はてなキーワード: 青年とは
電車内の痴漢を止め被害者のジッパーを上げて逃がした女性が犯人の男二人により電車から工事現場に連れ込まれ殴ったり鋸で脅され強姦された御堂筋線事件だ
犯人は「付き合っていた女に逃げられ、ムシャクシャしていたから」と証言
弁護人は「女性にも落ち度があった。逃げようと思えば、逃げられた」「周囲の人間が見て見ぬふりをしなければ、犯罪に至らなかった」と弁護
裁判官は「前途ある青年である」「同情すべき成育歴がある」と減刑した
梅田駅で小さな暴力、迷惑行為をなくすようスポットアナウンスでPR活動を行った
もし、めいわく行為の被害にあったら、ためらわずに大きな声を出してください。
勇気ある協力を……
すり・ひったくりにもご用心!
電車内での痴漢はもう許さぬ―社内暴力の追放を進める大阪府警は、痴漢一掃のポスター=写真=をつくり、二十九日からJR東海道線などで車内つり広告を始める。キャッチフレーズは「あなたの勇気 ありがとう」。
と記事にしている
当時はエロい中吊り広告は許されていたが「性暴力追放を主眼に作成したものですが、性を前面に出したくない。又放送にしても同じことです。よろしくご賢察願います」という理由で痴漢ポスターで性をイメージする単語を使うのが御法度だった
痴漢は犯罪ポスターは当たり前の事を何故主張すると思うかもしれないが
事件をきっかけにして出来た性暴力を許さない女の会が何度も鉄道会社に要求し
口頭での陳情に対しては、「僕も酒の席では女性の肩に手をかけることもある(から大したことではない)」「男性のお客様に不快感を与えるため掲示できない」「痴漢の対象になるので女性駅員は配置できない」、さらには「痴漢もお客様だから」といった説明を受けながらも何年も頑張り掴み取った物だった
びっしり人がいる。おっさんおばさんもいる。俺もおっさんだけど。若い子もいる。隣はいい匂いのする青年。
近い席で4人くらいのグループになり、議論を始める。社会問題の解決策について。続いて、グループ同士の議論になる。休憩を挟みながら相手グループと合併をし、最終的に100人くらいずつの大グループ同士で議論をする。
その頃には大グループ内で役割分担が決まっていて、主に席が近い人で集まるグループ内グループが出来てる。俺は意見を交わすうちにちょっと離れた席の小グループ(10人くらい)のリーダー的な感じになっていて、グループ内グループの連絡役というか監視役のようなものになっていた。なりたくてなったんじゃなくて、できることやってたらなってた。
大グループ同士の議論が終わると勝敗発表の場がある。各人自グループや相手グループのあの人やこの人と称え合ったり罵り合ったりしながら休憩時間を過ごす。
結果は負け。各人自グループや相手グループのあの人やこの人と称え合ったり罵り合ったりしてると、この中から国会議員を選びますとアナウンス。ざわつく場内。大グループ内で中核となってた人らの名前が読み上げられる。
場内いろんな目の色で拍手を送る。他人事でからかう声をあげる人がいる。泣いて悔しがる人もいる。俺の名前も読み上げられる。
うちは妻と自営なので、というかそんな重責に耐えられるほど綺麗な体じゃないので、しかし抗えない空気なので、とにかく妻に電話する。家業はなんとかなるのでできることやってこいとのこと。うえー。あんな友人たちとあんな遊びができなくなるなんて俺の人生真っ暗だ。
覚醒。
俺はアラサー男だけども、男性向け成人誌だけじゃなくもっとやればいいと思う。どの事業者も。
世の中の表側からはアダルト(性的かつ下品、淫蕩的なもの)はぜんぶ撤去するべき。ティーン誌とか青年コミックも含めてね。厳しすぎるくらいでいい。
コミケなんかのイベントでもエロ同人での参加は禁止して、エロは通販やDL販売に完全移行したらいいと思う。
同好の士との触れ合いの場がほしいならまず外で話せるレベルの、健全なものも作ってから話してくれ。エロでしかコミュニケーションが取れない人間はネットから出てくるべきじゃない。
実店舗を持つ同人ショップからもエロ同人アイテムは撤去。公共の場には存在しちゃダメだ。
とはいえ、厳重にゾーニングされ、入店時にピピっと成人認証されるアダルト専門ショップ、といった感じなら商業・同人問わず実店舗もあっていい。あと現状のように歓楽街に隔離された形の風俗店も問題ない。
