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2023-03-03

anond:20230303154834

元アイドルの癖に「自分陰キャで~~~」とか抜かしてるのが1ミリも信用できないか個人として好きじゃない。

ラジオ面白いから芸人としては好き。

でも一個人としては「テメーごとき陰キャとか舐めてんだよ!文化盗用だ!同僚と4人で旅行行っちゃいました~~~とか抜かしてるやつが陰キャ????ふあぁぁsぁ=~====~==fd-0^そ09おf-0あfdさ¥さd???????????????こちとら修学旅行でも「友達グループからジャンケンハブられた奴+ボッチ+撮り鉄」の組み合わせだったか最初の10分と最後の10分にアリバイ写真撮って全員分離してたわ。俺はボッチじゃから完全ソロやわ。同じようにボッチだった奴とも一緒に動いとらんわ。本物のボッチはこうするんじゃ!!!!!!!!」しかないんだよなぁ。

なまじっか才能あるやつの「優秀なワテクシに釣り合うような友達いなくて寂しいです><」みたいなのクソうぜえわ。

は?

こっちは無能ゆえのボッチだぞ?

舐めてんのか?

格が違うんだよ?????!!!!!!!!!!!!!!!!!!

IOWNという呪い

NTTが満を持して出してきたIOWNというネットワークサービスが予想通りがっかりだったので解説しておく

IOWNとは

そもそもIOWNって何?っていう話については恐らくNTT社員でも誰一人答えられないので割愛したいが

発端は電気によるネットワークルーティング限界が来ていることから始まっている

これは性能的な限界でもあるのだが消費電力の限界でもある

このままではルーター1機に原発1台という時代になりそう、というのはよく言われた話だ

IOWNは光を使ったルーティングを行い、End-To−Endで電気を使わずに光だけで通信すること(All-Photonics Network: APN)が構想の発端である

電気によるルーティングには遅延が発生することもあって「大容量・低消費電力・低遅延」の3つが特徴として挙げられる

大容量

大容量かどうかはネットワーク契約帯域を見ればすぐに分かる

1Gbpsしか無かったのに10Gbpsが登場すれば「大容量になった!」となるだろう

IOWNは100Gbpsを提供してくれる

ちなみに今でも企業向けに100Gbpsの専用線サービス存在している

また、NTT東西は昨年400Gbpsのサービスも開始した

なのでIOWNは何も大容量サービスではないのだ

ただ、IOWNにおけるNTT側の性能目標はIOWN1.0で従来の1.2倍なので

まぁ実効速度として1.2倍という意味だと思えばこの100Gbpsも妥当かもしれない

また、IOWN2.0では6倍になるとのことなので600Gbpsが実現できるのであろう

ローンチで現行より劣っているのは残念に他ならないが安全側に倒したと思えば分からなくも無い

低消費電力

低消費電力は我々にはほとんど影響がなく、NTT社内の話なので「知らんがな」という感じなのだ

ユーザーに影響があるとすれば価格への転嫁ぐらいであ

低消費電力でランニング費用を抑えることができているはずなので提供価格も下がるはずである

さて、IOWN1.0の提供価格は月額198万円とのことである

現在提供されている100Gbpsの専用線サービスも198万円である

これも資料を見るとIOWN1.0では1.0倍とのことなので妥当価格である

IOWN2.0では13倍(倍とは?)とのことなので価格も大幅に下がってくれるだろう

逆に現状では一切電力効率は良くなっていないのに同価格で出してきてくれていることは良心的ですらある

低遅延

ということで大容量・低消費電力に関しては現行と同等もしくは劣っているIOWN1.0だが

遅延に関してはIOWN1.0で1/200を目指している

これはIOWN4.0まで1/200なのでこれより下がることはなく、逆にIOWNの目指している低遅延をローンチから体験できるということになる

さて、低遅延になって誰が嬉しいのかはさておき、現状では東京大阪間で15msぐらいである(往復)

これが1/200になると75μsとなるのだが、東京大阪間の光の伝搬遅延だけで5msはあるのでいくらIOWNでも光の速度は超えられない

なので機器遅延の10msのみが1/200となるとすると50μsとなり、往復遅延は5.05ms、ほぼ5msぐらいになる

実際に実証実験では8msを実現できたとのことなので大変速くなっているのだろうが

15msが8msになったのを「1/200」と言われるのはモヤッとする

そのせいなのか、「IOWNが提供できる低遅延の価値」という資料では、「映像処理やコーデックに関わる部分を省略できるので実質1/200」という言い方に変えている

まりは大容量であることを活用して非圧縮送信すればコーデック部分の処理遅延を減らせるとの主張である

コーデックの遅延は製品にもよるが200〜800msぐらいある

また、超低遅延のコーデックなら10msを実現できるらしい(使ったことはないが)

