はてなキーワード: けいおんとは
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。
やまゆり園の事件、秋葉原の事件など無差別殺傷事件はこれまでも起きてきた。
けど京アニの事件がどうしてもニュースとして流れていかない。いつもだったら選挙の話題で増田でも書いているはずなんだけど正直、選挙に興味がいかない。候補者の政策も調べていなかったので投票にもいってない。投票にいかなかったのは初めてだ、
そんなにコアなファンではないはずなんだけど・・・ハルヒも見てないしけいおんも当時はそれほど面白いとは思わなくて、でも日常とヴァイオレットエバーガーデンは傑作だと思ったぐらいのものだった。
けど生涯でこれほど衝撃を受けたニュースが思い返せない。東日本大震災よりも衝撃的かもしれない。
続報がはいってくるたびに戦慄を覚える。衣服が燃えさかり叫び声をあげよろめきながら歩く女性。3階の階段で20人が折り重なって亡くなったこと。助けてと言いながら近所の店に逃げ込んだ女性。
もう日常のコメディーを見て笑うことはできそうにない。苦しかったなんて言葉じゃ表せないほど苦しかったはずで・・・いたたまれなさすぎていつものようにニュースとして消化することはできそうにない。
放火犯と類似する点があることから同一人物を疑われているようだ。
ついでに、やたらと読みづらいことから糖質を疑われているっぽい。
で、ためしに読んでみたところ確かに読みづらいがそれほど糖質っぽさは感じない。
がんばれば解読できる程度の文章。
とたずねたら
こういう返答
むしろまともな返答かもしれん
しかし、裏じゃ逆
一番初め、つまり一番槍でパクりを目にしたのは
留年、これをパクった
というより
一番信用しちゃいけない会社を信用したのが間違い
多くの人は言う
「あのときムショに行かなければ」
でも、これ
後手の状況からみれば
あのクソアニメ会社が一番やりそうなことって
あの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな
どちらにしても
そして、後々パクられて原稿の意味がなくなってたことも、実は回避できなかった、ということだ
以前、私は京アニに「ロボットものを手がけてみてはどうだろうか」と原稿を送ってみた。
そのときの京アニの返答が「業界にも仁義がある」という類のものだった。
私としては、このような返答には異論はない。
(※ここでいう「業界にも仁義がある」とはなにか?恐らく「ロボットもの」の「原稿」を「送る選択」した結果、サンライズに類似する既存作があり京アニ(仮)からはパクリと判断されたのだろう。サンライズと明確に名前が出ていることから「原稿」は「ロボットもの」という程度の広い意味ではなく特定の作品に酷似したものだったと推測できる)
しかし、この「仁義を通す」姿勢は表向きのものに過ぎなかった。
なぜなら、京アニは「パクリ=仁義破りはよくない」としながら自分自身はパクリを行っていたためだ。
私が最初に京アニのパクリに気づいたのは「映画けいおん!」を視聴したときだ。
そのとき、私は気づいた。京アニは私の小説から「留年」というアイディアを盗んでいたのである。
「業界にも仁義がある」などと口にしておきながら、自らはパクリを行っていたわけだ。
いや違うな。業界の仁義を破ったというよりは相手によって態度を変えているのだろう。
サンライズのような強者には低姿勢だが、私のような弱者相手には平気で仁義を破る。
私の犯した最大の間違いはなんだったのか?
最も信用してはならない京アニという会社を信用したのが間違いだったのだろう。
当時、私の原稿がパクられたエピソードを周囲の人々に話したが誰も信用してはくれなかった。
私にはコンビニ強盗の容疑で刑務所に入れられたという負い目がある。
恐らく「前科者の言うことなど信用できない」ということなのだろう。
「あのとき犯罪を犯して刑務所に入れられていなければ……」と悔やむ日々を送った。
(※この辺は情報量が少なかったため何が言いたかったのかは他の部分から予想した。「間違い」に注目してみた)
当時の私はそのように犯罪を犯したことを責めていたが、今になって考えてみると悔やむべきポイントが間違っていた。
京アニに原稿を送っても「採用されず裏切られる」ことなど容易に想像できたはずだ。
あのときの私は信用すべきでない京アニの人間に原稿を送るような行動を回避しておけばよかったのだ。
そもそも「京アニに原稿を送った」という選択が間違いだったのだろう。
後知恵ではあるが、原稿を送ったにしても、原稿を送らなかったにしても、原稿は採用されなかったのだから。
そして、もしも原稿を送らなければ、パクられて原稿が無意味になることは回避できた。
(※「回避できなかった」については、
ではなく
と解釈するのが適切だろう)
文章が読みづらいだけで統合失調症よりは境界性人格障害っぽい?