要するに、現実世界では非エロとエロが混在する空間があってはならない。健全なものを求める人間(未成年含む)がアダルト方面に迷い込むのが問題。
ただし、ネット上ならそういった類の迷い込みがあってもいい。もちろんフィルタリングなどの必要性を否定するわけではないが。
根本的にネットというのは、ほとんど精神世界だ。精神に歯止めは掛けられない。だから強い意志があれば未成年でもフィルタリングを抜け出せるくらいで構わない。
そういう空間と、現実の空間との区別は厳格であるべきだし、その分別を誰もがつけられる国民性を志向するべきだと思う。
誤解されそうだが、成人向けコンテンツの流通を縮小させる意図はない。むしろ、厳格に分ける一方で萎縮が起きないように気を配るべきだ。
アダルトを含めたあらゆる表現を手厚く守って、エロアイテムの流通は倍増させるくらいの勢いでいいとすら思う。
ただしその流通は、パブリックとは隔離された場所で、プライベート空間に直送される感じでやってください、という、一言で言えばそれだけの話だ。
中国じゃないんだから、アレなモノからソレなモノまで、公共空間にごっちゃ混ぜで陳列する必要はもう無い。
日本はもうカオスでいられる時期を過ぎた。もっと洗練されたスマートな社会のありようを本気で考えて、変えていかなくちゃならない。
平たく言うとみんなネット通販を活用しろって事だ。ついでにドローンとか無人トラックの認可を急げってね。
既存の流通からの変化を促すと、それについていけない人への配慮を~という批判が来る。
だが思うに、ネットも使えないような、コンピュータ音痴の年配というのは、大概知ろうとしない、学ぼうとしない。
必要に迫られてもできるだけ避け続ける。たとえば高性能なスマホを息子に見繕ってもらい、教えてもらっても、
難癖をつけるばかりで最低限の通話やメッセージング以上のことを断固としてしようとしない。興味を持とうとしない。
使っているモノの事をなにも知らないまま使い続けるような、恐ろしい感覚を持っている。
コンビニでエロ本を買っていた人間のうちで、撤去されたから焦って他の入手手段を調べ出せる能力のある人はまだマシだ。
そうでない人はきっと先に述べたような気質の人だ。入手を諦めてまた別のもの(風俗とか)に流れるのかもしれないが、
いずれにしても、自ら賢くなろうとしない人間が取り残されることまで配慮していては、人間をダメにし、社会をダメにする。
何か事情があって取り残されてしまう人の保護ならともかく、健常な人間は生きている限り常に賢くあろうとし、学び続ける姿勢がなければならない。
さもないと、資本主義・自由主義経済下の社会ではうまく生きていけないのが当然だし、なんならカモられハブられるの致し方ないことだ。
「生きている価値が無い。死ぬしかない」と言っていた青年が始めたことは、
自殺志願者を誘い出して殺すことだったわけで。
女向けのエロ漫画って、主人公はその気がないのにSのイケメンが強引にせまってくるようなの多いじゃん。
エロじゃないけど、女向けの漫画で、男も女も好きになれない性的少数者なのに、年下の陰のある青年や、年上の紳士が言いよってきて困るみたいの見たことあって、そこまで徹底的に「自分はセックスに興味ないけど、男のほうから寄ってくるの」みたいなシュチュエーションしなくてもいいのにって思ったわ。
「女はセックスに消極的なふりをして男が忖度して迫る」みたいなの、エロ漫画でくらいはやめて、女のほうからどんどんせめて男にモテるってことにすればいいのに。
前にはてなで、強姦にならないように、セックスの前は女の同意を明確にとるべきだって話題が盛り上がったけど、女の「男のほうから迫ってくるべき」みたいな意識をエロ漫画でくらいは改めてもいいと思うわ。
そんな話題がでてたので、ファンタジーの中でもハヤカワFTのなかで印象深いものをメモしてみる。
ハヤカワFT031。ユーモアファンタジー魔法の国ザンスシリーズの1。ユーモアっていうか、ダジャレファンタジー。全編ダジャレ。好きな人と嫌いな人がかなり別れる。とはいえ、ダジャレと韜晦で煙に巻きながら、少年少女の自立とか誠意式の芽生えと思いやりとか、結構ちゃんとしたテーマはそれはそれでそれなりにやっているのが偉い。
ハヤカワFT文庫は、文庫設立当時は、あちらで有名な基本的名作をポチポチ紹介してたんだけど(マキリップ、フィニィ、ダンセイニあたり)このザンスシリーズ辺りから、複数巻にまたがるシリーズを紹介し始めて、おそらく収益的にも安定し始めたんじゃないかと思う。