伝送遅延なんて無視できるほどコーデックの遅延は大きいので非圧縮であれば確かに遅延が1/200になるような体験ができるだろう

ただしそれは従来の100Gbpsネットワークでも実現できる

特にこの手の非圧縮による低遅延化というのは10Gbpsのネットワーク研究する際によく使われた方便

4K映像を非圧縮で送ると6Gbps消費するため10Gbpsにしましょう、という論法なのだ

それが今の時代では、8K圧縮は72Gbps消費するから100Gbpsにしましょう、という話なのである

ちなみに8Kで120Hzなら144Gbps必要なのでまだまだご飯を食べられるのだろう

問題なのはこの非圧縮リアルタイム映像伝送ほとんど使われていないということである

コーデック進化することでコーデックにかかっている遅延は無視できるようになり

特に高精細映像であるほど圧縮率が高くなるのでネットワーク負荷のコストの方が問題になるのだ

なので実際の利用で非圧縮伝送はほとんど用いられておらず、主にネットワーク試験で用いられているのが現状である

まぁこの辺はさておいたとしても、結局はIOWNの実現した大半の価値である低遅延の部分は従来でもやっている技術であって真新しいことではない

7ms価値はあるか

それでも従来の100Gbpsでは15msだった遅延が8msになったとなれば1/200とまではいかなくても価値があるだろうか

遠隔での演奏実験した際の記事が興味深く、8msの遅延ということは3m程度離れて演奏したことになる

まりは15msなら5m離れていることになる

この2mに価値があるのだろうか

また、人間の脳のクロック間隔は30msであるという研究結果がある

まりは30msより速くしても人間認知できないのだ

15msが8msになることで人間に対して何か価値があるのかは甚だ疑問である

問題なのはIOWNではこれ以上遅延が短くなることはなく、既に限界ということだ

光の速度の限界なので当たり前ではあるのだが

限界まで突き詰めても我々のネットワークを介した体験は一切変化しないということを証明してしまったのだ

e-Sportsとの相性

普通演奏では低遅延にほぼ価値がないので、エクストリーム分野のe-Sportsとの相性を模索しているように見える

かにe-Sportsをやっているような人たちは60fpsの1フレームを競っていると言われている

認知できているかは怪しいものだが)

そのためIOWNもe-Sports会場を繋ぐような使い方を例としてあげているのだが

そもそもe-Sportsゲームソフトウェアは5msだとか8msとかの中途半端な遅延を考慮してゲームを作っているのだろうか

同じL2の下で対戦を行うことが前提なら普通は2〜3ms程度の遅延を前提に設計するので5msでは遅い

逆に遠隔での対戦を考えれば10ms以上の遅延もあり得るのでそのように設計するが

その場合に5msであっても得られるメリットは何もない

ジャンケンゲームを作るときに2〜3ms程度までなら同時に開示するが

10ms以上なら1秒待ってから開示するような作りになっていると思えば分かりやすいかもしれない

もちろんゲームによってはこの数ms価値が生まれ場合もあると思うが、あまり数は多くないように思える

IOWNの今後

結局のところ、IOWNは大容量かつ低消費電力、つまり低価格サービスとして進んで行くだろう

End-To-EndでIOWNが必要か、と言われると明確に答えはNOで

10Gbpsですら全然普及が進んでいないのに100Gbpsの大容量ネットワークそもそも必要ない

一方でデータセンタ間のインフラネットワークとしては非常に価値が高い

データレプリケーションなどを考えれば遅延など1msでも短い方が良いのだ

特に災害が多い日本では地理位置分散をさせることは非常に重要

そういったデータセンター間のネットワークとして大容量・低消費電力・低遅延なネットワークは非常にありがたいものとなる

こうしたインフラとしての重要性は明確に求められているのにもかかわらず

「IOWN」と標榜してまるで次世代ネットワークであるかのように喧伝しているのは、一体どのような呪いがかかっているのか興味深いところではある。

2023-02-27

匿名実名タイマンすることは卑怯なのか?

まず大前提として、匿名100人VS一個人卑怯だと思う。

そもそも単位時間あたりの文章作成量が違いすぎて、単純な数に圧倒されてしまう。

デタラメ予言したり、キチガイぶってアイロニーしかけたり、縦読みを仕込んで知能テスト(笑)とか抜かしてみたり、そういった連中のどれか一つでも通したら負けで、ソレ以外はいくら撃ち落としても「一人一派(ドヤァ」でノーダメ宣言されるのはヤバすぎる。

同時に倒さないと復活するタイプボスかなんかか?

