考えることってすごく疲れる。
何も考えないで生きていけたらどんなにか楽だろうって思う。
私は自分の母が虐待(今どきの言い方なら毒親からの虐待だよありゃ)されてて、何も本当に考えられない人で……でも今になって、考えなきゃいけない板挟みに苦しんでいる。
でも今まで半世紀以上考えることをしなかったつけと考えることの苦しみに耐えられなくて、
結局ここに書いている自分にとっては生みの母として愛したいのにどうしても愛せなくなってしまった、悲しい対象として認識されている。
面白いことに、母は私が地元の一番の進学校に私が合格したとき、辞めさせたい祖母(彼女にとって実の母親)と対立した。
頭だけは何があっても持って逃げられる財産だって、母はそう言っていた。私もそれはそう思う。
そして考える人生と考えない人生、どちらが楽しいかと言われたら多分、どちらも楽しいんだと思う。優劣はない。
何となくだけど、母とは関係なしに最近そう思える出来事があった。
そして考える人生と考えない人生、どちらが辛いんだろうって言われたら多分、どちらも辛いんだろうと思う。
そうであっても、私にとっては考える人生を選ぶ。
世界は悲しいかな、楽しくて嬉しいこともたくさんあるけど、それ以上に何も勝ったもののない私には厳しい。自分の人生に価値なんてなくて、ただそこに生きているという現象があるだけ。
でも生きているとまだ自分の人生には楽しいことがたくさんある、ありがたいことに。
それを味わいたい欲深い私のことを、私は恥じるつもりはない。
生きていくには、考えなければ多分私の能力ではすぐに他者に食い潰される。
優劣じゃなくて生きるために考えるんだ、自分の為に。考えることは武器で、考えた結果は自分の財産だ。
じゃないと、考えなかった結果生まれた私が、
何故苦しくて死んだのか両親にすら、考えても貰えないことを知っているから。