ハヤカワFT055。妖魔(他作品で言うところの精霊的存在)の真の名を掴んで指輪に封じることで魔法を使う青年クレイを主人公とした上下巻。魔法の不可思議さや、おとぎ話的な雰囲気がどこまでも魅力的な作品。寓話的なストーリーとあいまって、「ファンタジーモノの原点ってそういえばこんなだったなあ」感ある。ネバーエンディングストーリー的な意味で、読者はその世界の脅威に魅了されながら読むという今では廃れきったスタイルの佳作。
ハヤカワFT055。やったー! みんな大好き俺TUEEE。序盤は地に足の着いた泥臭いファンタジーなのだが、異次元世界の魔術先進帝国から侵略をきっかけに主人公の少年が段々と魔術の才能を開花させて、無数の次元の秘密に迫る大魔術師に成長する話です。能力的なインフレもするんだけど、世界観や物語の構築がしっかりしているせいでご都合主義的な匂いはなくて、古代の英雄譚な味わいになっていくのが面白い。
FT106。大傑作大名作。指輪物語と同じような「グループが使命を果たすために旅をする物語」なのですが、読みやすさといい感情移入といい、こちらの方を押したい。メンバーが皆魅力的です。ウルフおじいさんとこそ泥王子のシルクはファンになっちゃいますね。ぶっちゃけこのシリーズがあるだけでハヤカワFT黄金時代だったと思う。
このシリーズは「ベルガリアード物語」が全5巻、続編となる「マロリオン物語」が全10巻あるので、シリーズ好きな人にはたっぷり楽しめる。。
FT137。シリーズじゃなくて一冊読み切り。現代(というか、今現在からするとちょい前?)くらいのロンドンを舞台としたファンタジー。高層ビルの屋根や屋根裏をすみかとして、ワイヤーとリールで空中を移動しながら生きている一族という、「現実世界にもファンタジーはひそんでいるんだぞ」設定がまず魅力的。子供の夢想みたいなのを実力ある作家が物語にしちゃったケースなので、読後の「もしそうだったらなー」というファンタジー特有の酩酊みたいなのが味わえます。
FT308。全五部作予定だったシリーズの最初の一巻。いろいろあって三巻までしかでなかったのだけど、話自体は一巻完結なので特に問題はない感じ。架空の中国唐代を舞台にしたチャイナファンタジーに、古典中国のアレヤコレヤを詰め込んだ、最高級の「ほら話」。文章には癖があり、何より密度がめちゃくちゃ高いので活字を読み慣れない人は体力を消耗しちゃいかねないんだけど、皮肉とブラックジョークの影に描かれた物語はびっくりするほど美しい。主人公コンビ、力持ちだけが特技の農村の垢抜けない青年十牛と、老賢者(というかイカサマ師)の李高老師は、ちっともヒーローらしくないデコボココンビなのだけど、迷宮、幽霊、過去の因縁話、宮廷につきもののスキャンダルをくぐり抜けていくと愛すべき人物だと気づく。ラストシーンは本当に素晴らしい。
あの日からずっとゲーセンで格ゲーを遊んだ。ゲーム批評で「格闘ゲームあきねぇか?」と書かれても、負け犬の遠吠えにしか感じなかった。格闘ゲームはおわったとなんどもなんどもいわれて、世紀を超えて、それでも終わった終わった、初心者がいないといわれ続けても、遊び続けた。
そして、先月。突然やめた。KOF14の対戦で負けた後だった。
対人対戦に疲れ果てた。つくづく疲れ果てた。
先ほどまでの全身を駆け巡った興奮はすっかり冷めていた。いや、もう、格闘ゲームに興奮しなくなっていた。勝ったり負けたり。勝ち続けもしないが、負け続けもしない。それくらいのゲームセンターだった。急に熱が冷め、店内が暗くなったように思えた。息ができないくらいにひどい空気だけだった。
私が席を立つと、すぐに青年がコインを入れた。たぶん、私がコインをいれることはないだろう。
はやく呼吸を楽にしたいため、足早にゲーセンを出た。もう夕方だった。雨あがりの夕方だった。秋の雨のせいだろう、なにもかもが冷めて見えた。
対人対戦をやりつづけた。本当に楽しかった。そして、疲れ果てた。私はもう、本当に、疲れ果てたんだ。
最近FGOのシナリオが話題になってるよね。展開が既存作品と酷似してるしイラストが既存作品のビジュアルを彷彿とさせるけど、あれはパロディもしくはオマージュだからアリだって。
で、ふと思ったんだけど、それなら二次創作ってグレーでもなんでもないのでは?