ぶっちゃけ、2VS1とかでも十二分に卑怯というか、上段攻撃と下段攻撃を同時に繰り出すような戦法が行えるから

分かりやすい言い方に変えると「別の手を出す井3人VS1人でジャンケン勝負して誰かに負けたら負け」みたいな滅茶苦茶な状況が多VS個には存在しうるわけで。

それが完全なロジックだけで成立する議論ならともかく、どこかでお気持ちが入ってくると多人数側はそういった勝ち筋を生み出すチャンスがいつかは産まれしまうわけで、絶対的卑怯なんだよね。

でもさ、1VS1なら相手匿名だろうが実名だろうが、別によくねって思うわけよ。

実名側に「負けたら負けたことを言いふらされるリスクがある」というのはまあそうなんだけど、そういう場合そもそも喧嘩を売られたときに「道端でいきなり喧嘩売らないでくれます?私相手する必要ないんで」といえる立場を守れば良い。

ネット議論が始まるときって、9割9分が両者ともに「オラオラ誰か俺を倒せるやつはおらんのか?」って態度取って、「俺がいるぞ!」から始まってる気がするんだよね。

それで相手実名匿名かは問わずにさ。

匿名雑魚ですからって態度で適当オールレンジ喧嘩売ってたらいきなり実名プロが出てきてフルボッコにされて鍵付きアカウント化するパターンとかも結構見るよね。

そこでさ「そもそも匿名雑魚アカウントプロ喧嘩しかけるのか?」とか抜かしてもさ、それがファンネル引き連れていきなり数で押し潰すとかならまあ卑怯なのかなって俺も思うんだよ。

でもそれが「やあやあ、われこそは一騎打ちを申し込むなり~~~」から始まって、ファンネルの途中参戦を咎めながら最後までタイマンしきったら、ストリートファイトプロ参戦が起きようとも黒帯パンピーボコっちゃ駄目ルール適用するようなもんでもねえよなって思うわけ。

だって最初からそのパンピーが全世界喧嘩を売らなきゃ良いんだから

まあつまる所、ネットにおける突発レスモンバトルにおける禁止ルールは、

・多VS1

・臨戦態勢を宣言してない相手への闇討ち

江戸の敵を長崎で討つ

の3つぐらいなんちゃうかと。

ただココには隠れたルールとして「連戦になった場合タイマンではなく多数戦とみなす」ってのが潜んでいる気がするんだよ。

正直ネットの恐ろしい所ってここで、散々イナゴに襲われてボコボコになってる所で「一騎打ちするぞ!正々堂々だぞ!」みたいなの言われたり、逆に一騎打ちボロボロになった所をハイエナに襲われるとかがあるわけ。

そのときに「結局コレってトドメになるレベルダメージ入れてた一騎打ちのせいでボロ雑巾にされたんだよね」に発展する恐れがある。

それを考えるとそもそもネットには基本的タイマンなんて存在しない。極めて特別なバトル会場を新たに設けない限りはリンチになると思った方がいい」ってのが究極なんちゃうかと。

でもさあ、それにおいて相手匿名実名かってやっぱ関係なくねと思うわけよね。

ファイナルタイマンバトルの会場に引きずり出される覚悟がないやつによる袋叩きは卑怯である。少なくとも自分がそうやって袋叩きにされる覚悟のある真の世紀末ヒャッハーでないならば」って言い方のほうがより正しい究極なんかな?

2023-02-18

anond:20230218160723

差別議論」をしているようで

結局「誰が誰を警戒するなら許されるか」の属性ジャンケンやってるだけだから、シラけちゃうんだよなあ

何が許容されるか属性同士ぶつけてみるまでわからないんだから議論するポーズなんか無駄でしょもう

2023-02-17

anond:20230217094411

サントリー鳥居兄弟3人)とか。

頭文字とってゴロをよくするした企業名ならほかにもあるよ 松竹とか(TDKはちがった)リンナイとか小岩井農場とかだって

 

https://www.news-postseven.com/archives/20180531_684910.html

 

バンド名にもよくあるよ

KAT-TUN [カトゥーン]

6人のメンバー亀梨赤西田口田中上田中丸頭文字をつなげた。また、勝つ運、という意味もある。

↑この情報はボニーレッドさんから提供していただきました。

レミオロメン

メンバー3人でジャンケンをし、勝ったひとから順に1文字、2文字、3文字とつけていった結果が レ+ミオ+ロメンとなった。藤巻がレディオヘッドからレを、神宮司が彼女名前自分名前からミオ、 前田が好きな路面電車からロメンを選んだらしい。

↑この情報はまぃこさん他多数の(無記名)さんから提供していただきました。

 

