はてなキーワード: ティーズとは
「シャレード(身振りゲーム)」や「伝言ゲーム」は、「通信にはノイズが存在する」ことを前提としたゲーム。
伝えようとする情報にノイズが混ざるからこそ、これらのゲームには楽しさが加わるのである。
シティーズスカイラインやシヴィライゼーションは、たくさんの選択肢の中から、得た情報に基づいて、意思決定するゲームなのだから、
情報にノイズが加えられ、それを解釈する手間が追加される事との相性は良くないだろう。
「A街とB街にはネットが繋がっているため、あらゆる情報が劣化無しで得られるが、C街には繋がっておらず、人が行き来することでようやく情報が得られるため、
C街の現在の人口や建造物の進捗度合い等の情報については、10%の確率で誤った情報が伝わり、かつ下2桁は切り捨てで伝わる」という仕様が組み込まれたとすれば、
都市開発ゲームの本来の目的である「情報を元に意思決定する」ことに、無用の複雑さ(楽しさとは関係のない複雑さ)が加わることになる。
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
PCや据え置きで出てるシムシティやシティーズスカイラインみたいなタイプの、一人で黙々と街作りをしていくゲームがやりたいんだけど、スマホで出てるシムシティや街作りゲーってどれもこれも「コレジャナイ感」が凄いんだよな。
資材を集めて、その資材で新たな工場を開いて、さらにその工場で作られる資材でまた新たな工場を開いて……とか、所謂ギルドに入って半強制的に誰かと関わりを持たなきゃいけないとか、街作りなのにPvPやらされて折角作った街を天災ではなく人に破壊されるとか。
他にも、基本無料のモバイル向けゲームにありがちだけど仕方のない要素としては課金しないと満足に街を作れない(資材倉庫の容量が足りなくなる等も含む)、敷地が狭く無課金でやろうとしてもめっちゃ時間がかかる、とか。
とりあえず手をつけてみても、やっていくうちに街作りの楽しさよりもストレスの方が勝ってしまってアンインストール…を何回もやっている。
課金すればいいじゃんって思うかもしれないけど、ストレス感じるゲームやこれ合わないやつだなって思うゲームに課金する気も起きないわけで。
語呂の良い呼び方。
1990年代を指す"90's"(ナインティーズ)や80年代のエイティーズ、70年代のセブンティーズ等は外来語化したと言えるほど日本でも馴染み深い。
はてな社は「テン年代」と称してるが、一般的ではないように思うし苦し紛れ感がある。
【テン年代総決算】オタク趣味、退職と転職、インターネットの歴史。2019年総合トップ100&過去10年間のランキング - 週刊はてなブログ
自分の知識が足らんだけで適した呼称があるのかな?日本で定着してないだけで英語ではあるのかな?とウィキペ眺めつつググりつつ。
上手くまとめられてる記事があった。
https://whitebear0930.net/archives/4403
書くときには、この10年は “2000s” や “00s” と表記することができる。
“2000s” を “two-thousands” と読むことから、この10年を単に “Two-Thousands” と呼ぶこともあるし、
“Twenty Hundreds” や “Twenty-ohs” と呼ぶこともある。
また “00s” を “Ohs” “Oh Ohs” “Double Ohs” “Ooze” と呼ぶ人もいれば、“Zeros” を使う人もいる。
10年の中のある1年を指すときには、2007年を “Oh-Seven” というように “Oh” を付けて呼ぶ。
2000年の1月1日に、BBCは来たるべき10年の呼称の候補として noughties を提案した。(これは多くの英語圏でゼロを意味する
“Two-Thousands”では2000年~2999年を指すのか2000年~2099年を指すのか2000年~2009年を指すのか、呼称だけでは判り辛い。
“Twenty Hundreds” や “Twenty-ohs”では2000年~2099年を指すのか2000年~2009年を指すのか、呼称だけでは判り辛い。
“noughties”が語呂も良いが、造語でありザッとググると普及度もいまいちらしい。
「2010年代」も
pronounced “twenty-tens” or “two thousand (and) tens”
と、スッキリしない。
語呂悪いからか。
20世紀の頃は邦楽だと ♪1993(ナインティナイスリー) 恋をした とか流行ったよね。
昔の格言か何かで、『戦略レベルのミスは戦術レベルでは取り返せない』というのがある。
確かに、近年電機業界で大きな損失を出した会社を見てみると、この戦略レベルのミスが非常に目立っておりなるほどなと思う。
プラズマディスプレイに社運をかけて大赤字を出したPanasonicやPioneer、巨額の開発費をCell Processorに投資して爆死したSONY、Westinghouseの買収でやらかした東芝等。
ところが、最近増田で話題のNECを調べてみると、こうした会社とは不振の状況が違うように思えてきた。
なんというか各事業で競争力を失って徐々に敗退していくというような。言い換えれば戦術レベルの敗北を繰り返してじり貧になったとでもいうか。
昔半導体がらみの仕事をしていてNECの事業所にも出入りしていたことがあり、個人的にも興味があったので歴史を少しまとめてみた。
なお、この記事を書くのに参考にしたのは下記NECのIRで、1990年からの業績データと、1995年からの会社紹介資料が閲覧可能。
https://jpn.nec.com/ir/index.html