本家と間違えるような表記、本家が出すようなグッズはもちろん駄目だけど、「これは○○のパロディです」とすればアリになるんじゃない?
FGOはストーリーの流れが同じでキャラは違う(んだよね?)。
二次創作はストーリーは本家を下敷きにしてるけど本家とは違う内容で、キャラの名前は同じ。
ということは、キャラを流用するとパロディではなく著作権を侵害してると見なされるのだろうか。
でも、これは腐女子の創作にはよくあることなんだけど、舞台変更・性格改変・性転換・年齢操作された場合、そのキャラは果たして本家と同一なのか?
過酷な環境で敵と戦う殺伐ファンタジーが近未来SF恋愛物になるとか、本家では弟と兄だったのが先生と生徒になるとかはざらにあることで、書いてる側は当然本家のキャラの延長として書いてるんだけど、第三者からしたら普通に別物だと思う。
実際どうなんですかね、法律に詳しい方。二次創作って本当にグレーなんですか? それともFGOのパロディ元が寛容なだけで裁判起こされたらFGOは負けるんですか?
追記
>>2次創作とは、他の作品の世界観、キャラクターをそのままパクッてストーリーを自分で創作する
いや、だからね、
まずは、外の世界から隔離した場所を造り、そこへ人間達を住まわせます。
飲むだけで空腹が満たされ、若さを保ち、健康でいられる”湖”をつくりました。
その水は、人間だけでなく、植物を潤し、空気もきれいにします。
身体にかけるだけで、汚れが取れ、傷が治り、とても良い香りに包まれます。
しかし、何ヶ月か過ぎると、人間達は不満を持つようになりました。
神様は、人間から男女の種別を無くし、その原因を取り除きます。
そして子孫を残せない代わりに、永遠の命を与えました。
調べてみると、綺麗な者が醜い者を虐げていました。
https://anond.hatelabo.jp/20171022210553
少し追記する
人間の英知とは、自身で出来ることの増加ではなく、環境を変えることへの志向から生まれた
例はいくらでもある
利便性と効率の追求によって、職人は消え、仕事は消え、人は人と仕事をしなくなる
人は欲求阻止体験を抱え込むことから解放されつつある。しかし苦悩場面を体験しないで済むということは当然その時発動される自我の防衛・工夫などの鍛錬をしないことに通じる。
人は言葉を使って考えることで世界を内的に再構成すると言われるが、欲求満足や快感が保証される社会では、個人はそうした作業負担を免れる。人格はその構成を拡散させたままでも生存できる方向に向かっており、人は欲求とその満足というパターンを得ているうちは良いが、そうでない時には著しく脆弱な反応を見せる、「考えない」存在になっていくことが懸念されるのである。
事実、対人関係だけはこうした欲求一満足という即物性を欠いている(人をモノ化した際には成立するが)。
現代人に残された難物がコフートの言うように周囲の人間との関係性に悩むことであるかもしれず、またそれも情報機器の助けによって容易に自己完結的な引きこもりへの道が用意されていると言えよう。
この「人をモノ化した際には成立する」というのが、今の日本で行われつつあるのではないだろうか
「現代のオタクは少女をどこまで「破壊」すれば安心するのだろうか」で書いたように
キャラクターとはそもそも、人間性を破壊しモノ化した対象を指す
また、現代における現実の人間関係がそもそも、葛藤回避的である印象もある
お互いに不快な思いをさせないよう、生ぬるい表面的な関係とやり取りに終始する傾向にあるのではないだろうか
その反動としての「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」や「とらドラ!」の存在が持て囃される一方で