あとは〇〇アンドアソシエイツでごまかすんじゃないか

2023-02-14

自閉的な男児には体幹の弱い者や身体制御の苦手な者が少なくないが

彼らの中の100人に1人程度は、15歳時点で常人はるか凌駕したフルパワーのアスリートに育つ

一説に、食事中だけは大人しくなるという理由常人の3倍量の食物を親族の手で提供されながら育った結果という

ジャンケンでいうグー

パーというパーを蹂躙してきたチョキが、突如出現したきょう大なグーによって物理的に破壊されるさまを示す

2023-02-12

サザエ、リスキリングを始める

サザエ専業主婦だが家事育児で忙しい

・そのため、タラちゃんの世話はフネカツオに任せることにする

家事フネに任せる

生活費マスオ波平に任せる

オンラインビジネススクールに通い、MBA取得する

デイトレーダーとして億り人になる

マスオと共に起業マスオ退職

マスオFX10億溶かす

離婚危機

サザエに思わぬ妊娠が発覚

マスオサザエLINEノリスケとのやりとりを見つける

マスオ詰め寄る

サザエ、気が動転して薬を投げて飲む

・ンガググ

病院で目が覚める


さあ〜て、来週のサザエさんは?

タイコおばさんの逆襲

波平、初めての闇バイト

タマYouTuberになる

の3本です!来週もまた見てくださいねー!

ジャンケンポン!🤘うふふふふふふふふふふふ

2023-01-30

パチンコ違法合法

これ、最近ひろゆきが「違法から全部潰せ」って言ってちょっと話題になったんだけど

もう何年も、特にコロナ流行ってからずっと誰か著名人政治家パチンコ違法賭博だって言うと

パチライター、パチyoutuber木曽崇みたいなのがポジショントーク込みで反論するって図が続いてる。

で、俺この話題に興味あるからずっと追ってるんだけど、基本的には論点あんまり無くて

以下の条文の解釈がお互いに違うだけ。

逆にこれ以外を違法合法根拠にしてる人は理解が足りてない

例えば「風営法許可を得ているから」とか「三店方式(だから合法、だから違法)」っていう意見。これは間違ってはいないけど、言葉が足りない。

第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

違法派は「賭博をするのダメって書いてあるじゃん

合法派は「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときに該当するから

って言ってる。

ちょっと説明すると、例えば

ジャンケンで負けた奴おごりな」みたいなのも賭博なんだけど、こんなもの取り締まる意味は無いので例外としてOKにしてるわけ

でもそうすると「え?パチンコで賭ける額ってそんなもんじゃなくない?」って疑問が浮かぶよね

となった時の合法派の答えが「風営法で認められてるから、一時の娯楽として賭博罪に当たらない」

これは荒唐無稽な話ではなく国会答弁なんかで認められちゃってるのよね。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a192157.htm

これに対する違法派の考えはある意味分かりやす

「いや、そんな屁理屈捏ねても日に6桁勝った負けたするパチンコが当てはまるならなんでもアリだろ」となり

認められてるとしたらそれは「お目こぼしだろ」となる(ひろゆきが良く言う「警察お目こぼしで捕まってないだけ」はこれ)

まぁ、つまり派閥で言い合ってても答えは出ないのよね。どっちもある意味正しいから。

一般感覚としては合法派の方が正しい事言ってると思うだろうし

でも政府が認めていて、警察も取り締まらないのも事実

難しいわな

2023-01-27

俺たちと‥‥‥ジャンケンをする覚悟はあるか‥‥‥?

命を賭す覚悟はあるかと聞いているんだ‥‥‥。

さあ来い🦀🦂🦐🍤

2023-01-15

ジャンケンで賭けた一番大きなモノ

来週、自宅マンションエントランスマンション住人四人でジャンケン勝負をすることになった。

空いた軽自動車駐車場権利を賭けたジャンケン一発勝負

我が家の車は軽だけど駐車場普通車用。もし軽自動車駐車場に変えられたら月五千円浮き。

しかも住んでるマンションは超駅チカでそれが気に入って買ったんだけど、駅チカだけでなく線路チカでもあった。当時はペーパードライバーで車を買う予定が無かったのでしらなかったが線路が近いと鉄粉が舞って車ボディにダメージが凄い。しか軽自動車駐車場マンション棟を挟んで線路の反対側なのでかなりマシになるはず。

俺の平凡な人生でこれほど大きなモノを賭けたジャンケンは初かもしれない。

2023-01-13

真面目にちびまる子ちゃん見てる人って結構いるんだな

あんなもんテレビつけててもBGM代わりだろと思ってたんだけど

もしかしてサザエさんとのジャンケン勝負に毎週一喜一憂してる人も結構いるのか

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-12-16

anond:20221216171017

ジャンケン二次創作オリキャラ設定

ドリル🤞

グー✊にもパー✋にも勝つけどチョキ✌とは気まずい感じになる

2022-12-06

ジャンケンを国際競技にしよう

そしてワールドカップオリンピックの種目にしよう

団体戦もやろう

絶対盛り上がるからやってほしい

2022-11-10

[]