1999年 半導体メモリ事業を日立と統合して分社化。後のエルピーダメモリ。2012年に経営破綻。
2000年 家電部門のNECホームエレクトロニクス事業停止。
2001年 有機EL事業をサムスンSDIと合弁化。2004年に有機EL事業から撤退。
2004年 プラズマディスプレイ事業をパイオニアに売却。
2010年 半導体子会社のNECエレクトロニクスをルネサステクノロジと統合。半導体事業から事実上撤退。
2011年 液晶事業を天馬グループとの合弁化。2016年に完全売却。
1991年 NECの研究員だった飯島澄男がカーボンナノチューブを発見
2001年 スーパーコンピューター地球シミュレーターが世界一の性能を発揮
2001年 2000年度3月期決算で過去最高の売り上げ5兆4000億円達成。 ※バブル期の1990年度でも3兆7000億円程度。この時期までは比較的うまく経営ができていたと思われる。
NECに出入りしていたころに思ったが半導体事業部に新卒で入った社員は大体優秀かつ深夜残業休出当たり前なモーレツリーマンだった。
設備投資も研究開発費も年間3000億円コンスタントに投資しており、今の水準で考えても少ないことはなさそう。
しかも20世紀終わりから21世紀にかけて爆発的に伸びた情報通信産業に社内のリソースを集中してて、バックに住友財閥もついている。
会社の置かれた状況を考えると韓国のサムスン電子や中国のHuaweiみたいに、今でも世界を席巻できていただろうに。マジでどうしてこうなった…
当時気になったのは本業と関係ない関連会社が異様に多いことぐらい。(不動産のNECファシリティーズ、運送業のNECロジスティクス、食堂運営のNECライベックス、企業研修のNECラーニング等)
どうでもいいけど最近のスローガンのOrchestrating a brighter worldってのはマジで意味不明。迷走ぶりを象徴している。
センセイの話によると、こういうことらしい。
だがタバコがポピュラーになりすぎると病気の人間が増え、保険料が増えてしまって本末転倒。
だから教育メディアを通して、タバコのネガティブな側面を認知させることでそれを抑制。
そこで禁煙法を制定。
紆余曲折を経て、最終的に二択を強いるわけだ。
「税金をうんとかけてでも吸いたいか? それとも吸うのをやめるか?」
問答無用で受け入れざるを得ないってことらしい。
「そうやって喫煙家と嫌煙家を対立させ、程よく“議論が深まった”ら、タバコの重税を落としどころとして提示するってわけ」
つまり政府にとって禁煙法の目的はタバコの根絶ではなく、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手にいれることだった。
「道理で禁煙法が制定されても、センセイたちは割と冷静だったんですね。政府の思惑を理解していたから」
「政府だって、あの市長みたいな輩ばっかりというわけでもないからね。タバコを簡単にクビにできるほど、私たちの国は金も心も豊かではないことくらい分かっている」
「でも、それって……つまり嫌煙家を煽り立てて、その実は喫煙家を飼い殺しにしたってことですよね。税金をたくさん手にいれるために」
「悪い言い方をするなら、そういうことだ。だが私たちはそれで納得せざるを得ない。様々な人間が一つの社会で生きている以上、各々が自分の望むものを享受するには、多少のことは甘受しなければならないからな」
「不服じゃないと言ったら嘘になるが、政府を責める気はねえぞ。社会を動かすのは名分だが、支えるのは実利だ。それを両立させる必要があったから、ヤツらは自分の仕事を遂行しただけ」
タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで多く儲ける。
何だか矛盾しているような気もするが、その矛盾を成立させるのが彼らの仕事なのだろう。
しかし、俺は理屈の上では理解できても、何だかモヤモヤが拭えないでいた。
「じゃあ、市長の前で俺たちが言ったことって、大した理屈じゃないってことですか」
「一応の筋は通ってはいたんだが、まあそうなるな。身も蓋もないこと言うと、禁煙法が上手くいかなかったのだってタバコがポピュラーな嗜好品だったからなのが大きな要因だし」
「今でこそ縮小しちゃいるが、一昔前はこの町で人口の半分以上が親しんでいたもんな。そこまで普及したものを、ちょっとやそっとのことで無くせるわけがねえ」
「そうなんですか。てっきり俺は、あの抗争はセンセイたちが裏で色々と根回ししたからだと思ってました」
俺が冗談めかしてそう言うと、さっきまで笑いに包まれていたカフェはいきなり静かになった。
「……マスダ、そういうことは思っても口にするもんじゃないぞ」
「そうだ。本当に俺たちがそんなことしてたらタダでは済まない。お互いに」
「……まあ、他の理由を挙げますと、組合や協会などの強大な組織があったのも大きいですな。同じ理由で、餅やストロング系飲料とかも結局は合法化されましたし。この調子だと、マリファナもいずれ合法化するかも」
「ははは、さすがにそれはないだろ」
「それにしても、そうやって害悪なものを容認することが結果として是になるなら、いずれ課金ゲームのガチャとかも税金がかけられるだけで残り続けるんでしょうか」
「もう、かかってるよ。近々、値上げするんじゃないかな」
「マジすか……」
「マスダはもう少し、自身の情報アンテナを強化したほうがいい」
『物事には善悪だとか好悪だとかでは単純に語れない。そういうケースが多くある』
センセイが以前に言っていたことだが、俺がその意味を正しく理解する日は、もう少し先になりそうだ。
誰がタバコを吸ってる?