彼らの世界には葛藤はなく、それを表現した作品への希求はなく、ただただ苦痛な体験をアニメ媒体を通して追体験させられているように感じられるのではないだろうか
そこにきて「Re:ゼロから始める異世界生活」において主人公が陥るような自己肥大と自己嫌悪といった葛藤に直面化させられると
「主人公が気持ち悪い」「かっこ悪い、見てて苦痛」という感想しか持ちにくく、自分と相対化してみることができなくなる
ネットにおいて「自分がその段階を通過していないから、スバルに対して"ああ、自分もこういう時期あったな"とみることができない」という指摘がしばしばみられるが
そういうなかから、行動化を防衛機制の一つとする見方も出てきています。
本来の防衛というのは、そういう「不適応行動」をしないための手段であって、その主たる目的は「自分の内面を平穏にする」「自分の中で葛藤が起こらないようにする」「自分の内面に葛藤を抑えてもっていられる」ということなのです。
もっていられる能力は人によってかなり違いますけれども、もっていられないものをなんとか始末してしまう方法というのが防衛機制であるわけです。
(中略)
つまり、行動で発散してしまうので自分の中で葛藤を溜め込んでもっていないで済む。
防衛的な観点から言えば、そのやり方によって自分の内面の葛藤状態を予防している、または解消しているといえるわけで、
現代において、精神医学もしくは臨床心理学の対象が「葛藤を抱えていられない」になりつつあることは諸家が指摘する通りだと思う
社会的に「自由」というものが認められず、人々が単一の規律や常識などに従わなければ生きられなかった時代においては
治療者の対象は「自分を抑えてしまう」ことが成因になるような病理が対象であった
利便性と選択肢の増加は、欲求や葛藤の解消をインスタントなものへと変化させた
「辛くなればやめても良い」「苦労しなくても退屈は紛れる」「ネット越しなら誰かを批判しても、見なければ反論は来ないし直接的な被害はない」「自分の歪んだ欲望も受け入れ、肯定し、賛同・共感してくれる場所がすぐにみつかる」
しかしその一方で、いざ職場に行けば規律を守ることを要求され、規定時間以上の労働に駆り立てられ、下手をすれば休日も返上して出勤する
私生活における幼児的万能感の世界と一転して、社会生活で要求される自己への規制は非常に強いものとなっている
このアンバランスさは、時として人を分裂させる
「私生活としての私」と「社会に生きる者としての私」は、かつてないほどに乖離し始める
もはや、「社会人としての私」は「本来の自分」から離れ、自我親和的とはいえない
48時間チャレンジの記事を見て、「これ、ボーダーの子の試し行為じゃん」と思った人もいるだろうか
素直に甘えを表現することへの葛藤も処理できず、かといって甘えたい欲求を別の形で処理することも出来ず
明らかに不適応な形で自らの親密・依存欲求を満たす行為のように見える
自立と依存の葛藤を維持し、家族ではなく他者に親密さと依存の対象を広げていく過程にある青年期において
家族へ依存欲求を失踪という試し行為の形で達成するのは、どこか歪んでいるようにみえる
満員電車というのは、名前も勤め先も知らない人々が密着した状態で、強制的に一定の時間を過ごします。辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした無の状態になる。そんな異常な空間の中で、ふいに女性に触れてしまうと、それが予想もしないくらいの衝撃的な体験になってしまう。
私はこれまで200人以上の痴漢常習者をヒアリングしてきましたが、彼らの多くはその最初の感覚を『身体に電撃が走った』と言います。本人が意図せずに触ってしまって、そこから『あ、こんな柔らかい感触があるんだ』と衝撃を覚えてしまう。少し言葉は悪いですが、痴漢の始まり方はこの“ビギナーズラック”のパターンが一番多いんです