合コンだった

合コン二次会バー?に行った

女性陣3人は22才でいずれもスタイルが良いが、顔の良さと胸の大きさが反比例という順であった(かわいいが小さい、大きいが顔が)

そのバーでは衣装を貸してくれてコスプレができる

店員おっさん写真アルバムを見せて客のコスプレ写真を見せてみんなしてるんだよと誘っていた

そこまでアルコール摂取していない女性陣と俺は写真撮って他の客見せられるんだと思いドン引きしててコスプレには乗り気になれなかった

男性陣はコスプレいいじゃんと店員と同じく乗せようとしてたがドン引きしてるので女性陣は断固として拒否し無理だった

ジャンケンで決めようということになり、ジャンケンの結果俺がコスプレすることになった

コスプレの格好は白鳥

上半身裸でパンツ白鳥の頭が付いている衣装

更衣室で着替えて席に戻ると女性陣3人が興味津々で腹や胸をかたーいと言いながら触ってくる

腹筋の割れ目をなぞってきたり乳首をいじったりしてくる

そして白鳥の頭を触ってグリグリしたりとしてくる

白鳥の頭は局部と直結しているので正直まずい

上半身裸で乳首白鳥の頭を執拗にイジられる俺

正直まずい

そんなこんなで他の人はコスプレすることなくお開きとなり男女2人はタクシーで一緒に帰って行き俺は一人で帰宅した

なんというかコスプレバー?に行くなら事前に相談してくれ

俺もドン引きしなかったしエロいコスプレさせるように協力して動けたはずだ

本日の結果は俺が白鳥になって色々いじられただけだった

2022-11-09

anond:20221109011021

最初に歌うたってジャンケンして負けたほうが一枚脱ぐだけの簡単ルールが覚えられないって昨今のガキってバカなの?

2022-11-08

ポイントサービスありす増田スマギ擦り明日ビーサトン医歩(回文

おはようございます

ポイントカードって結局アプリしろカードのにしろ作っても掲示するの面倒くさくならない?

だってさ、

支払いiDかにしてカード出してポイントアプリやらカードやらまた出すこの手間があるじゃない。

その手間が手間って面倒くさくってもういいやポインツ!ってなるのよ。

まあポイント必勝法はコツコツ作戦だってのは分かるんだけど、

まりにも何度もお財布からカードを出したり直したりするのは面倒だわ。

そうは思わない?

