性向けの風俗」ということ自体認知度が低すぎるのだろうか。

もし男性向け風俗で働いている女の子がみんなこのような努力をしているのだとしたら、すごい。もともとこの業界には偏見がなく、むしろ尊敬に近い気持ちがあったのだが、もしそんな苦労まで抱えているのだとしたらより尊敬が増す。

これを書いている本人が水商売向いてない可能性も否定できないですが、女性向け風俗認知が少しでも広がると嬉しい。

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-08-29

anond:20200829094935

キャラとして擁護するのは原作ファンであって、原作ファン以外も広告みるから問題ってことじゃねーの?


半裸については、女性トップレス描写が受け入れられていない現状では露出できないでしょ。それをやりたいなら受け入れられる土壌を作る運動をしなきゃ。

2020-08-10

anond:20200810131826

アンチフェミのいう「まともなフェミニズム」って

おっぱいまるだしで活動するトップレス運動家

風俗従事する自由を主張する人

巨乳を売りにしているついったらー

とかだしな。いや彼女らもフェミニストなのだろうけれど、アンチフェミ下半身に正直すぎる。恥ずかしくないのかと

理性と吟二を持てよ。アンチフェミならきっちり↑みたいのも反対しろよ。何自分ちょっとうれしくなっちゃうようなフェミの主張には迎合してるんだよ。アンチフェミとしての誇りはないのか。ないか。ないなそんなもの

フェミニスト一人一派って何がおかしいの?

そもそもフェミニスト」って言葉自体、「アニメ批判したやつ」あるいは単に「気に食わないことを言う女」くらいの意味で使われて定義無限拡散している中で、「お前らはフェミニストだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がフェミニスト認定したやつはフェミニストだ。フェミニスト認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ」って無茶苦茶ではないか

例えばフェミニスト自称する団体Aがいて、その団体の明確な構成員として活動しているaがおかしなことを言ったとき団体Aに対してaを批判するよう求めることはできるだろうけれど、多くの場合そうではない。

思想的にも主張的にも関連性がない、そもそもフェミニスト自称してもいないネット上のひとつつぶやきを拾ってきて、「フェミニストがこんな事を言ったぞ!さぁ全世界フェミニストのみなさん、こいつを批判しないとあなた達はダメダメですよ」みたいなことを言われても、まずフェミニスト定義を明らかにしないことには何もリアクションできないでしょう。逮捕されたオタクなり表現の自由戦士を持ってきて「これだから表現の自由戦士犯罪者予備軍」とか宣う輩と程度的に変わらない。

一口フェミニストといってもパワハラセクハラマミトラック育休的なビジネスサイドの面もあれば緊急避妊薬がどうのとか風俗従事する自由とかトップレスとか性に関することまで様々。それを十把一絡げにして全体で統一させないと嘘だって支離滅裂やぞ。

追記

「お前らはオタクだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がオタク認定したやつはオタクだ。オタク認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ。ついでに死ね

これは誰を想定した発言フェミニストフェミニストオタクに対してネット全域に渡って思想や主張の一致を求めたり、そこから外れたオタクについてオタクの中で総括するよう求めている?そういう事実があった?それともあなたがそう思っているだけ?

他人を殴る時は十把一絡げに属性で殴り、自分達が攻撃されたら「一人一派」の印籠で関係ないと切断処理して知らんふりするからおかしいと言われるわけだけど散々言われてようやく自分達の支離滅裂さに気づいたのか

ここでいう「自分達」とは具体的に誰・どの集団のことですか?

ネット上に他人を十把一絡げに属性で殴る一般人が一人いた

そいつフェミニストだと思う(あるいはフェミニストだと自称していた)

・なので俺たちはネット上すべてのフェミニストを十把一絡げに殴ってよい

と言ってます?それこそ支離滅裂だと思いませんか?

一人一派は個々の思想指向性矛盾しても免罪符として機能し、フェミニズム内で矛盾誤謬詭弁暴走も黙認される。つまり何でもあり。思想運動として問題がある。フェミニズムは一度解体されるべきと思う。

ネット上全域に渡って教条思想完全に一致した思想運動寡聞にして存じ上げないのですが、そうした思想運動があるのですか。通常、ネット上の運動はゆるやかな連帯を以て進行するものと思いますが。

また、「アンチフェミニズム」や「表現の自由派」などがフェミニスト教条思想の一致を求めるのであれば、同じく思想運動であるアンチフェミニズム表現の自由派もネット上で構成員間の思想完全に一致させる必要が生じますが、そんなん無理じゃないですか?

フェミニスト自称する人が一人一派なんて語るのはおかしいよ。本文で言うように他人勝手フェミニストと名付けて矛盾をあげつらうのももちろんおかしいよ。タイトルと本文の間に繋がりが見えないんだが何なの。

オタクの中にもガンダムオタクプリキュアオタクゲームオタクゲームの中でもRPGオタクFPSオタクと、単にオタクといっても中身は多様。しかオタクであるという一点では共通し、ゆるく連帯もしている

フェミニズムも同様で、人類の半分の女性全般権利を取り扱う運動なのだから主義主張が人によって異なり細分化されていくのは至極当たり前。で、イシューごとに必要に応じてKutooとかで連帯して成果を出しているわけでしょう。何も問題がない。

自分観測範囲ではそもそもフェミニスト自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない

・むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方

・またフェミニスト自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?