統合失調症にありがちな「監視されてる」的な成分(集団ストーカー、仄めかし、思考盗聴、監視カメラなど)があまりないように思う。
対人交流をすべて統合失調症による妄想だと仮定すれば分かりづらい記述にも説明がつくというだけで……。
ちなみに境界性人格障害っぽさは「信用した」「裏切られた」という感情表現(「理想化とこき下ろし」)から、そう感じた。
そして確かに文章力は壊滅的だけど、このくらいの文章力の人は世の中には普通にいるのでは?
普段は身の回りの人たちとは文章ではなく会話で接しているから気がつかないだけで。
さらにいえば一般人でも酔っ払えばこんな風になってもおかしくはない。
起点として(ボカされてはいるが)「京アニに送った原稿(ロボットもの)が(サンライズの)パクリと判断された」という出来事があるようだ。
ようするに、ぜんぜん気にしてない風を装ってはいるが「自作小説をパクリとして扱われた」ことをよっぽど根に持っていたのではないか?
ある程度の文章読解能力があれば「パクリ認定」は「同じやり口でやりかえしている」類のものであることに気がつくはずだ。
この5chの書き込みが犯人と同一人物だとすれば「小説をパクリやがって」よりは「小説をパクリとして扱いやがって」が正しいのでは?
「信用すべきでない人間」「信用できない女」「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきた」など特定個人と交流があるらしい記述がある。
妄想や幻覚による架空の人物だろうか?文中の「信用すべきでない人間」が実在するとしても本当に京アニの関係者とは限らない。
京アニの関係者を騙っていた第三者かもしれない。例えば詐欺師や虚言癖などが考えられる。
当てずっぽうだが「京アニの関係者」を騙る人物が小説教室などを開いていて受講料を支払っていたとか?
第三者を媒介としていれば「京都アニメーション大賞には応募していない」という情報とも整合性が取れる。
初めに…
この度の一件で負傷されたスタッフの方の心傷が癒えると共に一日も早い回復を、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、京アニ作品を観て育った一人としてできる支援をしていきたいと思います。
※注意※
個人が募金や京アニへ今できることを知ってもらいたく記事にしたもので無断転載になるのは重々承知しております。各所様へのこの記事や関連する動画に対する問い合わせは御遠慮ください。
*物販&募金*
・物販
京アニ作品関連のグッズや円盤を買う際はAmazonなどではなく、利率の良いとされる京アニショップ!からお買い求めください。また多くの方が支援の為に購入されることが予想される為、出来れば、ダウンロードコンテンツの購入が業者の方々への手間が省けるのでお勧めです。
http://kyoanishop.com/smartphone/
・募金
国内でも募金を募るところが出てきました。また、個人による寄付の申し出は場合によっては迷惑になりえるかもしれないこと、個人で募金を呼びかけるものも詐欺などに繋がりやすい為(こういう時に多くなるそうです)、必ず社会的な信用がある企業や団体からの募金をお願い致します。
https://www.animate.co.jp/info/278030/
19日(金)より各店で被害にあわれた方々の支援を目的に随時店頭募金を開始。
https://www.pref.tottori.lg.jp/286410.htm
まんがと地域を結びつけ、地域活性化や観光振興に結びつける取り組みを続けている団体。
被害に遭われた京都アニメーションを応援する為、鳥取県庁及び各総合事務所に募金箱を設置。
Sentai Filmworks
https://www.gofundme.com/help-kyoani-heal
募金を募って下さる各所様の簡略的な紹介になります。詳しい募金方法、メッセージに関しましてはリンク先をご確認ください。
※現在、私が確認出来るもののみ紹介しております。他にも募集されているところがありましたらコメントで教えてください。追記で明記します。
*その他*
①
追悼イラストやコスプレよりも正しい情報と募金をの呼びかけを!