だったらさー

よく使うiDポイントカードを紐付けておいて

自動的にポインツも付くテクノロジーって考えた方が得策なんじゃないの?ってぐらいこれカードの出し入れ超絶面倒くさいのよね。

わざわざ面倒くさいことしてまでポイント会社情報提供してまでもそれなんてポスシステム?って言いたいところよ。

まあポインツが1円単位ってこともあるかもしれないけど、

金利を考えるとポインツ1パーセントつーのは高金利ってことの考えにもなるけど

なんかもうちょっとポイント還元が10単位だったら私も頑張ってポインツ活動しよっかなーって思う矢先なのよ。

でもさー

せっかくテクノロジーが発達したこの世の中は

まりにも発達しすぎた文明挙げ句の果てにポイントカードを出すのが面倒くさくなった人類しか生まないのよ。

セルフ的なレジ的なものである程度そのスピードはお客さん側に委ねられる反面、

ポイントカードどれにしやすか?ってチョイスの選択はまだ申請しなくては行けなかったりするじゃない、

はい!ディーポイントカードします!とかティーポイントカードします!とか

そこもお客さんが払うタイプセミレジだと支払い方法まで自分選択してできるじゃない。

じゃあ何のポイント貯めますか?ってポイントカードブランドボタンも一斉に並べて押せるようにしておいた方がテクノロジーでまとめられないのかしら?って思うわ。

支払いは限りなく手ぶらで出来るようになったのに、

ポインツカードを出すときにつまづいちゃうのよね。

そこがボトルネックというか。

複数ポイントブランドじゃなくて

ワンブランドポイントカードチェック方式がとりあえず私がポイイ活していける唯一の頑張りどころだわ。

でもたぶんポインツの達人はそこの面倒くさいところも楽しんでポイントためるのに楽しんでいるのよね、

きっと。

でもさ、

パスタ屋さんがやってる1ヶ月パスタ割引パスあんだけど、

支払時にディーポイントカード出して1ヶ月パスタ割引パス出してiD出してって

これ何回出すの?って

ジャンケンでもこのぐらいアイコにならないわよ!って思うぐらいこれでもかって出すじゃない。

3回もよ。

最初はなんかちゃんと真面目に出していたけど、

3回も出すの面倒くさくなっちゃったので、

パスタ割引パスiDを出すので精一杯だわ。

まあこのパスタ割引パスの割引パワーは無視できないぐらいデカいからこれは出した方がコストが安く抑えられるという経済学を私は学んだわ。

2円とかのためにポイントカードを出すコストに見合わないわ。

顧客購買情報提供してまでもよ。

レジの支払いはお客さん側で行えるのに、

ポイントカードやらの読み込みは店員さんの手を借りなければならないわけで、

一旦進化したものが退化しているようにも見えるわ。

人員の手間を減らす工夫をしているレジなのにね。

なんかオールマイティーみたいなトランプジョーカーワイルドカード的な1つ読み込めば全部のブランドポイントサービス対応する番号があったら便利なのにね。

そんでさ、

マイナンバーカードポイント貯められる様に紐付け出来たら、

しかしたら大普及率アップ待ったなしかも!

マイナンバーカードに紐付けるポイントサービスもどれを使うか優先順位を付けておけば、

ディーポイントなりティーポイントなり紐付けていても

優先順位で順番を決めてしまえば、

それも解決するくね?って思うのよ。

そうね、

ポイントカードを一括にしてまとめられるサービスがでたら便利なのかも知れないわ。

現状のままだと、

なんだかポイントのために使う私たちリソースというか体力が見合わない気がするのよね。

気のせいかしらね

考えすぎかしら。

でも何に使えるかよく分かってないチキンマイルを貯めるのはなぜか楽しいのよね。

あれ貯まるけど何に使えるのかしら?

謎だけど貯めるのは楽しいわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドよ。

久しぶりのハムタマサンド登板って感じがするわね。

新しいメニューが出る時はたくさん出て買い切れない時があるんだけど

今は新メニューない時期のシーズンなのかしら?

定番メンバースタメン棚陳列だったわ。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーレモンアンドハチミツ気持ち入れてほんのり甘く。

ジンジャーでもいいんじゃーね?ってぐらい

スライスしたジンジャーハチミツホッツウォーラーでも今度してみようかしらね

ジンジャー温活まりたいわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-03

anond:20221103113738

もっと欠陥ゲーになったんだよ

もともと運要素強かったけどルール変わって運ゲーから運任せゲーになった

あんなんジャンケンと同じだわ

2022-10-24

anond:20221024095905

来週も見て欲しいなら素直にお願いしてほしいのよね~

来週もまたみてくださいねジャンケンポン!ウフフ🐈

anond:20221024075219

なんで残酷かって運に左右されてるからであり

弱者強者に頼ってるが、その強者は才能があるものの中で誰を救うかをジャンケンで決めてる。

そう見えないように何重にも隠してはあるけど。

2022-10-19

秋刀魚定食終了の増田お知らせ羅塩田素間のうょ利ウュしくょ市射てマンサ回文

おはようございます

なんだか寒くなってきてすっかり顔を洗うのもお湯よ余裕でって感じなんだけど、

やっぱりもう11月を目前として当たり前な気候になってきてるわよね。

こういう時は食べ物の話しに尽きることうけあいだわ。

今年の秋刀魚はみんな口を揃えてすっぱい!って

違う違う小さいって言ってるのよ。

私もマーケットで行って魚の秋刀魚売り場をパトロールしてみてみたら、

なんか育ちの良い鰯ってレヴェルのちゃいちーな秋刀魚

やっぱり細いし痩せている秋刀魚だわって実感しちゃったのよ。

定食屋さんで頼んで焼いて出てくる秋刀魚定食秋刀魚の方がまだプリプリと太っているわ

といってもその定食屋さんの秋刀魚も私の想像するに

若干細めな鰯気な感じの秋刀魚であることは間違いないんだけど、

秋刀魚シーズンを迎えて、

まあ初物って高いから少しは値段が落ち着くってものじゃない?

だけど値段は草落ち着きを取り戻してきた価格になってきているんだけど、

やっぱり小さいのよね。

お菓子カントリーマームとかが小さくなってステルス値上げよろしく

秋刀魚ステルス値上げなのかしら?って

秋刀魚の育ちを心配してしまうわ。

思うに育ちきっていないスダチをかけるまでもないのげな秋刀魚で、

もう少し大きくなるまで辛抱できなかった漁獲量なのかもね。

秋刀魚の味を覚えちゃったから、

鯖でも良いじゃない?ってさばを読みそうだけど、

秋刀魚は焼き秋刀魚のそれがゆえの唯一の秋の味覚なので、

とりあえずは秋は秋刀魚食べないと!って

その私が行って気に入っている秋刀魚定食

いつまでも期間限定!って看板が掲げられていていつになったら終了するのか?