アカデミアの世界でも〇〇派、✗✗派といった主張の派閥存在するのだから、ゆるく活動しているネット上のフェミニストが「一人一派」になることも自然ではないか?何が問題なのか

・逆に、一人一派批判している思想集団であるアンチフェミ」なり「表現の自由派」はネット全域で思想を一致させているのか?NOならばアンチフェミ表現の自由派も一人一派なのだし、それでよいのでは?

追記2】

フェミニズム運動学問として成立するわけがない」とか評している人もよくわからないな。

あなた評価はどうでもよい。

事実として、MetooとかKutooとかは世界的なムーブメントとして成功してるじゃん。どう評価するとかじゃなくて、もう事実としてうまくいってるじゃんフェミニズム

すでに運動としてバリバリ成功しているものに対して「運動として成立しない」とコメントする意図がわからない。私含め、ネット書き込みしているだけの皆々様と違って、フェミニストネット活動した上で現実社会での成果にも繋げてるじゃん。そこは直視したうえで批判しようや

追記3】

“むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方”→追記でこいつが書いてる。この記事タイトルと見比べろよ。一人一派何が悪いの返しが、アンチ勝手に言ってるだけって。糞バカ以下だ

トラバでも触れたけれど

フェミニストの中で明示的に「一人一派理論採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である

・それはそれとして仮に(社会運動としての)フェミニスト一人一派であっても何が悪いのか

って矛盾なく成立するし、引用いただいた箇所の直後に「フェミニスト一人一派になることも自然ではないか」と明示的に書いてもいるのだからアンチ勝手に言っているだけ」との理解は明らかな誤読ですね。文意を断ち切って部分的引用するのはやめましょう。

攻撃してこないなら何でもいいよ 攻撃してくるやつが同じ看板掲げてるクセに土俵ころころ変えるのがダメなんだよ 考え方に対して対抗も出来んじゃないか 何で学者ですら一定統一ルール持ってないんだ

この認知も本当にわからない。ネット上で「攻撃してくるやつ」はみな統一された主張を持っていないといけないと言っている?

フェミニストの側がフェミニスト自称して同じ看板を掲げているというより、アンチの側が攻撃してくるやつのことを勝手フェミニスト認定しているパターンの方が多くないか?「攻撃してくるやつ」程度の認識で多数の相手を一纏めにフェミニスト認定しているのだから相手方の主張が都度異なるのも同然では?

それとも悪の秘密結社が作り上げた恐怖の洗脳統合思念体フェミニストみたいな存在がいて、フェミニストっぽいことをしているからにはその思想教義は全国で統一されているはずだ、されていなければおかしいと思っている?

追記4】

世界を変えたいと望むならば、思想推し進めた先にある「理想的未来像」がどんなものなのかは示して欲しいんですよね。先に地獄しか見えないケースが多くて困ってます

言っていることはわかるけれど、ふつーのフェミニストって「女性差別をやめて男女平等しましょう」くらいのゆるい連帯であるし、その集まりで全世界単位コンセンサスを取ってゴールはここですって設定するの物理的に無理だと思うんですよね。そもそもイシュー設定が巨大すぎるから。だからそのイシューブレイクダウンして、ハイヒール辞めましょうとか医学部女性多浪受験料だけきっちり取りつつ裏で差別して不合格にするのやめましょうとか、問題の具体化と短中期的なマイルストーンの設定が都度行えていればそれで良いと思っています

おかしいというか、共食いを防ぐための内向きの言葉であって外側に向けて言っても意味がないのでは?同じ看板掲げて暴れまわる人たちが現れたことは気の毒に思ってる。結構そこらじゅうで起きてる問題だし。

PCR検査いるいらないみたいな科学分野でさえ専門家の間で派閥ができて混乱していたわけだから、同じく全世界的に現在進行系で動いている社会舞台にしたフェミニズム活動活動員全員の主義主張統一するのなんて無理じゃね?おかしくね?と思っている次第。一人一派から一切全体を批判するなと言っているのではなく、その性質ゆえ必然的一人一派状態になっているのだから、その事自体批判するのは酷ではないか、と考えます

右翼だって安倍やめろと思ってる人がいくらでもいるだろうし、オタクなんてフェミ兼任の人もいるし、たいていの思想普通一人一派状態では? フェミにだけ教条的な意見の一致を求めるのはおかしいじゃん。

しかに。アカデミアのフェミニズム界隈に一人一派の主張があるが、扱う問題性質上、違和感はない

フェミ一人一派」を問題と思えない奴らが、なぜか「オタク」とか「ネトウヨ」とか「ジャップ」とか「アンチフェミ」等とレッテルを貼って、一人一派は認めずその属性理由問答無用で殴ってくるの笑うしか無い

オタク犯罪者、とかも当然ダメなんじゃない?ただこんな感じで

フェミっぽいヤツがオタク犯罪者と言っていた

・なのでフェミニズムなる思想においてはオタクは全員犯罪者だと言っているに等しい。ああなんてフェミニストは悪い奴らなんだ

みたいな主張が理解できないというだけ。変なこと言ってる個人か、それを明確に支持している集団だけ批判すればよくね?というかそれ以外は論理的批判不可能じゃね?

おかしフェミニスト(あるいはフェミニスト認定されただけのただのおかしな人)の発言ひとつで、アカデミアのフェミニズムまで含めて批判するのは理路が通らない

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