公私での混同を許さなくなった社会では、時として人格の解離が状態化する
「辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした“無”の状態になる」という一文は示唆に富む
私では過剰に発散し、公ではひたすらに抑圧し何も感じないようにする
自我自体は脆弱なままなのに、その空間に他者の柔らかい感触が侵入してくる
そうすると、脆弱な自我はもはや「触りたいけど触ってはいけない」という葛藤を維持できず、行動化に移る
現代においては、そうした前エディプス的な段階での病理が多いように思える
物質的に富、自由と自立が個人の裁量で賄われるこの時代においては
社会的な規律によって自我機能が助けられていた時代より、葛藤処理が個人の自助努力にのみ任ぜられるために、かえってバランスを欠いた人間性が生じやすいのかもしれない
別に僕はなにもしてない。たまたま親がそこに住んでいただけだ。
なのになんだろう、出身地言うだけでやれ「金持ちのボンボン」だ「苦労も知らないおぼっちゃま」だ。
「観光だと思って、まぁ楽しんで帰りなよ」って一言にとてつもない距離を感じてしまった。
ちなみに今の住まいは地方都市のど真ん中で、徒歩圏内で買い物もレジャーもどうとでもなる。
神奈川県民とか別に電車ですぐなんだからそういう態度やめてよ。
普通にその辺の公園を鼻たらして走り回ってすっ転んで泣き喚いてたただのガキだぞ。
思春期に少年から大人になるために青臭いケンカとか恋バナとかしてたただの若者だぞ。
別に地元が嫌いなわけではない。愛着はある。最終的には戻ってそこで暮らしたい。
でもなんかそれが「首都だから」とかそういう優越性みたいなもの故だと思われてるととても嫌だ。
地元愛ってやつだよ。僕とっては鼻たらして歩いたあの町並みこそが「ふるさとの景色」なんだ。
東京に住むために必要な稼ぎとか、そういうのが解らないわけではない。
地価が高いことくらい、今住んでる間取りで東京の物件を検索すれば解る。
ただ、なんというかそういう額面的な価値とかじゃなくてさ、郷愁?があるんだよ、僕にとっては。
東京を語ろうとすると、やれビジネスだお金だ財産だ、小難しくてカタカナ語な話ばかり。
僕に見えてる東京の郷愁が、そこでは欠片もないようなものと扱われるようで、なんか悲しい。
地元の郷愁を懐かしみながら、東京という街に出てくる青年の語りだ。
こういう郷愁ソングは、いつも東京から地元を眺めるものばかりだ。
両親にはどこぞの栄えた地方都市で老後の心配のない便利な暮らしをして欲しいと思う。
合宿所は上司と一緒で10人部屋で寝るときもココロが休まらなかった。
そんで、眠りについたとき変な夢をみた。
父が自室の扉を開け
「おー!エッチなサイト見てたんか。すまんな!」といって扉をバタンと閉める
PCの画面にはけものフレンズのキャラが映しだされていて、それを指さして父は「こういうの好きなんだよねぇ」と言ってニヤニヤしていた
しかし、画面にはけものフレンズとは似ても似つかないケモ度高めのキャラが映しだされていた
僕は「親父ケモナーだったのかよ、引くわ」と思いながら同時に、「親父がけものフレンズが好きなんて、僕と同じ趣味を語れるなんて嬉しいぞ」と思った
画面に気を取られていた僕は、やがて父の異様な姿に気づいた
親父は全身ローションまみれで、股間に灯油のポンプをあてがってシュコシュコとピストン運動をしていた
表情は恍惚として満足そうにしながら「あーゅ!!ぎもぢぃぃ!!ぎもぢぃぃ!!」と言いながらしごきつづけていた
同時に、「親父が楽しそう、羨ましい」という間隔に襲われた
こんな状況にどうしたらよいか立ち尽くしていたら目が覚めた
ちなみにリアルの親父はアニメ好きでもケモナーでもなく、女子高生モノがすきな健全オヤジです