今日なのか明日なのか、

いつか分からないだけど毎月5日は毎月来る感じの煮え切らない焼き秋刀魚だけど、

終了予告は終わる終わる詐欺でいいわよね?

って本当に終わっているかどうなのか5日なのか?7日なのか?分からないので

そっと定食屋さんの扉を半分開けて覗いてみたら、

その秋刀魚定食期間限定と赤い字で書いてある大将が達筆すぎて何書いてあるか読めない気の効いた日本料理のお品書きみたいな感じのは

取り下げられてあったので、

私の今年の秋刀魚は終了したことをここにお知らせするわ。

あーあ、

私の今年の秋刀魚祭が終わっちゃったわ。

目黒秋刀魚祭は抽選当選当たらなかったので、

まったくの抽選倍率で鬼のよう競争率だったようで、

から私はここの定食屋さんの秋刀魚定食をこよなく愛していたのに。

秋の終わりとともに失恋だわ。

秋刀魚ちゃんに。

また来年会えるよん!絶対だよ!約束だよ!って

そんな焼き秋刀魚定食さんに最後挨拶もする暇も無く終了してしまったわ。

そんで、

実は大将が達筆すぎて読みにくい筆文字習字メニュー

給仕でたまに見かける娘さんがお書きになったもので、

習字は得意なのよ!って1回以前に10回ぐらい聞いたことをすっかり忘れていたわ。

お店のお品書きは全部娘さんが書いているってことを。

いろいろなことを思い出す秋ね。

物思いに耽る秋よ。

耽まくるわ。

ただただ今日1番残念だったのは

そのお店の日替わりランチ焼き飯だったこと!

見逃していたわ。

ここの定食屋さんの日替わりは

法則性が無く、

まったく明日の日替わり定食が読めないのよ。

まさかサザエさんジャンケンパー連続5回を彷彿とさせる

伝説ミックスフライ定食の5日連続日替わりだったことと同様に常連さんはざわついていたわ。

でもよくよく聞いてみると、

ミックスされているフライの種類が日替わりだって事らしいカラクリだったようよ。

紛らわしいわよね。

だけど

新の常連さんじゃなく真の常連さんは

ミックスフライの種類が毎日違っていた5日間だったと言うことに気付いてたみたい。

上には上がいるわよね。

私も2種類しかないミックスフライ定食があったら、

もっとミックスしてよ!って言えるように、

いやここの定食屋さんのミックスフライ定食フライの種類が2種類っていってる意味じゃ無いのよ。

ちゃんと3種類あるんだから

そのぐらい私でもわかるもん!

秋のミックスフライ定食は天高く揚がるわ!

私が肥えるちゅーの。

秋はヤバいわね何でもいつの季節に増して美味しさが倍増いや最低でも3倍増しで感じて美味しくなるものね。

バイバイ私の秋刀魚定食

また来年会おうね!

うふふ。


今日朝ご飯

久しくお粥研究してなくて、

昨日のベーナーの鶏鍋の残りで作ったおじやを今朝キメてきました。

おじやはやっぱり鍋の美味しさのベーナーがギュッと詰まっていて

煮込み3分味一流だわ!

手前味噌だけど。

まあそんなわけでご機嫌さんに朝ご飯を済ませて、

飲む今日のホッツ緑茶ウォーラーでホッツいやほっとするわ。

うそろそろマジで

冷たいものから温活ホッツに切り替わる季節でもあるわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-10-15

ギルティ無料だったのでプレイしてみたがトレモ(ミッションモード)で力尽きた

簡単ミッションゲームを学ぼうってのがあるんすよ。

「通常→しゃがみ通常(アッパー)→超必殺技をつなげよう」

CPUランダムに取るガードに合わせて中段攻撃か下段攻撃選択しよう」

キャラ毎の典型的フレーム有利コンボに対して割り込みを狙おう」(いやマジでここまで練習出来るのは凄いと思う)

みたいなのがズラーっと何百個も練習できるんだけど、これのコンボ系や割り込み系が無理すぎる。

最初に大きくつまずいたのが「通常→しゃがみ通常(アッパー)→超必殺技をつなげよう」の所。

お手本動画通りにコマンドを入れても入力が遅くて追いつかない。

コマンドはA ⇨↓B ⇨ →\↓/←→B みたいな感じなんだけど、この↓Bを入れた後の→\↓/←→Bの入力猶予が0.3秒ぐらいしかない。

もう完全に指が追いつかない。

30回やって1回ぐらいは成功するので「お手本動画詐欺」ってことはなくて単に俺の指が遅いだけっぽい。

まあトレモの中だけなら飛ばせば終わりなんだけど、結局は実戦で超必殺技入れようとしたらこれやることになるのがキツい。

下段キック差し込んでから真空波動拳コマンドみたいのは他ゲーでも沢山やったけどギルティで求められるものスピードが早すぎる。

実際トレモの中でも「相手がヒット後に遅い技で追撃仕掛けてくるからガードして弾いたれ」みたいなのがあるんだが、俺の目で見ると繋がってるとしか思えない攻撃を俺が←押してガードさせてる自キャラは弾いている。

早すぎる……なんだこのスピードは?