亡くなられた方々への追悼もとても大切なことですが、今は残された方々への支援に徹底しましょう。特に物販売上は延焼してしまった建物への現実的な立て直しの力になります。
②
実名公開されてから犯人へ対する過激なツイートがより増したように感じます。あまりに過激な発言は今も続きつつある「ヲタク」に対する偏見的な考えを拡散しかねないです。特にマスメディアはそういう部分を嬉嬉として取り上げる傾向にあります。
冷静に犯人が法のもとに正しく裁かれるのを願いましょう。みんなが言ってるから叩いて良いということはありません。
③
非常にセンシティブな内容を含むツイートが大量に呟かれています。不安定だったり、しんどい気持ちは誰にでも負担にしかならないので落ち着くまでは離れるも大切なことです。そこに罪悪感を感じる必要はありません。心の健康第一にしましょう。
・事件に関して
各国の大使館並びにサブカルチャー方面以外の公的な団体や著名人の方々が哀悼の意を表しているのは、戦後最悪レベルの放火殺人事件だからです。過去の事件と比べるのは御法度ですが、戦前の津山事件や97年のサリン事件よりも多くの方が犠牲となり亡くなっています。
京都アニメーションだから騒いでいるのではありません。場所が学校、幼稚園、スーパー…私たちの普段の生活に関係ある場所でもこのような無残極まりない事件が起きたら様々な場所から哀悼の意や言葉が出るでしょう。
・関係者各位の詮索はしないこと
京アニに務めている方の身内の方が安否不明者リストをガセで流されていたことに困惑してRTを止めるよう呼びかけているツイートを見かけました。事件の詳細として気になるかもしれませんが、公式の発表があるまでは無事を祈るのみにしましょう。また、誰が亡くなられたかの詮索もご遺族の気持ちを傷付けることに繋がりかねないです。こちらも公式の発表があるまで待ち、亡くなられた方へのご冥福をお祈りしましょう。
加害者家族に関しても、罪を背負うべきは犯人本人で御家族には嫌がらせをするような真似や誹謗中傷の書き込みは直ちに止めてください。加害者に対して含め、私刑は犯罪です。私達は被害に遭われた方々への支援しか出来ません。
最後に…
京都アニメーションは他で言われている通り、日本のアニメ史及びサブカルチャー史には欠かせない作品を排出したスタジオであり、今も高品質の作品を送り出しているとても偉大なスタジオです。
京アニは自分が思っていた以上に歴史が古く、タツノコプロやぴえろの作品にも関わっていることを今回の一件で知りました。その古くは遡ること自分の親世代のアニメである「うる星やつら」に始まり、「 機動警察パトレイバー(初期OVA)」、20代半ばの私と同じ世代なら、今も続いてる「クレヨンしんちゃん」、「劇場版ポケットモンスター」、紅の豚などのジブリ作品にも携わっています。ハルヒ、けいおんだけではありません。
誰かが観たアニメに必ず関わっていると言えるのが京アニです。無関係と言える人の方が少ないかと思います。
なので、京アニの携わった数々の作品のどれか一つでも出会い、刺激を与えてもらった人がいたならば、少額でも良いので力になっていただけたら…と思います。
・ヤマカンとは
ヤマカンというは山本寛監督の別称。京アニ傘下出身で、ハルヒEDで注目されてらき☆すた降板で話題になり
その後かんなぎやBRSの頃は評価悪くなかったが、フラクタルで内輪揉めを起こし、
WakeUp,Girlsなるアニメ作品と同名ユニットを立ち上げ、ユニットはそれなりの人気で
今年活動終了したが、アニメは劇場3作TV2期あったものの、こちらも揉めて途中監督降板してる。
以前から煽り耐性がなく、炎上するたびにまとめサイトやアンチに対して通報した結果
揚げ足は取られなくなったが、比較的中立だった映画評論家・アニメ関連ライターに留まらず
盟友だった音楽チームのMonaca、(彼の言う意識の低い)一般ファンまで常態的に罵るようになり、