俺たちが吸ってる
それはタバコだよな?
俺たちは愛煙家
誰がタバコを吸ってる?
俺たちがタバコ吸ってる
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
タバコ 誰が好き?
タバコ 俺が好き
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
ほんで[パワハラ][セクハラ][男性への~]等タグ付けして、特定ハラスメントのソートができるようにしたい。
何でこんな事したいかってーと、今のmetooタグは某Hさんの事他2,3件で一杯で他の被害が埋もれてるから。あと謎の助言系。話題の大小や諸々関係なく、色々なハラスメントがあるでーというのを見られるようにしたい。某Hさんのアレだとあっちも一件こっちも一件という感じで、ただ集めるサイトを作りたい。
問題は当方のスキルがほぼゼロだということ。数十年前に某ヤ○ージオ○ティーズで二次創作サイトやってた程度。さっぱりわからん。支部はほんとうにありがたい。
万が一松の内に出来てたら誰か誉めてくれ。
って気持ちが抑えられない。
最近さ、趣味の関係でインスタとかツイッターとかはじめてみたんだ。
で、俺は別にキラキラしてないんだけど、その趣味の界隈って割と若い女の子とかも多いんだよね。
つってもあのサイバーエージェントとかほどパリピってわけじゃなくて、普段は真面目に勉強とバイトしてて、彼氏と誕生日どこいったーとか夏はみんなで海ーとか写真アップしてみんなにおめでとうとか今度一緒にどこそこ行こーとか、そんな程度なんだけどさ。
で、そういう子たちの日常みてると俺たちの青春の頃ってそういうのなかったじゃん?
きっと今は今であたらしいつらさとかあるんだと思うけど、なんか俺らの世代ってまだまだ周りの目とか気にしてたよね。ネットで配信とかキチガイしかやってなかったし、自分の写真を載せてネットで自己紹介してさらにそれがどっかの誰かに認められたりイイネされたりするなんて考えられなかったわけじゃん?
今やクラスではちょっといけてない人でもユーチューバーになったり、インスタで有名になってスポンサード受けたり、そういうのあるんだよね。
俺ももしもうちょっと遅く生まれてたらうまくネットで自己表現できて、承認されて、どこかいまよりももっといい居場所も見つけられたのかなって考えちゃうんだよね。
今でも別に遅すぎることはないと思うけど、やっぱり適した時期ってのがあるじゃん。
お前はきっと今生れていてもそういうこといってるって言われちゃいそうだけどさ。
でもほんと手元にある電話みたいなパソコンがちょっとしたきっかけになって、大多数に向けて発信できるとか、人生が変わるとか感情に作用するとかそういうのもっと若い時期に体験してみたかったなと。
ほんと俺が10代とか20代前半くらいじゃネットで発信してるなんてなかなか普通の人には言えない雰囲気あったからね。
いまは普通にツイキャスやってるからみてねーとか、インスタフォローしてねーとか言えるじゃん?
そういうのやっぱ承認欲求に影響あるよ。
俺が今までフォトショップでしこしこ時間かけて画像にエフェクトかけて、ゲオシティーズにアップして誰にも見られなかったのとかなんだったんだろう。いまやビューティープラスで撮ってインスタでフィルタかけてポンでいいね300とかなんなんだよ。
☆(007)ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル
33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマン
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司
☆儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバーグ
陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング
☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ
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コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平
竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン
子どもの難問 野矢 茂樹
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この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子
統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ
☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子
☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子
林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二
フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤 隆
オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン
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