更に恐ろしいのが2択攻撃回避練習だ。

来ると分かってる基本コンボなら割り込めても、2択をしかけてくるから後出しジャンケンボコったれは無理すぎて。

たとえば「相手の空中攻撃をこっちがガードしたの見ると同時にA「必殺技入力して再度飛び上がって特殊投げ」B「そのまま地面に降りてしゃがみキック」を選択してくるからどっちか見て適切に対処しろ」っていうのがある。

やることは簡単で、まず←を入れて空中攻撃をガード、その後Aだったらこっちは対空アッパー(↓Bとか)を入力、Bだったら/(←↓)を入れてガードというだけなんだがこれがもう見きれない。

とにかく空中攻撃を←入れてガードしたら、素早く/(←↓)を入れてガード方向を切り替えておいて相手が飛んでたら攻撃ボタンを押すだけという単純作業なのだが動きが早すぎる。

ぶっちゃけ俺の反応速度では「とりまガード成功。じゃあ/入れるか」ってやるだけでもたまに失敗する。

頭の中で/を入れるための処理をしている最中に同時に相手が再び飛び上がるか警戒するのにメモリが足りてない。

当然これらはミッションモード用に抜粋された典型的シチュエーションであり、実戦においてはこれがもっと複雑に絡み合ってくる上に更にその数もキャラごと技ごと、どっちが画面端にいるか、お互いが使っているキャラの大きさ、残っているゲージ、加速度的に情報は増え続けるわけだ。

こんなんまともに考えたら負けなわけだから、そりゃ素人同士がギルティやったらひとまず暴れまくるのが正解になる。

実際、俺の地元学生時代ちょっと流行ったときアクセルっていう鎖鎌使いで遠くからヨーンって鎖伸ばしまくってくるか、弾持ちキャラであるカイ辺りを使ってずっと波動拳してるか、やけくそになってチップっていう紙装甲でレバガチャするかが正解みたいになってた。

それが如何にレベルが低いのかは大会動画を見てよく分かったが、何故こんなレベルの低い試合しか俺たちが出来てなかったのかはよく分かった。

そもそもギルティは攻め有利なバランスで有利フレームゴリ押ししながらゲージ貯めて無理を通すみたいなバランスらしいが、俺たちのレベルはもうそなのは関係ない。

ジャンケンスピードが早すぎて誰も後出しできない中で、とにかく比較的強い形に拳を握ってボコボコ殴り合って気づいたら相手の指が折れて勝つ以外の試合の形を知らないのだ。

なんだこのゲームは。

ゲームとして成立させるのが難しすぎる。

ちょっと対人してみたけど、やっぱり真面目にやると何も出来ずに負けるが暴れたらちょっとは削れる感じだ。

でもちょっと削った所で誤差なので俺はもう無理だ。

とはいえ初心者同士で戦って勝つなら多分暴れたほうが勝つんだろうが、それはもうゲームと呼べるのかという疑問しかない。

畜生メルブラだったら俺でもゲームっぽく成立したのにギルティは無理すぎる。

早すぎて自分が何をやっているのかも何をやるべきだったのかも分からない。

CPUとやっていても有利Fだから入ったのか単に相手舐めプしてたから入ったのか分からない攻撃が多すぎる。

キャラはカッコイイカワイイけど試合に勝った負けたの理由がよくわからねえから面白くねえ。

もう無理だ。

ミッションモードに帰ろう。

そしてその中で死のう。

俺のギルティは終わった。

2022-09-23

【探しています2001年とか2002年かにあったサイト

福本伸行作品を中心に扱っていたサイトなんだけど、

クリックで削れるアカギの墓とか、実際にプレイできる限定ジャンケンとかのコンテンツがあって、

(これはうろ覚えだけど)マウスカーソル格ゲーキャラっぽくて、クリックするとパンチを出す、

みたいなギミックがあった気がする。

福本作品格言集みたいなコンテンツもあったかな。

恐らくもうインターネットの海に飲み込まれいるかも知れないけど、

サイト名前だけでも思い出したい。

ご存じの方が居たら教えて頂きたい。

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