誰も触れられない雰囲気になり、ようやくクラウドファンディングで制作に漕ぎづけたのが今作。
・『薄暮』について
公開2日目にして20人くらいで少し寂しい感じではあるが、クラファンに参加してそうなおっさんや
福島県いわき市舞台だから見にきたのか、年配のカップルも居た。
先月試写会かなんかで、未完だの廃業だの話題になってるのに
内容的に悪くないとかいう評価が出ていて、少し気になっていた。
凄く簡単に言うと、福島県いわき市を舞台にして絵画と音楽を中心にした、こじんまりとしたガールミーツボーイの佳作だった。
作画は別に期待していてなかったからか、最後の演奏シーンは止めが多いなとは思うものの
平松禎史や追崎史敏も参加していたし、未完云々は炎上マーケティングだろう。
WUGより近岡キャラデザの素朴さが表現できていたように思う。
テーマが弦楽器と地方都市で、必然的に音響と背景がクローズアップされるので、作画は気にならない
物語の高校の吹奏楽部は強豪校であり、主人公たちの音楽部(ストリングス中心)が
人が集まらないという設定は京アニの『響け、ユーフォニアム!』に対する当てつけに思える。
(企画立ち上げ当初はバンドの『けいおん』を意識していたのかも)
また主役男女2人の接点でもあり、タイトルである薄暮は、『君の名は』の片割れ時を想い出させる。
舞台装置として同じだろうが、ファンタジックな新海作品よりも現実的な立ち位置。
他にも主人公のセリフで生理という単語を入れたり、自宅のベッドで上着を脱ぐシーンなど
明らかに狙った少女演出がある。ここはジェンダーやアイドル論的な視点で議論できそうだけど、他の人に任せる。
テーマ的には震災はあくまで遠景的なもので、基本は主人公の初恋などの淡い成長など非常にシンプルなので、
新海誠や山田尚子のようなフェティッシュだったり繊細な作品に比べると、物足りなさを感じる。
声オタ的には、主演の男女2人は役柄の演出もあって、特に違和感はない。
ヤマカン作品では常連の花澤香菜と下野紘に、同級生友人2人は雨宮天ちゃんと佐倉あやねるのシンカリオンコンビ
を配置して、声オタ的にも十分に満足できた。
特にあやねる『プロメア』のようなステレオタイプなヒロインよりも、今回のウザねるが圧倒的に魅力的。
WUG関連だと島本須美も出てるし『らき☆すた』の頃からの福原香織、大坪由佳
こにわ、大橋隆昌とか懐かしみを感じる面子も。
90年代前半、セーラームーンの百合同人誌が大流行してアンソロ本も各種刊行されて大売れした事実って
https://www.amazon.co.jp/dp/4893931326/
https://www.amazon.co.jp/dp/4938827042/
百合姫の前身・百合姉妹の創刊時に百合作品の歴史をふり返るみたいなコーナーでも無視されてた
当時は、それまでBL同人誌を描いてた腐女子が、セーラームーンを題材にしてBLの文法や表現術で百合二次創作にしたのが凄く多かったんだよ
が、1990年代はセーラームーンに続く「男主人公がいない女の子ばかりメインで多数出てくるメジャー作品」があんまりなかったので、一過性のもので終わった
(レイアースとかの百合二次創作とアンソロはそれほど多くは出なかった。ウテナも単発人気どまりで同人シーン全体を塗りかえるほどの影響力はなかった)
百合オタを1980年代から続けているオサーンに言わせると、今ほど百合二次創作が盛んな時代はなく、本当に不思議
だって2000年前後ごろ(マリみてブーム直前)とか、男性向け二次創作は非エロも含めて葉鍵系エロゲが全盛期、基本は男主人公×女キャラだった
それが2008年前後の東方ブームあたりから、けいおん他の芳文社きらら系や艦これやラブライブみたいな、「男主人公がいない女の子ばかりメインで多数出てくるメジャー作品」の大豊作が恒常的に続いてるのは、実に不思議な感じがする